別に俺は悪くないと思う今日この頃。皆さんどうお過ごしでしょうか? 僕は元気…だと思うけど、正座するのがちょっと苦痛です。 夜空を見上げれば、星空の横には親指を立てていい笑顔のアズイルの姿。殴りたくてしょうが無いです。ホント。 ちょっと長くなりましたが、今がどう言う状況かと言うと…。
「言い訳があるなら聞くがの? クラウン…」 「いやいや、いきなりそれは酷いんじゃないでしょうかヤヨイ様? 俺は何も全財産をドブに落として駄目にしただとか、ヤギに食べられた訳ではないのですよ? 人命を救うと言う尊い行いの為にお金を使った訳であってでしてね? 別に疚しい事に手を染めた訳では…」 「黙れ」 「はぃ…ホント…もう、ごめんなさい…」
薬屋の中で正面には仁王立ちするヤヨイ。 そして自分はその前で正座。 何と言う悪夢か。
「あの…クラウンは人助けの為にお金を使ってしまった訳で…」 「少し黙っておれ、スゥ。妾はクラウンと話しておるのじゃ。…それと、別に妾はそこの娘を助けた事を責めている訳では無い。むしろそれは褒められるべき事であり、妾とてそうだと思っておる」 「…、だったら何で俺は今正座してるんでしょうか…?」
甚だ疑問でしょうがない。
「クラウン」 「はい…何でしょうかヤヨイ様…」 「お主が今回犯したミスは二つじゃ。分かるか?」 「…えぇ…? ……、や、ヤヨイに大金を使った事を報告しなかった事…? あの娘の拘束術式に関してはアズイルが全面的に資金提供してくれたし…もう一つ…?」
はて…? もう一つって何だ? 己を傷つける術式である魂換・傷我殲滅――ブレイカーオン・エニヒレイトを使用した事は、一言たりとも告げてないのでそれではない。 眉を顰め、首を傾げて考えるが答えは出てきてくれない。 報酬を勝手に使ってヤヨイに怒られるのは覚悟していたが、その“もう一つ”が分からない。
「…分からんか…?」 「…えーっと…何でしょう?」 「そうか…」
ちゃき、 何時の間に持っていたのか、ヤヨイの腰に佩いてあった刀の鍔が不穏な音を立てる。 刀身が全て抜かれた訳では無いが、それが安心を得る要素にならないのはこの場に居るクラウンが一番良く知っている。 ヤヨイが放つ第一撃目は抜刀術。超神速の横薙ぎだ。 つまる処、今の姿勢は何時でも超斬戟を放てる状態、と言う事になる。
「………」 「お主は出かける時、妾と約束したな?」 「約束…?」
ヤヨイの言葉に、記憶を掘り返す。 約十日前、どんな会話を行って薬屋を出たのかを。
『それじゃ、行って来ます』 『ヤヨイ様、行って来ます』 『あぁ、気を付けるがいい。スゥも、世界がルルカラルスだけではない事を知る良い機会じゃ』 『それって、』 『良く見、良く知り、そして理解するのじゃぞ? だが』 『………』 『決して呑まれるなよ?』 『はいっ!』 『うむ、良い返事じゃ。時にクラウン、』 『?、何だ?』 『土産は地酒で頼む』 『……最後位は綺麗に締めようぜヤヨイサン…』 土産は地酒で頼む… 土産は地酒で頼む… 土産は地酒で頼む…
「ふぉわっ!? 酒買ってくるの忘れてたぁっ!!」 「ふむ。罪状は思い出した様じゃな」 「いや、ちょっと待って下さいヤヨイさん!! 確かに酒を買ってこなかったのは悪かった!! それはごめんなさい謝ります! だからって斬首刑はあんまりではないでしょうかっ、と進言してみる!!」 「安心せい。刃は返す」 「わーい、それなら安しぐぼあっ!?」
言葉が全部口から吐き出される前に、クラウンの首元に刃が閃き直撃。 言っていた通りに刃の峰で撃ち抜かれたクラウンは正座したまま吹っ飛ぶと壁に激突。力無く顔面から床に墜落してピクリとも動かなくなる。
「では、少し休憩じゃ。スゥ、」 「はっ、はいぃいっ!」 「…、そう怯えるな。こんな事は年に二度、三度は普通にある事なんじゃからな」 「そっ、そんなにっ!?」
驚愕の事実だっ!
