「世界の車窓からー」
「少しは静かに座ってろ…中身は子供じゃあるまいに」
「う、うっさいわね…私、列車乗るの二回目なんだから多少は多めにみなさいよっ」
大陸横断鉄道プラネテスの客席。
その席でアイマスクをズラしたクラウンと、膝立ちになって景色を眺めているスゥが言い合った。
天気は良好、見渡す限りの快晴だ。これが世に言う倭国晴れと言う天気だろう。
現在、クラウン達が乗っている大陸横断列車プラネテスは、ルルカラルス首都コーラルから出て順調にトルストイへと向かっている。窓から見える景色は平野部と山岳地帯。位置的に言えば丁度ルルカラルスとトルストイの国境辺りになる。
「クラウンこそ寝てばっかりで…牛になるわよ」
「食っちゃ寝してる訳じゃないから太らんわ。むしろスゥ、そんな『牛になる』なんて何時覚えた…?」
「フフン、私は日々進化してるのよ」
「…まぁ、ヤヨイだろうな…」
「……くっ…」
ボーッ! っと言う汽笛が鳴り、それと同時にルルカラルス行きだろうプラネテスがすれ違った。
時間はルルカラルス標準時で三時過ぎ、もう直ぐ四時を回る。今日はこのプラネテス内で夜を迎え、明日の昼前にはトルストイ首都のギルド本部がある街に到着する予定であるが。クラウンはコーラルから出てよりずっと眠り続けている。スゥが見る限りではあるが。
「…今日の夜、寝れなくなるわよ?」
「車内バーで酒でも飲んでから寝るからいい」
「え…車内バー…?」
「ん? あぁ、プラネテスは基本的に大陸横断って特性上一日二日の車内生活は普通だからな、娯楽系もそれなりに積んでるんだよ。知らなかったか?」
「私、これでもこの前ブルースフィアに下ってきたばかりなんだけど…」
「そうだったな。結構馴染んでるから忘れてたけど。まぁ、説明するとだな…現在俺達が座ってる、この場所」
とんとん、とクラウンが指で席を軽く叩く。
「客席?」
「あぁ。ここは三等客室って言われる処だ。まぁ、庶民向けの安い席だよ。仕切りは無いし、夜は毛布が渡されるだけ。飯も食堂車まで食いに行かなきゃならない」
「ふーん?」
「で、次に二等客室。そこだと仕切りがあって、一人分の席が大体…四席分位になるから、夜寝る時も横になって寝れるんだ。で、値段は三等客室の三倍」
「高っ…三倍って…」
「まぁ、俺達レベルがリッチに行くとなると二等客室が限界だな。資金的に見ても、精神的に見ても」
「うーん…それで一等客室は?」
「あぁ、これは完全にブルジョワな奴らが使う所だ。二等も仕切りがあって簡易にドアもあるが、作りは至って簡素だし。だけど、一等は完全にホテルの一室、値段は十倍から十五倍が相場らしい」
「……我が家にとっては大打撃ね…」
「シュレイと一緒に、昔依頼で一等客室の廊下で一晩明かしたからな。いや、外に居るのもアレだが、中に入るのも憚れる威圧感だったぞ?」
俺の精神が一等客室に入るのを嫌がってるんだよ。
ヤレヤレ、と言うジェスチャーと共に、そんな言葉を漏らすクラウンを見ながらスゥは『只単に貧乏性なだけなんじゃないかなぁ』とか思うが、決して口には出さない。多分、その言葉はクラウンの急所だ。
「後は普通食堂車に、高級食堂車。で、バーも三等客室寄りと、一等客室寄りが存在してる。最後に遊技場だが、まぁ…カジノだな、あれは」
「…何て言うか、動くホテルね」
「ま、昔は本当に普通の長距離列車だった、って話だがな」
世界初の大陸横断線が完成した頃は、三等客室だけの、普通ローカル線と変わらない構造だった。しかし、要人が横断線を使って国境を越える際に、身体に変調を来たした事を発端にプラネテスの客室プランが見直され、今の様な作りになったらしい。今では各国の代表が移動する際にも普通に利用する為、高級食堂に勤めるシェフはまさに最高の腕の持ち主と言っても過言ではない。料理業界では『横断線の高級食堂で働ければ一流以上、普通食堂なら三流』と言う言葉が生まれている。
