来るならば来い
手加減はしない
その悉くを塵に還し
魂を根源に墜とし
葬滅してやる

























The duet with the lunar
の精と二重奏(デュエット)を――


Shadow fish.
―影を泳ぐ魚―
#5 夜闇の前




















「で、理由(わけ)を話して貰おうかの?」

 正面にヤヨイが座り、クラウンとシュレイがその対面に座る。少女は皆の横に座っていた。
 場所は薬屋。
 結局は腰を落ち着けて話す為に、少女を薬屋へと連れ帰ってしまった。
 ヤヨイが理由を求め、その声にクラウンが頭を一度掻く。

「まぁ、そうだな。取り敢えずは互いの名前も知らない事だしさ、自己紹介でもしてからの方が良いんじゃ無いか?」

 もうこうなったら元も子も無いのだから、と半ば諦観を秘めてクラウンが言う。
 ヤヨイは『それもそうじゃな』と頷くと、先ずは一番最初に口を開いた。

「妾はヤヨイ・カーディナル。魔者じゃ。こっちの黒髪、クラウンの相棒、と言った所じゃな」
「俺はクラウン・バースフェリアだ。ここで薬屋をやってる」
「で、俺がシュレイ・ハウンゼンスだ。トレジャーハンター、って言う事になる」
「あぁ、後は二人程居ないが帰ってきたら紹介するんで、そっちお願い出来るか?」
「えぇ、分かりました」

 皆の横手に座る少女が一つ頷くと、刀に小さく頷く。
 デバイス中に居る魔者に意思を通しているのだろう。
 無言の応答が続き、少女が小さく『頼む』と呟くと、その刀から光が漏れた。
 やがてその光は形を作り、少女が座る椅子の横に人型となって立つ。
 現れたのは水色の髪をした羽衣を纏った女性だった。
 長い髪はそのまま地につきそうな程に長く、羽衣も薄く身体の線がはっきりと見て取れる。その美に見とれるのが普通だが、三人は見とれる事無くその光景を見守っていた。

「それでは改めて紹介を…私は御盃 朔耶…こちら大陸ではサクヤ・ミサカズキと言った処です」
「私はティッセ・バースと申します。朔耶の魔者をしております」

 どうぞ宜しく、と朔耶とティッセが同時に頭を深く下げる。
 それを見据えながらヤヨイが小さく頷いた。

「御盃、と言ったな。ならば倭国討魔の御盃、か? 天一五刃(てんいつごじん)の」
「え、えぇ…確かに倭国で御盃と言えば私の家しか在りませんが…」
「ふむ、そうか…では、」
「ヘイッ! ヤヨイ、質問」
「…ふぅ…何じゃシュレイ」

 場の今まであった雰囲気をぶち壊す様な声と共にシュレイが手を挙げる。
 その質問の声に、何時もの事だと言わんばかりに突っ込みすらも言わずにヤヨイは返答した。慣れた物だ。

「一つ訊きたいけどさ、天一五刃って何だ?」
「む? 知らなかったか…?」
「あぁ、知らん。クラウンは?」

 何かどっかで聞いた事が無きにしも非ず…?
 それは聞いた事が無いんじゃ無いか? と思いながらも話を振られたクラウンはシュレイの言葉に対してヤヨイを見た。

「確か天一…現在では大五家になってしまった元は五刃を束ねた頂点の家じゃ無かったか? 家名は忘れたが…」
「うむ、その通りじゃな。十数年前に天一であった神薙家が滅んで五家になった。シュレイは色々とそういう時事的な事には疎かろう?」

 そのヤヨイの言葉に『そうだな』と、シュレイが頷く。

「あぁ、理解した。先を続けてくれ」
「うむ。それで話を戻すが…倭国討魔である五家の御盃が、何故大陸に?」

 これで普通の倭国の者なら大陸に居ようと不思議は無い。
 流通も国交も存在しているのだ。それ位は当たり前である。
 しかし【 御盃 】を名乗るならば話は別だ。
 倭国の中で魔獣を討伐する専門機関【 神祇 】を構成する五つの家、あるいは組織であるそれは重要な役割を担っている。ましてそれが“属している”のでは無く“家そのもの”である者だったら、その重要性が良く解るだろう。

