その闇は深く、
未だ身を焼いている。


























The duet with the lunar
の精と二重奏(デュエット)を――


Rabbit's hometown.
―兎の故郷―
#7 闇に隠れた異常




















「く、っはぁぁああ〜〜…良く寝たぁ…」

 うーん、と背を伸ばしながら、ベッドから起き上がる。
 睡眠時間は丁度一時間。我ながら完璧なまでの睡眠コントロールだ。

「うん、そろそろ夕食だな。詰まる所は」

 少女を連れて帰ったのが夕暮れ前だった筈。であるならば、必然的に今の時間は夕食前だ。
 まぁ、先程時間を確認したから間違いでは無いのだが。

「よーし、ホテルの食事を楽しむぞー」

 一人右腕を掲げ、うんうんと唸る。
 さーて、今夜の夕食は何かなー?
 ん? あれれ? 可笑しいな。
 どうして皆さん、そんな静かにソファーに腰を下ろしていらっしゃるのか?

「クラウン」
「はい?」
「ちょっとこっち来て座れ」
「……はい」

 まぁ、何となく予想してたけどね?
 また何か厄介な事が発生しつつあると。





* * *






「レンタカーだ」
「はぁ、そうっすか」

 そう生返事を返したクラウンの先にあるのは自動走行車。
 しかも悪路もなんのその、が謳い文句のジープである。
 空には燦々と大地を照らす太陽の光。
 夏も終盤と言うのに、未だ自己主張を止めずに輝き、手を翳しながら見上げたクラウンをじりじりと焼いている。
 そこまで現状を確認してクラウンは溜息を吐き出しながら、肩からずり落ちそうになったデバイスの肩掛けの位置を直す。

 何でこんな事になったのか?

 そんな事を考えながら、クラウンは少しだけ記憶を遡らせる。
 昨夜、起きたクラウンを待っていたのはスゥの頼みと少女の願いだった。

 故郷を、見たい。

 それは幾分かの諦めと、そして決意を秘めた声色だった。
 諦め――そこにはクラウンが『駄目だ』と言って断るだろう事の他にもう一つ意味がある。

 予想では、既に少女の居た村は、亡い。

 過去、少女の村を襲った奴隷商は、少女をピンポイントで襲ったのではなく、村単位で襲ったのだ。そして、その村と言う単位を構成するのが少女であるだけ。
 だからこそ、少女の村は既に消え失せている可能性があった。
 その事を少女に告げると、それも承知の上だと言う。
 承知した上で、少女は行きたいのだと言う。
 もう、全てが終わってしまっただろう場所へ。

「そう言われたら…まぁ、断れないよなぁ…」

 思考を現在に戻し、クラウンが歩き出す。
 歩く先はジープの助手席。
 運転はアズイルが担当する事になっている。
 クラウンも運転する事は出来るには出来るのだが、何分自分の車を持っている訳でもなく、明らかに運転回数は数ヶ月に一回と言った感じだ。そんなクラウンが運転して、東側の国で人轢きなんて起こしてしまっては目も当てられない。
 実は運転したかったんだけどね…?
 等と胸中で呟きながら、クラウンはどっかりと助手席に腰を落とした。
 背後に振り返れば助手席の裏に少女、そして運転席の裏にスゥが腰を下ろしている。少女の顔は多少緊張している物の、昨日の様にクラウンやアズイルに対しての不審がある様には見受けられなかった。
 アズイルが何かやってくれた様だが、クラウン自身はアズイルにどんな話をしたのか訊いていない為に知らない。しかし、アズイルがこう言う人の心が天秤に乗せられている時に馬鹿をやるような真似は絶対にしないと知っているので安心は…している。
 只、自分に対してまで態度が柔らかくなっているのだけは気になった。
 今日起きた時には、挨拶に返事もしてくれた。
 昨日の様子からでは考えられない進歩である。
 一体アズイルは何を話したのか、その一点に関してのみは訊かねばならないのかもしれない。

「何をうんうん唸っている。そろそろ発進するが、何か忘れた物は無いな?」
「…あいよー、何時でも大丈夫だー…」
「気の抜けた返事だが…まぁ、いい。いざと言う時は頑張ってもらうからな。それ位は大目に見よう」
「労働法を見直せー」
「護衛は通常24時間体制だ馬鹿者」
「………」

 全く以ってその通りです。
 反論できずに黙ったと同時、エンジンに火が入る感覚を受ける。
 アズイルが車のキーを回し、小型魔石変換機を起動させたのだろう。
 そんなどうでも良い事を確認しながら、クラウンはゆっくりと瞼を落とした。

「さて、行くとしようか」
「…えぇ、お願いします」
「出発進行ー!! 張り切って行きましょう!!」

 後部座席に座る彼女らの声を聞き流しながらクラウンは口元に薄く笑みを浮かべ、

「…元気になったなら良いか…」

 誰にも聞き取られない様な呟きを発した。





* * *






 一行は一路東へ。
 ゴルゴーズの中心であるガルベナから出て、その後小さな村や集落で休憩を取りながら二日に渡る工程を走り続ける。本来なら一日程度走り続ければ辿り着く事が可能な距離ではあったが、何分道の状態が悪い。亜人達の隠れ里は、人間が普段踏み込んで来ない場所を選んで築かれるので当たり前と言えば当たり前である。
 そんな悪路を走り抜け、最後の休憩地点――人間の集落から三時間程度走った場所でクラウン達は休息を取っていた。
 これだけ長い連続して走っていれば、車の内部機関に溜まる疲労もかなりの物ながら、クラウン達に掛かる疲労も相当な物になる。
 それを癒す名目で立ち止まった中、クラウンとアズイルは地図を確認していた。

