一泊の旅路は、世界をそれだけで変えてしまう。
場所はルルカラルスからトルストイへ。
今はもう懐かしく感じる世界。
過去の一部。


























The duet with the lunar
の精と二重奏(デュエット)を――


Rabbit's hometown.
―兎の故郷―
#3 王冠と氷天




















「ぐ、あ゛ー…背骨痛ぇ…」

 プシュ、と言う空気が抜ける音と共に魔石列車の扉が横にスライドし、そこから背骨を伸ばしながらクラウンが降りる。その後ろには小さな荷物を提げたスゥの姿。少女の姿の彼女も、クラウンと同じくトルストイの駅構内へと降り、

「わぁー…」

 出た瞬間、空気の匂いが違う、と言う事を感じ取る。
 ルルカラルス中央都市コーラルの駅と同程度の発展具合はスゥが見ても明らかであったが、匂いには機械的な物の方が多く含まれている様に感じられ、実際に違う地域に来てしまったのだと今更ながらにスゥは実感する。

「スゥ、荷物の受け取りに行くぞ」
「あ…うん」

 ぱたぱたと足音を立ててスゥが駆け出し、先に歩き出していたクラウンへと駆け寄る。初めて見る物が多く、どうやら意識を奪われていたようだ。これじゃ迷子になっちゃうな、と苦笑しながら待ってくれていたクラウンの横へ並ぶ。

「…迷子になるなよ?」
「…失礼ね。なるわけ無いじゃない」

 見透かされてしまった心境に一瞬ドキリとしながら、フンッ、と鼻息荒く歩き出す。
 何はともあれ、駅を出なければ話にならない。
 スゥの、道も分からないのに先行しようとする姿にクラウンが苦笑を漏らし、今度はクラウンがスゥの横へと並ぶ。このまま行かせてしまったら、今言った通りに駅員に頼んで迷子のお知らせを流さなければいけなくなってしまう。

 精霊が迷子の呼び出しされる、って聞いた事ねぇ…。

 実に嫌な考えを振り払う様に、クラウンは一度だけ目を長く瞑ると再び目を開いた。
 まぁ、目を離さなければ良いだけだ。
 そう結論付ける。
 そうこうしながらスゥと一緒に歩き、出口へと迫る。
 出口には駅係員が三名。一名はチケットの確認であり、そして残る二名は―――

「チケットの方を」
「んー、二名分」
「はい。………、クラウン・バースフェリア様と―――その契約魔者であるスゥ・ディ様ですね。術師装備は、」
「預けてる。番号は020439だ」
「分かりました」

 最後の番号が告げられると同時、待機していた二人が動き出した。
 大陸横断線に乗る場合、デバイスや魔者とのリンク状態を作り出せる魔石は預ける決まりが存在する。これが通常路線の列車であれば取り締まられる事は無いのだが、この決まりごとは大陸横断線には要人が乗るという事に起因していた。勿論、大陸横断線に乗る際にデバイス等を預けなくて済む様にする事も可能であるが―――それはギルドランクA以上の資格を持ち、更に言えば要人側から申し出があった場合にのみ限られている。
 クラウンはギルドランクB。しかも要人の護衛をしている訳では無いのだから、不必要である以前に無理だ。
 そんなランクBのクラウンが見守る先、くたびれた鞘に納まったデバイスと銀細工で飾られた魔石のペンダント、そしてそれらとは別に、術式が刻まれたナイフと術式装甲が収まった黒いバッグが運ばれてくる。

「荷物に何か不備はございませんか?」
「いや、大丈夫だ」
「では、どうぞ行ってらっしゃいませ」

 駅係員の挨拶に送り出され、横断線専用改札口からやっと外へ出る。
 トルストイに来るのはそれなりに久しぶりではあるが、観光ではない。送り出す言葉が社交辞令であっても、クラウンはそれに対して困った様に息を漏らした。

