「…さて、獲物が動いたな…」
『どーすんのさ、フェイ。早速仕掛ける?』
「いや、今日はプレッシャーを与えて終わりだ。明日の朝一で仕掛ける」
『ふーん? やけに慎重だね。両軍が向かってきてるってのに』
「知った顔が居たからな。慎重にもなる」
『誰か居た? 僕が知ってる奴?』
「あぁ。昔、“青色”と一緒に俺を殺しに来た奴だ」
『ゲッ…もしかして【 殺刃(キリング・エッジ) 】? ついに正式にギルドから抹殺命令でも出たのかな…?』
「見たところ偶然だろう。いや、或いは――」
『??』




「――これも運命と言う奴か」





























The duet with the lunar
の精と二重奏(デュエット)を――


Knights of princess
―おひめさまのきし―
#3 夜の静寂の中で




















 精鋭少数をつけて行動を開始したとして、それなりに問題はある。
 人自体が少ないのだから、小回りがきくと言うメリットも勿論あるが、それでも最低限把握しておかなければならない事もあった。
 クラウンはそれを確認する為、小休憩の際、騎士団長に小声で話し掛けていた。

「人物評か…」
「あぁ、出来れば最低限それは知っておきたくてな。姫様付きの侍女と、衛生兵の二人に関して教えてくれ」
「そうだな」

 この少数精鋭の中に、居るかは不明だが“敵”の仲間が紛れ込んでいた場合、内側から崩される事もありえる。また、“敵”の仲間が紛れ込んでいなかったとしても、仲間のある程度の情報は必要だ。それは戦闘面と言うよりは精神面の方を。

「殿下付きの侍女だが、彼女は精神面肉体面でも特に問題は無いだろう。殿下付きになってからは2年あるが、特に素行に問題があったと言う報告も無く、殿下からの信頼も厚い。今でこそ侍女だが、元々はルルカラルス軍で術式端末を振っていた軍人だ。今回の行動には問題が無いだろう」
「なんつーか、俺が知り合うメイドってのは、大体戦闘能力あるのが地味に嫌だな」
『そうじゃな。まぁ、あの侍女も、我が家のルルも、普段は淑やかじゃ。問題あるまい?』
「怒った時怖そうなのは共通だな」
『帰ったら報告じゃな』
「ちょっと勘弁してヤヨイ様!? 重力波で地面に縫い付けられて魔導銃で撃たれるとかトラウマもんですよ!?」
『そんなサドっ気のある感じ…あの娘は何処と無く似合わぬか? 妾は似合うと思う』
「純真なままのルルでいさせてあげて!?」
「…続けても良いか?」
「宜しく」
『うむ、頼む』

 独特の空気だな、と騎士団長がコメカミを抑えながら溜息と共に吐き出す。

「次は衛生兵――まぁ、医官だな、彼は。ルルカラルスの軍事基地内の勤めが殆どだが、遠征や演習があった時も彼は何度か同行している。960年のラクア崩壊の事は?」
「あぁ、大体の内容は知ってる」
「そのラクア崩壊で荒廃した土地の治安維持として遠征した際も彼は居た。確かその時の功績で階級も上がっていた気がするな」
「…そこまでの話を纏めると、経験もあるので特に危険性は無いと判断出来る、か?」
「その通りだ」

 成る程、と一端納得しながらクラウンは顎を撫でる。
 侍女に関しては、お姫様付きで2年と言う期間を考えると裏切る可能性は少ない。人、生きて他人と接しているとある程度“情”と言う物が移ってしまう。二人の仲を見る限りでも、お姫様が侍女に接する態度は姉妹のそれに近い。侍女も嫌な顔一つせずお姫様の世話を焼いている。であれば、こちらはそこまで心配する必要は無いだろう。そこには個人的な絆が見えるからだ。
 また、医官の彼に関してもそうだ。ラクア崩壊と言う大陸に穴を穿つ程の“大災害”について行ったと言う事は、その時点で既に数年の勤続期間と、腕に信用があったと言う事だ。それほど長期の間、軍属の医務官として働いているなら信用もあるだろう。

――まぁ、どちらにしても裏取引やら個人的な事情が絡んでいれば、そんな物は吹いて消える蝋燭の火の様な物だろうが。

 そこでチラリとクラウンは騎士団長の顔を盗み見る。
 私情があれば、落下する際にお姫様を助けていた彼の行動も、或いは演技として片付ける事が可能だ。

「…どうした? バースフェリア」
「…いや、そう言えば団長殿の名前を聞いていなかったと思ってな」
「そう言えばそうだな。ウィラルド・ファルケンスだ、バースフェリア」
「あぁ、短い間だろうが宜しく頼む、ファルケンス殿」
「ああ、互いにな」

 く、と互いに薄く笑みを浮かべ、差し出された手を握り合う。
 何はともあれ、個人の事情を深読みすればキリが無い。
 それこそ泥沼の思考だ。
 クラウンは握られた手を離すと、騎士団長――ファルケンスに持ち場に戻る事を告げて歩き出す。歩き出す、とは言えそこまで離れる訳ではない。直ぐそこ、お姫様達が居る木の裏側だ。