「…全工程の中の95%は越えた。後は…」
「この“道”を進めば良い、か」

 頷き、二人揃って“道”を見る。
 今ではすっかり木々で生い茂り、獣道と言っても差し支えの無い“道”を。

「ここまで何度かあったが…いや、本当…面倒くさくて敵わないな…」
「ま、仕方が無い事なのだろうな。村が襲われたのが五年程前の事なのだから、それから数少ない流通が途切れたとしても不思議ではないし――隠れ里とは何時かは破棄せねばならぬ物だ」
「一箇所に止まるのは愚の骨頂、ってか? まぁ、言われれば確かにそうだが――」
「…仮定して、彼女と同郷の者が生き残っていた場合でも、この先に再び集落を作る事はしないだろうな。一度は発見された場所だ」
「………」
「思い出の残る場所だろうが、しかし――それと同時に辛い記憶も残る場所でもある。今の異種の待遇とはそんな物だ。我々と同じ様に一箇所へ留まり、居を構える事すら許されていない」

 ふぅ、と互いの口から溜息が漏れる。本当に面倒くさそうに。
 そうして―――二人は今通って来た道に視線を移した。
 別段、変な所は無い。
 自分達が残したタイヤの跡に、風に揺れる木々の群れ。別段普段と変わりは無い。
 無い、が――

「…仕掛けてくるとは思っていたが、ここでか」
「市街地での戦闘を狙ってこないだけ、俺は誉められると思うがね?」

 確かに、な。
 く、と二人が口元を笑みの形に変えてジープへと振り返る。
 アズイルはそのまま運転席に、クラウンはその場で肩に掛けていたデバイスの鞘から伸びる柄に手を掛けた。

「出るぞ。休憩は終了だ」
「え、あ、へっ!?」
「…何が…?」
「一言で言えば―――」

 そこで風が流れた。
 クラウンの言葉を遮ったのは風、そして

「っ!!」

 一発の弾丸。
 風を切り裂き、されど風より速く流れた閃光はクラウンの刃によって弾かれる。瞬間的に鞘から抜き放たれた銀の剣によって。

「アズイル、車を出せ」
「あぁ、お前も気を付けて事に――」
「ちょ、ちょっと! 何がどうなって!?」
「まぁ、予想はついているがね…?」
「あぁ。…と、話をしていれば向こうから出てきてくれる様だぞ?」

 その声と同時、クラウンが見据える先で茂みが揺れた。
 最初に見えたのは紅い剣。そして徐々に手、足、身体と相手は姿を見せてくれた。
 しかし、その数は20ではきかない。
 そしてそれらに共通項が存在した。
 くたびれた結界装甲に、清潔感の無い衣服、そして―――

「はっ…最近の山賊は景気が良いのかねぇ…?」

―――全員が全員、デバイスらしき物を持っていた。

「兄ちゃん兄ちゃん、あいつ余り驚いてないみたいだよ?」
「流石はSランク、って事じゃないのか? まぁ、流石にこの人数相手じゃ駄目だろうけどな」

 その盗賊らしき者達の中で、先頭に立っていた二人が喋る。
 『兄』と呼んだ割に顔つきは似てはいず、恐らく盗賊と言う空間での家族みたいな物なのだろう。
 その二人の手にも確りとデバイスらしき物が握られている。
 『兄』と呼ばれた者の方には片手剣のデバイスが、そして『弟』の方には短剣のデバイスと魔導銃が。恐らくは先程の一撃は、この『弟』が放った物だろう。魔導銃の形状は長距離狙撃銃その物であるからだ。加え、認識しうる限りで“視線”はこの場に出てきた者で全て。他に長距離を狙い撃つ事が可能な形状の魔導銃を持った者は、居ない。
 クラウンはそう断定して、焦点を『兄』へと向ける。

「今日の早朝あたりからだったな、視線を感じたのは。誰に依頼された(・・・・・・・)?」
「…流石はギルド本社直属Sランク【 殺刃(キリング・エッジ) 】か。そこまで見抜いてるとはな」
「…その口振りだと、隠すつもりは無いようだな」
「まぁな」

 ニヤリ、と相手が不快な笑みを浮かべる。

「が、一応は秘密なんでな。喋る事はしない。それに加え、貰った金の分は働くのが、堕ちた俺らの最低限度の礼儀だからなぁ…せめて、まぁ、安らかに死ねや」
「ハッ、“俺をSランク”と言った時点で“誰”が依頼したかなんて分かり切った事なんだよ。俺の“字”は、ギルド内部(・・)でしか使われない様に取り締まられているからな」

 しかし、まぁ――

「証拠が取れないのは痛いか。相手方を訴える事も出来やしない」

 何故なら、そう―――

「貴様ら全員、一人残らずこの場で死ぬに他ならないからだ」

 瞬間、周囲に殺意が溢れ返った。
 その足が竦む様な濃厚な殺意が充満する中、クラウンが嗤う。
 それは明らかに異常だった。
 ギルドからSランクを受けた誓約者と言えど、圧倒的な物量差には勝てない(・・・・・・・・・・・・・)
 ギルドが示した例を挙げるならば、Sランク一人はAランク五人から十人程度だとされている。そして相手は三十人弱。確かに半数以上は今の今までデバイスを持った事が無かっただろう。只、依頼した者がクラウンやアズイルを抹殺する為に支給しただけ、の筈だ。
 しかし、