「?、どうかしたの?」
「いや、別に何でも。さて、」

 先ずはギルド本社に行こうか。
 気分を変える様にクラウンは明るく言うと、ズッシリと肩に掛かる装備一式の重みを感じながら歩き出すのだった。





* * *






 トルストイ中央駅から外に出て、クラウンとスゥは整備された道を歩いて行く。
 そんな二人を自動走行車が追い抜いては去って行き、その度にスゥは感嘆の溜息を吐き出していた。

「…ルルカラルスとは違うねー」
「うん? …あぁ、車の量の事を言ってるのか?」
「うん。こんなに普通に走ってる処って見た事無いし」
「あー、確かに俺達が住んでるあそこらへんはそうだな。歩行者専用、って感じが強いし。だけど、別にルルカラルスが遅れてるって訳では無いぞ?」
「そうなの?」

 あぁ、とクラウンが頷く。

「俺達が住む商人ストリート…第二商業区から出れば大きな道が真っ直ぐ伸びてるし。ルルカラルス中央に立つ白霊宮(イディア・ホワイト・パレス)までその道は伸びてるからな」

 ルルカラルスは区ごとを大道路で区切ってるんだ。
 クラウンはそう切り出し、数年間住まうルルカラルスの情景を思い起こしながら周辺地理に関して話し出す。
 ルルカラルス中央都市コーラルは、円を描く様に都市景観が出来上がっている。
 コーラルの中央には、ルルカラルス全土を治める王族が住まう宮殿が建ち、更に議会を行う会議場等が建ち並んでいる。そして、それをぐるっと回る様に存在しているのが、第一居住区と第一商業区である。特に第一居住区は古い呼び名では貴族街とも呼ばれ、議会参政権を持つ者達が多く住まう場所であり、クラウン達平民にとっては豪邸が建ち並ぶ別世界である。それに対して第一商業区は高級な店舗が並ぶ物の、決して平民の受け入れを渋っている訳では無く、それなりに平民層の家族連れを見る事も可能だ。
 次にその円の外にあるのが自分達が住まう第二商業区と、第二居住区である。この第二商業区は多くの物流があり、第一商業区が他国からの高級品やブランド物を扱うなら、第二商業区は生活必需品を多く取り扱い、安さを競う地区となる。
 この第二区はかなり広大で、第二区の終わる処がある意味コーラルの末端と言っても過言ではない。
 この第二区の外回りに工業区や港、トルストイの軍事施設が存在が存在し、そこから先は森林地帯や草原地帯が広がっている。
 コーラルから他のルルカラルス内の街へ向かうなら、第二商業区に存在する国鉄に乗り移動と言う運びとなり、今回の様に他国へ渡ると言うならば、やはり第二商業区に存在する大陸横断鉄道駅を利用しなければならない。
 コーラル外には普通に道もあるし、徒歩で街から街へ向かう事も可能ではあるが―――途中には何も無いので、自動走行車で走り抜けるかしなければ途中でへばるのは確実だ。
 ちなみに、シュレイが朔耶と訓練を行う時には、ローカル線に乗ってコーラル外周まで行くか、第二商業区内にあるギルドの施設を借りる事になっている。

「…私って、かなり世間知らず…?」

 スゥの肩は、クラウンの話を聞く時間に比例して下がり続け、今では腰すらも曲げる勢いで肩を下げ、背中には暗雲まで背負っている。そんな姿になるとは流石にクラウンも思わなかったのか、顔には苦笑の表情を浮かべて半笑いだ。

「あー…まぁ、そうだな。孤児院に行くにしてもあそこは運搬の主要道路が通ってる訳じゃ無いから交通量も少ないし…買い物や何やらにしても第二商業区内で全て済ませる事が出来るしな…まぁ、うん…気分落とすなよ…な?」
「………田舎娘…」