「…私は御盃の次女。父が昨年の瘴魔討伐で倒れ、現在は御盃で唯一第二階位…ギルドランクSSを持つ姉が御盃を仕切っています。私は未だ第四階位…今のままでは姉を助ける力にもなりません」
「ふむ。成る程のう…詰まる処は武者修行、と言った処かの?」
「えぇ、そうなります。せめてSランクをギルドより貰い受け、(あざな)を名乗る事を許されるまでは、家に帰る事は出来ません」

 そこで納得したようにクラウンが頷いた。

「成る程ね…それでギルドの待合所に居る時に、あいつらに声を掛けられ、って処か?」
「そうなります。そこをSSランクである【 死を囁きし鴉 】様に助けて頂き、」
「恩を返す為に後をついて来た、と…」

 シュレイの名乗る二つ名を聞き、ヤヨイが眉を小さく動かした。
 クラウンと同じで違和感を覚えているのだ。シュレイが人助けをした、という事ではなく、様付けで敬われている事に対して。
 しかし顔に出た違和感も、直ぐに何時もの表情へと戻る。
 今の会話だけで何があったのかを理解したヤヨイは一度小さく頷き、再び口を開く。

「それで、朔耶…朔耶と呼ばせて貰うが…何をして恩を返す気じゃ? シュレイの事じゃ、別にどうでも良いと返答したのじゃろう」
「それは…」
「生憎とシュレイは使わぬだけで金も持っておる。欲しい物は…」

 そこで一度ヤヨイはシュレイの顔を見て、

「無いじゃろうしのぅ」
「………」
「ふむ…後は身体位じゃろうが…」
「…っ!」

 ヤヨイの言葉。
 それにあからさまに少女が動揺する。
 当たり前か。ギルドに所属しているとは言え、その殆どはフリーな働きをする大陸ギルドではなく、しっかりと統制された【 神祇 】で行動していたのだ。それも宗家。そう言った事に触れる機会は明らかに少ないだろう。
 報酬に文字通り“色”をつける様な真似はしないのが【 神祇 】だ。荒々しくないのは結構な事だが。純粋すぎるのも困った物である。
 そこでクラウンが溜息を吐く。

「安心しても良い、とは言わんけどね…こいつは報酬で女性を抱く様な真似はしない男だ」

 後は守備範囲から外れてる可能性が高いから。
 等と余計な事は言わない。この場所で言った場合、シュレイが本気で剣を抜きかねない。
 家の中が荒れる事は勿論だが、何よりヤヨイから折檻されるのだけは勘弁願いたかった。

「フッ…俺は過程を大事にする男だからなっ! 紳士じゃ無い行いはしないのさっ!」
「とまぁ、こんな感じなんじゃよ、コレは」
「…しかし」
「お主の気が晴れんか?」
「はい…あそこまでして頂いて、何も返せないというのは…」
「ふむ…」

 ここまで行くと頑固と言うか何というか。
 ヤヨイが瞼を閉じ、何かを考えるかの様に唸る。せめてもの妥協案を出そうというのだろう。

「………」

 そこでクラウンは嫌な予感に襲われた。
 そこに何か根拠がある訳ではない。
 只漠然とだが嫌な予感の類である事は確かだと感じていた。
 ヤヨイを見ながら、一体何を要求する気だ? と考える。嫌な予感とはきっとこの事で間違いは無い筈だろう。
 シュレイが要求する代わりにヤヨイが考えている事自体が可笑しいし間違っている様な気がしてならないが、常日頃からヤヨイのオーラに当たっているクラウン以外は気づいて居ないだろう。それだけの“光”をヤヨイは放っている。
 そんな光景を見守りながら、はぁ、と小さく溜め息を吐き出した。
 やがてヤヨイが頷き、再び瞼を開いた。

「そうだのぅ…では、」
「はい」
「ちょいと酒を買ってきて貰えんか?」

 嫌な予感的中。

「酒、ですか?」
「うむ。二十本は買って来て貰おう。金は妾達が持つ。それ位出来るじゃろう? 倭国の“侍”?」
「む、それ位…」

 連日大宴会決定。
 朔耶サンもそんなにあっさりと乗せられないで下さい。
 クラウンがコメカミを押さえて呻く。
 確かに相手の自尊心をくすぐり、持ち上げて乗せるというのは上手い手段だと言わざる終えない。しかし、だ。それと大宴会の賛成には直結しない。
 チラリとシュレイの顔を覗き見る。
 シュレイもそれは解っているのか渋い顔をしていた。