―――金で力が買える時代とはな…。

 デバイスに、汎用精霊が揃って存在していたなら雑魚も脅威に変貌する。
 汎用精霊とは、そう言う物だ。
 術式とは本来、魔術基礎概論に基づく系統の学問を修める事によって発現が可能となる。演算式と影響係数、そして各事象原理。これらを理解しなければ、ヒトは一人で魔術式を使う事が出来ない。
 しかし、今の時代は学ばなくとも魔術は使える。
 使える様になってしまった。
 汎用精霊が主の代わりに演算し、魔術事象を構築する。そう、金さえ積めば、ヒトは面倒な事をしなくとも敵を殺し奪う術を使える時代になってしまったのだ。
 だからこそ、クラウンの前に居る敵は油断してはならない敵である。
 汎用精霊を扱うのならば、最低でもBランクは確実。集中砲火を浴びれば只では済まない。
 だがしかし、それでもクラウンは未だ余裕のある様な皮肉気な笑みを浮かべていた。
 そんな中、『兄』が目元を押さえ、

「はっ、ははははははははははっ!!」

 声を上げて笑った。

「この数に囲まれて、俺達を殺す、だと? はっ、馬鹿馬鹿しくて笑えてくる」
「………」
「だったらやってみせろ。そっちに居るのはお前の魔者だろう? さっさと誓約して、出来る物なら俺達を皆殺しにしてみせろ」

 その言葉に対してクラウンは相手に背中を見せ、車へと無言で歩き出した。
 途中、心中で『馬鹿が』と悪態を付く(・・・・・)
 限りない勝率を自ら下げる様な愚行。
 相手の馬鹿さ加減にクラウンは不快感を覚えた。
 どちらが馬鹿だ。馬鹿はお前の方だろう。
 心中で考えながら、クラウンは歩を進める。
 右を見ても、左を見ても、これから相手を嬲って殺そうと考えている顔しかない。後は、少女を好きにしても良いとでも言われてるのか言われてないのか、情欲に目をギラギラさせている奴しか居ない。

 酷く、つまらない気分になった。

 相手は本当の戦いと言う物を知らない。互いの命と命を賭け、生きるか死ぬかの恐怖と享楽と達成感を求める死合を。
 きっと、“狩り”と言う自分より弱い存在を捕食する事しか知らないのだろう。しかも、その“狩り”すらも完全に行えていない。せめてその部分が理解出来ているのなら、一々悠長にチャンスを与えるなんて馬鹿な真似はしない。
 殺せる時に殺すべきなのだ。
 殺せないのなら逃げなければならない。
 敵は、戦い方を知らない。
 死合いも、狩りの仕方も。

「クラウン…」
「悪いな、スゥ。力を貸してくれ」
「…うん…でも、」

 車の横に辿り着いたクラウンに、スゥはしかし、躊躇いがちに声を掛ける。
 無理も無い、と思う。
 スゥにしてみれば初の実戦だ。緊張しない方が可笑しい。術式を連携して編む事も、ましてやデバイスを魔剣へと移行させる事すら初めてなのだから。
 今回のこの依頼――アズイルの警護があった際、多少だが覚悟はしていた。
 スゥを連れて行くと言う事は、彼女に実戦を経験させる事になるかもしれない、と。
 しかし、それでも、きっと戦闘は無いと踏んでいた心があったのは否定出来ない。こちらは否定側の国。荒事はご法度だからだ。
 だから、これはクラウンにとっても、スゥにとっても想定外の事。
 覚悟が足りないのは、きっとお互い様。

「大丈夫だ」

 だから、勝つのだ。
 これは只の試練。
 躓いていい程の路傍の石ではない。
 これから、ありとあらゆる困難に立ち向かうだろう彼女の為にも、

「勝てる」

 敗北は、決して無い。

「――…うん」
「よし。それじゃ、やりますか」
「クラウン」
「アズイル。そっちは、」
「分かっている。口には出すな、唇を読める奴が居るかもしれん」
「そこまで言ってたら何か企んでるってバレバレだと思うがな…。まぁいい、上手くやれよ?」
「問題無い」

 そのアズイルの言葉に、ニッ、と笑う。
 問題は無い。彼なら確実に上手くやってくれる。
 だったら後は―――

「――…何だ、俺を心配してくれてるのか? その顔は」
「………」

―――この、兎の少女の事だろう。
 少女は表情を固くし、何処か済まなさそうにしている。
 それもそうか。自分の望みの所為で、たった今厄介事に巻き込んでしまったのだ。罪悪感を覚えない筈が無い。いや、人間に対してその感覚は薄いかもしれないが、最低でもスゥを巻き込んだ事に対してはかなりの罪悪感を覚えているだろう。
 例え、スゥが全然気にしていないとしても、だ。
 スゥは苦笑して、少女の頭に手を乗せる。
 その仕草は、本当に姉の様で、酷く優しかった。

「大丈夫。心配しないで」
「でも、」
「勝てないと思ってるの?」
「………」
「…大丈夫。勝てるから。私は、初めて戦うけど…だけどね?」

 優しく置いていた手を離し、スゥはクラウンの横に降り立つ。
 その姿は、一瞬だけ―――この場に居ない、ヤヨイの姿を思い起こさせる。

「私は魔者。人の望みに惹かれ堕ち、希望を紡ぐ者」

 故に、

「私は貴女の夢を紡ぐと決めたクラウンと共に、必ず勝つ」

 呆、と――少女がスゥを見る。
 しかし、そこに顔は既に無く、歩き出した背だけがあった。
 戦場に立つ、人と共に駆ける者の姿が。
 スゥの姿が、クラウンが携えるデバイスの中に吸い込まれる。
 戦いが―――始まる。





