再会
侍の来店
そして、
闇の魚
全てが揃う

























The duet with the lunar
の精と二重奏(デュエット)を――


Shadow fish.
―影を泳ぐ魚―
#2 闇深き夜




















 クラウンがカウンター内に座り、その前でシュレイが笑う。
 時刻は十時過ぎ。開店して間もない時間だが、未だ一人として客人は居ない。
 その事に憂いながら、クラウンは暇だからとシュレイの話に付き合っている。

「で、クラウン。薬屋を辞めてハンターになる気は無いか?」
「唐突だな…」

 その言葉に苦笑し、クラウンは頭を掻く。
 その誘いはシュレイが一度目の旧大陸への渡航から帰還した時からずっと言われ続けている誘いの言葉だった。友としては長い時間を過ごし、戦いの相棒としては一年を共にした仲だから、というのは勿論ある。
 しかしそれ以上に、シュレイはクラウンの戦闘能力を正確に把握しているのだ。

「旧大陸に渡る度に思うが、背中を安心して預けられる程の奴が居ないんだよ…」
「まぁ、お前が安心して背中を預けられる奴なんてそうそう居ないと思うがな…」
「あっちに行けば一人での行動は命取りになるから、どうしてもパーティーは組む事になるんだけどさぁ…駄目だ」
「そんなに?」
「ダメダメだ…先ず、俺ばっかりに戦わせるなと言いたい。次に、俺ばっかりに遺跡内を先頭で歩かせるなと言いたい。最後に、全員で分け前を俺から奪おうとするなと言いたい」
「あぁ…つまり散々働かされた挙句に裏切られた、と」

 それは確かにやってられないだろう。
 命を預けるべき仲間に最後の最後で裏切られるなどと。

「最悪だったな、そりゃ」
「全くだ。故に、薬屋辞めろよクラウン」
「故に、って何だよ、故にって。俺は薬屋辞めるつもりは無いぞ? 世間の荒波の果てにこの薬屋が潰れるならまだしも、自分から店を畳む様な真似はしないっての」
「ちっ…お前が居れば相当楽になると思うんだがな…くそ、何やってるんだよこの街の薬屋は…早くこいつの店潰せっての」
「…お前相当失礼だよな。特に俺に対しての態度が」

 クラウンの不満気な言葉にシュレイが笑みで返す。
 シュレイは別にクラウンが薬屋を経営する事に反対しているという訳では無い。これは言わば挨拶の様な物だ。現状に対しての不満を言い、只意見を出し合うという日常の一幕。
 もし本気で薬屋を辞めろと言うのであれば、シュレイという男の人間性を考慮した時、言葉で始まるのは良いが無駄だと見切りをつけた瞬間に実力行使に出かねない。
 彼は本当に駄目だと判断した時は、自分の命を懸けてでも必ず相手を止める男だ。
 その事をクラウンは理解している。
 だからこそ、彼が本心で『薬屋を辞めろ』と言っていない事を解っている。確かに何割かの願望は混じっているだろう。しかしそれはあくまで願望なのだ。

「ま、考えておいてくれよクラウン。稼ぎも良いんだぞ? 俺のギルド口座に入ってる総資産はきっとお前よりも上だ。断言できる」
「…ふ、ふーん? 幾らだよ?」
「今まで発見した魔剣の数と、歴史的価値がある物の総額だからな…ま、確実に3億か4億はあるんじゃないか?」
「………」

 あ、やばい。ちょっとグラッと来た。
 別にハンター稼業を開始して荒稼ぎしたいという訳じゃないが、その稼いだ金で平穏安泰な経営状態を保ちたいと思ってしまう。
 そんな葛藤を見透かしてか、シュレイがニヤニヤと嫌な笑みを浮かべてクラウンを見つめていた。

「くっ…潰れたらだ…お、俺は行かないぞ?」
「期待してるよ、ん? クラウン?」

 金銭面での苦労を完全に見越して言っている。
 ぽんぽん、と軽やかに肩を叩くシュレイの顔面を全力で殴りたい衝動に駆られそうになるのを、クラウンは理性を総動員して抑え込んだ。