 ぽんぽん、とスゥの小さな肩を軽く叩いて慰めようとするが、心に負った傷は結構大きいらしい。
 分からない訳では無い、とクラウンは思う。
 第二商業区は、はっきり言って住み心地が良い。
 国鉄駅と大陸横断鉄道駅が別々に分けられる事無く一箇所に存在し、そこから派生する一本の道にクラウンの薬屋も存在するのだが、はっきり言ってあの界隈は遠出するまでも無く何でも揃ってる。
 それこそ、自動走行車を使う必要も無く、近場で買い物するだけで全部が揃ってしまうのだ。
 駅の方に歩いて行けばルルカラルスギルド支社が存在するし、駅構内の店にはそれなりに高級品も売っている。日常雑貨、及び生鮮食品はそれこそ商人ストリートで全部済ませる事が可能だし、何処へ行く事も無く全てがある。
 気付くと、あの界隈に住む人々は外に出ていない(・・・・・・・)事に気付くのだ。
 俗にこれを“二商マジック”と言う。
 クラウンはそれなりにギルドの仕事も請ける為、あの界隈から出て遠出する事もあるのだが―――過去、花屋を営むバードの夫婦が、気付けば娘を何処にも連れてっていない事に気付き一週間店を休業させて出掛けて行くのを目撃している。
 それを見たヤヨイは『便利すぎるのも考え物じゃのぅ…』としみじみ頷きながら語っていた。

「ぬぅ…って、あ…本社ビルが見えてきた。おい、スゥ」
「………田舎」
「いや、そこまでショックを受ける事か? あぁ、もう…シャキッとしろ! シャキッと。これを期に色々見に行く様にすればいいだろうが」
「うぅー…」
「ヤヨイと一緒に出かけて来ればいいだろう。アイツ、偶にだが第一商業区まで一人で行くぞ?」

 高級酒と高級茶葉を見に。

「ヤヨイ様…?」
「そう。今度連れてって貰え」
「…分かった。連れてって貰う」
「あぁ、そうしなさい」

 ぽんぽん、とスゥの頭を軽く撫で、改めてクラウンは眼前に存在する建造物を見た。
 トルストイギルド本社。
 世界中に支社を設け、依頼斡旋業務の他にも学校機関や武器産業、様々な専門機関にも出資している現在世界一の稼ぎを出す企業、その中心。
 先程、感嘆の溜息を吐き出していたスゥが、再び溜息を吐き出すのがはっきりと分かる。
 広く整備された道路の終着点の様に聳える塔は、地上二十階。地下は公式的には五階まで存在し、その威厳ある塔を囲む様に直下の研究所が並び、それを外から隠す様に木々が並び簡易的な公園が広がっている。

「うわぁー…高ーい…」

 その一種独特な世界に近付くと共にスゥは背を反らしながらビルの頂点を眺め続ける。
 ここまで高いビルは、世界各国を見渡してもそうある物ではない。
 ルルカラルスの観光名所と言っても良いコーラルのイディア・ホワイト・パレスでさえ、小高い山の上に聳える様に建ち、その威厳を見せ付けていると言っても地上八階。ギルド本社の半分以下でしか無いのだ。スゥが感嘆の息を吐くのも分かる。

「ほれ、行くぞ」
「あ、うん」

 そして、本社の領地へと足を踏み入れる。
 整備された歩道を進みながら横を見れば、ベンチや灰皿が設置され、社員だろう男女が話しに花を咲かせていた。列車の到着はトルストイ標準時で昼の少し前だったので、社員は昼の休憩時間を思い思いに過ごしているのだろう。

「そのまんま公園ね」
「ギルド本社をここに建てた当時の社長の配慮らしいぞ? 景観美化による作業効率の上昇を狙っての配慮だとか」
「まぁ、分からなくは無いかなー。私も、薬屋の店内で店番してるだけで疲れちゃうし。こう言う風に公園があってくれると、気分が安らぐわ」

 まぁ、少し離れた所に大公園が存在しているのだが…。
 それを言えば、場所的に目の前にあって欲しいのだと言われる事が分かりきっているのでクラウンは何も言わなかった。やるだけ無意味だ。
 しかし突っ込衝動だけは湧き上がってくる物で、唸っている内に二人は公園部を通り抜け、ギルド本社の自動扉前に辿り着いていた。二人は生体感知式により存在を感知され、眼前の扉が自動で開かれる。
 そうして物怖じなく、余りにも普通に一歩中に踏み入れた瞬間、スゥがクラウンの服をちょいちょいと引っ張った。