* * *






『行けるか?』
『…うん、大丈夫。それに格好いい事言っちゃった手前、頑張らないとね』
『そうか…』

 クラウンが剣を構える。
 未だ剣に変化は無い。
 いや、変化していたのなら、その瞬間に戦いは始まっているだろう。

『ねぇ、クラウン』
『何だ?』
『正直、勝てる?』
『…何だ、必ず勝つとか言ってたのに』
『…うん』
『…はぁ…』

 剣を抜き、低く構える。一撃目が背後から前に流れる様な、引き絞った様な状態で。

『勝つ』
『………』
『約束だ』
『…うん。そうだね…。勝つんじゃなくて、“勝たないと”ね』
『そう言う事だ』

 笑い、直ぐにその表情を引き締める。

『俺が、お前の“魂の形”を引き出してやる』
『えぇ、宜しくね? クラウン』
『あぁ、任せておけ』

 一度目を瞑り、簡単な術式を編む。
 掌に在る術式端末と、己に存在する回路が接続する術式を。

「―――準備はいいか?」
「万全だ。そっちは聖女様にお祈りは済ませたか?」
「必要無いな」
「―――――」
「―――――」

 一拍の静寂。

 そして、

「【 砂銀よ織り成せ 】!!」

 魔力の突風が吹き、デバイスが作り変えられる。
 銀は、より一層美しき銀へ。
 刃は何よりも鋭く、しかし何よりも儚げに。
 相手の墓標であるかの様に、その形は十字を模り。
 クラウンの手に馴染む、薄氷と儚雪の長剣。

―――誓約魔剣・銀晶十字(クリス・クロス)

 変化の終了。
 同時に、
 敵が構え、クラウンが飛び出し―――アクセル音が響き渡った。

「チィッ!? これを狙って―――ッ!!?」

 ギィインッ!!!

 男が咄嗟に差し出したデバイスが、高速で降り注いだ薄氷の様な剣を遮る。
 交錯する視線と視線。
 狩人の目と、獲物の目。
 瞬転、クラウンが飛びのき、男が冷や汗と共に溜息を吐き出した。

「余所見してる暇は無いぞ? 車を追いたいのなら、俺を全力で殺してから向かう事だ。もし追おうとするなら、俺が全力で以ってして邪魔をする」
「ちっ…」

 盗賊達が一斉にクラウンを囲み始める。
 ここになってようやく認めたのだ。このSランクと言う存在が、自分達を淘汰しうる危険な存在だと。

「さて、始めようか? 次は油断なんぞするなよ。その瞬間に首を飛ばしてやるからな?」
「…ふん。お前の“次”はねぇよ」

 そうして、クラウンに約三十の群れが襲い掛かった。





* * *






 アズイルがやる事は何となくだが分かっていた。
 だが、本当にそれをやるとは思っていなかった。
 それは、詰まり―――クラウンとスゥを置いての離脱。

「不満か」
「………えぇ」
「ふむ。まぁ、それが普通だろう。だが、これはあくまで被害を受けない為の処置だ。何も逃げている訳じゃ無い。総勢約三十人での魔術式を用いた戦闘。一体どれだけの範囲が巻き込まれるか分かった物じゃ無い。そんな場所で戦う術を持たない我々が居た処で、只クラウン達の足を引っ張るだけだ」

 分かっている。
 それは分かっている。
 でも、その手段を認める事が出来なかった。

「スゥさんも、クラウン・バースフェリアも、死ぬ事になったとしても、これは正しいのですか…?」
「正しい正しくないは分からん。只、あいつにとっては俺達が居ない方が動きやすいのは確かだし、俺達があそこに残った処で出来る事などたかが知れている。精々がクラウン達の為に囮になってやる程度だ。それに、こちらの目的は君を運ぶ事であって、戦う事では無い」
「…でも、」
「自分だけが何もせず、そこにあるのが許せないか? だったら心配は要らん。直ぐに終わる」

―――え?

「今、何て…?」
「直ぐに終わると言ったんだ。無論、クラウンの勝ちでな。あの程度の有象無象でクラウンの首を取ろう等と…おこがましいにも程がある」
「あの、程度…?」
「車を停めたら、耳でも澄ましている事だ。敵が振りまく破壊の音は直ぐに――」




「止む」





* * *






 連続した爆発音に続いて破砕の波が襲い掛かる。
 周囲空間、木々を吹き飛ばしながら迫るそれを避けながら、クラウンは新たな木の後ろへと回り込んだ。
 現在刎ねた首は、僅か三つ。
 未だ二十五人もの敵がクラウンを殺そうと迫ってきている。

『ちっ…場数が多いのか、嫌に連携を取るのが巧い。さて―――』

 そして咄嗟にクラウンが飛び出す。
 瞬間、光条がクラウンの居た場所を射抜く。
 ぶすぶすと熱戦によって貫通してしまった木を背に、再びクラウンは剣を構えながら走り始めた。
 先程から、ずっとこの繰り返しだ。
 敵の攻撃を避け、避け、避け――機がやってくれば相手を一撃で仕留める。その繰り返し。
 しかも相手はクラウンに休ませる暇を与えずに攻撃を続けていた。

「厄介だねっ、とぉっ!?」

 次は乱れ狂う氷の群れ、合わせて来るのは氷の大太刀。
 クラウンは身体を投げ出すと、狂ったように飛び込んできた拳大の氷を避け、一転――氷を纏った刃を、その一見すれば容易く折れてしまいそうな剣で受け止めた。

「そろそろ、死ねよっ!!」
「お前が、死ねっ!!」

「【 水気:突き上げる氷の塔 】!」
「【 荒れ狂う氷の宴 】!!」

―――冷起・針氷塔穿(アイスピック・ペネトレイト)
―――騒嵐・狂撃氷爪(クレイジア・アイスネイル)

 行動は、盗賊風の男の方が早かった。しかし、前提起動詞を必要とする汎用精霊を用いる汎用魔剣よりも、生粋の誓約魔剣であるクラウンの方が術式の発動は迅かった。
 つまりは差し引きゼロ。
 同時、クラウンの真下からは鋭い氷柱が躊躇い無く突き上がり、
 クラウンの眼前に出現した氷の礫が相手をズタズタに吹き飛ばした。
 思考は一瞬。
 発動と共にクラウンは動き、真下から出現しようとしている氷柱を左腕に掠めながらギリギリで避ける。最早、狙われた瞬間には動くという反射的な行動だった。