『面倒だな。正面きって特攻かけられた方が幾分気持ちが楽だ』
『叩き潰せば良いだけじゃかならな。余計な事を考えんで済む』
『だな。しかしそれにしてもだ…』
『なんじゃ?』
『ずっと考えている事なんだが、王族の乗ってる船落とすとか…笑えんぞ?』

 木に寄りかかり、目線を森の中へと向けながらクラウンは思念通話を続ける。

『あれだけ人が乗っていれば、通常船舶だろうが極刑もんだ。それが王族の乗る船で、現状世界に三隻しかないとか言われている内の一隻。掴れば即刻死刑どころか、関係者全て絞殺刑。しかもそれが他国なら戦争になりかねん』
『王族、と言う存在を狙うのじゃからな、それは当然じゃろう。そう考えると、相手側は単独犯とは考え辛いな。最低でも協力者、もしくはそれなりの“背景”があると考えておいた方が利口じゃの』
『あー…泣ける。そんな大それた相手は、目的が自称“世界平和”の神薙とかに相手して欲しいわ』

 首を突っ込んだ藪の中が実は魔獣の口の中でしたと言う位に笑えない。
 一発で解決するならまだしも、これは後々まで係わり合いになりそうな雰囲気がある。
 クラウンは眉間に皺を寄せ、目元を揉んだ。

『ま、正式なランクを告げた挙句、ここまで来てしまったんじゃ。腹を括るしかあるまい?』
『括るのが首じゃ無い事を切に願うよ、俺は』
『安心せい、一蓮托生じゃ。お主が死ぬ時は、きっと妾も死ぬよ』
『………』
『む、なんじゃ?』
『はぁ…いや、何でも無い』

 きっと妾も死ぬよ。その次に来る言葉は多分『じゃから寂しくない』だろう。
 それは、クラウンに死を考える事を否定させるには、余りにも効果的な言葉だった。
 そこにヤヨイの意図があろうと無かろうと関係無い。クラウンにはそれだけで十分だ。勝手に死なず、納得できる様な死を迎えると言うヤヨイとの約束を思い出させるには。

『元より死ぬつもりは無いが、ね…』
『?、その通りじゃな』

 恐らく術式端末の中で首を傾げているヤヨイに苦笑すると、クラウンは木に背を預けるのを止めた。
 何はともあれ、王女を連れて生きて送り届けなければ先は無い。
 こうなってしまった以上、王女が死ねば自動的に責任は被せ易い存在に向かう筈だ。
 つまりそれは、判断を下したウィラルド・ファルケンス騎士団長か、でしゃばったクラウン・バースフェリアと言うギルドメンバーに向かう訳だ。最悪を想定すると、二人のうち一人が処刑、または二人が処刑で国内側は納まる事だろう。

『しくじれば吹き荒れる粛清の嵐…おお怖い』
『まぁ、やるしか無かろうよ。何も相手が神薙レベルと言っている訳ではないしのぅ』
『だったら泣くね! あぁ、大泣きしてやるよ俺は!!』
『威張って言う事では無いよ、クラウン。それで一つ妾からも良いか?』
『うん? 何だ?』

 ヤヨイが訊きたい事、と言う物が分からずクラウンは聞き返す。
 それにヤヨイは一つ頷いた様な気配が返って来た。

『船が墜ちる時、お主が言っていたじゃろう? あの光条を見た事があると』
『あぁ…その事か』
『それで、どうじゃ? 思い出せたか?』
『んー…まぁ、確信はまだ得られないから特に口に出してなかったが…聞くか?』
『うむ。聞かせてくれ』

 そうか、とクラウンは一言間を置き、

『腐れエルフ』

 簡潔に、それだけを言い放った。
 ヤヨイは術式端末の中で、その余りにも簡潔な暴言に眉を顰めた。

『…フェイ・デイレイトか? お主がエルフの中でそこまで嫌うのはあ奴しか思い出せぬが…』
『狙撃、しかも超遠距離であそこまで正確に物を撃ち抜けるとなると、特性も相まってあの腐れしか心当たりが無い。過去戦った時は、都市部で約3km離れた位置から“青色”をぶち抜こうとして来てた。それを考えると上空約6千メートル狙えてもおかしくは無いと思うんだが』
『…威力と風圧に関しては魔者の力で風圧軽減に物理干渉術式を使えばいけるか。6kmと言う距離を考えると、極級術式でも使ってきたかの…?』
『恐らくな。戦艦用の大規模結界をぶち抜いたんだ。十分ありえる』
『そこまで考えると、世界的な戦闘技能保有者でもあ奴が一番“敵”と言う枠組みにははまり易いのが現状じゃな。今の色彩円卓には、あそこまで徹底して遠距離戦を極めた存在は居らぬ』
『…しかし、まぁ…何も戦艦をぶち抜いたアレが、個人の技能である必要は無いからな。何とも言えないよ、俺は』