「や、ヤヨイ」
「シュレイ、金を渡してやるがよい」
「あの、」
「お主が招いた結果じゃ」
「ぬ、」
「妾がそれを、互いが得する方法で解決してやったのじゃぞ? ん?」
「ぐぅ…」
「では黙って金を持たせてやれ」
「へい…了解ですヤヨイ様…チクショウッ!」

 シュレイが喚きながら金を取り出しテーブルに投げ捨てる。軽く10万はある金額だ。
 総資産も総資産なら、財布の中に入っている金額も異常だった。

「ふむ、気前が良いのう。では朔耶、これを全部使って(・・・・・)買って来てくれ」
「これで、ですか?」
「…量を取るのか味を取るのか、どっちだ大酒飲み。むしろザル」
「…クラウンは反対すると思ったんじゃが…」
「何年の付き合いだと思ってる。酒と茶をこよなく愛するお前が言い出した事だろう? それに、」

 そこで一度言葉を切り、朔耶の方を見る。

「“状況”もあるしな」
「うむ」
「だが、動けなくなる程には飲むなよ? 魔者の身体は基本的にヒトと構成が違うから二日酔いにはならないが、飲めば思考が鈍るのはヒトと一緒だ」
「そこらは弁えているつもりじゃよ、妾は」

 ヤヨイの言葉に頷き、クラウンはシュレイを見た。
 未だすねている様だが関係無い。

「シュレイ」
「何だよぅ…」
「朔耶嬢を連れて酒買って来い。道が分からんだろう?」
「…お前は?」
「俺はお前らが帰ってくる前に昼飯を作っておくさ。何だかんだで、もう正午は回ってるしな」

 ちらりと壁に掛かっている時計を見れば、既に時間は午後一時前を指そうとしている。
 それなりに長い時間を会話につぎ込んでいた様だった。

「うぃ、しゃーないから行ってくる」
「あぁ。飯の量は考慮しといてやる」
「特盛で」
「ん、解った。それじゃ行ってきてくれ…ヤヨイ、調合室の冷蔵庫の方からシェリオンの葉を持ってきてくれ、スパイスに使う」
「うむ。了解した」

 最後の方の会話を聞きながら、シュレイは薬屋の玄関へと向かう。
 後ろには慌ててついて来る朔耶とティッセ。
 シュレイは一度だけ背後を確認すると、その扉を押し開けた。





* * *






「【 死を囁きし鴉 】様、あの…」
「シュレイで構わないよー? それで何?」
「いえ、100万の代価にお酒を買ってくるだけで宜しいんでしょうか…?」

 日中の明るい通りを三人で歩く。
 シュレイの横には朔耶が並び、その少し後ろに、まるで控える様にティッセが歩いている。
 シュレイは朔耶の何処かすまなさそうな質問に対して眉を顰める。

「いや、俺としては別にどうでも良いんだよ、この問題は。最初に言ったじゃん? これはつまり、ヤヨイが朔耶ちゃんの気を晴らす為に出した宿題みたいな物なのよ」
「はぁ…って、朔耶、ちゃん…ですか…?」
「ん? …あれ? 俺何か変な事言ったか?」
「い、いえ…何でも、ありません…すみません…」
「?」

