「あー…」

最初出した声は気だるかった。
目を開けたというのに眼前は真っ暗。
一瞬だけ、今が夜中なのかと考えてしまう。

「何で俺の顔に足が乗ってんだよ…」

夜中の闇だと思われたそれは、むき出しになった誰かの足だった。
律儀にも膝を立て、足の裏を双眸の所に置いてくれている。
足の大きさは、そう大きい物じゃ無い。
明らかに女性の物だ。

「まぁ…これでシュレイの足だったら、俺は奴を殺すのだが…」

小さく呟き、その足を持ち上げて退かす。
はぁ、と息を吐いて横を見れば、ショートパンツを穿いた下半身。
それは昨日のスゥが穿いていた物だった。

「………」

そこから昨夜、何があったかを思い出す。
帰って、もう一度酒場までダッシュ。
大宴会。
以上、終了。
これだけ思い出せれば何があったのかは全て芋づる式に思い出せる。

「全員酔いつぶれて寝た、か…」

寝転がったままに視線を動かせば、
転がるシュレイの顔面にへばり付いて眠るリリエンタールの姿。
そしてテーブルにもたれ、十数本の酒瓶に囲まれて眠るヤヨイ。
クラウンの顔面に足を置いていたスゥ。
一言で言い表すならこれは、

「まさしく、死屍累々、と…」

寝転がったまま、時計が下がっている壁を見上げる。
朝の五時。
朝早くに起きて、薬剤の調合をするクラウンにとっては何時もよりも遅い時間帯だ。
しかし、酒を倒れるまで飲んだ翌日にこの時間に起きれたのは相当の奇跡だ。
時間を考慮し、これから何をすれば良いかを考える。

「………」

一秒で浮かんだ案を三秒で可決。
計四秒でその日一日が決まった。

「よし。自主休業しよう」

そしてクラウンの一日が始まった。

























The duet with the lunar
の精と二重奏(デュエット)を――


Shadow fish.
―影を泳ぐ魚―
#3 潜む不幸




















「おいぃ〜、クラウンんん…」
「何だ?」
「何でこんな朝っぱらから出かけにゃならんのだよー。俺は眠いんだよ」
「朝早くって言っても、既に十時を回ったぞ?」

 小さく呻くシュレイを尻目に、クラウンは朝の活気を灯した商店街を歩む。
 昨夜に考えていた通り、クラウンはギルドに顔を出そうと思っていた。
 賞金首の正体が未だ判っていないし、何よりも昨夜遭遇した魔獣。それについて知りたいというのが大きい。
 クラウンの背後でシュレイが「解ってるけどさぁ〜…」とダルそうに返事を返す。

「二日酔いか?」
「違うー…。頭も痛くないし身体の調子もいたって普通だぁ〜ぁう」
「じゃぁ何だ」
「俺は最近な、やっと背後から刺される危険から脱してこっちに帰ってきたばかりなんだぞ…? 今日くらい寝かせてろよ。お前一人でもギルド行って情報見てくる位普通に出来るだろうが…」

 それとも何か他に用事があるのかよ?
 と、シュレイは欠伸交じりに訊いて来る。
 それに対してクラウンは「まぁな」と小さく返した。

「お前、今日から何処で眠るつもりだよ」
「あー…」

 忘れてた。
 今になってやっと思い出した、と言わんばかりにシュレイが納得顔で頷く。

―――こいつ…忘れてやがった。

 実にナチュラルに薬屋に馴染んでいたが、何もあの薬屋にシュレイとリリエンタールまで住んでいる訳ではない。

「お前の借りてるアパート、掃除しなきゃならんだろうが」
「…そうだったな。ホント、普通に忘れてたよ」
「我が家はな、はっきり言って狭いんだよ。最近住人が増えたからな」

 こっちの現状も把握しろ、とクラウンは言う。
 シュレイは何も、アルファザイナスから帰る度にクラウン宅で寝泊りしている訳では無い。ちゃんと拠点となる住居は確保している。だが、シュレイとリリエンタールは、帰ってくる度に薬屋を我が家同然に扱うので、首根っこを捕まえてでも引っ張っていかなければ荒れ放題のアパートを掃除しようとはしないのだ。

「さっさと掃除して、使えるようにするぞ」
「えー…」
「えー、じゃない。何時まで居座る気だ」
「いーじゃん。どうせ日中は暇なんだし」
「暇じゃねぇよ! 客が来ないだけで俺は色々やってんだぞ!?」
「客は来ないんだねぇ?」
「くっ…いい加減、その口から言葉が出ない様に吹っ飛ばそうか…」