「妾は少し部屋で休む。二、三時間したら今度はそちらの娘の事に関して話すからの?」
部屋や、着替えの事で、な…。 最後に小さく、しかしスゥと少女に届くように呟かれたそれは、確かな“了解”の言葉。 二人は顔を驚愕に、そして笑顔へと変えて階段を上って行くヤヨイを見送った。 ぐったりとしたクラウンを引き摺って上って行くヤヨイを…。
* * *
ぱたん、 軽い音がして、部屋の扉が閉じる。 薬屋の二階にあるクラウンの仕事部屋。今ではベッドも置かれているここに、ヤヨイはクラウンを引き摺ったまま入った。 と、扉を閉じて一歩進んだ処でヤヨイが溜息を吐き出す。
「起きておるのじゃろぅ? クラウン。さっさと自分で立たぬか」 「…気付いてたなら最初から言ってくれても良かったと思うんだけど…」
ヤヨイの声に反応する様に、今までぐったりしていたクラウンがゆっくりと立ち上がる。 引き摺られている間にこすれただろう背中をさすり、しかしそれ以外は特に痛くなさそうに。
「寸前で身を引いておいて何を言っておる。それはささやかな罰じゃ」 「反応出来たのはギリギリだったんだぞ? お前が本気で俺の首を落とそうとしていたなら、絶対に避けられない自信はあったけどな」 「そんな事を一々誇らしげに言うな戯け」
ヤヨイがもしも本気で刃を薙ぎ払ったのなら、今ここにクラウンは居ない。居たとしても、それは魂の抜けた骸だ。それ程までに、本来ヤヨイが放つ第一撃目――抜刀術は迅い。 クラウンは刃を目で追って躱したのではない。いかに迅く刃を抜き、相手を斬るかを求められる抜刀術に対して――加えて言えば達人級のヤヨイが放つ攻撃に対してそれは無意味以外の何物でもない。 目で捉えていたのはヤヨイの事前動作、すり足。 地面を滑る様に動いたヤヨイの足を見て、瞬間的に身を引いていたのだ。 だが、それだけでクラウンが躱せる要因にはなり得ない。 一番大きな要因、それは――
「妾がお主を斬る訳がなかろうが…」
ヤヨイに、クラウンを斬る意思が無かった事。 ヤヨイ自身が行った威力を殺す為の減速と、抜いた後の刃を返す動作。それがあってこそだ。
「…だからって、拗ねて俺を引き摺ったまま階段上らなくても良かっただろうが…」 「す、拗ねとらんわ戯けっ!」
キッ、と若干頬を紅くしてクラウンを睨むヤヨイ。 そんな表情にクラウンがやれやれ、と首を振る。
「くっ…まぁよい。しかしじゃな、クラウン」 「うん? 何だ?」 「妾が酒を買って来なかった事で本当に怒っておったと思っておるか?」 「―――――、」
そんな言葉に、今度こそクラウンが停止する。
「使うな、と妾はあれ程釘を刺していた筈じゃがな…」 「…分かっちまうか…?」
口調に諦観を混ぜ、クラウンが小さく呟く。 そう簡単に見抜かれる物ではないと踏んではいたが、ここまで簡単に見抜かれてしまうとは思っても無かっただけに溜息も重くなる。 そんなクラウンの姿を見て、ヤヨイは少し悲しそうに目線を伏せた。
「……分かる。分かってしまうんじゃ、クラウン、妾とお主は根幹の部分で繋がっている。妾がフォールダウンした存在だとて、それは変わらん。近付けば近付くだけ、魔者と人とは深く繋がってしまう物じゃからな…だからじゃ、クラウン。お主の身体、相当に磨耗させる様な事を行ったと言うのが分かる。分かってしまう。妾が知る中でそれほど磨耗させてしまう術式は…あれしかあるまい…?」 「隠すだけ…無駄だった、って事か……ごめん」 「……クラウン…」
