「ちくしょう…」
祭典から数日。段々と秋の彩りを見せ始めた窓向こうの景色の中――相も変わらずバースフェリア薬学錬金術師工房の中で、その主人であるクラウンは怨みの篭ったセリフを吐き出した。 周囲には勝利のブイサインを掲げるスゥの姿に、何処か微妙な表情のルルの姿がある。 クラウンは着ていたエプロンを外すとカウンターに置き、キャッシャーの台の引き出しから財布を取り出した。そして何気なく財布の中――のお札の部分を確認…して少し目元を拭った。
「クラウン! ジャンケンに負けたんだから、潔く頑張りなさい!!」 「酷いわこのチビっ子! そんなの配達業者に頼めば良いだろ!?」 「…仕方ないじゃない?」 「その一言で済ませるのがアリエナイ!! 在庫ある中でいいのを選んだ挙句、俺が術式を使って担いで持ってくるとか…常識的に考えてどうよ!?」 「クラウンがシングルで好きなの選べって言ったんじゃない」 「言ったけどさぁ? そこはほら、自分自身の財政と照らし合わせてみてだね?」 「クラウンの預金とね」 「そこが先ず間違いだ!!」
叫びながら、クラウンは振りかぶった財布(中身が入ってないすっからかんの)をカウンターに叩き付けた。 そんな横では、ルルはやはり微妙な表情で事の成り行きを見守っている。 何をこんなに揉めているのか? それは祭典の翌日位まで遡る。 ルルがバースフェリア家にやって来て、服やら下着やら日用品に至るまで色々と買ったのだが、それでもまだ幾つか足りない物があった。 それがベッドである。 祭典の日、その夜に問題は発覚した。 その日までルルはスゥと同じベッドで寝ていたのだが、何時にも増して寝相の悪いスゥの蹴りを貰ったのである。それだけならまだ良い。その後、腹を蹴られて起きたルルを襲った第二撃はルルをベッドから落とし、頭から叩きつけるに至ったのだった。 朝起きれば、兎の耳を床にだらりと投げ出して転がるルルの姿。 ちなみに第一発見者はヤヨイ。 スゥはグースカ寝ていた。 何時もは何かしら意見を言うルルだったが、流石に寝ている処を再び襲撃されるのは嫌なのか、クラウンの私的財政とスゥの無茶の成り行きを見守っている――というのが真相だった。
「まぁ…いずれは買わなければならないと思ってたけどさ…」 「それが早まっただけでしょう? だったら良いじゃない」 「原因が何か言っても聞こえません。まぁ、仕方ない…」 「あ、ご主人…」 「ルルは店番な。スゥは…」 「何? 付いて来いって?」 「泣いていれば良いと思います」 「ちょ、店番でも何でも無い!? こらクラウン! 逃げるなっ」 「あーあー聞こえなーい」
ぎゃーぎゃー騒がしい音を背後に聞き流し、クラウンは店の外に出る。 何はともあれ、これがクラウンの一日の始まりだった。
* * *
「どちくしょう…」
再びクラウンは怨嗟の篭ったセリフを吐き出した。 無事ベッドを入手したクラウンは、店員さんが『やっぱり運搬業者に任せた方が良いですよ』と心配して掛けてくれた言葉を無視。『だったら俺はここまで金だけ払いに着たのか!?』とムキになって術式発動。根性だけでベッドを担いで店を出たのだが―――、
「人間単体の加速術式なんぞ非力だな…ぐむぅ…」
幾分涼しくなったとは言え、まだ気温は高い。 その中を本来人が一人で持つべきではない物を担いで移動してるのだ。色々とキツイ。
「何とか公園までは来たが…帰りは裏道は使えんから大きく迂回しなけりゃならんか…くそぅ、ヤヨイを連れてくるべきだった…」
が、その場合は滅茶苦茶冷たい視線がセットでついてくる。 本日は孤児院に行ってないので、居間辺りで茶を啜りながら先程のやり取りにも耳を傾けていただろう。『アホじゃのぅ…』とか呟きながら。あそこでもしもヤヨイに泣きついていれば、きっと今頃は鶴の一声で配送待ちとなった筈だ。我が家一番の権力者は伊達ではないのである。
「まぁ、今更何か言った処で無駄か…何か飲んで一休みしたら行こう…」
はーやれやれ、と溜息を吐き出し、ダンボールでぐるぐるに包まれたベッドを公園の芝生の上に置く。一瞬、盗まれないか? と考えるが、こんな大きな物を一々白昼堂々と盗んでいく輩なんて居る訳が無い。居たら、きっとそいつの頭は可笑しい。