「ねぇねぇ、クラウン」
「んあ? 何だ?」

 そこで一度だけスゥが周囲を見渡し、

「クラウンなんかが普通に入っても良いの?」

 そんな事をのたまった。

「お前、失敬だな…」
「え、だってさ、何か凄い場違いな気がするんだけど…」
「…もう一度周囲を見ろ。特にアッチの方」
「えー…?」

 スゥの頭上で指差されたのは、真正面窓口の左側にあるカウンターだった。
 そこにはデバイスを持った何人かが列を作り―――

「あ…」
「そう言う事。ギルド本社の一階も、普通のギルドと同じ。斡旋窓口やらギルド口座の役割があるんだよ」
「はぁ…成る程ね。何かビシッ! とした格好してないと駄目かと思ったけど、デバイスを持ってるヒトも入れるんだ」

 本社も他のギルドと同じ作りになっている。
 いや、元を正せば、本社の形態を真似て支社のギルドが作られているのだから、似通うのは当たり前なのだ。現在のギルド支社は、大体がこのギルド本社が出来て後に同建設会社の元に建てられているのだから。
 へー、と声を漏らすスゥを引っ張り、クラウンはその中へと今度こそ足を踏み入れた。
 美しく配置されたタイル、バランスの取れた構造配列、太陽の光が入る様に設計されたガラスの位置。それらは他のギルド支社にも使われる技法ではあったが、しかしこの本社はスケールが違う。一階のカウンターだけで十倍以上の広さを誇っているからか、支社で感じた温かい感じは何処にも無く、むしろ神殿を思い起こさせる造りであるとさえ言えた。
 そんな中をクラウンはギルド斡旋系の窓口ではなく、来訪者の為の受付へと向かう。
 今回は仕事の請負ではなく、いや、言ってしまえば既に仕事を請けている状態で――アズイル・ゼットと言う友人を迎えに来たからだ。
 やがて、受付と入り口の中間位に差し掛かった頃に突然クラウン達の前方で受付嬢が『あぁっ!!』と言う声を上げると、思いっきり立ち上がって指をさして来た。

「…クラウン…知り合い?」
「…あぁ、まぁ…な」

 酷く微妙な表情でクラウンが頷く。
 スゥもそんな表情から何かを読み取ったのか、眉を顰めて若干クラウンよりも後ろに下がった。
 これから起こる何かに備えて対衝撃姿勢を整えたのだ。ここら辺は既にクラウンやヤヨイと行動を共にして一ヶ月弱。慣れた物である。
 そうして未だ立ったままの受付嬢の前まで来ると、クラウンは微妙な表情のままに頭を下げる。

「ども、お久しぶりです。マルーさん」
「く、クラウン! やっぱクラウン!?」
「えぇ、クラウン・バースフェリアですよ、マルーさん」

 そんな光景を見て、スゥは知り合いなんだなー、と漠然と感じていた。
 クラウンもクラウンで、微妙な表情はしているが懐かしそうに目線は細めている。マルーと呼ばれたエルフの女性も、クラウンを見る目線は多少であるが細められ、懐かしく思っ

「貴様クラウン! 次回は報酬で奢るって言ってそのまま消えやがって!」
「………。うん、まぁ…」

 懐かしむよりも、怒りに目を細めてる方が正解だったと。
 スゥが見る先で、受付から乗り出したマルーがクラウンの胸倉を掴んでガックンガックン揺らしている。クラウンは顔が青ざめ始めているが、マルーがクラウンを揺らす手は未だ高速稼働中だった。

「お、俺はそんな約束した覚えが…」
「私が決めたんだ。私が法律だ!」
「そんな馬鹿な…」
「あ゛ぁっ!?」
「す、スンマセン…」

 クラウンが状況に耐え兼ね謝罪の言葉を吐くと共に、マルーはクラウンの拘束を解く。が、未だその視線は怒りの様な微妙な感情によって細められている。そしてその視線がスライドして、

