その死神は笑いながら言った。
恐れる事は無い、死ぬだけだ。





























The duet with the lunar
の精と二重奏(デュエット)を――


symphonic RAIN
―運命の多重奏―
#7 死神




















 場を、ピリピリした空気が包んでいる。
 眼前には刀を下げた男が先程よりも幾分か視線を鋭くして立ち、上空には未だ狙撃手が居る。
 今、戦えば確実に殺されるだろう状況の中、クラウンは頬を流れる汗を拭う事もせず、只、男が次に起こす行動に注意を払っていた。

『クラウン』
『…何だ…』
『逃走は?』
『無理だろ』
『そうじゃな…』

 どうしようも無い状況の中、ヤヨイの声を聞く。
 逃げる。確かにその選択肢はある。
 だが、目の前に立つ男はきっとそれを許さない。
 逃げた少年にした様に、確実にクラウンの存在を消しにかかるだろう。
 それだけの確信が、今のクラウンにはあった。
 ガストゥール翁に関しては、男がどうこうすると言う事は無い―――筈である。
 故に、この場をどうにかする事が出来るなら―――全員死なずに朝日を迎える事が出来る。

『さて…どうにも手詰まりだな』
『が、こちらが協力的な態度を崩さなければどうこうと言う事は無いじゃろう…多分じゃが』
『…確信が得られないのが嫌な処だな…』
『いっそ斬りかかってみるか?』

 そう冗談の様にヤヨイが念を発した瞬間だった。
 目の前の男は、口を開き、

「やめとけ」

 ありえない言葉を吐いた。

「―――なっ!?」
『―――に…!?』

 ヤヨイの諦めにも似た発言。
 これは別に良い。
 その後だ。この男―――

「お前…他人の念話を…?」
「視認してればな。誓約者と魔者との念話なんぞ突き詰めれば魔力素子を使用しての信号通信の様な物だ。見えていれば分からない事は無いさ」
「――――こいつ…」

 化け物か。
 そう何でもない様に言う男に驚愕を覚えると同時、成る程、と納得する物が一つだけあった。
 先程の少年への不意打ちを、男が声を掛けて止めた事だ。アレはつまり、男にクラウンの動きが認識出来ていなければ成り立たない行動である。高位の探索術式の補助無くして、あの状態のクラウンは見抜けない。
 だが、男には見えていた。
 それもその筈だ。男は瞳に映るクラウンを見ていた訳では無い。
 その魔者との通信すら見抜ける目で(・・・・・・・・・・・・・・)、クラウンが動く事によって乱れるマナの動きを視ていたのだ(・・・・・・・・・・・・)
 思い起こせば、少年に集まる魔力を最初に捉えたのもこの男だった。
 この男には“視えて居る”のだろう。
 マナの動きと言うのが。

「………」
「じゃ、早速幾つか質問に答えて貰おうか」

 クラウンとヤヨイ――二人が黙った事にタイミング良しと、男が口を開く。
 やはり待っていたと考えるべきだろう。クラウンが黙るだけではなく、ヤヨイも黙るのを。

「何だ…?」
「単語だけで言うなら…“先輩”“失踪者”…そして“外枠の存在”って処か。じゃぁ、先ずは“先輩”からだ。どうしてあのガキにそう呼ばれていた?」
「……アンタはあの少年に顔割れしている(・・・・・・・)と言った。そしてアンタも、あいつに心当たりがありそうだった。だったら推測出来る筈だ」
「…良く聞いてたな。しかし成る程ね。七割方理解した。だが、俺はお前の口から聞きたいな。お前の認識と、俺の認識が狂って、俺がお前を敵だと認識してしまったら間違って死なせてしまうかもしれん」
「………」
「それで、真相は?」

 男が答えを求める中、クラウンは一度息を吐いた。
 一々馬鹿正直に話したくは無いが、男が“この件”に関して何処まで嘘を見抜ける真実を握っているか分からない。
 もしも相手が何も知らず、一から話を求めているなら幾つか嘘を混ぜて話すのも有りだ。しかし、違う。男は幾つかの真実を既に知っている。少年とのやりとり、そして多少会話をして分かった。
 嘘は、通じない。
 見抜かれれば、殺される。
 それだけの有無を言わせない迫力と実力を、この前の前の男は兼ね備えている。
 クラウンは諦めにも似た溜息を吐き出し、伏せそうになっていた目線を男へと合わせた。

「…、俺は、アンタが何処まで知っているのか知らない。だから“失踪者”から話す事になるが、」
「なるが?」
「その前に一つ。アンタ、何者だ。何で、エデンと関わりを持つ」

 ふむ、とクラウンの言葉に男が手を顎に当てて目線を細める。
 何かを考えているのか、数秒ほどの沈黙。その後、男は上空に視線を投げかけた。
 言葉は発していない。だが、上空に居る者には何か分かったのだろう。その高度を落とし、やがて男の隣へと降り立つ。
 少女だった。
 男と同じ様な黒いコートを纏い、剣を下げた白翼の少女。
 少女は「何だ」と言葉を零しながら、男の顔を仰ぎ見る。