 ニヤニヤと笑うシュレイに、クラウンは拳を半ば本気で握り締める。

「俺は別に宿でも良いんだぞ? 一ヶ月位なら余裕で借りてられるし」
「だったらアパートの方を解約しろよ…お前が解約しないせいで荒れ放題だぞ、あそこ」
「そーだなぁ…長期で家を空けるから何も置いてないし…解約しとくか…」

 ヒトの住む場所というのは、ヒトが使わなくなると一気に荒れ果てる。今までシュレイが帰ってくる度に掃除を手伝わされた――状況としては立場が逆だが――あそこは毎回酷い物だった。だったら誰かを雇って定期的に掃除しとけば良いのだが、シュレイが『そういうのは好きじゃない』と言うので、結果あそこは何時も荒れ果てている。

「ま、どちらにしても掃除はしとかないといけないだろ」
「面倒だな…」

 はぁ、と小さく溜息を吐き出すシュレイ。
 その横でクラウンは思う。
 こいつは金を持ってる割に贅沢は一切していないな、と。
 総資産が3億だ4億だと言うが、それでも一切シュレイはその金に手をつけていない。
 普段の生活を鑑みれば分かるかもしれないが、シュレイはトレジャーハンターであり、旧大陸で日々の殆どを過ごす生活を送っている。最低限の着替えと武器しかシュレイは普段持っていないのだ。
 日々を送るのに余計な荷物は行動能力を奪うだけでしかないのだから、それはしょうがないと言えばしょうがない事なのかもしれない。だが、もう4億程も貯金しているのだ、彼は。遊ぼうと思えば豪遊出来る程の金を。
 しかし、それを一切使わないのは、シュレイがそこに価値を見出していないからに他ならない。
 詰まるところ、彼は根っからの冒険野郎なのだ。

―――リリエンタールも苦労する…

 この場には居ない彼のパートナーの事を考えて、苦笑。
 彼女は彼女で、そんなシュレイを気に入って行動を共にしているのだろう。
 本質を視た上で、行動を共にするのが魔者なのだから。
 頭のぶっ飛び具合には手を焼いていそうではあるが。

「んじゃ、ギルドの方から行っちまおうぜ?」
「そうだな。賞金首(バウンティ)の情報を見る程度なら時間も掛からないし…そっちから行くか」

 シュレイの言葉に頷き、クラウンは思考と止めて頷く。
 何であれ、彼が友人である事には変わり無い。
 それよりも、今は掃除の方が最優先事項だった。





* * *






 ギルド支店。
 トルストイに本社を構えるギルド本社の支店は、各地に配置され、その上で運営されている。
 昔、電話が発明される以前は依頼が各地の支店でそれぞれ処理されていたが、現在は違う。依頼は全て本社に一度集められ、その上で本社の依頼斡旋部が下した判断で推奨レベル等が決められた物が各地へ配られている。

「いや、ルルカラルスのギルドって久しぶりに来るなぁ…」
「お前にとっちゃそうだろうよ」

 綺麗に作られたギルド支店。5階建てのビルの中へと二人は入ってゆく。
 待合室や喫茶店も設置され、仕事の斡旋の為に時間が掛かるので、訪れたギルドメンバー達がそこでそれぞれ思い思いに時間を潰している。
 アルコール類は取り扱っていない。
 術式端末という一種の兵器を持っているのに、ちょっとしたいさかいの所為で室内乱闘を始められてはたまった物では無いからだ。その上で演算抑制を働きかける結界や対魔術式結界が敷かれており、安全にはかなり気が遣われている。
 勿論の事だが警備も配置されており、いざとなれば彼らがギルドメンバーの鎮圧に当たってくれるようになっている。まぁ、警備を担当する事象操作騎士が勝てるかは別問題ではあるが。

「さて、取り敢えず賞金首の情報を聞いてくるけど…お前はどうする?」
「俺も暇だからついてく。特にやる事も無いし」
「んじゃ、さっさと行くか」
「あいよー」

 待合室の横を過ぎ、一際拾いホールに入る。
 カウンターに座る受付嬢がそれぞれ相手をしてくれるのだが、

「空いてるカウンターは、と…」
「お、今三番のカウンター空いたぞクラウン。行こうぜ?」

 運良く今しがた空いたカウンターを見つけ、そこに向かう。
 何時でも絶えぬ笑み。ナイスな営業スマイルだ。
 クラウンとしては何となく感動してしまう。

「気持ち悪いな…ニヤニヤするなよクラウン」
「………」

 どうしよう。こいつ殺したい。

「そろそろ我慢の限界が近付いてるんだが…そこんとこどうよ?」
「何のだ? トイレか? トイレならほら、あっちだぞ?」
「………」

 キレるべきだろうか?
 いや、駄目だ。
 周りを見回す。
 警備の事象操作騎士はこちらを見ている訳では無いが、ここで暴れれば生命線であるギルドの仕事が貰えなくなってしまう。
 それは頂けない。そうなると晴れて薬屋は消滅。ルルカラルスからはサヨナラとなってしまう。
 …闇討ちだ。
 オーケー、闇討ちで行こう。