 そう、確信が無いのはソレだ。
 確かに個人的な術式でもやろうと思えば出来るが、それは一人に頼りすぎている構図になる。そうなると、その一人がそこを外れる様な事があった場合、計画そのものが止まる事になってしまう。それを考えると、多人数で戦場用の術式を用意して発動した方が計画が途中で止まる事が無く実行出来る。
 しかし、それだと人数を割く分、どこからか計画が漏れる可能性が膨れ上がる事になる。
 これは戦艦を落とすと言う計画の実行性を取るか、それとも守秘性を取るかと言う事に繋がるので、一概にどちらが良いかとは言えない。とどのつまり、そのどちらかをクラウンでは判断出来ない以上、相手の正体に確信が持てないのである。
 だが、それでもクラウンは何となくではあるが、フェイ・デイレイトが敵であると頭の隅で既に決めている部分が確かに存在した。
 術式の範囲、及び威力で単独か複数かを判断するのは難しい。しかし、正確無比に機関を穿った精緻な技術は、複数で使用する戦場用の術式では再現し得ない。戦場用の術式なら、もっと大雑把な結果だっただろう。
 それを考えれば、“敵”はフェイ・デイレイトである可能性が一番高かった。

『あくまで、“ありえる可能性”としておくのが妥当じゃな』
『そー言う事。あくまで可能性として心に留めて置いてくれ』





* * *






 再び歩き出し、1時間もしない内に闇の帳は落ち始めた。
 今日はここまでだな、と言う判断をファルケンスが下すと、先ず王女が腰を下ろした。
 やはり疲れているのだろう。
 幾ら彼女が気丈に振舞おうと、身体はそうはいかない。
 いや、何時狙撃されるか分からない状況で、ここまで頑張れる事自体が稀か。
 王女を除けばクラウンはギルドの高位ランク保持者で実戦経験者。侍女であろうと元は軍属。医官であったとしても、戦場に出る事も何度かある程の存在だ。こう言った“空気”には慣れているだろうし、身体も行軍中直ぐにへばる様な鍛え方はしていまい。
 それを考えれば、王女はよくここまで歩けた方だった。

「バースフェリア、私とシュテム殿――医官殿は薪を拾ってくる。その間は頼んだぞ?」
「分かった。こっちは任せてくれ。ついでに場所も整えておく」
「すまない、助かる。では行って来る」
「あぁ」

 短く言葉を返すと、ファルケンスは背を向けて森の中へと入っていった。季節的には秋、森の中にも特に強い湿り気は感じられない。これなら直ぐに薪を拾い集めてくるだろう。
 クラウンはやるか、と一度周囲を見渡すと手頃な石を集め始めると同時、薪を置く場所を作る。狙われている身だ、そこまで大きく作る必要は無い。大きく作り過ぎて、狙いやすい的にされても困る。
 あまり手の込んだ事をやりすぎても駄目だな。
 ふぅ、と息を吐くと、そこでクラウンは王女がこちらを見ていた事に気付いた。

「?、どうかしましたか? 王女様」
「あ、いえ…バースフェリア殿は何でも出来るんだな、と…」
「んー、それは私が基本ギルドの任務は単独行動だからですかね。ほら、こう言った場所で何日間も過ごす事も仕事内容によってはありますし。まぁ…斡旋室長が自分にもうちょっと優しいとそんな事も無いのかもしれないですけど」
『色々あったのぅ? 露出した魔剣を担いで、魔獣の群れを走り抜けさせられた事もあったか』
「あいつはもう少し俺に対して優しくするべきだと思う」
「ふふふ…今聞こえた声の方がバースフェリア殿の?」
「えぇ、そうです。ヤヨイ?」
『ふむ、良いのか?』

 騎士として手札を晒しても良いのか、と言う事を訊いているのではない。彼女は、狙撃される可能性の事を言っているのだろう。
 クラウンは一瞬の間考えたが、

『まぁ、大丈夫だろ。奥の手もある』

 そう判断を下した。
 それは楽観視ではない。
 ヤヨイもその理由は既に理解している。
 奥の手。そう、奥の手だ。
 瘴魔を無理矢理食わされた結果手に入れた、忌まわしき、頼りになる異能。その力だ。

『そうか。では、出させて貰うとするか。失礼するぞ、王女』
「あ、はい」
「ヤヨイの態度は流石のデカさだな…」

 王族を前にしてこれは、流石としか言い様が無い。
 しかし、普段からの性格がこれなのだから、もうどうしようもないかもしれない。
 ヤヨイは禁術を扱える権限を持ち合わせてはいないが、それでも普段放つ気配はヤヨイが高位の存在であると窺わせる。そんな彼女が、相手が王女だからと言って腰を低くする光景が一切思い浮かべる事が出来ず、クラウンは苦笑した。
 術式端末から漏れ出た光は人型を作り、輪郭を成す。
 現れたのは何時も通りのヤヨイ。朱ではなく黒で染められた巫女装束に、純白の千早を纏う存在が、そっとその双眸を開け、紅蓮の色を湛えた瞳で世界を見た。

