正当な評価。
それを受ける事をヒトは強く望む。
だが、正当な評価を受ける事が絶対に幸せではない。
評価されてしまえば逃げ道は断たれる。
逃れられなくなる。
隠していたのなら、尚更。


























The duet with the lunar
の精と二重奏(デュエット)を――


Rabbit's hometown.
―兎の故郷―
#8 混ざる現実と夢幻




















『喜べ。君が最初の成功例だ』

 成功例?
 その言葉が始め、何を意味するのか分からなかった。
 視線を横にスライドさせれば病的なまでに白い壁。しかし所々に赤黒い染みと、爪が抉った様な傷跡があった。
 首を傾げ、もう一度正面に視線を戻す。
 眼鏡を掛けた神経質そうな男。誰だったか、と一瞬だけ考え、直ぐに誰かを思い出す。
 それからは簡単だ。後は全てを芋づる式に思い出す事が出来る。

『ふむ…? かなり消耗している様だね? まぁ、それも無理は無いだろう。アレだけ暴れたんだ。逆に消耗していない方が―――いや、それはそれで新たな扉に手を掛ける事が出来たかもしれない』

 何が面白いのか、男はクツクツと肩を震わせて笑っている。

『あぁ、いや、しかし…君が成功してくれて良かった。貴重な存在を減らしすぎると、私が上から何を言われるか分かったものじゃ無いからね』

 最悪『使えない奴』として処理されかねない。
 そこで言葉を区切って、男はもう一度愉しそうに笑った。

『これで死んでしまった“B”と“C”の事は水に流せる。いや、更に精度の増した良い“刻印”が作成出来る事だろう。…、何だいその目は? あぁ、君は彼らの事を聞かされていなかったね。だったらその表情も納得が行く。うん。死んだよ彼らは。“B”は中からバンと破裂して死亡。“C”は発狂して取り押さえる前に自分から頭を割って死んじゃった』

 その言葉を聞いた瞬間、反射的に男の頚椎をねじ切る為に右腕を前に出そうとする。しかし、それは身体を包む拘束衣の圧迫によって叶う事は無かった。
 クッ、と眉を顰め出来るだけの殺意を乗せて相手を睨む。

『いや、“B”と“C”については残念だったと思う。君が真っ先に成功例になっていれば、まだ彼らも助かった見込みがあるのにね? 本当に残念でしょうがない。だけど安心したらいい。明日以降予定されている子達は、君の成果を元に進めていくからね。比較的成功率も跳ね上がるだろう』

 また、男が笑う。
 酷く感に障る笑い声だ。
 絶対に殺す。
 そう思わないでいられない。

『さぁ、今日はもう休むといい。適合したとは言え、身体が完全に馴染むまでにはもう少し時間が掛かるだろう。今はゆっくりと休息を取るんだ―――』




『―――“D”。我が愛しの成功例。(カルマ)喰いし外枠の存在(アウトライナー)よ』





 その声が響くと、意志とは逆に睡魔は否応無く瞼を閉じさせた。





* * *






「クラウンッ!!」
「――――…あ?」

 目の前にはスゥの顔、そして背景は空。

―――空を見上げてる? 仰向けで転がってるのか、俺は。

「大丈夫!? 何処か痛くない!!?」
「あー…、痛い、場所?」

 別にそんな場所は?
 そう考えて体を起こそう―――

「がぁっ!!?」

―――として、そのまま地面に再び倒れこんだ。
 突如走った激痛に、何をしてこうなってしまったのかと言う記憶が戻ってくる。
 あぁ、そうか成る程。そうだった。
 我ながら馬鹿らしいが、激痛によって記憶が戻ってきた。この痛みは、そう、ヤヨイが傍らに在ってからは初めての限界突破反動。

「ッ、クラウン!!」
「大丈夫…いや、大丈夫ではないけど…死ぬほどじゃない」

 自分の状態を鑑みて、思う。
 死ぬほど、ではない。まともに動けないほど、ではあるが。
 左足大腿部の亀裂骨折に両足の筋繊維が数箇所に渡って断裂。その他上半身の完全には至らない物の筋繊維断裂。こちらは筋肉痛程度だ。
 自分の状態を診て、これで動けたらアホだと結論を出す。

「アレをやると反動がでかくてな…使ってた頃…ヤヨイが俺と契約してくれる前には限界値を把握して、動けなくなる前に解除してたんだが…」

 勘が鈍ったな、これは。
 苦笑しながら、そう呟く。
 だが、これは怠惰から来る鈍りではない。純粋に、ヤヨイと言う存在と契約した事により使わなくなったからこその物だ。
 本来必要でない、使わない物を使ったからこそのリスク。
 錆びた刃は、己を傷つける。

「…まぁ、そろそろアズイルが迎えに来るだろう。そしたら運んで貰う」
「そう…」
「………?」

 直ぐ納得したスゥを見て、一瞬だけ違和感が沸いた。
 が、どうと言う事ではないので起こしかけた身体を再び横たえる。
 スゥにも今の戦闘に関して思う処があったと言う事だろう。
 クラウンはそう結論を出す。
 あんな事をやったのだ。あんな、常識外魔術式を。

