共に戦うのは、何時以来の事だったか。
ふと、彼ら二人はそう思う。
奇妙な縁は未だここにあり。
二人の死神は、今もまだ死を振り撒く。

























The duet with the lunar
の精と二重奏(デュエット)を――


Shadow fish.
―影を泳ぐ魚―
#7 夜空と月




















 おんっ!!

 空間を裂き割る音と共に黒い影が世界を奔る。
 夜と言う空間を支配に置きながら、大地全てを使って影の魚は襲い掛かる。

 おんっ!!
「せあっ!!」

―――斬ッ!!

 が、その悉くをクラウン達は斬り捨てて行く。
 誓約の器を握った現在では昨日の様に鱗に対して抵抗を感じる事も無い。
 しかし、それと同時に違う問題が発生しているのも事実だった。

「ハッ! 数が多くて困るねぇ!!」
「全くだ! 嫌になるっ!」
「―――っせい!!」

 斬ッ、斬ッ、――斬ッ!!
 シュレイとクラウンが切り裂いた数は既に十を超え、朔耶も五匹を超えている。しかしそれでも、一向に影の魚は数を減らす事無く狩りを楽しむ様に三人を襲い続けていた。

「【蛍舞い、落ちる燐は大地を焼く】」

―――月燐・七星塵(セヴンデッド・レイ)

 キィ―――ン、と言う甲高い音。
 クラウンが襲い掛かる影の魚を、腰を落とす事で避け、その腕の先に魔術式を展開する。
 左の腕の周りには集束された蒼色の光が一つ二つ三つ――全てで七つの光が展開され、クラウンが腕を振るうと共に七つの光は襲い掛かる敵へと殺到した。
 ゴバンッ、と言う破砕音。
 飛び掛った影の魚が、空中で着弾した光により爆裂を撒き散らしながら逆ベクトルへと吹き飛び、そこへ追い討ちを掛けるが如く残り六つの光が死の鎌を振り下ろす。

 連続して輝く光と轟く爆音。

 まるでそれは大地を穿った天雷の様に耳朶を侵しながら大公園の外までも響き渡る。
 そんな派手な魔術式に目線を細めながら、しかし―――既にクラウンは次の獲物を見定めていた。

「おいおいクラウン。中級術式なんぞ使うなよ。捕まるぜ、っと」
「空中で吹っ飛ばしたから公園には傷付いてない。オッケーだ」
「成る程。そいつは盲点!!」

「【破裂する爆弾の抱擁】」

―――空壊・集気炸裂(エア・ブレイク)

 獰猛に笑むシュレイ。
 その真横から影の魚が飛び掛った時、その死の囁きは放たれた。
 シュレイの左手、剣を持たない手の平に展開されたのは超高密度の圧縮空気弾。それをシュレイは、横から襲い掛かる敵を何でもない様に視線すら向ける事無く、只単に左の手の平を影の魚の横っ面に叩き付けた。

 ゴ、ガォンッ!!

 下手な爆弾を破裂させられるよりも、数段威力のある空気の衝撃が世界を震わせる。
 元の密度に戻ろうとする空気は爆発的な衝撃波となって影の魚の顔面に食い込み、爆裂。まるで針を刺された風船の様に、影の魚の顔面は破裂して吹き飛んだ。

「あぁ、本当に―――辺り一面吹き飛ばしたくなるな…」

 笑い、哂い、嘲笑い、

「【虚空持つ疾風の刃】」

 まるで哀れむ様にシュレイが囁く。
 囁かれた言葉は全てが相手を射殺す為の必殺。
 シュレイが振った腕の先からは高速回転する空気の刃が幾つも射出され、辺り一面に蔓延る闇と言う闇へと精確無比にして無慈悲に放たれた。
 回転、旋回、貫通、破砕。
 闇の中を蠢く影に振り落とされた槍はそれだけで相手の命を霧散させていた。
 その破砕の隙間を縫って、一匹の影の魚が走る。
 クラウンの死角、シュレイの横、と言う位置だ。
 空間的に捉えるなら、それは限りなく必殺。互いが互いをカバーし合えない位置からの必殺に限りなく近い奇襲攻撃だった。
 そこにつけ込み、影の魚が―――