「…改めて、始めまして、じゃな。王女よ」
「あ、は、はい。えっと、」
「ヤヨイ・カーディナルじゃ。こっちのクラウン・バースフェリアの相棒を務めておる」
「ご親切にありがとうございます、えっと、ヤヨイ様」
「くくっ…王女に様付けで呼ばれるとはな…長く生きてみる物じゃ。そうは思わんか、クラウン」
「俺はお前の態度のでかさはもう治らない物と諦める事にする…」

 これがスゥなら、ガチガチに緊張して面白い反応を示してくれるのだろうが。
 胸中でクラウンは締め括ると、王女へと目を向ける。
 こちらは流石か、ヤヨイの態度の大きさに一瞬我を忘れかけていた物の、すぐに取り直している。王族や貴族達の社交場に出ていたりするお陰だろうか?

「ヤヨイ様はバースフェリア殿とは長く?」
「うむ。契約してから大体5年程になる」

 しかし、家族や他国の王族とは全く違う存在――自分よりも上、の様な存在と触れ合う事が稀なのか、王女は若干興奮している様に見えた。
 クラウンは小さく頷くと、ヤヨイに目配せをする。この場を任せる、と言う物だ。
 ヤヨイもそれは既に把握しているのか、小さく頷くと、外していた視線を王女へと再び向ける。

「…まぁ、知り合ってから、じゃと10年以上になるんじゃがな?」
「知り合ってから、ですか…?」
「その通り。妾は堕界しておってな。数百年程一人でブルースフィアを回っておった」
「そうなんですか…それは凄いですね。あ、その旅の途中でバースフェリア殿に?」
「その通りじゃ。子供の頃のクラウンにな、まぁ、あの頃はヤヨイ姉ちゃんヤヨイ姉ちゃんと可愛かった物じゃよ」
「おい、そこの…俺の羞恥心が絶賛警報を鳴らしているんですが?」
「うっさいのぅ。これからが本番だと言うのに」
「えっ」

 何言ってんのこいつ、と目を向けるがヤヨイの口は止まらない。

「いや、妾もずっとルルカラルスに留まるつもりは無かったんじゃがなぁ、クラウンが『ヤヨイ姉ちゃんの事好きだから』とか言う物だから、ついな」
「まぁっ…」
「グヘェッ!? 何赤裸々な過去を暴露してんの!? そう言うのは胸に秘めとく物だろうヤヨイ!」
「最近はもうヤヨイ姉ちゃんと呼んでくれなくてな…」
「し、死ぬわ!! 羞恥心が溢れすぎて死ぬ!!」
「何やってるんだ、お前ら…」
「ぬぉおおおっ、騎士団長! 助けてくれ!! 俺が羞恥死する!!」
「新しい死に方だな。時代を先取りしすぎて俺には理解出来ん。それよりも薪を集めてきたから早速暖を取るとしよう」
「くっ…あっさりと俺の死がスルーされた…!!」

 何て事だ、とクラウンが嘆いている間も準備は進む。
 途中『そこに立っていられると邪魔だバースフェリア』『すみません…』と言うやり取りを経て、ようやく薪は燃え上がる。控えめに燃え出した炎は、夜の闇に包まれ出した世界を橙に照らし始めた。
 食事は質素な物だ。当たり前か。そもそもこの場に携帯食糧とは言え、多少でもあるだけ僥倖と言える。元々が空を数時間飛べば終わる旅の筈だったのだ。それでも騎士達が通常の行軍装備を行っていたからこそ、多少とは言え携帯食糧があるのだ。
 クラウンは燃え上がる火を眺めながら、味気ない携帯食糧を齧る。
 襲撃は未だ無い。
 仕掛けてくるなら深夜、寝静まった頃か――或いは早朝だろう。
 しかし、火を消してしまった中で一発目を外せば、それ以降追撃が出来なくなる。より確実な殺害を試みるのならば、早朝、明るくなってからの方が成功率は高まるだろう。
 だが、それも所詮は可能性の話だ。深夜に狙ってこないと言う保証は無い。
 結局は寝ずの番だな。
 やれやれ、とクラウンは首を竦めると、そっと視線をヤヨイと王女へ向ける。
 そこには初めて食べるだろう携帯食糧に眉を顰める王女と、薄く苦笑しているヤヨイの姿があった。

 …やはりヤヨイに任せて正解だったな。

 クラウンは胸中で小さく呟くと、視線を外す。ヤヨイはああ言った事が上手い。無感情そうに見えているが、その実孤児院やら商店街で人気が高いのは、そう言った面倒見の良さから来る姿があるからだろう。
 ああ言った馬鹿な会話をしたのも、王女の精神を少しでも癒す為だ。まぁ、話の内容に関しては全てクラウンの予想を超えた羞恥心を煽る物であったが。

