拭えぬ不幸の証。
神は私達を救わない。
何故か?

神は世界に不在が故に。


























The duet with the lunar
の精と二重奏(デュエット)を――


Rabbit's hometown.
―兎の故郷―
#5 兎の少女




















 一人の少女を巡って争う構図。
 それがしっくり来る場面で、クラウンはふと冷静に返ってみた。
 己の顔には不敵な笑み。
 相手の精神を追い込む為の“余裕”の顔。
 態度は尊大。
 絶対に悪役だろう、これは。
 そんな感想を抱かせる姿がそこにはあった。
 まぁ、取り敢えず言いたい事は、

 ごめんなさいヤヨイ様ああぁぁあっ!! 折檻は、折檻だけは勘弁してぇえっ!

 と言う訳で、少し時間を遡って状況を把握してみよう。





* * *






「本当に見当たらないわね…」
「ま、それが“在れば同じ”、って事なんだよな」

 見かけは何の異常も見当たらないゴルゴーズの街中。
 そこを大小はっきりと分かれた二人が歩いていた。
 クラウンの前を歩くスゥが、街――と言うよりもその中を歩く人々を観察しながら言う。
 無論、この異種否定側の国で“見当たらない”と言えば何か見当はつくだろう。

「人間ばっか」

 何処を見渡しても人間一色。
 ルルカラルスで見慣れたバードの夫妻も、駆け回るウルフの少年少女も、この世界には何もかもが足りていない。いや、もう一つ言い方があるか。

「人間だけで、完成されてしまっているんだ。この場所は」

 不完全ではあるが、とクラウンが付け足す。
 この国が完全に人間と言う“一色”だけで動いている訳では勿論無い。家の中にお邪魔すれば、そこには“奴隷”として働く異種が居るし、この中央都市から外れた鉱山地帯等に行けばそれこそ嫌になる程見る事が出来るだろう。
 彼らは歯車(・・)だ。それも酷く使い勝手の良い。
 美しく輝く銀時計。あらゆる装飾で豪華に飾られたそれは、しかし、国の命(じかん)を持たせるのに異種を使っているだけだ。普段見えない部分全てを、彼らの命で以ってして稼動させているに過ぎない。とても、とても独りよがりな方法で。

「それでも破綻を来たさないのは、未だこの東側では人間が圧倒的に強いからだ」
「それは、事実なんでしょうね…」

 スゥは考える。
 独裁政権なんて物は決して長続きする物ではない。
 その独裁政権下の人々が持つ感情が負に傾きを見せたら一瞬で崩壊を始める。今現在認識されている有史上、独裁政権なんて物は良くて二代、悪ければ一代の途中で終わるのが殆どだ。
 しかし、この否定側の独裁は長く長く続いている。聖暦344年から、今の今まで。
 どうして長続きしているのか、と言われるならば――それは、

「便利だから…」

 そう、便利だからに他ならない。
 東側諸国が宣戦布告を行った344年。不穏な空気を察知していた異種達は、戦争が始まるより先に西側諸国へと雪崩れ込んだ。それにより人口の割合は激変し、人間が全体の七割から八割を占めた。結果、逃げ遅れた彼らは便利さを求める彼ら(・・・・・・・・・)の前に敗北を喫したのである。
 そして叛乱が起きる可能性を根こそぎ奪ったのが、奴隷制度の完成だった。
 人間よりも遥かに優れた術式能力を持つエルフでさえ、奴隷として捕まった者はその術式能力の一切を封印されてしまう。人間以下になってしまうのだ。そう、彼らが戦えない理由はそこにある。
 汎用精霊との誓約者部隊と、何のアシストも無い異種達。
 戦いの結末は火を見るより明らか。
 だから彼らは戦わない。
 屈してしまった。

「それで、まぁ、西側諸国は色々と話し合いをするように言ってはいるんだが…」
「そこはさっきも言ってたわね。『我が国の重要な労働力を奪われては困る』だとかなんとか」
「異種が全て取られたら、破綻するのは東側だからな。現在の肉体的、精神的磨耗が激しい労働は殆どが彼らで維持している様な物だし」
「確かに。言われればそうね」
「奴隷として扱ってはいるが、その実、彼らが居なくなってしまえば国は回らなくなってしまう。だけど、」
「…だけど?」
「居なくても、確かに回っている国もある」
「―――え?」