「で、クラウン。こっちのちっちゃいのは?」
「ち、ちっちゃ!?」
「ん? もしかして魔者?」
「そうよ! いきなり失礼ね!!」
「あー、悪かったわね。謝るわ」

 メンゴ、とマルーがのたまう。反省していないのは丸解りだ。
 しかしこの身は魔者。高次元の存在。寛大な心で相手をゆ

「で、クラウン。このちっちゃいのは?」

 失礼ワード続いて二発目が直撃。

「またぁっ!?」

 しかし今度はスゥの叫びに反応する事無くスルー。
 何て太い神経、と言うよりは斜めに立つ精神構造か。クラウンはそこら辺既に弁えているのか、一瞬で再起動するとマルーの言葉に頷いた。

「え、あー…この前新しく契約した魔者のスゥです」
「へぇ…アンタ、多重誓約者(マルチプル・リンカー)になったの。私はてっきり、」
「てっきり?」
「少女性愛者への開眼を果たしたのかと」
「違いますっ!!」

 一体何処のシュレイか!?

「えー…? だって、私が知る限り、あのヤヨイと一緒に居て嫌に態度がよそよそしくなるのに一年掛かってたのよ? 同じ屋根の下に暮らしてて。あの頃、私はてっきりアンタがそう言う趣味じゃないかと疑ってたんだけどね、実は」

 フー、ヤレヤレ。
 エルフの耳をピコピコ揺らしながら、マルーは大仰に手を肩の位置まで持って行ってみせた。
 癪に障る。が、下手に恩があるだけに何も言い出せず、受付カウンターを掴みながら『もう嫌だ』と呟きながらクラウンは蹲った。

 クラウン、そしてシュレイは、過去本社勤務で働いていた頃が存在する。
 明確には、クラウンがヤヨイと契約してから、シュレイがトレジャーハンターの資格を取る為にコンビを解散させる事になった時まで、である。その時に、色々と依頼の請負に関してや、その他の世話をして貰ったのが、クラウンの前、ギルド本社の受付嬢として働くマルーだった。
 アズイルも斡旋部部長と言う肩書きは持っていなかった頃なので、そう高い権限は無い。多少、振り分けに対する会議に於いて、知り合いに優秀なのが、と言い出せる程度だった。まぁ、それで一ヶ月に一回程度クラウンとシュレイに難度の高い仕事を斡旋出来るのだから、アズイルと言う男の優秀さが良く解ると思うが―――それでも、その頃アズイルは下っ端でしかなかったのだ。
 そこで活躍したのが、このエルフ種族にして長年受付と斡旋窓口嬢を勤めるマルーだった。
 クラウンとシュレイを何故か可愛がってくれたマルーは、仕事で報酬の良い物を何かと二人に回してくれていたのだ。アズイルとマルーの働きによって、クラウンとシュレイは飢える事も無く、順調に資金を貯める事が出来たと言っても過言ではない。
 …まぁ、その代わり命の保障がされていない事が結構多かったのだが…。

「そう言えばそうね…何か、こう…クラウンがチラチラとヤヨイを見て顔を紅くしてる日の後に、」
「ギャー!! 何、人の過去を赤裸々暴露してんですかっ!?」
「クラウンは私に高級料亭で奢ってくれる約束をして消えたんだったわね」
「聞いてねぇっ! しかもしてない約束がでかくなってるし!!」

 もう止めてくれ。もう沢山だ。
 クラウンが死にそうになっているのを横に、スゥは今の話に顔を紅くしながら興味津々と言った感じで頷いていた。
 そんな状況にやっと満足したのか、マルーは細めていた目線を元に戻すと静かに受付の席へと腰を落とした。そして、

