別に良いって、気にするな。
俺は楽しかったんだからさ…。


























The duet with the lunar
の精と二重奏(デュエット)を――


Rabbit's hometown.
―兎の故郷―
#9 終わる事、始める事




















 期待は、していたのだと思う。

「………」

 嘗て見ていた日常が、未だそこに変わらず在ると、そう期待していた。
 だけど、信じていた訳では無い。
 あくまで、在ってくれたら良い、そんな小さな期待。
 しかし、

「何も、」

 そこには何も無かった。
 破壊の痕も、年月を重ねた骸も、何も――無かった。
 辿り着いた場所には、痕跡が残っては居なかった。

「…瘴気の片鱗も感じられん…遺体は然るべき手順に則って埋葬されたのだろうな…」
深淵の扉(アビス)を開かない為に、か…」

 やるせない話だな…。
 背後で肩を貸してもらって立っているクラウン・バースフェリアが言う。
 やるせない。
 確かにやるせない。だが、それ以上に悔しかった。

「何で…」

 見てしまった現実に、膝を折って崩れ落ちる。
 こんなのは、あんまりだ。酷過ぎる。
 この世界に、あの日生まれた筈の憎悪を、
 悲しみを、
 決意を、
 それら悉くが消されてしまっている。
 残滓すら残さずに。
 抉れた筈の大地は埋められ今では青々とした緑が茂り、半壊した筈の家屋は崩れ落ちて苗床となり、幾つも転がっていた筈の惨殺死体はあの日が夢であったかのように消え失せていた。最後の最後、奴隷商に無理矢理手を引かれながら見た、父の無念そうな首すらそこには無い。

「何でっ…!」

 涙が一筋、頬を伝う。
 拳を振り上げ、叩きつける。
 嘘であれ、と。そう願うかのように。
 信じたくなかった。
 信じられる筈が無かった。
 例え、それが私利私欲、自分達の為であったとしても、

「あいつらの手で父さん達が埋葬されなければならないっ!!」

 どっ!! どっ! どっ!!
 二度、三度、四度――拳を振り上げては地面に叩きつける。
 だけど、幾ら叩きつけようが世界は一切の変質を見せたりはしない。
 只、己の手が汚れ、切れ、滴った血が飛び散って雑草達を濡らすだけ。
 分かっている。
 解っているのだ。
 この現実が、どうしようも無い真実で、変える事は出来ない最早過去の出来事なのだと。
 だけど、振り下ろす手は止まらない。
 地面を叩き、手を振り上げ、世界を見、変わらない――変わってくれない事に腹を立てて再び“世界”を殴りつける。永久の螺旋。終わる事無きメビウス。その苛立ちを繰り返し、只地面を殴って祈りを捧げる。

「あぁっ…! あぁぁあああああぁぁぁああああああっっ!!!」

 だが、その終わらないサイクルはそれを行う者の心が限界に来た時に終わる。
 一際強い絶叫と共に腕を高く高く振り上げる。
 世界よ壊れろ、と。
 壊さない為に、己の腕よ折れてしまえ、と。
 一際高く高く振り上げた腕。
 それを力一杯振り下ろそうとして、

「…もう止めなさい」
「止めとけ。腕が折れる」

 違う二つの温もりが、その腕を包み込んだ。

「はなっ…離して下さいっ! こんな、こんな現実なんて…っ!!」

 しゃくり上げ、涙を流しながら、しかし世界を否定したい思いは止まらない。
 だが、そんな少女の言葉に腕を掴んでいる力は一層強まる。

「酷でしょうけどね、貴女が腕を振り下ろした処で世界は変質なんて来たさない。只、貴女の腕が世界に負けて痛み、傷付き、折れて曲がるだけ」
「でもっ…!!! だけどっ!!」
「解れ、なんて言わないわ。勿論、受け入れろなんて事も言わない」

 それは、スゥの言葉。
 理不尽に召喚され、孤独の内に救いを見出した小さな精霊の言葉。
 腕を掴む手の、その片方が緩む。

「だけどね、貴女は覚えなければならないの。この世界の理を。楽園では決して無い、このブルースフィアの理を」
「だから、何でっ…!」

 そんな物を覚えなければならない!

