「うぇいっ!?」
罵声と共に飛来する椅子。
振り向いた瞬間には既に眼前に迫っているそれを、クラウンは咄嗟に腕を割り込ませる事で顔面に直撃するのを回避する。
しかし、それはあくまで顔面を庇っただけであって、ダメージを負う事には変わりない。
ガッ…という鈍い衝撃音の後に走る痛み。
腕に当たって逸れた椅子が床に落ちるのを見ながら、クラウンは痛みに眉を顰めた。
「へぇ。中々格好良い事するな、クラウン」
シュレイの言葉。その意味は本来椅子が飛んでゆく筈だった方向にある。
ガラス窓と、そして喫茶店。
ガラスの向こうからは、今の騒ぎに気付いた人達の表情が窺い知る事が出来る。
一度その光景を目の端で捉えながら、クラウンは己の腕をさすりながら騒ぎの原因に目を遣った。
待合室は観葉植物だけで囲われたスペースだ。“室”というよりは休憩所、または情報交換の為のスペースと言った方が適切かもしれない。そのお陰で余計な物が無く、物が派手に壊れるという事は無い。
そのスペースの中で、静かに立つ少女の背と、未だ罵声を浴びせ続ける男の姿を発見する。
状況から判断して、椅子を投げたのは男の方だろう。
「…ん?」
「何だ、クラウン?」
「いや、あの女の子…」
凛々しく立つその少女の姿に見覚えがあった。
夏も終わりという時期ではあるが未だ暑い中で着込んでいる白い衣。その背中に流れているポニーテイルの黒い髪。そして、白い衣の裾から見える刀の鞘。それは昨日薬屋の方に訪れた倭国出身らしい侍の少女だった。
先ず間違いは無いだろう。
事象操作騎士は居るだけで目立つ事が多いが、その白い衣は更に目立つ。見間違いではないだろう。
「へー…昨日の娘じゃん」
加え、シュレイが女の子を見分けているのだから間違いは無い。
「どうするよ、クラウン? 加勢でもする?」
「面倒事には首を突っ込みたく無いのだが…」
ちらりと周りを見回してみる。
互いにデバイスを抜いていないからギルド内の警備は静観している。あくまで彼らは“術式端末による危険”に対して動く存在である為、これ以上の事が起こらなければ手を出してくる事は無いだろう。
そして一方、原因は――これ以上の事態が起きそうだった。
団体での行動なのか、男の方に人数が集中し始めている。
このままでは女の子が自衛の手段としてデバイスを抜くのもそう遅くは無い。
溜息を吐き出す。
「なぁシュレイ。最近、俺は凄くついてないと思うんだが…」
「お前がもう少しお人好しじゃなければ、多少は運が向上するかもなぁ?」
その言葉に、全くその通りだ、と小さく苦笑する。
もう少しだけでも、この性格がヒトという本来の生き物の様に危険に対して臆病であるならば、クラウンは自分から面倒事に首を突っ込む真似はしなかっただろう。只でさえ面倒は向こうからやってくるのだ。
ヤヨイがクラウンを評して言った言葉がある。
『お主は幾ら自身を低く評価しようとも、他の者達にとっては、とてもとても―――優しい男じゃよ』と。
正確な時期は忘れてしまったが、ヤヨイは過去にそう言った事がある。
最初こそ言われて否定したが、今では心の奥底で納得してしまっている自分が居た。
目の前で事件が起きれば、自分は首を突っ込まずには居られない性質なのだ、と。
やれやれ、と肩を竦める。
中々因果な人生を送っているが、いや、だからこそ――自分は今の自分なのだ。
「仕方ない。面倒だが止めよう。このままだと女の子の方が先に取り押さえられる」
「多勢に無勢。女の子を寄ってたかって多人数で囲むのは無粋って物だからな」
「まぁ、あの女の子の態度だ。売り言葉に買い言葉、ってな感じで相手が逆上したのかもしれないけど」
苦笑しながら歩き出す。
デバイスに手は掛けない。
これはあくまで“交渉”だ。
この場で暴れるのでなければ武器を使う必要は無い。
少女の背後に音無く立ち、二人は男達を見る。
「あ? 何だお前ら…」
「?、…誰だ…?」
敵か? と確認するような少女の声。
あー、向こうは自分の事を憶えていてはくれないかと少しだけ落胆し、しかし態度には表さずにそのまま男達をクラウンは見据える。
「ま、ちょいと話でもしようと思ってね」
