世界に住む人々は、日常において様々な話を聞く
人が話している事、本を読んで得る情報

しかし、人は全ての“話”を知っている訳では無い


























The duet with the lunar
の精と二重奏(デュエット)を――


Rabbit's hometown.
―兎の故郷―
-prologue-




















 くんっ、と世界が回転する。
 世界が熱に揺れる。
 魂が、白熱する。

「ちっ!!」

 辺りは一面劫火の海。
 世界を焼き潰さんと迫る炎が一面を蹂躙し、生物、無生物を問わずに喰らいつくしている。まるで悪夢の様な光景の中、その立役者は劫火の効力外に居るように立っていた。
 悠然、又は憮然とも取れる態度で辺りに火を放ち、己の障害物を追い詰めている。
 そして障害物。
 その障害物は片手には術式が刻まれた剣を、もう片手には魔導銃を握っている。
 障害物――人はしかし、悠然と立つ男とは逆に、息を荒く深く吐き出していた。
 肩は上下に揺れ、短く切られた髪からは汗が垂れ、その汗は熱せられた地面に落ちた瞬間に蒸発している。
 そして“人”の最も特徴的なのは、その耳だった。
 兎の耳。
 それが一番適切な表現だろう。
 兎の耳を持った異種、或いは亜人と呼ばれる彼らはラビトニアと言う存在だ。
 そのラビトニアの30代も後半かと思われる男が、疲弊し、大きく息を吐き出している。
 だが、疲弊が滲んでいるのは息だけで―――その瞳には確固たる“意志”が宿っていた。

 目の前に悠然と立つ男を、殺そうとする意志が。

「さて…もう残りはアンタ“達”だけだが…?」

 “達”、その言葉にラビトニアの男性が一瞬だけ視線を横へと向ける。

「あの子は、渡さん…」
「あぁ〜…」

 困ったな、と呟く男はしかし、全く困っている様には見えない表情だった。限りなく無表情に近い、対象に一寸の興味すらも抱いていない、そんな無色の表情。
 実際、興味等無いのだろう。
 だって、そう―――

「お前達、奴隷商会の連中なんぞにっ…!!」

―――ラビトニアの命なんて、男にとっては有って無い様な物なのだから。

「そう、確かにそうだなぁ…大事な大事な子供を、奴隷商に与えちゃうなんて考えられないよなぁ…あぁ、だけど、こう考えてみる事は出来ないか? アンタの子供が俺らの手で教育され、運良く金持ちに買われる。そうなりゃアンタらが亜人だろうが何だろうが、衣食住が保障される、って訳だ。まぁ、手違いで死なないなら、な?」
「っ! 貴様ァ…黙って聞いてれば…!」
「あぁ、あぁ…そう熱くなるなよ。たかだかガキの一匹じゃないか。ノルマは五匹って言われてるから、後お宅の子供で丁度いいんだよ。さっさと寄越せ。な? いいだろう?」

 言葉が全て吐き出される前に、怒りに駆られた男の片腕が跳ね上がる。手には魔導銃。連続して絞られたトリガーに応え、銃口からは連続したマズルフラッシュと共に術式高速展開弾(エレメントシェルビュレット)が吐き出された。
 銃口から飛び出した弾丸は計四発。人、そして魔獣一匹を仕留めるには十分すぎる程の脅威。詰まりは死。しかし、

 ガインッ!

 その全てがたった一振りによって、全て叩き落とされる。
 重なった炸裂音の先に見えるのは、辟易して剣を横に払った奴隷商の男。毛筋一つたりとも傷を負わせる事が出来ない、そう、彼は事象操作騎士(ウィザード・ナイト)。視覚能力を、身体能力を、その編み上げた魔術式によって倍加、加速しているが故に、彼や魔術式を行使する者に真正面からの魔導銃攻撃は殆ど無意味だった。
 一般的にウィザードと言う存在に真正面から魔導銃の弾丸を中てるなら、最低で十メートル以内に踏み込んでいる必要がある、と言われる。男と奴隷商の距離は約八メートル。距離的に言えば、悪くは無い距離。必殺と言っても過言ではない距離だ。
 しかし、この説の落とし穴が一つだけ、ここには存在していた。それは、

「うん。まぁ、好い腕だよ。だけど、無駄だな。弾を中てるならかなり好条件な距離だが、お前さんが腕を上げる時間と、狙いを定める時間を計算に入れてないのは失敗だ」

 言いながら、男は一歩前進する。
 そう、発射されてからの弾丸をウィザードが避けようとした時の最低距離が十メートルなのだ。そこに腕を上げる時間と狙いを定める時間は含まれていない。弾丸よりも腕を振る速度は遅いのだ、特殊な術式を展開させない限りは。故に無駄、無謀、無理な話。
 ウィザードは腕、銃身及び銃口、それらを見て、着弾位置を演算により予測しているが故に中りに行かなければ(・・・・・・・・・)中る事は無い。