それはつまり、ここゴルゴーズの様に半端に完成された国ではなく、

「完全に、人間だけの国が…?」
「在る。確かに存在している。聞いた事はあるだろう? このブルースフィアにて“エデン”を名乗る国を」

 そう、クラウンは吐き出した。
 違和感。
 一瞬だけ、スゥはソレ(・・)が何か解らなかった。
 だがそれは、間違える事が無い確かな―――殺意、嫌悪、憤怒。
 何時も何処かで達観している筈のクラウンが見せた、怒り。

「…で、まぁ、エデンは――って、スゥ? ちゃんと聞いてるか?」
「え? あ、うん。ごめん。ちょっとぼうっとしてた」
「ふぅん? まぁ良いが。大丈夫か?」
「あ、平気平気。大丈夫だから続けて」

 大丈夫だから、と頭を振りながらスゥは言った。
 別に、そんな事をしているのだから怒りを覚えるのは普通の事だろう。そう考えて今の違和感を振り払う。二回、三回頭を振り、俯いていた顔を再び上げる。
 大丈夫。
 意識もはっきりしたし、
 クラウンの表情に先程の影は、無い。

「そうか? じゃ、まぁ続けるとだな、って、そこまで難しい話でもない。詰まる所、エデンには人間しか居ない」
「…魔者も居ないの?」
「あぁ、居ない。以前、と言っても汎用精霊が開発されるまではだが、昔は居たんだ。どうしても瘴魔って言う存在があったからな。でも、汎用精霊が生み出され、魔者が不必要になると――彼らは一斉に契約を解除、または誓約者達を国外へと追放した」
「徹底してるわね…」
「メルサイアスの対極以上、だろうな。完成された人間だけの国家なんだから」

 メルサイアスは異種中心、と言うだけであって人間の流入を拒んでは居ない。が、エデンは内側から徹底して人間以外を排除し、外側からは入ってくるのを徹底して拒んでいる。今では聖女を派遣するゼスラ以外、エデンの内情を知ってはいないのではなかろうか。

「ま、そんな感じか。それが今一番世界を賑わせている世界情勢、と言う奴だ」

 数百年も前から続く、だがな。
 そう言ってクラウンは締め括った。
 何ともまぁ、因果な世界だ。
 上位世界に居た頃は考えもしなかった物がこの世界には溢れ、尚且つ衝突を繰り返している。これを“忙しい”と思うか、それとも“暇しない”と思うかは個々の魔者の違いだろうが、スゥにとってはとても忙しい世界だ。

「何だかルルカラルスに帰りたくなって来た」
「それが正常だろうな。環境が違いすぎると疲れる」

 二人同時に溜息を吐き出し、苦笑。

「さて、そろそろホテルに行くか」
「それで明日には列車に揺られてルルカラルスね」
「そうだな。あ、そういやヤヨイに酒を買って来いって言われてたんだった」
「そう言えばそんな事を言っていた様な…」
「まぁ、金も入ったしな。うん、高級酒でも買って帰ってやろう」

 喜ぶだろうなぁ、あいつ。
 そう笑いながら足を踏み出し、

「―――ん?」
「…どうした?」
「クラウン。あっちから声が…」
「………」

 スゥが声がした方を指し示した。
 そこには、何だか嫌な予感がする路地裏が存在していたのだった。
 取り合えず、物凄く嫌そうにクラウンは眉を顰めてみた。





* * *






『何だか、賑やかねぇ…』
「路地裏の先でやる事なんて大抵ロクな事じゃないって、絶対」

 結局、こうなる訳だ。
 心中で溜息を吐き出し、今は既にデバイスの中に入れたスゥを連れてクラウンは歩いていた。
 無論、路地裏を。
 ジメジメして薄暗い、嫌ーな気配のする場所を。

「あ、何だろう。今一瞬、俺の中の神様が『そっちに行ったらまた苦労する』と囁いてくれた様な…」
『幻聴よ。ほら、さっさと行って見ましょう?』
「ぐぬぅ…仕方ないちびっ子だ…」