「学びなさい。二度と、同じ理不尽に晒される事が無き様。貴女は今、もうこの場には居ない者達の生きた証なの。世界を、現実を認められないという八つ当たりで、その体を意味無く傷付けて良いなんて理由にはならないわ」

 八つ当たり?
 確かにそうなのだろう。
 これは八つ当たりだ。
 人生を蹂躙され、父さえ殺され、せめて亡くなってしまった父を、仲間を弔う事も出来ない世界に対しての、理想でも希望でも、あらゆる人々を救う等と言う大層な事でも無い。これはちっぽけな、そう――ちっぽけな八つ当たりだ。
 ふ、と――その八つ当たりだと言う事を理解し、休息に頭が冷えていく。
 自分は何をしているのだと。
 何をした処で無駄だと言うのに。
 居なくなってしまった者は、二度と帰ってこないと言うのに。
 それを自覚したら、急に腕の力が抜けた。
 地面を叩く意思なんて、呆気無く消え去った。
 しかし、それと共に堪えきれない程の虚しさが胸を侵す。

「だったら…」
「………」
「…だったら、私は一体、何の為に生きて…」

 分からない。
 生きる意味を失った。
 分からない。
 一体、自分にはどんな生きる意味が残されているのか。
 分からない。
 見つけられないのだ。
 己の内側に残る欠片を探し、掬い上げても、生きる意味がみつからない。
 復讐?
 そう、復讐ならどうか?
 あいつらを一人残らず殺して、殺して、殺しつくしてっ―――!!

――― 一体、その先に待つのはどれ程深い虚無だろうか?

 つまり、私は臆病なのだ。どうしようも無く。
 そして、理解してしまっている。
 たった一人、己を捕らえた奴隷商を殺したとして、アレは害虫に等しく東側全てを占めた存在である。駆逐する事など絶対に叶わないと。
 悟ってしまっているのだ。どうしようも無い位に、あの、戦闘技術と勉強と、立ち居振る舞い、マナーを学び続けた数年間で。
 抗う事など、無意味だと。
 だったら、どうして私に生きる意味があろうか?
 私は、
 私なんて、
 もう、生きていても、



「―――他の誰でもない。お前自身の為に、幸せになれ」




 投げかけられた、そんな言葉が理解出来ずに顔を上げた。
 見上げるのは左上、真横に立って、未だ力強く腕を握っている男。

「他の誰でもない。お前自身の為に幸せになれ」
「それ、は…」
「理解出来ないか? それとも自分だけが助かるから幸せになる権利は無いと?」
「…私には、生きる意味がありません…だから、」
「だから、もう死にたいと?」

 その言葉に頷き、再び顔を伏せる。
 復讐。しかしそれは成し遂げる事が不可能な話だ。ならば――

「全く…人間許すまじ、って態度は何処に行った? 復讐も何もかもやる気が起こらないのか? まぁ、復讐なんて考えられても説得するのに長引きそうだからマシと言えばマシだが…」

 やれやれだ本当。
 呟き、嘆息する。
 だが、その間も腕を掴む力は緩まない。

「…涙を流すな、なんて事は言わん。だがな、顔は伏せるな。己の影で隠れた暗い地面しか見えない。だから、先ずは前を見ろ。この世界を直視しろ。俺達は逃げられない。死のうがそれはきっと変わらない。だから、希望を失ったのなら見つければいい。大切な誰かを亡くしてしまったのなら、その人の分もせめて生きろ。そして生きる意味を見失ったらな…己の内側で探そうとするな。だから顔を上げろ、世界を見渡せ、立って、広い視野で物を見ろ。生きる意味は、絶望と同じ数だけそこら辺に落ちてるんだ。だから、」