「…何でも、ナカデスヨ?」
「んー? 片言になってるぞクラウン」
「ナンデモナイ、ナンデモナイヨー、僕ゲンキダモン」

 首を傾げるシュレイを背にし、何の感情も篭らない乾いた笑い声を上げながらクラウンは進む。
 周りからヒトが減っているのは無視だ。

「な、何か御用でしょうか?」

 拙い、虚ろな瞳をしたままだったようだ。
 相手の反応を見て、自分の失態に思い至る。慌てて瞳に光を戻す。

「いや、すみません。後ろのアホが色々言ってくるんで少々意識が飛んでた様です。構わないで下さい」
「は、はぁ…? そうですか?」

 背後で『アホとは酷いなバカ野郎』と聞こえてくるが無視。これ以上相手にしているとこの場所で乱闘してしまいそうだ。

「まぁ、それで賞金首(バウンティ)の情報を閲覧したいんですけど?」
種類(カテゴリー)の方はどちらでしょうか?」
「んー、犯罪者区分(クリミナル)でお願いします」

 その言葉に、受付嬢は『解りました』と小さく返して席を一度立つ。
 背後にある棚からバウンティの情報が入ったファイルを引き出すのだろう。
 数十秒その背後を見守っていると、受付嬢は一冊のファイルを持って戻ってきた。

「こちらが最近の物になります…必要であれば過去の物もお持ちしますが?」
「いえ、これで構いません。それで一つ訊きたいんですけど、良いですか?」
「はい、何でしょうか?」
「昨夜…位ですかね? 正確には何時からか解りませんが…事象操作騎士が繁華街の方で大勢見かけられたんで、そのバウンティ情報を見たいんですけど…ルルカラルスの情報は何ページですか?」
「―――そちらの情報ですか…?」
「は、はぁ…そうですけど。何か?」
「いえ、そちらの情報ですと魔獣区分(モンスター)になるんですけど…」

 その言葉に、昨日の情景が思い出された。
 闇の中で襲い掛かってきた黒い影。魚の様なシルエットの黒い魔獣。

「どうしました?」
「…いえ、何でもありません。では、すみませんけどそっちの情報をお願いします」
「えぇ、分かりました。こちらに印刷したものがございますので、これをどうぞ」
「はい、ありがとうございます」

 受付の方でバウンティ情報が配られているという事は、新しいという事なのだろう。しかも本当にここ最近の、という事になる。
 印刷された紙を受け取り、シュレイと共に受付前から出て――そこに記されている文字を追う。

 暫定名:影魚(シャドウフィッシュ)
 賞金額:2500万WM
 指定:抹殺指定

 抹殺指定――これは魔獣であるのだから納得出来る。しかし魔獣討伐にしては金額が異常だった。
 2500万。その金額は異常だった。
 たかだか魔獣の討伐で2500万を支払われるというのは相当の破格である。
 知能を持たず、只破壊と捕食を繰り返すだけの害獣を殺すのに、そんな金額を見た事は今の今まで無かった。
 犯罪者区分――クリミナルで言えば、余計な付加要素を付けずに術式端末を持って25人は殺している事になる。一般的に言って、一人殺してバウンティの情報に載れば約100万の値が吹っ掛けられる。
 ありえない。
 瘴魔討伐に関して、最低位の男爵級討伐に掛かる金額は3500万である。
 この魔獣は、“たかだか魔獣”であるのに2500万の値段を吹っ掛けられているのだ。
 しかし、と思う。
 その魔獣は昨夜自分とシュレイが殺した筈だ。
 斬り、爆殺した。
 殺したのなら――

「……?」

 そこで――ふと、“備考”の欄が目に入った。
 嫌に目を引く赤で記された文字。
 どうしても気になったそれへと、目が自然と向く。

 備考:
 精霊喰らい。闇の精霊を喰らったらしく、闇を操る能力を保有している。その能力は影を移動する能力らしく、魔獣はそれを使用して都市に侵入した模様。
 形状は魚。鮫に酷似している。
 倭国で発生し、船を使用して大陸へ渡ってきた、と判断されている。
 倭国にて一度討伐されたらしいが、何故か生きている。精霊を喰らったものによる力の付属かは不明。倭国第五階位(大陸ギルドBランク)が一人死亡。第四階位(大陸ギルドAランク)二人が重症を負っている。生き残った討伐者達は、確かに頭を斬り落としたと証言。
 危険ランク:A++

