闇とは何処にでもある物

街角
路地裏
そしてヒトの心

























The duet with the lunar
の精と二重奏(デュエット)を――


Shadow fish.
―影を泳ぐ魚―
-prologue-




















「これより、会議を始める」

 耳が痛む程の静寂の中、その声が響いた。
 倭国作りと呼ばれる木を多く使った家屋、その大部屋にたった五人が存在していた。
 しかし、その五人には余りにも広すぎるだろう部屋は、五人が放つ不可視の圧力の前では破裂前の風船の様に頼りない存在だ。
 上座に四十を迎えた頃だろう、精悍な顔つきの男。
 その左手には未だ二十前半にしか達していない様な女性の姿。
 右手側には、既に老人と呼ばれる男が座っている。
 そしてそれぞれ、その女性と老人の横には、三十路を迎えた程度の目を細めた男性と、年老いた老婆が座っていた。
 会議―――それが始められると同時、右手側に座っていた老人の視線が上座に居る男性に向けられる。
 見ただけ。
 しかし、その視線には力があるかのように圧迫感があった。
 だが、他の四人はそれを全く気に留めずその場所に座っているだけ。顔を恐怖に染めるでも無く、只、その圧迫感が何でも無い様な物として受け止めている。
 もしもこの場に普通の人間が居たのなら、息も出来ず視線からも目を逸らせずに刹那の地獄を味わった筈だろう。
 この場所には、いや世界には、そう言った気配が流れている。

「黒崎の当主。…良いか?」
「何でしょう、千里(センリ)のご老体殿」

 上座に座る男、黒崎と呼ばれた精悍な男が静かに問い返す。
 それに千里の老人は頷くと、一度周囲の者達の顔を見渡してから口をゆっくりと開いた。

「定例の会議、ではあるが…儂は一つ嫌な噂を聞いた」
「…何か?」
「うむ…数ヶ月前まで出没していた魔獣…影を泳ぐ魚が大陸で見かけられた、とな…」
「………」

 千里の老人が隣に座る男を見据える。

「焔坂…お主の処で“狩り”に当たった筈じゃったな? そう記憶しておるが…」
「えぇ、そうですね。確かに私の処に所属する者達が狩りに当たりました」
「…抹殺報告も受け取っておるな?」
「魔獣狩りの仕事では久々に死亡者が出たので記憶してます。六人中一人が死亡、二人が重症を負い、残る三人で何とか魔獣の頭を落とした、と」
「それが真実である、という証拠は無いがな?」
「…ほう? 我々を疑う、と…千里のご老体殿?」
「やめんか、定例会議の場で…みっともない」

 千里の老人と、焔坂の男。二人の纏う空気が悪化すると同時、それを溜息混じりに止めたのは焔坂の向かい側に座る老女だった。
 二人はそれぞれ息を吐き出すと、殺気を放ち始めていた視線を元に戻して再び姿勢を正す。

「全く…餓鬼かお主らは…」
「鏡峰の…しかしだな、これは責任問題になるぞ?」

 小さく吐き出された言葉に、鏡峰の老女は瞑目して小さく頷く。
 倭国、という島国から、どういう経緯か魔獣が討伐されずに大陸へと渡る。本来であればそんな事は無い、筈なのだ。その前に倭国で組織された討伐グループがそれらを狩るのだから。
 翅を持つ昆虫型や、翼を持つ鳥獣、そういった飛行能力を持つ魔獣が稀に大陸へと渡る事はあるが、それは魔獣化する以前の習性等に従っての行為だ。
 しかし、魔獣化した場合は近くの餌場を――ヒトが住まう場所を狙うので、わざわざ遠くの餌場にまで移動する事は無い。それも海を越えてなどと。

「どうしてか生き残り、大陸へと逃れた。しかしそれを隠蔽するか? 大陸ギルド協会は優秀だぞ。魔獣の姿形や習性、報告例から倭国で被害を出した魔獣だと特定された時にどうする?」
「確かに、な…」