「公園の出店なんて久しぶりだなぁ…さてさて、今の季節なら何があるんでしょうかねぇ…?」
果実の絞りたてジュース、いやカキ氷なんかも捨て難い。 腕を組み、呟きながらクラウンが歩き出す。 公園の出店で何かを食べるなんて本当に久しぶりだった。記憶の中で一番最後に来たのは店を持ってから初めての秋で、ヤヨイが『公園で焼き芋が売られていたんじゃよ。倭国で数十年前に食して以来じゃ。食べに行かないかクラウン』と言われて付いていったのが最後。 出店の主人がヤヨイの美貌に負けて三本もおまけをつけてくれて、その所為でその夜の晩御飯にまで焼き芋が出たのは懐かしい思い出だった。
「うっ…思い出したら気持ち悪くなってきた…早く冷たい飲み物を…」
何はともあれ、先ずは飲み物である。 喉を潤さなければベッドを担いで帰る活力が沸いてこない。 クラウンは古い記憶を頼りに出店を探した。 何度か行った出店の位置は、大体が同じ場所。離れていたとしてもそこまで距離が開いている訳ではない。大体の目算をつけながらちょっと歩いた先には、
「お、あったあった」
以前と変わりなく開かれている出店が一つ。 周りには若い男女が休憩用にと出されたのだろう、テーブル席に座ってお茶を楽しんでいる風景がある。そんな中を、一人の男が突っ切って飲み物を買うのは些か躊躇われるが、それはそれだ。乾いた喉の前にはそんなプライド等、路傍の石に等しい。 いらっしゃい、と声を掛けられながらメニューを流し見る。 メニューは喫茶店を思い起こさせる物が揃っていた。 お茶類に始まり、ソフトドリンク、アイス、軽食類と割りとしっかりしている。 流石に何時かの秋の様に焼き芋が売ってると言う訳ではないが、確りとしたラインナップである。 これなら人が来る場所であれば潰れると言う事は無いだろう。 実に羨ましい、と考えるが顔には出さずにラインナップを見続ける。
「んー…オレンジの搾り立てジュースを―――」
そこまで口に出して注文した処で、違和感。 自分の右下―――何かシャツの裾を引っ張られている事に気付き、視線を何気なく移せば―――
「………」 「ぬぅ…」
泣きそうな女の子が居ました。 え、何この状況? と一瞬考えるが遅い。 視線がバッチリあった事が引き金か、女の子の顔がみるみるうちに歪み、
「ちょ、ちょっと」 「うああああぁぁぁぁあああん!!」
爆発。 いきなり涙を流して泣き始めてしまった。 慌ててカウンターへと目をやれば『何やらかしたのアンタ?』と言いそうな顔。周囲を見渡しても同じ様な顔ばかりだ。中にはあからさまに犯罪者を見る様な目線を向けている物すらある。 濡れ衣だ! と叫びたいが、叫んだ処で無駄だろう。 世間は冷たいのである。 ここは撤退。そう、戦略的撤退をしなければならないだろう!
「お、オレンジの搾り立てジュースを二つ!」 「……、ありがとうございます」
それが店員にあるまじき態度かこの野郎、と突っ込みたいが今は突っ込んでいる暇は無い。信頼、と言う名のカウンターは勢いを増して激減中なのだ。 財布から先程下ろしたばかりの紙幣を一枚取り出しカウンターに叩きつけ、出されたジュース二つを受け取って走り出す。無論、脇には泣いている女の子を抱えてだ。
「あ、お客さんお釣り…」 「釣りはいらねぇ! とっときな!!」
まさか自分とは一生無縁だと思っていたセリフをこんな所で言うとは思わなかった、と思考の端っこで考えながら、クラウンは割りと本気で逃げ出したのだった。
* * *
「コンチクショウ…」
今日三度目となる怨嗟の声を、横に座る女の子に聞こえない様に吐き出してクラウンは空を仰ぎ見た。何はともあれ、女の子は先程よりも機嫌を幾らか直してくれている。今はストローでジュースを一生懸命吸っていた。 ちなみに二つ目だ。 やれやれ、と溜息を吐き出す。 ジャンケンに負け、ベッドを担いで来る事になり、ロクにジュースすら飲めない。 今日は根本的についてない。
「…美味いかー…?」 「…うん」 「そうかー…」
だからと言って小さな女の子が泣きついて来たと言うのに見捨てて帰るのも躊躇われたし、加えて言えば八つ当たり何て言うのは以ての外である。
「まー…ジュース飲みながらで良いんだけどさ、どうした?」 「…お母さん…居なくなっちゃった…」 「成る程…」
