シュレイ・ハウンゼンス。
現在22歳。くすんだ金髪に鳶色の瞳。
やや幼い顔立ちを残した整った外見の青年。
性格は基本的に軽く、明るい。良い意味での馬鹿。それが彼を知る者達の殆どが挙げる特徴だ。
クラウンもシュレイ・ハウンゼンスの事を挙げる時は『いい奴だが馬鹿野郎』と言う感想が先ず一言目に出てくる。
そんな男とクラウンが出会ったのは地の底、ホワイト・チャペルと呼ばれる研究施設での事であり、当時は二人ともが十代手前の少年であった。
そこから約10年程、その付き合いは継続している。
十年と言う時間は互いの事を把握させるには十分な時間であり、それが事あるごとに関わっていたと言うのであれば尚更と言えた。だからこそクラウンは口では何と言おうとも、根っこの部分ではシュレイを信じて行動しており、互いが互いを決して裏切らないと確信して動いて来た。
だが、しかし。
いや、だからこそ、クラウンは気付くべきだったのだ。
シュレイ・ハウンゼンスと言う、SSのギルドランクを持つ男が召集されていた意味を。
多くの軍事関係者が乗っている飛空艇に、態々ギルドに依頼して乗せる意味を。
* * *
「ぬぉあああっ! チクショウ、シュレイの野郎! 帰ったら超近距離から俺の怨念が篭った拳を叩き込んでやる!! 誕生日プレゼントとして23発だっ!!」
『愚痴はよい! さっさと船尾から脱出せんと墜落に巻き込まれるぞ!!』
「ぬぅっ…!!」
傾く飛空艇の中、クラウン・バースフェリアは斜めに傾いた後部甲板にて“壁になりつつある床”に剣を突き立て体勢を保っていた。
何故こんな事になったのか?
エンジントラブル? 魔石機関の故障? はたまた浮遊関係の術式演算間違い?
違う。そうではない。そのどれでもない。
クラウンはその瞬間を確かに感じ、目で捉えていた。船尾の柵に寄りかかりながら、左右にある飛翔機関が“撃ち抜かれる”瞬間を。
つまり、この艦は狙撃されたのだ。
高高度に位置する、王族が乗る船を。軍事目的にも使用出来る筈の、戦艦用の大規模結界装甲を突き破って。
「王族が乗ってる船を墜とすとか洒落じゃ済まんぞ!?」
クソッたれ、と最後に吐き捨てながら、クラウンは今の状況を打開するべく、ヤヨイが宿る新たな術式端末に魔力を流し込む。
今の状況―――飛翔機関を撃ち抜かれ、“船尾”から落下し始めている飛空艇の“船尾”に居ると言う、何とも嬉しくない状況。このまま今の場所に留まれば、船体諸共、自分の人生が潰えてしまう。
生憎と、クラウンにはシュレイのように長時間空を飛行するような術式は無い。ヤヨイの力を使ったとしてもそうだ。自分が立つ位置の重力をある程度緩和させるような術式しか存在しない。このままここに居れば死ぬのは必至だった。
「宵よ来たれ!!」
甲板に刃を突き立てたままにクラウンは己の刃を誓約状態へと移行させ、続けざまに自分の身体能力を跳ね上げる為の術式を展開させる。空に浮かぶ術が無い以上、この傾きつつある世界を駆け上がり船首へと移動。地面に到達する瞬間を見計らって船内から脱出するのが、今のところの一番高い生存率をほこりそうな案だからだ。
もし今この場に居るのがクラウンではなく、シュレイであれば、それこそこんな窮地は簡単に脱出する事が出来ただろう。
そんな事実にもう一度だけクラウンは舌打ちすると、傾いた甲板を蹴り、最寄の鉄柵へと飛び移る。一歩間違えば眼下に広がるまばらな雲海を突き抜けて確実にヒトのミンチが出来上がる高さなだけに、何時もの冷静さで心を覆い尽くしていたとしても、頬を流れる汗は誤魔化し切る事は出来なかった。
不運を嘆く物か、安堵の物か、判別がつかない溜息を吐き出しながら、クラウンは頭上――艦の先端へと目線を向ける。
『よし、このまま船首…或いは王女の所へ向かうぞ』
「王女の方はアレか? 脱出用の何かが用意されていると考えての事か?」
『流石に翼持たぬ者が空を飛ぶんじゃぞ? 脱出用の術式か、或いは機関か…単純に考えて、バードの騎士が居る筈じゃ』
「…何と言うか…王女様の護衛で乗ってる筈なのに、その王女様の安否を考えない俺達も駄目だなぁ…」
全くじゃな、と同じく呆れた様に感想を述べるヤヨイに苦笑し、クラウンは再び鉄柵を蹴り、傾いた甲板を蹴っては船首へと登って行く。目指すは船首近くにある船内と繋がる扉。一先ずそこまで辿り着く事が出来れば、船首にも近く、脱出装置が船内にあったとしても素早く行動する事が出来る。それを狙っての移動だった。
