果たして世界とは、誰の物なのか?
神か?
人か?
それ以外か?





























The duet with the lunar
の精と二重奏(デュエット)を――


symphonic RAIN
―運命の多重奏―
#9 序章




















 エデン近辺の調査―――神薙夜十はクラウンとヤヨイにそう告げた。
 返答は行っていない。
 神薙はそれだけを告げると、クラウン達が言葉の意味を完全に理解するよりも早く部屋を出て行ってしまった。考える時間を与える、と言う事なのだろう。
 渡されたダマスカス製術式端末は、依頼料込みだったと言う事だ。
 禁術回路に関しては――その思惑までは分からない。只単にヤヨイが禁術レベルを使えると踏んでの事だったのかも知れないし、もしかしたらそれ以上の思惑があるのかもしれない。
 何もかもが不明瞭であり、心を掻き乱すには十分なストレスだった。

「エデン…」

 人類至上国家(エデン)
 人間種単一による国家運営に始まる、東側でも特に排他的な社会。
 そして過去、約二千六百名を使用しての人体実験を行った施設がある場所。
 神薙はクラウンの話から、エデンの外にある施設の話を聞き、例え廃墟であろうとも調査を行っておきたいと踏んだのだろう。もしも過去話だけだったら神薙はエデンに向かおうとしなかった可能性が高い。あても無くそんな場所を探した処で、エデン側から探知されず発見出来る可能性は高くは無い。
 決定打はクラウンが居る事。
 場所を知り、尚且つ施設内部で数年間を生き延びた存在が居ると言う事だ。
 だからこその協力要請。
 知っている者が居るならば、案内役にはうってつけだからだ。
 だが、エデンと言う場所に調査に向かうに当たり、『行きますか?』『はい、行きます』とは流石にいかない。それは過去クラウンに起きた事件の事もあるが、それはクラウンにとってそこまでの理由ではない。東側でも深部に位置する場所であると言う事が躊躇いに起因する。
 只、東側に入るのであれば――多少の覚悟は必要であるとしても、そこまで危険であると言う訳ではない。しかし、エデンまで歩を進めると言うのであれば、覚悟のレベルは段違いで高まる。
 あそこは異界だ。
 クラウンは過去、そう結論した。
 クラウンにとっても、あの暗殺者の少年――現在のホワイト・チャペルの真実が分かるのであれば、ある程度の危険は冒しても構わないと思っている。あれは過去の残滓。拭い切れなかった闇だ。未だこの世に残っているのであれば、ケリをつけると言う意味でも滅ぼさなければならない。
 だが、だからと言って東側の深部にまで踏み込んで、死んでしまったら元も子もない。しかしながら、今回の話に於いては生存確率を爆発的に高める要因がある。

 神薙夜十の同行。

 これは魅力的な話である。
 案内をしろ、とまで言ったのだから、神薙夜十が同行する事が十中八九決まっていると見ていい。で、あるならば、もしも降りかかってくる火の粉があれば神薙夜十が勝手に振り払ってくれる可能性が高い。
 安全に、調査が出来る。
 それだけでクラウンにとっては魅力的な話だった。
 断る理由は無い、無いのだが―――

「ヤヨイ」
「…なんじゃ?」
「どうすべきだと思う?」
「…過去に引導を渡すと言うのであれば、提案を受けるべきじゃな。お主もそう思っておるのじゃろう?」

 ヤヨイの言葉にクラウンは頷く。
 しかし、懸念すべき事があるのだ。

「提案自体は乗ってもいい。神薙が居るのは渡りに船だ。エデン近郊で戦いが起こったとしても、西側まで帰って来る事は出来るだろう。だけど、」
「…神薙を信じる――いや、神薙が一体何に属し、果たしてそれに関わっても良いのか、か?」
「…ヤヨイは理解が早くて助かるなぁ」

