列車に揺られ、揺られ、揺られ、
三人の先に、その世界が姿を現した。
外見的には何処にも大きな変化は無い。
見える限りの範囲で、“其処”に可笑しな点は見受けられなかった。
しかし、

「空気が、」

違う。
先程までの物とは明らかにソレは違った。
それは別に雰囲気と言う訳ではなく、
街の色。或いは物に付く筈の匂いが違った。
何色もの色が混ざった世界ではなく、たった一色を許容した様な匂いの世界。

「六年振りか、クラウン」
「……そうだな…アレから六年経ったんだったな…」

二人が、色の無い、無表情に近い声色で呟いた。
六年。
二人は確かにそう言った。
どんな確執がそこに在るのか、それは横で聞いていたスゥには判らない。
だが、この場で問い質せる様な簡単な物ではない事だけは、スゥにも理解する事が出来た。
そうして、振り向いた視線から再び窓の外の世界を見渡す。
ここはブルースフィアの一国。
ルルカラルスと同じ、国という一つの世界。
しかし真逆の色合いを持つ世界を、
只、スゥは様々な思考を巡らせながら見渡していた。


























The duet with the lunar
の精と二重奏(デュエット)を――


Rabbit's hometown.
―兎の故郷―
#4 殺刃と魔人




















 プシッ
 もう聴きなれてしまった列車の扉が開く音を聞き流しながら、クラウンはゴルゴーズの中央都市、そのガルベナの駅へと足を降ろした。
 自分やスゥの着替えや、アズイルの荷物を背負って列車の中から降りたクラウンは、やっと着いた、と言外に含む疲労の息を吐き出しながら一度周りを見渡す。
 違和感は無い。
 そこにはヒトが普通に歩き、次の列車を待つ姿を見受ける事が出来る。
 表面的には、この世界に可笑しな処は存在していなかった。

「クラウン…」
「ん? 何だ、スゥ」
「ねぇ…キャットやバードの人達が見当たらないんだけど…」

 そう、表面的には(・・・・・)
 見渡す世界には人間が居る。
 しかし、それ以外(・・・・)が其処には居なかった。
 普段普通に見る事が出来るバードも、キャットも、エルフも、何もかもが其処には居ない。
 スゥやクラウン、そしてアズイルが見ている筈の“普通”が、そこには存在して居なかったのだ。

「…取り敢えずは外に出るぞ? 話は出てからだ」
「…うん」

 クラウンの言葉にスゥが素直に頷いた。
 解っているのだろう、頭の中では。スゥは決して馬鹿な訳では無い。しかし、訊かずには居られなかったのだ。この“異常”の事を。
 この場所には、スゥが慣れ始めた世界が無かったが故に。

 しかし、異常はもう一つ存在していた。

 それはクラウン達以外、その列車から降りる者は居ないと言う事。
 いや、降りた者は存在するが、それは例外だ。
 彼らは客ではなく、軍事国家エストルダムの事象操作騎士なのだから。
 日に数本しか存在しない、“中継地点”からの列車を護る騎士。
 トルストイとゴルゴーズは、直接一本の線路で繋がっている訳では決して無い。トルストイとゴルゴーズの間には、挟まれる様にして軍事国家エストルダムが存在している。唯一の西側と東側を繋ぐ、完全実力主義国家が。
 トルストイからエストルダムに国境越えの列車で入ると、国境を越えた時点で線路は途切れている為に一度列車から降り、今度は別の便で東側へと行かなければならない。これはエストルダムが、西側と東側の互いの干渉を避ける為に設けた間接的な手段の一つである。この冷戦が続いている時代、中立国家であるエストルダムは聖法国ゼスラに次ぐ軍事力を持った国として、互いの国に“密入国”と言う手段を用いて侵入しようとする諜報員を完全にシャットアウトしている。
 繋がらない線路はその一環であり、どうしても調べきれない場所に侵入され、そのまま検問を素通りされても必ず一度は降りる(・・・・・・・・)状況を作り出す事で警備体制を強化しているのだ。
 軍事国家エストルダムに入るだけであれば、そう苦労する事は無い。
 何もエストルダムは鎖国をしている訳では無いし、現在何処と戦争状態に突入していると言う訳でも無いからだ。只、東と西を跨ごうとした場合、可能な限りの審査を行っているに過ぎない。
 クラウン達と同乗していた騎士達もその一環である。
 クラウンはともかくとして、アズイルは世界各地に支社を持つギルド協会の斡旋部部長であるが、彼らは万一に備えて術式兵装一式を安全の為に預かると言う名目で管理し、絶えず監視の目を光らせていた。
 そう、数が限りなく少ない“中立国家から東側への来訪者”を、全て監視しているのだ。