「俺が汎用精霊使い…誓約者(リンカー)だってのに、あぁ、子供を護ろうとする心は尊いな。それは良く良く解った。だから、さ…そろそろ諦めろよ?」

 ざりっ、と更に一歩前進。
 相手が悪い。悪すぎる。
 一般的に、魔者や汎用精霊を使役する者に普通のウィザードは絶対に勝てない。
 それこそ魔者とのハーフ(フェアリーテイル)か、特異点(シン・グラリティ)でも無い限りは。

「あんたは頑張った。子供を護る為に最低限の責務は果たした」
「…くっ…!」
「だけど、そろそろ止めろ。メンドーなんだよな、そう言うのを見てるの。イライラするんだよね。仕事を邪魔される、自分がやりたい事をやろうとしているのに他人に邪魔されるっての? ムカツクだろう? そう言うの」
「そんなのはっ、俺も同じだ! 子供を護って何が悪い! たった一人の娘なんだ!!」
「あぁ、雌のガキか。少し値段が上がるな」
「き、サマァッ!!!!」

 ヒッ――ギィンッ!!

「だからさ…そろそろ退いてくれない?」

 ぎりぎりと、ギチギチと、男が持つ剣と奴隷商が持つ汎用魔剣が不快な音を立てて両者の間で震えながら止まる。だが、力の差は歴然としていた。男は魔導銃を投げ捨て、両手で剣の柄を握り斬りかかったにも関わらず、奴隷商は未だ片手だけで男の全力を防ぎ、憤怒の色に染める瞳を、その冷たい瞳で見下している。
 絶対的に力が不足してた。
 子供を護る為に全力で振るわれた剣は一切の奇跡を起こす事無く、無慈悲にささやかな幸福を奪おうとする者の行動を押し止める事すら出来やしない。
 何て、無力な事か。

「何故…」
「ん?」
「何故だ! 何で我々がこんな扱いを受けなければならない!? 種族が違うとは言え、同じ“ヒト”だろうが!!」
人間じゃ無いから(・・・・・・・・)だよ」

 ぎり、と奴隷商が押し込む力が強まり、自然と男は押し負けて膝を折る。

「俺は人間。お前は亜人、ラビトニア。同じ? 何処が。違うだろう? 俺とお前らは違うんだよ。だから、関係無いね。お前らをどう扱おうが、俺の勝手で、俺ら人間の勝手だろうが」

 両手で支える剣が更に押し込まれ、相手の剣が薄く肩を裂き始める。
 震える程の全力で押し返しても、相手の暴力は止まらない。
 こんな鬼畜外道に負けてなるものか。そう思っているのに、娘を護ろうとしているのに、善悪で言うならば絶対的に善であるにも関わらず、無慈悲に絶望は迫って来る。

「何で、こんなっ…畜生…理不尽な真似が出来る…!?」

 剣が、

「まぁ、アレだよ。ヒト種全てが牛や豚、鳥を肥やしてやがて食う。そう言うシステムと同じさ」
「俺達を、家畜、だとっ…!?」
「正解」

 入り込んだ。

 ずちゃっ

「が、はっ…」

 押し切られた刃はそのまま男の肩から入り込み、肺に届く致命的な裂傷を与えると何の余韻も無く抜き取られた。それと共に上がる、男の残滓の飛沫、血液の噴水。
 それでも、

「へぇ…?」

 それでも、尚―――男は刃を振り上げようともがいていた。

「あの、娘は…渡さ…」
「いや、ここまで来ると逆に感動すら覚えるね…」
「あの娘…は、渡さ…な…」
「その心と、しぶとさとか、あと何かに敬意を表して、」
「ルル、は…渡さ…ないぃ…」
「死ね」

 ざしゃっ―――
 それは酷く呆気無い程に響いた肉を断つ音。
 抵抗無く入り込んだ刃は男の頚椎を易々と断つと、その首を宙へと舞い上げた。

「ま、精々こちら“東側”に生まれた事を恨むんだな…っつっても、もう聞こえないか」

 そうして奴隷商は、男が今まで死守していた家へと歩き出す。
 男の生首は、只、その光景を無念そうに眺めていた。
 精一杯に目を見開き、歯を食い縛り、その口元から血を流しながら。




 語られない物語。
 とある男が、一人の愛娘を護ろうとして殺された、誰にも知られる事無き物語。
 今から六年前の、物語だった。



prologue-end






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