「…あいつが来たら起こしてくれ…少し、眠る」
「ん…分かったわ…」

 覚醒した頭は、再び酷い疲労によって霞む。
 否応無く、疲れは睡眠を求めた。
 自然とまどろむ意識の先、そこで―――

「おやすみ、クラウン」

――― 一瞬だけ、本当に一瞬だけ、スゥとヤヨイが重なって見えた。





* * *






 それは過去。
 色褪せてしまった。しかし、決して忘れる事無き夕暮れの情景。

『ねぇ、』
『…なんじゃ…?』

 寄り添う影が二つ。
 長き髪を柔らかな風になびかせながら、遠くに見渡せる街並みと、沈む太陽を見つめる月の姫。
 もう一つの影は、十年以上前の――自分。

『ヤヨイ姉ちゃんはさ…寂しくなったりしない…?』
『寂しく、か…』

 フ、と――沈み逝く太陽を見ながら月の姫が溜息を吐く。
 何かを諦めてしまったかのような、儚げな溜息を。

『寂しい…忘れて久しい感情じゃな…あの世界から堕ちて以降、考える暇も無く磨り減ってしまっただけかもしれん。だが…』
『だが…?』
『確かに、妾の中にも存在した感情じゃよ、それは。数百年も前に、倭国にて剣を教えられ、戦場で師としていた人物が死んで以降には――感じなくなってしまったが、の』

 皮肉気に笑みを歪め、月の姫は天を仰ぎ見る。
 つられ、少年も空を見上げた。
 黄昏は侵食され、濃い青に塗り固められようとしている空。星々が二人の視界を埋め、眼下に広がる街の光に負ぬ様に生まれ始めた夜空は光り輝いていた。
 その夜空の中心には一際輝く星が一つ。夜空の中心――月。

『――じゃが、』
『…うん…?』

 夜空の月、それを見つめながら月の姫は目を細めた。
 それは、まるで過去を懐かしがっているかの様。

『最近は、思い出してきたやもしれん…』
『そうなの?』
『あぁ…クラウン。主に出逢えたからかもしれんな』

 くくっ、と小さく月の姫は笑い、小さな少年の頭を撫でる。

『のぅ、クラウン』
『んー…何? ヤヨイ姉ちゃん?』

 自分は――撫でてくれる手が余りにも気持ちよくて、自然と目を瞑っていた。

『もし、主が成長し、剣を持つ事があるならば、妾と契約するか?』
『ぅん…? 別に剣なんて持たなくたって、僕、契約ならしてもいいよ?』
『…妾が、戦う事に特化した存在でも、か?』

 質問した月の姫の顔は、夜に染まり始める世界の所為で良くは見えなかった。
 だけど、声色から―――心配なんだと、そう感じた。
 だから、自分は、

『うん。僕、ヤヨイ姉ちゃんの事好きだから』

 一瞬の躊躇いすらなく、思っている事を口に出したのだろう。

『―――…そうか…』

 その時の表情は決して忘れない。
 闇に染まり始める世界の中、見上げる様に覗いたヤヨイの表情には一切の曇りが無く、何時も何処か刃の様に鋭い物が無い優しいだけの表情だったから。
 剣士でも戦士でも、まして【 狂刃 】と呼ばれる表情でも無く。少女の様に笑っていたのだから。
 だから、
 だから、自分は――

『…ヤヨイ姉ちゃん…?』
『ん…あぁ、何でも無いよ。只、そう…嬉しいだけだから…』

――この人だけは、自分が存在する事を望んでくれていると、そう感じる事が出来た。





* * *






「おはよう」
「…おはよう」
「良く眠れたか?」
「十分有るか無いかの睡眠時間に、良く眠れたかなんて聞くだけ無駄じゃないか?」
「そうかもしれんな」

 再び目を開けば、飛び込んできたのは友人の顔。
 視線を動かせば、兎の少女も倒れた自分を見ている事に気付く。

「で、動けるか?」
「あっ? …あー…無理だな。久し振りに使ったから体の耐久限界を超えちまった。左足の骨が折れてて歩けん。ついでに言えば両足共、結構酷く筋肉が断裂しちまってる」

 やれやれだ、と倒れたままの状態でクラウンは自分に呆れた。
 敵を全員斃せたから良いが、ここが絶え間無く戦う事を強要される戦場ならば絶対死んでいる。
 いや――本来ならこの術式はそう言う風に(・・・・・・)使われる物なのだが。

「そうか。だったら車に運んでやるから、そこでスゥともう一度誓約状態に入って治癒を続けてろ。残りの工程は全部俺が運転してやる」
「あぁ、悪いな」
「別に構わん。それに、だ」
「ん?」
「いや…何でもない」