 クラウンのその言葉にヤヨイは薄く笑う。
 何年お主の魔者をやっておると思ってる。そんな微笑だった。
 兎にも角にも、ソレがクラウンの判断を鈍らせる最大の要因だった。
 あの戦闘能力は信じられるが、神薙夜十が属している“何か”を信じてよいかが分からないのだ。
 それは本来触れてはならないかもしれない物かもしれず、触れてしまえば否応無く世界の混沌へと誘う渦かもしれない。
 しかし、逆にソレと関わる事で、もしかしたら身の回りの保障を受ける事が出来るかもしれないのも確かだった。
 あの少年が生きている。で、あるならば――クラウンの正体も相手側に伝わっていると見ていい。過去、ホワイト・チャペルに関わった者に生き残りの居場所がばれるのだ。それならば、神薙が属する組織の思惑として、クラウンは生きた餌として魅力的である。
 クラウンは過去のホワイト・チャペルが『成しえた究極の一つ』であり、現在のホワイト・チャペルが『成しえていない究極の形』である。だったら、クラウンの存在は彼らを釣るには魅力的に過ぎる。
 神薙側もクラウンに価値があるのならば、安全の保障はする筈だ。

「答えを出すにも、先ずはレインの話を聞く必要があるか……」

 クラウンの言葉にヤヨイは一つ頷く。
 時間は正午を回ろうとしていた。





* * *






「随分と待たせてしまった。すまない」
「いや、聖女と断罪者の仕事があるんだろう? 気にして無いよ」

 正午を過ぎ、一時間程してからレインは戻ってきた。
 クラウンに説明をする約束をしているとは言え、彼女は最高位の聖女であり、同時に断罪者。仕事は多々あり、直ぐには戻ってくる事が出来ない。
 レインは初めにその事を謝ると、場を提供したガストゥールにも頭を下げた。
 流石のガストゥールも、美人とは言え聖女相手では何時もの調子を発揮する訳にもいかず、苦笑いするだけだった。

「今回の事に関して私の方から説明させて貰うが、その前に―――夜十」
「何だ?」
「鶴祇はどうした?」
「バースフェリアに渡す代替の術式端末を引っ張ってきてもらっていてな。今は俺の判断で休ませている。…まぁ、アイツも今回の事に一枚噛んでるとは言え、俺ほど重要なポジションじゃない。起こさないでやってくれ」
「そうか」

 ふむ、とレインが一つ頷き、改めてこの場に居る者達の顔を見回す。
 対面には説明する相手であるクラウンとヤヨイが座り、右手にはガストゥール翁、左手には神薙がそれぞれ腰掛けている。
 それで全て。
 レイン・レムニエンスと言うこの世界のビッグネームを前に、しかし、言葉を拝聴すべき者は今レインを除き4人しか居ない。
 レインはこの場に居る者達全てを流し見ると、構わないと頷き再び口を開いた。

「…先ず、クラウンにはすまないが、ウェザスト殿に対する話があるのでそこから入らせて貰う」
「構わない」
「すまないな」

 話を一度切り、レインはガストゥールへと向き直る。

「…今回の戦闘によって敷地内の器物破損に関しては、国で対処する事になりました。屋敷の修理に関しては国で全額保障するので、金銭的な心配は要りません」
「ふむ…」

 しかし、とレインは続ける。

「多少なりとも今回の事で調べさせて頂きましたが、殺害予告が出ていたならギルドだけではなく、警察機構にも連絡して欲しかったのは事実です。後日、王宮から呼び出しがあると思われます」
「そうですか…いえ、覚悟していた事です」
「その時は私が便宜を図ります。正直、今回の件、後付ではありますが相手が相手です。警察機構が事前に準備を行っていたとしても、無駄に被害が出ていただけでしょう。加え、破壊は敷地内に限られる。私がどうにかしなくとも、注意程度で終わるでしょう」

 注意だけで終わる。
 聖女直々の言葉に、今度はクラウンが胸を撫で下ろす番だった。

「そうか…俺も正直ヒヤヒヤしていたが、それは良かったよ…」

 実際の処、被害を拡大させたのはクラウンと言えなくも無い状況だったのだ。その事でガストゥールが責任を取らされるのは、クラウンにとって余り心情的に宜しくない事だ。
 そんなクラウンの感想に、レインは苦笑を漏らしながら続ける。