「―――甘い」

―――空で二つに斬殺された。
 ヒィン、と甲高く啼いた刃の閃きは一切の汚れ無き緋色の刀。
 振るわれた刃は瞬時に元の状態―――正眼の構えの位置に戻っていた。
 刀と言う切れ味と同じく、その姿勢は一切の隙無き見事な正眼の姿勢。数多くの剣術流派、その基礎にして基本の攻防一体の構え。

 刀と、そして剣術。

 それが御盃朔耶、最強の武器だった。
 水を司る精霊、ティッセ・バース・【ウィンディーネ】が、朔耶の為だけに与えた美しき緋色の水晶の刀―――妖刀【 緋水晶 】
 そして、その刃を縦横無尽に振るう身体が覚える剣術は、

『ふむ…中々の剣筋』
「天意夢想剣・一刀神威抜刀、及び抜刀から派生する一刀神威闘剣が私の流派」
『…ほぅ、天意剣か』

 倭国最古の剣術流派【天意剣】
 倭国にて一番知られている剣術流派にして、それを極めるには素質を求められる“相手を殺す為の”剣術。それが【天意剣】と呼ばれる流派だった。
 この流派は天意夢想剣と天意陰流に枝分かれし、陰流の方が一層攻撃に特化した流派となっている。朔耶が修める天意夢想剣はバランス良く、しかし殺す事を念頭に置く事は変わらない物だった。
 剣に宿るヤヨイが、楽しそうに笑う。

『その歳でその程度まで極めるなら、お主は見込みがあるよ』

 クラウンが構える先、剣の中でヤヨイは“剣を学んだ者”として感嘆の溜息を吐く。
 剣の中に収まったヤヨイがその知覚能力で知りうる情報の限り、朔耶の腕は外見年齢にしては常軌を大きく上回っている。
 正眼の構えとは、攻撃に特化する訳でもなく、また、守りに特化している訳でもない。まさに攻防一体。しかしそれ故に、ソレを極めようとするなら、特化している型を極めるよりも至難である。
 だが、とヤヨイは思う。
 朔耶の姿勢は見事な物だった。
 頭頂から足元に走る人体の正中線にはかすかな揺らぎ、または歪みすら無く、どの方向に偏っている訳でもない。身体には変な緊張も無く、瞬時に剣を振れる様に筋肉は張りすぎる事も、緩みすぎる事も無い。
 どれ程の修練を己に課したのか、きっと血の滲む様な物だったに違いない。
 彼女が目指している、姉に追いつく為に。

「…お褒めの言葉、素直に受け取っておきます」
『そうしておくが良い』

 クッ、とヤヨイが楽しそうに笑う。
 だが―――と再び黙ったヤヨイはクラウンに意識が伝わらない奥底で思った。
 それでも、未だクラウンとシュレイには及ばないのだろうな、と。
 クラウンとシュレイは剣術を学んでは居ないが、“戦い、生き残る為の術”を学んでいる。
 一から剣を扱う型を覚え、それを洗練させて究極を得るのではない。
 戦い、戦い、戦い抜く事で、己を磨き、無駄を削り、極致へと辿り着く。それがクラウンとシュレイが歩んでいる道であった。
 クラウンの剣を低く構える姿勢も、シュレイの剣をだらりと下げている姿勢も、アレは戦いの末に得た姿勢の一つである。
 剣を学んだ者は最初、それを見れば型も出来ていない未熟者と思うだろう。
 だったらその眼前に立ってみろ、とヤヨイは必ず言う。
 下手な型よりも、余程安定した状態。崩れている筈の姿勢はしかし、見れば見るほどに一部の隙すらも存在しない。そして―――喉元に刃が常に添えられている様な、濃密な殺意。
 剣を学んだ者として、それ程の者の傍に居れる事をヤヨイは純粋に愉しんでいた。
 一体、どれ程まで強く、先に進む事が出来る様になるのだろう、と。
 そこまでヤヨイが考えた時、その意識を引き戻す様にクラウンが声を出した。