「笑えないねぇ、こりゃ」
「だな…A++って、Sからが瘴魔か国際級犯罪者だぞ? 魔獣程度でこれだけ行くとは…」

 背後から覗いていたシュレイの言葉に、クラウンが頷く。

「シュレイ」
「ん?」
「昨日戦ったのは…」
「多分だがこいつだろうな。特徴とかも一致するし、あの空間跳躍…今思えば影を移動していたと納得出来る」
「確かに」

 あの気配を残しながらの姿を消す術は、亜空間を移動している訳ではなく影を移動していたのだ。それならば納得出来る。影というのは、中が“虚空間”ではあると精霊系の学者が言うが、その影――入り口があるのは常に現行世界でしかない。ならば気配を撒き散らしながら姿だけを消すという事象も良く分かる。

「しかし、精霊を喰うとは…何とも…」
「運が良いな、まぁ俺達にとっちゃ不運以外の何物でもないけどさ。魔獣は俺達と同じ下位世界の住人だ。つまるところ、本来であれば魔者ないし精霊なんぞ喰える訳が無い」
「堕界してる精霊を喰うとはな…」

 堕界している魔者の数は、そう多い訳では無い。
 元々が本来こちらの世界の住人ではないのだ。当たり前と言えば当たり前である。
 その上、加えて堕界しているとなると相当な確率になるだろう。
 ヤヨイという堕界している存在が近くに居るが、アレは特例の様な存在だ。こちらの世界で堕界する契約を行ったのではなく、あちらの世界から“堕界して来た”のだから。
 堕界には相当の覚悟が必要になる。命を危険に晒す覚悟が。
 クラウンの知る限り、堕界している魔者はヤヨイ以外に知らない。
 リリエンタールも、そしてスゥも堕界はしていないのだ。

「んで、シュレイ。殺しきった(・・・)と思うか?」
「…微妙だな。頭を切断しても生きてるって書いてあるんだぞ? 爆殺しても生きてる可能性が高い、と俺は睨むがね?」
「だよな…もしも殺しきれているなら賞金は―――貰えないな…」
「証拠ないしなぁ…あそこに止まってるべきだったかね? こりゃ」

 二人同時に吐き出した溜息が重なる。
 全く運が悪い。

「っつーかシュレイ。お前は稼いでるだろうが。俺の取り分は勿論8割だろうな?」
「何だよ貧乏マン。金に汚いとヤヨイ以外にモテないぞ?」
「………」
「………」
「はぁ…」
「ふぅ…」
「何だか損した気分になった。さっさとお前の家に行くぞ」
「へいへい、そうしましょうか…昼飯前に解約済ませちまおうぜー…?」

 再び二人同時に肩を落として歩き出す。
 別にこれ以上関わるつもりは無い。
 勿論2500万という金額は魅力的だが、自分から厄介事に首を突っ込むつもりは無いのだ。普段からアズイルの依頼で要らない被害を被っているのだから。
 街が危機に瀕している! だから助けないと!
 そんな気持ちは無い。それに、あちこちに術式端末を持った事象操作騎士のギルドメンバーがうろついているのだ。彼らに人的被害は出るかもしれないが、遅かれ早かれ狩り殺される事だろう。

―――それまで、そう…

「孤児院とか、商店街仲間…後は堕界してるヤヨイが護れればいいや」
「楽な思考だが賛成。面倒だし」
「ま、向こうからやってくるなら――」

 凄絶な笑み。

「容赦はしないさ。徹底的に、」
「殺してやる」

 一瞬だけ、世界に異様な空気が流れた。
 バカをやって笑う様な笑みを浮かべながら、それでも放つ空気は真逆。
 世界が冷え込む様な狂った(くら)い笑み。
 しかし、余りに一瞬過ぎて、訪れているギルドメンバーも社員も、その誰もが気付かなかった。
 既に二人の笑みは何時もの影の無い笑みに戻っている。
 本当に瞬間的な殺意。
 誰もが気付かない、薄く瞬間的な殺意。

 …もしもこの殺意がもう少しだけ長い時間垂れ流されていたのなら、この後の二人の人生は変わっただろう。
 そう、もしもギルド支社内の空気を止める程度の濃密な殺意と、そして時間だったのなら。

「ってめぇ!!」
「何だ、やるのか?」

 真横の待合室から聞こえてきた男の怒声と、そして女の静かな声。
 続いて容赦無く飛んでくる罵倒と椅子。

「うぇいっ!?」

 飛来してくる椅子を真正面に捉えながら、クラウンは思う。
 もう少し平和をくれ、と。



#3-end






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