迷子、か。 口に出さずクラウンは状況を確認する。 口に出せば女の子に現実を突きつける事になり、再び泣きかねないからだ。
「どっちから来たんだ?」 「あっち…」
質問に女の子がある方向を指差す。 良く知った方向だ。 むしろ、その方向のお陰でどうしてそうなったかを何となく理解出来た。 指された方向は商店街。 クラウンが住まう場所だ。 予想では、買い物中にはぐれたか何かだろう。 女の子の母親が声を大にして叫んだとしても、この距離では流石に無理がある。 方向が分かっているなら戻れるじゃないか、と一瞬考えるが――直ぐに無理だな、と結論する。 幼い子供が冷静さを失ってしまっては、帰れる距離も帰れない物へと変わる。大人の思考回路を子供に押し付けるだけ無駄だろう。 これは仕方が無い、と結論して女の子の母親を探す事を決める。 店にはルルが居るし、今日はヤヨイも居る。何かあれば直ぐに対処が出来るだろう。もし母親探しで見通しが暗くなった時は、一度ヤヨイに状況説明の為に家に帰ればいい。いざとなれば商店街仲間に頼んで女の子の母親探しを手伝って貰えば良い。 気になるのはベッドだが―――、
「誰もあんなの盗まないよなぁ…」
あの質量だ。 持って帰るには相当の根性が必要になる。逆に盗む奴が居たら賞賛してやっても良い。
「じゃぁ、それ飲んだらお兄さんが送っていってやろう」
ぽふぽふと女の子の頭を撫で、笑う。 女の子は少しだけ顔を上げてクラウンの目を見ると、再び顔を伏せて嗚咽を漏らした。 安心したのか、それとも不安になったのか。 出来れば前者が良いな、等と思いながら女の子の頭を撫で続ける、と――
「どうかしたのか?」
そんな声が、耳に届いた。
「え?」
視線を上げる。 眼前には黒。 そして――――、
「―――どうした?」 「いや、」
眩暈がした。 それは二回。 最初は相手が確認出来ていないと言うのに眩暈が、 そして二度目は相手の顔を確認してから。 流れる様な金髪に、澄み渡った碧眼。 害悪を抹殺する、と言う意味合いを持たせた処刑吏の黒装束。 そして、腰には聖王から享け賜ったと言う最高位術式端末である“聖咎剣” ありえない現実に幸福を感じるよりも先に、どんな星の巡り合わせだ、と状況を呪う。 先ずは本当にそうなのか確認しなければならないだろう。
「もしかして聖女レイン・レムニエンス様…?」 「もしかしなくてもその通りだ。が、今は私用なんでな? 余り名前を口外しないでくれ。意識外しの術式効果が薄まってしまう」 「あー…了解です」
眩暈は意識外しの術式の為か、と頭の隅で理解する。 そんな事よりも、今は目の前の現実をどうにかしなければならない。
「えーっと、それで…? 何か御用ですか?」 「いや、大の男と泣いている小さな女の子が居れば、どうかしたのかと思うのが普通だと思う」 「………」
やはりそう見えるのか。 聖女様から聞かされたあんまりな現実に、何時もより数割増しでクラウンは肩を落とした。
「…この子がお母さんとはぐれてしまったらしいので、これから一緒に捜そうとしていた処です…」 「ふむ…そうなのか?」
どうなんだ? と聖女様は少女に問う。
「?、うん…」 「成る程」
そこで聖女様は何を思ったのかしきりに頷くと、感心だな、と一言呟いて女の子の目線まで腰を落とす。一体なんだ? とクラウンが考えながら見守っていると、再び聖女様が口を開いた。
「よし、私もこのお兄さんと一緒にお母さんを捜そう」 「あー…ぅえ?」
思わず口から変な声が出てしまった。 ここでもう少しミーハー根性があれば嬉々として母親捜しに従事するのかもしれないが、生憎とクラウン自身は聖女レイン・レムニエンスに対してそんな根性を持ち合わせていない。 あまりの状況に頭がついていってないのが現状だった。
「よし、それでは早速捜すとしよう。それで―――」 「…ん?」
何気なく額に当てていた手を退かしてみれば、聖女様がクラウンを見ていた。 何事? と眉を顰めて考えるが、心当たりが出てこない。 何だろう、とクラウンが視線を送ると聖女様は苦笑した。
「名前を訊きたかったのだが…」 「…あぁ…」
そうか、と思う。 状況が状況すぎて、そこまで考えが追いついてなかった。