 熱が、伝わる。
 力強く握られている腕から、熱が――心に降りた霜を溶かす様な熱が伝わって来る。
 それはまるで、生命の煌きにも似た―――

「だから立ち上がれ。死ぬには、お前はまだ若すぎる。不幸になった分を取り戻せ。そうじゃなきゃ、不公平だろうが」
「だったら」
「あん?」
「だったら貴方にはこの気持ちが解るんですか!?」

 ぱん、と手を払いのけて少女が立ち上がる。
 酷く荒んだ目を涙に濡らし、きつくきつくクラウンを睨む。

「この空虚を! この悲しさを!! この悔しさをっ!! その全てが解ると? 笑わせないで下さい。こんな暗い感情を理解なんて出来る筈が無いっ!!」

 一呼吸で、今思っている全てを絶叫した。その所為で肩は上下に揺れ、胸は呼吸の為に激しく動き続けている。
 その目を見て、クラウンは瞼を落とした。
 その様からは何を考えているのかは分からない。
 だが、分かる訳が無いのだ。普通は。
 そう、普通ならば(・・・・・)
 三秒――いや、五秒程経ってからクラウンは閉じていた目を開けた。
 その、両黒瞳に映っているのは己の姿。未だ変わらぬ荒んだ目付きで睨む自分。だが、そこにはもう一つ何かが浮かんでいる様に思えてならなかった。
 それは…?

「…そうだな。確かに全てを理解なんてする事は出来ない」
「………」
「俺はお前ではない。お前と同じ体験をした訳では無い。だから、お前のその感情を理解出来るのは、奴隷商の奴らが捕縛した異種の少年少女達だけなんだろう」
「ほらっ、分からないじゃないですか! 貴方は分かってない!! 私の苦しみなんて分からない! 全てを失って、自分と言う存在すら否定されて、只売られるだけの存在になってしまった私の事なんか!!」
「……、あぁ、確かにお前の言う通りだ」

 頷き、しかしクラウンは今行ったばかりの肯定を否定するかの様に一歩前に出た。
 一瞬、その身体が傾ぐが倒れる様な無様は無い。
 傷付いている身体で、手を貸そうとしたスゥの手を大丈夫だと制し、まるで孤独の体現者の様な成り立ちで一歩を踏み出した。
 孤独。
 しかし、その瞳には確かに確固たる意思が宿っている様に見えた。

「そう、確かにその通り。俺にはお前が胸に秘めている感情を完全に理解する事なんて出来ない。理解出来るのは、同じ様なケースの縮小版。日常生活で起き得る事だけだろう」
「だったら!!」
「口出しはするなと? だったら俺からも言わせて貰う」

 気付けばクラウンは再び眼前に。
 睨み上げた先に顔はあった。
 だから、真下から伸びてきた手に気付く事が出来なかった。

「っあ…!?」

 両頬を、手袋をはめた、血の匂いが染み込んだ両手に挟まれる。
 無理矢理、その何か深き意思を湛えた目と合わされる。

「だったら、お前に俺の人生の何が理解出来る?」
「っ!?」
「ある日の話だ。両親と妹が小旅行に出かけた。俺は運悪く風邪をこじらせて、皆が楽しみにしていた旅行を中止されたくは無いと隣家に預けて貰って寝ていた。何事も無く、両親と妹は帰ってくる筈だった。また普通の日常が繰り返されるのだと俺は疑ってなかった。だけど、どうなったと思う? 次の日の事だ。俺は宛がわれた部屋で話を聞いた。俺以外が全員死んだ話を(・・・・・・・・・・・)
「っ!?」

 驚愕に、喉を詰まらせる。
 見ろ、そう訴え掛けてくる視線が直視出来なくて目を逸らせばスゥが驚き、アズイルは只黙って両腕を組んで立っている。
 何処か冷静な部分で、スゥは知らなかったのだな、とそんな事を考えた。

「両親の遺体は所々が欠けていた。妹に至っては発見すらされていない。俺は風邪をこじらせたという事で運悪く(・・・)生き残ったんだ。たった一人、俺だけが生き残ってしまったんだ。解るか? この気持ちが」
「っ! っ!!」
「あぁ、解らないだろうな。お前がそう言った。そして俺が証明した。理解出来ないとな。あぁ、だがな、別にそれはもう良いんだ。俺は既に、その事には踏ん切りをつけている」

