語られなかった物語がある。
それは少女の物語。
父を、人間に殺された、ラビトニアの少女。
その少女と、憎むべき人間である筈の男の話。
又は、
人を信じれぬ少女と、信じている少女の話。


























The duet with the lunar
の精と二重奏(デュエット)を――


Rabbit's hometown.
―兎の故郷―
#6 少女の願い




















「…ぐぬぅぉぉ…!?」

 スゥが発した大音量の念によって、背後に振り返ろうとしたクラウンは滑って転んでアイタタタ。もう少し説明を加えるならば、狭い路地で転んだお陰で体制を立て直す前に壁へと頭を強打し、それのお陰でこめかみ辺りを擦ったまま路地裏の地面に倒れこんだのだった。
 無様に地面を転がるクラウンを見つめるのは、競り落とした奴隷の少女。
 その瞳は先程放っていた殺気に困惑を混ぜて現在クラウンに注意を傾けている。

「ぐ、くぉ…脳が痛い、こめかみが痛い。ダブルで痛い…!」

 スゥの大絶叫で脳を揺さぶられたクラウンが、やっとこさ体制を立て直して立ち上がる。黒い結界装甲は路地の泥で汚れ、そこにぽたぽたとこめかみを伝って落ちる血が点々と跡を作る。

『自業自得! 変な事をクラウンが言うからよっ!!』
「変な事ってなんスか…」

 あぁ痛い。
 下位治癒術式をこめかみに使いながら、クラウンはデバイスの中のスゥに問う。

『『これからどうなると思う?』なんて、そのまま、え、えっと…』
「…エロイ台詞?」
『そ、そうだと思うじゃない!!』
「いや…むぅ…そんなつもりは無かったんだけど…ねぇ…?」

 治癒の光が消え、傷が消えたのを触りながら確認する。その上で、クラウンは結界装甲の袖で未だ乾かぬ血を拭った。これで取り敢えずは話を出来る状態程度にはなった筈。そう判断をつけると、未だ戸惑いの視線を向ける少女に視線を合わせる。

「…ごほんっ。いや、見苦しい処を見せた。そうだな…先ずは自己紹介をしよう。俺はクラウン・バースフェリア。それでこっちが―――」

 少女から視線を外し、己のデバイスに視線を向ける。
 と、同時にデバイスからは光の粒子が溢れ、人の型を形作った。
 無論そこから現われたのはスゥ。
 デバイスの中に入っていた為か、再びコートを纏った少女が出現する。

「私はスゥ・ディ。クラウンの魔者をしてるわ。宜しくね?」

 ぺこり。
 礼儀正しくスゥが頭を下げた。
 それだけ。
 それだけが、少女の表情に著しい変化を与えていた。
 何が、と思考し、一つだけ思い当たる。

「あぁ、一つ言い忘れてたな。俺は“西側”の人間だ」
「西…側…?」

 そうだ、と少女が始めて発した声に頷く。
 簡単な事だ。
 少女は知らないのだろう。魔者と仲良くしている人間と言う存在を。
 だから、スゥが普通にクラウンの横に並んで居る事に驚いたのだ。

「まぁ、驚いてるみたいだが…そうだな…」
「クラウン?」
「ここじゃ場所が場所だ。色々聞かれる可能性がある。と、言う事で…」

 俺達が宿泊するホテルに行こうか?





* * *






「あぁクラウン帰って――どんな犯罪を犯してきた」
「部屋に入っての第一声がそれかコノヤロウ」

 ホテルの一室。
 本日宿泊予定の部屋の扉を開けた瞬間、アズイルからの一声がクラウンの眉を顰めさせた。
 本当に失礼な奴だ。

「ふむ? また厄介事に自分から首を突っ込んだな?」
「別に厄介じゃ無いっての…只、」

 言いながら親指を背後に立つ少女に向け、

「奴隷商から、この娘を買い取って来ただけだ」
「…値段は?」
「520万」
「……今回、俺の護衛に関する報酬の9割を? 聞いた奴隷一人の相場は50万前後だったと思うがな。一体何をすればそんなに値が張る奴隷を買う事になる」
「それはだな――っと、スゥ」
「うん?」
「ちょっとアズイルと二人で話がある。二十分位外で待っててくれないか」
「構わないわよ? それじゃ出ましょうか」
「………」