 世界は平和である。
 表面的には。

 住む世界が別たれ、それぞれが住むべき場所で生活し、日常を送っている。
 だが、それは相手に理解される事が少ない、まるで柄の無いコインの裏と表の関係に似た日常と非日常の関係。自分達にとっての日常が彼らにとっては非日常であり、彼らにとっての日常が自分達にとっての非日常である。
 ヒトとは異常を嫌う生物である。
 故に、常識外の世界を人々は忌み嫌い憎悪する。
 カエルミア大陸を地図で眺めた時、絶妙に世界が別たれている事を伺い知る事が出来る。本来衝突する筈のトルストイとゴルゴーズは、“完全実力主義”を謳う“第三者的立場”を持つ国家が間に挟まる事で軍事衝突が回避され、旧スヴェルシュ・ラントと言うカエルミア大陸の中心を、ゼスラが要浄化地域として管理する事で一応の不可侵領域を設ける事で別けられているのだ。そうして大々的な衝突が回避され、ヴァナーギーエンとヴェノファリアの国境付近でしか戦闘は起こっていない。
 余りにも絶妙。絶妙過ぎて、何時このシーソーのバランスが崩れるか分からない。
 彼らエストルダムの騎士は、そんな危うい世界情勢のバランスを維持する為、こうして全ての来訪者を監視しているのだ。

「ギルドが世界各国にあると言うのも考え物だな…」

 吐き出し、苦笑する。
 ギルドは世界中に支社を持つ企業である為、国境が関係無い。
 いや、ギルド内部でも賛成だ反対だの対立は存在するが、それ以上に利益不利益による争いの方が大きいのが幸いしているのかギルドを東と西に分断する動きは起こっていない。
 皮肉な事に、争いは、より儲かる争いによって鎮圧されているのだ。

「クラウン・バースフェリア様」
「ん、あぁ」

 トルストイに入る時よりも些か厳重さが増した警備の中、己が纏うべき術式兵装一式を手渡される。
 今回はこの場で装備を纏う。
 アズイル・ゼットの守護者を担う事象操作騎士として、“敵”からの干渉を許さぬ様にクラウン・バースフェリアの騎士の精神を纏うのだ。
 漆黒に銀細工をあしらった結界装甲を纏い、敵を切り裂く為のデバイスを携える。

「………」
「準備は良いか、クラウン」
「あぁ、構わん。ゼット部長閣下殿?」
「クッ…では行くとしようか」

 そうして三人は警備に見送られ、その世界に足を踏み入れる。

「それでは、何も無き様、どうぞ行ってらっしゃいませ」

 彼らの“注意”を背中に受けながら。





* * *






 駅から一歩出た時、その“変化”は顕著に表れていた。
 居ないのだ、異種が。
 何処を見ても人間だけ。
 歩いていても、稀に魔者の様な存在を見かけるだけで一行に異種を見かける事が無い。

「何となく、解ってるだろう?」
「……うん」

 クラウンの声に、スゥが静かに頷く。
 解ってはいたのだ。何となくそんな事もあるのではないのだろうか、と。
 しかし、それを認めたくは無かっただけ。スゥは最初に駅へと降りた時点で、既に解っていながら疑問を投げかけたのだ。そう、信じたくないが故に。