 軽く、そう言っても過言ではない程に弱々しく顔を挟んでいた手が離れていく。
 強制力無く――力無く挟んできていたのに、何故頭を振ってその場所から逃げなかったのか。多分それは、意思深き目があったから逃げられなかったのだろう。
 クラウンは手を離すと、今一度目を瞑った。
 深く、静かに。
 踏ん切りをつけている、その自分で言った言葉を再確認するかのように。

「…俺は別に、お前が不幸だと言う事を否定するつもりは無いんだ」

 静かに告げ、再び目を開く。

「世界には色々な幸福の形があって、色々な形の不幸がある。俺の不幸も、お前の不幸も、その数ある不幸の中の一つだ。そう、別に特別な事じゃ無い(・・・・・・・・)
「―――――」
「そう。別に特別な事じゃ無いんだ。だから一つだけ俺がお前に言うとすれば、」

 それは―――

「自分が一番不幸だなんて思わない事だ」
「っ!!」

 はっ、として目を見開く。

「さっき俺を睨んだ時の目はまさしくそれだ。自分が一番不幸で、きっと理解されない、そんな目だ」
「何で、そんな、事が…?」
「分かるのか、か? 知っているからだよ。俺自身で実体験したからだ」

 く、と皮肉気に口元を歪めてクラウンが笑う。
 だが、そこにあるのは己を嘲笑う感情だけではなく、もう一つの感情が見て取れた。
 それはまさしく、懐古。

「家族を失って、孤児院に入って…皆何かしらの理由で家族を亡くし、または捨てられてそこに居たのに、俺は自分がその場所で一番不幸なのだと思った。そしてある日、孤児達のリーダーだった奴と話して自分の愚かさに気付かされた。そこには多かれ少なかれ、不幸を経験して入ってきた奴ばかりなのだと、な。自分が一番不幸なのだと考えていて、それが崩れ去った時は悲惨だった。自分の価値すらもひっくり返されて、こんな馬鹿は生きている価値すら無いんじゃないかと思った程だ」

 だが、とクラウンは続ける。
 俺は助けられたのだ、と。
 俺は運が良かったのだ、と。

「俺の希望になってくれた人が居た。だから、気付いてしまった今でも、俺は未だにここに居られる」
「…もしかして、ヤヨイ様…?」

 クラウンの背後、そこでスゥが小さく呟いた。
 その言葉にクラウン『どうかな?』と苦笑する。
 そこで、気付いた。
 不幸である自分、そして不幸であったクラウン・バースフェリア。その決定的な違い。

 私には、誰も居ない。

「あ…」

 声が漏れる。
 がくん、と力抜けて地面へと座り込んだ。
 愕然とした。今の自分には、本当に何も残されていないのだと言う事に。
 家族は愚か、同郷の者も、ましてや知り合いすらも存在しない。奴隷の中にも仲が良かったのは居たが、一体何処に買われていったのかも分からない。きっと二度と会う事は無いだろう。
 独り。
 自分の立ち位置が、そんな場所なんだと気付いてしまって愕然とした。

「…私は…私は…一人…?」
「………」
「父さんも、母さんも居ない。友達も、誰も彼もが居ない。私はもう、一人…?」
「…そうだな。一人だ」
「っ!? ちょっと、クラウン!?」
「スゥ、少し待て」
「だけどっ…!」
「待つんだ」

 後ろで静観していたアズイルの言葉に、飛び出そうとしたスゥが渋々下がる。
 クラウンはそんな光景を見て、苦笑。アズイルに『悪いな』と小さく呟いた。
 そのままクラウンは少女の前まで歩み寄ると、腰を落として再び視線を合わせる。

「…全てを失った後、俺はどうなったと思う?」
「…失った、後…?」
「そうだ。失った後」
「………」
「俺はな、今のお前みたく泣いて、蹲っている時にあいつと出逢ったんだ。ルルカラルスの外れにある丘で、飽きもせずに街を眺め続ける精霊にな」