 しかし、何も気を逸らす為とは言え、俺の子供時代を暴露せんでも…。

 くっ、と流れても居ない涙を拭う仕草をしながら、クラウンは残っていた携帯食糧を口の中に放り込む。咀嚼し、嚥下したところで天を仰ぐ。
 火から昇る煙は、控えめとは言え立ち上っている。
 それは夜空へと薄っすらとだが軌跡を残していた。

 ここまでやって迎えが来ない、と言う事は想定通り森林地帯を行軍中か。

 堅実だな。結論してクラウンは視線を下げる。
 多少ではあったが、クラウンは無謀にも空から助けに来てくれる存在が居るのではないかと考えていた。一国の王女殿下である。その可能性は否定出来ない。だが、それは訪れる事が無かった。
 粉末を溶かしただけのスープを啜りながら考える。
 せめて救出を行おうとしている軍隊か、或いは狙撃主が“無謀な行動”をしてくれていれば、それを切欠に一気に事態は動いただろう。例えば軍隊が空から救出に向かおうとやってくれば、狙撃主は空からの訪問者を撃たなければならない。誰を狙うにしても、ここで乱入者が居るのは都合が悪い。であるならば、再び何処からか光条は発射され、空に軌跡を残す。

 だったら後は俺が軌跡を辿って敵を殺しに出向けばいい。

 だが、そうはならなかった。
 軍が動いてくれれば、死傷者も出ただろうが早期解決もありえた。しかし、未だ死傷者は船が撃ち抜かれた時に数名出ただけで、他の人的被害は特に無い。そして狙撃者もそれ以降、行動を起こしていない。

「…不謹慎か…人が死ねば動けるかもしれないと言うのは」

 頭を掻き、思考を打ち切る。
 何はともあれ、過去の話である。今こうしてどうこう考えたところで、現状が変わる訳でもない。
 息を吐き出して残ったスープをいい加減飲もうとしたところで、自分の所に人が近付いてくる。目線を上げれば騎士団長の姿があった。

「…ファルケンス殿か。何だ?」
「いや、少し話が聞きたくてな」

 隣に座っても?
 質問に『構わない』と返したところで、騎士団長はゆっくりと腰を下ろして息を吐き出した。

「…疲れてるか?」
「まぁな…ここまで姿を見る事が叶わない狙撃者とは出遭った事が無い。体力は持つが、心の方は流石にそうはいかん」
「そりゃそうだ」
「バースフェリアはそこまで疲れている様には見えんが?」
「狙撃や暗殺に慣れてる訳じゃ無いさ。ただ、戦闘経験が多いだけだ」

 それは、言外に命を奪うか奪われるかの場面に何度も遭遇してきたと言う事だ。
 精神を磨耗するような状況に、もう心も身体も慣れてしまっている。
 しかし、幾ら慣れているとは言え他人よりも心が磨耗する速度が遅いと言うだけである。
 まぁ、その“遅い”と言うのがクラウンの場合、極端に長いのだが。
 クラウンの言葉に騎士団長は神妙に頷くと、視線を王女へと向ける。

「私は、別に良いのだ…心が壊れようともな」
「………」

 言葉には、思いがあった。

「あの方が幼少の頃より見守ってきた。それが旅立たれようとしている」
「…自分の子供を見送る様な心境か」
「私の子供などと…恐れ多い。私の子供なんぞ、高等学校に入って一層生意気盛りだ」

 全く、誰に似たのだか…。
 ファルケンスはそう小さく零す。
 そんな姿にクラウンは小さく噴き出す。

「…何だ」
「訂正だ。孫を見る心境っぽいな」
「…その様に見えるか?」
「あぁ、近所の爺様婆様方みたいな顔してるぞ?」
「………フン」
「ククッ…それで? 何か俺に訊きたい事があったんじゃないのか?」
「話を逸らしたのは誰だ、全く…」

 ファルケンスが溜息を吐き出した。
 クラウンは残っていたスープを飲み干すと、金属製のコップを足元へと置く。そして、話を進めようと言う視線をファルケンスへと投げかける。
 彼は小さく頷くと一拍を置き、口を開いた。

「…夜の間、襲撃してくるかを、な…」

 成る程、とクラウンが頷く。
 それは一番気になる事だろう。

「俺の私見で良いなら」
「頼む」
「そうか。まぁ、俺の予想だと夜中は無いな。仕留め損なえば姿を見失う。それと、」
「…? 何かあるのか?」
「ヤヨイとは話したんだがな…敵に心当たりがある」
「!!、本当か!?」
「ああ…と言っても、最初の光条や、あそこまで精確な狙撃技術から考えられる相手を絞り出したに過ぎんが…」