「まだまだ潰さないヨ? ツブスモンデスカ」
「そうしろよ。精々やってみろ」
「………」
「………はっ」
「っははは、フハハハハハハ」
「ははっ、ハハハハハハハ」

 ある種、物凄く恐ろしい空気が流れる。
 奥で茶を啜っているリリエンタールがこの場に居たなら、思わず注意をする前に腰が引けている事だろう。この殺意も敵意も害意も無く、只狂気を互いに向け合っている空気に。

 カランカランッ

「お」
「客か」

 しかし、その空気は第三者の乱入によって霧散。
 何時もの空気を取り戻す。

「いらっしゃいませー」

 瞬時に営業スマイルを浮かべる事が出来るクラウンは、流石長年店を経営していると言えるだろう。シュレイはカウンターから一歩引き、傍らに置いてあったどうでもいいような薬剤の説明を読み始めている。
 店内に入ってきた客人は女性だった。
 黒く長い髪を後頭部の処で纏めポニーテイルにして流している。だが、普通の客であるならそこで終わりだ。それ以上は目に付かない。だが、その来客者は目を引いた。

「………」

 夏にも関わらず纏っている手首までの白い衣。そして腰に提げている一振りの刀型術式端末。どう判断しても事象操作騎士(ウィザード・ナイト)だ。魔者を連れていないので、誓約者なのか、それとも汎用精霊使いなのか――それ以上の事は分からないが。

「店主」
「はい、何ですか?」

 その、まだ少女の域を出ないだろう女性は、店内を見ていたと思うと、突然クラウンに声を掛けてきた。
 突然の事に内心疑問を浮かべながらも、クラウンはごく自然に言葉を返す。

「魔法薬ではこの店が良いとギルドの方で聞いたのだが…」

 そこでシュレイが小さく「やるねぇ」と呟く。
 賛辞に対して苦笑で返すと、クラウンは少女の方を見る。

「ええ、私自身がギルドに所属してますからね。ある程度は経験を参考に戦闘用のポーションも揃えてあります」
「そうか…では、」

 と、そこで言葉を切ると、棚の上段に置いてあった戦闘用として効果の強めてあるハイ・ポーションを一箱持ってレジまで歩いてくる。
 ポーションは飲み薬であり、体内から作用する魔法薬だ。
 一般的に販売されている物だと、子供が負う様な切り傷や掠り傷に対しての物がポーションであるが、クラウンが作成して販売しているハイ・ポーションはそれを強化した物である。
 鎮痛作用を強め、演算に支障を来たさない様に痛みという感覚を抑える。加えて傷も、浅い物であれば体力を奪わずに回復させるだけの力も含んでいる。
 これ以上の力を持つ魔法薬は作成していない。
 これ以上の回復能力を持たせると、生命力を侵蝕して回復を行う様になってしまうからだ。強すぎる回復能力は生命力を奪って傷口を再生させる。
 戦闘を行う者にとって、それは致命的だ。
 回復した処でその場から動けなくなってしまっては何の意味も無い。

「これを一つ」
「一箱で?」
「あぁ。代金は」
「三千WMになります」
「中々良心的な値段だな」
「ありがとうございます」

 紙幣を三枚丁度受け取り、商品を紙袋に入れて手渡す。
 と、その時になってもう一度だけドアベルが響いた。

「ただいま。帰ったぞ」

 その声と共に入ってきたのはヤヨイだった。
 ヤヨイは何時ものエーテルで編んだ装束ではなく、ここルルカラルスで買った黒いサマーセーターを上に着て、下はロングスカートを穿いている。黒という色合いが非常に似合う為、着物でなくても十分にヤヨイの美しさを引き立てていた。
 そんなヤヨイは入ってくると同時、先ず客人に目を移し、そしてシュレイへと視線を向けて薄く微笑んだ。長年の付き合いが無ければ判らない様な、そんな非常に薄い笑みだ。