 少女がクラウンの言葉――と言うよりはスゥに言われて一緒に部屋から出て行く。
 パタン、と閉まるドアを眺めながら一人『根深いな…』と胸中で

「あれは根深いな」
「………」

 考えていたのは同じだったらしい。
 やはり彼は、観察眼、思考能力、共にずば抜けている存在だった。
 苦笑しながら再び振り返って、向き合う。

「さて、それで詳しく話してくれるのだろう?」
「あいよ。まぁ、二人が交友を深める二十分の間程度でな」





* * *






「…あの」
「何?」

 始まりの言葉は意外にも少女の方だった。
 スゥは壁に寄りかかりながら、少女の言葉に返事を返す。

「…私を放置しても、良かったんですか…?」
「……あー…そう言えばそうだったわね。今逃げられたら、多分捕まえる事は出来ないだろうし…」

 忘れてたわね。
 小さくスゥは呟く。
 少女は術式の封印と、魔力霧散回路を打ち込まれては居るが、誓約者が居ないスゥよりは確実に足は速い。逃げようとすれば確実に逃げ切れる状況だ。
 しかし、

「まぁ、クラウンは逃げる可能性も踏まえて放置したんだと思うけど…」
「…逃げる可能性、を…?」

 多分ね。
 そう返しながらスゥは頷く。

「クラウンはルルカラルスの出身だから。こっちの人間みたく、異種…こっちでは亜人って言うんだったかしら? まぁ、貴方達を束縛する様な気はさらさら無いのよ。それに結構お人好しだしね。私の時も状況が拙くなるってのもあったけど、確り助けてくれたもの。だから、きっと、貴女が人間なんか(・・・・・)と一緒に居るのが嫌だと思って逃げるなら、クラウンに引き止める気は無いんじゃないかしら?」

 まぁ、それは私もなんだけど、と付け足しておく。

「でも、逃げるなら逃げるで、もう少し待った方が良いわよ?」
「………」
「私、少しこっち側を見て回ってみたけど…駄目。こっち側で生活するのは止めた方がいい。せめて、西側に移動してからにしなさい。こっちに残ったままだと、まともな生活なんてきっと出来ないわ」

 だからここで逃げるのは止めなさい。
 忠告、と言うよりもそれはむしろ懇願に近かった。瞳に映る光は確かにそれを物語っている。少女の身を案ずる様な、不安に揺れる色を。
 少女は只、その言葉に溜息を吐いて背後の壁に寄りかかった。

「…私は、」
「…うん?」
「私は…別に逃げるつもりはありませんよ…。只、私は不思議なんです」
「不思議…?」
「はい…ヒト…人間も、亜人も、住む場所が違えばこんなにも違う存在になれるのかと、私は不思議なんです」

 少女が息を吐き、視線を動かす。
 瞳に意志の色は無く、それは過去を見る様な虚無的な光を宿して天井を見上げる。

「子供の頃は、幸せでした。本当に何も無い集落でしたけど、父も母も居て、友達も居た。毎日泥に塗れながら遊び、母と一緒に料理をしたり畑を耕したり、父に狩猟の仕方を聞いては危険だからと窘められる。そんな昔は、とても…幸せでした」
「………」
「それがあの日、変わってしまった。変えられて、しまった…!」

 ぎゅ、と――着せられた服を握る。
 憎むべき“仇”に着せられた服を。

「不公平じゃ無いですか…何で、私達は、何もしてないのに…どうして――」

 それが、己の身の内に秘める闇か。
 少女の横でスゥが気付かれない様に溜息を吐き出した。
 本来語られるべきではない内面の一部分。隠しておかなければならない闇。身に溜めた泥を吐き出してくれたのは、きっと人間では無いからだろう。
 魔者。上位存在。高貴なる者。そして―――便利な演算装置。
 同類。同種。そう少女が思っていたからこそ、スゥに語ったのだろう。
 誰も信じられない様な世界で溜め込んだ闇を。

 世界は不平等だ。

 そう言ったのは誰だったか。
 スゥ自身も、その“不平等”な不幸でブルースフィアへとやって来た。理不尽な呼び出しに存在を引き摺られて。
 だが、自分は運が良かった。
 本当なら喰われ、魔獣を構成する一部に成り果てていた筈が、クラウンとヤヨイに出会い助けられ、今では彼らと共に暮らしている。そして、自分はそんな状況がこの上なく幸福だと思えている。