「しかし、」
『なんじゃ? また愚痴か?』
「いや――そうではなくてな…」
甲板を蹴り、ぶら下がる様にして鉄柵へと捕まりながら、クラウンはふと先程飛翔機関を撃ち抜いていった光条を思い出していた。
「さっきのアレ、どっかで見た事があるような気がするんだが…」
『…生憎と、妾達が相対した中にテロリストは居らんかった気がするがのう…』
「あんな特攻主義の奴らを敵にするのは嫌だものな」
『店で自爆されてはかなわんからのぅ…』
確かに見た事がある様な気がするんだが…。
言葉尻を段々と小さくしながら、ふと頭上から悲鳴が聞こえた様な気がしてクラウンは視線を上に上げた。
そこには鉄柵に掴るスーツの男に、ルルカラルス軍が装備している戦闘用結界装甲を纏った騎士が手を伸ばしている光景があった。どうやらスーツを着た男の方は非戦闘員らしく、余りにも必死に鉄柵に掴るあまり、伸ばされている手と必死な声に反応出来ないでいる様だった。 クラウンは助けるべきかと一瞬だけ逡巡し、直ぐに助けるべきだと結論する。
今現在クラウンはシュレイ・ハウンゼンスの代わり、ルルカラルス国コーラルの高位ギルドメンバーとして行動している。であるならば、この場で救命と言う行為を行わなければ、国からギルドへ向ける評価が下がってしまう。
加えて言えば、目の前で絶叫を残して墜落死されれば寝覚めが悪くて仕方ない。
『それが本当の理由かのぅ? 優しい男じゃなぁ』
「うっさいですよ…」
ケッ、と一言吐き捨てるクラウンを尻目に、ヤヨイは含み笑いを続ける。
一しきりクラウンをからかうと、そこで何かに気付いたのか、ヤヨイは笑い声をピタリと止めた。
「…どした?」
『む…あのスーツの方の男、王女の後ろに立っていた男じゃな』
『ってー事は、何だ? あの人大臣かなんかだっけか?』
『さて、どうじゃったかのぅ…』
ま、助ける命に大小は無いわな。
どうでもいい事、としてバッサリ決断して、掴る腕に力を込めた。同時、クラウンは甲板を蹴りあがる。
身体能力加速を行っている今、それが例え軽く行った動作であろうと、クラウンの身体を簡単に持ち上げてくれる。加え、術式端末の性能が以前の術式端末から比較的上昇している為か、術式から齎される恩恵が思いのほか大きい。
身体を循環する術式の効果を改めて実感しながら、クラウンは本来昇る予定だったルートを変更してスーツの男を助ける為のルートを取る。
上方で手を伸ばしていた騎士がクラウンを見た。
視線が交錯した瞬間、彼は手を引っ込めると、己が邪魔にならないように後ろへと下がる。これからクラウンが何をするかを、アイコンタクトで理解しての行動であった。
理解が早くて助かる…!
苦笑を漏らしながら、クラウンは一際強く鉄柵に掛けた足に力を込めると一気に跳躍。掻っ攫うかのようにしてスーツの男の腰に掴みかかると、有無を言わさず鉄柵から引き剥がした。
「あ、わ…ひっ…!!?」
一瞬何が起こったか分からない、と言うような声を上げるが、それは直ぐに自分が安全圏から離れてしまった事への絶望の声へと変わる。しかし、その悲鳴は長くは続かなかった。
「よっ、とぉっ!」
クラウンが悲鳴を上げる本人を、手を伸ばしていた騎士にぶん投げたからだった。
騎士はそれに一瞬驚いた物の、直ぐに表情を引き締めると、飛んで来たスーツの男を力強く抱きとめ、安堵の息を吐き出す。
「方法は若干荒いが、協力に感謝する」
「悪いな、こんな状況じゃ、そこまで気を遣ってられん」
「え、あ、え…?」
「リグナス様は怪我も無い。ならばこの場で四の五の言っても意味は無いだろう」
「ま、命あっての物だねだからな」
クラウンはそう言うと、身体を捻って跳躍。騎士が居る側へと飛び移った。
視線を巡らせれば、最寄の船内への扉は直ぐそこにある。
「…脱出ってどうなってるんだ?」
「王族関係者を優先してバードの者が脱出を手伝う手筈になっている…と言うか、事前資料としてギルドへも提出していた筈だが…?」
「………」
心の中でシュレイを殴る回数が激増する。
「まぁいい。だが少し問題がある」
「問題?」
「あぁ。この船がどうして今墜落しようとしているのか、それを考えればな」
「!、狙撃者の問題か…!?」
騎士の言葉にクラウンはハッとし、先程空へと抜けていった光条を思い出した。
バードの騎士による滑空や脱出機関を使用したとして、その脱出中に狙撃されてしまえば意味が無い。それではこのまま墜落するのと辿る結末は同じだからだ。