 ネズミの屍骸を跨ぎ、水溜りを跨いでその場所へと向かう。
 距離はそう離れている訳ではなさそうだった。その証拠に声の大きさは段々と近付いている事を教えてくれている。
 そして、話の内容も聞き取れる様になってきた。
 その内容は、

「…オークション、か? 値段を競っている様だが…」

 断続して響く、値段を叫ぶ声。
 それが徐々に上がっていっている事から、何をやっているかは想像出来た。
 しかし、明らかに怪しい。

『美術品とかの…? それだったら、こんな路地裏でやるメリットって何よ』

 さてね?
 スゥの念に返答し、更に訝しがる。
 美術品競売をこんな場所でやるメリットは無い。
 金持ちが集まってこそ意味があるのが競売(オークション)だ。美術品の競売となると、それなりの場所で開催されるのが普通だろう。
 だとすれば―――

「闇オークション…? いや、それこそ無いか。そんなんだったらもっと、分かり難い場所(・・・・・・・)でやるだろうし…取り敢えずは行ってみるしか無い、か?」

 何だかんだで乗っているクラウン。
 興味が湧いてきた。この先で一体何の取引を行っているのか。
 何、ヤバイなら一目散に逃げ出せばいい。それ位の実力はあるのだ。
 自分に言い聞かせ、クラウンは路地の先にある空間へ、


 踏み出した。


 踏み出してしまった。
 スゥが息を呑んだ。
 クラウンが眉を顰めた。
 そこに広がっていた世界は…

「成る程…生活空間の近場でやるメリットはこれ、か。確かにそうだな。使うのは一般家庭が主だろうし、何より表立ってやる事でもない…」

 檻の中に入った、人の姿。犬の耳を持つ、それなりの衣服を纏った少年が不安そうに世界を眺めている光景。それを取り巻く民衆。一般人やら、明らかに貴族風の男やらが、その檻を取り囲んでいた。

『奴隷市…』
「だろうな…しかし、」

 50万、だの。60万、だの―――

「―――人に吹っ掛ける値段には思えんな…」

 それが人々の価値基準(ボーダーライン)なのか、人一人買うには余りにも安い値段で少年が落札される。今買ったのは一般家庭層らしき、一組の夫婦だ。女性の方が、奴隷商から手渡されたリードを引っ張っている。少年の首輪に続くリードを。

『く、クラウン…』

 デバイスの中から漏れる、掠れた意識。
 白熱した怒りと、現実感を失った光景にスゥの念が震えていた。
 先程感じた忌避感はこれだったのだ。
 人の、悪意無き悪意の群れ。その真っ只中の気配を感じ取って、己の勘が足を運ぶのを躊躇わせたのだ。
 だが、既に自分達は入ってしまった。
 見てしまった。
 逃げる事は、出来ないのだろう。
 面倒だな、と思いながら―― 一番見せてはいけない場面をスゥに見せてしまった己の愚かさに眉を顰める。
 擦れた自分には耐えられるが、スゥには簡単に乗り越えられる光景ではない。
 だが、

「先に言って置く。無理だ」

 言って置かなければ、ならない事もある。

『どうしてっ!!!』

 スゥからの念が、大音量で脳髄に叩きつけられる。
 一瞬、身体がよろけそうになる。だが、そんな物を表にも出さずにクラウンは只その光景を眺めていた。一切の、感情の篭らない瞳で。

「俺が買った訳じゃ無い。そして、決して俺がルールな訳でも無い」
『だけどっ!!』
「あの子を連れて逃げた処で無駄だ。そんな事をしてまで逃げ切れる自身は俺には無い。解ってる筈だ、スゥ」
『…それは、』
「冷たいかもしれないが、無理だ。俺達は彼ら彼女らを救ってやる事は出来ない。やってしまえば、きっと取り返しのつかない事態になる。戻れない位置に立つ事になる。俺も、お前も、そんな“重たい物”を背負う覚悟は、無い」

 弱いのだ、自分達は。
 世界を救える様な、そんな立派な奴ではない。
 英雄ではないのだ。
 どんなに強くても、それはあくまで個の強さ。
 世界を敵に回せる程、自分達は決して――強くは、無い。
 それだけは、理解しておかねばならない理。
 絶対の、摂理。