「バースフェリアです、聖女様」 「聖女様は止めてくれ…正直、未だに慣れないんだ。レインで構わない」 「じゃぁ、レインさ――」 「先に言っておくが、様は要らない」 「ぐむ……、レイン…」 「あぁ、そう呼んでくれると助かる。それで―――」
と今度は膝を折り、俯いていた少女の目線に合わせ、
「――君の名前は?」
と、優しく訊ねた。 少女は俯かせていた目線を上げると、恐る恐る目線を合わせた。
「アーネ」
小さいながらも、はっきりとした言葉に聖女が微笑み頷いた。
「そうか、良い名前だアーネ」
聖女――レインは微笑むと、少女――アーネを優しく撫でた。 クラウンはそんな光景に何となく、レインに抱いていた今までのイメージが変わるのを感じていた。 そのイメージの変化は大きい。 見つめる先には、きっとどの日常にも溢れた光景。神聖な物でも何でもない、只暖かい光景だ。 つまりは考えすぎだった、と言う事なのだろう。 皆が皆言う聖女様の偶像に惑わされていたのが、他ならぬ自分だったと言う話。
外見と中身は違うってのは、ヤヨイで十分知ってた筈なんだけどなぁ…。
だが、と考える。 一瞬考えたのは数日前の広場での感覚。 あの日、あの時は意識外しも、ましてや民衆に害がありそうな意識操作系の術式の展開も無かった。 だったら、何だ? あの時感じた感覚は? 少女を撫でるレインを見る。 普通なのだ。言ってしまえば、普通なのだ。彼女は聖女であり、そして断罪者である。しかし、三大聖女と言う枠に括られては居るが、何もこの世の運命を見通す鍵だとか、世界を救う運命を背負ってるだとか、そんな大層な――いっそ夢物語にでも出てきそうな存在では、無い。 本来であれば、あの時胸の奥で感じた様な感覚を抱く事などありえないのだ。 カリスマ性を感じたとかなら良い。 だが、感じた物は違う。
―――懐かしさ。
それが、あの広場で感じた思い。
「………」
今はもう、彼女の姿を見ていても感じる事が無い。 それは本当にあの一瞬の幻だったかのようになりを潜めている。 いや―――もしかすれば、本当に、只の勘違いだったのかもしれない。 と、思考を巡らせながらレインと少女を見ていると、レインがこちらの方に振り返った。 どうやら考え事をする時間は終わったようだ。 さて、と一息吐いて気合を入れ、立ち上がる。
「よし…。じゃ、早速だけど行こう。きっとアーネのお母さんも、アーネの事を捜してる」 「そうだな。早く見つけて安心させて上げよう? アーネ」 「―――うんっ」
少女――アーネが笑顔でレインの差し出した手に掴まる。 そんな笑顔に、良かった、と苦笑する。 これでもクラウンは、子供の扱いに関しては孤児院に居た期間が長い為にそれなりに上手い。しかしながら、誰だって最初は子供に警戒され、徐々に溝を狭くするのである。この子供との間の溝を狭くする行為は難しい。いや、このレインと言う聖女の様にいきなり信頼を勝ち得てしまう存在も稀には居る。あの子供好きのヤヨイでさえ、いきなりは無理なのだ。 まぁ、ヤヨイの場合は外見が冷徹に見えるだけだから仕方が無いのだが。 ともあれ、レインの様にいきなり子供から信頼されてしまう様な存在は稀であり、この状況では途轍もなくありがたい存在だと言えた。 きっとクラウン一人であれば、この先もぐずる少女を励ましながらの捜索になった確率が高い。 双方かなりの精神力を使う捜索劇になった筈だ。
「先ずは、はぐれたらしい商店街まで行こうか」 「あぁ、そうしよう」
レインが少女の手を引き歩き出す。 先行するクラウンは先程考えていた事など忘れ、笑みを浮かべて後ろの会話に耳を澄ませながら歩いていた。
* * *
捜索劇は一時間と掛からず終了した。 俗に言う『商店街ネットワーク』と言う物である。 長い付き合いの中で育まれた、商店街仲間だけのネットワーク。この中にはクラウン――バースフェリア薬学錬金術師工房も含まれ、あらゆる困難(回覧板や商店街内でのイベント)に共同で立ち向かう様に出来ている。これを利用しての人物捜索。それは直ぐに功を奏し、二件目で見かけたと言う情報を、三軒目でどちらに向かったか、四件目で捜索人物が何処に行ったかを聞く事に成功したのだ。 後は足取りを追い、途中から少女をクラウンが肩車し、高い視線から母親を捜して貰っていた。
そして現在―――