「これがこちら側の現状だ。我々が住まう世界とは、社会を構成する要因が捻じ曲がって作られている。確かに異種をこちら側でも見かける事は可能だが…」
「…人間の住んでる場所には、居ない…?」
「あぁ、それも(・・・)正解ではある」
「それも?」

 スゥの疑問の声にアズイルが頷く。

「それも、だ。確かにこちら側の国では、異種は排斥され、人間が住まう都市から離れた辺境に隠れ里を形成して生活している。都市部に住む事が出来ないのならそれは自然の流れであるし、異種側もそうした方が幸せだ。しかし、中には都市部に住まう異種も確かに存在している」




「奴隷として、な」




 一瞬、その言葉が理解出来なかった。
 思考を停止し、再び起動して、アズイルの口から出された言葉を吟味する事で始めて“その言葉”の意味を理解する事が出来た。

「何、それ…」

 何だソレは。
 可笑し過ぎるだろう。
 自分が降ろされた西側はあんなにも皆が皆普通に暮らしていると言うのに、東側には普通に暮らす事すら許されていないのか。
 隠れ里を形成している。
 これは良い。本来良くは無いが、こう言った情勢で、人々が持ちえる感情が分かれてしまうのは自然的な事なのだから百歩譲ってそれは良いとしても、

「奴隷?」

 人権を剥奪し、給与も安息も与えられず、飼い主(・・・)の玩具としての存在を強要される。
 病に掛かろうが、死のうが、そこには何も無く、悲しみを与える事は無い存在。体の良い使い捨ての玩具。

「ふざけてるの? それ」
「…それがこちら側の現状なんだよ。俺達が住んでいる場所とは、明らかに違い過ぎるんだ」
「だったら、否定側から異種の人達を引き受ければ良いじゃない。そうすれば…」
「それは以前考えられた。史実、ルルカラルス、及びメルサイアスが異種の受け入れ意思を否定側に表明した事が、確かに過去存在している。しかし、それは失敗に終わった。何故だと思う?」
「………」
「…彼らはルルカラルスとメルサイアスにこう言ったのだ『我が国の重要な労働力を奪われては困る』とな」

 鉱山での採掘作業。賃金も無く、身体を壊しやすい重労働を彼らは“亜人”を用いる事で効率的に処理している。
 そして奴隷商。一定レベル以上の家庭ならば、何の疑問すら抱かずにこちら側の人々は異種を安く買って家で使っている。
 どちらも、使い捨ての資源として。
 その他にも危険な事の殆どは異種に任され、人間は安全圏で快適な暮らしを送っている。
 それが、当たり前であるかのように。

「最悪…」
「人間を嫌わないでくれ、なんて言葉は同じ人間が吐くべき事じゃ無いんだろうがね…」

 嫌わないでくれ、なんて言葉は告げてはならない。
 それは個人で決める事だし、だからこそヤヨイは今回スゥを否定側へと連れて行く事に賛成したのだろう。己の意思で決断させる為に。
 人間と共に歩む事を許容するか、それとも許容しないかを。

「面倒な、」
「………」
「面倒な話よね、ホント。同じヒト、人間であると言うのに、住んでいる場所が、世界が違うだけでこうも考え方が変わってしまうなんて…」

 誰が、ヒト同士がいがみ合うこんな世界を創ったのかしらね?
 スゥが嫌に成る程に澄み渡った空を見上げながら小さく呟く。
 創造主はエデンに居ない。
 創造神と言う、唯一この世界で崇められる神霊は存在していないのだ。
 もしかすれば、エデンより上の世界が存在しているのかもしれないが―――現状、確実に言える事が一つだけある。

 創造神は、ブルースフィアを管理していない。

「神は不在。だからこそ、我々が責任を持たねばならん。それがどう言う事だか分かるか?」
「………何となく、分かるわ」
「……ヒトがこの先滅ぶのも、存続するのも、自分達の責任以外にありえないと言う事。神は不在。故に、この世界で生きる者達は世界の終焉を誰の所為でもなく、自分達の責任として受け入れなければならない」