「おかしいな…」
「そうだな。こいつは異常だ…どう思うよ?」

 クラウン達が見る先、影の魚はシュレイの攻撃によって一時的に壊滅させられたにも関わらず、再び影が蠢くと同時に出現する。
 殺しても殺しても後から後から湧いて出てきたのならば、こちらが如何に戦力として優れていようともやがては魔力が底をつき、疲弊して戦えなくなる。

「推測なら幾つかあるが…」
「流石。アズイルの次に頭が良いクラウン。惚れるね?」
「ハッ――道化みたいな事を言うなよ。お前もある程度は解ってるだろう?」
「ハハ…まぁねぇ…」
「お二人とも、出来れば私にも解る様に話して欲しいのですが…」
「ん? あぁ、悪いな。シュレイと喋ってると相手が大体の事は理解している気分になっちまうんだ」

 そこまで言って、クラウンは闇の中を見据える。

「推測として考えられるのは、
 1.相手は元々複数体であり、只単に数が多いだけ。
 2.複数体である事は変わらないが、超再生能力により死なない限りは復活する。
 そして3番―――」
「あの影の魚は術式攻撃であり、本体は別の所に存在する…だろう、クラウン?」

 あぁ、と頷く。
 1番の只単に数が多いと言う選択肢。
 それはそれで納得が出来る状況ではある。しかし、相手が群れであるならば、今まで“狩り”を行う際に一々一体で襲い掛かっていた説明が出来ない。群れと言うのは数の暴力によって相手を封殺し、狩る事こそが利点だからだ。
 次に2番。これも納得は出来るが、理解出来ない状況がある。それは再生しても、一向に勢いが弱まらない事だ。生物、一度自分の予想を上回って行動されれば警戒心が働くのは必然だ。それが相手には一切見られない。
 故に3番。それこそが一番納得出来る解答だった。

「しかし、本体が在ると言うならば一体何処に…」
「あるだろう? 誰からも攻撃されず、発見されても手出しが出来ない場所が目の前にさ」

 それは究極の隠形。
 解ったとしても絶対手出しが出来ない領域。
 それは、

「影の中…ですか…」
「だろうねぇ。空間干渉系の魔術式か、圧倒的出力による大破壊じゃなきゃ相手にゃ届かない位置。正数空間から虚数空間に攻撃が届かないのを利用して、ずっと潜ってるんだろう」

 自分の絶対的有利を保持しながら。
 途中で引いたりしたのは、戦う時間が長引く事により手の内がばれない様にする為だろう。何と狡猾な事か。

「相手が影の中に潜んで居るなら、どうやって斃しますか? 高位魔術式なら、この“位置”からでも“相手の位置”までダメージを与える事は出来るかもしれませんが、そうなると後々処罰を受ける事になりかねません」
「相手も頭が良いねぇ…いや、偶然かもしれないけど、こちらが全力を出せない様に街の中で戦ってるんだから」

 本当に厄介極まりない、とシュレイが笑う。
 空間干渉の魔術式は、所謂“影響力”が高すぎるのだ。
 空間干渉系は【 空 】を司るリリエンタールと契約しているシュレイも使う事は出来るが、その全てが上位認定を受ける物である為、使って相手を斃すのは良いが後々捕まりかねない危険性を含んでいる。
 そして何より、本来の意味で空――大気を操るのが本業のシュレイにとっては、より高い魔力コストが求められる。故に、この場で空間を操る事に特化した者は居ないのだ。
 だが、シュレイは楽しげに笑いながらクラウンの方へと視線を動かした。