「剣も槍も銃も必要無し、だろう? 何が悪いかは知らないが、そっちはそっちでヒトが多い。話をするにしてもこっち側にヒトが居ないのはメンタルの面で悪いだろう?」
「そういう事で俺達はこの娘の後ろに居る、という訳だ」
「あぁっ? 何ナめた口きいてんだよ? テメェ…」
男達が一歩、その足を前へと進める。
それを見ながらクラウンとシュレイは胸中で溜息を吐き出した。
この場に少しでも頭の回転が速い奴が居ない事を呪いたい、と。
もう少し頭の回転が速い者が彼らの中に居るのなら、今この場所で騒ぎを起こせばどういう事になるか程度は楽に想像出来る事だろう。しかし、こう言った輩は事態を“起こしてしまってから”気付くという典型的な力技タイプだ。物事を強弱で判断しようとする為、シンプルな考えが出来るので何も悪い訳では無いが、こういう場所では一番関わりたくない人種である。
「腕力で物事を解決、ってのはオススメしないぞ? この場所が何処で何をする場所か位は全員解ってるだろう。だったら落ち着いた方が良いと俺は思うが?」
「そうそう。厄介事を力だけで解決してたんじゃ、要らない事まで背負っちゃう事になるしねぇ?」
「という事で、穏便に物事を運ばないか? お互い、この先ギルドで仕事を貰えなくなるのは嫌だろう?」
そのクラウンとシュレイの言葉に、今になってヒートアップした頭が冷めて行くのか男達がギルド内の警備達を見る。
未だデバイスに手を掛けていないが、彼らを見る視線は冷たい。
その事実にようやく気付いた男達が小さく舌打ちする。
「で、どうする? 話し合いで決着、という事で良いか?」
「…良いだろう。で、交渉の内容は? 俺達はそこの嬢ちゃんが俺達をコケにしてくれた事を見逃す。だったらそっちは“何を”出して交渉してくれる?」
「っ! 何を!! 貴様らが最初に私をっ…!」
そこまで言った時、シュレイが少女の前に手を入れ言葉の先を遮る。
何を、と少女はシュレイに言うが『まぁまぁ抑えて』と、やんわり押さえ込まれた。
シュレイは軽薄な外見とは裏腹に、とことん荒事には強い。クラウンも同じだが、こと女性…むしろ女の子が関わると、その能力が一気に跳ね上がる。
横でクラウンはシュレイを見ながら思う。
きっとこいつは何かやる、と。
そしてシュレイがニヤリと笑う。
「…100万でどうだ? 十分な額だと俺は思うがね?」
「んなっ!?」
「わーお…」
この時ほど自分が貧乏だと実感した時は無い。
流石に総資(略)なだけはある。
そして金という物がこれほど偉大だと思った事は無かった。
「で、どうする?」
「…っは。いいだろう」
「オーケー。んじゃ、ギルドの口座から引き出すから、カウンターの所までついてきてくれや」
「お、おいっ!」
「はいストップ」
そして再び前に出そうになる少女を、今度はクラウンがその行く手を遮る。
せっかく場が丸く収まるのを乱されては堪った物じゃ無い。
「お、お前! しかしだなっ! 100万って…」
「気にするなとは言わんが…あいつ金はあるから好きにさせとけ」
クラウンと少女が見守る先で、男達をぞろぞろと連れたシュレイがカウンターの前へ行く。
奇特なのは何もクラウンだけではない。
シュレイだって、何処か可笑しい。良い意味でシュレイはオカシイのだ。
「ギルドの口座から金を下ろしたいんですけど」
「は、はい…ではギルド会員証と名前の方を」
「はいこれ。名前はシュレイ・ハウンゼンスね。あ、ついでに言うと歳は22歳。結構下に見られる事もあるけど、22歳だから」
「は、はぁ…?」
まぁ、頭の方の構造も緩んでるかもしれないが。
「顔写真は…はい、確認しました。では暗証番号と術式暗号をここに」
「あいよ。あ、少し下がっててな? 秘密事項だから」
「ふん…」
そこで男達が離れ、シュレイがカウンターで暗証番号を書き込み、魔力の質の合致を確かめている。
その確認が終了すると、受付嬢が一つ頷き奥の部屋へと入って行った。
何の問題の無い終了に、男達がニヤニヤと笑い始める。予定外の収入だろう。まさかギルドの待合室に居る女の子と関わっただけでの想定外な収入だ。嬉しくてしょうがない筈だ。
しかし、次の声は男達から表情を奪った。
「え、なっ…!!?」
驚愕に染まった声が響き、男達が訝しがる。