「はい、では改めて。ギルド本社にようこそ。今日は何のご用件でしょうか?」
「ぐぅ…さ、最初から普通に受付やって下さいよ…死にそうですよ」

 主に精神がブレイク寸前だ。
 人が一杯居る中で、公開羞恥プレイは酷すぎる。

「まぁ、いいじゃない。世話してあげた私や、他の子達にも何も言わずに行っちゃったんだから」
「…その件はすみませんでした…」
「で、まぁ、高級料亭ってのは、クラウンとシュレイの送別会の“予定”ね。受付と斡旋部の一部で行く予定だったんだから」

 全く…。
 マルーが、先程とは打って変わって、“その姿に相応の仕草”で溜息を吐き出しながらクラウンに愚痴る。その“相応”である、艶めかしさを含んだ溜息にクラウンは苦笑を漏らし頷いた。

「まぁいいわ。それで? 今日の予定は?」
「えぇ、アズイルがゴルゴーズに出張するらしいので、その護衛をする為に来ました」
「…あぁ。部長の右腕はキャットに、ハーフとは言えエルフですものね。成る程。それでクラウンに護衛の依頼が行った訳か…。ま、良いわ。斡旋部の方には連絡してあげるから、そこら辺の席に腰を下ろして待ってなさい」
「はい、宜しくお願いします…」

 マルーが微笑むのに合わせ、クラウンが頭を下げた。
 やっとこれで先に進む事が出来る、と内心で溜息を吐き出す。取りあえず、マルーと言う女性が真面目になってくれる時は物事は簡単に進んでくれるのだ。故に、何を心配する必要も無い。
 彼女は受付嬢と言う立場ながら本社内部では馬鹿に出来ない立場に居る。各部署、その上層部に太いパイプを個人的に持っているのだ、マルーと言うエルフは。
 彼女は長くこの場所に居る。
 社の見栄えを保つ為、本来であれば入れ替わりの激しい受付嬢という役職を、そのエルフと言う種族柄を生かして長く永く存在している。エルフの成長速度は15歳を過ぎた辺りから四分の一から六分の一程度の老化速度になると言われている。
 つまり彼女は、夫の帰るべき場所を守る婦人さながら―――社の上層に立つ者達が若い頃から、彼らと交友を温め、共にこのギルド本社を築いてきたヒトなのだ。
 だからこそ、若輩だった頃のアズイルがマルーと言う役員に意見出来るヒトに気に入られたからこそ、クラウンとシュレイは特例的にランクの高い仕事を請ける事が出来たとも言える。

 何から何まで、ヤヨイと同じレベルで頭が上がらないな…本当に…。

「お茶でも出す?」
「いえ、連絡入れれば直ぐ来るでしょ。いいですよ」
「じゃぁ、お茶飲んでから連絡入れましょうか?」
「はは…」

 全く…頭が上がらない。





* * *






「クラウン」

 その男の声が響いたのは、一階ロビーの客席で二杯目のお茶をご馳走になっている時だった。
 呼ばれた声に視線を上げ、受付の横、エレベーターホールから二人を伴って歩いてくる男を発見した。

「アズイル」

 あのヒトが?
 スゥの疑問の声に頷き、席から立ち上がって出迎える。
 黒い、クラウンと同じ髪の色に、ブルーアイスの怜悧に細められた瞳。そしてその冷たそうな印象を緩和するかのように銀縁の眼鏡を掛けた美貌の持ち主。

 変わってない…。

 その事実に苦笑、クラウンは口元を笑みで弧に歪める。

「久し振りだな、クラウン。五ヶ月近く前の仕事で顔を会わせて以来か?」
「その位か? まぁ、元気そうで何よりだよ。それに―――」
「お久し振りです、クラウンさん」
「久しいな、バースフェリア」
「えぇ、メルさんも、四季織さんも、お久し振りです」