「クラウンに関しては、術式の制限に関しての問題があるが…先程も言ったが相手が相手だ。特に何もないと思う。それよりも問題は、夜十」
「うぇっ? 俺か?」

 まさか自分に話が振られるとは思っていなかったのだろう、神薙が声を上げてレインの方へと首ごと視線を向ける。

「あぁ…。敵をここで仕留めるチャンスだったとは言え、剣を抜くのは許されても、お前(・・)が上級レベルに達する技を使用する事までは許されていない。お前の正体は流石に伏せさせて貰ったが、本国からは呼び出しが直ぐにでも入るからそのつもりでいろ。下手をすれば外交問題だったんだ」
「げっ…マジか…」
「はぁ…夜十も夜十だが、ネクロシュリアもネクロシュリアだ。主に忠実なのは構わんが、夜十がやる無茶位止めてくれ。流石に夜十が放った雷撃は目撃者多数の上、中央区で事件があったと知れた所為で、今夜も私は緊急会議に出席しなければならい」
『…申し訳ありません、レイン様』

 レインの呆れと疲れを含む声に、この場に居る者の物ではない声が響く。
 発信源は、神薙夜十が立てかけている―――刀型の術式端末。
 クラウンが神薙へ視線を送ると、神薙は『俺の魔者』と簡潔に述べる。

『夜十、私も姿を現した方が…』
「んー、あー、まー…構わんか。良いぞ、出ても」

 神薙の言葉に対して、ネクロシュリアと呼ばれた存在は術式端末から光の粒子を発生させる事で返事とした。光の粒子は、何時ものヤヨイやスゥ等と同じく、人の形を取って世界へと顕現する。

「姿を見るのは久しぶりだな、ネクロシュリア」
「…はい、レイン様。今回の事は私が至らないばかりにご迷惑を…」
「そこまで責任を感じる事でも無い。悪いのは夜十だからな」

 顕現した魔者は、何処かヤヨイに似ていた。
 しかし、ヤヨイの紅い瞳とは対照的に輝かんばかりの青い瞳。ヤヨイのエーテル装束が和装であるのに対して漆黒のドレスを纏っている。
 だが、その中で目を引くのはそこではない。
 彼女の姿の中で最も奇異なのは右腕だった。
 銀色に輝くガントレットをつけ、様々な紋章がそこに書き込まれている。
 彼女の容姿が整っている分、その異様さは際立っていた。

「…お初にお目にかかります。ネクロシュリアと申します…今回は申し訳ありませんでした」
「あ、ああ、いや…怪我はしたが、結局高い術式端末まで貰ったんだ…そこまで気にして無いよ」
「…すみませんでした」
「おーい、シュリィ、相手側も気にしてないって言ってんだから、そこまで謝る事でも無いって……だからレイン、ゼスラには俺は既にルルカラルスに居ないと伝えてくれ…」
「嫌だ」

 血も涙もねぇ…!!
 神薙の言葉が部屋で響く中、ネクロシュリアはそんな光景に小さく微笑み、手を差し出した。
 宜しくお願いしますと言う言葉で、それが握手なのだとクラウンは初めて気付いた。
 差し出されたのがガントレットを纏った方の手であったからだ。
 ネクロシュリアは握手をする際のクラウンの困った様な顔で初めて気付いたのか、一言『すみませんね』と謝った。

「余りこう言った右手で握手をするのは悪いのかもしれませんが、礼儀として右手で行えと私に教えてくれた方がいらっしゃった物で…」
「…こちらも躊躇ったりしてすまなかった。宜しく頼む」
「えぇ、宜しくお願いしますね? バースフェリア様」