 まぁいいけどさ、とシュレイは通りの前を見た。
 ヒトが行き交い、偶然出会っただろう人達が談笑を交わすシーン。
 それよりも、もっと――もっと奥。
 商店街を抜け、繁華街に辿り着く前に通る道にある路地。
 シュレイは胸中で呟く。
―――未だ生きているのだろうか?
 斬り、爆殺した。それは確かだ。
 普通、生物の中で爆弾が破裂すれば、まず生きている事は無い。この技術を作った者も、シュレイやクラウンに伝授した者も、自分達自身もそれを理解しているからあの場面で使用したのだ。確実に相手を仕留める為に。
 だが、と思う。
 違和感が付き纏っていた。
 ギルドで情報を見るまでは些細な違和感だったが、今では立派な物に成長している。
 これは何度も戦いを繰り返した者が持つ手応えや状況、そういった物から起因する物だ。
 勘に近い物だが、それが下した判断は決して侮る事は出来ないし、してはいけない。見落としは死に繋がるのだ。
 これは戦闘行為にも言えるだろう。刃を見失えばどうなるか? 答えは簡単。死ぬ。
 その見えなくなった、見失った刃を見切るのが情報であり、勘だ。この勘は当てずっぽうに判断した結果ではなく、刃の風きり音や、相手の立ち位置、状態、足の位置、距離、気配の位置、殺気、様々な物から導き出された答えである。繰り返した戦闘は、この情報を即座に身体に反映させて反射的に動かす事を可能としている。
 そんな染み付いてしまった感覚が警鐘を鳴らしている。

 決して油断するな、と。

「…どうかしましたか?」
「んあ? あー、何でもない。ちょいと考え事をな」
「はぁ、そうですか?」

 そうそう、と軽く頷き思考を切り替えた。
 なに、難しく考える必要は無いのだ。
 来るなら斬る。来ないなら追わない。それだけ。
 そして来るならば歓迎しよう。
 加え、憐れもう。
 自分とリリエンタール、そして―――
 あの二人を敵に回す事を。





* * *






「ほれ、持って来たぞクラウン」
「ん、そこに置いといてくれ」

 薬屋の台所にて、軽快に包丁がまな板を叩く音が響く。
 そこに薬剤の調合に使用する部屋にスパイスとして使う為の葉を取りに行っていたヤヨイが戻る。
 ヤヨイはエプロンをつけて包丁を華麗に振るうクラウンを見ながら、先ほどの会話を思い出していた。
 その事が不意に口から出る。

「怒っとらんのか…?」
「ん?」

 聞き返すクラウンに、口に出してしまった事を恥じる様にヤヨイの視線が逸れた。

「…先ほどの事じゃ」
「…何だ…気にしてたのか?」

 野菜を切るリズムはそのままに、しかしクラウンは手元を気にしない様にヤヨイの方を見た。
 羞恥も無く、そこには只眉を顰めて明後日の方向を見据えているヤヨイの姿。
 そんな姿にクラウンが苦笑する。
 あれは不安がっている態度だ。
 不機嫌を表している様な態度ではあるが、しかし微妙にだが瞳が揺れては自分をチラチラと確認している。それなりに先ほど下したお使いに関しての事を気にしているのだろう。
 クラウンはもう一度苦笑すると口を開く。

「別に怒ってる訳じゃないさ」
「………」
「元々は俺とシュレイ…むしろシュレイが原因だし、ヤヨイが居なけりゃ彼女に対しての処遇…っつーのか? それにも困ってたしな」
「そうか…」

 ホッと、小さく小さくヤヨイが溜息を吐き出した。
 普段は見られない仕草に、クラウンの顔に苦笑とは違う笑みが灯った。
 これだからヤヨイは“イイ”のだ。
 彼女は自己を中心にしてはいない。今のがそれの表れ。普段は女王様気質で周りを引っ張っているが、それは何も自分の考えを優先させる為ではない。
 皆を想っての行動だ。
 だから、先ほどの決断が間違っていて、自分の不評を買ってしまったのかと不安に思ったのだろう。
 ヤヨイは自分とは違う、ヒトよりも上の存在である上位存在であるが、しかし―――
 そんな処は本当に自分達と変わらないのだ。
 だから、不意にからかいたくなる。

「感謝してる」
「む…」
「何時もヤヨイには助けられる」
「あ、いや…」
「やはり最高の相棒だよ、お前は」
「―――ぅ…」

 大絶賛の褒め言葉に、ヤヨイの表情がめまぐるしく変わった。
 目はせわしなく動き、胸の前で組まれた指が何度も絡んでは離れていく。加え表情は薄いのに、その頬は赤く染まっている。
 完全にオーバーヒート寸前だ。
 後一押しすれば再起動しなければ動かなくなるだろう。つまりぶっ倒れる。
 それも良いが、やはり不平不満は積もる物だ。