 だったら? 自分は何をするべきか。

 彼女を励ます、色々な生き方がある事を教える? 違う。そうじゃない。
 欲しいのは、そんな言葉では無い。
 傷を負った者が欲しいのは、同情ではない。
 確かに一時は心を癒されるかもしれない。しかし、それは根本的な解決には繋がらない。
 俯くラビトニアの少女を見ながらスゥは考える。
 自分は、クラウンとヤヨイにどうして貰ったのか?
 そう、そうだった。
 きっと欲しいのは、

「ねぇ?」
「…はい?」
「貴女は、これからどうしたい?」

 望みを聞き、それに協力する。
 只、それだけ。





* * *






「ふむ。まぁ、結局はお前の金だ。これ以上どうこうは言わんよ。俺は」
「あぁ、そうしてくれ。これからルルカラルスに帰ったら、お前よりも強敵を相手に言い訳をしなければならないんだ。これ以上はご勘弁願いたいね」

 あー、やっと説明終わったー、と溜息混じりに言葉を投げながら、クラウンが思いっきり身体をベッドへと投げ出す。対してアズイルは苦笑しながら、掛けていたソファに深く腰を落とした。

「しかし、」
「――あん? 何だ?」
「人の命を買う、か…」
「………」

 アズイルが、フゥと息を吐き出し、
 クラウンが手を、翳した。
 しかし、見ているのは手ではない。
 その向こう。
 過去の情景。

「あー…駄目、駄目だ。もう駄目。俺は寝る。思考が悪い方に傾き出した。故に寝るぞアズイル。っつーか、何故いきなり暗い部分を話したがる? もっと精神衛生に良い事喋れよ」

 絡み付いてきた過去の情景を無理矢理振り解き、クラウンは思考を再起動させる。
 堕ちかけた穴は、酷く昏い穴だ。
 あの暗がりに飲まれたら、それこそ何処までも思考を働かせてしまう。無論、マイナス方面で。

「悪いな。職業病だ」
「…嫌な職業病だな…」
「上に立つと、どうしても前向きなだけでは事を進められなくなる。常に最善と最悪を同時に想定しておかねばならん」

 全く、難儀な物だ。
 アズイルはそう言いながら呆れの笑みを浮かべた。

「で、だ」
「あん? 何だよアズイル」
「彼女をどうするのだ?」
「………」
「心はあの状態だ。“同じ人間”である俺達と共に西側に渡ってくれるかも判らない。かと言って、せっかく競り落としたのにこちら側に置いて行けば、目聡く“奴ら”は回収に乗り出すぞ? 再利用、だとでも言ってな」
「…去るなら追わないつもりだが…まぁ、逃げるなら一声掛けようとは思ってる。後は、西側に渡って戸籍やらを申請して――メルサイアス、かな?」

 メルサイアス――異種中心国家。
 人間と異種が共に暮らす西側の中で、異種が中心となり国を形成している。
 国の中では各種族によって領土が割られ、幾つかの領域が出来上がっており、共和国として機能している国でもある。

「ラビトニアの領土は――」
「メルサイアス東沿岸部だな。トルストイにも近い。ふむ、西側に連れて行くなら妥当な処だと思うぞ? 反対は…九割がた無い」
「…後の一割は何だよ?」
「ヤヨイ」
「うわぁ…」
「報酬の約9割を使用したにも関わらず、それで“買った物”を捨てるのだ。あいつは口を出すぞ?」
「………」
「…まぁ、あいつの場合は純粋にお前に対しての『損しても良いのか?』と言う確認みたいな物ではあるが、な…何だかんだでヤヨイはお前にだけは従順だ」

 まぁ、刃を突きつけられてもそれ以上は無いだろう。
 つまりそれは【 狂刃 】と呼ばれた過去の斬殺姫降臨は確実って事じゃないっスかアズイルさん。
 怖っ!