 最後に薄く微笑むと、ネクロシュリアはクラウンの手を離す。
 次に視線を向けたのはヤヨイだった。
 ヤヨイは特に何を感じる処も無いのか、差し出された手を握り返す。

「ふむ…」
「あの、何か?」
「いや、何でもない。ヤヨイ・カーディナルじゃ」
「えぇ、宜しくお願いします、ヤヨイ様」
「………」

 ヤヨイにも最後に微笑むと、ネクロシュリアはガストゥール翁への挨拶へと向かった。
 ガストゥール翁が差し出された手に対して抱きついて挨拶するべきか本気で悩んでいるのが分かる。クラウンは『しょうがない爺さんだな…』と小さく呟きながら、隣に座るヤヨイへと同意を求める様に視線を送る。だが、ヤヨイの視線はクラウンに向けられる事無く、今安全に握手を終えたネクロシュリアへと向けられていた。

「どうした?」
「…気付かなかったか?」
「うん?」

 ヤヨイの言葉にクラウンは首を傾げた。

「何が?」
「あの魔者の右腕…アレは封印処置じゃ。世界からの枷じゃな」
「世界からの枷って…もしかして」

 そこでクラウンは言葉を飲み込む。
 神薙がクラウンを見ていたからだ。
 いや―――クラウンとヤヨイを含めた二人、の方が正解に近い視線だった。

「…良く気付くな、バースフェリアの魔者。感覚的には俺も注意しなければ分からないレベルだったんだが……バースフェリア、お前の魔者は本当に禁術が使えないのか?」
「神薙、妾の事はヤヨイで構わん。一々“バースフェリアの魔者”では遠回り過ぎて呼ばれる側も面倒じゃ。言っておくが、妾は禁術は使えん。それ程の権能はこの身体に無い」
「そうかい。じゃーヤヨイ、何で分かった? 魔者でもシュリィと同位階の存在位じゃないと今まで気付いた事が無かったんだが」
「妾もそこまで真っ当な魔者ではないと言う事じゃよ。だから分かった。それだけじゃ」
「真っ当じゃない、ねぇ……それ以上は訊いても教えてはくれんだろうな」
「無論、な」

 互いが互いの顔を見て不敵に笑う。
 そんな光景の横でクラウンはこめかみを押さえながら溜息を吐き出す。そして、先程ヤヨイが言った言葉を思い起こしながら、夜十の後ろに居るネクロシュリアの右腕を見つめた。
 世界からの枷、とヤヨイは言った。
 つまり、枷をかけなければこちら側にこれない程の力を持っていると言う事になる。封じているのは高位権能。エデンにて揮うべき、世界を動かす力。
 ブルースフィアの言葉に直すのであれば―――禁術。
 あのガントレットの形をした“封印”によって普段は力を封じ込み、ブルースフィアでの活動を可能としているのだろう。
 もしもヤヨイが禁術を使用出来るのであれば、目の前に居るネクロシュリアと同じく身体の何処かに“世界からの枷”が物質化している事だろう。だが、クラウンの知る限り、数年間共に生活してきてそう言った類の物がヤヨイの身体にあるのを見た事は無い。
 つまり、それが証明でもある。
 世界から封じられる権能が無い証なのだ。

「…そろそろ良いか? 私の方の時間は夜十の所為で有限なんだが」
「先に進めてくれ。ほら、ヤヨイも神薙にガンつけたりしない」
「む、別に妾は神薙を睨んでいる訳ではなくてじゃな…」
「夜十も、もう少し大人な態度を続けていられませんか」
「まるで俺が子供みたいじゃないか、シュリィ」
「言葉の通りです」
「地味に酷いぞシュリィ!?」
「…ふぅ、先に進めるぞ? いいな?」

 ため息と共に、レインが場の空気を一時断ち切る。
 こうでもしなければ話が進まないのだからしょうがない。
 神薙が居ると場のペースが無条件で乱れる。
 今後も関わるのならばそこは注意しとこうとクラウンは胸中で呟いた。