「フェア、じゃぁ無かったな。自己紹介してやろう」
「フェア…? 主、私には自己紹介してやる意味が今一分からないのだが」
「俺は神薙夜十(カンナギ・ヤト)。役職は今言っても信じないだろうから省く。某国の捜査官とでも思ってくれ」
「だから主、自己紹介の意味を…」
「それでこっちが俺の義理の妹の神薙鶴祇だ」
「だから主、少しは話をだな?」
「よし俺は自己紹介したぞ。だから話してもらおうか。で、協力的な態度を取っていただかない場合は、俺の名前とこいつの名前を知ってしまった手前、証拠隠滅に無理矢理にでも付き合ってもらう事になる」
「…おまっ…」
「あ、主! 私は何時も何時も言っているがなっ…!」
「おっと、鶴祇、蹴るな殴るな剣を抜くなよ」

 なんつー、理不尽なっ!
 滅茶苦茶にも程がある。
 自分で拒まず、名前を話してから「言ったんだから話せ、話さねば殺す」等と、何の臆面も無く口に出せるとは。フェアと言って置いてこれでは、この先もどんな事を言われるか分かった物ではない。
 心中でそっと溜息を吐き出し、意識を今まで黙っていたヤヨイへと向ける。
 しかし、

『神…薙…』
「…ヤヨイ?」
「―――ん?」

 クラウンの口から漏れ出た言葉に反応して、神薙夜十と名乗った男が視線を義理の妹から再びこちらに戻す。

「ヤヨイ、どうかしたのか?」
『お主、神薙…と名乗ったな?』

 クラウンの質問には答えず、ヤヨイは念話をオープンで目の前の男へと語りかける。男は顔に疑問を浮かべながら一つ頷く。

「あぁ、そうだが?」
『…もしや、倭国討魔【天一五刃】の、神薙か…?』
「天一五刃…」

 その言葉は聞いた事がある。
 そう、確か今はもう【 大五家 】と呼ばれる様になってしまった、倭国討魔機関を束ねていた家名。それが確か―――

「そうか、神薙…確か滅んだって言われている…」
「…滅ぼされた、が正しいんだが…しかし、まぁ、お前の魔者は詳しいな。普通、カンナギと聞いた処で魔者の方は気にしないぞ?」
『だったら、やはり』
「その通りだ。十代目神薙、それが俺だ」

 流派としてはもっと長いんだけどー、等と繋げるがクラウンは聞き流す。そんな事よりも、一つ、相手の正体が分かった。
 神薙―――滅んだ筈の倭国討魔の家が、何故かこうしてここに居る。
 倭国の捜査官としてここに居るのか? と考えるが、そう断定するには余りにもピースが足りない。
 もう少し様子を見るべきだ、と判断して再びクラウンは口を開く。

「…まぁいい。その捜査官が、何故エデンを?」
「理由か? 世界平和」
「……はぁ?」

 世界平和?
 こいつ、本気で?

「世界平和?」
「その通り。まぁ、これ以上を話しても良いが、聞いた後には無条件で心臓を差し出してもらう事になるけど良いか? もしくは脳髄バッサリ行く権利」
「嫌だ」
「だろう? だったら俺が質問に答える番は終わりだ。そろそろ話してくれると助かる」

 何処までが真意かは分からない。
 相手の態度も一貫して巫戯けた物だ。
 だが、一瞬漏れでた殺意で、これ以上は拙いと直感する。
 踏み込んでは、いけない。
 そこだけは確信出来る。この目の前の男は、巫戯けた反応を見せては居るが殺すと決めたならばあっさりとそれを実行するだろう事を。

「分かった…話そう」
「おぉ、じゃ、改めて“失踪者”から頼む」

 あっさりと態度を切り替える男に、クラウンは溜息を吐き出す。
 本当に分からない人間だ。今まで出会ってきたタイプで一番近いのはシュレイだが、これはこれでまた別格だ。思考回路が違い過ぎる。
 もう一度溜息を吐き出そうとして、それを飲み込み、クラウンは思考を過去へと移した。
 何はともあれ、話さなければこの状況を打開する事も出来やしない。
 思い出したくない様な事の集まりであるが―――生き残る為には仕方が無かった。

「……約十年程前だ。俺を含め、世界的に多くの子供が失踪者として扱われた。ここら辺に関してはさっき、あの暗殺者とのやり取りを聞いていたなら分かると思うが…」
「あぁ、二千六百名がどうこうって部分な。しかし二千六百名…ねぇ? えらく半端な数だな」
「それにも意味はある。俺達はやつらに攫われて…脱出した後に気付いたんだが、エデンを取り囲む高度城塞壁(タワー・ウォール)の外側にある地下施設に連れてこられた。あいつらはその場所を白堂教会(ホワイト・チャペル)と呼んでいたよ」
「―――ホワイト・チャペル」

 そこで一瞬だけ、神薙を名乗った男は目線を細めた。
 心当たりがあるのだろう。だが、心当たりを尋ねた処でまともに答えてくれるとも限らない。また何だかんだとはぐらかされるだけだろう。
 クラウンは一度間を置いて、再び口を開く。

「二千六百…、これはここで出てくる訳だが、旧言語体系で使われる文字の数は分かるか?」
「……二十六だな」
「その通りだ。百名が一つの部屋に集められ、それが二十六部屋」
「それで二千六百名の失踪者か。ふん、成る程な。それで? わざわざ百名に分けた意味があるんだろう?」
「あぁ、そこからがエデンの研究の開始だった。百名が居る部屋に、初めの四日は飯が供給されていた、だが、四日目を境に供給が一時ストップする」
「………」