「で、クラウン。策は?」
「…いきなりだな」

 空間干渉は出来ない。ならば他の手段を用いればいいだけだ。
 そう言う様に、朔耶が見守る先でシュレイはクラウンへと話を振る。

「お前なら出来るだろう? 何せ相手は“闇”の属性だ。“月夜”であるヤヨイを宿しているなら、お前が相手に対して解決策を持っているのは道理だと思うがね?」
「―――…まぁ、元々やるつもりではいたがな…アレだ」
「何だよ?」
「これが、“今から宿題をやろうとして、親に宿題をやれと言われている気持ち”なんだろうな」

 懐古だ、とクラウンが昔を懐かしむ様に笑う。
 それは感じた事の有る様な、無い様な感覚だった。
 クラウンの年齢は21。その年齢で薬屋を経営しているなら、あるいは想像出来た事だろう。
 クラウンに、生きた親族はクラウンが知る限り(・・・・・・・・・)は居ない。
 父と母と妹が居たが、両親は事故死。妹は行方不明と言う名の死亡扱いを受けている。
 それはクラウンが十歳になる前の事。だから、クラウンにとっては『母に叱られて』『父に怒られて』と言う感覚は酷く希薄だった。
 それを悲しんだ事が無いと言えばそれは嘘になるが、クラウンにとってはとっくの昔に決別した過去。やはりそれは“悲しむ”では無く、“懐かしむ”感覚だった。
 シュレイはそんな過去を懐かしむクラウンに苦笑する。

「良い経験になっただろう。だったら頑張れ」
「まぁ、解決策の根本は俺とヤヨイがやってやるが、相手を仕留めるのはお前と朔耶に完全に任せる事になるぞ?」
「ハッ――お前がその気になれば(・・・・・・・)やってやれない事は無いだろうが。ま、見せ場は俺と朔耶ちゃんが掻っ攫うから安心しろ」

 任せる、と笑い、クラウンは特殊な術式をヤヨイへと申請する。

『まぁ、確かに“これ”を使えば役立たずになるかのぅ』
『だが、相手を引き摺り出すには最高の魔術式だろう?』
『そうじゃな…そう、“其の世界の中では、妾の司る属性の一切が使用出来なくなる”のじゃから』

 二人は不敵に笑い、

「【真空の様な虚無の穴―――在りし場所に、其れは無く】」

 その術式を、世界へと解き放った。

―――空間封鎖式・虚構・新月結界(カレンダル・プリズナルエア)

 瞬間、世界が凪いだ。
 術式が世界を駆けぬけ、四方八方、約五十メートルまで広がり景色へと溶け込んで行く。
 結界型魔術式と呼ばれるそれは、正しく世界を結界によって区切り、限定空間に限って力を行使する特殊な魔術式である。
 それが景色へと溶け込み―――変化は訪れた。

「ギゲッ!」
「ガッ!!」
「ビンゴ。どうやら三番目の推測が正しかったらしい」

 復活し、影を泳ぎ始めた魚達が、まるで窒息する人間が最後の悪あがきにもがく様な声を出して“世界に投げ出された”のである。
 投げ出された魚達は影に潜る事も出来ずに“陸の上”に打ち上げられた様に苦しみ、もがき、のたうち、停止して―――まるで空気に溶ける様に消えて行く。

 空には黒い月が一つ。

 そこは紛れもないヤヨイの支配する新月の世界。
 月と闇を司る概念精霊・ヤヨイが許可を下さなければ、彼女の存在より下の者は、その“属性に関しての権限”が剥奪される世界だった。

「―――本体が出てくるぞ、構えろ」

 刃を全て術式行使へと向けるクラウンが二人へと告げる。
 今のクラウンに、他の魔術式を行使するだけの力は無い。
 新月結界――カレンダル・プリズナルエアの中では、使用者を含めた(・・・・・・・)全ての、月と闇に関する魔術式を停止してしまう。故に、今のクラウンはヤヨイによる身体能力加速も一人で使う程度の加速へと戻り、刃の切れ味すらも落ちている状態。まさしくヤヨイが言ったとおり『役立たず』の状態だった。
 だが、確かにそれだけの効果はあった。