 アズイルの横に立つキャットの異種と、ハーフエルフが共に頭を下げる。
 共にSクラスの事象操作騎士にして、斡旋部お抱えのアズイル直属騎士。
 Sランク【 風見鶏(エア・ブレイド) 】―メル・カノン
 そしてS+ランク【 雷戦姫 】―黒崎 四季織
 二人が二人ともS以上であり、それが斡旋部部長の片腕であるのも驚きなら――片方に“黒崎”が居るのも驚くべき事実だった。
 倭国討魔機関【 神祇 】筆頭、黒崎家。加え、四季織はそこの長女である。かなり重要な位置に居る存在なのだが、何の因果か彼女は『家には兄も弟も居る。私が居なくても大丈夫だろう』と言い、アズイルを仕えるべき主として定めてこの場所に居た。何とも世界は狭い。
 最近ルルカラルスに住み着いた“御盃家の令嬢”を思い出しながら、クラウンは溜息を吐き出す。

「?、どうしたクラウン」
「あぁ、別に何でもないよ…」

 本当に何でもない。
 相変わらず凄い部下を持ってるな、等と言う感想は言い飽きて最早考えるのすら面倒なので、一々口に出す様な真似はしない。時間の無駄だ。

「それでクラウン、」
「うん?」
「そちらのお嬢さんは?」
「あぁ、俺が契約した魔者だよ。スゥ」
「う、うん」

 クラウンに言われて、スゥがおっかなびっくりアズイルの前へと歩み出る。
 普段は大きな態度も、アズイルの様に根っからのビッグなカリスマの持ち主の前には小さくならざるを得ないらしい。

「スゥ・ディ…です」
「あぁ、アズイル・ゼットだ。今回は宜しく頼む、スゥ」

 互いに挨拶を交わし、アズイルが手を差し出す。
 その手に一瞬だけスゥはきょとんとして、

「あ、はい、宜しくされました」

 握手の為にその手を掴んだ。

「おいおい、宜しくされましたって何だよ」
「ふぇ…あっ…! ば、別に緊張なんてして無いわよっ!」
「はっはっは、自分で言ってちゃ世話無いぞ?」

 ケケケ、とスゥを笑うクラウン。
 と、そこでクラウンは一つの事を思い出した。
 それは今のアズイルを見て一つ感じた事。

「そういやアズイル。剣はどうした?」

 そう、クラウンの記憶が確かならばアズイルは一振りの剣を持っている筈なのだ。術式を彫り込んだ白色の美しい鞘に納まった剣を。

「今回は場所が場所だ。それに、あちら側に持ち込むとしたらそれなりに時間が掛かってしまう」
「まぁ、確かに。お前は俺とは違って、生粋の“魔剣使い”だからな…」

 そう、アズイルは誓約者――リンカーではない。
 旧大陸の遺物。始めから術式の論理を組み込んだ演算兵器―――彼は“魔剣”を扱う者だ。
 魔剣はそれ単体で力を引き出せる兵器である。莫大な破壊力を持つ面は誓約魔剣と変わりはしないが、しかし、抜き放ったままにしておけば濃密な魔力臭を放ち魔獣を際限無く呼び込む点は、魔者を使役する者と比べ大きな危険を孕んでいる為、国境を越える際は厳重な審査が行われる。
 それが西側から東側へ向かうとなれば尚更の事。
 アズイルがギルド本社の斡旋部部長であったとしても、審査には三日四日掛かってしまう事だろう。
 故に、今回に限っては己の武器を置いていくというのは良い判断である。

「いざとなったら俺を護ってくれ」
「“いざ”と言う事態が起こらない事を深く祈るね、俺は」
「違い無い」

 そう言って二人で喉を震わせて低く笑う。

「…さて、それでは荷物を持ったらエストルダム行きの列車に乗るとしよう。それまではメル君が車の運転を行ってくれる」
「ギルド協会の自動走行車か?」
「いや、我が家のだ」
「………このブルジョワめ」

 この時代、魔石機関が小型化し、自家用車に搭載されていると言ってもその価値は高い。普通に市販される自動走行車の価値は、クラウンが持つ一般的な新品デバイスの値段、五振りから六振り分。値段にして五百万WM〜六百万WMである。
 もっと簡単に言えば、今回クラウンが命を掛ける仕事の値段だ。
 そんな、クラウンの悲劇一回分を普通に所有していたら『ブルジョワ』と罵りたくなるのも最もだと言えるかもしれない。だが、それこそ24歳と言う若さで部長の地位に立っている証拠でもある。