「さて、ではクラウンが最も訊きたいだろう事から入ろう。だが、この事に関しては他言するのは出来るだけ控えてくれ。そうだな…自分の魔者、或いは関係者が最大範囲だ。それ以上となると、無条件で夜十みたいなのが訪れると思ってくれて構わない。ウェザスト殿も、宜しいでしょうか」
「私の方は構いません、聖女様。元より、暗殺者に狙われた、とだけ娘達には伝えるつもりでいたので」

 ガストゥール翁の言葉に、クラウンも頷く。
 元より覚悟していた事だ。
 神薙との接触の際、神薙は自分の正体を知った場合、引き換えに命を貰うと言っていた。
 ならば、この場所でレインが“他言無用”と言うのは最大譲歩の形である。
 命を奪う、から、他言無用。
 これ以上の譲歩は無いだろう。
 文句の無い条件にもう一度だけクラウンが頷き、口を開く。

「構わない。元よりそう話す事でも無いからな。それよりも教えて欲しい」

 次の言葉で、始まる。
 何に自分は襲われたのか、
 何を目の前の存在達は目指しているのか、
 訊きたいのはそんな事ではない。

「お前らは、何だ?」

 正体。
 それこそが、クラウンが己の立ち位置を決める重要な要因である。





* * *






「成る程。漠然としている様に見えて、的確な質問だ」

 クラウンの質問に対してレインが頷く。

「我々が何か。簡単に言ってしまえば、私はクラウンも知る通りにゼスラの最上位聖女であると同時に高位断罪者として存在している。夜十はゼスラ聖法国が誇る断罪者で構成された騎士団、そこの第二騎士団の団長を務めている」
「は? …騎士団?」
「ま、騎士団自体が有事の際にしか発動されない部隊だ。ここ数年、俺が着任してから陣頭指揮を執って騎士団を動かした事は今まで一度しか無い。バースフェリア、ゼスラには断罪者が居ても、騎士団なんて言う戦闘組織が居るなんて事は知らなかったんじゃないか?」
「いや、騎士団の存在位は聞いた事がある。只、最後に確認されたゼスラの騎士団は、三百年前の第二次大陸中央対戦の時が最後だと昔教えてもらったが…」

 ゼスラと言うのは珍しい国だ。
 何処の国も軍隊を抱えている。
 国防と言う観点からもそうだが、軍隊は国を維持するのには欠かせない要因だ。
 しかし、ゼスラには軍隊が存在しない。
 それは“断罪者”と呼ばれる超個人戦闘に長けた者達が存在しているからに他ならない。
 簡単に言ってしまえば、世界の軍事バランスが危うい事になるからゼスラには軍隊を配備していないのだ。

 過去、第二次大陸中央対戦を終えたゼスラでは、聖女ルファナによって発掘された聖性保持者を育てる聖女会と、その聖女を護る為にルファナを守護した英雄ワイズの立ち位置を意識した“断罪者”が生み出された。
 現在に至るまで、断罪者とは強者の証であり、世界に仇なす瘴魔を狩る存在である。
 それが統制され、一個の“軍”となった時、一体どれ程の力を生み出すのか?
 過去、大戦で疲弊した世界全体の軍備が行われた際、ゼスラの断罪者という存在に各国首脳陣が異議を申し立てた。いや、断罪者という存在に対して、と言うよりは、その断罪者で軍隊を作ると言う事に対してだった。
 ゼスラが軍隊を作れば、それは世界全体の軍事バランスを乱す事になってしまう。
 そうなれば、もしもゼスラが戦争を始めてしまった時、どの国も止める事が出来なくなってしまう。
 それだけはあってはならない事だった。

 この軍事バランスの維持と言う観点から、ゼスラは軍隊の組織を行わなかった。
 その代わりだが、ゼスラは“断罪者”の育成に力を入れたとも言われている。
 だからこそ、今神薙が言った“騎士団”と言う言葉には違和感を覚えざるおえなかった。
 クラウンはどう言う事だ、と言う視線でレインを見る。