 ふ、と一息つき、

「ここは素直に大陸ギルドに協力を仰いだ方が宜しいと思いますが」

 今まで黙っていた女性が口を開いた。
 その様子、そして言葉に、千里の老人は眉を吊り上げ、焔坂は口の端を吊り上げた。
 怒りと、笑み。
 千里の老人はそんな事をしたら名が下がる、と思っているのだろう。そして焔坂は―――

「ふむ、その案を是非聞きたいですね? 御盃の当代」

 嘲笑でも無く、只薄く笑いながら御盃を見ていた。
 その表情から取れるのは純粋な興味。
 隣に座る老人の血圧を上げてくれた言葉に興味を得てか、それとも彼女が話す言葉だからこそ興味を持ってか。そこまでは見抜けない。
 御盃の女当代――御盃雪乃は、その様子に表情を変えるでも無く言葉を続けた。

「私達とて、魔獣が島から海を渡る事など考えもしなかった、そして今までそんな前例はありませんでした。それは大陸ギルド協会もそうでしょう。それならば、堂々と情報を提供すれば良いと私は思います。そして情報提供の場で協力体制を敷く様にすれば良いのです」
「ふん…御盃、それでは大陸ギルドからの信用が落ちるとは思わんのか?」

 千里の老人が浮かべた明らかな侮蔑の表情。
 しかしそれでも御盃の当代は表情を変えなかった。そう、そんな事は全く意に介さない様に。

「信用が大事でしたら、賞金は全て倭国討魔【神祇】が持つと言えば宜しいのです、千里のご老体殿。ギルド、そして【神祇】の主目的が、魔獣という害悪から人々の暮らしを護るという事を心得ているのならば、それはお解かりでしょう?」

 事実、その通りだろう。
 社会的構図や、普段の生活を見ても、素直に報告するのと隠蔽して後からバレるのではどちらが心象が悪いかなど問うまでも無い事だ。
 その真っ当からの言葉に、千里の老人は押し黙る。
 見据える御盃と押し黙る千里。
 そんな光景に今まで黙っていた黒崎が一つ息を吐き出した。

「千里の、我々は彼女の方法が賢いと判断致しますが…異論は?」
「……ふん、あらんよ…」
「…分かりました。では、この件に関しては会議の後、私の方から大陸ギルドに連絡させて頂きます。では、これより本来の定例会議の方を―――」

 上座の黒崎が話し始める。
 それで一つの区切りがついた。
 だが、この場に居た一人に対して呟かれた言葉は案外と重く、“彼女”の肩に圧し掛かっていた。

「…当主になったばかりなのに、でかい顔しおって…」
「………」





* * *






「雪乃ちゃん」
「大婆様…」

 会議の終わった後、それぞれが部屋を出てゆく時に御盃雪乃は後ろから声を掛けられた。
 鏡峰の現当主にして、彼女にとっては馴染みの深い老女だ。
 倭国討魔【神祇】では昔より化け物と恐れられた女傑であるが、彼女にしてみれば家の関係を無視して話しかけてくれる老女の存在は昔から変わらない“お婆ちゃん”に過ぎない。

「今回もお疲れ様。どうだい? 慣れてきたかい?」
「そう、ですね…あの空気にも慣れてきました。未だ父には及ばないとは思いますが…」
「静馬にかい…」

 父は居ない。
 一年程前に瘴魔と戦い――相討ちになった。
 そして当主の父が居なくなった時、御盃の家を継ぐべき者は宗家に居なかった。
 雪乃の母は分家から当主を迎える事を提案したが、分家は全てそれを断り、たった一人の人物を当主に推したのだ。

 御盃家長女・御盃雪乃。
 倭国討魔【神祇】――第二階位、大陸ギルドランクではSSクラス相当。
 名乗る字は【 黒き羽衣の天女 】
 歴代御盃の中でも、第二階位まで辿り着くのに最年少で辿り着いた女傑。
 御盃を任せるのに、これ程の適任は居ないだろう。
 加えて言えば、第二階位を持つ者は御盃には彼女一人しか居ない。