 ゴボンッ

 巨大な気泡が影から出て、続いて闇と言う名の水面が罅割れた。
 ヤヨイの支配が“深海”に潜む相手にまで届いたのだ。
 そして罅割れた世界は―――決壊する。

「ッ! 後ろに飛べ!!」
「っく…!!」

 シュレイの声と同時、ソレは現われた

「GyaaahhhhhhhhaaaaAAAAAAaHHHAaahhhhhhhhhh!!」

 闇の泉より追い出された影は水面を割って飛び出してくる。
 ズルズルと、ずるずると、ソレは闇を巻き上げながら空へと駆け上った。
 その全長――約三十メートル。

「―――…あー…いやいや…マジ?」
「な…アレは、幻想種…?」

 ソレは幻想種と呼ばれる生き物だった。
 穴の開いた空を背に受け、その大怪魚は怒りを露に人間達を見下ろす。

「おいおいクラウンさんや、ワシの記憶が確かなら幻想種…この場合幻獣は魔獣化しないと思ったんだがねー…?」

 幻想種と呼ばれる者達は総じて高い知能を持ち、ヒトと同じ様に思考する事が可能な生物である。また、それ単体で完成された生物に限りなく近い彼らは瘴気の影響を受ける事が無く、彼ら幻想種の中には死後をエデンにて神霊として暮らす為の“神格”を保有する者等も居る。ヒト以上に瘴気の影響を受けにくい生物なのだ。
 が、シュレイが見上げる先に居る幻想種――獣である為に幻獣と呼ばれる魚は眼が濁った赤色をし、敵意を剥き出しにしていた。まさしくそれは、思考を剥奪された肉と魂だけの存在――魔獣だ。
 そこにどんな経緯があったのかは分からない。
 しかし、眼前にある物こそが事実であるのは確かだ。
 空に浮くあれこそが、今この場で斃すべき敵だった。
 そして、ふと、アレは何の幻獣だったかとシュレイが思い、

『エア・サーペントだな、あれは』

 己が握る魔剣から、その声は響いた。

「あ? 知ってるのかリル」
『大怪魚とも呼ばれる幻獣サーペントの、飛行能力と大気活動を可能とした別種だ。気性は荒い方だが、こちらがどうこうしなければ襲ってこない奴の筈、なんだが…』
「魔獣化してちゃ、意味は無い…と」

 いやいや、中々大物が出てきたもんだね。
 苦笑しながら、シュレイは視線だけを隣の朔耶へと向ける。
 朔耶が見つめるのは一点。只、討ち斃す敵のみ。
 そんな姿にシュレイはもう一度苦笑して、空に浮かぶ王者を見上げた。

「朔耶ちゃん、ちょいと良いかい?」
「…何ですか?」
「あぁ、俺があの空に浮いてるデカブツを叩き落すから、止めを頼んでも良いかなっ、と提案をしてみる」
「―――出来るんですか?」

『誰に言って』「るのかな?」

 リリエンタールとシュレイの言葉が重なる。
 それは、底冷えする様な殺気。
 向けられているのは空に浮かぶ魚、な筈なのに、まるで鋭利な刃を眼前に突きつけられた様な感覚。
 朔耶は己の失態に気付く。
 隣に立つのは誰だ?
 SSランクの、Aランクの自分とは違う洗練された事象操作騎士だろう。

「―――失礼を」
「ま、良いさね」
「止めは任されましたので―――存分に」
「あぁ」

 口を吊り上げながら、シュレイは一歩前へと進む。
 背には自分を信じる朔耶の視線と、適当に頑張れと言わんばかりのクラウンの視線。
 期待には応えましょうか、と心中で呟き―――リリエンタールがそれに頷く。

「【漆黒は空を翔る力を与えん】」

―――天駆・想空黒翼(ブラック・エアライド)

 鴉の羽、堕天使の羽を展開させ、シュレイが軽く地面を蹴った。そして一回の羽ばたき。
 そのたった一回の羽ばたきで、盛大に風を巻き上げながらシュレイは空を駆け上がった。
 高度は約二百メートル。
 カレンダル・プリズナルエアの外で、シュレイは敵と相対する。
 眼前に佇むのは空の獣、生まれながらの王、幻想種。
 そんな相手にどんな攻撃が通用するのかと口の端を吊り上げ、