その中で興味無さ気に反応を傍観しているのはクラウンとシュレイだけだ。
クラウンの傍らに居る少女ですら、何があったのかとカウンターを見守っている。
そんな多くの視線が集まる中、受付嬢が震える手で台座に置かれた一つの膨らんだ封筒を運んできた。それと共に金の掛かっただろうスーツを着た、多分支店長だろう男が出て来る。
何事か、と誰もが見る中、男が口を開き、
「SSランク【 死を囁きし鴉 】様、こちらがお引き出された物になります。どうかお確かめ下さい」
深く深く、頭を下げた。
ギルドの中に一瞬の沈黙が下り、そして様々な所から声が上がる。
その殆どがひそひそ声ではあるが、しかし一斉に巻き起こった声は束ねられ、一種の騒乱となっている。
その中でシュレイは不思議そうに首を傾げていた。
「ん? あれ? 俺ってSSクラスに昇格してたのか? この前までS+で上昇判定だった気がするんだけど…なぁクラウーン?」
「お前がアルファザイナスに居る間に報告が着たんだろ。俺は知らん」
金を下ろすだけでこの騒ぎになるSSランクの光景を見ると、クラウンはますます上位ランクになる気が失せてゆく。
シュレイが『ま、クラウンが知る訳無いか…』と小さく呟き、その台座に置かれた封筒と、そして預けていた会員証を受け取った。
次に顔を引き攣らせるのは男達だ。
自分達が金を巻き上げたのが滅多にお目にかかる事が出来ない特殊ランク――更に言えばSの上であるSSランク保持者だ。逃げ出さないだけでも立派だろう。
シュレイがやる気の無い目をしながら、その札束が詰まった封筒を男の前に差し出す。
何でもない様に差し出されたそれは、あまりに自然で男達は認識出来ずに呆けてしまう。
「…何だ? 要らないのか?」
「い、いや。受け取る、ます…」
慌てて語尾を訂正し、両手で封筒を掴む。
その手が微妙に震えている様に見えるのは間違いでは無いだろう。
それ程、このSSランクという存在が恐ろしいのだ。
SSランク。常軌を逸した力を持つ瘴魔、その子爵級と対等かそれ以上に戦えると判断されたそれは、詰まる処はそれも“化け物”であると認められた証拠である。
敵対すれば死。
瘴魔という存在、それと同格と判断された者と敵対しても死という構図は想像に難くない。
まぁそれも、普段のシュレイのバカさ加減を見ているならどうもこうも無い。それに加えてクラウンはシュレイとは長い付き合いである。シュレイがクラウンの戦闘能力を把握している様に、クラウンもまたシュレイの戦闘能力を正確に把握しているのだ。そしてその性格も。
故に、恐れる意味は無い。
あれはバカだ。
「はいよ。達者で暮らせなー」
「は、はいっ」
男達が先を争う様にギルドから出て行く。
何とも滑稽な姿だが、それも仕方が無いだろう。
彼らにはシュレイがどうだと判断出来るだけの情報が無いのだから。
気前良く封筒を手渡し、手を振って男達を見送ると、シュレイがクラウン達の元へと戻ってくる。
「ふっ…貧乏人には出来ん、スマートな解決方法だった…」
「金が偉大だとは認めるが、一言多いぞバカ野郎?」
「はっはっは! 僻むなよ貧乏金欠マン。ついでに薬屋なんて潰れちまえ」
「あ、あのっ!」
「ん?」
「あぁ?」
そこになって、二人は少女が居た事を思い出す。
こういう空気が何時もの流れすぎて忘れてしまっていた。
少女は申し訳無さそうに、しかしシュレイを尊敬するように見ていた。
シュレイの実態を知っている自分としては、その光景が異常な様な気がしてならない。物凄い違和感を覚える。しかし、取り敢えずは静観する。
「100万という額のお金を、私の為に使って頂きありがとうございます。そ、その…私は、何も返す物がありませんが…申し訳ございません!」
少女が頭を勢い良く下げる。
その光景を見て、侍――もとい、倭国の剣士がどういう物かを思い出した。
一言で言えば律儀だ。
それが国の気質なのか、それとも神祇という物なのか、または侍だからかは判らない。それも差はあるだろう。しかし、世間一般の認識として“侍は義に篤い”というのは最早常識であった。
「あー、別に構わんよ? 普段金なんて使わないし」
「しかし…」
「返すだけの金がこの場にあるの?」
