日常と非日常の境
分ける定義は数の多さだ

























The duet with the lunar
の精と二重奏(デュエット)を――


It snows in summer.
―夏に降る雪―
#1 王冠の男の日常




















 酷くじめじめした闇の中を、青白い光がゆらゆらと揺れる。

 石材で区切られた長い長い世界。
 人々の暮らす世界の真下に存在する下水道という施設を、黒い衣を銀細工であしらった物を着た男――クラウン・バースフェリアは歩いていた。
 年の頃は二十代前半。漆黒の髪に黒く澄んだ瞳。人によっては目付きが悪いとも、知的だとも言われる程度に目の端が吊り上っている。顔の造形は良いとも言えないが、決して悪いとも言えない。世に言う普通の奴、という容貌であった。
 そんな彼は、腰に剣を差したまま、片手に青白い光球を携えて下水を闊歩している。
 下水を歩く。
 そこにどう言った理由があるのか推理してみた時、大体は下水施設の管理目的が上がるだろうが、今現在クラウンが行っている事はとっくにその過程を終えた先にあった。

 ギルド任務『下水道に発生した魔獣の原因究明・及びその破壊』推奨ランクB〜A

 先日、ここルルカラルス地下に張り巡らされている下水施設を巡回していた施設職員が突如魔獣に襲われた。何処から紛れ込んだのかは不明。襲われた職員は戦闘能力を有してはいなかったが、運良く致命傷を避け脱出する事が出来たので、早急にギルドへと依頼を提出したのだ。
 このままでは下水施設に問題が出るかもしれない。
 その根本的な問題を解決する為に、ギルドから斡旋されたクラウンが下水へと潜り、その調査を行っているのである。

―――コツッ、という靴が地面を叩く音と共に停止。

 突然止まったクラウンの見つめる先には、青白い光に照らされた数メートル先の世界と、光が届かない闇の世界が広がっている。
 音を立てて流れる下水、打ち上げられただろう障害物。それ以外に瞳に映る物は無い。しかし、

「居るな…数は――」

 呟いた瞬間、闇の奥に濁った紅い瞳が幾つも灯った。
 青白い光に照らされて反射する、光沢ある甲冑を纏った昆虫の群れ。その大きさは嫌悪感を表さずには居られない程に膨れ上がっている。

「バグか…数は――見える範囲で30、と言った処か」

 目測の数を呟き、やっとそこになってクラウンは手を鞘に掛けた。
 シン、と甲高い音がして引き抜かれたのは銀色の剣。それを構えるでもなく、只右手にだらりと下げて体勢を沈ませる。
 相手の方も、既に待ちきれないと言った風に歯をガチガチと鳴らし、その鋭い歯が並ぶ口からは体液が滴っている。そんな昆虫の形をした魔獣の群れに対して、クラウンは口の端を吊り上げて笑い、

―――昆虫達の視界から消えた。

「!!」

 昆虫達の困惑の悲鳴。
 しかし複眼はクラウンが移動したのを確かに捉えている。
 元居た下水の足場を蹴り、壁を蹴って既に真上へと肉薄したクラウンの姿を。

「シッ!!」

 クラウンが口から細く強く息を吐き出し、それと共に振り下ろされた銀の刃が通路に這い蹲る魔獣を両断する。装甲とも言える様な魔獣の甲冑を無視しての破壊行為。戦闘が始まったのだと認識を改める様に、断末魔の悲鳴に似た音がクラウンの周囲に存在する魔獣達の口から叫ばれる。
 羽音を残して舞う魔獣の群れに、再び銀の線が流れて二匹の昆虫が体液を撒き散らせて下水へと落ちた。
―――疾風迅雷、
 そう表現するのが適切か。
 鮮やかに手際よく、戦闘が始まった瞬間には既に命を狩り取っている。
 四方から襲い来る魔獣の攻撃を、一回跳躍するだけでクラウンは避けると、まるで挑発するかの様に再び口の端を吊り上げた。

「馬鹿め」

 その言葉を認識したのか、それともしていないのか。魔獣達は距離を取ったクラウンへと一斉に飛来する。
 それを確認して、クラウンは左手だけを剣から離して眼前へと掲げた。
 掌の先に展開される世界。
 魔術式と呼ばれるそれを、クラウンは【 演算 】する。
 何度も使用した術式を記憶から引き出し、式に影響を当てはめて演算を行う。数コンマ秒の間に演算された式は術式として弾き出され、クラウンの体内で発動待機状態でストップ。