「…妾は奥に引っ込んでいるとしよう。そこにシュレイが居るという事はリリエンタールも居るのじゃろう?」
「あ、ダイニングで多分お茶飲んでると思うから、相手しててくれ」
「分かった。では、お客人もゆるりと…」
「あ、あぁ…」

 ヤヨイが少女とすれ違い、カウンターの脇を通って中へと入ってゆく。
 少女はヤヨイが纏う高貴な気配に圧されてか、多少萎縮してしまっているようだった。
 初めて見るのならそうなるだろう。
 誰もが振り向く様な美は、威厳の様な物と一緒に周囲に放たれている。

「今のは…」
「私が契約している精霊ですよ。ヤヨイと言います」
「……。店主、失礼だがギルドのランクを訊ねても…?」
「ギルドランクはBですが…?」

 クラウンの言葉に、少女が小さく「Bか…」と呟く。
 多少驚きがあるのだろう。ヤヨイという外見だけで高貴なオーラを放っている存在が居ると、そのマスターも相当高位のランクを持っていると判断される。
 それが只の勘違い――『強者ではないか』という単純な認識の改めと、『相応しくない』という侮蔑を込めた認識が生まれるが…この場合は前者。少女はそれに只納得の表情で頷く。

「時間を取らせてすまなかった」
「いえ、構いません。見ての通り暇ですから…」
「そうか…」

 そこで少女はヤヨイの様に薄く笑むと、一言「失礼する」と告げて踵を返した。
 再びドアベルの音が響き、店内に静寂が戻る。

「…ありゃ倭国の侍だな」
「刀状の術式端末、ね。確かアズイルの部下の人が持ってたっけな?」
「メルさん、じゃなくて…四季織さんか?」
「多分そうだったと思うぞ? 四季織さんは倭国の出身だって言ってたし」

 客が店外に出ると同時、再び商品を弄っていたシュレイが話しかけてくる。
 侍、というのは倭国特有の刀状の術式端末を扱う事象操作騎士(ウィザード・ナイト)の事だ。
 斬戟特化騎士とも大陸では呼ばれるが、やはり“侍”という呼称の方が有名である。

「しっかし、侍ねぇ…? 最近じゃ割りと楽な雰囲気が漂う大陸ギルドの方に、多く流れ始めてるって聞いてるけど…」
「どうだろうな。刀状の術式端末は使おうと思えば使えるんだし、大陸出身者かもしれないぞ?」
「うむ…まぁ、あれだな」
「何だよシュレイ」
「美少女だったし、どっちでも良いか?」

 得したなー、と笑うシュレイに対して、クラウンは溜息を吐き出す。
 こいつもこう言う面が無ければ女性にウケが良いのに、と思わずに居られない。
 まぁ、趣味の直球がリリエンタールという美少女だからモテなくても困らないのかもしれないが。
 そんな事を考えていると、奥から言い争う声が聞こえてきた。
 大声を出しているのはリリエンタールだけなのだが、きっとヤヨイがリリエンタールに対して何か言ったのだろう。リリエンタールにとって、胸があって背もあるヤヨイは生きる挑発そのものだ。ヤヨイが何か言えば直ぐにキレる。
 そこが友人として認識しているヤヨイと、そうではないと認識しているリリエンタールの違いに繋がってしまうのだろう。

「………」
「ん? 何だクラウン」
「いや、別に」

 大丈夫だリリエンタール。
 ここにお前の様な少女体型…むしろロリ体型の方を愛する男が居るから。

「な、そうだろう?」
「は? え、うん、まぁ…そうかなっ!」

 意味も解らず頷くシュレイに頷き返すと、クラウンは奥から響くリリエンタールの怒声をBGMにして、本日二人目の客を出迎えるべく営業スマイルを浮かべるのだった。





* * *






 その日の夜、早めに店仕舞いを行ったクラウンは騒々しい酒の席についていた。
 朝早くにどっからかシュレイが買ってきたお土産である酒を呑みながら、クラウンが作る料理を酒の肴に大宴会が開かれている。
 ちなみに酒の銘柄は、銘酒『夜桜』とルルカラルスの酒『メモリア』、そして何処から買ってきたのか『少女姫』というアレな酒だった。買ってきた人物のセンスを疑わずには居られないチョイスである。
 アルコール度数が高い為ので、一気に酒が減る事は無い筈なのだが―――