『―――…そう、だったね…ごめん…だけど…クラウンは、冷静だね…』
「―――は、」

 スゥの言葉に、自嘲する。
 冷静――冷静、か。
 考えて、嘲笑う。

「怒ってない訳が、無いだろう?」
『…クラウン?』
「これが、俺の怒り方なだけだ…」

 只冷静に、冷徹に、冷酷に、機械的に、心静かにするのは、全て相手をこの世から―――









『悪意は取っておけ。心の中に押し止めろ。刃を相手に突き立てるその時まで』
『お前らは只一点、それだけを望まれ―――』
禍歌(サンダルフォン)の一詩篇、それがお前の命の価値』




『何不思議な顔してるんだ? 友達だろう』









 ぐらり、と身体が揺れる。
 現在に侵入してくる過去の奔流。
 溢れ出しそうになる記録と言う名の血液。
 傷跡が一瞬だけ開き、赤が覗く。
 それは快楽にも似た――

「―――っはぁ――ぁ…」
『クラウン』
「…何でも、ない…只、ちょっと眩暈がしただけだ…」

 意識を切り替え、再び前を見る。
 そこでは今の檻が後ろへと下げられ、次の“商品”を中へ入れる作業を行っている様だった。

「それで、スゥ…さっきの話だけどな」

 強引に話を戻す。
 問われて答えられる気は、今は無い。

 あの空白点を。
 僕が(・・)俺になった日々の事(・・・・・・・・・)を。

 だから少々強引でも、元に戻す。

『何…?』

 スゥもそれを悟ったのか、言葉に乗ってくれる。
 クラウンは一度息を吐き出し、

「奴隷を解放する方法が、無い訳じゃ無い」

 今一番聞きたいだろう言葉を言ってやった。

『―――…え?』
「『我が国の重要な労働力を奪われては困る』の言葉には続きがあるんだが、何だと思う?」
『え、っと…』
「答えは『まぁ、全てを相応の値段で買ってくれるのならば譲らないでもない』、だ」
『あ…』
「詰まり、買って自分の物にしてしまえば良いんだ。過去、そう言う例もある。奴隷には国の重要な情報を与えている訳では無いからの、かなり寛大な処置だと思うが、な」
『じゃぁ、競り落とせば…』
「買った奴だけは、解放出来る」

 選ばれなかった奴には、悪いけどな…

『あ、だけど…』
「…何だ…?」
『クラウン…お金はいいの…?』

 そこがネックか。クラウンの懐は有限だ。何より、これからやろうとしている事はスゥがやるのではない。いや、やりたいのはスゥだが、やるのはクラウンだ。
 結局は、クラウンの意思一つに任される。
 だが、そんな事か、とクラウンは苦笑していた。

「俺が払うだけの価値があると思ってやってるんだ。だから構わない」
『…うん』
「気にするなら、気にするなら、気にする、気に…」
『クラウン…?』
「…あ、あぁっ…やばい、忘れてた。どうしよう、どうすっか…金は、余るかな…いやむしろ…」
『ちょ、ちょっと、どうしたのよクラ――』
「はいはい皆様、ご注目です!!」
『っ!? 次の競売っ?』

 その言葉に二人が反応し、同時に顔を上げる。
 見つめる先は壇上。
 奴隷商の男が布を被せた檻の前に立ち、大げさなジェスチャー付きで皆の視線を集めている。
 男は一度周囲を見渡し、大体の視線が取れたのを確認したのか一度頷くと、大仰に振りかぶって檻に被せてある布に手を掛け、

「こちらが今日最後の商品になります!!」

 一気に引っ張った。

 感嘆の息。

 おお、と周囲から声が漏れる。

「………」

 それは、美しい少女だった。
 背の中ほどまである美しい髪に、端整な顔立ち。そして――兎の耳。ラビトニアの少女だった。
 そこでクラウンは眉を片方だけ器用に顰め、俯く少女を見遣った。