「それで、今夜クラウンが行くのは高級バー? それとも普通?」
「お前…普通に決まってるだろ…?」
「今、一瞬だけ目線逸らさなかった?」
「逸らしてない。つうか、お前もしかして、」
「うん、連れてって♪」
「却下」
タイムラグ無しにスゥのお願いを切り捨てる。
「え〜! 連れてってよ! むしろ連れて行きなさいよっ!」
「お前が酒飲むと笑い出すから始末に終えない。静かに飲めないだろうが」
「あー!! 解ったわ、今ので解っちゃった! クラウン、静かに飲むって事は高級バー行くつもりでしょ! 駄目よ! ヤヨイ様に告げ口するわよ? 私を連れて行かないと!!」
「……頭の中は子供じゃないのが始末に終えん…」
「何か言った!?」
「別に〜?」
ピーヒョロー、とわざとらしく口笛を鳴らしながらクラウンが目線を逸らす。
何はともあれ、これではせっかく横断線に乗った時だけ敢行する高級バーでの静かな一時が邪魔されてしまう。これでヤヨイならば静かなので構わないが――スゥは飲むと笑い出すので、即追い出される危険性がある。
それが無いのならば考えても良いのだが…
『ブツッ』
と、スゥが連れてけと連呼する中、車内スピーカーが鳴った。
あぁ、もうそんな時間かとクラウンがスゥに視線を合わせずに、そのまま車窓から外を見渡した。
景色は山岳地帯と平野から、街の外周部が見える風景へと移り変わりつつある。
『えー、間も無く国境、テレムセリクに到着します。ここで二時間の補給、点検を行いますので、お客様はお外に出られる場合、荷物のお忘れ物、及び乗車券、国境パスを失くされ無いようご注意下さい。間も無くテレムセリクで御座います…』
車内放送を聴き終えると、クラウンは一つ息を吐き出して再びスゥを見た。
今ではスゥも席を立ち、目鼻の先に顔を寄せている状況だ。
本来ならばこれで赤面する状況なのだろうが、生憎とヤヨイのお陰でこの程度なら赤面しない身体になっている。むしろこう言う事をやると赤面するのはヤヨイの方だ。エロ無しならば、だが。
「と、言う訳で一時保留」
「どう言う訳よぅ…」
「四時過ぎるし、外に飯食いに行かなきゃならん」
「うぅー…」
「まぁ? 別にお前が普通食堂の料理を食いたいと言うなら、俺は止めないけどな。普通食堂の飯は不味くは無いが決して美味く無いぞ? ここで不毛な言い争いを続けると、なし崩し的に普通食堂の飯になるなー…まぁ、俺は大抵の料理は食えるからいいんだけど」
「くっ! 解ったわよ、解ったわ!! 今は保留!」
「うむ。まぁ、飯は期待して良いぞ? それなりの所には連れてってやるから」
あははー、と陽気に笑いながらスゥの頭を撫でる。
それと同時にスゥが頬を赤らめながら黙り、こちらを見上げる様に睨むが意に介さず撫でる。
フッ、修行が足りないな、スゥ。
内心そんな事を思うが、表情には出さない。出せば再び不毛な争いが待っているからだ。
スゥは撫でられるのに弱い。これは最近発見した弱点だが、ヤヨイ経由で聞いているので事実だろう。実際、スゥは今こうしてされるがままになり、さっきまで口うるさかったのに今では黙りながら撫でられ続けているのだから。
そんなスゥを見ながら、クラウンは思う。
良い精霊になるだろう。
そう思う。
それは自分が生きている間かもしれないし、もしかしたら自分が死した後、また別の相手と組んだ後かもしれない。でも、それはクラウン・バースフェリアと言う、ヤヨイ・カーディナル・【ルナ】と言う精霊に深く関わった者としての確信だった。ヤヨイが、“子供ではない”スゥを気に掛けている事からも、それは伺い知る事が出来る。
こいつは、良い精霊になる、と。
「何よ…みつめて…」
「スゥ」
「んー…?」
「良い精霊になれよ」
「………」
これ以上、言う事も無いだろう。