 まぁ、最初は余りに感情の篭らない目で見てくるから殺されると思って逃げたんだけど。

「俺は、そいつと出逢ってからほぼ毎日そこに通うようになった。別にあいつが強要した訳でも無いし、行かなければならない理由があった訳でも無い。だけど、不思議とあいつの隣に座って街を眺めているのは心が澄んだ」

 そして、段々と互いに喋るようになり、自分の事を喋れる位に仲が良くなったある日――

「俺は約束をした」
「…約束?」
「あぁ。俺が成長し、孤児院を出る日が来たら、契約を交わすと。そんな約束だ」

 小さな約束だったのだと思う。
 クラウンは小さく呟いた。
 しかし、それでも―――

「それが俺の、生きる希望になった」
「――――――」
「嬉しかった。心底嬉しかったんだ。この人だけはせめて自分を必要としてくれていると、そう確信出来た事が。だから、俺は立ち上がれた。それから先でも、諦めずに立ち上がってこれたんだ」

 嬉しい、そう言う彼の姿が眩しくて目を細めた。

 この人は光だ。

 しかし、目を灼く程の力は無く、纏う輝きは太陽とは逆の月の様な静かな光。
 安らぎを与えし夜の使者の様な―――
 そんな光。
 だからか、優しげな光に当てられて涙が零れそうになる。

「人は、何かを持って(・・・・・・)いなければ、生きてはゆけない」
「………」
「目標、大事な人、義務、そして約束。何も持っていなければ、やがては生きる活力を失って失速し、潰えてしまう。人とはそんな生き物で、何かを拠り所にしなければ生きていけない存在だ。だから、」

 そうして彼は、手を差し伸べた。

「俺が必要としよう」

 男性の手。
 戦闘用の手袋を装着した、血の臭いが漂う手。
 だがしかし、奴らが持つ事は無かった手。

「無論、俺だけではなく、スゥだって居る。俺達が、君が再び貫こうと思った意志を見つけるその日まで、必要としよう」

 時間が限られた、助けの手。
 ここだけ聞くなら、何と冷たいと思う事だろう。
 だが、違う。
 これは拘束される事無き(・・・・・・・・)、救いの手なのだ。

「………」

 愚かな事、なのだろうか?
 人間を信じてしまうと言う事は。
 信じるべきではない、自分達を糧としか扱ってこなかった人間。

 だけど、それらとは違う――同種だが、同族ではない人間を。
 信じても良いのだろうか?

「…今すぐ、俺やスゥと一緒に居る事を選ばなくてもいい。只、せめて、この国を出るまでは一緒に来てくれ。俺は、このまま黙っていれば死んでしまいそうな君を置いて行きたくは無いんだ」
「―――…」

 生きる希望。
 それは確かに見失った。
 だけど、それは“一度目”なのだ。
 人は、死なず、生きて、気持ちを揺り動かす事が可能ならば――“二度目”はある。

 そう、今、確かに――この胸の奥に眠る衰弱した心が、強く脈打ったのを感じた。

 目の前にある手に、
 目の前で輝く魂に、
 その後ろにある小さき、しかし大きな輝きを放つ魂に、
 自分は強く惹かれたのを実感した。

「………」

 だから―――

「握っても、」
「………」
「この差し伸べられた手を握っても、私は赦されるのでしょうか…? 憎悪すべき人の、両親を殺した人の、私達を売ろうとする人の…そんな手を、握ってしまっても、良いのでしょうか…?」

 赦されるのだろうか?
 両親は、人間に殺された。
 私達を売り捌こうとしたのは人間だ。
 それと同族の手を握っても、私は赦されるのだろうか?
 伸ばし掛けた手が、疑問に葛藤して揺れる。
 その時、一つの影が動いた。

「…っ、あぁ〜っもうっ…!!」

 痺れを切らしたスゥだ。
 彼女は強く一歩を踏み出し、ズカズカとこちらに歩いてきて――?