「成る程、先ほどの光景…見ていたか?」
「まぁな。空に飛び上がれば襲撃なんざないと思ってればこれだ。全く嫌になる」
クラウンのため息交じりの一言に、騎士の男は苦笑した。
続けて口を開き、
「き、騎士団長…? わ、私は…」
手元から届いてきた声に口を閉じる。
視線を下げれば、先ほどリグナスと呼ばれた大臣らしき男が胡乱気に二人へと視線を巡らせていた。
「…このまま手摺に掴っている訳にはいかんな。取りあえず中から船首へと抜けるぞ?」
「分かった…このままここに居ても死ぬだけだしな」
現状からそれが最善かとクラウンは判断した。
騎士がスーツの男を抱えて船内へと飛び込んだのを見送り、クラウンは続いて中へと飛び込む。中は異世界。扉の縁に足をかけ、一足で“壁”へと着地する。今はもう、ほぼ90度傾いてしまった世界に。
何だかなぁ…、とクラウンが小さく呟く。
未だ珍しい飛空艇が、今まさに死の時を迎えようとしている。このまま行けば、世界の法則に従って飛空艇は地面へと衝突して潰える。この芸術と言っても良いほどの存在が消えて無くなるのだ。
流石に船と心中と言う気持ちにはなれない物の、その光景を思ってクラウンはやり切れない物だ、と呟いた。
「………」
一瞬だけ背後へと振り返ると、煌びやかな調度品がクラウンの背後の廊下――今や垂直の穴と化した場所を重力に従って落下していくのが見え、暫くすると船体の軋む音に混じった破砕音がクラウンの耳に届いた。
それが末路。
等しく“動かなかったモノ”に訪れる終わりがそこにある。
「どうした?」
「…いや」
怪訝そうにクラウンへと視線を投げかける騎士の言葉を遮り、クラウンは視線を戻す。
何はともあれ、今は生き抜く事こそが先決である。命の終わりに思いを馳せるのは、平穏な日常に帰ってからでも出来る事だ。
騎士は一瞬だけ目線を細めると、先導する、と言い残し走り出した。クラウンは己の生命線である術式端末を握り直すと、騎士の背を追って走り出す。
そこには若干の焦りがある。この崩れかける世界に居る者達に、猶予はもう、殆ど残されていないのだから。
* * *
騎士の背を追って壁を蹴り、船首を目指す事1分強。
さして広くない筈の船内を駆け上がり続け、クラウン達は船首近辺の廊下へと辿り着いていた。
場所的に言えば操舵室だろうか。先程まであった煌びやかさが残る世界とは逆に、今立っている場所には金属質な重厚さがある。
流石に“戦艦”と言う事か?
胸中でクラウンが小さく呟く。
先程通ってきた道こそがフェイクであり、この重厚さこそがこの船の本質と言う事だ。
元々、この船オベロンは制空権の支配を目的としたルルカラルス軍が誇る戦闘艦である。それを第二王女の結婚と言う祝い事を行うとして急遽、王族が立ち入るだろうフロアのみ手を加えていたのだろう。本来であれば後方に居るだけの存在がこの船に乗る事は視察目的位しか無い。煌びやかさを兼ね備える必要性は無いのだ。
「そろそろ着くぞ。王女も居るだろうから失礼の無いようにな」
「この状況じゃそうも言ってられんだろうが、善処する。俺にもギルドの面子ってのがあるからな」
「確かにな…」
クラウンの言葉に騎士の男は苦笑交じりに答え、操舵室だろう場所へ向かって歩き出す。
クラウンの視線の先には騎士の男の背と、このフロアに辿り着いた時から下ろされたスーツの男、そして更にその先に開け放たれた空圧扉がある。
多分、その空圧扉の先こそが操舵室だろう。既に王女達が居る筈だ。
そう考えると、クラウンは変な緊張感が自分を襲うのを感じた。
『今更緊張も何も無かろう?』
『いや、流石に王族とかに顔売れるとか面倒な事はちょっと…』
『その王族と対等に話せるような存在と知り合ったのにか?』
『………むぅ』
聖女レイン・レムニエンスの事である。
『まぁ、余り妾やお主の事を知られて面白い相手では無い事は確かだのぅ…主は“Bクラスの薬屋店主”じゃ。“Sクラスの【 殺刃 】”と言うのは仮初の姿じゃからな』
『面倒な話だよ、ホント』
ふん、と今の笑えない現状を鼻で笑い、クラウンは歩き出した。
足元ではクラウンの足運びに合わせて木片や金属片が耳障りな音を立てる。
後どれ位なのだろうか? この艦が墜落するまでの猶予は。
歩きながら、ふとクラウンは考える。