「ふむ…クラウン、空じゃ。新しいのは無いかの?」
「あははははは!! お酒終わった――――!!」
「う、うぅっ…わ、私だってな…少し位大きくなったんだぞ? これでも昔よりは大きくなったんだ…それなのにヤヨイの奴はっ…」

 上からヤヨイ、スゥ、リリエンタール。
 素面に笑い上戸、最後に泣き上戸。
 鬱陶しい事ここに極まれり。

 横で『少女姫』を飲んでいたクラウンとシュレイは、その酒の無くなるペースに顔を引き攣らせた。
 ヤヨイが酒に強いのはクラウンも理解していたが、まさかここでダークホースのスゥが来ると思っていなかったのだ。小さいなりで、笑いながら酒を湯水の如く消費してゆく悪魔に。

「す、スゥちゃん…中々素敵だな、クラウン」
「貴様のストライクゾーンだぞシュレイ。あれで年齢が二十前後歳というのがリアルに俺とお前に年が近くてアレだが」
「遠慮しておく。責任持ってお前が面倒見てくれ。そして俺はロリじゃない」
「……訊いてみただけだ。素で返すなよ」

 そこで席から立ち上がって裏口へとクラウンが歩いてゆく。

「トイレか?」
「だったら何故外へ行こうとしている。酒の買出しだよ、買出し。足りないだろうが」
「ん、そいじゃ俺もついて行きますかね」

 よっこいせ、と爺臭くシュレイが金髪を揺らしながら立ち上がる。
 クラウンはそれを見届けると、術式端末――デバイスを腰に提げた。
 比較的治安が良いルルカラルスだが、夜となればそれなりに治安が低下するのは何処も同じである。だが、デバイスを持っていればウィザード・ナイトと思われ喧嘩を吹っ掛けられる確率が段違いに減る。流石に柄が悪い者達も、戦闘のプロを相手にする気は無い。
 加え、昔からの癖か、クラウン――そしてシュレイも武器を持たないというのは考えられないのだ。
 何処に脅威が潜んでいるか判らないのだから。

「うし。行くか」
「ん。それじゃヤヨイ、酒買ってくるから」
「分かった。道中気をつけよクラウン、シュレイ…今夜は、」
「何だ」

 一度言葉を切るヤヨイに、クラウンが問い返す。
 ヤヨイは杯にあるだけの酒を全て飲み干すと、天井を見上げて呟いた。

「月の相が悪い…故に、な…気をつけて損は無い」
「……解った。十分気をつける」

 ヤヨイの言葉、そして笑い声と鳴き声を背に、二人が薬屋の裏口から出た。
 見上げれば三日月が雲に翳っている。

「……まぁいい。行くか」

 裏通りから表通りに出て、整備された道路沿いにクラウン達は歩く。
 今の時間、既に日中走っている自走車の陰は無く、まばらに人影が見える程度だ。魔力灯が大通りの歩道を頼りなく照らすしか目ぼしい灯は存在していない。

「少しヤヨイが言っていた言葉が気になるが…確率はどの位だと思う?」
「ヤヨイは月夜の精霊だぞ。的中率は“月詠占術”に関しては100%だ。ま、月の相が悪い、ってのは範囲的な事だから、それが俺達に降りかかるかはまた別だと思う」
「あんま難しく考えるな、ってとこだな…しかし、」
「ん?」

 少し神妙になってシュレイが唸る。

「だったら薬屋に残してきたアイツらは大丈夫だと思うか?」
「…ヤヨイが素面なら大丈夫だと思う。解るだろう、ヤヨイが強いのは…」

 ヤヨイは強い。
 デバイスを持っている相手でも、一対一なら通常のギルドランクBには負けない程度の力はある。500年を生き抜き、戦い続けた程度の力は持っているのだ、あの漆黒の月姫は。