「そして三日程経った後、三十人分程度しかない食料と―――武器が供給された」

「成る程…」
「何ていう事を…」

 神薙は只頷き、鶴祇と呼ばれた少女は悲痛な物を見る様な目でこちらを見る。

「後は、一人になるまでそれが行われた」
「そして、お前が生き残ったか」
「……死ぬのは、俺の筈だったんだが、な……お節介が命を捨てやがったんだよ」
「そうか…」

 神薙が一度頷く、がそこに悲痛な物は無い。同情は一切無い。
 只、事実をあるがままに受け入れているのだろう。

「一つ聞くが、“蠱”を作る意味は?」
「それが外枠の存在(アウト・ライナー)に繋がる」
「外枠の存在、か。続けろ」
「あぁ。同時期、研究施設に組していた中で、異常に強い事象操作騎士が居た。奴らは“福音”と呼んでいたが…ソイツが瘴魔を生け捕る事に成功していたからこそ、その生き残りの試験があったとも言える。瘴魔が何で構成されているかは?」
「この世の廃棄物の寄せ集めだ。あらゆる生きとし生けるもの、ソレが生きている間に背負う“業”や“邪”と言った物が第三世界に廃棄され、集まり、意思を持ったのが瘴魔と呼ばれる存在だ」
「あぁ、そして爵位持ちの瘴魔には必ず“異能”がある」
「……、魂を堕とす為の試験か…?」
「理解が早くて助かる」

 魂を堕とす。
 以前、スゥを助けた時、クラウンが相対した魔獣が、スゥを喰らう為に集まってきた魔獣を食い殺して回っていたのと同じ理論だ。同位の存在でなければ、傷つける事は出来ない。故に魔獣は、スゥを食う為に己の格を上げていた。
 つまり、瘴魔と言う存在を己の中に取り込む為には、魂を汚さなければならない。

「ふん、成る程な。っつー事は、セロの野郎もそう言う穢れを…」
「セロ…?」
「…何でも無い。身内の話だ」
「そうかい」

 漏れ出た言葉に眉を顰める。
 が、ここで考えを巡らせても無駄だ。
 思考を打ち切る。

「後、あそこで行われたのは戦闘教育と、刻印だ」
「戦闘教育、ってのは分かる。刻印ってのは?」
「…知らないのか?」
「ん? あぁ、まぁな」
「それは知っていると思ってたんだが…まぁいい。続けるが、刻印は古代魔法遺産と同じ原理だった筈だ」
「遺物と?」
「術式をあらかじめ人体に“記述”しておくと言う技術だった筈だ。俺もそこまでは詳しく無い。只、そうだな、一つあそこの研究者が話していた事なら覚えている事がある」
「何だ?」
「確か――――」

 思い出す。
 霞む世界の先で、衰弱した身体で、奴らが話していたのは何だったか。
 そう、あの白衣を着込んだ男は確か―――

「―――術式の高密度化による存在ランクの引き上げと、世界調和…」

 最後の伝え終えた瞬間だった。神薙の目が一瞬驚愕に見開いたのは。
 それと同時に、抜刀。
 敵を発見したと言う目で確かにクラウンを見ていた。
 劇的な変化だった。
 この場の誰も、神薙以外は誰も状況についていけていない。それ程の変容。場の空気が瞬時に慣れ親しんだソレへと変わったのだ。いや、その空気は確かに知っている。しかし、その濃度がクラウンが知るどんな物よりも濃かった。

「な…」
「主っ!?」

 反射的にクラウンも剣を構えていた。
 己の身を護る為に行った反射的な行為である。
 しかし、それが噴出す殺意に晒されるクラウンに安堵感を与える事は無かった。
 何時もは頼りになる筈の武器。ヤヨイが宿った器が、今は薄っぺらい紙切れの様に感じられる。それ程の威圧感が眼前の男にはあった。
 訂正しよう。訂正しなければならない。
 エデンの暗殺者よりも弱いかもしれない等と、そう考えてしまった事を。眼前の男は強い。確実に自分より格上の存在だ。

「世界調和。成る程、世界調和か…」
「………」
「収穫があったな。まさかこんな処で。これも“運命”って奴か?―――」

 予備動作は無かった。
 そう言った空気も無かった。
 言わば、それを感知出来たのは運に近く、長年の戦闘経験から来る勘であり、

「―――少し試すぞ?」

 奇跡とも言えた。

「!?」

 声は横から。
 反射的に屈む。
 瞬間、銀閃が頭上を薙ぎ払った。
 見えなかった。
 クラウンは屈んだ勢いのままに身体を投げ出し、神薙から距離を取りながら思考する。
 予備動作も無く動き、真横から超高速の斬戟。試す、等と言っていたが、意味が分からない。しかも、試す、と言うのであれば今の振りぬいた斬戟の威力は可笑しい。今のを避け損ねれば確実に胴体が真っ二つにされているだけの威力が確かにあった。
 冷や汗を流しながら、クラウンは刃を振りぬいた状態のまま停止する男に眼をやる。

「待て! 俺は正直に話した筈だ! 何でいきなり襲わなければならない!?」

 返答は無い。
 只、クラウンが見つめる先で神薙はゆっくりと刀を戻し、

「…成る程、強い」
「―――!?」

 初めて、神薙は笑った。
 今の今まで、詰まらなそうに、面倒そうに物事を見ていた男が、笑った。楽しそうに、面白そうに、眼前の相手を“価値ある存在”だと認めて。
 その光景にぞっとする。
 先程まであった殺意ではない、ましてや闘気等と言う代物でも無い。
 ソレは暗い昏い威圧感。息すら止まり、思考すら停止し、心臓すらも鷲掴みにされる様な絶望。