その姿は叱られた子供の様で―――、 今の今までの姿が全部嘘だったかの様に消え去っていた。 だから、
「クラウン…」 「………」
ヤヨイはクラウンを抱き締める。 かつて、そうしてあげたように。
「何となくじゃがな…そんな気はしておったんじゃよ、妾は。今回、スゥを連れて行くと言う事で、もしかすれば“使う”かもしれんと言う事を…」
只、クラウンは抱き締められるままに声を聞く。
「のぅ、クラウン…敵が、おったのじゃろぅ?」 「…うん」 「殺されそうに、なってしまったんじゃろぅ?」 「……うん」 「クラウン…妾は昔言ったな? 妾は、お主が勝手に死んでしまうのが嫌なんじゃ。じゃから、お主自身を傷つける、身体に刻まれた高次元戦闘を可能とする加速術式が嫌いじゃと」 「覚えてるよ…」
忘れるものか。 あの日、あの時に語られた言霊にどれほど心を救われたか。 ヤヨイの口から出てきた言葉が存在しなければ、俺は今の俺としては存在出来なかっただろう。 それだけ重い言葉を忘れるものか。
「今回は場合が場合じゃ。仕方無き事じゃと妾も思う」 「………」 「それに、お主が生きて帰ってきてくれて妾は嬉しいんじゃからの? だから、そんな沈んだ顔を何時までもしてるんでないよ。良い男が台無しじゃ」
のぅ? クラウン。 背に回していた手を離し、離れる間際――胸に額を当てた状態でヤヨイが小さく呟いた。 正直、胸に沁みる。 ヤヨイに見放されていないと心底安堵する。 離れていくヤヨイが淡く笑み、自分もつられて小さく笑った。
「さて、話は一端ここで仕舞いじゃ。お主もまだ本調子じゃあるまい?」 「実はその通り…骨はくっ付いたんだけど、急速回復した分の栄養が足りなくて、な…」 「だったら寝ておれ。妾が何か栄養のある物を作ってきてやろう」 「ん…ありがとう、ヤヨイ…」 「ふふっ、では少し待っ…あぁ、そうじゃった…」 「ん?」
扉を開けようとした処でヤヨイが首だけをクラウンの方へ向ける。
「クラウン。拾ってきたあの娘じゃが…」 「何だ?」 「名は何と言うのじゃ? 先程は訊くのを忘れておったからの」 「あー…そう言えばそうだったな…。ごたごたしてて自己紹介まで行けなかったし」
結局、店のドアを開けていきなり説教大会だ。 自己紹介をする暇なんぞあったもんじゃ無い。 クラウンは先程の事を思い出しながら、頭をガシガシと掻く。 自分自身も少女の名前を聞いたのは少女の故郷から引き上げる際だ。スゥは既に名前を聞いていたらしいが教えてはくれなかった。後から何故だと聞くと予想通りの答え。
―――信じられない者に名前を教えたくない。
そんな答えが少女の口から飛び出してきた。 その点で言えばヤヨイは―――
「十分に信じられる、と…」 「?、なんじゃ?」 「うんにゃ、何でも? それでアイツの名前だけど―――」
* * *
「あぁ、行っちゃいましたね…」 「ま、大丈夫でしょ…? 貴女の事も…クラウンも。多分」 「そうですね。多分大丈夫でしょう。ご主人に関しては」 「…ねぇ、いい加減クラウンを“ご主人”なんて呼ぶの止めたら? 嬉しそうな嫌そうな微妙に複雑そうな顔してたし」
それは帰り、アズイルが運転する車の中での事だった。 少女の里帰り以降、少女は少なくともクラウンとアズイルにも心を許し普通に接する様になっていた。しかし、どんな心境の変化かアズイルは普通に呼ぶのに対して、クラウンに関しては“ご主人様”と最初にのたまった。 流石にスゥとクラウンが『止めてくれ』と声を大に叫び“ご主人様”は無くなったのだが…。