『っ!! だ、大丈夫クラウン!?』
「あぁ…腕に掠っただけだよ…あんま心配せんでも大丈夫だ…」

 スゥの心配する念に、クラウンは唇の片方を吊り上げながら笑う。
 左腕の結界装甲が破れ、そこから覗いた皮膚は決して大丈夫とは言えない程に赤黒い血で濡れている。命に別状は無い。しかし、腕を深く切り裂いたのは間違いでは無かった。
 そっと、クラウンは左腕の感覚を確かめる。
 一般的に魔者と繋がっている状態の時、その使役者には高い自己治癒能力が付加される。それは今現在、魔者・スゥと繋がっているクラウンにも勿論言える事であった。が―――

「………」

 びくっびくっ、と痙攣する左手を見て、次に切り裂かれた左腕を見る。
 血液は既に止まり始めてはいる。しかし、その自己治癒が完璧では無いのか、その掌には力が入らなかった。
 それも、あと少し時間をかければ完治する事だろう。
 だが、それに時間をかけている暇は――無い。

「っく!!」

 クラウンと仲間が密着していたからか先程まで凪いでいた世界。そこに再び術式の嵐が吹き荒れる。
 爆裂が吹き抜け、雷撃が舞い、光線が穿ち抜く。
 クラウンの命の灯火を吹き消そうと、必殺の群れが荒れ狂う。
 止まる様な真似はしない。
 吹き荒れる嵐の中、隙間を縫う様に走り抜けては相手を狙う為の隙を待つ。

 その戦い方は、騎士でも魔術師でも無く、何処か、そう―――暗殺者の様だった。

 もう何度目になるか分からない繰り返しの中、木の背後にクラウンが逃げ込む。
 一人目は不意打ちして首をかっ飛ばしてやった。
 二人目は腹を掻っ捌いてやった。
 三人目は首を斬り落としてやった。
 そして四人目は術式で吹き飛ばしてやった。
 しかし五人目を狙えない。
 加えて状況は悪化しつつある。休む間を相手は与えてくれない物だから、左手の機能が回復しない。浴びせられる嵐によって、結界装甲が破け左腕以外にも傷が出来始めている。
 傷は治る。だから良い。だが、流れた血は戻らない。
 自己治癒能力は“損傷”はどうにか出来ても、決して“損失”まではどうにかしてくれないのだ。
 故に、クラウンの身体からは普段使用する以上の体力が抜けて行く。

『クラウン…』

 もし、この場に居たのがスゥではなくヤヨイだったなら、戦いは予想以上に早く終わっていただろう。
 術式の演算速度は言う事も無く、精緻な構成は+補正を数十%と与え術式の威力を底上げしてくれる。そして何よりも、クラウンの考えを事前に読み取ってタイムラグ無く術式を発動する事が可能。
 今の状態は、本来右利きなのを左でどうにかしている状態に近い。
 スゥ自身は決して悪く無い。
 確かに精霊としての格自体はヤヨイよりも下だろう。出力の最大値は確かにヤヨイと比べれば下回る。だが、何よりも悪いのはこれがぶっつけ本番だと言う事だった。
 クラウンの思考を読んでから演算する状態。使用術式のレパートリーの少なさ。そしてスゥに圧し掛かるプレッシャー。
 事前に何度か修練をしていたなら、幾らでもどうにかなる様な事ばかりだ。
 それ故にクラウンは己に対して舌打ちする。余りの馬鹿さと愚かさに。

『クラウン…ごめんね』
「何だよ…」
『私が我侭言わなければ…こんな事にはならなかったのに…』
「…お前らしく無いなぁ…泣き言なんて」

 薄氷の剣から届く言葉に、クラウンはこんな場面だと言うのに苦笑した。
 或いは―――こんな場面だからこそ、か。
 小説やら劇やらで言うなら確実にクライマックス。更に言うなら、頷きあって特攻をかけるシーンだ。
 死ぬ気で立ち向かう為に。

「馬鹿だな…」

 それは自分に言ったセリフか、それともスゥに対してか。
 しかし、その口調は余りにも優しい物だった。
 もしもスゥがこの場に実体を持って居たのなら、間違い無く頭を撫でている様な声色。
 まるでそれは――死地に赴く者が諦めと共に決意を新たにするような―――

『クラ――ッ!?』

――ウン、一体何を?
 その言葉は背後で響いた爆音にかき消されて届かない。
 只、スゥの心配そうな念を受けながらクラウンがもう一度剣を握り直す。

「なぁ、スゥ…」
『何…? クラウン…』
「これから先は、ちょっとばかしヤヨイには言わないでくれよ?」
『何、を…?』
「あいつ…俺の“持ち札”は異様に嫌うからな…」

 だから、言わないでくれるとありがたい。
 そう言いながらクラウンは、木の陰から静かに出た。
 瞬間、世界が止まる。
 クラウンと敵の頭の視線が交差した事によって、その全てが停止した。

「よう…何だ、殺される気になって自分から出てきたのか?」
「………」

 只、その言葉にクラウンは無言で返す。いや、それは最早無反応に近かった。
 それを証明するかのように、クラウンの双眸は閉じられ敵を視界に入れてすらいない。
 クラウンは己の思考に没頭していた。




―――二度と妾の前でその言葉を吐くなっ!!