 瞬間、サーペントの身体が高速で空を駆けた。

「―――ッハァ!!」

 大気を裂く身体の流動。突進と言う名の刺突攻撃を、シュレイは身体を捻り、強く羽ばたく事で回避。それと同時に息継ぎとも、感嘆の溜息とも判断出来ない声を上げた。
 背面に超高速で流れる大質量の脅威を感じながら、シュレイは剣を握る手に力を込める。

「【空の加護を】!!」

―――斬加・斬鋭閃(シャープエッジ)

 突進を躱した瞬間に発動したのは斬戟強化の術式。灰色の濁った刃を覆う薄い光。脅威を背面に置き、シュレイは更に身を捻ってそこへ刃を振り落とす!

 ヒィ――ギィィンッ!!

「ッつぁ!?」

 だが、それはサーペントが纏う鱗に阻まれ、弾かれた。
 高速で突進し、そして離れる空の魚を見据えながら、シュレイは痺れている己の手の感触を確かめて毒づく。今のは失敗だったか、と。
 高速移動する物体の上面に対し、垂直に圧力が掛かった時、その圧力はどうなるか?
 簡単だ。高速移動する面の摩擦によって圧力が流され、結果弾かれる。今の場合であれば、せめて剣だけでも力の流れに対して垂直ではなく、平行にしておくべきだった。

『平行に攻撃を入れたとしても、だ…そんな物では時間が掛かりすぎるぞ? 現在は身体能力加速に加え、飛行と斬戟強化にも魔力を裂き続けている。ちまちまと針を刺す様な真似をしていては、こっちの方が先にへばるぞ?』
『はぁ…全くもって嫌だねぇ…体内から魔術式を炸裂させてやりたいが、相手さんは高速で動く。剣が深く刺さらないから表面だけ吹き飛ばす事になっちまう。あぁ言う相手は内側が弱点と相場が決まってるんだけど、この手は使えないし…』

 駄目だねこりゃー。
 苦笑して、蛇行しながら空を駆けるサーペントを見据える。
 速い。
 蛇、と言う表現が正しい様に、空を這う様に迫る大怪魚は超高速で左右に頭を揺らしながら迫る。
 右から来るか、左から来るか―――

「下かよっ!」

 瞬間、蛇は一度下方へ潜る様に勢いをつけると、シュレイを真下から噛み砕こうと駆け上がってきた。反射的に身体を横へ投げようとするが、遅い。

「チィッ!!」

 突進が掠める。
 空中戦と言う状況を失念していたのが災いした。地面を蹴って動くよりも、羽ばたきは上下運動を必要とする為に一つだけモーションが多い。故に、シュレイは掠めたと言っても大質量である衝突と、通り過ぎる時の突風で煽られて吹き飛んだ。

『シュレイ!』

 リリエンタールの念が頭に響く。
 身体の中を徹った衝撃は、瞬間的に意識を刈り取っていたらしい。掠めてから数瞬の間の記憶が見事に飛んでいた。
 身を重力落下に任せながら、シュレイは頭を振って意識をはっきりとさせる。
 視界良好、状態―――が打撲程度なのは僥倖か。

『…大丈夫大丈夫。痛いのは慣れてるから』

 油断したなぁ、と小さく呟いて見て―――

「あー、だけど今ので本来のスタイルを思い出した」

―――その悪虐な笑みを浮かべた。
 あぁ、そうだったな。とシュレイは“最近”の記憶を思い起こす。
 旧大陸へと渡り、魔獣と戦い、過去の遺物を発見する日々。別段それは悪くない。楽しいし、充実した日々であるのは認める事が出来る。だが、全力で戦ったのは何時以来だったかと、ふと思ったのだ。
 そう、魔獣と戦った処で、それは自分にとっては雑魚。
 最後に裏切り、自分に襲い掛かってきた馬鹿共が居たが、それも雑魚。
 最後に全力を出したのは――そう、