「気が重いぜー…」
「人の命を扱うとは、それに相応しい報いを受けると言う事だ」
「…アズイル、それは悪役に向けて言う言葉だと思うぞ俺は」

 あぁ、やってられん。
 小さく呟いて、今度こそクラウンはベッドに己の体重を全て任せた。

「俺は寝る。何かあれば起こせ」
「分かった。あぁ、それとクラウン、」
「………」
「…クラウン?」

 一瞬だけアズイルは訝しがり、

「何だ…もう寝たのか…」

 アズイルが覗いた先には、既に寝息を立てるクラウンの姿。
 余程疲れていたのか、それとも只単に外の音を遮断している為か。
 しかし、まぁ、

「寝るのは相変わらず早いな」

 苦笑。
 優しげにアズイルは眠るクラウンを眺める。

「…お互い、過去は忘れられずとも、変われる物の様だ。俺も、お前も、世界に絶望を抱く程では無くなったんだな…。くくっ…遅すぎた思春期に惑わされた、と考えるべきなのかな、これは。あぁ、そうだったな、これは―――」




「その為に俺達は戦ったのだったな…」





* * *






 ソファーに腰掛け自分で淹れた茶を飲んでいる時、扉の開く音と共にスゥと少女が入ってきた。
 スゥはソファーに腰掛けるのがアズイルだけなのに一瞬首を傾げ、直ぐにベッドに寝転がるクラウンを発見。納得の表情を見せる。

「あ、何だ、クラウン寝ちゃったの?」
「あぁ。一通りを説明した後にな。何、あと一時間もすれば勝手に起きるだろうよ。二人ともそこに突っ立ったまま居ずに、こちらに来て茶でも飲んでいると良い」
「………」

 少女はその声に直立不動。
 アズイルを訝しがる様に見ている。
 そんな少女の腕をちょいちょいと引き、スゥは座るように言う。そこでやっと少女は納得したのか、アズイルの向かい側にあるソファーへと腰掛けた。
 その様子に、アズイルは姉妹を見ている様だ、と内心で苦笑する。
 まぁ、姿形は逆――スゥが姉で背の高い少女が妹――ではあるがそれが一番近い様に思えた。
 そして同時に、根深いとも思う。
 自分の言葉には一切の耳を傾けず、只、人間ではないスゥの言葉のみに従う。
 後は形式上“買い主”であるクラウンの言葉に従うだけか。

 全くどうしてこんなになるまで…

 そう小さく嘆息して、アズイルは二人分の茶をカップに注いでやった。

「―――それで、」
「はい?」
「何か話があったんじゃないのか?」

 そうアズイルは切り出した。
 カップから立ち上る湯気の向こう、スゥが少し驚いた様に見ている。
 その様が少し可笑しくて、アズイルは小さく笑った。

「どうして…」
「分かったのか、か? 何、少し視線を彷徨わせて落ち着いていない処が見受けられたのでな。それに、だ…ラビトニアの、君の方も少しイライラし過ぎだ。スゥと君の二人の仲が距離を縮めていると言うのに、そのイラつきは説明が出来ない。只、そこらから推測したに過ぎん」

 一体何処まで見抜いているのか、アズイルは静かにカップを口元へと運んだ。

「さて、それで話の内容に関してだが…クラウンを交えるべき話か?」
「……うん…」
「…そうか。まぁ、それならしょうがない。クラウンが起きるまで待ってやってくれ。奴はあれで、俺の守護にずっと神経を割いてきていた。疲れているだろうから、少しは休ませてやりたいのだよ」

 その代わりだが、
 そうアズイルは言ってラビトニアの少女の方を見た。

「その“楔”とやらを見せてくれないか?」
「!!」
「あぁ、そう殺気立たないでくれ。クラウンが跳ね起きてしまう。それにだ、俺の話もちゃんと最後まで聞いて欲しい。俺はその代わりと言ったのだ。何も使用顕現を視るだとか、別にそう言う訳じゃ無い。構成を把握して、術式を破壊出来ないかを調べるだけだ」
「出来るの…?」
「演算構成を見抜くのは―――…まぁ、問題無いだろう。100%に近い割合で可能だと思う。だが、術式の解体は俺に可能かは分からん。しかし、」
「しかし?」
「施設では可能だろうな。仮想定理と理転が関わらない極級術式未満の構成は、基本どんなに複雑化しても逆算は可能だ。故に答えは出る」

 ことっ、
 カップを静かに置きながら、アズイルは瞼を下ろした。
 別に、ここで少女に掛けられている術式を無理して破壊しなくても良いのだ。どうせ最低でも西側にまでは連れて行くつもりでは居るのだから、医療施設で術式の破壊を行えば良い。
 しかし、ここでそれをやろうと言うのは――