人間である俺の期待は裏切っても良いから、せめてヤヨイの期待は裏切らないでくれ。
そんなプレッシャーになる言葉を仕舞い込み、手を離す。
これは、ご機嫌取りが半分、そして―――心に抱いた期待が半分だ。
だから、まぁ、仕上げに、
「ふっ、チョロイもんよ」
「!?、く、クラウンっ!!」
「あーらゴメン遊ばせ? 口に出してしまったわ」
イジメておくのだが。
* * *
「そうしてこうなる訳か…」
「何よ…意識を飛ばさない様にするって約束したんだから良いじゃない」
「それ以前に、意識を飛ばす程飲むなよ…」
こっちの方が高いんだから。
そう思いながら、クラウンとスゥは現在、高級バーの入り口に立っていた。
実際の所、バーと言えるのはこちらだけで、三等客席側に作られた方は酒場とか居酒屋と言った雰囲気である。
スゥの懇願に最終的には負けたクラウンは、こうしてスゥを連れてここに立っている。
ヤヨイに対して秘密で高い酒を飲んだと、有る事無い事言いふらされてもかなわん…
それがクラウンの敗因だった。
「いいな? 決してシュレイ達と馬鹿騒ぎする時と同じ様なペースで飲むなよ? こっちはそう言う場所じゃ無いんだからな? それになにより、こっちの酒は高いのでバカスカ飲むんじゃ無いぞ」
「流石に解ったから…気を付けるから…何か怒る気になれない事を最後に言わないで…」
「………」
自分で言った事に少し悲しくなった。
「ぬぅ…まぁいい、それじゃ入るか」
「そうしましょ」
気持ちを改め、スライドする自動ドアを潜り、その中へと入る。
「へぇ…」
スゥが感嘆の息を吐き出す。
中は薄暗く保たれ、カウンター席やテーブル席には雰囲気良く蝋燭が立っている。中でグラスを傾けているのも、背広を羽織った身なりの好い男や女が殆どだった。クラウンの様にシャツの上にジャケットを羽織っているだけの者は極少数である。が、まぁ、決して居ない訳では無い。流石に白いワンピース姿のスゥみたいなのは一人も居ないが。
クラウンはそんなスゥの肩を指先でちょんちょんと軽く叩くと、カウンター席の方を指差して歩き始めた。
テーブル席は流石に、貧乏人には少々ハードルが高すぎる。
静かにカウンター席に腰を下ろし、横を見る。
スゥはクリスタルの容器に立てられたキャンドルを気に入ったのか、しげしげと眺めていた。そんな姿に微笑ましく思いながら、こちらに歩み寄って来るバーテンに苦笑する。
「これはこれは…可愛いお嬢様をお連れで…」
「ま、なりは小さいが、精霊なんでな。大目に見てくれ」
「何よ…」
「これは失礼致しました。気分を害されたのなら謝りましょう、お客様」
「くくっ…」
スゥがバーテンの言葉に面食らった姿に、クラウンが喉を鳴らして低く笑う。
それに対してスゥが睨んでくるが、無視。
機嫌良くバーテンへと声を掛ける。
「じゃ、注文の方、いいかな?」
「えぇ。何になさいますか?」
「そうだな…ブルークリスタル、あるか」
「えぇ、ありますとも。いや、お客様、ブルークリスタルから入るとは中々“飲み方”を知っていらっしゃる」
「ま、それなりに、な」
バーテンが嬉しそうに頬を緩めるのを見ながら、クラウンは苦笑した。
クラウンはヤヨイには劣る物の、それなりに酒の飲み方は知っているつもりだ。はっきり言ってしまえば、あのヤヨイがクラウンに飲み方云々を御教授している。ヤヨイが酒と茶の薀蓄を語る時だけは大変だが、それでも酒を美味しく飲めるのはクラウンにとって感謝すべき事だった。
「料理も、お酒も、共に味を楽しんでこそですからね。その中でもブルークリスタルは、彼の有名なハロルド・ギーセルムが“始まりを告げる”為に用意したお酒だとされていますし、」
「………」
「おや、これは失礼。少々嬉しくなってしまいまして。では、そちらの可愛い精霊様は何をご注文なさいますか?」
「え、あ、うんと…お、オススメで…」