 ヤヨイと誓約して、ヤヨイの前で“弱音”を吐いた時にそう言われた。
 きっと、ヤヨイは俺の為を思って言ってくれたのだろう。
 彼女は俺の頭を抱きながら叫んでいた。

―――クラウン、約束じゃ。

 そうして、俺は彼女と約束を交わした。
 一つ、死ぬ時はヤヨイの傍らで死ぬ事。
 二つ、ヤヨイが納得出来る様な死に方である事。
 そして三つ目―――




「ちっ…返事も無しか…?」
「なぁ…」
「―――あん?」

 全てを諦めたかのようなクラウンの突然の言葉に、盗賊達の頭が間抜けな声を漏らす。
 その声に、今クラウンを取り囲んでいる手下達が笑い声を漏らした。そんな彼らに盗賊団の頭は『煩い』と片手を振って黙らせる。

「何だよ、突然。命乞いか?」
「…俺のセリフだ、それは」
「な、にぃ…?」

 そのクラウンの言葉に、空気が軋んだ。
 馬鹿げている。
 だってそうだろう?
 この完全に包囲が完成した状態で、何を見当違いな言葉を吐いているのか。それは余りにも馬鹿馬鹿しい。

「テメェ…はったり抜かすのも大概にしとけよ…この状況でどうやって――」
「俺は、」
「……ちっ…全員、用意を始めろ…」

 何を言っても無駄と悟ったのか、その言葉で盗賊達が一斉掃射の準備を始める。
 しかしそれでも、只クラウンは双眸を閉じたままに話を続けた。

「俺は、他人の命を食い潰して生きたクラウン・バースフェリアの成れの果てだ…」
「―――掃射!!」

 そう、成れの果てだ。
 両親と妹を失い、それが契機となってヤヨイと出会い、仲良くなったヤヨイの元に友達を連れて行くと約束した十歳の少し前の時。そこから五年後に再びヤヨイと出逢った日までの空白。
 その間に得た、掛け替えの無い―――“地獄”
 その地獄を軽減させる為に、少しでも壊れた箇所が修復するのならと、ヤヨイが俺にくれた大切な大切な約束。
 ヤヨイだけは、俺を必要だと言ってくれた、その約束の事―――
 一つ、死ぬ時はヤヨイの傍らで死ぬ事。
 二つ、ヤヨイが納得出来る様な死に方である事。
 そして三つ目、









 三つ、自分を貶める不愉快な言葉を吐かない事。




「【故に、我に生きる価値は無く】」



その――クラウンとヤヨイの間に課せられた禁忌を、発動する。


対式対騎抹殺術式・魂換・傷我殲滅(ブレイカーオン・エニヒレイト)






 瞬間、起動詞を発音し終えたクラウンに向け、魔力の渦がぶつかった。





* * *






「む…」
「…音が…消えた?」

 その“異常”は避難しているアズイル達も気づいた。
 一際激しい爆音――或いは破砕音が響いた後、世界が一瞬にして静かになった。これは本来、戦いの終結を意味する物だろう。しかし―――それは余りにも不気味に静か過ぎた。
 まるで、何かの忌避感に森に住まう者達までが凪いでしまったかのように。

「…そろそろ迎えに行くか」
「え…もしかして今ので―――」
「いや、まだ終結はしていない。これから始まる(・・・・・・・)のだ」
「―――は? それはどう言う―――」

―――い、ぎやぁぁぁああああああ…
―――ひやぁぁぁあああああっ…

「っ!?」

 不快な“声”は、その瞬間響き渡った。
 ヒトが心の奥底から叫ぶ、恐怖による大絶叫が。
 反射的に身を萎縮してしまう様な、命乞いの声が。

「な、何、が…!?」
「…今回は連れているのがヤヨイでは無いからな…まぁ、やるとは思っていたが…時間的に言って結構粘った方だな」

―――ああああああぁぁっああああ…

 そしてまた悲鳴。
 耳を塞ぎたくなる様な阿鼻叫喚の絶叫。

「やる…? やるとは―――」
「本来、」
「―――……?」
「本来、種族的に“人間”とは術式能力で一番劣る種族だ」

 車に乗り込みながら、アズイルはそう話を切り出した。
 少女は一瞬『何の話だ』と首を傾げるが、黙ったままに耳を傾け続ける。

「だからこそ、人間は魔者と言う隣人と手を結ぶ事によって爆発的な力を扱う術を生み出し、そしてそれを進化させて誓約器を扱う戦闘体系全般へと発展させた。ここまでは様々な歴史教科書にも載る、極々一般的な話だ。しかし、考えた事があるか?」
「…何をです…?」




「誓約者を、只の人間が殺す方法」




「それ、は…」
「誰しも一度は考えた事があるだろう。特に、君は考えた事がある筈だ」
「―――――」

 確かに、考えた事がある。
 あの、全てを奪った奴隷商の誓約者を、どう殺してやろうかと何度考えた事か。
 だが、考えれば考えるだけそれが不可能だと思い知る。圧倒的戦闘能力は、決して生身のヒトが勝てる物ではない。それこそ術式能力を封印された憐れなラビトニアや、一番術式能力の低い人間が勝つ事等もってのほか。
 確かに世界標準のギルドランクで、Bランクまでなら生身でも“達人”なら勝つ事が可能だとされている。
 しかしそれは、相手の戦闘経験を上回っているからこそ。
 戦闘経験を得た誓約者には、どうやった処で勝てる物ではない。
 それこそ、魔者とのハーフ(フェアリーテイル)か、特異点(シン・グラリティ)でもない限りは。

「………?」

 そこまで考えて閃く。
 フェアリーテイルやシン・グラリティなら勝てるのだ。
 だったら、

「クラウン・バースフェリアはフェアリーテイルかシン・グラリティ…?」
「…、まぁ、一番近いのがその答えなのだろうな…」

 少女の出した結論に苦笑しながら、アズイルは車のキーを回した。

「?、近い? 近いとは――」
「正確に言えば、あいつはフェアリーテイルでも、ましてやシン・グラリティでもない。しかし、今のあいつはシン・グラリティ…その特性に限りなく近い(・・・・・・)

 シン・グラリティの特性―――
 堕界した魔者の血を継がない純血のヒトであるにも関わらず、高い術式性能を持ち、概念系の魔者に近い特殊な術式を扱える特異存在。故に、神が落とした欠陥製品とも、逆に神に愛された存在とも呼ばれる者達。
 それに近いとは?