 それでも構わないか?
 クラウンの質問に、ファルケンスは視線を細めて頷く。

「恐らく敵は、フェイ・デイレイトだ」
「…成る、程…あれ程の狙撃…出来るのはフェイ・デイレイト位の物か…」

 表情険しく、ファルケンスが頷く。
 だが、

「…しかし、そうなると殿下を狙ったのはアサシンギルドからの…?」
「どうだろうな…アサシンギルドから斡旋させれたとして、今まで各国の王族をこんな派手な手段で襲ったなんて話は聞いた事が無い。普通は自然死に見せかけた毒殺を装うだろう。これじゃ余りにもパフォーマンス性が高すぎる。そこまでする必要が見当たらない」
「…確かに、な…明確にアサシンギルドが動き王族を抹殺したとなれば、国を挙げて討伐に乗り出すだろう。そうなってはアサシンギルドにとって都合が悪い。とすれば、」
「恐らくはアサシンギルドとは別のところが関与している、と言うのが濃厚だろう。単独か、それとも個人から直接話を持ちかけられたか…」
「…分からんな…まぁ、犯人自体が未だ“恐らく”と頭についている存在だ。深読みし過ぎても心労が溜まるだけだろう」

 そうだな、と同意の言葉をクラウンは吐き出すが、心中では今話した事を考えていた。
 十中八九、狙撃者はフェイ・デイレイト。
 だったら、アサシンギルドとの繋がりが切れたと言う話をギルドの情報網で聞かない以上、所属は変わっていないと考える事が出来る。ギルドの情報網は広大だ。世界各国にその支社があるのだから、それも当然と言えた。例え遅くとも、上位の賞金首がアサシンギルドから外れたとなれば2、3日中にはギルド内部に知らされる。
 面が割れた今でも、その高い狙撃戦闘能力はアサシンギルドでも高位の物であるが故に、フェイ・デイレイトが関わる事件が減ったとは言え、確実な結果が欲しい場面では使われる事が多い。
 だが、それ以上にアサシンギルドは有名になったフェイ・デイレイトの扱いには慎重である。
 彼が起こす事件は、その正体がばれた時から一つの方向性に絞られているのだ。その方向性とは、“難攻不落の殺害対象”を落とす様な事件である。例えば、何人もの警備に24時間護られている様なターゲットを殺す時がそうだ。しかし、それも表に出ないような、アンダーグラウンドでの利権争いで発生する様な物にのみ彼は使われていた。
 筈だったのだが――

 となるとやはり外部からの直接の依頼。パフォーマンス性を求める様な? 一体何処の誰が…?

 そこまで考えたところで、ファルケンスの『それで、』と言う言葉に意識を引き戻される。
 クラウンは小さく頭を振りながら相槌を打つと、浮かんできた考えを一度心の奥に仕舞いこんだ。

「ヤヨイ殿に関してだが」
「ん、あぁ、ヤヨイ? 何だ?」
「いや、凄い御仁だと思ってな。殿下はヤヨイ殿にとっては下位世界の住人であるとは言え、王女だ。私も今まで殿下と謁見した魔者を見てきたが、あそこまで堂々と接する方は終ぞ見た事が無い」
「あぁ…まぁ、アレは…公式の場なら頭の一つでも下げるんだけど…」

 つまり公式の場以外でヤヨイが頭を下げた場面なんて見た事が無い。
 過去、その大きな態度と美貌のお陰で、とあるパーティ会場にてどこぞの王族と勘違いされた事がある程だ。有名貴族から声を掛けられたヤヨイが、ふざけ半分でクラウンの事を『ご主人様』と呼び、しなだれかかる。会場の空気は凍り、ついでにクラウンも凍りついた。恐ろしい記憶である。

「アレはもう無理だ。もう本当にどこぞのお姫様だと思った方が相手をし易いぞ?」
「…そう言う風に見てるのか?」
「あー…俺は…」

 そこまで言って、クラウンは言葉を止めた。
 一度だけ、王女の隣に座っているヤヨイを見る。

「…アイツもさっき言っていたが、姉として慕っていた時期があるからな…逆にそうは見えないんだよ。家族であり、大事な相棒だ」
「…ふむ」
「…何だ?」
「いや、答えを聞いて、色々あったのだろうなと思ってな」
「ま、否定はしないよ。それで話を変えるが、一つお願いしても構わないか?」
「お願い? 何だ?」

 ファルケンスが首を傾げるのを見て、クラウンは口を開いた。





* * *






「ん、携帯食料は食べられるか?」
「はい、大丈夫です…ちょっと味が薄くてパサパサしますけど…」
「所詮は緊急時を想定した栄養食じゃからなぁ…」
「姫様、こちらがスープになります。ヤヨイ殿も」
「えぇ、ありがとう、エシル」
「悪いの」
「いえ、構いません。さぁ、スープがあれば携帯食料も少しはマシになります。食べてしまいましょう」

 エシル、と呼ばれた侍女姿の女性にスープを手渡され、携帯食料を食べ始める。
 ヤヨイはこう言った緊急時、本来であれば食事をとる事はしない。何時でも敵の攻撃に対応する為、クラウンの持つ刃の中に居るからだ。加えて言えば、人と人体の基本構成が違う為、そこまで切羽詰って栄養を補給する必要が無いのである。
 しかし、今はこうして座って食事をとっていた。
 王女の計らいだ。
 初めはヤヨイも他の精霊――ファルケンスやエシルの契約精霊と同じように、食事は控えようとしていた。しかし、折角だからと言う一言でなし崩し的に食事をとる事になっていたのだった。
 ヤヨイは未だ食べずらそうにしている王女を見遣り、苦笑する。