猶予は少ないが、確かにある。飛翔機関が破壊されたと言っても、船体自体の落下は残った浮力機関によってそこまで速くは無い。それこそ完全に破壊され、浮力を失っていたら、先ずこうして歩く事すら本来は出来ないからだ。もしも船体が重力に逆らう事を止めたのならば、見せ掛けの無重力状態によってクラウンを含め、全てがこの船体の中で浮かび上がっている。
その命を護ってくれている浮力機関が、果たして何時までもつか分からない。
もしかすれば一寸先には停止するかもしれないし、狙撃者からの追撃によって破壊されるかもしれない。そうすれば脱出出来るのは最悪バードのみ、もしくは追加でバードと同じ数の翼の無い者達と言う事になる。
クラウンは現状に溜息を吐く。
毎度毎度、ついていない事とはもう既に親戚関係が築けそうな位ではあるが、今回の厄介ごとは格別だった。神薙と出会った時のように死に掛けてはいないが、ある意味このついてなさはその不幸加減に匹敵する。死に掛けてないだけマシな程度だ。
嘆きかけた処で、眼前から二人が消えた事に気づく。
どうやら騎士の男がスーツの男と共に“上にある扉の中”に飛び込んだようだった。
どうするべきか、と悩んでいると、頭上から『お前も入って来い』と言う声が飛んで来た。
「…仕方ない」
クラウンは覚悟を決める。今はギルドからの代表の一人として、不本意ではあるが乗り込んでいる。加えて言えば生きるか死ぬかが掛かっている場面でもある。
悩むのは時間の無駄だ。
決断すると、クラウンは頭上の扉の中へと飛び込んだ。
「――――…」
着地し、目線だけを巡らせれば、騎士と重役らしき者達が一堂に会していた。乗り込んだであろう人数より少ないのは、果たして最初の揺れで船外に投げ出されてしまったからか、それとも救助に向かっているからか。
更に視線を巡らせれば、クラウンと同じ様にギルドから召集されたのだろう、ルルカラルス軍の統一された結界装甲とは別の物を纏った一団が目に留まった。そんな者達は少しの間だけクラウンと視線を交錯させると、思い思いの方向に視線を逸らせる。
ギルド員――同業者か。
クラウンも彼らと同じ様に視線を外す。
その先で、
「………」
『……ほぅ、見たのは出発の時以来じゃな…』
“精霊”を見た。
いや、正しくは人――精霊との忘れ形見。
ルルカラルスの第二王女―――その人が居た。
長く、その精霊と人との血を繋いできたルルカラルスの王室、その第二王女が。
服は式典の時着ていた煌びやかな物とは違い、動き易そうな物を着用している。この異常事態に際して着替えたのか、それとも最初から着替えていたのかは分からない。
出来れば着替えるのを渋る様な性格では無い事だけを祈りながら、クラウンは立ち上がった。
と、そこで先程クラウンと共にここへと辿り着いた騎士が一歩前へと出る。
「…サーラックとタウスは?」
「最初の狙撃時に、そのまま…甲板にメルーシャ達も居ましたが、彼女達だけでは手に余り…」
「そうか…分かった」
状況報告か。
聞こえてしまっただけの物であるが、状況は芳しくないようであった。あの飛翔機関を打ち抜いた一撃によって発生した船体の揺れにより、既に何名かは高所から落下してしまったと見て良いだろう。
クラウンが目線を細める先で、騎士団長は報告に来た騎士に下がる様に伝えると、直ぐに表情を引き締めた。
「傾注!」
操舵室にて集合した全ての騎士、重役達が一斉に騎士団長へと注目する。その言葉には確かな強さがあり、本来号令とは無関係な筈のギルド員達も全てが騎士団長の方へと向いていた。
「状況は一刻を争う。我々はこれより船を捨て、脱出しなければならん!」
「き、騎士団長! 君はこのオベロンを捨てると言うのか!?」
下された決断に、早速誰かが異議を申し立てる。
術式端末からは、ヤヨイが呆れて溜息を吐いたのが伝わってきた。
クラウンも胸中で溜息を吐く。
一寸先には死ぬかもしれない状況で国家資産の心配とは立派だが、出来れば自分とは関係の無いところでやって欲しい。
長引くならさっさと出て行くべきか…そうクラウンが考えた矢先、騎士団長は一歩前に出た。
「…えぇ、閣下。私はこの艦の立て直しが不可能と判断し、脱出を最優先とします」
「この艦の建造に…一体どれ程の資金を注いだと…!!」
「しかし、ここに居ても艦と心中する他選択肢はありません、閣下」
「ぐ、う…! こ、この事は将軍に報告するからな!」
「どうぞご自由になさって下さい、閣下。私の役目は殿下をお守りする事ですので」