「まぁ、それと同じ位に酒を買ってこさせるお前に俺は呆れたのだがね?」
「―――――」

 くっ、と口の端を歪めて笑う。
 びくんっ、一瞬身体が跳ねる様に動くとヤヨイの動作が一気に落ち着いて行く。
 表情は赤いままだが、腕が落ち、肩が深く深く落ち込んでいた。
 羞恥に顔を俯かせ、普段では絶対に鑑賞出来ない姿を味わう。

「い、意地が悪いぞ…」

 上目遣いに見てくるヤヨイに対して、ニヤリと不敵に笑ってみせる。

「褒めたのは真実だよ。嘘じゃ無い。だけど、何も酒を買いに行かせなくても良かっただろうと俺は呆れてるだけさ。ホントに、俺には過ぎた精霊様なのか…それとも本当に相応しいのか…」

 判らなくなる…。
 最後の言葉を苦笑交じりにクラウンは言う。
 その最後の言葉にヤヨイも微苦笑してみせる。
 そこには既に、先ほどからかわれていた姿は無く、只凛々しくも何処か儚い様な空気を纏ったヤヨイが居た。

「相応しいよ、クラウン。500年、妾がブルースフィアに下ってからその年月を経て、初めて契約したのがお前じゃ。妾が選んだのだ、お前を。それ以上に相応しい者が居るか?」

 ヤヨイの言葉に苦笑する。
 何ともまぁ…

「凄い奴だな、お前は…」
「…ん? 何か言ったかクラウン?」
「いや、何でもないよ」

 自分を高く評価しているのは、目の前に立っているのがヤヨイだからなのか自然と納得してしまう。そして何よりも、そんな自己を高く評価する存在が、他者を何の隔たりも無く本気で評価している事に凄いと、そうクラウンは思う。
 本当に気高いとは、きっとヤヨイの事を指すのだろう。
 本人はそんな事を思っても居ないのだろうが。

「ははっ…っと、切り終わったか。後はこれを炒めて、と…」

 ヤヨイとの会話中、一度も見る事が無かった手元で野菜が全て切られた事を感覚で知る。
 クラウンは一度視線を戻すとフライパンに油を引き、過熱。切り刻んだ野菜を落とし、塩と胡椒で簡単な味付けを施す。
 簡単な調理ではあるが、昼に食べる物であれば悪くは無いだろう。

「…忘れておったが、クラウン。もう一つ訊きたい事があった」
「んー?」

 野菜を炒めながら言葉を返す。

「余所余所しいぞ? 小さな違和感程度だがな…」

 その言葉に、一瞬だけフライパンを持つ手が震えた。
 流石、と言う事しか出来ない。
 これだから最終的にヤヨイには頭が上がらないのだ。
 どんな些細な違和感でも、彼女に掛かれば自分の虚偽は見抜かれてしまう。

「ふむ、やはりか」
「…分かるか?」
「そんな事を言うなら妾もお主が使った言葉を使わせて貰うぞ? 何年の付き合いだと思っている、とな。それで? シュレイも何処か変だったが…何を隠しておる?」
「あー…別に隠している訳じゃ無かったんだがねぇ。只、完全な確信が持てないから言わなかった」
「確信?」
「昨日俺とシュレイが魔獣に襲われたのは言ったよな?」
「斬り殺したと聞いたが?」

 そうだな、と小さく頷く。

「あぁ、確かに。斬り、体内から爆裂させた。確かに殺したとシュレイも思ってただろうな…手配書を読むまでは」
「手配書…?」

 もう一度クラウンが頷き、先ほどギルドで渡されそのままポケットに仕舞ったままになっていた手配書を取り出す。
 綺麗に折りたたまれたそれを、訝し気な表情を見せるヤヨイに渡した。
 折りたたまれた手配書を読んでいるのだろう、ヤヨイの表情が少しだが変化する。
 その顔に表れたのは“疑問”だった。

「…殺したのに生きておったのか? こやつは」
「どんな手を使ったんだか未だ分からないけどな…ま、それが理由だよ。殺したんだが、未だ終わってないだろうって言う警鐘が頭の奥で鳴り響いている感じがあるだけなんだ。もし生きていても、俺は率先して関わるつもりは無かったし。それに、」
「来るなら来るで殺せば良い、か?」
「まぁな」