 拙い…。

 胸中で呟く。
 アレは買えるか分からない。
 一発で分かった。アレが、今日この場に居る貴族の目当てだ。

「さぁ、本日最後の商品! ラビトニアの亜人です!! 我が商会が、通常の教育の他に戦闘教育を行った特殊な奴隷! 戦闘教育、の部分で皆様不安に思ったかもしれません。しかしどうか安心して下さい! 通常の術式封印処置の他に、皆様方が直接動けなくする事が可能な術式も組み込んでおります!! 通常封印の他に、魔力霧散回路付きの、本日最後の商品です!! さぁさ、皆様!! こぞってご参加を!!! それでは―――10万から!!」

 20! 30だ!! こっちは50!!
 瞬間的に爆発する競い合いの声。
 当然か。
 クラウンは普段からヤヨイと言う存在を見慣れているが、少女は相当の美少女だ。例えそれが普段は“亜人”と罵っている存在でも、欲しくなるのが道理だろう。
 いや、だからこそか?
 楽に支配欲を満たしてくれる奴隷と言う存在。
 好きに扱っても、何を言われる訳でも無い存在。
 辺りを見て見れば、値段を上げている者達は男ばかり。
 アノ少女を好きにして良い権利が買える!
 そんな欲望が加速し、辺りを満たしていた。

「さぁ、本日最高の90万が出ました!! さて、他に居なければ彼の物になりますが!!」
『うわっ、わっ! く、クラウン、早くしないとっ!!?』
『慌てるなっての…今回はここからが本番だ…』
『えっ?』

 声には出さず、念だけで会話を交わしながらクラウンは今現在一番の高値を出した男を見ていた。
 何処か勝ち誇った感がある、普通の服(・・・・)を着た男。
 平民。
 どこか待ち切れない、と言った表情で檻と周囲を見ながら半笑いで男が立っている。
 その折、クラウンは視界の端に恰幅の良い男がひそひそと横に居た男に話すのを見た。
 瞬間、男が手を挙げた。
 指は―――二本。

「っ! おっと!! ここで200万が出たぁっ!! 過去最高に迫る金額です!!」

 今までの一番が二番になった瞬間、平民の男が愕然とした後、項垂れた。
 二桁と三桁の差。一般家庭の人間がそうぽんぽん出せる額ではない金額。二桁ならば、何とか出せると思うかもしれないが、それが三桁になった瞬間に心とは面白いもので簡単に諦める。
 もう恰幅の良い男以外は誰もが沈黙してしまっていた。

「さぁ!! 誰も居ませんか!? 居ないのなら―――」
「250」
「っとぉ!!?」

 声が上がった。
 誰が、と振り向く先。今まで集団の背後に居た男。
 発生源は―――クラウン。
 どよどよと声が上がる中、クラウンは手を挙げたままに観衆の中に入って行く。それと同時に人波は割れ、檻の前まで続く道が出現した。
 その道を物怖じせず、只つかつかと歩む。

「過去最高金額まで後50万! 流石にこの額では後が!?」
「くっ…260!」
「280だ」

 間髪入れずにクラウンが静かに告げる。
 只冷静に、20のアドバンテージを取りながら被せて行く。
 出来るだけ声は平坦に。あくまで何でも無い様に。
 心中はかなり穏やかではない。
 既に全財産の半分を消費する額まで来ている。
 この先は精神戦。如何に相手を逆上させずに巧く敗北を悟らせるか、だ。懐は明らかに相手の方が深い。ならば早期決着に掛けるしか勝負に勝つ方法は無い。

「280! 280です!! 他には居ませんか!?」
「くっ―――350だ!!」
「370」

 おぉっ!!
 観衆が叫ぶ。
 クラウンは表で普通を装い、内側で蒼白になる。

 やめてっ! もう止めて!! 死ぬ! 死んでしまう!! 報酬が尽きてしまう!!

 内心で絶叫を上げて懇願。
 このままだと、報酬が一銭も残りません。だから止めて!!