横から出てきた神経質そうな男――多分、財務担当か何かの大臣だろう――の言葉をあっさりと切って捨てた。そこに一切の躊躇いは無い、がしかし――人間味が薄いか、と問われるならばそれは否定せざるおえない。先程の、部下から既に何名かが船外へと投げ出されてしまったと報告を受けた時の顔は、幾分かの悲哀を含んでいたからだ。
まだまだルルカラルスも捨てた物じゃ無いな。
クラウンは口元に浮かびそうになる笑みを消すと、騎士団長の次の言葉を待った。
視線の先で騎士団長が「続けるぞ」と短く告げ、再び口を開く。
「我々の第一目的は殿下をヴァナーギーエンへと送り届ける事だ。しかし、眼下の森林地帯には飛翔機関を撃ち抜いた狙撃手が存在している。先ずはこれをどうにかしなければならん」
そこで、と騎士団長は続ける。
「メルーシャ率いる部隊にて陽動、その間に殿下を地上へと先に下ろす」
何か質問は、とそこまで言った処で早速手、どころか悲鳴が上がった。
視線を投げれば、先程の男とは別の恰幅の良さそうな男が一人喚いている。
『ふむ、先程の男は今の部分では黙っているだけマシじゃが…今喚いているのは宮仕えとしては失格じゃな。真に逃がすべき王女を差し置いて逃げたがる訳じゃからな』
『命がかかってるんだから喚く気持ちも分からんでもないがねぇ…』
クラウンとヤヨイが念話で会話していると、やはり先程の様に騎士団長は言葉を切る。が、今度は中々相手が折れない。命が掛かっているのだから、その点は納得できるのだが――それ以外が余りにも見苦し過ぎた。
『…この流れは良くないな…』
『そうじゃな…文官達の方を見よ。こそこそと何やら話して居るぞ?』
恰幅の良い男が喚くたび、文官達の中でざわめきが広がっていく。
このままだといずれは爆発し、文官達全てが流れに乗って我先に逃げ出そうとするかもしれない。このような極限状態では一度ついた火は、より強い火でしか吹き消す事が出来ない。この場合で言えば、見せしめに騒ぎ立てる恰幅の良い男を文字通り斬り捨てる事になりかねない。そうなれば恐怖によって一時的にパニックは収まるだろうが、後が続かないだろう。
恐ろしきは極限状態での集団心理だ。
こうなってしまえば本来静観する筈のギルド員も黙っていられなくなる。
『…仕方ない、やるか』
『顔が売れるのぅ』
『不本意過ぎて泣けてくる…』
苦笑するヤヨイの言葉に否定の言葉で返し、一つだけ溜息を吐く。
そうして意を決すると、クラウンは前へと出た。
「いいか? 俺から一つ提案がある」
「貴様! 今は私が喋っている!! 黙っていろ!!?」
「…お前か、何だ…?」
恰幅の良い男の言葉を無視し、騎士団長はクラウンへと目線を送ってきた。
クラウンも横から飛び込んで来る罵倒が全く聞こえない振りをして口を開く。
「陽動は俺一人、って訳にはいかんからそっちから空を飛べる奴を一人出してくれれば引き受ける、って言う提案だ」
悪くない話だろう?
そう何でも無いように言うクラウンに、騎士団長は一度驚きの表情を作ると、視線を鋭くしてクラウンを睨んだ。分からなくは無い。クラウンの実力はこの場にて未だ開示されてはいない。そんな事が出来る訳が無いだろう、と言う思いしか無いだろう。
だからこそ、クラウンには次にこの聡明な騎士団長が何を質問してくるかが分かっていた。
その質問は、もしかすればクラウンを今の生活から追いやる事になるかもしれない言葉。
それは、
「まだ、訊いてなかったな…名前は?」
名前と、
「…クラウン・バースフェリアだ、ルルカラルス軍王女護衛騎士団団長殿」
「…ギルド公式ランクは?」
全世界に根を伸ばす、ギルド協会と言う組織が定めるランク。
「ギルド本社斡旋室部長アズイル・ゼット直属Sランク。字は【 殺刃 】」
「!、本社斡旋室直下…と言う事は、まさかリッパーか…?」
「世間でどんな風に言われてるかは知らんが…ま、普通にそこらのギルドへ降りてこない仕事を請けてるのは確かだな」
騎士団長の表情が驚きへと変わる。
視線だけを動かせば騎士団の中にも動揺の表情があるが、一番動揺の表情を浮かべているのはクラウンの他に乗艦したギルド員達だった。
リッパー、と世間――或いはギルドの中で呼ばれる存在が居る。
ギルドに加盟して仕事を請け、成功報酬を貰うのが一般の――広義に知られる処のギルドメンバーだ。しかし、それとは別にギルド協会直属――部門別私設部隊の中で依頼を受け、任務を果たす存在が居る。それが世間に言われるところの狩り手であり、社内では収穫者と呼ばれる者達である。