「まぁ、お主は嫁入りした後にでも美味い物をたくさん食べればよいよ。この状況も直に終わる」
「そう、でしょうか…」
「ふむ? 何か気になる事でも?」
「いえ、ただ…」
「申してみよ。あぁ、じゃが国家機密とかは流石に駄目じゃ。クラウンがまた顔を真っ青にしてしまう」
「ふふっ…本当に、仲がよろしいんですね?」

 薄く苦笑する王女の表情に、何処か影があるのをヤヨイは見た。
 それで何を悩んでいるか検討がつく。
 いや、狙撃以外の問題と言えば考えられるのは“それ”位しか考えられない。

「…ふむ、結婚関係、と言った処かの? 悩みは」

 ヤヨイが一口、携帯食料を齧りながら“それ”を口に出した。
 王女がはっとして目を見開いた。正解だ。

「…本当に凄いですね、ヤヨイ様は…」
「何、伊達に長く生きてはおらん…と言える事でも無いな。お主、分り易いぞ? 宮内でも権謀の類は苦手じゃったろう」
「う…分かりますか?」
「まぁのう。ほれ、話せる範囲で構わぬ、話してみよ。もしかすれば悩みに対する解決策が妾の裡にあるかもしれんぞ?」
「………」

 ヤヨイの言葉にしばしの逡巡。
 だが、意を決したのか王女はゆっくりと口を開いた。

「…私は、王女です」
「………」

 何を当たり前の事を、と口を挟むような真似はしない。
 ヤヨイは黙って頷き、視線で続けろと促す。

「…しかし、ヤヨイ様にも先程言われましたが、私に権謀の才能はありません。例え、結婚したとしても、そこでどうやってお役に立てばいいのか…私には分かりません…」
「ふむ…」

 それが悩みか、と小さく呟きヤヨイは頷く。
 それと同時に薄く苦笑する。
 お役に立てるか、と来たかと。

「王女…いや、スティーリア・ジェシス・オリジン・ルルカラルス第二王女殿下」
「は、はい?」
「お相手の王子は嫌いか?」
「―――」

 ヤヨイの言葉に、王女は目をぱちくりとさせた。
 予想外の言葉だったのだろう。フルネームを呼ばれた後に、権謀に関する助言ではなく、只々結婚する相手のことが好きかどうかを質問される等と。
 ヤヨイは珍しく明確な笑みの形を作り『どうじゃ?』と聞き直す。

「………」

 王女は唯、黙って首を振った。
 横に、である。

「パーティや、色々な席でお会いしました。父上がお決めになった婚約ではあります。ですけど、私は、私は…」
「………」

 逡巡。
 咄嗟に用意された答えを口から出そうとしたのだろう。
 だが、開きかけた口は閉じてしまった。自分が隠そうとしている事が、目の前の高貴な存在には完全に見透かされていると感じてしまったからだろうか。
 例え、答えを隠し用意された言葉を吐き出したとしても、目の前の真紅の瞳で自分を射抜く高貴な存在は何も言わないだろう。だが、隠してしまったのなら、きっと答えは得られない。得られたとしても、それは“偽り”に対する答えだ。
 王女にとって欲しいのは、自分の悩みである“真実”に対する答えだった。
 だから、閉じられた唇は、一瞬の震えの後にゆっくりと開かれた。
 己の真実と共に。

「…好きかは…分かりません」

 政治的には致命的な言葉だ。
 しかし、この場所にそれを損とも得ともする者は誰も居ない。
 だから只、王女はゆっくりと言葉を続ける。

「…でも、何度か話して、良いヒトなのは分かりました。だから私は、好きになれるんじゃないかって、愛していけるんじゃないかって、そう思います」

 そうか、とヤヨイは目を瞑り頷く。
 今の言葉は重い。
 彼女の本心が語られた言葉だ。重くない筈が無い。
 だから、それに応える為にヤヨイもゆっくりとだが口を開いた。

「昔の話じゃが、倭国に居た事があっての。妾はとある剣士の元で剣術を修めた事があった。まぁ、いらん部分は省くが、その剣士と奥方は見合いで結婚しておってな。まぁ、つまる処、お主のような境遇じゃった」

 政治的な部分が無いだけ、スケールが小さいがのう。
 ヤヨイは苦笑しながら、過去を懐かしむように続ける。

「まぁ、その頃は妾も堕界してそれ程経ってなかった頃だったからのぅ、見合いで結婚したと言う事に興味を覚えて奥方に質問した事があった。どうしてか、とな」
「どうして、だったんですか?」