「…確かにゼスラには軍隊は無い。しかしだ、クラウン。だからと言って、単体で強い者達をまとめなければ、ゼスラと言えど対外戦闘能力は底辺になってしまう。また、“抑え”が無ければ治安だって低下する。もしも(・・・)戦争が起こってしまった時の事を考えても、形式上はトップが必要だったんだ」
「形式上か…」
「うん、そうだな。ゼスラには一応だが、第一から第十二までの騎士団が存在している。しかし、まぁ、本業は聖女の守護だから形式上と言うのは本当なんだ。聖女守護の任務が無い断罪者や、高齢で守護の任務から外れた断罪者は、騎士育成を行ったり、警察機構の補助を行ったり…ずっと騎士団団長として生活している訳ではないんだ」
「そう言う事だ、バースフェリア。有事の際だけ、集団として機能する為に騎士団の団長は存在していると言ってもいい。さっきも言ったが、俺が指揮をとったのは数年前の“ラクア崩壊”の時だけだからな」

 ラクア崩壊――八年前にあった、地図上から国家が一つ消えた世界規模での事件。
 確かにあのレベルともなると、国としては鎮圧の為に戦闘能力保持者を派遣しなければならなかっただろう。
 しかし、

「ラクア崩壊って八年前だろう…お前今何歳だよ?」
「俺か? 今は25だな」
「17歳位で騎士団の団長なんてやってたのかよ…」

 呆れて物も言えない、とクラウンは嘆息する。
 ある意味、神薙程の戦闘能力と観察眼があれば十分指揮は執れるだろうが、このぶっ飛んだ性格に部隊が従うのかが甚だ疑問だった。

「十代騎士団長と呼ばれたのは、歴史上で夜十を含め10人に満たないらしいから…まぁ、夜十はその頃から戦闘関係に関しては優秀だったんだ」

 しょうがない事だけどね。
 レインは苦笑しながらそう言った。

「成る程な、大体分かった」

 クラウンは今、レインに告げられた言葉を聞いた。
 聞いたが、しかし、

「それで? 今のが簡単に言ったなら、詳しく言えば何だ」

 それを正解だとは、決して認めては居なかった。
 場は一瞬凍りつき、しかし神薙が直ぐに苦笑を漏らした事で氷解する。
 レインは訝しげに隣に座る神薙へと目をやった。

「くっく…あれだ、レイン。元より俺は協力を頼みたい立場でもある訳でな? 加えて言えば、バースフェリアは“アレら”の敵であると確信出来る立ち位置だ」
「だから、何処かでそれとなくクラウンに分かるように情報を渡したと?」
「それに、戦闘能力に関してもギルド計算でSS位にはなる。【 灼陽姫(フラグランティア・フランマー) 】の管轄断罪者もSS位だったろう。問題は無い筈だ」
「………」
「嫌ならバースフェリアに詳しく話すなんて言うもんじゃないぜ? こいつは元から俺達よりも奴らの原型に近い立ち位置に居る。心配ならお前の管轄にしちまえ。生憎俺の管轄は鶴祇だ。面倒だからこれ以上管轄は増やしたく無いしな」
「言うだけ言ってそれか、夜十…」

 クラウンが成り行きを見守る先で、レインが諦めた様に溜息を吐き出した。

「…クラウン、一つ言っておく事がある」
「何だ? 他言したら殺す的な事はさっき言われたが」
「他言するな、までは正解だが―――殺しはしない。どうせ、頭がおかしい奴だと笑われてしまう可能性の方が高いからな…それに、だ」
「?」

 そこで一度レインは神薙を見て、

「もし信じられ、話が広まる様な事があれば、それこそ私達が直接手を下さなくても命の危険性が跳ね上がる」
「………」
「それだけ危険性を孕んだ内容だと言う事だ。私達の正体を聞くと言う事は、敵対している者達も自然と敵となる事に他ならない」