 そう、人はソレを―――死と呼ぶ。

 気圧されそうになる心と身体を叱咤し、退がりそうになる足をギリギリで踏み留め、耐える。歯を食いしばり、目の前から吹き付けられる“暴風”をしかと見据える。
 逃げるな。
 考えるのはそれだけ。そのたった一つの思いを折らない様に考え続けなければ、きっと背を向けて逃げ出してしまう。神薙と言うクラウンの前に立つ存在は、きっとソレを許さない。背を向けて逃げようとすれば興が醒めだと言わんばかりに、あっさりと背を切り裂く事だろう。
 眼前の存在はまさしくソレ。死の顕現。死神だとクラウンは結論した。

「――何故、と訊いたな?」
「………」
「面白い事も聞けたし、特別だ」

 ふ、と――身体に掛かる重圧が減った。
 それと同時に反射的に強張っていた筋肉が柔軟さを取り戻し、精神にも余裕が戻る。
 クラウンは静かに息を吐き出すと、今一度強い意志を眼に込めた。

「世界調和。言葉のままであれば、それは“世界と和合する事”を指すが、お前が今言った“世界調和”と言うのは違う」
「何…?」
「俺達は“語り掛ける力”と呼んでいたが…詰まる処、世界調和とは“要素に無条件で協力を求める事が出来る力”の事を言う」
「要素…」
「ここでは七曜を指すがな。例えばだ、火の属性を持つ精霊を召還して契約した奴は、火の属性に特化する。これは“世界調和”で言う処の“火の要素との調和が取れた”と言う事だ」
「………」
「しかし、火の精霊と契約したからと言って、その調和の力はたかが知れている。所詮は1から10ある程度の力が20とか30になった程度だ。決して『力を貸してくれ』と言ったから『はいどうぞ』と法則そのものである世界が返答してくれる訳ではない」

 確かにその通りだ。
 只虚空に向かって『力を貸して』と願ったり話しかけたりした処で、いきなり炎が巻き上がったり風が吹いたり、水が湧き出てくるなんて事は無い。
 それらは全て、世界が定めた法則で規制されるからだ(・・・・・・・・・・・・・・・・・)
 だからこそ、この世界には術式がある。
 世界が定めた法則に割り込み、現象を引き起こす為の術が。
 しかし、

「世界調和が高ければ、世界は“ソレ”を許す。語りかければ世界が叶え、力を貸してくれる。それがお前…いや、お前に教えた奴が言うところの『世界調和』だ。そして―――」

 神薙は笑い、

「お前は“ソレ”を出来ていなくても、刻み込まれた存在なんだろう?」

 クラウンの眼を見据えて死神は言う。
 質問に頷かなくとも、答えは決まっている。
 肯定だ。
 確かにクラウンは口に出しただけで術式を発現させる事は出来ない。そこには現象を理解し、式を構築する手間、己の中にある魔力を使うと言った幾つかの工程が確実に存在する。
 だが、確かにクラウンは単独で上位の術式を行使する事が出来る。語りかけるだけで思い通りの現象を発現する事は出来ないが、確かにクラウンは本来使えない筈の上位術式を使用する事が出来る。
 だったら、それに限りなく近いのは存在そのものが持つポテンシャルが初めから高い者―魔者の様な存在か、或いは“許された者”こそが、神薙夜十が言うところの世界調和能力が高い者の事を指すのだろう。
 だが、今はそんな事はどうでもいい。
 今この場で重要なのは、クラウン・バースフェリアは使えなくても、持っている(・・・・・)と言う事だ。魂に刻み込まれ、大事に大事に抱え込んで保管してしまっていると言う事。
 後は予測出来る。
 クラウンの前に立つ男は目線を細め、口元は笑っていると言うのに獲物を今から狩る様な鋭い視線を向けている。つまる処、

「お前の身柄を拘束する。なーに、終わるまで貴様の身体から魂引っこ抜くだけだ」
「ふざけろっ…!」

 彼は、死ねと言っているに他ならない。
 死んで、魂を提供しろと。
 そんな馬鹿げた話に付き合う理由は欠片も存在しない。

『やるのか、クラウン』
「やるしか無い…凌いで凌いで、凌ぎ切る」
『それしか無いかの…相手がほんに神薙であるならば』

 殺し合いで勝てる確率は限りなくゼロに近い。であるならば、答えは一つ。凌ぎに凌いで、相手が諦めるかそれ以外の妥協点を模索するしか方法は無い。
 答えを出し、覚悟を決めたクラウンの先で神薙が後ろに居た鶴祇に何かしら指示を出す。それに鶴祇は一つ溜息混じりに頷くと、白翼を羽ばたかせ夜の空へと再び舞い上がった。
 そして、明けぬ空に四条の光が奔る。

「これは…」
「鶴祇に再び結界を張り直させた。これで当分は誰にも気付かれまい」
「……チッ…そうかい」

 これで完全に誰かが救援に駆けつけると言う道は閉ざされた事になる。
 加え、今の言葉でクラウンは一つ気付いた事があった。
 そうだ。そう、アレだけ派手にやったと言うのに、未だここには誰も着ていない。
 つまり、彼らが観察を始めた時には既にここら一帯に結界が敷かれていた事になる。