 憐憫か。

 考えて、首肯する。
 憐憫。つまりは同情しているのだろう。自分は少女に同情している。
 クラウンもきっと、何処か深い部分で少女に同情していたから買ったに違い無い。
 似ても居ない、似ている少女を救いたくて。
 思考を中断し、再びアズイルは目を開ける。
 目の前には訝しがる少女の表情、そして二人を見守るスゥの姿。

「さて、どうする? ここで“楔”とやらの破壊が出来れば、晴れて自由の身だ。術式も編める様になり、特に隷属の必要も無くな――」
「貴方は、」
「――うん?」

 少女に声を掛けられ、アズイルはそこで初めて少女に口を利かれた事を思い出した。
 何とも――ここまでしなければ声も発してくれなかったとは…。
 少しだけ、目尻を下げ、しかしそれ以外の表情を緩めずにアズイルは耳を傾け続ける。

「貴方は、そうして――私に何を求めるんですか?」
「………」

 酷く、酷く真っ当な意見だ。
 恩を売られたなら、恩で以ってして返すべきだろう。
 しかしそれは、少女のソレは違う。
 恩を受けたから返す、と言う物ではない。
 何かして欲しい事があるから恩を売られた、そう思ったのだろう。
 酷く陰鬱な気分になり、アズイルは息を吐き出した。
 これが少女自身の所為では無く、少女を管理していた者達の所為だと言う事が分かっていたとしても気分が悪くなる事には変わりが無い。少女の敵意は今まさに自分に対して向けれられているのだから。

「最初に言っておくべきだったな」
「………」
「無償だ。もしも有償だとしても、君に請求する気は更々無い」

 その主であるクラウンに請求するだけだ。

「まぁ、敢えて請求するとすれば――」
「………」
「もう少し君の主を敬ってやれ」
「―――――」

 今度こそ、本当に少女は驚いた様だった。

「クラウンは、最初から君を手放すつもりで買っている。俺の護衛を行うと言う、命の危険に晒される行為で得た金でだ。その内の九割であいつは君を競り落としている」
「――え…だけど、瘴魔を斃して十分な資金を持っていると…」
「…そこら辺は何も言ってないのか、あの貧乏人は。全く…言っておかねばならんがな、アイツ自身は金持ちでも何でもない。未だ自分の店を建てる時に借りた分の借金が返せていない貧乏人だ。瘴魔の話を競売の場に出したのは、自分の資金を架空的に底上げして他者の争う気持ちを削り落とす為だろう」

 俺が昔教えてやった交渉事に際しての技術だな。
 苦笑しながらアズイルが答える。
 少女は――今の答えに少し戸惑っている様だった。
 クラウンが十分な資金を持つ存在だと思っていたからだろう。貴族と同列だと。
 しかし事実は逆。
 十分な資金を持っていると思っている存在は、その懐に大打撃を受けながら少女を買い、尚且つ自分から手放そうとしているのだと言う。
 馬鹿だ。
 しかし、好ましい馬鹿だ。

「……さて、話を戻そう」
「………」

 その馬鹿の為にも、多少は役に立っておかねばな?

「さて、どうする?」





* * *






 結果から言って、

「ここでの術式の破壊は、」

 少女に打ち込まれた“楔”を視る事は出来た。
 出来た、が――

「不可能だ」
「そう、です、か…」
「で? どう無理なのか説明してくれるんでしょう?」

 少女の代わりにスゥが説明を求めてくる。
 やはり何処か姉妹の様に感じてしまうのは嘘ではないらしい。
 スゥの外見は幼いが、しかし、その姿――態度はまさしく少女の姉だった。
 そんな光景に一つアズイルは苦笑し、少女に掛けられた術式を視るために離れていたソファーへと再び深く腰を下ろした。

「そうだな…簡単に言うならば、人間以上の範疇で掛けた術式だと言える」
「人間以上…?」
「こちら側は汎用精霊が主体だろう? 大方、それらで演算を行って掛けたんじゃないのかと俺は考えているが」