「そうだな…何だっけか、ヤヨイが使ってた剣術」
「倭国の今は無い刀術だって言ってたな。300年前の大戦で最後の継ぎ手が亡くなって事実上は滅んだってヤツ。…確か【立花宗陰抜刀】とか言うのだったと思うが…」
「あの人も色々と奥が深いからな…ま、何はともあれさっさと済まして帰るのがベストだろ」
「だな」

 そう頷くと、クラウンとシュレイは足早に酒場に向かって歩き出した。





* * *






「ありがとうなぁ!!」

 酒場から響く豪快な声を背に、一人五本の酒を抱えたクラウンとシュレイが出てくる。
 二人とも、これでどの位もってくれるのかと思案顔だ。

「どの位持つと思う?」
「合計十本だぞ? リルは数に入れないとしても、何とか持つんじゃないか?」
「だと良いんだが…」

 酒場から響く馬鹿騒ぎの声を背に受けながら、クラウンは溜息を吐き出した。
 流石にもう一度外に出るのは勘弁願いたい。

「しかし悪いな、奢らせて」
「フッ…何、貧乏なお前と違って俺には貯えがあるからな。何がって? ん、豊潤な資金がっ」
「…いい加減お前の顔面吹き飛ばすぞ…」

 店が建ち並ぶ繁華街は未だ明るく、人通りも多い。
 そこら中に居る酔っ払いや、クラウン達と同じくデバイスを腰に提げた者達もそれなりに見掛ける事が出来る。だが、

「シュレイ…」
「んあ? 何だ、金なら貸さんぞ?」
「違うアホ。少し周りを見てて思ったんだが…デバイスを持ってる連中が多くないか?」
「…そうか? いや、俺は長い時間をここで暮らしている訳じゃ無いから何とも言えないんだが…長い事住んでるお前が多いと感じるなら、その通りだと俺は思うぞ? まぁ、確かに“空気”は思い当たる節が無い訳じゃないが…」
「そうだな…この空気は…」

 嗅いだ事がある空気だった。
 ギルドという仕事をしていれば、必ず一度は感じる事がある空気。
 それは、

「獲物を探している時の空気だ。ギラギラした欲を放ってるから一層判り易い。バウンティの類だろう」
「賞金首が潜んでるってとこか…」

 ヤヨイが言っていたのはこの事だろうか、とクラウンは思う。
 確かに集団で賞金首を狩り出しているなら、嫌な相が見えたのも頷けない事は無い。彼らが戦い出したら、そこはすぐさま戦場だ。火の海に繋がる。
 普段あれだけ面倒ごとに巻き込まれるのだから、これ以上は勘弁したいのだが…と胸中でクラウンは呟きながら視線を戻す。
 何はともあれ、さっさとこの場所から離れるのが先決だった。

「賞金首が潜んでる、なんてのはそれ程珍しい事でも無いさ」
「まぁな。取り敢えず、ここで巻き込まれるのは避けたい。さっさと帰ろう」
「うぃ、了〜解、っと」

 明日の朝、一度ギルドに顔を出してみるのが良いかもしれない。
 そう考えながら繁華街の光を背にして歩く。
 賞金首ならどの程度の強さなのか、また金額面やどういった戦闘スタイルなのかは把握しておいて損は無い。いざという時は情報が役に立つ。

「………」

 繁華街から離れ、薄暗くなった路地を歩む。
 気配は自分と、そしてシュレイの分しかない。
 背に繁華街の光を受けながら見る前方の風景は“闇”その物だった。
 異界と表現するべきか、と内心でクラウンは思う。
 元来生物の殆どは日中を行動の時間に割り当て、夜間を休息の時間とする。闇は視界を奪い、“敵”の存在する位置を判別し辛くするからだ。だからこそ、一々夜という目視という感覚を奪う時間に動く様な真似はしない。
 しかし、だ――確かに夜という時間を好んで動き回る者達も存在する。
 確実に狩る側の生物達の事である。安息を謳歌している場所に奇襲を仕掛け、容易く自分の糧とする為に。
 彼らは這い回っている。
 確実に水面下を。