 それでも聞くか?
 テーブルを挟んで座るレインの目は、クラウンにそう語りかける。

 聞いてしまえば―――戻れないだろうな…。

 事情を誰にも話さないで、胸の内に仕舞い込んでしまえば表面上は何事も無い。
 だが、現状において仕舞い込んでいたままにしても、余り意味は無い。
 最低でも、正体が分からないレインや神薙から安全が保障されなければ意味が無いのだ。だからこそ、ここで『聞かない』と言う選択肢は得策ではない。元より、昨夜の戦闘で少年を取り逃がしているのだ。相手側にはクラウン・バースフェリアと言う存在が加わった…と言う事になっている(・・・・・・・・・・)だろう。

 であるならば―――安全を買う為にも、聞いた上で考えるしかないか。

 クラウンの予定では、全ての判断は聞いた後に訪れると言う物だった。
 それが聞く前に移動した。それだけ。
 元より、レイン・レムニエンスと言う世界的な存在と知り合いとなり、神薙夜十と言う異質的な存在とも知り合いになってしまった。既に平穏無事に日々を生きると言う平々凡々な願いは不在の神に却下されているのも同然だ。それなら少し、横道に入るのもクラウンは吝かではないと思っている。

「別に自分の不運に不貞腐れているって訳じゃ無いんだがね…?」

 小さく、言い訳の様な文句を吐き出し、クラウンは若干伏せ気味だった目線をレインへと向けた。

「構わない。乗りかかった船だ」
「良いのか? 後悔するかもしれないぞ?」
「でっかい後悔ならもう何年も前にしたよ…」

 言って、クラウンは薄く笑った。

「だからまぁ、構わないさ。それに、レインが言う敵ってのは詰まる処、俺が想像している奴らなんだろう? そこんところはどうなんだ、神薙」
「当たらずとも遠からずだ」
「だってさ、レイン。だから、まぁ、ソレ関係であるなら―――俺に覚悟はある」

 協力するか否かは、聞いた上でちゃんと決めるし。
 そうレインに告げながら、クラウンは優しく笑った。
 この娘は優しい。
 だからこそ、クラウンに話をしたくないのだろう。もしかしたらレインの友人であり、クラウンの妹分であるフィアリスに心配を掛けさせたく無いから話を渋っているのかもしれない。
 どちらにしろ、このレインと言う少女が話を渋っているのがクラウンの身を案じての事だと分かってしまう位には、場の空気から感じ取る事が出来た。だが、だからと言ってクラウンに引くつもりは無い。
 成し遂げなくてはならない理由はあっても、引く理由がここには見当たらないからだ。

「………」
「………」

 10秒程の沈黙。
 その間、レインはずっとクラウンの瞳を覗き続けていた。
 頭の中すらも覗かれているような錯覚。
 透き通った色の瞳が、真っ直ぐにクラウンを射抜いている。
 息が詰まる様な錯覚を覚え始めた頃、レインは諦めた様にため息を吐き出した。

「聞いておきたいんだが…いいか? クラウン」
「何だ?」
「夜十が何かしら情報を渡していた事を含め、何処で気付いていた?」
「簡単に言ってしまえば神薙がここに居る事自体が不自然だからだな」

 俺かよ、と言う神薙の声を黙殺してクラウンは続ける。

「そいつからそれとなく“何かある”と言う情報はあったが…さっきレインは、神薙の事を騎士団の団長だと言ったな? まぁ、それ自体は不自然じゃない。こいつ自身の戦闘能力から観察眼まで含めて、俺は身をもって体験しているからな…納得は出来る。だがな、レイン。普通、そんな役職の奴がふらふらと、他国に何か居る物か? だからこそ、さっきからあった情報と合わせて、騎士団団長と言う役割の他に何かあるんじゃないかと推理した。加え言えば、だ…アイツらを追っているのに、そんな真っ当な役割もクソも無い」