「【 炸裂する光源の刃 】」

 歪められた口元から吐き出された言葉は、演算した魔術式を現行世界に顕現させるのに必要な【 起動詞 】である。演算し、答えを導き出された“式”は起動詞に“応えて”眼前に広がる世界へと、その猛威を発現させる。

―――下位爆裂系魔術式・咲き誇る燈の花(アイニ・ブロッサ)

 複雑に絡み合った術式から出現した光の球は、周囲に衝撃波を伴って放たれて、真っ先に飛び込んできた魔獣へと着弾。クラウンの前に橙色の閃光を撒き散らし、轟音を響かせて炸裂し、先頭の魔獣を追って飛び込んできた魔獣すらも伴って吹き飛んだ。
「ギッ」と最期に叫ばれた断末魔は、更に肉が爆ぜる音と背後の群れへの接触、爆裂に伴う盛大な破壊音に飲み込まれて誰の耳にも届かない。熱と衝撃を伴って弾けた光の球は小さな罅を下水道に傷痕を刻み、魔獣の命のともし火を吹き飛ばした。
 だが、それでも全滅には遠い。
 失った数は約十と言った処。
 闇を染めた光が収まった世界には、死体をちりちりと焼く小さな炎と濁った紅い瞳。闇は再び青白い炎に照らされるだけ。
 未だしぶとく生き残る群れを見て、クラウンは溜息を吐き出す。

「下水が壊れない様に下位魔術式しか使えないから面倒だ…」

 今、この下水に走った爆発の衝撃の所為か、頭上からはパラパラと下水を構成する石材が砕けた破片が落ちてくる。これでは下手に魔術も使えない。
 勿論、爆裂系魔術式の他も魔術は存在し、クラウンはそれらも使用は出来る。出来るが、

「吹っ飛ばすのが一番楽なんだけどねぇ…?」

 要は一番効率が良いのが爆裂系の魔術式だと言う事だ。
 団体に炸裂させ、熱と衝撃、吹き飛ぶ敵自身が背後に居る魔獣にぶつかって更に被害を広げる。更に言えば密閉空間に近い状態での爆発は、衝撃が壁によって反射する為、多重的な意味もあってより高い殺傷能力を発揮する。
 しかし、任務を完遂させても下水が壊れたとなったら報酬が減少、いや、公共物の破壊では赤字にまで追い込まれる可能性が高い。
 それは、日々をギリギリのラインで生活するクラウンにとって死活問題である。
 つまり、簡単に言えば結局の処――

「地道に駆除しますか…」

 怒りの色を紅の瞳に乗せ、魔獣の群れが佇む。
 クラウンは長くなりそうな“害虫駆除”にそっと溜息を吐き出し、

「取り敢えず、さっさと退け!」

 立ち塞がる障害物に向かって地面を蹴った。





* * *






「報奨金額60万WM(ワールド・マネー)ゲットー…」

 下水に蔓延る害虫の駆除、それが終わりギルド協会に原因らしきモノを排除した事の報告と、下水にギルドの査察が入って見れば空は既に黒く染まっていた。
 任務を一つこなすのに二日三日は最低でもかかるのだから、一日で終われたのなら僥倖だろう。
 身体にこびり付いた下水の不快な臭いをばら撒いていても、だ。
 一日で稼いだ額として60万は破格だ。
 排除した昆虫型魔獣の数は約300。最終的に魔獣の巣に乗り込んで、繁殖の原因だろうたった一匹の“雄”を抹殺した。一応これで魔獣が増える事は無い。
 当分は下水に昆虫の魔獣が出没するだろうが――それを駆除するのはまた別の依頼だ。
 もう既にクラウンが達成するべき依頼は終了、後は別の奴が頑張れという感じである。