「用意周到な事だ…」
「ま、閉塞結界ではないから逃げようと思えば逃げられるぜ?」
「背を向けたらそれこそ、その瞬間に俺が死ぬんだろうな」
「当然だろう?」
「ふん……」

 鼻を鳴らし、「実に笑えない話だ」と締めくくる。
 それで話は終わり。
 互い、口を閉じ、相手の視線から逃れる事無く直視する。
 先程吹き荒れていた黄昏の空気は既に無い。しかし、神薙は依然として口元に笑みを浮かべ、その視線は狩人の目と表現出来る程に鋭く、深い。全てを飲み込んでしまいそうな程の深淵は閉じず、確かにクラウンと言う存在を捉え続けていた。
 クラウン・バースフェリアの人生に於いて、自分より強い者と戦う機会は多々あった。それこそ、世間からは失踪したと取られた期間にその経験は集中している。クラウン自身が、戦闘と言う普通の生活をしていれば滅多に遭遇しない物に初めて出会ったのもその一因ではあるが、それ以上にクラウンの側には一般に強者と呼ばれる存在が居た。
 神薙との話にあった“福音”と呼ばれる存在だ。
 彼や彼女らは“福音”と呼ばれていた存在に戦闘の手ほどきを受け、殺しと魔法の術を教え込まれ、挑んでは半死半生で生かされ続けた。
 傷付き、血を流し、結果として強者と戦う術をクラウン達は体得する。
 一つ、真っ向から戦わない事。
 二つ、勝つ為であるなら退く事も視野に入れる事。
 三つ、考える事。
 四つ、常に冷静である事。
 彼や彼女らはこの教えを守って生きてきた。
 教え込まれた技術は、裏の世界から生還した今でもクラウンを生かし支え続けている。
 しかし、その技術が、今回も通用するとは―――限らない。

「っ!」

 無音の静寂から一転、闇は音も無く動いた。
 瞬き一つ。それだけで何時の間にか神薙は十メートル弱開いていた距離を半分に詰めていた。姿勢は“走る”、と言う物よりも明らかに“歩く”と言う物であるにも関わらず、接近速度は異常な程に速い。
 歩法、
 その考えに頭が追いつくと同時に、神薙はニ歩目を踏み出そうとしていた。
 はっ、としてクラウンは構えるでも剣を握り締めるでも無く―――横に跳躍する。

 空を裂く音、同時に轟音。

 横に逃れたクラウンが今の今まで居た場所には刃が振り落とされ、刃がめり込むと言う表現からは程遠い現象を見せ付ける。一体どれ程の圧力を加えればそうなるのか剣が落ちた場所の土は吹き飛び、刃の長さよりも明らかに長い地面が断ち切られている。
 クラウンは毒づく暇すら惜しみながら、着地と同時に剣を振り被る。
 視線の先で、刃を振り落としたばかりの神薙が首だけを動かしてクラウンの目を見、そして細める。

「っはは」

 神薙の不自然な笑い。
 笑い声は尾を引き、クラウンが渾身の力を込めて振り落とした必殺は、その尾を切り裂くだけに留まる。斬るべき対象は既に眼前には居ない。
 視線を横へとスライドさせれば、体勢を反らす事で振り下ろしの斬撃を躱した神薙が、口の端を悪辣に歪めながら片手だけで刃を振りぬこうとしていた。
 間に合う。
 頭の片隅でそうクラウンは考え、今まさに振り落とし大地を抉ったばかりの刃を引き戻し、盾とする。
 そこへ、銀の刃が炸裂した。




『クラウン!!!』
「あ?」

 気付けば視界の先には逆転した天地と、感じる浮遊感。
 身体に掛かる負荷は、今自分が後方へと吹き飛んでいる事を教えてくれている。

「なんっ…!? 痛っ…!」

 その事を認識した瞬間、クラウンの額に激痛が走った。
 ぬるりと顔面を何かが濡らす感覚を覚えながら、攻撃を受けたのだと比較的冷静な部分で判断した。どんな攻撃をされて吹き飛んだのか理解が追いつかないままに身体は地面へと迫る。
 舌打ちをし、手で激突を防いで受身を取り、転がる。
 慌てて顔を上げれば、重力に従って額から血が流れ落ち、頬を濡らす。視線の先では、片手で刃を構えたまま笑みを顔面に貼り付けた神薙の姿。

「何が、」
『盾にした妾が主の額に激突したんじゃっ』
「本当かよっ」

 あいつは今、片腕で刃を振りぬいた。両手持ちでは無い。それで、この威力。
 相手の、防御を悠然と破壊する膂力。
 もし、今攻撃を受け止めたのが夜宵が宿った魔剣でなければ、確実に死んでいただろう。致命傷、とかの話ではない。確実に、即死。受け止めた武器を破壊された上での斬首。
 想像するだけで身震いする程の威力だ。
 そしてきっと、あの状態で未だ本気は出していない。

「………」

 静かに、今一度構える。
 相手の力は計り知れない程に大きい。戦った処で勝つ事は出来ないだろう。
 だが、死んでいない。
 まだ、生きている。
 致命傷無く、躱す事が出来ている。
 だったら、まだ、可能性は―――ある。

「ふぅ…」
「どうした? お疲れか?」
「神経を使う戦いの後だったもんでね…休憩が欲しいところではあるな」
「じゃ、さっさと戦いを終えよう。そうすりゃ当分戦わなくて済むさ」