「“様”取っただけじゃない…」 「かなりフレンドリーになったと思いますが?」 「いや、まぁ、うん…確かにそうだけど…」
はぁ、と溜息を吐き出し、もう少女の中では完結してしまっている問答を諦める。 後はクラウンに任せよう。うん、そうしよう。 問題は元々クラウンの事なんだから当事者が解決すればいいや。そんな投げっ放しの考えでスゥは思考を放棄した。
「はぁ…それでもう片方」 「もう片方…私がここに居ても良いか、と言う事ですね?」 「そ。まぁ、ヤヨイ様が良いって言うんだから大丈夫よ、絶対」 「ご主人の誓約相手ですよね?」 「だけど、この家じゃ一番の権力者はヤヨイ様よ。何となく分かるでしょ?」 「えぇ…それは…ある種、神霊と言われても納得出来る雰囲気を持ってますし…」
実際に神霊を見た事は無いが、ヤヨイの持つ神々しさはソレを髣髴とさせる。 クラウンと共に居る事で妙に所帯じみて見えるが、普段つけているエプロンを脱ぎ、エーテルで編んだ衣を纏っている時のヤヨイは下位の存在が触れるべきではない、不可侵の空気、神性を持っている。 加え――
「それにご主人も普通に頭が上がらない様ですし…」 「そうよねー」
クラウンとヤヨイは簡単に言ってしまえば協力関係にある。 クラウンが術式演算をヤヨイに任せ、ヤヨイはクラウンの魔力を用いて大規模な術式を世界へと顕現させている。協力関係、ではあるが厳密に言えばクラウンにヤヨイが仕えているとも言えるかもしれない。 だが、先程の正座させられた挙句説教させられている状態等、そんな物を微塵も感じ取る事は出来ない。 それが良い事なのか悪い事なのかは分からない。しかし―――
「でも、」 「はい?」 「それが西側の証明みたいな物よね」 「―――、そうですね…」
東側では見られない光景。 人間以外を“物”として扱う環境だった東側では、あってはならない非日常の景色。 だが、確かにこれが求めた日常だった。
「ま、それでは改めまして…」 「えぇ…」 「私の名はスゥ・ディ―――【 ホワイティア 】…七曜水の属性の派生に位置する雪の精霊。ヤヨイ様に代わって、今この場では私が歓迎するわ」
差し出された手を握り、少女は微笑む。 これは過去との決別ではない。 過去を切り離すでも無く、過去に復讐を抱くでもなく、只過去を過去として未来を受け入れる為の儀式。人間と異種が同じ場所で暮らしていくと言う共存の意志表示。 世界は絶望だけではない。 あの頃は見えなかった光が、確かに今はここに在る。 救われない者は確かに居る。 無念の内に死んだ者は数え切れない程に上るだろう。 復讐を誓った者は多い筈だ。 きっと、怨嗟を抱いて死んだ者もそれと同じ程多い。 だけど、遺される者達の幸せを願った数もそれと同じだけ多い筈だ。 だから、差し出された手を払い除けるのではなく、確りと握る。 託された『幸せになる』と言う願いを叶える為に。
「ありがとう、スゥさん…私の名は―――」
娘を護れずに死んだ人が居る。 理不尽に全てを奪われた少女が居る。 それは語られなかった物語。 誰もが知らない彼女の記憶に秘められた最終章。 だけど新たな彼女の物語はここから―――
「私の名は、ルル・シエ…今日から宜しくお願いしますね?」
―――始まる。
#epilogue-end
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