 クラウンの横を歩くアズイルが目線を細め、空を睨んだ。
 しかし、何の言葉を吐きかける事無く、その視線は再び前方を見るだけの物へと戻る。
 そして一息吐いた時には、張り詰めた様な空気は既に無くなっていた。

「……、ねぇ」

 アズイルの言葉が終わると共に訪れた静寂の中、スゥが耐え切れなくなった様に言葉を漏らした。
 しかし、『そこに口に出してしまった』とそう恥じる雰囲気は無く、只何時もの様に物を尋ねる様にして、

「クラウン達は、違うわよね…」

 そんな言葉を続けて、顔を俯けた。
 それは、契約を断ち切る為の言葉か、それとも契約を続ける為の言葉か。
 無論、後者であろう。
 スゥは信じたいのだ。身近になった者を。
 確信を得たいのだ。今まで見てきた姿を嘘にはしない為に。
 だから、

「違うさ。約束してもいい」

 何時もの口調でクラウンは言うのだった。
 しかし、それ以上は決して言わない。
 スゥもそれは理解しているのだろう。只、俯いたままの状態から頷くと顔を上げ、何時もの少し吊り上った視線を前へと向ける。
 照れだとか、恥ずかしいとかでは、決して無い。
 それ以上必要ない。只、それだけ。
 契約を交わしたが故の了解の仕方だった。
 そんな二人を見て、アズイルが小さく微笑んだ。

「さて、行くとしよう。時間は有限なのだからな」

 そうして再び強く歩を進め始めた。





* * *






 結果的に言って、護衛の仕事は成功だったと言える。
 別に戦った訳では無い。
 只単に何事も無かっただけ。
 いや、無いに越した事は無いのだが、向こう側も現状は理解しているらしかった。いくら賛成側とは言え、ギルド斡旋部部長と言う役職の彼を殺そう等とする馬鹿は居ないという事だ。
 クラウンは何事も無くて良かった、と思いながら現在は壁に背を預けてアズイルの背中を見守っている。ちなみにスゥはデバイスの中。共にアズイルと、その向かいに座るゴルゴーズ支社の総括である男を見ている。
 社内視察を“抜き打ち”で行い、現在は支社長と会談中、と言う訳だ。
 特に問題は無いのだが、

『ねぇ、クラウン』
『何だよ』
『あっちからの視線が痛いんだけど』
『言うな。本気で無視するの結構大変なんだから』

 アズイルには問題無い。
 問題があるのはクラウンの方だった。
 クラウンはアズイルのガードである。で、あるならば無論、向こう側にもガードは居るのは当たり前の流れ。何が気に入らないのか、支社長のガードらしい男は先程からずっとクラウンに殺気を浴びせ続けている。

『あ゛ー、早く終わらないかなぁー…』
『ねぇねぇクラウン』
『何だよ…』
『私とクラウンで勝てる?』

 何に、とは訊かない。
 そんな物は決まっているからだ。
 クラウンはスゥの念にそっと溜息を吐き出す。

『負けない』
『ホント?』
『戦わないからな。負けも勝ちも無い』
『ちゃんと答えなさい』
『…はぁ…』

 内心で溜息を吐き出し、クラウンは今現在シカト真っ最中である相手へと一瞬だけ視線を向けた。

「………、」
「………」

 一瞬の視線の交錯。
 そうしてそれ以上の視線の応酬を控え、再びクラウンはアズイルの背へと目を向ける。

『微妙』
『微妙?』
『流石支社長レベルのガードってとこだ。立ち姿にブレは無いし、視線に“揺れ”も無い。案外汎用精霊じゃなくて魔者と誓約してるかもな』
『魔者と契約してるかなんて分かるの?』
『勘が8割、統計から来る結果が二割ってところ。魔者が契約する者は、大抵何かしら目標を持っている奴が多いってのがあるんだ。だけど、だからって魔者と契約するって訳じゃ無いだろう? だからあくまで可能性として、だな』
『ふぅん?』