「フフ…畏まりましたお客様。お客様に合ったお酒の方をご用意させて頂きます」
酒を用意する為に去っていくバーテンを見送りながら、クラウンは横に座るスゥを見た。案の定、スゥもこちらを見ている。
「来たかった割に知らないのか」
「これからよ」
「ハハッ…その調子だ」
澄ました感じでスゥが言う。
そんなスゥの姿に笑みをこぼしながら、周囲をちらりと見てみる。すると、全員が全員ではないが、こちらを見ている者達が結構居る事に気付いた。
皆、スゥが珍しいのだろう。
精霊なので年齢はクリアしているが、外見は十二歳前後。珍しがるのも解らない事は無い。
加え、贔屓せずに見ても、スゥは美少女だ。人型を取る魔者の多くは美男美女であるが、スゥもその枠から漏れる事無く美しい。
「まぁ…外見がこれでなければな…」
「?、ん? 何か言った?」
「何でも無い。ほれ、持って来たぞ」
ついつい漏らしてしまった独り言を打ち消す様に、クラウンは親指をカウンター内に向ける。
スゥがその指の先を追う様に見れば、そこにはバーテンが二つのグラスを持って歩いてくる姿がある。
片方は淡い青のドリンク。
クラウンが注文したブルークリスタルだ。
そしてもう片方が、
「こちらがブルークリスタル、そしてこちらが…」
「わぁ…綺麗…」
「オーシャンライムです、お嬢様」
そっと、バーテンが置いたグラスには、透き通る青が注がれていた。
クラウンのブルークリスタルも淡い青だが、こちらはショートグラスが使用され氷がクリスタルを表現しているのか、冷たそうなイメージがある。しかし、スゥのオーシャンライムはワイングラスを使用し、そのふちに砂糖を塗してあるのか白い化粧が施され、色は近いと言うのに飲む者に対して真逆の印象を与えていた。
「お気に召しましたか?」
「あ、はいっ」
「それは良かった。では、どうぞごゆっくり…」
バーテンが丁寧に頭を下げ、この場を後にする。
愛想良く去っていく彼に笑いかけ、そこでクラウンはスゥを見た。
今は食い気よりも、花。そんな感じで未だグラスに注がれた“海”を眺めている。
そんならしい姿に苦笑して、クラウンはグラスをスゥの方へと寄せた。
「…んー?」
「ほれ、乾杯」
カチリ、と小さくグラスを鳴らし、そのままクラウンは己の杯にある“氷れる青”を飲み込む。
そこになって、スゥも笑みをこぼすと―――そっと、その“澄んだ青”に口を付けた。
* * *
「で、まぁ、こうなる、と…」
「んぅー…」
薄い明かりが灯る車内。
小刻みに響くテンポの良い音を聞きながら、クラウンは三等客席へと歩いていた。
背にはスゥ。
今では寝息を立て、顔をクラウンの首に埋めて眠っている。
「一気に酒をあおれば馬鹿騒ぎ、そしてゆっくりと飲めば眠り出すと…いやいや勉強になるねぇー…」
「ぅー…むー…ん」
くっ、と苦笑の笑みをこぼしながら、クラウンはスゥを背負い直す。
そこで歩きながら、ふと―――クラウンは懐かしい感覚に囚われた。
「………あー」
昔、ずっと、昔―――まだ、誰も死んでいなかった、あの時の事。
魔者の感覚ではなく、人間であるクラウンの感覚でずっと昔。未だ、自分以外の家族が生きていた頃、子供だった頃に味わった、懐かしい感覚。
「シェリル…か…」
消えてしまった、己の妹の名を呟く。
自分は、本当に、悪運だけは良かった。
もう既に、十年以上も前の出来事。
四歳年下の妹は、両親と一緒に出かけた。
その時、自分は運悪く風邪を引いて、隣の家に預けられたのを覚えている。明確に、その日の事だけは覚えている。ヤヨイとも知り合う前、ヤヨイと知り合う切欠となっただろう、事件。
悪運だけは、強かったのだ。
一般家庭に生まれた自分には普通に両親が居て、妹も居た。自動走行車もあって、両親は良く、自分と妹を乗せて出かけた物だった。