『二年前に子爵級瘴魔と出遭った時が最後だったか…』
『………シュレイ』

 思考が漏れた処で、リリエンタールからの思念がシュレイへと届いた。

『んー?』
『ここで全力を出そうと思うなよ? お前が術式を申請しても、私は許可せん。こんな場所で極級術式なんぞ放てば街の一部が消し飛ぶ(・・・・・・・・・)からな』

 それは注意する、と言うよりもありのままの事実を話している、と言うのが正しかった。
 リリエンタールは別段正義感が強い訳では無い。むしろ条件が揃い、必要があれば街すら術式で消し飛ばすのを躊躇しない。
 逆に言えば、条件が揃わなければそんな事は絶対にしないのだが。
 そんなリリエンタールの思念にシュレイは不敵に笑むと、再び漆黒の翼を広げて落下を滑空へと変えて加速を始めた。

『極級術式なんぞ使わないよ。只、これが終わったらクラウンと三日四日魔剣無しでの全力戦闘訓練をやりたいなぁ、とか思っただけだし』
『フン、そうか。分かってるなら別に良い』
『まぁ―――違う術式なら使うんだけどね』

 くっ、と笑い、シュレイは加速を続ける自分に対して、同じ様に追いかけてきたサーペントへと視線を向ける。紅い濁った瞳をこちらに向け、自分と言う獲物を追いかけてきている。

 思考能力が未だ残っていたとしたら、クラウンが結界を発動した時点で逃げていただろうに…。

 そう哀れみ、シュレイはベルトの背部につけていたホルダーの中に納めてあったナイフを一本抜く。
 もしも思考があったのなら、相手は自分の術式が封印された時点で逃げていただろう。自分の手が封殺されて、なす術無く殺されると言うのは馬鹿以外の何物でもないからだ。
 相手を殺す事が目的なら、それこそ意地でも生き抜くべきだ。
 そうシュレイは思う。
 だから、本来であれば“あの時点”で逃げるべきだったのだ。
 クラウンの封印結界は二通りあり、そして範囲系である今回の術式は範囲から逃れられれば術式を行使出来るようになる。そして範囲から逃れ、再び闇の中に潜り、次の機会を待てば良かった。

「呪え。自分が魔道に堕ちてしまった事を」

 囁きながら、近付いた地面を見据える。
 シュレイはタイミングを合わせる様に角度をずらし、大地への侵入角度を整えた。
 風を支配下に置き、己に掛かる風圧を軽減。風が自分を避ける様に流れながら動き、その世界を割ってシュレイは空を疾った。
 それは放物線を描く様に飛び、やがてシュレイは地面と平行に飛ぶ。地上から約三メートルの位置だ。そして、急制動。

「今から叩き落すぞ!」

 そして、全力で追って来る相手に対して、立ち向かう様にシュレイは再び上昇した。
 見据えるは濁った眼光。
 禍々しい瞳。

「【世界を穿つ扉を前に】」

 起動詞を唱え、しかしシュレイは待機状態に止める。
 今は、発動の時ではない。
 ナイフを強く握り締め、そして―――

 交差。

 ゴウンッ!!

 超重量の物体が真横をすれ違う。
 発生した風を自分の支配下に置く事で軽減し、真横に鱗の壁を見据えながら、

―――――――――抜け切った。

『大地に対しての安全距離は?』
『百でも心配だが…何、中てればいいだけだ』
『ッハ! 上等!!』

 そして風の如く駆けるシュレイにとっては百と言う距離など短い物だった。
 バンッ! と大きく漆黒色の翼を広げて勢いを殺し、高度百メートル前後で、停止。
 身を捻り、天に背を向け、眼下に大怪魚を捉え―――