「3…いや、400だっ!」
「420」

 ぎゃぁぁああっ!! 致命傷エリアに到達ぅっ!!?
 ちょっと浮かべてみる余裕の顔。
 しかし心の中は流血中だった。
 そんな中で、クラウンは貴族風の男に視線を向けた。
 そこにあるのは憤怒、ではあるがしかし、その表情に含まれているのは明らかに疑問の方が多かった。
 分からないでも無い。
 突然現われた男。
 貴族らしさも無く、只悠然と立っているだけの男。
 それが突然、絶対の勝利を確信した瞬間にひっくり返しに来たのだ。疑問に思うのが普通だろう。

「…貴様…一体」

 そこで男の視線が動いた。
 見つめるのはクラウンの表情から下がり、腰の辺りを見て、驚愕。
 男の目に映ったのは、デバイス。

「お前、誓約者かっ!!」
「ご名答、だ。どうする? 続けるか? 生憎と仕事帰りなんでな、続けるなら報酬が余ってる分は使わせて貰うが」

 うん、使わせないで下さいお願いします。

「っは、しかしそろそろ限界だろう? 一度での稼ぎはそう多くは無い筈だ」
「…、一般に言われる瘴魔討伐の報酬額は幾らだと思う?」
「――は、瘴魔、だと?」
「男爵級で3500万。子爵級では4000万。伯爵級に至っては5000万だ。さて? 俺が今さっき討伐して来たのは(・・・・・・・・・・・・)どの爵位でしょう?」

 嘘だ。これでもかと言う程に真っ赤な嘘。
 しかし与えられる報酬額と言う、絶対真実から入るのは効果的な手段だ。クラウンは今、自分から選択肢を作っている。瘴魔の爵位から来る四つの選択肢を。人は選択肢を出された時、答えはその中にしか無いと錯覚する。クラウンが瘴魔を討伐したと言うのは嘘であれ、その選択肢を出されてしまった男はその選択肢の中に答えがあると錯覚するのだ。
 疑いはするだろう。
 しかし、クラウンは確かにデバイスを持ち、力無く立っている様に見えてその実、一切の隙無く立って居る。
 調べれば分かる事ではある、が―――この競売の場では不可能。
 競っている最中に相手を調べる等と、そんな時間を与えてくれる程どのような主催者も甘くは無い。加え、公然と行われている奴隷競売であったとしても、その真理は―――

「さぁ、もう他に居ないのであればこちらの方の物になりますが!?」

―――当て嵌まる。
 通常以上の利益だ。引き際と言っても過言ではない。
 余りに時間を長引かせると、色々なしがらみが生まれる、それが競売だ。いざとなれば中途半端な値段でも落札の判断を下すのが正しい姿。止めなかったのは、クラウンが余りにも間髪入れずに被せに行ったからだろう。

「っく…! ご、500!」
「520」
「つっ…!!」
「落札です!!」

 終了を告げる声が上がる。
 男の苦虫を潰した様な表情を見て、これ以上は無いと判断したのだろう。
 こちらは泣き出したい位だが。残金80万しかありませんので。

「では、どうぞこちらへ」
「ん? あぁ」

 しかし、一切の表情は出ていない。
 プロだ。素晴らしいぞ、俺。頑張った俺。泣いていいですか?
 そうこうしている内にクラウンは、ブーイングと喝采を浴びながら壇上に登り、檻の前へと辿り着く。
 そして再び少女を見た。

 売られる、とはどんな感情だろうか。

 似たような、しかし全く別種の感情は知っている。だが、売られる、と言うのは知らない。普通、知らない。そこにあるのはどんな感情だろうか? 悲しいのか、それとも怒りか、或いはその両方だろうか?

 少女が俯かせていた顔を上げる。
 交錯する、視線と視線。

「さぁ、立て。この方が今日からお前の飼い主だ」

 奴隷商が檻の鍵を開ける。
 少女は只、何の抵抗も見せずに立ち上がると、音も無く檻の外へと歩み出た。

「―――…ふぅん…?」

 成る程、と一つ頷く。
 先程、戦闘技術を仕込んだと言っていたが嘘では無いらしい。
 足運びは静かで、バランスに揺らぎが無い。
 怖ろしく精度の高い抜き足――暗殺者特有の足運び(・・・・・・・・・)だ。