「僻むな、クラウン。お前が俺の下に居たままであったなら、シュレイと同程度の利益は生み出していたのは確実だったんだ。それを自分で蹴って、今の場所に落ち着いたのはお前だろう?」
「ポーズだよ、只の。だから真面目に受け答えするな」

 俺は今の生活に満足してるんだから。
 クラウンは頭をガシガシと掻きながら溜息混じりに言う。

「分かっているさ。解っていて言ったんだよ」
「それなら尚更の事、始末に終えんな…」
「俺が快調な時期に二人揃って去って行ったんだ。虐めたくもなるさ」

 そこでアズイルは話を打ち切ると、隣に立っていたメルに車のキーを渡してさっさと玄関へと歩いていってしまう。そんなアズイルの背中に『子供か』とクラウンが眉を顰めながら溜息。続いて苦笑しながら置いていた荷物を背負った。

「バースフェリア。気を悪くするなよ? あの方は、」
「解ってますよ。付き合い長いし…全く…変な処で子供だと言うか何と言うか。俺達の中で一番の年長はアイツなんだがな…そこだけは昔から変わらない」
「まぁ、言うだけ愚問だったか」

 クールな外見のくせに、中身は割りと熱い。
 自分だけ蚊帳の外は嫌う。
 それらを総合しての、生粋のお節介焼き。

「歯痒いんでしょうね、部長は」
「生粋のお節介焼きですからね、しかも相当性質の悪い」
「だからこそ、私やメルが傍らに居る」
「全くです」

 愛されてるねぇ…アイツも。
 堂々と“愛している”と言う態度の彼女達を見ながら思う。
 アズイルはお節介焼きだ。だからこそ、歯痒いのだろう。
 自分が、クラウンやシュレイの友達と言う存在でしか側に居られない事が。
 それは立場的な事も勿論ある。
 だが、それ以上に―――アズイルは身体が弱いのだ。
 後天的にアズイルは内臓が弱い。それは病気でそうなったと言う訳ではなく、傷つけられた内臓の治療が遅れてしまったが故の事だった。
 死ぬ可能性すらあったのに、今現在は稀に薬を服用する程度で済んでいるのは僥倖だと言える。しかし、だからこそ、アズイルはクラウンやシュレイと共にもう一度同じフィールドに立てない事を悔やんでいる。クラウン、シュレイ、そして今は聖女となってしまったもう一人の傍らに在った“参謀”として立てない事を。

 そうして、役に立てないと勘違いした(・・・・・)アズイルが手に入れたのが、今の地位だった。

「何ともまあ…友達甲斐のある奴ですよ」

 言い捨て、クラウンがアズイルの背中を追う様にさっさと歩いてゆく。

「私達に言わせてみれば、どっちもどっちの様な気がしますが…」
「全くだ」

 四季織が微笑み、くるりと背を向ける。
 見送りはここまで、主を女々しく何時までも見送る真似はしない。言外にそう語っている様な空気を纏い、四季織はエレベーターホールへと歩いていく。
 好きな男性を見送る姿としては、余りにもさっぱりした態度の女の姿を見ながらメルが苦笑する。

「相変わらず態度だけは男らしいヒトですね…」
「…?」
「あぁ、何でもありません。さぁ、行きましょうかスゥさん。二人が待っています」

 キャット特有の猫の耳を揺らしながら、今の状況を良く解っていないスゥをメルが急かす。女性特有の部分だけ、自分より女らしい四季織に羨望混じりの視線を送ったのは抹消したい事実なのだった。
 一応、アズイルの“一番の側近”であると自負しているが故に。

「それじゃ、部長の車回すんで、お二人と共に外で待ってて下さいねー」
「あ、うん…?」

 言うだけ言って去って行くメル。その様は何処か先程去った四季織に似ていた。
 取り敢えずスゥが彼らに抱いた感想は、

「何て言うか…クラウンやヤヨイ様達みたいに“濃い”わねー…」

 そんな感じだった。



#3-end






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