ハーヴェスターとは本来であれば、ギルド本社が課する試験を合格して正式に入社した者の中から、更に上位の試験をクリアし、身辺調査にも合格したA+以上のランクの者しかなれないとされている。
クラウンの知り合いの中で一番に思い浮かぶのが、アズイル・ゼットの右腕的役割を担っている二人――黒崎四季織、メル・カノンの両名だ。
普段は斡旋室でアズイルの補佐として行動している二人だが、一定以上の信頼が必要とされる依頼があれば、各方面に流れる前に彼女達が動く事がある。
クラウンが行ったガストゥール翁クラスの要人護衛等が、このハーヴェスターの任務に挙げられる例だ。
また、ハーヴェスターは稀にだが直接的に賞金首を捕まえる事で、ギルド協会に“売り上げ”として資金を入れている。
詰まるところ、リッパー、或いはハーヴェスターと呼ばれる者は一般にエリートと称される存在なのだ。
『驚いておるのぅ…主が正式なハーヴェスターではないとも知らずに』
『ま、アズイルの直下って事には違いが無いからな。この場では事をスムーズに進める為にも黙っておこう』
無論、クラウンは正式なハーヴェスターではない。
アズイル・ゼットと言う斡旋室部長の親しい友人として信頼があり、戦闘能力がある為に、嫌に難度の高い任務を度々押し付けられるだけの普通のギルドメンバーである。
トルストイからルルカラルスへと移り、薬屋にならずにそのまま本社に居たのなら、斡旋室所属収穫者になれたのはアズイルが保証しているが。
「成る程、クラウン・バースフェリア…申請では本来訪れる筈のSSランクの代理、と言う記載があったが…リッパーであると言うなら納得が行く」
どうやらハーヴェスターであると言う事が、良い印象を与えているようであった。成る程な、と頷いている姿からはそれを窺い知る事が出来る。
しかし、そこから考えられる事が一つあった。
『シュレイの奴…普通に“俺の代理にこいつを寄越す”とか言って申請を通しやがったな…』
『げに恐ろしきはSSクラスの権力、と言った処かのぅ。予想するに、自分のランクに物を言わせてお主を代役としてねじ込んだのじゃろうな』
『普段なら隠してた事を嬉しく思うが、今回ばっかりは何とも言えん…』
隠していた反動で、この場に居る殆どの者達ほぼ全てに自分の情報が開示されてしまったのは不運以外の何物でもない。しかし、元々は開示されるべき情報を黙っていたのもまた事実なのである。この事実に対する文句は本来、シュレイではなく自分に吐き出すべきなのだ。
恨み言になりそうな言葉を口の中で噛み砕き分解すると、クラウンは溜息と共にソレらを吐き出す。
「で、だ…提案なんだが、どうする?」
もう悩むだけしょうがないと、クラウンは急かす様に騎士団長に言葉を投げかける。
状況も状況であるから、騎士団長はもう怪訝な顔一つせずクラウンに頷き返した。
「あぁ、やってくれると言うのであれば申し分ないが…具体的にどうするつもりだ?」
「俺についてくる一名は少々危険な役回りをする事になるが…簡単に言えば撃たれた処をカウンターでこちらから狙撃する。そうすれば相手側も慎重にならざるを得ないだろう。そうすれば俺が空から地表を狙っているだけで、後はそれが牽制になるだろう」
「狙撃に対して狙撃で牽制する、と言う訳か…しかし、第二射、第三射が来たらどうする?」
「一発目を、何も俺は躱すとは言ってない」
「―――何? では、どうすると?」
「撃ち落とす」
「――――――それは、」
確かに牽制としては申し分無いだろう。
必殺の一撃を躱すでもなく、撃ち落とされる。
それは狙撃者の心を驚愕で塗り固め、必殺を確信していた自信を崩壊させる。
狙うべき獲物の中に、自分を殺しうる存在が居ると言う心象を植えつける事が出来るのだ。
ここに居る殆どの者が、そんな事が可能なのかと半信半疑の目でクラウンを捉えている。
クラウンは「まぁ、相手の狙いがこの艦の撃沈なら、もう狙ってくる事は無いのだろうけど」と続けた。
「…そうだな。世界は今、殿下の結婚を邪魔するような情勢ではない。どちらかと言えば、この艦を撃ち落とす事の方がテロの目的としては合っている様に思える」
「相手が狙撃してきたとして、一撃目は最悪でも躱すようにはする。無駄死には俺も嫌だからな」
駄目なら駄目で、そこで新たに囮として何人かバードを出せばいい。
クラウンは言って、これ以上特に言う事は無いと言葉を切った。
後はクラウンがどうこうする事ではない。
案を提示し、先程まで喚いていた男を止め、混乱を事前に止めた。