 事実は不明。
 しかし、アズイル自身が見抜いた構成は人間が掛ける事が可能なレベルの術式ではない。

 “楔”の術式――魔力霧散回路。

 少女の身体に打ち込まれた術式は、限りなく上級に近い中級術式だった。
 人体の神経に沿う様に張り巡らされた魔力の伝達路は、所々に存在する発散ポイントにて抜ける様に作られている。普段は通常の流れを維持し、日常生活に支障の無い様に流れてはいる。しかし、一度術式を編もうとしたりすれば“楔”によって許容された魔力容量を除き、その悉くが身体から抜け出てしまう。
 何とも考えられた術式だ。
 そうアズイルは素直に評価していた。

「術式を扱う者としては――良く考えられた物だ、と評価する」
「………」
「だが―――良く考えられている分、酷く胸が悪くなる術式でもある」

 深く、深く息を吐く。

「人を拘束する事を念頭に置き、自由を奪い、尊厳を剥奪する。その為だけに生み出された拘束術式。戦争で罪を犯した者を拘束し罰するのではなく、只奴隷として扱う為だけに生み出された術式。酷く、腹立たしい術式だ」

 下らない物だ。
 そう一言で切って捨て、アズイルは天井を見上げた。
 これが、この国の現状なのだろう。
 人間と異種は明確に別たれ、その扱いすらも明確に別たれている。
 罪無き筈なのに鎖に繋がれた者の様に、彼ら彼女らは不当な扱いを数百年と言う間、受け続けている。
 変えねばならぬ現状なのだろう。
 だが、

―――己が身は余りにも無力。

 自分は時の権力者ではない。
 あくまでも世界的企業の部長役職につく者でしか無い。
 現状を悲嘆し、どうにかしたくとも、それを為せるだけの力が無いのだ。
 しかし、

―――大衆を救う事は叶わずとも、たった一人を助ける事は出来る。

「気に入らない。気に入らないが故に、俺は君を救おう」

 立ち上がり、ラビトニアの少女に向け、その手を差し伸べる。
 少女の瞳がアズイルの掌を見――そしてその顔を見た。

「その理由に、今は納得しなくても良い」
「………」
「只、俺とクラウンは成すべき事を成す。その結果、君が助かるだけだ」

 それ以上は告げない。
 只見つめるだけ。
 そして、少女は静かに――その差し伸べられた手へと己の手を伸ばす。

―――そこに、どれ程の葛藤があったのだろうか?

 想像する事は出来る。しかし、実際の処なんてのは分からない。

 人を信じると言う事。

 それは容易く、しかし困難を極める。
 あっさり信じれる時もあれば、何時までも信じられない時もある。つまりは線引き。何処を境に信じてよいのか? 結局、人を信じると言うのはそれだ。
 人間以外に対する線引きは、少女の中で酷く低いのだろう。
 人間に対する線引きは、少女の中で酷く高いのだろう。
 だから葛藤し、葛藤し、葛藤し―――悩んだ果てに、

 すっ…

 その差し伸べられた手に、手を伸ばしたのに違いなかった。

「………」

 未だ訝しげな、しかし先程よりも明らかに険の取れた少女を見て、アズイルは目を細めて笑う。
 これで、少しは話しやすくなるだろう。心が解れるのはまだ先の事だろうが、話をする気になってくれれば何時かは人間とも話せる様になる。

「まぁ…後は西側に移動してからのクラウンの頑張り頼り――」
「あ、アズイル…」
「―――ん? 何だ、スゥ」
「あ〜…ちょっと、その…帰るのは待って欲しいとか思うんだけど…」
「………ふむ…?」

 そこで少女の手を離し、アズイルは思案。

「…もしや、それがクラウンを交えて話したい事、か?」
「…うん、まぁ…そんなところ」

 ははは、とスゥが曖昧に笑む。
 どうやら知らず知らずの内にややこしい事態へと巻き込まれてしまっていた様だ。
 ふぅ、と小さく溜息を吐き出して、アズイルはもう一度スゥを見、そして少女を見た。

「…簡単に聞いておこうか。…何をしたい?」

 溜息混じりにアズイルは質問する。
 何はともあれ、これから厄介な事に巻き込まれるのは事実だろう。
 スゥがその質問に答えようとする。

「…あっ」

 しかし、それは少女の手によって塞がれ外には出ず、
 少女が代わりに口を開く。

「私は、」
「………」
「私は、私の故郷を、見たい…」



#6-end






inserted by FC2 system