少し騒がしくなった家の中
今日も今日とて一日が始まる

























The duet with the lunar
の精と二重奏(デュエット)を――


Shadow fish.
―影を泳ぐ魚―
#1 帰郷の友




















「いやあああああぁぁぁぁぁぁぁああっ!?」

 早朝一番、悲鳴が木霊する。
 男の甲高い絶叫が。

「ヤ、ヨイ姉…っじゃなくて、ヤヨイ!!」

 目覚めたら眼前に裸のヤヨイ。
 それに動揺して、出逢った子供の頃の様にヤヨイを姉という敬称付きで呼んでしまう。慌てて呼びなおすが、騒動の根本は依然として変わらず表情の薄い顔でこちらを見上げている。

「なんじゃ?」
「だから、何で俺のベッドの中に居る!?」
「そんな事も分からんのか? 妾が夜中にお主の所に来たからに決まっておるじゃろうが」

 そんな事も分からんのか、やれやれじゃのぅ。
 手を肩まで上げ、首を左右に振りながら溜息を吐き出すヤヨイ。
 そんな仕草が癇に障るが、取り敢えず―――

「服着ろよ!?」
「あれじゃよ。肉体的…性的スキンシップかもん?」
「何で疑問系!?」

 この精霊様は…何で素っ裸のまま添い寝しているのだろうか?
 嬉しくない訳では無い。嬉しくない訳では無いが――もう少し常識とか節操とかを持って欲しい。

「嗚呼ぁ…流れ出しそうな涙を堪えるのって、身体に悪いのかな…? 何かちょっと泣きたくなってきた」
「泣きたいなら好きなだけ泣け。妾の胸で」

 そしてヤヨイが手を広げてみせる。
 勿論それで胸元は全開放だ。
 壊れそうな理性を押し留め、視線を胸からヤヨイの顔へと向ける。
 表情は薄い。しかし微妙に頬が赤く染まっているのは何だろう?
 考えるな、と己の心が訴えてくる。
 しかし考えてしまうのが男の性という物だ。
 ヤヨイはエロい。しかし“優しい言葉”や“直接的な愛の語らい”には酷く弱い。普段見られない様な頬を引き攣らせ顔を真っ赤にして俯く様は、普段のヤヨイからはギャップ的に男の心を決壊させる程に可愛らしく、異常な破壊力を持っている。
 そこから予測出来るのはつまり、自分で襲ってきながら羞恥で耐えられなくなっている、と…

「……ぐふぅっ」

 理性が一瞬で消し飛びそうになる。
 もう何度も同じ事を考えた、そして繰り返した。

 待て、早まるな。
 諦めろよ。本当に身体に毒だぜ?
 朝からそんな事をするのは、
 駄目かってか? はんっ。何年の付き合いだよブラザー。
 かれこれ五年以上。だからこそここは理性で以って撤退をするべきだ。
 いーや違うね。ここは期待に応える為にも襲うべきだ。むしろ襲え。
 それは多分にお前の主張が混じっている様に感じるが。
 良いんだよ。それがヒトの生き方という物さ。
 ヒトは理性によって発展を遂げてきた。それは違う。
 いいよもう、吶喊しようぜ? ヤヨイの胸に。あの豊満な胸に。
 …あ、何か負けそう。

 理性が壁際に追い込まれました。

「クラウン…?」
「や、ヤヨイ…」

 そっと――割れ物を扱う様に、手を優しくヤヨイの頬に添える。
 ヤヨイが一層頬を赤らめ、ゆっくりと瞼を下ろした。
 何時もの事ながら、この場面は何時も緊張する、とクラウンは胸の裡で苦笑し、その唇を―――

 ドタドタドタッ!!

「…ん?」
「…お?」

 ばんっ!!