であるならば、もうやる事は無い。騎士団長が決断し、行動に移すだけだ。
「…成功するなら脱出の効率は一気に高まる、か…」
ふむ、と騎士団長が唸る。
実際にクラウン一人とバード一名を囮と出来るのであれば、脱出するのに必要な要員を多く取る事が出来、脱出の効率は爆発的に高まる。最低でも非戦闘員以外を全て脱出させてしまえば、端末持ち等は地表近くに艦が迫った時に飛び降りて、墜落した後に起きるだろう二次災害――艦の下敷きや、爆発に巻き込まれない限りは殆ど軽症で済むだろう。
決して悪くは無い案である。
だが、簡単に決断を下せないのが現状だ。
それはクラウンが本来ならば部外者であると言うのが一番大きい。
幾らクラウンが本社斡旋室直属のSランクであるとは言え、それは書類の上での話でしかない。騎士団長がクラウンの事を無条件に信じられる訳ではないのだ。
しかし、思考に裂ける時間は少なく、決断を迫る。
先程の恰幅の良い男が苛立った様に一歩前に踏み出し、
瞬間、船体を大きな揺れが襲った。
「っ!!」
「きゃっ…!?」
「っ…殿下っ!?」
殴られた様な衝撃と共に、一瞬身体が宙に浮く感覚を受ける。
衝撃に文官達は軒並み倒れ、騎士の中にも壁へと叩きつけられる者があった。そしてその中には王女の姿も含まれている。
それが決断の切欠となった。
「っ…! バースフェリア、頼む! メルーシャ、お前は脱出の指揮を執れ! それと一名、バースフェリアについて援護を!!」
『了解!!』
力強い声に、整った声が返る。
それからは一瞬だった。
流石は軍属と言うだけあり、各々が普段から決められているであろう動きをとり始めていた。
そんな中、クラウンは王女に駆け寄った騎士団長へと歩を進める。
「王女様は?」
「わ、私は大丈夫です…皆に迷惑はかけられません。脱出出来る者から脱出を」
「!、殿下! 何を仰いますか! 殿下は結婚を控えられた大事な身ですよ!?」
「だからと言って…!」
「あーあー、お二人とも、急ぐんだったらさっさと行くとしよう。何時落ちるか分からんぜ?」
「…っ! そう、ですね…すみませんバースフェリア様」
「様なんてつけなくて良いですよ。それより緊急事態です、団長殿と一緒に甲板近くで待機していて下さい。相手側が撃って来たなら、必ず自分が撃ち落としますので」
「…はい、ありがとうございます!」
「バースフェリア、感謝する」
その言葉を最後に、騎士団長は王女を支えて立ち上がり抱きかかえると、操舵室の扉の外へと飛び込んでいった。
一つ溜息を吐き出し、振り返る。
と、そこには先程メルーシャと呼ばれたバードの女性騎士がこちらに歩いてくるところだった。その横には一人の若い、だが頼りなさは殆ど感じられない騎士を連れている。
「バースフェリア殿、手短に話します。我々はこれより、それぞれが二名を抱えて待機。貴方の判断が下った際、順に地上へと飛び立ちます」
「分かりました。そちらが?」
「ゲイル・ワインディール伍長です、バースフェリア殿!」
「まだ若いですが、我々バードの中でも能力の高い若者です。宜しく頼みます、バースフェリア殿。ワインディールも、頼んだぞ」
「はっ! 了解しました隊長!」
颯爽と結界装甲を翻し、女性騎士は操舵室から出て行く。
後姿を見送ると、クラウンは一つ頷いた。
「さて、俺達も行くとしよう、ワインディール伍長」
「はっ! 了解しました!」
「ははっ…若いっていいねぇ…」
『お主、まだ21じゃろうに…』
『うっさいですよ』
クラウンはヤヨイの言葉に頭を掻くと、一度ワインディール伍長に視線を向け、頷く。
先ずは自分達がどうにかしなければ後続はどうにもならない。
生きるか死ぬかは、ある意味クラウン達に掛かっているのだ。
* * *
空へと飛び出す。
飛空艇が放つ火の気に暖められた温い空気と煙の壁を突き破り、クラウンはワインディール伍長の助けを得て大空へと歩み出る。
その手にはヤヨイが宿る魔剣に加え、今まで持って居なかった武装が一つ。
魔砲銃――アズイル・ゼットから託された大口径の改造魔導銃が握られている。
重力落下に身を任せ、クラウンは地上に大分近付いた位置で、背後から支えるワインディール伍長にそろそろ停止を、と手を振って伝えた。それと共にワインディール伍長は鷲に似た勇壮な翼で大きく羽ばたくと減速。段々とスピードを落とし、やがてホバリングを始めた。
「この位置で宜しいのですか?」
「あぁ…俺の持ってる魔導銃の有効範囲を考えて、な…」