「………」
「分からないと言った表情だな。…まぁ、仕方も無い。普通は考え付かんし、考え付いてもそんな馬鹿なと否定するだろう。だが、“ソレ”は実際にあった事であり、あいつは…俺達はそれに選ばれてしまった」

 そして――アズイルは無表情に己の手へと視線を落とした。
 そこに、一体どんな過去があるのかは分からない。
 だが、酷く悲しい物であるのは、見ているだけでよく分かった。それ程までに、アズイルのその目は語っている。『ロクではない』と。

「話を途中まで戻して考えれば、思い至る筈だ。“誓約者”を、“只の人間”が殺す方法。そして、それを斃す事が可能な存在。その二点が分かれば、おのずと答えは導き出せる」

 考え、二点を把握し、吟味し、“嫌な予想”を取っ払う。
 そうして―――思い至った。
 酷く、現実味が薄れる考えを。
 だが、この二点から考えられるのはそれしかなかった。
 だと言うならば、クラウン・バースフェリアとは―――

「…まさか、でも、そんな事が…?」
「事実だ。あいつも、俺も、不幸にも選ばれてしまった存在。命を食いつぶして生きてきた成れの果て。そう―――」




対事象操作騎士(アサシンブレイド)を想定された、人工の特異点(シン・グラリティ)





* * *






「はっ…Sクラス、っつってもこの程度だった訳だ」

 盗賊達の頭が見る先には薙ぎ払われた森。
 そして、地面が抉られ、煙や氷を覗かせる大小様々なクレーター。
 そこに目をやり、呆気なく終わった事に鼻をならして嗤う。

「ま、あれだけの集中砲火を浴びれば肉片一つ残らないのも納得か」

 これで依頼された仕事は終わりだ。
 だが、自分で呟いた言葉は嬉しさとは裏腹に、敵が死んだ事を恐る恐る確認している様な口調に近かった。それほどまでに―――森が凪いでいる。

 怖い。

 この場所に居るのは嫌だ、早く帰らなければ。そう先程から頭の中で警鐘が鳴り響いている。
 標的は集中砲火を浴びた。
 総計、自分も含めて24人からの下級中級の術式一斉砲撃。生き残れる可能性は皆無だ。

 直撃していなければ?

 一瞬走った嫌な考えを振り払い、喝采を上げて喜んでいる部下達に目をやる。
 誰もがこれで手に入る報酬の使い道を笑いながら語り合っている。
 そんな中で一人だけ視線を俯けている部下を発見した。
 回りがはしゃいでいる中で、何故か一人だけ押し黙り、何処を見るでもなく立って居る。
 そんな姿に苦笑し、或いは考えるのを止めたいが為に近付く。
 そう、終わった。
 終わったのだ。
 だから喜ばなければならない。
 喜んで、喜ぶ事によって、その気持ちをどうにか振り払いたかった。
 だから、喜んでない奴の背でも叩いて笑いながら『もう終わったんだ』と再認識しなければ、

 この“静けさ”を認めたく無かった。

「よう、どうした」

 だから近付きその背を軽く叩き、

 ずるり、と

「これで終わったんだから、何をし―――」

 首が滑らかな切断面を残して地に落ちても、それが悪夢だと信じたかった。

「――――ッ!!?」

 五人目。
 脳裏にその言葉が響く。
 叫び出さなかったのは、最早奇跡に近かった。
 一瞬の静けさ―――後に、爆発。

「う、わあああぁぁぁぁああああっ!?」
「っ、落ち着け!! 今ので殺し切れなかっただけだ!! 全員集まれ!!!」

 だから、すぐさま冷静さを取り戻し隊列を整える事が出来たのも奇跡だった。
 だが、
 奇跡はそう何度も続かない。
 360度、隙が無い様に円を作って周囲を見る。
 静寂が耳に痛い。
 心臓の鼓動が煩い。
 呼吸音がか弱い音を立てて耳に届く。
 それだけが、自分が今生きていると言う証。

「何処、だ…何処に…」

 くまなく探す。
 凝視する。
 注意深く見る。見ている。

「………ん、なっ!?」

 一瞬の気も緩めずに見ていた。
 集中力を全て割いて相手の“気配”を探っていた。
 だから、それが一瞬見間違いだと思った。

「きさ、貴様…何時からそこに、立っていたっ…!?」

 クラウンが立っていた。
 薄氷の剣が血を滴らせながら、只静かに、何の感慨も無さそうに、無表情に、まるでそれは無機質に近く、悪夢の様に、一切の存在感と言う物を持たず、気を抜けば注視しているにも関わらずに見失ってしまいそうな、黒い騎士が、自分の2メートル前に立っていた(・・・・・・・・・・・・)
 反射的に剣を向ける。
 が、そこには既にクラウンは立って居なかった。
 まるで、悪夢。
 実体の無い敵と戦っている様な、そんな性質の悪い夢。
 しかし、それが夢ではないと真横で紅い噴水が上がった事で再認識する。