「ほらっ」
「…!」

 揺れていた手を握って、クラウンの手に重ねた。

「良いの、別に。迷う事なんてないの。親が子の幸せを願うのは義務で、果たさなければならない誓いなんだから」

 だから構わないの。
 貴女は、死んでいってしまった人達の為にも、

「幸せにならなければならないんだから。だから、その第一歩として、私やクラウン。それにアズイル、きっとヤヨイ様だって力を貸してくれる」

 だから握って。重ねられた手を、今すぐに、力強く。

「わ、私は…」

 その、小さな、しかし自分より年上の少女の言葉に胸が熱くなる。
 自分に手を差し伸べている青年の手の温かな手に、魂が揺れ動く。
 だけど、未だ確信が――

「このスゥ・ディ・【 ホワイティア 】が、せめて共にありましょう」
「―――――」
「だから怯えないで。私が存在する限り、貴女は決して一人じゃないんだから。きっと、この手を握っても握らなくても、この先貴女は葛藤する事でしょう。だったら、せめて幸せになれる道が残されている方を選びなさい」

―――あぁ、そうなのか…。
 やっと確信を得る。
 それはクラウン・バースフェリアが感じた物ときっと同じ。必要とされている事への安堵感。
 己が未だ無意味ではないと言う事実。

 手に力が入る。

 涙で霞む視界で、スゥとクラウンを見上げる。
 霞む視界では、はっきり見る事は出来ないけど――分かる。理解出来る。
 そこにあるのは帰宅して来た子供に見せる、父と母に似た―――笑顔。
 あの頃に見る事が出来た、今は亡き幸せの形。
 だから、
 その手を、





* * *






「………」
「…これでひと段落か、クラウン」
「あぁ…やっとこれで安心して帰れる」

 クラウンとアズイル。二人が見る先、少し離れた位置にはスゥに抱きついて泣き続ける少女の姿。だが、そこには憎悪を誓う姿は無く、只々家族達への黙祷と別れを告げている様な雰囲気しか無かった。

「女の子が泣いているのを見て安心するってのも変な感覚だが、な…」
「そこに快楽を見出しているなら真性のサディストだな。だが、違う。そうだろう? 彼女が俺達の様に、魂が歪んでから二つの幸福―――死んで救われるか、今の様な救いに会うかを選ばせなかった事への安堵なのだろう?」
「…、あぁ…」

 その時だけ、本当にその時だけ―――

「ふっ…」

 今にも消えてしまいそうな透明な笑みを浮かべてクラウンが笑った。
 そして一度目を閉じ、少女が暮らして居たと言う廃墟の村へと振り返る。
 目に宿る感情は懐古、郷愁。









『ありがとよ、クラウン…』
『なん、で…何で…?』
『ばーか…気にするなって…あぁ、だけど…それでも気にするなってのは無理なんだろうな。お前は優しいし…。そうだな、それなら一つだけお願いがある』
『もう良いよ! 喋らないでよ! 今、何とかして助けて貰える様に頼んでみるから! だから、もうっ…っ』




『お願いだ…俺の好きだったあの海に…俺の―――』









「………」

 聞こえた言葉は全てが幻。
 既に果たした約束の残滓。
 あいつが好きだった孤独の海へ、その“心”を捧げる約束の日の事。
 そして、

 “僕”が“俺”になった、生き抜く事を誓った日の事。

「俺達がそうである様に、あの娘も心に消せない何かを背負って生きてゆく事になる。それが果たして正しいのか否か…」
「アズイル」
「…何だ?」
「俺は、今が嫌いじゃ無い」
「―――……、そうか」

 その一言に込められた思いは果たしてどれ程か?
 理解出来るのは、互いに互いの辿ってきた道筋と、現状を知っているからこそ。
 二人は言葉少なく会話を終了させると、小さく笑いあった。

「さて、帰るとしようか。俺達の居場所に」
「あぁ、帰るとしよう。俺達を待ってくれている人達の所へ」



#9-end






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