そうして、自分が風邪を引いて預けられた日も―――隣家に自分を預け、済まなさそうに謝りながら、四歳だった妹が喜ぶ姿があったので、
引き止められなかった。
行ってしまった。
自動走行者の転落事故。
三日か四日程度だった筈の旅行は、永遠に両親を帰らぬヒトとしてしまった。
ルルカラルスとヴァナーギーエンの国境近く。
崖から落ちた自動走行車は潰れ、両親は即死。妹は投げ出されたのだろう、行方不明。崖下には川が流れ、運良くそこに落ちたとしても墜落したのは四歳の子供だ。生きていられる物じゃ無い。
加え、ルルカラルス側からヴァナーギーエン側へと流れるその川は、地元では『沈んだら浮かんでこれない急流』として通っている。ポーズとして警察機関は捜索してくれた物の、打ち切り。
そうして、自分の元には、激しく遺体が損傷した両親だけが返って来た。
「…全く、」
この背に掛かる重さは、そんな経緯で失ってしまった妹を思い起こさせる。
胸中で毒づき、再びクラウンはズレてきたスゥを背負い直す。
妹が生きているならば、17歳。
未だ、何処かで妹が生きている事を、自分は捨てきれないで居た。
しょうがないだろう。だって、唯一人生きているかもしれない肉親なんだ。
「俺だけ助かってしまった等と…厳しいな、世界は」
世界は不平等だ。
誰かが平等を唱えても、それは一個人。この世の全てである世界には、決して敵わない。
世界が下した真理には、決して勝てないのだ。
ヒトは、それを覆したくて術式を編むのだろう。
世界に満遍なく蔓延る、絶対である世界の式を覆したくて―――重力を騙して空を舞い、“有る”と言う定義を割り込ませ火を生み出す。そして、助からない命を助けたくて、剣を取って戦い、術式を編んで死へ至る怪我を癒す。
そうして今では、自分も世界の真理を覆す為の術式を編んでいる。
魔者を、使役している。
「ぐぁっ…いかんいかん…酔ってるな。もう踏ん切り付けた事を一々思い出すとは…」
暢気に寝てるこいつを背負っているからだ、と考え、今までのネガティブな感情を切り替える。
取りあえずは、背中にあたる感触に神経を集中してみる。
「凹凸なし。平らです」
「んー…?」
その言葉に反応してかしないでか、鼻を甘える様に首元に擦り付けてくる。
「ハッハッハ、そんな事をしても無駄だ。先ずはヤヨイ程のボディになって」
「…お母さん…」
「―――…」
畜生…。
溜息を、そっと吐き出す。
それは不意打ちだろう。からかって、自分の心を見かけ上満足させる行為が出来なくなる。
「あー、くそ…世界は優しくないな…」
起こさない様に呟いた声は余りに小さく、誰にも伝わらない様に霞んで消える。
クラウンは辿り着いた自分達の席に、そっと負ぶっていたスゥを寝かせた。
二席同時使用のフルコースだ、持ってけドロボウ。
元々向かい合わせの席を使っているのだが、そんな事を呟きながら身体が痛くならない様に体勢を整えてやる。
「…ふむ、水色のストライプか…」
見えてしまった物を隠す様に服も整え、席に置かれている毛布二枚の内一枚を枕、もう一枚を優しく掛けてやる。はぁ、と小さく溜息を漏らしながら、その端整な顔に掛かった髪を払ってやり、その寝顔を見つめた。
「せめてお父さんか、お兄ちゃんだろうが…全く…」
最後に苦笑すると、クラウンは立ち上がり、向かいの席に深く腰を下ろした。
四席使用。空いてて良かったね、だ。
そんな状況と、毛布に包まれて眠るスゥに苦笑し、夜闇一色に染まった外の世界を流し見る。
月は未だ空に高く。
夜が明けるには未だ遠い。
「ま、命に対する愚痴を零しちまったからな…俺への罰も含めてか」
毛布無しの言い訳を、やれやれと言った感じで吐き出し、クラウンも夜の闇へと溶けて行った。
#2-end
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