 そんなクラウンは家路につきながら空を見上げた。
 夜の空に浮かぶのは三日月、それを彩る様に星々が瞬いている。
 大通りを歩いているのに、周囲は閑散としている。まぁ、当たり前と言えば当たり前なのかもしれない。
 クラウンが帰ろうとしている家があるのは皆が帰宅する居住区ではない。現在歩いているのは、ルルカラルスの住人達には俗に“商人ストリート”と呼ばれる主商業区だ。店仕舞いした後の時間帯を歩いた処で、そう人に会う事は無い。
 夜間開業の店――歓楽系の店もあるにはあるのだが、建っている場所はまた違う区画だ。この場所には存在しない。
 綺麗に区画分けされているこのルルカラルスの中央都市・コーラルという街は、ある意味“昼”と“夜”が明確に分かれているだろう。だから夜という時間の間、昼に働いた者達が住まう場所は静けさを保つ事が出来る。
 まぁ、それでも酒場等は結構何処にもあるもので、クラウンが帰ろうとしている場所の向かいにも建っているのだが…。

「…っと、着いた着いた」

 立ち止まったのは未だ中から光が漏れる店の前。
 バースフェリア薬学錬金術工房。
 そう銘打たれた店の前だ。
 やっと帰ってこれた、と一つ息を吐き出し、クラウンは店の裏手に回りこんで“家”の方のドアを押した。

「ただいまー」
「お帰り」

 簡単な帰宅の挨拶に対して、簡単な挨拶が返ってくる。
 店と区切られた家の中に上がり、声の聞こえたダイニングに向かう。
 そこには椅子に腰掛け、優雅に食後のティータイムと言わんばかりにお茶を飲む女性が座っている。
 長い黒髪に綺麗な顎のライン。漆黒色の着物に乳白色の千早を纏う姿は、まるで倭国に住まう令嬢――または姫君を髣髴とさせる。この小さな薬屋には酷く不釣合いな格好だった。
 彼女がカップをゆっくりと置き、帰ってきたクラウンに対して視線を向ける。
 その向けられた瞳が、彼女を彼女としている一番の要因であろう。
 多少吊り上っている瞳が穏やかに垂れ、優しげな雰囲気を醸し出している。加え、何処までも深い深い紅の色合い。
 情熱、悲哀、憎悪、愛情、その全てが混ざった混沌の赤色。紅色。朱色。まるで揺らめく焔の様な色。
 クラウンは一度見れば呑まれてしまう様な色を気にするでもなく、再び「ただいまー」と、視線の先に座る彼女に声を掛けた。

「ふむ…今日は―――む?」
「ん?」
「クラウン、臭いぞ?」

 言われて、気付く。
 文字通り朝から晩まで何処に居たのか。
 既に鼻がバカになっているらしくクラウン本人は何も気付けないで居たが、相当な臭いが体中から漂っている。もしも人通りがある内にクラウンが街中を歩いて帰ってきていたとしたら、まるで川が割れる様な、そんな光景が見れた事だろう。しかもすれ違う人は皆、クラウンに対して非常に冷たい汚物を見る様な視線を向ける。
 悪夢だ。

「あー…下水道の調査だったからなぁ…」
「湯は妾が浸かったのがまだ風呂に張ってある。さっさと入って、その形容しがたい悪臭を洗い流して来い」
「うぃっす。ありがとねーヤヨイ」
「ふんっ…気にするな“マスター”」

 クラウンの言葉に少し照れた様に視線を逸らし、言葉を返す女性――ヤヨイ。
 本名はヤヨイ・カーディナル。
 彼女が表した言葉――“マスター”が示す通り、クラウンと契約を行い、主従の関係を誓った仲である。詰まるところヒトという種族には分類されない、高位次元の存在。
 “魔術的法則上に存在する者”――通称【 魔者 】と呼ばれる存在だ。
 そんな【 魔者 】と呼ばれる存在は、主に三つ――【 精霊 】【 天使 】【 魔の使徒 】に分けられる。ヤヨイはそんな中でも精霊の部類に分けられる存在だった。
 クラウンと契約してからの付き合いはかれこれ五年程度。それなりに長い付き合いになる。
 照れているのをからかっても良いのだが、そうなると確実に折檻されるので、この疲労が蓄積した状態ではやらない。やってしまえば悪臭を纏ったままここで一夜を明かす事になる。
 そんな気心の知れた相棒の照れ隠しの言葉を背に受けて、クラウンは今日一日の疲れを癒し、悪臭とサヨナラする為に湯船へと向かう。
 何はともあれ、これがクラウンの、何気ない日常の一幕だった。



#1-end






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