「了解しました。それにしても、また、大きな銃ですね…」
彼の口にした意見はクラウン自身も苦笑するしかない事だった。
今握っているのは対瘴魔を想定した、改造のエレメンタルシェルビュレットを撃ち出す為の“大砲”だ。本来、対ヒトとしては過ぎたる威力を持つ術式兵装である。
しかし、今のクラウンで約2Kmに達する距離を賄える術式は極級術式を於いて他に無い。更に言えば、極級術式は幾ら短縮しようとも発動までどうしても時間がかかるレベルの術式だ。そう言ったクラウンの手持ちの切り札を考えると、実戦があればテストしろ、と言って渡されたこの銀色に光る大砲しか無いのが現実だった。
だが、
「友人から渡された品だ。威力としては瘴魔に傷を与える事を前提としているらしい」
「へぇっ! それは凄いですね!!」
それは確かに戦うための牙だった。
アズイル・ゼットがクラウン・バースフェリアに託した、敵を射殺す為の兵器である。
クラウンはこんな場面だと言うのに目をキラキラさせているワインディール伍長に苦笑してから、改めて眼下へと視線を投げた。
下には大森林、遠くには山々が聳えている。
この何処かに、狙撃者が居るのだ。
『…ヤヨイ、狙ってくると思うか?』
『判断する材料が少ない。じゃが…』
『が、何だ…?』
『妾はこの場ではもう狙撃は無い、と思っておる』
『…予測は出来るが…理由は?』
『あれだけ正確に、恐らく地上から、上空6000メートル近くに存在する対象の飛翔機関を狙って撃ったのじゃ。諸々殺すのであれば、先の二撃の後、追撃を連続で放っていれば事足りる。狙っているのは艦か、それとも王女か、はたまた文官のうちの誰かかなんぞは知らぬ。しかし、それでも連続で攻撃を放ち続けていればそれだけである一定の成功確率は保障される』
『まぁ、な…』
ヤヨイの言葉にクラウンはその通りだと頷く。
万全を期するなら、容赦無く船体を吹き飛ばせばいい。もしも狙っているのがヒトであると言うならば、慌てて出て来たところを、その距離6千を正確に撃ち抜ける腕前で狙えばいい。それが定石だ。戦闘艦にある大規模結界装甲を突き破れる威力があるなら尚更だと言える。
何故、それをして来なかったのか?
「別の目的、か…?」
「え? 何ですか?」
漏れた疑問の声を聞かれた様だ。
クラウンは一言『何でもない』と告げると、再び眼下を見渡した。
感覚を鋭敏化し、目を凝らして森の合間に視線を走らせる。
しかし、そんな事で見つかる訳が無い。この国境付近の樹海にある森の中からヒトを探すと言うのは、それこそ砂場に落ちた針を探す様な物だ。元よりクラウンは、目だけで艦を撃って来た犯人を探せるだなどと思ってはいない。
あくまでこれはフェイクだ。
しかも、敵に対する物ではなく、味方に対するフェイクである。探そうとしている姿勢を見せる事で、船から脱出を行おうとしている一団に安心感を与える為に行っているにすぎない。
『この距離で見つかるのなら奇跡じゃな』
『違いない』
ふぅ、と息を吐き出し、クラウンは一層視線を強めた。
クラウンがするのは索敵ではない。
見つかる可能性が無きに等しいなら、見つける必要など無い。
クラウンがすべき事は只一つ。
―――威嚇。
何処に居るか分からない敵が撃って来ようとしているのであれば、撃たせなければいい。
敵の攻撃を叩き落すのは最後の手段である。撃って来ないに越したことは無い。
だからこそ、クラウンは威嚇――殺意を眼下に向けて放っている。
撃てば殺す、と。
貴様の位置はバレるのだ、と。
相手の生存本能に訴えかける様に強い殺意を振りまき続ける。
二分後、クラウンは合図を送り、全員を脱出させる事を決めた。
だが、最後の一人が地上へと降り立つまで、狙撃者は撃っては来なかった。
* * *
「誰かと思えば…」
森林地帯の中、上空を見上げる影が一つ。
その手には、弓の形をした術式端末。そして背には狙撃銃がある。
「黒髪に、静かな殺意…あの時はまだ子供だったが、間違い無い…」
男は唇の端を歪めると、視線を落とした。
「今狙っても無駄だな…」
その言葉に不快さは無い。
しかし、
「まぁいい、まだ先は長い。チャンスは、ある」
その瞳には、確かにギラついた欲望の光が篭っていた。
影は薄く笑い、木々が落とす影の中へと消える。
脅威は密かに、背後へ忍び寄ろうとしていた。
#1-end
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