「本当にありがとうございました!」 「お兄ちゃん、お姉ちゃん、ありがとう!!」 「気にしないで良いですよ」 「あぁ、こちらも好きでやった事だ、そう気にする事も無い」
今まさに別れの場面ではあるのだが―――思わずレイン・レムニエンスの言葉に苦笑する。 気にするな、とレインは言うがそれは無理な相談だろう。 意識外しが外れた今、一般人が“三大聖女”の内の一人と一緒の空間に居ると認識してしまっている。畏まらない方が逆に異常だと言える。 つまり、レイン・レムニエンスと肩を並べて立っているクラウンこそが異常であり、母子側はなんら不思議な点は無い。クラウンの順応性の方が可笑しいのだ。 振り返っては何度も頭を下げ、また少し歩いては振り返って『ありがとうございました』と頭を下げる少女の母親。そんな光景に、きっと少女は成長する度に『貴女は聖女様に助けてもらったんだから』と言われながら育つのだろう未来を幻視し、思わず苦笑してしまう。 やっと二人が見えなくなった辺りで息を吐き出した。
「バースフェリア、ありがとう。お陰であの娘の母親を早く見つける事が出来た」 「いやいやいや…」
元は一人でやらなければいけない事を手伝ってもらったのはこちらだ。加えて言えば、何も特殊な事をした訳ではない。聞き込みと言う手段が、他の人がやる物より数段精度が良かっただけに他ならない。 いきなり頭を下げて礼を言うレインに、流石に順応性の高いクラウンも一歩引いてしまう。
「勘弁してくれ…三大聖女の一人に頭下げられるなんて、考えてみれば卒倒物なんだ。それに、こちらは元々一人でやらなければならない事を手伝ってもらった身だ。感謝する事はあっても、感謝される様な事はしていない」
慌てて言いつくろうとレインは顔を上げ、苦笑しながら『そうか』と小さく頷いた。 そして、続ける様に口を開いた。
「成る程、話通りの人物、と言う訳だな。クラウン・バースフェリア」 「――――っ!?」
殺気!?
流石最高位の戦闘能力保持者、と言わずには居られない高密度の殺意。 瞬間的に身構えそうになり、自制心で構えたくなる本能を押さえ込む。 こんな場所でいきなり臨戦態勢に入るのは不味い。ここは街中、しかも相手は殺気を向けてきたと言っても聖女。しかも世界的に有名な人物である。何時でも持っている剣を抜いてしまえば、それだけでこの世で最も重い罪である“聖女に対する攻撃”と判断されかねない。そうなれば良くて裁判を通された死刑、悪ければこの場で“最高位の犯罪者”としていきなり殺されかねない。 話していない筈の名前を呼ばれた事に加え、殺気。 柄に手を持って行きそうになる防衛本能を自制して必死に考え、
「すまない…だから、そんな怖い顔で睨まないでくれ…」
ふと、身に圧し掛かっていた圧力が一瞬にして消えた。 レインからの殺気が収められたのだ。 消えた殺気に訝しがりながらレインの方を見る。 柄に伸びかけた手はそのままに、姿勢すら変えずに直視した。
「すまない。話で『相当な手練れ』と聞いていたので、つい確かめたくなってしまった」 「聞いていた…?」
誰に、と考える。 クラウン・バースフェリアの正しい戦闘能力評価を把握しているのは、現状でギルド斡旋部の部長以上の役職にある者達だけの筈だった。であるならば、
「まさか、ギルドから…?」 「いや、違う。思い当たらないか? でなければ、彼女が拗ねてしまうぞ?」
苦笑するレインに、完全に毒気が抜かれて緊張状態を解く。 意味が分からない。今現在、クラウンと言う人物の能力を正しく把握しているのはヤヨイ、そしてギルド――その斡旋部に居るアズイル・ゼットに加えて、長い付き合いのシュレイ・ハウンゼンス。最後に―――
「―――まさか、」 「…思い至ったようだな」 「もしかして、フィアリスから…?」 「うん、そうなる」
そうして、レイン・レムニエンスは笑った。 今までの、何処か固さが混じる物から、とても柔らかさに溢れた笑みで。
もしもこれを運命と称するなら、確かにこれが運命と呼ばれる程の転機だった。 これが、クラウン・バースフェリアとレイン・レムニエンスの出逢いだった。
#2-end
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