 神薙の提案にしかめっ面で応えると彼は面白そうに笑い―――、

「!」

 再び、その足を上げた。
 トン、と軽い足音―――そして再び消失。
 歩法――剣術流派に限らず、あらゆる戦闘技術の中にある物であるが、神薙が使う物は桁が一つ違う。次元が違うと言う言葉でも良い。それ程までに洗練され、磨かれた戦闘技術の結晶が目の前にあった。
 本来であれば感動を抱く程のソレは、クラウンの背筋に冷たい汗を流させ、瞳には恐怖の対象として映りこむ。どれ程の研鑽を積めば、生身一つであんな物が使えるのか分からない。
 先程放たれた雷撃も、超上位で無ければ放てない。
 術者としても一流であり、戦う者としても一流。
 付け入る隙は、そうそう無い。

「―――、っ!!」

 気配。そして目の端に冷たい煌きが写る。
 身体は長年に渡って染み込んだ戦闘経験により、滑らかに迫る刃を迎撃。
 だが、神薙の奮う刃は暴虐の塊。真っ向から受けたのであれば先程の二の舞になるのは必至。であるならば、身体を動かし、対策を採るだけ。

 耳障りな接触音が鳴る。

 クラウンは迫る刃を迎え撃つと同時、体勢を低くしていた。
 横から振りぬかれる斬閃は漆黒の刃によって阻まれ甲高い音を立てる。クラウンは盾にした刃を力まかせに抑えるのではなく、衝撃と同時に反らせた。

 ィ―――ンン!

「!」

 暴虐の刃は先程の様に盾ごと相手を吹き飛ばす事無く、刃の上を火花を散らせながら駆け抜け―――飛び立つ。つまりそれは、神薙が空振りした様な体勢になる、と言う事。
 この隙を逃す手は無い。

「【 炸裂する光源の刃 】!」

 殺し切る程の威力は必要無い。
 地味にでも構わない。今は相手の力を少しでも削ぐだけの威力があればいい。加えて言えば、長ったらしい詠唱は折角出来た隙を失い、剣では攻撃範囲が直線的であり狭すぎる。
 故に爆裂系。
 範囲的には小規模であろうと円形を描く効果範囲であり、死角は術者の背後程度しか無い。また、威力は弱いとは言え、超至近距離で炸裂した場合は命を奪う事すらも可能である。
 これ以上の選択は無い。
 剣から離した手の先に光が灯る。
 網膜を焼く光は振り切った姿勢の神薙の胸元に差し出され、

「甘ぇっ!」

 爆音。
 術式が炸裂した衝撃が腕に伝わり、クラウンの目が驚愕に開かれる。
 眼前には足。神薙がクラウンの腕を蹴り上げた足が其処にある。
 躱されたのだ。

 ――馬鹿な!

 発動直前の術式が灯った腕を、この男はあの崩れた体勢から蹴り上げたのだ。
 戦慄し、はっとする。
 今度はこちらが、体勢を崩している事に。
 片腕は神薙の刃をいなした状態のままであり、もう片方の腕は現在天に向かって突き出されている。この状態のままでは死ぬ。気付き、クラウンは己が体勢を戻そうとして、目の端に地面が弾け飛ぶ光景を捉えた。
 刃だ。刃が地面を裂いている。
 神薙は刃を振りぬき、蹴りを放った状態のままに身体を捻り、旋回。筋力で以ってして振りぬいた刃に制動をかけるのではなく、そのまま身体を回し、遠心力を乗せて再びクラウンへ向けて振りぬこうとしていた。
 あの膂力と遠心力。死は確実。
 クラウンは最早体勢を元に戻すと言う選択肢を捨て、更に体勢を崩す。
 自分から背後へ倒れたのだ。思い切り体勢を反らし、同時に腰すらも落とす。今放たれようとしている必殺を躱すだけの行動。次は無い。しかし、これをどうにかしなければ次すらも、無い。

「――――ッ!」

 背後に倒れながら、未だ暗い天を見上げた。
 天はまだ明ける様子を見せず、星々を輝かせている。
 その弱くも明るき天を黒い影が通り過ぎた。瞬間、置き去りにされた音がクラウンの耳に届き、刃に弾かれた空気が頬を叩く。
 改めて馬鹿げた威力だと実感しながら、片手だけをついてもう片方の手を自由にする。時間的余裕は無い。視線を空から戻せば、死神は角度を調整しながら再び斬撃を繰り出そうと身体を捻っている。
 次は躱せない。
 躱す事を前提に体勢を崩し、生き残る事を選択したのだ。で、あるならば必ず負債は発生し、己に向かって襲い掛かる。つまり、生き残るには、神薙が放つ斬撃を耐えなければならない。
 防御する事は可能だ。
 その上で、あの片手で振っただけで相手の身体を簡単に吹き飛ばす暴虐に押し潰されない様にしなければならない。
 何と言うデタラメ。
 剣に対し盾を使用する事は出来ると言うのに、その盾が破壊されないと言う保障がこの男の前では紙屑も同然なのだ。

「…っ!」

 歯を噛み締め、己の魔剣に手を沿え、迫り来る絶死に対して構えを取る。
 一瞬だけだが術式による迎撃がクラウンの脳裏を過ぎった。
 しかしながら、クラウンがたった一言を口から出す時間さえ今は無い。遠心力を味方につけた暴風は迅雷の如き速さを以ってしてクラウンに襲い掛かろうとしている。クラウンにとっては何とか剣を盾に攻撃を受ける事が精一杯。都合良く無詠唱無紋章で術式を発動する術など持ち合わせては居ないのだ。
 だからこそクラウンは耐えるしかない。
 迫り来る暴虐を、何とか耐え凌ぐしかないのだ。