 面倒だが。
 そうクラウンは付け加えた。

「相手から狙ってくる可能性は?」
「陸の動物も、海の動物も、臭いを嗅ぐのは得意だろう?」
「…ねちっこいのはヒトも魔獣も一緒か」
「倭国では借りを返さずにそのまま逃げたみたいだから何とも言えんが…ヤられたらヤり返すのがこの世の常だ。それに、」

 言葉に出さず、頭の中で言葉を続ける。

 堕界しているお前が居る。

 もしも魔獣が少しの間の邂逅でそこまで“匂い”を嗅ぎ分けているならば、向こうから嬉々として襲ってくる可能性が高い。クラウンという存在に絡みつく、ヤヨイという精霊の匂いを嗅ぎつけて、その存在を吸収する為に現われる事だろう。
 魔獣が吸収した闇の精霊。それの系統上に存在し、尚且つ堕界している高位精霊。
 初めて食した極上の肉を、更に上回る最高の肉があったとして、それを美食家が逃すだろうか? そう問われるならば答えは否であると回答を得る事が出来るだろう。
 故に、もしもあの一瞬だけで嗅ぎ分けられて居たならば、十中八九襲ってくる。

「…この500年、狙われるのには慣れているが…全く退屈せん。お主の傍に来てからは更にそれが加速しておるよ」
「ぬぅ…」

 からかう様にヤヨイが笑い、その口元を歪める。
 八重歯を見せ、瞳に劫火を灯しながら。
 我が前に立ち塞がるならば、その悉くを排除する。
 そんな獰猛な笑みだった。
 普段のヤヨイからは見る事が決して出来ない、刃を持ち、襲い掛かってきた“敵”を斬殺して生き続けた戦姫の笑み。
 クラウンと契約した事で、事実上刃を持たなくなった今でも稀にみせる狂笑だった。
 その獰猛な笑みに対して、クラウンは普通に溜息を吐き出す。
 やれやれ、と呆れる様に。

「自分のパートナーの方がやる気だってんだから嫌になるね、全く」
「別に妾とて、襲われないに越した事は無いと思っておるよ…だがなぁ…その牙が自分の“大切なモノ”に向けられると言うなら己の精神を制御しきる自信は、」

 無い。
 そうヤヨイは断言する。
 大事なモノ。
 それはヤヨイが日々面倒を見ている子供達であったり、この商店街であったり――日常という空間であったり、

 何よりも、肉の交わりよりも深い、魂の契約を交わした者が襲われるのであれば、彼女は徹底的に相手を殺し尽くすだろう。

 冷静に、冷徹に。
 魂が冷える如く。
 絶対に赦さず、殺す。

 勘違いしてはいけない。
 ヤヨイは唯単に美しく気高いだけの魔者ではないのだ。
 敵に回るならば容赦無く殺し、500年を生き続けた魔者。その意味を憶えてなければならない。
 彼女は綺麗なだけの存在ではない、と。
 殺す事を躊躇わず、生に執着した夜の姫。
 倭国の刀術を駆使し、堕界した己の身を狙ってくる襲撃者達の悉くを斬殺した月の魔者。
 まさに彼女が月狂い(ルナティック)の体現者である事を憶えておかなければならない。
 だが、と思う。
 殺人者の一面も併せ持つ存在はしかし、酷くピュアな一面を持ち、子供も好きで、誰しもが頼る姉の様な存在である。
 被っている仮面ではない。
 そのどれもがヤヨイの側面である。

「………」

 だからこそか、クラウンはそんな不安定な存在を心の奥から信頼している。
 殺すだけではない、心から他を想える彼女だからこそ――命を預けられる。

「ま、あれだよ」

 そんな信頼している彼女に苦笑する。

「どんな状況でも、俺達は負けない。だろう?」
「―――フッ…そうじゃな…」

 クラウンの言葉に苦笑し、ヤヨイの表情が何時もの物へ戻る。
 その薄い表情には先ほどまで浮かんでいた狂気は微塵も無かった。

「さて、飯の準備を終わらせてしまおう」
「うむ。そうじゃな」

 棚にある皿を取ってくれ、という声にヤヨイが動く。
 日は未だ天頂。
 影が夜に溶け、闇に成る時間はまだ遠かった。



#5-end






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