「シュレイ」
「そんな馬鹿な、と思うんだがねぇ…」
「あぁ。人が住まう場所はある種の結界、その筈なんだが…」

 コツコツと、二人は“あくまで普通に”歩く。
 前の闇を見据え、背後には決して目を向けず、しかしその第六の感覚と全ての五感を鋭敏にして。
―――気配は無い。無い、が

「厄介だな」
「…居る、が…場所までは分からん」

 気配が掴めない。
 色無き、殺気を押し殺した視線だけが感知する事が出来る。
 まさしくそれは野生の獣が放つ狩りの目そのもの。
 この街という空間で魔獣が? とどうしても考えてしまう。しかし、確かにこの視線は幾度も感じた事がある物。獲物として捉えられた時の物だった。
 どうする、と二人は同時に考える。
 互いに魔者という絶対攻撃の手段が今は無い。
 通常の魔獣が相手なら、今の状態でもこの二人ならどうとでもなるだろう。魔獣被害に対して出されるランクはBが殆どなのだから。だったらこの二人にとってはさして問題は無い。無いが、これは違う。
 この魔獣は違う。
 普通の魔獣ではない。
 “単独”で狩りを行う、“群れ”という思考を排除したレベルの魔獣だ。
 先日クラウンが出遭った魔剣を吸収したレベルの存在固体までとは言わないが、それでも相当に高度なレベルの魔獣である事は確かだった。

「魔者の空間跳躍は原則として視認範囲内…強制召喚も出来ないし、さて」
「やるしかないかね?」

 誓約者の権限として魔者を呼ぶとしても、それは視認範囲内に限定されている。家まで未だ距離がある状態では視線を交わす事も叶わない。それなら今の状態でどうにかするしかない。
 絶望的な状況だ。
 諦めるべき状況である筈だ、筈だ、が―――

「面倒だな」
「もう一度酒を買いに行く羽目になるのはな…」
「ヤヨイの機嫌を損なうのは避けたいんだがな…」

 声を押し殺して二人は笑う。
 狂気、
 そう表現するのが適切か。
 笑う、嗤っている。二人は状況を把握して尚、笑っている。
 酒が回っているからか?
 違う。
 命が係っているから(・・・・・・・・・)、二人は笑っているのだ。

―――ひゅおっ

 空気を裂く音、
 二人が反射的に酒瓶を投げ捨て、襲い掛かってきた襲撃者の攻撃を避ける。
 宙に舞い踊る酒瓶の中、二人は背中を合わせると一瞬で剣を抜き放った。
 甲高い破砕音。連続して酒が地面に衝突し、アルコールの臭いを撒き散らす。
 二人はその光景に眉を顰めるが、しかし一分の隙も無く構え続けていた。

「【 過ぎ去り行く景色 】」
「【 背後に流れし世界 】」

―――自己干渉式・身体能力加速(サイス・アクセラレイト)

 互いに違う【起動詞】を唱え、しかし全く同じ術式を発動させて自己の身体能力を強化。相手の攻撃に耐えられるだけの状況を作り出す。
 気配は無い。この深い闇の中、その姿を目視する事も出来ない。
 分はかなりの確率で自分達の敗北を示しているだろう。
 この状況を覆すには、相応の手段が必要になる。

「嫌になる。気配が無いって、まるで俺はお前を相手にしている(・・・・・・・・・・)みたいじゃないか…なぁ、クラウン」
「………黙って構えてろ。来るぞ」
「へいへい、了解」

 (シン)―――と、瞬間的な静寂が訪れる。
 周囲の世界から音の反響が消え、感じ取れるのは肌を舐めるような狩人の視線。そして己の心音と背中合わせの友の気配だけ。
 心音は至って正常。寸分の乱れも無かった。

「っ! 下だ!!」
「チッ!!」

 クラウンの声に反応して弾かれたように二人が離れ―――刹那、二人の真下から夜に溶け込む様な黒い顎が出現した。
 ばくんっ、と牙と牙が二人の眼前で合わさる。
 まるで鮫を彷彿とさせる“ソレ”は、眼球も無く、只黒い肌と黒い牙、そして黒い底なしの口腔が見て取れた。生物的な特徴は殆ど無く、近くて深海に住まう異形の生物を思い起こさせるだけ。

―――ヒ、ギィンッ!!