 そんな雪乃の様子に、鏡峰の老女――緋咲は苦笑を浮かべる。

「そうかもしれないけどねぇ…。雪乃ちゃんは立派にやってる、と私は評価しているよ。勿論静馬もそう思うだろうて」
「…そうですかね?」
「そうだよ。もっと自信を持ちな。第二階位を貰い受けた時の様に堂々としてれば良いんだよ」

 力強い言葉に、そこになってやっと雪乃の表情に笑みが灯った。
 その表情を見て、緋咲が微笑む。

「しかしそれにしても…」
「はい?」
「大きく出たね。いきなり千里の爺に対してあの態度とは」

 今更その情景を思い出してか、雪乃の前で緋咲が声を押し殺して笑う。
 それほど痛快だったのだろう、彼女にしてみれば。

「またご老体に睨まれてしまいますよ…」

 溜息と共にそんな言葉を漏らす。
 皆が皆、という訳では無いが、雪乃が当主になったのを確かに快く思わない者は居る。
 その筆頭が千里の長老だ。
 父の代から衝突を繰り返す仲であったが、それが代替わりしていよいよ爆発したのだ。彼は事あるごとに彼女の発言に対して口を挟み、粗を探ろうと嫌がらせを行う。
 家を陥れるという直接的な手段を用いないだけマシだが、雪乃にとってはストレスが溜まる原因の様な存在だった。それが今回の件でまた言い負かしてしまったのだ。次回顔を合わせる時の事を考えると気分が重くなって仕方が無い。

「大人気ない、というか。何時になっても餓鬼だからねぇ、あの爺は。千里経由で【神祇】に入った連中が可哀相で仕方が無いよ」

 やれやれだ、と緋咲が溜息を吐き出す。

「それでも、だ。注意はしておくんだよ」
「………」
「雪乃ちゃんが本家に居る場合は直接的な手段は使わんだろうけど、離れた時はどんな事をするか分かったもんじゃない。流石に第二階位を敵に回すとは思えんしね。それと、焔坂にも十分注意しておくんだよ」
「焔坂に、ですか?」
「あいつは何を考えているのか分からない処がある。それに―――」

 どうやら、あいつは雪乃ちゃんに御執心の様だからね。
 その言葉を口から出す前に飲み込むと「いや、何でもないよ」と緋咲は続ける。

「ともかく、だ。何かあれば直ぐ言うんだよ? 鏡峰が全力で助けるから」

 ありがとう、その礼の言葉を告げる前に緋咲が去って行く。
 雪乃は呆とした目線で彼女の背を追い、視界から彼女が消えた処で溜息を吐き出した。
 厄介だ、と嘆きたくなる。
 しかし、これが今の現状であった。
 見渡せば敵、そして敵か味方か分からない者達ばかり。
 少なくとも鏡峰は敵対していないが、千里は確実に何時か牙を向けてくるだろう。

「………ヤト、私は…」

 弱音を吐き出しそうになり、慌てて口を閉ざした。
 第二階位――そんな称号があろうとも、それを持つ者の心は普通だ。所詮はヒト。喜ぶ事があれば落ち込み傷付く事だって普通にある。
 だが、今は既に御盃の当主。そして、御盃に組する者達の命を預かる者だ。毅然とした態度で事に当たり、弱さを見せてはいけない。例えそれが家族であったとしても、だ。

「その時が来るまでは…」

 口に出して、明確に“その時”というのが何時になるか分からない事に苦笑する。
 当主の座を譲る時か、心が現実に負けた時か、それとも―――自分が殺される時か。
 しかしそれでも、その時までは頑張ってみようと、そう思う。

「そうね…先ずは武者修行中の妹に、後始末の依頼でもしようかしらね?」

 駄目な姉ね、ともう一度苦笑し、雪乃は暗い廊下の先に消えた。



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