「じゃぁな」

―――溜め込んでいた全てを解き放った。

―――電磁展開・仮想砲身

 死を囁いたと同時、術式方陣が眼前に幾つも直列した。
 シュレイはそこに、今まで握っていたナイフをそっと落としただけ。
 だけ。で、

 一筋の光条が流れたと思った瞬間―――サーペントの身体の中心辺りが吹き飛んだ。

 電気による誘導、と言う物がある。
 電気に方向性を与えると、それに対して力場が発生すると言う物だ。変動する磁束の中を横切る導体に対して電位差が生じる現象を電磁誘導と言うが、シュレイの放った攻撃はソレを応用しての攻撃に他ならない。
 大気摩擦を利用しての電界形成。それを術式方陣として直列待機させる事で仮想砲身を作り出し、シュレイはそこに“導電体”であるナイフをセットした。
 ナイフは仮想砲身を通る瞬間、余りの高電圧との間に発生する電気抵抗によって蒸発を始めるが――数十メートルの距離。何とか保つ事が可能だ。
 そうしてプラズマ化を始めたナイフは音速の約六倍程度の速度で射出され、着弾。
 大破壊を撒き散らした。
 これを通常の生物が受けたのなら跡形も残らないだろう。
 音速の六倍と言う衝撃を受けて、原型を保っていられる方が馬鹿馬鹿しい。
 そんな馬鹿げた攻撃、それこそがシュレイ・ハウンゼンスの手札だった。
 しかし、

「流石は幻獣か…」

 その大怪魚は生きていた。
 身体の中ほどを完全に失いながらも、落下を続けながらも、それは未だ生きていた。
 何という生命力か。賞賛に値する生命力だ。
 しかし―――その生き残ってしまった生命が待つ先には、剣の化身。侍。









 御盃朔耶はシュレイ・ハウンゼンスが“何かをして”相手の胴体を吹き飛ばしたのを見ると同時に、今まで握っていた刀身を納刀し、その姿勢を落とした。
 瞼を落とし、世界から一切の光による情報を排し、心を一つに研ぎ澄ます。
 その心の奥で、凄い、と感嘆の溜息が吐き出された。
 まるでそれは少年が強い者に憧れるような感情。少女が美しい者に憧れる様な、そんな感情だった。

 一切の凪の中で、朔耶は精神を一本の刀に模して研ぎ澄ます。

 もしも感情を爆発させていたなら、自分は乙女の様に目をキラキラさせながらはしゃぐのだろう。
 だが、それは置き去りにした感情だ。
 故に朔耶は感嘆の溜息を吐き出し、しかしその憧れを掴む為に精神を研ぎ澄ます。
 目指すのは姉。
 だから、自分は今のこの感動を忘れない為に、己の中に湧いた熱を全て、全身全霊の一撃にして解き放つ。
 その果てに、姉や、シュレイが居るのを信じて。

 轟、と響く落下音。

 それが聞こえても尚、心を、只一心に研ぎ澄ます。

「【水は万物を統べ】」

 研ぎ澄まし。
 まだ。
 研ぎ澄まし。
 まだだ。
 更に研ぎ澄まし。
 もっと。
 研ぎ澄まし。
 研ぎ澄まし。
 研ぎ澄まし。









「ッ!!」

 開眼―――発動

―――纏威・万象斬隙

 全てを込めた抜刀の一撃を、頭上に向かって叩き込んだ!!

 ヒィ――ィ  ン ン――

 始めに聞こえたのは、余りにも鋭い斬戟が空を断ち切るだけの音。
 まるで世界が停止した様な静寂が瞬間的に訪れ、そして、

 ドシャンッ!!!

 大怪魚が真っ二つに弾け飛んだ。

「っ―――は、ぁ―――…」

 真っ二つに裂けた怪魚は朔耶を避ける様に、彼女の左右に綺麗に落ちる。
 その真ん中で、時間差で降り注いだ血の雨を浴びながら、朔耶は天に舞うシュレイを見上げていた。今は既に通常の月へと戻ってしまった天の空を背負って舞うシュレイを。
 その影に『何時か追いつきます』と胸中で呟き、侍少女は血のついた刀を払い、その鞘へと納めたのだった。



#7-end






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