 空を裂く斬戟が“鮫”を挟み込むように討ち込まれ、しかしそれは互いの剣が交差して耳障りな音を立てるだけに止まる。
 二人は再び刃を構えると、視線だけを動かして周囲の状況を探り始める。

「地中を移動している、ってよりは空間を跳躍している様な感じだな」
「ハッ、そんなの魔獣じゃ出来ねぇよ。出来るなら今のは瘴魔だ」

 再び静まり返った夜という空間の中、二人はまた背中を合わせる。
 気配は無い。
 当たり前か。空間跳躍――次の出現まで亜空間を移動しているなら、その姿は見つける事は出来ない上、この空間に存在していないのだから気配が掴めないのも頷ける。
 だが、相手はこちらの位置を正確に把握している様であった。
 空間跳躍は基本的に距離概念を排除した亜空間を使用し、そこを通る事で距離をショートカットする術である。この世界でそんな魔術式を使えるとしたら、余程高位の空間を操る魔者を連れているか、それとも瘴魔か――殆どその場合に限られる。しかも空間跳躍は別空間を使っているので、相手に自分達の位置が特定出来る事は出来ず、また逆にこちらからも相手の位置を特定出来ないのが普通だ。しかし、相手は確かに自分達狙って初撃を真下から放ってきた。

―――どんなイカサマだ?

 位相斜行ならまだ頷ける。次元から半歩踏み外すだけなら、相手側は干渉から外れるだけで姿を消さずに気配だけを消し、こちらを見る事が出来るのだから。
 しかし、相手は姿も気配も何も存在していない。
 周囲には静寂、遠くに頼りない明かりを灯す街灯が見えるだけ。
 存在が、確かに無いのだ。
 感じられない。
 だったらこれは、空間跳躍では無い?

「何だろうな、これは…」
「本当に空間跳躍してるなら、はっきり言って俺らに勝ち目は無いぞ? 瘴魔を魔者無しで相手取る様な物だ。完全完璧自殺行為。死ぬね、絶対」
「って事は、だ。相手の空間跳躍には種が存在している、って事になる」
「初撃で俺達が絶命してないのが何よりの証拠、ってか? ま、何よりの証拠は―――」
「知能が低そう、って事だな―――――ッ右! 壁から!!」

 会話に差し込まれる相槌は攻撃。
 死角から浮かび上がる様に“黒い鮫”は滲み出し、弾丸の様に喰らい付いてくる。
 瞬間的にシュレイが身を屈め、その上を素通りする影に向かってクラウンの刃が疾った。

 ぎ、ぎぃぃいいいぃぃっン ン――――ッ!!

「チッ…! 鱗鎧かっ!!」

 口腔から身体を分断する為に放たれたクラウンの斬戟は、そのあまりに硬い鱗に阻まれ傷をつける事が出来ずに終わる。
 眼前を舞う黒い疾風はクラウンの眼前を、そしてシュレイの頭上を通り過ぎて路地の闇に再び消えた。

「…さて、どうするクラウン。鱗鎧なんぞ、流石に俺も予想してなかった事態だぞ? 本来は幻想種の竜族が纏う天然の鎧だ。術式で斬戟強化掛けても、魔者レベルじゃなきゃあの装甲は貫けん」

 鱗鎧。
 それは言わば金属と同じである。
 クラウン達が扱っている術式端末――ミスティック・デバイスは主に魔法銀(ミスリル)という、魔力伝達性が高く、硬度柔軟性が通常の金属よりも勝っている物を原料にして製造されている。
 鱗鎧とは、そのミスリルよりも魔力伝達性、硬度が勝る天然の生体装甲だ。
 魔者を宿らせ、誓約魔剣――デュエット・レイゼの状態にしているならまだしも、今の通常状態のデバイスが持つ切れ味では、相手の装甲を貫くだけの力が無い。
 今現在の力で、その装甲を破壊出来る可能性があるのは―――