「朝っぱらから一体何が―――ッ!!?」
「………」
「………」

 そう言えば、ヤヨイが真横で寝てるのに驚いて悲鳴上げたなぁ、と今更になって思ってみたりしながら、部屋に駆け込んできたスゥとガッチリ視線が合う。つまり、それは自分に寄り添う素っ裸のヤヨイにも視線が行く訳で…。
 スゥの顔が段々と赤くなって行く。
 裸のヤヨイに、その頬に手を当てるクラウン。
 今から“ナニ”をしようか等と、想像は容易いだろう。

「…はぅっ…」

 くらっ…びたーん!
 そしてスゥは顔を茹で蛸にして、目を回しながら床にぶっ倒れた。

「やれやれじゃ」
「冷静だなぁ…」

 冷めたと言うか萎えたと言うか。ヤヨイはベッドのシーツを身体に巻くと、その状態でスゥを抱えて部屋を出てゆく。
 クラウンは溜息を吐き出し、今になってやっと朝が訪れた事を実感し始めるのだった。





* * *






「ふぃー…」

 と、薬屋のカウンター内の椅子に腰を下ろした処でクラウンが息を吐き出した。
 時間は九時過ぎ。店を開けるのは十時であるので、未だ時間は余っている。

 朝から色々な事があった訳だが、あんな事はスゥが来てから三日に一度の割合で発生している。その割合は、簡単に言えばヤヨイが夜中に来るか来ないかで決まるのだが…
 元々の発端は、部屋を奪われた事に始まる。
 この薬屋の構成は、一階に店舗と倉庫、ダイニングにキッチン。トイレと風呂も一階に存在している。そして二階には薬剤の調合に使う為の部屋に書斎、加えて本来であればヤヨイと一緒に使う寝室(ベッドは二つ)があるだけだ。
 その一緒に使っていた寝室には新しい入居者であるスゥが加わり、そして自分が追い出された…と言う訳である。
 現在は使っていたベッドを書斎に持ち込んで寝ているのだが――ヤヨイは前と同じ様に夜中にこっそりと部屋に侵入し、服を脱いでもぐり込み、朝は目と鼻の先でおはようございます、だ。
 実に心臓に悪い。
 特に何も着てない処が。更に言えば胸が。

「なーんでヤヨイは朝から元気なのかねぇ…? 一応【 月 】を司る精霊なのにな…」

 どっかで頭のネジ吹っ飛んだんじゃなかろうか、と内心でクラウンは思う。
 出逢った頃、と言っても契約前になるが――その頃は今の様な性格ではなく、そう例えるならば“揺らめく不安定な焔を無理矢理氷で覆い隠した”…そんな感じだった。
 初めて出逢った時は会話すら無かったのを憶えている。
 自分もあの頃は色々あり、積極的に相手に話しかける様な真似はしなかった。しかしながら、他人が真横に寄り添う様に座れば視線くらい向けるものだが――出逢ったばかりのヤヨイは横に座る自分に一瞥もくれなかった。
 その状態のヤヨイに視線を合わせたからこそ、今こうして繋がりを持っているかもしれない。
 今でこそ正直に感想を話せば、目を無理矢理合わせた瞬間に殺されるかと思った、と言うのが正直な処だ。それが揺らめく焔を氷で覆い隠したと評する理由である。
 ギラつく殺意を能面の様な表情で隠している。
 それが、最初のヤヨイ。

「まぁ、そんな奴が居る所に二度も来て、話し掛ける自分も十分可笑しな奴だったのかもしれないけど…」

 それが今では“アレ”だ。
 ヒト…いや、精霊変われば変わるものだと思わざるおえない。
 ふぅ――と、もう一度溜息を吐き出しながら、クラウンはもう一度店内に掛けてある時計に目を遣った。
 随分深い思考に浸っていたのか、既に開店三十分前になっている。
 そろそろ開店の準備をしなければ拙い。
 思考を頭を振る事で停止させると、クラウンは座ったまま、箱詰めしておいた自作の薬品に手を伸ばす。自分で貼ったラベルの表示を確認し、数を確認。