 微妙だ。
 目測と勘、それと今までの戦闘経験から推測するに、相手のランクはS+〜SS+近いと判断している。そのランクでは尚更、汎用精霊の火属性攻撃でスゥの属性が克されて負ける確率が強い。そしてもう一つ。スゥと共に潜った死線の数は未だ無く、戦闘経験はゼロである。この状態で誓約者相手に勝とうとするのはかなり無謀だ。はっきり言って格下でなければ勝つのは難しいだろう。
 まぁ、それでも―――

 戦うのなら、絶対に勝つ。

 と、スゥには届かない奥底で思っているのだが。

『くくくっ…』
『??』

 内心で、そんな自分の心に笑い、
 と、そこで前方から人が動く気配が届いた。
 片目を瞑り、もう片方の目で見遣った先には立ち上がった二人の姿。二人は“表面上”良い笑顔で握手を交わし、今回の視察は実に参考になっただの本社斡旋部の貴方に会えて良かっただのと言いあっている。
 いや、何処まで本気なのかが判断出来ない部分が実に凄い。両者ともが狸と狐の皮を被っている様に見える。
 だが、化かし合いならアズイルが一枚も二枚も上手だろう。
 アレは内心を隠しているだけの状態だ。心を仮面で隠し、もう一つの顔で相手と相対しているだけの状態。もしもアズイルと何かしら交渉ごとを行うと言うならば、あの支社長では役者不足と言う物だろう。いや、アレと対等を求められるのは酷か。
 では、とアズイルが告げながら支社長と共に歩き出す。
 クラウンは今考えている事を止めると、彼らの動きに遅れる事無く追従した。
 横に並ぶのは支社長の騎士。無言の圧力は未だ続いている。が、ここで何か反応を返すのは状況を悪くする事へと繋がるので、一切の反応を返さずにそのまま歩く。しかし、

「逃げるのか」
「………」

 相手側はそうでも無いらしい。
 内心で『安い挑発だ』と思いながら、それでもクラウンは反応を返さない。

「その剣は飾りか、と訊いているんだが?」
「………」
「……チッ…」

 僅か十秒ほど。アズイルと支社長が応接室の外へ出る間の時間。
 その間でやり取りは、一切の“不協和音”を出さずして終結した。
 プレッシャーを放っていた騎士は軽く舌打ちすると、再び支社長の後ろへと回り守護者の役割へと戻る。クラウンもアズイルの背後へと回り、その雇い主の行動へ意識を向ける状態に戻っていた。
 アズイルが軽く会釈し、エレベーターへと乗り込む。
 背を向けるアズイルを最後まで守護してクラウンも乗り込み、

「………」
「………」

 エレベーターの扉が閉じる瞬間に一度だけ、二人の騎士の視線が交錯して、

 ゴンッ

 出会いを別けた。

「…どうだった、メイオン」

 クラウン達が乗り込んだエレベーターを最後まで笑顔で見送っていた支社長が、表情を消して背後に居る騎士へと語りかけた。
 メイオンと呼ばれた、今の今までクラウンにプレッシャーを放ち続けていた騎士は支社長の言葉に一つ重々しく頷き口を開く。

「流石、としか言い様がありません。正直、不慮の事故(・・・・・)が起きたとしても、アレなら易々と潜り抜けそうな気がします」
「ふんっ…お前もそう思ったか」
「…お前も、ですか?」
「私も思ったからだ」

 荒く語尾を切りながら、支社長は踵を返してエレベーターホールから歩き出してゆく。

「噂には聞いていたが…アレが本社の魔人と、その懐刀の一人か…」

 そして、今度は諦めた様に溜息を吐き出した。

「一部門を若くして任された“天才”に、その直属の“人間の誓約者”…(あざな)は確か―――」




「【 殺刃(キリング・エッジ) 】」





* * *






 ゴルゴーズ支社の自動扉が開き、二人がそこから姿を現した。
 一人は冷たい美貌を持ったアズイル・ゼット。
 そしてもう一人は、

「うくっ、くっくっく…」

 正直不気味に思えてしょうがないオーラを全身から滲み出す、笑い出しそうな男クラウン・バースフェリアだった。
 どうしてこんなにも嬉しそうにしているかと言うと、

「ほれ、クラウン。一応の成功報酬600万だ、受け取れ」
「現金万歳!!」

 成功報酬がこの場で支払われる事になったからだった。
 札束が六つ。クラウンは確かに束が六つあるのを確認すると、辺りに自分達を見ている人間が居ないかキョロキョロしながら己の懐にいそいそと札束を仕舞いこんだ。
 はっきり言って不審者だ。