 アズイルはそこで話を切ると、クラウンを抱き起こした。
 担がれた状態で、アズイルが何を言おうとしたのかを考え――直ぐに何を言おうとしたのかを察する。

―――もう一つの切り札の事だろう。

 極級術式だとか、先程の術式の様に身体能力を高める様な物ではない。
 在ってはならない物。
 それが正しい表現。
 絶対的なイカサマ、そんな言葉が妥当な処か。

「乗れ」

 ぽいっ

「ぎゃぁあっ!? い、痛い!! もう少し優しく乗せろアホ!!?」
「失敬。お前だからと、気を遣うのを忘れていた」

 考えに耽っていて、受身を取るのを忘れた。
 足から走った激痛に意識を引き戻され、反射的に絶叫を上げるがアズイルは『馬鹿か?』みたいな顔をしてこっちを只見ているだけだった。もう少し労わってくれても良い筈なんだけど、と思うのは間違いでは無いと思いたい。
 息を深く吐き、未だ足から伝わって来る鈍痛を感じながら目を瞑る。
 取り敢えず、後はスゥとの誓約状態によって自己治癒能力を引き上げ、目的地まで休むだけだ。色々大変な目にあってはいるが、それもやっと終わる。
 ふぅ、ともう一度溜息を吐き出しながら、首を捻って今まで自分が寝転んでいた場所を見る。
 血に汚れ、死体が転がる場所を。

「………」

 馬鹿だな、と思う。
 それは、自分に立ち向かって来た彼らに対してか、それとも――死体に囲まれていようが寝れてしまう己に対してか。いや、多分どちらに対してもだろう。
 彼らは逃げれる選択肢があった筈だ。依頼を持ちかけられた時点で断れば、今回死なずに済んだ。
 いや――もしくは依頼を断った時点で殺されていた可能性もあるのだろうか。
 だって依頼を持ちかけたのは、多分奴ら(・・)。害しか生み出さない存在を生かしておくのも馬鹿な話だ。
 だったらどっちみち、奴らに見初められた時点で死ぬ事は決定していた訳だ。

「ご愁傷様、としか言えないね。こりゃ」

 自業自得。
 元から捨て駒の位置に立っていたのなら、チャンスがあっただけマシだったかもしれない。
 もしも、有り得ぬ話ではあるが――今、この場でクラウンが彼らの代わりに死んでいたとしたら、彼らは受け取る金でマトモな生活を送れたのかもしれないのだから。
 だが、それはあくまで可能性の話。在り得なかった未来分岐。
 考えるだけ、無駄。
 そう締め括り、首を元に戻して前を見る。
 運転席を見遣れば、アズイルは丁度車のキーを回すところだった。
 エンジンが回る感覚を受け、次に車が動いた事による軽い重圧が体に響く。そんな軽い衝撃にすら反応し、痛みを返してくる足を憎々しく思いながら深い息を吐き出した。

 何はともあれ、体を治す事が先決か…。

 動き出した車の震動を痛みで感じながら、クラウンは横に座るスゥに声を掛けるのだった。





* * *






「状況は終了。血に惹かれて寄って来る魔獣に警戒し、慎重に死体の回収に当たれ」
「はっ、了解しました」

 斬殺死体が転がる世界より、数百メートル離れた場所。
 そこで男が一人声を発し、周囲に居た六人程度の黒服が一斉に森の緑へと紛れ込んだ。
 声を発した男は全員が現場に向かうのを確認すると同時に溜息を吐き出した。

「…異常だ…」

 何だ、アレは。
 そう思わずにはいられない物がそこにはあった。
 遠めに観察していただけだから、その場で何があったのか正確には分からない。
 だが、

「異常すぎるぞ、【 殺刃(キリング・エッジ) 】…」

 遠くから、全体を把握する様に見ていたからこそ分かる。
 【 キリング・エッジ 】が一斉射撃を受けた辺りから状況が一変した。
 見えていた。見えていたのだ。確かに目で捉えていたにも関わらず、認識する事が出来なかった。
 真正面から見ていた筈の者さえ、ハッと気付いた瞬間にはバックアタックを受ける直前。
 あの時の【 キリング・エッジ 】の状態。
 あれには本来ある筈の生命の鼓動すら感じる事が出来なかった。
 それは極限まで気配を消すと言う事。
 生命と言う存在すら隠す異常。

「物質系、精神系を飛ばして概念系にまで及ぶ気配遮断…? どんな反則だ、それは…」

 術式を使った訳でも無いのに概念にまで及んでいた気配遮断。それは一種の極みとも言えた。

「評価を大幅に修正しなければならない様だ…【 キリング・エッジ 】。ギルド本社斡旋部が公表している通りのSランクでは無いと言う事か」

 ポケットから一枚の紙を取り出しながら男が呟く。
 そこに書かれてあるのは、本社直属のギルドメンバー一覧。そしてランク。
 男は内ポケットに差していたペンを引き抜くと、ランクの箇所に線を一本引いた。

「……、暫定ランクは―――」

 走らせたペンは文字を二つ刻み、迷った後、もう一つを付け足した。




 【 殺刃(キリング・エッジ) 】―――暫定評価:SS+



#8-end






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