「ま、良いかな?」

 製作したのは一般的な薬剤になる。
 解熱剤や、ルギナ病と呼ばれる――風邪によく似た症状を発症する病に対する薬。加えてこの店で一番売れる魔法薬系の商品だ。
 薬屋の店主がギルドという怪我を負う場所に所属しながら作る商品は、それなりに売れ筋になっている。やはり現場を体験している人間が作るだけあってか効果も高いと評判だ。
 しかしそれでも、この赤字財政を覆すには至っていないのだが。

「世知辛いねぇ…」

 鼻で笑いながら、作り上げた商品を陳列棚に並べてゆくクラウン。
 長年の経験が為せる業か、その並べてゆく速度に淀みは無い。
 多分職を失っても直ぐに何処かで雇われる位の力量は持っているだろう。
 その前提である薬屋が潰れるという事に関しては激しく拒否したい処だが。

 カランッ…
「ん?」

 物を並べながら、ドアベルが鳴るのを聞く。
 まだ開店前なんだが、と内心でクラウンは呟きながら、そう高さもない陳列棚の上から扉の方を見た。もう来客者は店の中に入ったのか、外に取り付けてある筈のベルはガラス越しに揺れる様しか見えていない。

「クラウン」
「ん…?」

 気配は下から。
 陳列棚越しに扉を見ていたクラウンは、声のした方向へと視線を下げる。
 そこには、

「黒い光輪(ハイロゥ)…?」

 それに加えて黒い四枚の翼。
―――それは堕天使の証。
 手に入れた情報の中で、自分が知っている人物に当てはめてゆく。堕天使、四枚の翼、加え…

「ちっさい身長?」
「黙れ!!」
「あーはいはい、いきなり怒るなよリリエンタール」
「貴様が私を怒らせる様な真似をしたんだろうが!!」

 ケケケ、と意地悪な笑みを見せながら、黒い翼を持つ少女をクラウンは見下ろした。
 銀色の髪に蒼い瞳。整ったその顔の造形は、先ず間違い無く天上の美を想像させるだろう。身長が150センチにギリギリで達していない事や、ボディラインが平坦なのに目を瞑れば。

「今、私に対して失礼な事を考えなかったか…お前」
「別に? んで、お前が居るならパートナーであるアイツも居るんだろう? 何処だ?」

 眼前(少し下方修正)に少女が居るならば、必ず居なければならない人物が居る。
 彼女は魔者――魔の使徒と呼ばれる者達の中でも上位に位置する総括者クラスに席を置いている訳だが、それでも魔者は魔者だ。その力を与え扱う権利を渡した相棒が存在する筈である。
 そしてやり取りでも分かる様に、クラウンと件の人物は知り合いなのだが―――

「久しぶりの訪問だから、と土産を買いに行った。もうすぐ来るだろう」
「…お前らアルファザイナスから帰ってきたんだから、せめて向こうの珍しいアイテムを土産にするとか、そういう事は考えないのか?」

 彼女、そして相棒は、一年の十ヶ月以上を旧大陸アルファザイナス探索に費やすハンターである。
 僅か数十年前まで厚いコンデンスミルクの如き霧と、大型客船まで転覆させる荒波に包まれた古き時代に栄えたとされる大陸――アルファザイナス。
 何故数十年前まで霧に包まれていたのか、荒波を纏っていたのか、その謎も未だ解明はされていない。あるとすれば古き大陸の中。
 そして、そんな大陸の中は魔獣が跋扈し、旧魔石文明の遺跡が乱立する。
 子供から大人まで、数多くの人々の心を魅了してやまない冒険に溢れた世界。
 先日クラウンが遭遇した事件の発端となる魔剣等は、殆どがその旧大陸で発見された物だ。
 良い迷惑であるが、確かにそんな場所を探検してみたいとクラウンだって思わない訳ではない。
 そんな思考の者達が多く居たからか、ギルドの中に探索部門等が設立され、それまで何でも屋に近い働きをしていたギルド協会はトレジャーハントという分野にも力を注ぎだした。
 今ではギルド協会の出資校等で、旧大陸探索資格を取れる学科も作られている程だ。何れ探索されれば終わる部門ではあるが、しかし――数十年に渡り探索されても、トレジャーハント部門に所属するギルドメンバーがはじき出した探索率は未だ8%程度。全てを調べつくすとなれば、相当長い年月が掛かる事だろう。だからこそギルド協会という場所が目をつけたのも解る。
 つまりは良い金づる。或いは資金源となるのだから。