「―――爆挫、か」
「…絶殺式か? しかし、あれは体内に術式を設置して内部から破壊する業だ。刃が徹る事が前提だぜ?」
「それはそれ、弱箇鋭斬で」
「斬鉄かよ。基本硬度が違うが、しかし―――」

 シュレイが闇に対して目を細める。

「やるっきゃ無いか…」

 シュレイが諦めたように溜息を吐き出し、クラウンと共にその体勢を落とした。

「【 炸裂する光源の刃 】」
「【 吹き飛ばす残骸 】」

―――下位爆裂系魔術式・咲き誇る燈の花(アイニ・ブロッサ)

 互いの剣先に魔術式が待機状態で固定される。
 その術式を表現するような紅い魔方陣が剣先を揺らめき、薄暗い世界をほんの少しだけ照らす。
 二人は腰を落とした体勢で刃を身体に絡める様に引き、真横に振り被る。
 元々斬鉄という技術は、刀という斬る為に作られた武器でこそ扱える業である。それを通常の直剣で再現するとなれば、それなりの技量と力、そして―――“相手の綻び”を見極めるのが重要となる。

―――斬るか、それとも喰われるか…

 二人が見つめる先は鮫が消えていった闇の中。
 二人が一分の隙も無く、体勢を揺らす事すらなくその先を見据える。
 耳が周囲の音を拾い、少し前まで居た筈の繁華街の音を拾う。視覚の中には動く物は無い。絶無。

 凪の状態が一分か、それを少し上回った時―――気配が確かに揺らめいた。

「背後! 下だ!!」

 クラウンが逸早く敵の出現場所を察知し、声を張り上げる。
 その声に応える様に、シュレイは何の疑いも無く刃を抜き放った。

(シャア)ッ!!」

 流れる銀閃が、口だけを出現させた鮫と交差する。

 ジッ、

 直撃。口の端に刃は確かにめり込み、

―――斬ッ!!

 斬り抜ける!!

「―――――――ッ!!?」

 貌無き魔獣の声にならない悲鳴。
 まさか斬られるとは思わなかったのだろう。
 開いていた筈の口腔は閉じ、出てきた場所から再び逃げようと垂直に身体を落とし始めるが、甘い。
 用意された攻撃は二刃。
 時間差で振り抜かれる刃はもう一刃残っている。

()ッ!!」

 逃げの体勢に入った鮫の様な魔獣、その頭を落とす様に振り抜かれる斬戟。
 それは接触―――そして、エラの様な部分に引っ掛ける様に、弱き箇所を鋭く、斬るっ!!

―――斬ッ!!

 身体の中ほどまでを深く抉り斬り割く一刃。
 しかし余韻に浸る事無く二人は飛び退る。

「終われ」
「弾けろ」

 空中を後ろに向かって跳躍する二人の視線の先で、鮫が地面の中に落ちて行く。
 最後の、口の端が地面に沈もうとした瞬間、

 ゴガンッッ!!

 炸裂音が響き渡る。
 視界を染める爆裂の閃光。
 二人が体内に設置した下位爆裂系術式が炸裂したのだ。

「………」

 最後の最後、鮫が消えた場所ではもうもうと煙が上がっている。

「張り付く様な視線も消えた…流石に今のを喰らったら死ぬだろ、普通」
「体内から爆裂四散。確かにな…」

 二人が油断無く、煙が上がる場所を見つめる。
 と、繁華街の方から声が近付いてくるのに気付いた。
 繁華街をうろついていたバウンティハンター達が爆発の閃光と音に気付き、こちらに向かってきてるのだ。
 それに気付いてシュレイが舌打ちする。

「やべっ…取り敢えず逃げようぜ、クラウン」
「あぁ…そうだな…」

 声に追い立てられる様に二人が駆け出す。
 その時、一瞬だけ、

 街路の角で、影が泡立った。



#2-end






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