「くくくっ…今回は何の事件も起こらずに仕事が終了したぞっ…! いやいや、アズイルから任される仕事では初めてかもしれない体験だ。うん、踊り出したい位に最高だね!」
「失敬な…毎度毎度、事態を悪化させるのは貴様とシュレイの才能だ。馬鹿が」

 呆れと憤りの息を吐く“天才”に、動きを停止する“馬鹿”。
 アズイルが掛けていた眼鏡を取り、もう片方の手で目元を揉みながら愚痴る。

「紛争地帯に居る【 比類無き青(インペリアル・ブルー) 】に、試供の武装一式を届けろと言うだけの命令に対して、貴様とシュレイは何をやって来たか言ってみろ。ん? 何でお前らはそれだけをこなして帰ってこない。何を一々紛争地帯で戦って帰ってくる阿呆。お前ら、俺の内臓が弱いのを知っていて止めを刺したいのか? 別件もそうだ…」
「す、スンマセン!」

 これ以上アズイルの愚痴を聞きたく無いのと、色々とイタイ過去の古傷が開きそうなので早々にクラウンが頭を下げる。その時にびゅごっ、と言う風を切り裂く音が聞こえたのは間違いでは無いだろう。

「…本当に理解しているか?」
「えぇ、身に沁みて!」
「……。なら、良い」

 その言葉を聞き、全身全霊で安堵の溜息を吐き出す。
 取り敢えず、アズイルの説教は長い上に心をピンポイントで抉って来るので嫌だ。
 そんな知られたら只じゃおかないだろう事を考えながら、深い深い謝罪を終えたクラウンが頭を元の位置へと戻す。

「はふぅ…それでアズイル、これからどうするんだ?」
「ふむ…本日はゴルゴーズで泊まり、明日には帰る予定でいるが…」
「が?」
「『働きすぎ』だと言われていてな…十日程度バカンスを楽しめと言われているんだ」

 休暇を貰っても何をしたら良いか分からん。
 そう呟いてアズイルは再び眼鏡を掛けなおす。
 アズイルは別に無趣味と言う訳ではない。眼鏡掛けてる奴は読書好きと言う偏見の通りに彼は読書が趣味だ。自宅の一室が本で埋まる程。しかしここにはアズイルが望む様な本が無い。手に持ったら直ぐにレジを地で行くアズイルにとって、否定側の文献を持って帰れないと言う冷戦状態は地獄だった。加え、アズイルは身体を動かすにも時間制限が掛かる持病持ちである。バカンスを楽しめと言われても、はっきり言って何もする事が無い。

「良いんじゃないか? 帰ってからバカンスを楽しめば良いだろう?」
「トルストイで楽しむのはバカンスとは言えない気がするのが難点だがな…まぁ、いい。俺は先に予約してあるホテルに行く」
「ん、そうか。じゃぁ俺も、」
「いや、お前はそこら辺をブラブラして来たらどうだ? スゥ嬢の社会勉強も兼ねているのだろう。色々見ておかなければヤヨイにどやされるぞ」
「…護衛は良いのか?」
「…もしも襲われる様な事があるなら、派手な花火を合図にしてやるから安心しろ。それに、時間制限が掛かったとは言っても、元はお前らと同格だった身だ。お前が駆けつける程度の時間は持ち堪えられるさ」
「……了解だ」