「今回も今回で魔剣は一振り見つけたが…あれは直ぐに換金してしまったぞ。それにだ、魔剣を帯剣するとなると、術式端末を持ち歩くより余程厄介な手続きが必要になるのが分かっているだろう」
「別に魔剣を土産に寄越せなんて俺は言わないっての。二週間前にもアズイルの依頼で豪い目に遭ったからな…魔剣なんぞ、当分は見るのも嫌だ」
「アズイルの依頼か…」

 少女・リリエンタールの顔が微妙に哀愁を帯びる。

「昔、私達が一緒に活動していた時は凄かったな…」
「“どれ”の事だよ…結構数がありすぎて分からないぞ…」
「………」
「………」

 二人同時に重い息を吐き出す。
 共に活動していたのは僅か一年程度であるが、自分は店を建てる為の資金を稼ぐ為、まだここには到着していない過去の相棒は、旧大陸探索の為に資格学校への資金や装備の代金を稼ぐ為に走り回った物だ。その際にアズイルに斡旋して貰ったのが、今でも偶に『何でアイツに頼んだんだろう?』と後悔させる。笑い話に出来るのはもう少し先だ。

「…まぁいい。どうする? 先に上がってるか? ヤヨイは近くの孤児院に出向いてるから昼になるまで帰ってこないだろうけど…」
「相変わらず、か。子供好き、というか何というか…まぁ、中で待たせて貰うとしよう」
「茶葉の場所とかは前と変えてないから、それでも好きに使ってくれ。あ、それとヤヨイ専用の奴は使うなよ?」
「分かっている。ふん、アイツが帰ってきたら今度こそ私の新たな茶の湯セットで目に物見せてくれる」

 それだけ言い残すと、リリエンタールはカウンターの横を通って奥へと入って行った。
 その小さな背中に苦笑する。
 堕天使リリエンタールは、言わばヤヨイの茶飲み友達という奴だ。リリエンタール自身はヤヨイに対して友達でも何でもないと言うかもしれないが、ヤヨイは『茶飲み友達じゃよ』と彼女達が帰ってくる度に言っている。そんな二人は会う度に茶の腕を競い合う仲だ。勝敗は微妙な処でヤヨイ有利と言った処か。
 変な所で老成している二人は、こういう処でも気が合うのだろう。リリエンタールに言えば、思いっきり否定するのだろうけど。
 と、

「うしっ、やっと着いたぞオンボロ薬屋に!!」
「黙れ」

 扉を開け放ち、開口一番に失礼な事を口走る男がズカズカと入ってくる。
 自然の金髪に耳にはピアス。軽薄そうな外見の男は夏に合うだろう白い半袖のシャツを着て、腰には魔剣用の術式端末を差している。

「よっ、帰ってきたぞクラウン」
「お前は…もう少しどうにかなんないのかシュレイ」

 シュレイ。シュレイ・ハウンゼンス。
 魔者リリエンタールを相棒に、旧大陸アルファザイナスを旅するギルドハンター。

「ほら、元気ある方が他人との関係も上手く行きやすいし…」
「そういう事にしておく…」

 そう言って気持ちよく笑う。
 とにかく、クラウンは数ヶ月ぶりに友人と再会を果たしたのだった。



#1-end






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