「秘剣、」

 閃光が地面で跳ね返った様に見えた瞬間、そんな声が聞こえた気がして―――

「金剛断」

“剣ごと真っ二つにされる光景”を幻視。

 体中に走った怖気に従い、座り込んだ状態から更にクラウンは後ろへ下がろうと背を倒した。
 瞬間、

「――――――」

 衝撃。
 悲鳴は出ない。
 呻き声も出ない。
 只、全身の骨を砕くのかと言う程の衝撃を受け、地面と平行にクラウンは吹っ飛んだ。

「がふっ…!」

 衝撃が内臓を徹り、毛細血管を破りながら抜ける感覚。
 吐血しながらも、クラウンは先程の様に意識を失う事は無かった。
 いや、意識を失う事を許さない程の衝撃と激痛だからこそ、クラウンは意識を失わずに済んだ。
 それでも散乱しそうな意識を何とか繋ぎとめ、クラウンは回転する世界の中、無様に片手を地面へと突き出した。
 掌に地面が当たる感触。それと同時に皮は破け、血が溢れ出し、代償にクラウンの身体は失速して空中浮遊を止める。

「…っ……っぐ…ぅ…!!」

 だが、先程の様に体勢を整えるまではいかない。
 失速し、地面に身体が落ちながらも、クラウンは受身を取ってすぐさま体勢を立て直す事も出来なければ、未だ神薙に視線を向ける事も出来なかった。只単純に速度を落としたままに地面を転がり抜け、滑っていくだけ。
 それ程の衝撃。
 思考を奪い、身体の自由すらも奪う程の衝撃。
 さながら大質量の鉄塊が超高速でぶち当たったかの様な感覚は、普段のクラウンが発揮する冷静な部分すらも奪いさり地面へと転がした。

「く、ごほっ!! ぐぅぅうううっ…!!」

 だが、ゆっくりとゆっくりと時間を掛け、クラウンは息を整える。
 息を吸う度に激痛が走り、吐き出す毎に意識が遠のきそうなる。
 しかしそれでも、クラウンは神薙の姿を捉える為に視線を上げた。

「………」

 “神薙ぐ者”、と――そう名乗る男が笑っている。
 追撃すらせずに、嘲笑でもなく、只愉快そうに笑っている。

「………」

 意図は不明だ。
 しかし、これはチャンスでもある。
 呼吸を完全に戻し、誓約状態であるからこその再生能力を生かして内臓の治癒に専念―――

「……?」

―――しようとして違和感を感じる。
 回復力が弱々しい。
 何だ、と考え口に出そうとしてクラウンは咽た。体中の酸素が抜けていく様な感覚に、上げた筈の視線が落ち、視界すらも一瞬闇色に染まる。
 クラウンは再び呼吸を整えると、今度は念話で己の剣へと語り掛けた。

『ヤヨイ…ヤヨイ…?』
『くっ…つぅ…クラウン…』
『どうした…? 回復が―――』
『…デバイスじゃ…』
「?」

 ノイズ混じりの念に、クラウンは己が握っている術式端末へと視線を移した。
 そこには、

「なっ…」

 剣の中程に、2センチ程の斬撃痕。そして、そこを起点として放射状に広がる罅があった。

 武器破壊…!

 やっとそれに思い至り、クラウンはヤヨイへと再び語りかける。

『っ、大丈夫か…!?』
『妾自身は大丈夫じゃ…しかし、術式端末としての性能は今ので殆ど殺されたと言ってもよい…術式は演算しても威力を発揮出来ず、剣を振れたとしてもだ…いなす事も、ましてや受け止める事も叶わんじゃろうな…』
『…っ!!』

 あの一撃に、全てを持っていかれた!
 武器が無ければ戦う事も出来ない。術式を演算した処で、ヤヨイによる術式の底上げが見込めないのであれば術式端末は重荷以外の何物でもない。これが普通の相手であれば、この破壊された術式端末でもどうにかなろう。しかし、相手は普通ではない。誓約状態へと移行している術式端末すらも破壊してみせる技量の持ち主である。こんな状態の術式端末はそれこそ紙の様に切り裂く事だろう。

 敗北。

 脳裏にそんな言葉が過ぎり、頭を振ってそれを否定する。
 まだ、戦える筈だ。
 心を折ってしまえば、それこそもう二度と立ち上がれなくなる。
 息を吐き、吸う。
 呼吸は落ち着いた。内臓の方も回復速度が遅いとは言え大分回復している。
 立てる。そう判断して、クラウンはゆっくりとだが身体に力を込めた。

「まだ立つか。しぶといな」
「巫戯けろ…立つ事が分かっていた、って顔しながら言うんじゃない…」
「ははっ、いや何、お前の目からは意思が消えてなかったからな。期待して待ってただけさ。しかし、」

 そこで神薙は刀を持っていない方の手を顎のところに持っていき、わざとらしく首を傾げた。

「それでどう戦う」
「………」

 その通りだ。
 武器は、最早無いに等しい。
 身体能力の加速は下位に戻り、尚且つクラウンが一人で構成を行った場合の効果まで落ちている。この状態ではヤヨイが使える筈の中級以上の術式すら使う事は難しいだろう。で、あるならばクラウンには最早戦う術は残されていない。
 しかし、クラウンにはもう一つだけ手段が残されている。
 舌打ち。
 手段はある。一つ、戦う手段が確かにある。
 だが、それは酷く脆い、綱渡りの戦い方。
 手綱を放してしまえば、その瞬間に己の身体を破壊する戦い方だ。