「それは―――」
「だろう? なら良いさ。運良く100万拾ったと思っておきなさい。うむ、中々クールでダンディなセリフ…そう思わないかクラウン?」
「最後の言葉が無ければな」
爽快に笑い、シュレイがギルドから出ようと歩き出す。
クラウンも盛大に溜息を吐き出しながら後に続いた。
その後姿を、少女は呆然と見送り―――
「ちょ、ちょっと待って下さいっ」
―――しっかりとその後を追いかけ始めた。
* * *
「おい」
「何だ」
「すっかり後付いて来てるぞ?」
「ぬぅ…」
「どうするよ?」
「どうした物か…」
これが今の現状であった。
少女はクラウンとシュレイが歩く後方を、一定の距離を開けてついてきている。
何というか、付き従う、というよりも狙っているという表現の方が適切なオーラを纏っている。
向こうは恩を返す気満々なのだろう。
しかし、こちらはシュレイが思いつきで金を払ったに過ぎない。クラウンにとってはシュレイの貯えから幾ら金が減ろうとも、笑う事はあっても惜しむ気は毛頭無い。シュレイも先ほど言った通り気にしないだろう。むしろこの状況でクラウンをバカに出来た事の方を楽しんでいる位だ。
「ふーむ。美少女は世界の宝だからな…しかしこうなると少々厄介だ…」
だからそういう言動を止めろ。
「撒くか?」
「…昨日うちに来てるからな…さっきは気付いて無かったようだが、思い出したらそっちに来るぞ?」
「どうすっかねぇ…もう潔く話でもするか?」
どうするか、と二人して悩みながら歩く。
撒くだけならば出来る。しかし、薬屋の方に来られては本末転倒である。
助けた恩を返すのは良いが、それで後をつけられては堪った物じゃ無い。感謝せずにそのまま立ち去れとは言わないが、それでもこっちも余り気にしていないのだからそっちも気にしない。それで納得して欲しい。
「ふーむ…ここは一つ、」
「何だ?」
「身体を要求してみるか?」
「…そのココロは?」
「きゃー怖ーい、と言って逃げる」
「…もし『それで宜しければ…』とか言われたらどうするよ?」
「………あ、青い果実っすかクラウンさんっ?」
「鬱陶しいな。そう言う反応を止めろロリスキー。ジャストミートはリリエンタール」
「ばっ、何ばいいよっとか!? 別にちっげぇよ! それにな、リルは俺達よりも年上だぞ!? 永遠のお姉さんだ。解るか? 解るだろうヤヨイが傍らに居るお前なら。そう、そうだよ。只な、リルには身長が足りないだけなんだよ。解るかクラウン!? それに後ろの娘はロリじゃ無いだろう? 成熟段階の胸に、160前後の身長。何処をどう取ればロリだと言える!? 答えろクラウン!!」
「一々反応が生々しいんだよお前は…ウザいよりも、むしろそこまで行くと痛いぞ? 成長ではなく成熟段階という言葉と、嫌に力が篭ってる様が特に。薬屋のコネを使って病院紹介してやろうか? 勿論鉄格子がついてる方の」
ここまで言って話を打ち切る。
これ以上面倒な問答を続けても意味が無いからだ。
さてどうした物か、と考える。
と、その時、道の先から見知った顔が歩いて来たのを発見した。
「噂をすれば影、ってか…?」
「…あぁ、ヤヨイか…」
純白のブラウスにロングスカートを纏ったヤヨイが向こうから歩いてくるのが見て取れた。何時もの様に黒の上を着ている訳では無いが、しかし絶妙に似合っているのは元が良いからだろう。
そんなヤヨイも二人に気付いたのかこちらに近付いてくる。
「クラウン、二人で掃除してくると聞いておったが…もう終わったのか?」
「あー…いやねぇ…シュレイ…」
「まぁ、その…何だな…後ろ」
「ふむ?」
シュレイが親指を立てて自分達の背後へと向ける。
その方向に従ってヤヨイの視線が動き、自分達の後方に居る少女へと焦点があった。
少女が驚いた様に眼を瞬かせるのを、ヤヨイは一つ唸りながら頷き、
「取り敢えず、どう言った経緯でこうなったのか解らん。話を聞かせて貰えるかのぅ? 勿論、そちらの娘も一緒にじゃ」
ヤヨイの一言で全てが決まった。
クラウンもシュレイも、ヤヨイには勝てないのだった。
#4-end
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