「では、こちらが奴隷所有権利書です」
「ん? あぁ…」

 少女をみつめている前に、さっ、と一枚の書類が差し出された。
 意識を引き戻し、その差し出された紙切れにざっと目を通す。暴かれる奴隷制度の真実。実に興味深いが、一々全部読む暇は無い。それに、
 どうせろくな事は書いてない。
 奴隷に権利は無く、主人となった物が与えた権利だけがその奴隷の権利となる――等、どうせ愉快な気持ちにさせてくれる物は一つとして無いのだ。加え、所有するのに何かの申請を役所に出す必要も無いと一番上に書いてある。とても優しい注意書きだが、その内容は余りにも酷い物だ。詰まる所、奴隷には戸籍は与えられず、所詮は名前無き誰か(・・・・・・)でしか無いと言う事。
 死ねば、そのまま処理される。
 使い捨ての道具。
 玩具を持つのに権利書は必要無いのと同じ。

 全く、嫌な世の中――もとい、嫌な国だ。

「それでは魔力霧散回路の説明をさせて頂きますが、宜しいですか?」
「聞かせてくれ」
「はい。では説明させて頂きますが、これは通常封印の他に体内の魔力循環路に楔を打ち込んだ物です。両肩関節、心臓、両膝等、主要点に楔を撃ち込み、こちらの意思一つで“式”を発動。立っている力すら奪ってしまう物です」

 ですから、無抵抗になった処で―――
 愉しそうに語る男の言葉を聞きながら、クラウンは昔聞いた話を思い出していた。
 真に優れた事象操作騎士を、どう拘束すればいいか? と言う話だ。
 術式を編めない様に封印処置を施した処で、その身体と脳に詰まった技能は封印する事は出来ない。そこで考案された中に、今少女に撃ち込まれているのだろう魔力霧散回路――楔に似た物があった。それでもクラウンが聞いた物は効果も弱く、全体的に体力を落とす程度の物だったが。
 再び意識を男の話しに向け、言葉を聞き続ける。
 どうやら今は、どうやって楔を発動させればいいか、と言う点にまで進んでいたらしい。はっきり言って使う気は毛頭無いのでどうでも良い。

「ご理解頂けましたか?」
「理解した。これでも常日頃から術式と関わる仕事をしているからな」
「愚問でしたか」

 ニッ、と相手が笑い、それに笑みを返す。
 どうやら話は終わりらしい。
 相手が目を逸らした処で、そっと溜息を吐き出す。何はともあれ非常に疲れた。さっさと帰って眠りたい。

「では、このリードを」
「あいよ…それじゃ、これが―――」

 懐に手を入れ、札束を引きずり出す。
 520万。
 今回の依頼達成報酬の殆どが、少女の為に吹っ飛んだ。
 ギルド内でシュレイが行った100万で朔耶を救った件を軽く上回る額。あれは元々の資産が異常なので痛くも痒くも感じていない事だろうが、こちらは日々を生き抜くのに偶にだが命を掛ける資産総額しか無いので非常に痛い。
 手渡され、相手の懐に消えて行く札束を見送りながら、自分は何時こんなに良い奴になったのだろうかと疑問に思う。

 まぁ、しかし―――偶にはいいか。

「えぇ、結構です。今回はお買い上げ、ありがとうございました」

 腐っても商人。
 深々と頭を下げる商人を見ながら胸中で呟き、少女へと繋がるリードを引いて壇上から降りる。
 集中する視線は、少女を奪い取った自分に向けられる妬みと、未だ少女に向けられる色のついた欲の視線。
 悪意と言える様な、微妙に言えない様な視線を向けられながら、クラウンはその視線から逃げる様に路地へと入って行く。
 背後では奴隷商が売買の終了を告げる声。
 再び薄暗い路地の中に足を踏み入れ、クラウンは安堵の溜息を吐き出す。
 何はともあれ、競り落とす事が出来た。
 だったら、“次”を行わなければならない。

「さて、これからどうなると思う?」
「―――――」

 背後に振り返らず、少女に尋ねる。
 ひしひしと伝わる殺意。
 密度は低いが、確かに向けられている敵意。
 誤解を解かねばならないな、と苦笑しながら振り返り、

『クラウンのエロ助っ!!』

 大音量で響き渡る念に、クラウンは足を滑らせて路地裏の壁に頭を打ち付けた。



#5-end






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