 歩き出すアズイルの背に、渋々と言った感じでクラウンが頷く。
 これ以上言っても、アズイルが嫌な気分になるだけだろう。一番気にしている『昔と同じ様に戦えない』と言う部分に触れる事になるからだ。
 加え、一人になったからと言って下手に手を出す様な輩は居ないだろう。相手方も馬鹿ではない。人通りがある場所で襲い掛かる様な事はしないだろうし、もしも襲われたとしてアズイルが言ったように五分程度であれば絶対(・・)に持ち堪える事は出来る。
 それが、彼の全力限界時間なのだから。

「ま、いざとなれば俺が全力で駆けつければ大丈夫か…」
『楽観的ね…』
「事実さね」

 呆れ半分のスゥの念をクラウンは否定する。
 自惚れではなく、事実として。
 アレが言っているなら、経験則で100%に近い確率でそうなる事をクラウンは知っている。その確率はアズイルの勘から来る物では無く―――彼が弾き出した、不確かな因子を除いての確率演算だからだ。この場合で行けば、計算要素は『クラウン・バースフェリアの現戦闘能力(スゥ・ディ・【ホワイティア】の場合)』『支社長の底の浅さと性格』『支社長付きの騎士の客観的戦闘能力とその性格』と言った処か。
 相手の心理と手札から計算した確率。
 故に、絶対ではないが絶対に近い答えだ。
 だからこそ、クラウンはアズイルが確率を下げるような―――路地裏に赴く様な真似をしないと確信して言っている。

「んじゃ、アズイルの言葉に甘えて見学でもするか。スゥもデバイスから出て良いぞ?」
『そう?』
「デバイスの中からの知覚よりも、実際に見た方が良いだろ?」

 百聞は一見にしかず、とは良く言った物。
 聞いただけでヒトはその情報を手に入れたつもりになるが、それはあくまで個人の想像上でしか再現されない夢想にすぎない。ヒトは直に体験した事でしか、真に受け止める事は出来ないのだ。だから、具現した身体で、目で、耳で、肌で、その世界を感じ取る事によって理解する事を可能とする。
 故に、デバイスの中に引きこもったまま世界の情報を得た処で、フィクションはノンフィクション足り得ない。

「―――ん…」

 光の粒がデバイスから溢れ、クラウンの前に人型が出現。
 しかし、デバイスから出現した為か今まで着ていたワンピースではなく、基本構成のエーテル装束を纏っている姿だ。

「クラウン、服頂戴」
「あいよ」

 このブルースフィアに降臨した魔者は、これが面倒で仕方が無いと良く愚痴る。
 魔者はマナで形作られ、その身体が纏う服は形無き魔力を物質化した物―――エーテルで編まれた服を着ている。しかしこのエーテルで編まれた服が厄介で、自由に変化させられると言う物でもない。最適な服、と言えば聞こえはいいかもしれないが、それは季節が“地域によって分かれるエデン”だからこそ通じる概念であり、“時間によって分かれるブルースフィア”では最適では無くなってしまう。
 これはスゥが良い例で、彼女のエーテル装束は真冬の世界を表現する様に厚手のコートと大きなミトンだ。これはスゥが存在していた区画が年がら年中銀世界であった為であるが、ブルースフィアの現在の気候は真夏である。魔者が幾らヒトとは根本的に違うと言っても暑い物は暑いのだ。
 スゥはクラウンが回収していた服を受け取ると、支社の中へと消えて行く。女性更衣室でも借りて着替えてくるのだろう。
 そこになって、やっとクラウンは一息ついた。
 プレッシャーを掛けられるなんて事は、命の駆け引きをして来た以上数えられない程ある。だが、慣れていた処で疲れない訳では無い。

「ふ、あぁ〜…」

 首をごきごきと鳴らしながら欠伸をする。
 根本的な疲れは取れないが、何となく精神的に楽になった。

「んー…社会見学が終わったらさっさとホテルに戻ろう。そして寝よう。うん」

 一人でうんうん頷き、視界の端でスゥが戻ってくるのを確認。
 さて、
 気分を切り替え、社会見学を始めようか。



#4-end






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