「ひ、ひやああああああああああああっ!!???」

 絶叫。
 転がる首。
 悪夢。
 そして再び斜め前に現実味の無い黒い存在。

「くそっ…何なんだ、何なんだ貴様はぁぁっ…」

 足が震え、腰が引き、逃げ出したくなりそうな中で剣を向ける。
 辺りは恐慌の声が溢れ返り、自分が敵を注視して剣を向けているというのに今だこの“黒い騎士”を発見できない部下の群れ。
 そんな中で剣を向ける行為に、その“黒い騎士”は笑い、
 最初にその体勢を低く低く落とし、
 次に希薄だった存在感が完全に無くなり、
 見ていると言うのに自分の目が疑う程に相手の存在を信じられなくなって、
 気付いたのは3秒経ってから。
 クラウン・バースフェリアは何時の間にか、その場所から消えていた。

「―――あ?」

 そして、真横で途絶える絶叫。
 また、首が落ちた。

「い、ぎ、ああああああああああああああああああああああっ!!!??」

 次の瞬間には22の首が落ち、最後の1つが遅れて落ちた。





* * *






 それは悪夢に近い。
 クラウンの握る剣の中、スゥは思った。
 誰も彼もがクラウンを見ていると言うのに、誰も彼もが気付かないで視線を他へ向ける。
 そんな中を動き、只単純に剣を振って相手の首を切断するクラウン。
 それは信じられない様な光景だった。

『クラウン…』

 声を送っても、返って来ない。
 只、誓約魔剣を維持する為の最低限の魔力が送られて来るのみ。
 クラウンは、己の内側で発動した術式だけで戦っていた。
 存在の抹消化。
 それ自体は術式ではない。
 驚くべき事であるが、これはクラウンの個人技能だ。
 そのクラウンの内側で起動された物こそが、果てしなく異常だった。
 クラウンは人間だ。それも純血の。
 だと言うのに、体内で恐るべき速度で巡る術式は上級術式かそれ以上の物だった。
 身体能力加速、感覚鋭敏化。
 只単にそれだけを行う術式。
 だと言うのに、その補正率が異常数値を叩き出している。
 人間が下級術式で身体加速を行った時、その補正は最大200%から300%。
 ヤヨイが術式を再演算しても、これに50%加わるかどうか。
 だと言うのに、このクラウンの中で巡る術式は人間が出せる術式の補正率ではなかった。
 身体能力加速率―――800〜900%幅。
 異常値だ。確実に。
 これだけを見るならば圧倒的だと思うだろう。
 だが、スゥはそのデメリットを見抜いていた。
 身体加速術式は、その性質上、下級術式でしか使われない。
 何故なら、身体への負担を軽減する為にあらゆる術式が併用されているからだ。
 身体能力を加速させれば、骨や筋肉に返って来る負担も激増する。故に、本来であれば爆発的に増える負担を術式で殺し、身体加速を行っているのが常。
 だと言うのに、
 クラウンの異常な身体能力加速には、それに見合うだけの負担軽減がされていない。
 理由は解る。
 魔力消費を抑える為だ。
 身体加速術式は、それ単体で言えば酷く単純な術式である。そして燃費は非常に低い。他の下級術式以下と言える。だが、加速する肉体の損傷を抑える為に併用される術式に魔力を割く為、それは下級術式相応の魔力使用量になっている。
 そしてこの負担軽減の為の術式、各部に余す事無く全身に行われるので非常に燃費が悪い。
 だからだろう、クラウンの使用する異常身体加速に負担軽減の術式が殆ど併用されていないのは。
 数式で表すならyの値を最終的な身体能力の使用魔力量とした時、aを加速術式の魔力量、xを負担軽減の術式の魔力量として、
 y=a+x3
 それが下級術式での身体加速術式の使用魔力量。
 だからこそ、本来人は戦闘で下級術式以上での身体能力加速を行わない。
 魔力使用量の上がり幅が半端ではないからだ。
 使った瞬間にキャパシティオーバーで卒倒、なんてのは笑い話にもならない。

 しかし、それをクラウンは使用していた。

 負担軽減の為の術式を殆ど無い様な状態で使い、異常な身体能力加速を行っている。
 使えば使うだけ、骨は磨耗し、筋繊維は千切れ、感覚は磨り減る。常に激痛を伴う様な術式を。

『……クラウン…』

 ヤヨイが嫌うと言うのも解った。
 何て、己の身体の事を無視した術式だ。
 起動詞からしてそうだが、これには自分の事を考えている箇所なんて殆ど無い。
 相手を殺せさえすれば自分は死んでも構わない。そんな意図がこの術式からは嫌なほど伝わって来る。相手の息の根を止めるまで身体が持てば…軽減の為の術式はその程度のレベルでしか働いていない。

『………』

 叫びたい。
 だけど叫べない。
 今、クラウンがこの術式を使っているのは何故か?
 それは、自分が不甲斐無いからこそだから。
 自分が、もっと上手く演算出来たなら、クラウンの意思を汲み取れたなら、なら、なら…
 今となっては全てが遅い。
 例えそれがクラウンとヤヨイの気遣いから来る物だったとしても、これがぶっつけ本番になってしまったのは最終的に言えば自分の意思。甘え。

『強く…』

 クラウンが首を落とす。
 逃げ惑う敵の背後から迫り、無情に薄氷の剣を落として首を狩る。
 敵は気付かない。
 絶無の存在感と、そしてその超機動故に敵が眼前に立っている事にすら気付かず死んで行く。

『強く、なりたいよぅ…』

 クラウンは気付かない。
 スゥが泣いている事に気付かない。
 殺す事に熱中しているが故に気付かない。

『…うっく、絶対に、ひっ、私は―――』

 クラウンが這って逃げようとする最後の人影に刃を落とすと同時、

『―――絶対に強くなってやる…』

 決意したスゥに、気付かなかった。



#7-end






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