 結局の処、そこに全ては集約される。
 神薙夜十の異常性。
 アレだけの単体戦闘能力が、制限もかけられず許されている。
 そして戦闘中の会話において、神薙は正体を知った場合『殺す』と、そう言っている。クラウン自身にはソレがどうしても納得できない事だった。確かにレインが言った神薙の役職である“騎士団団長”は、表向きには知られてはいけない事だろう。理由も納得出来なくは無い。だが、そこまで重要だとはどうしても思えない。大なり小なり、国とはそう言った裏ルールが適用されている節がある。本来作ってはいけない軍隊を、裏では統制が取れるように調整している等がそれだ。制限の隙を突き、錬度の高い軍隊ではないならば、一応の騎士団を作っても構わない、とそう言った言葉巧みに作り上げた組織。
 そう言った物は少なからず国の内外に関わらず噂される物であり、社会の何処を見渡しても存在している。それを見つけたからと言って『はい殺す』とは普通いかない。精々いったとしても捕まって厳重注意や罰金、悪くても一年二年程度の牢獄生活が関の山だろう。
 それが違和感である。
 加えて言うならば、

「後は、そうだな…レインは嘘が下手だって事だ」

 この娘は本来、嘘とは無縁なのだろう。
 だが、今の生活――地位――に就いた時点で、多少の嘘も言ってのけなくてはならなくなった。だからこそ所々で微々たる物であったが、クラウンは彼女が嘘までとは行かずとも、何かしらを隠しているのではないかと考えたのだった。
 後、付け加えるならば、

「横では神薙がニヤニヤしてるしな?」
「………」
「無言で俺を睨むな、レイン。恨むんだったら自分の顔がギャンブル全般に向かない事を恨むんだな」

 嘘だ、と言わんばかりに口の端を吊り上げてクラウンを見ていた神薙の存在があった事も、クラウンが推理を確信に変えた要因だった。レインの思惑とは別に、神薙の思惑があったと言う事なのだろう。レイン的にはクラウンを巻き込みたくは無いのだろうが、神薙的にはクラウンを巻き込んででも調査を行っておきたい。既に二人の思惑が噛み合ってなかったのだから、この結末は分かりきった事だったのかもしれない。
 そこまでいった処で、レインは諦めたのか溜息を吐き出した。

「…ガストゥール殿は退出して頂いても宜しいでしょうか…場を借りているだけに恐縮なのですが…」
「…ふむ、次からの話は私には聞かせる事が出来ないレベル…と言う事ですかな?」
「えぇ、申し訳ありませんが…」
「あぁ、いえ、構いません。クラウンはともかくとして、私自身には戦う術が無い。それが妥当でしょう。それに、これ以上関わってしまって、娘達を危険に晒すわけにはいかないですからな」
「すみませんが…」
「えぇ、私は退出しているとしましょう」

 すみません、ともう一度頭を下げるレインに対してガストゥールは『いえ』と一言告げ、去り際にクラウンへと歩み寄ってくる。

「クラウン」
「すみません、ガストゥール翁」
「構わん。元々、こちらとしては事件が解決する事が全てだ。加えていえば、これ以上娘達に迷惑もかけられん」
「…えぇ」
「…お前が何に執着しているのか、詳しく聞いた訳ではないが――ある程度は把握しているつもりだ…いいな、クラウン、熱くなりすぎるな」
「…はい」

 それでは先に退出させて頂くよ、とガストゥールはクラウンの肩に手を置きながら言うと、今度は振り返らずにそのまま扉から出て行った。

「よい方だな」
「あぁ…全く、頭の下がる思いだよ」

 本来この話は、ガストゥールには関係の無い話である。
 だというのに、律儀にもここまで話を聞いてくれていたのだ。
 それは果たして単なる興味からか、それともクラウンの身を案じての事か―――
 ともあれ、次の話を進めるのに準備は整った。
 クラウンは意識を切り替える為に一つ深呼吸すると、改めてレインへと向き直る。

「話を聞く準備はいいようだな」
「あぁ、大丈夫だ」
「分かった、始めよう」

 では、とレインは前置きし、

「我々は“レギオン”。神前機関の騎士だ」




 それこそが始まり。
 “王冠”と“死神”と“運命”が一同に会し、巡り始める世界の転機。
 世界の流転へと接触する始まりの出来事だった。



#9-end






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