「まだやります、って顔をしているな。さっきの負け犬がやってたのと同じ様な術式を使うつもりか? だったら止めとけ。それでも精々が、自分の魔者とリンクしている状態程度しか再現出来ない筈だ。それじゃあどうせ負けるだけだ」

 その通りだ。
 確かにヤヨイとのリンク状態では扱えない様な物も一部はあるが、基本的には上位の術式が使える権限を生身で行使出来ると言うだけに他ならない。
 元々が、術式端末を持たず、相手布陣の中で油断した敵を上級術式で抵抗する間も無く抹殺するのが目的の術式である。故に、闇夜に紛れ暗殺する様な者達と同じ様にクラウン達は呼ばれる。
 加え、クラウンに刻まれた術式はそこまで性能が良くない。
 初期段階だったのだろうそれは、良く言えばリミッターが外れていると言う表現が出来るが、悪く言えば安全装置が無い、危険が付きまとう術式である。クラウンは通常では引き出せない程の出力を、魔力負荷を高いレベルでかける事によって引き出す事が可能ではある。そこはヤヨイとのリンク状態では使用出来ない特異な部分であるが、しかし、先程も言った様に危険が付き纏う。
 本来使えない物を使うと言う代償は、肉体を破壊し、神経を磨耗させる。
 どんなに術式の手綱を上手く握った処で、長期戦には絶対的に向いていない。
 クラウンに刻まれた物は、少年に刻まれていた物とタイプが違うのだ。

「だからと言って…はいそうですか、とは言えないんだよ…分かれ」
「分かるさ。命がかかっているんだものな。だけど、これ以上は面白くならないだろう? だから俺は『無駄だ』と言うんだ。もしもお前が、俺と同じ様に神叡希少金属(オリハルコン)製の術式端末持ちだったのなら面白くもなったのだろうけどな?」
「―――、何?」

 こいつ、今何て?

「オリハルコン製の、術式端末…?」
「その通りだ。俺みたいなのになると、技術があろうが己の武器が先に砕けちまうんでな、愛用させて貰ってる。加えて言えば、だ」

 まだ何かあるのか、と睨みつける先で神薙が面白そうに口を開く。

「俺は、まだ自分の魔者とリンクしていない」
「―――――」

 一瞬、足から力が抜けそうになった。
 アレだけ馬鹿げた力を奮っていながら、それで誓約状態に移行していない? 勘弁してくれ。馬鹿も休み休み言え。そう考え、クラウンは一つの光景を思い出した。
 少年の、異常なまでの恐怖。
 神薙を見た瞬間の怯え方。
 そうだ、今の神薙と全力の自分。術式の制限無しに全力で戦った場合、そこまで恐れる相手だろうか? 極級術式すらも行使して、辺りを省みず戦えるのなら、そこまで怖がる事があるだろうか?
 無い。その筈だ。
 クラウンにとってその前提は、街に住まう者として間違っているが、エデンに住まう少年であればこの前提は当てはまる。街も、人も、全てが憎むべき敵側の国の物。躊躇する必要は無い。彼はここで上級術式すら使って見せている。条例やら法律やらに対する意識はクラウンに比べて圧倒的に低い事が分かる。
 だったらどうだろうか?
 少年が形振り構わず全力で、今の神薙を相手に戦って、そこまで恐怖するだろうか?
 確かに神薙は強い。デタラメの位に含まれる。少年は足を射抜かれ、雷で消し飛ばされようとしていた。しかし、逃げに徹して全力で術式を使うなら、そこまで恐れる事は無い筈だった。

 つまりは、それが答えなのではないか?

 認識を改めなければならない。
 神薙夜十は、未だ魔者とリンクして戦っていない。
 人が出せるスペックのみで戦っているのだ、と。

「さて、」
「!」
「どうする?」

 神薙からの問い。
 戦い、果てるか。それとも戦わずして果てるか。
 結末は変わらない二択。
 それならば、どうする?

―――決まっている。

「それでも、やるか」
「生憎と…無抵抗で死んでやる義理なんて無いからな。それに、俺の相棒は割りと厳しいんだ。無様な死に方は出来ないんだよ」
「その意気や良し。魔者との別れの時間位はくれてやる…と、言いたい処だが」
「………」
「どうやら時間切れのようだ」
「…何?」

 ふ、と世界を覆っていた結界が消える感覚。
 神薙から視線を外す事にやや躊躇いを覚えたが、今は殺気も無く困ったような顔をして空を見上げている男に倣って注意を払いながら空を見上げる。
 そこにはゆっくりと降りてくる神薙鶴祇の姿。
 その、横には―――

「――――」
「やりすぎだな? ヤト」
「そこまでの事じゃ無いだろう? 誰も死んじゃいないしな」

 まるで重力を無視したかのようにゆったりと降り立つのは金色。
 漆黒の衣を纏い、剣を持ち、金色の髪に澄み渡った碧眼を持つ存在。

「レ、イン…?」
『聖女レイン・レムニエンス…か?』
「ん、その通りだ」

 何でもない様なレインの言葉にクラウンは安堵し、

「クラウン!」
「―――あ」

 張り詰めた糸が切れる様に、その意識を失った。



#7-end






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