「『愛なら後から育めるわ』」

「え…?」
「奥方は、そう言っておったよ」

 ヤヨイが思い起こす過去。
 剣を振る自分と、師であった男を見守る様に薄く笑う姿が一つある。
 セピアの色ですら語れず、モノクロに霞んだ様な過去の情景の中にあって、今王女に送った言葉だけは良く思い出せた。

 彼や彼女達と過ごし、その息子が生まれたのを見て旅立った。
 孫娘が第二次大陸中央対戦で子爵級瘴魔と相打ったと聞いたのは、再び倭国を訪れた時だった。
 涙も流れない。色褪せた思い出。
 長い、永い、時の流れの中にあって、未だ忘れず掬い上げる事が出来る思い出。

「妾が思うに、お主は権謀の類はむしろ心配しておらんと見る」
「あ…」
「口説き文句の中にあったか、それとも心配する要因が無いのか――…妾は知らんがな」

 恐らくは後者であろう予想をヤヨイは飲み込む。
 ヤヨイが知る限りの第二王子像は、王位継承権は欲しがらず、国内外の貿易関連にて才能を奮う若者。様々な商会からの信頼も厚い、そんな存在だ。ギルドや世間から入ってくる情報から“想像出来る答え”で間違いは無いだろう。

「お主の心配は、むしろこの先、相手と仲良くやっていけるかと言うありふれた物じゃ心配せんでも良かろう」
「でも…」

 自信無く俯く王女に、ヤヨイは一つため息を吐く。
 自分で言った言葉を自覚していないのか、と。

「先程、お主、お役に立てるかとか言っておったの? まるで恋人に見放されるんじゃないかと考えて怯える少女のようじゃな? ふふっ、実は惚れておるんじゃないか?」
「んなっ…」
「…ほれ、こっちに来るといい」

 言うが早いが、ヤヨイは王女の頭を抱きしめた。
 優しく、暖かく、自分の娘を愛惜しむように。
 侍女エシルが息を呑むが、ヤヨイは王女に見えない位置で『静かに』と言うジェスチャーを送る。

「ちょ、ちょっと、ヤヨイ様っ…!?」

 もがもが、と王女が胸元で動くがヤヨイは離さない。
 決して強い抱擁ではなかった。むしろ優しさがそこにはある。だからこそか、王女は体勢を整えるだけで離れようとしなかったのは。

「心配じゃろうな。国と国、王女と王子の結婚じゃ。第二王女と第二王子であろうと、王族が結婚するのじゃから生まれるだろう“しがらみ”に躊躇の一つも覚える。その点で言えば、お主は立派じゃよ。出立の時から妾はお主を見ているが、ルルカラルスの王女であらんとよく頑張った」

 一般人の範疇では考えられない重責が、そこには発生する。
 物語にあるような王女と王子の結婚があったとしても、二人には“責任”がある。国の頂点達が居る場所で、国を導くと言う責任が。どんなに幸せであろうとも、それは無視されてはならない。
 そんな“しがらみ”を背負って結婚する者の心境が、果たして穏やかなのかどうか。
 だが、どれだけの重責を背負おうとも、王女たらんとする彼女は目に見える様な弱さは決して晒さなかった。

 だからヤヨイは薄く笑いながら、王女を抱きしめる。
 だからヤヨイはよく頑張ったと、スティーリア・ジェシス・オリジン・ルルカラルスと言う娘の頭を撫でるのだ。

 今この場所でそれが出来るのは、ヤヨイ以外に居ないのだから。
 王女よりも“精神的立場が上”のヤヨイしか。

「………はい」

 小さく頷く王女に、ヤヨイが薄く笑う。

「何、お主の様な可愛い娘が、政略的な利益が有ろうと無かろうと好かれない訳が無かろう? そしてお主は少なからず相手の事を好ましく思っている。何処に未来を恐れる必要がある」
「………」
「心配は要らん。今何が起こっていると思っている。そして、誰に護られていると思っている。主の人生で今起こっている事以上に恐ろしい事象はもう無きに等しく、その恐怖でさえ妾やクラウン、主を慕うエシルやファルケンスが斬って捨てる。何処に怖がる必要がある? 言ってみよ」
「…無い、です」

 ヤヨイの胸にうずめられた王女の顔から、先程よりも生気の篭った声が返る。
 少しは迷いが晴れたか。
 胸中で呟き、苦笑する。
 重い責任に、命を狙われると言う苦痛。
 恨み言の一つも吐かず頑張ったのは王者として生まれた者の資質故か。

 過去が脳裏をかすめる。
 自分が生まれ、そして堕界するまでの過去。
 責務から逃れ堕ちた自分に、その様な資質は果たしてあったのか?

 思考を犯す過去の情報に頭を振る。
 と、王女がうずめていた顔を少し上げ、不思議そうにヤヨイを上目遣いで見てくる。
 苦笑し、思考を切り替える。励ましていたと言うのに心配されては本末転倒だ。

「――実はある」
「えぇっ!?」
「救助された後、妾とクラウンの事を大っぴらにせずに報告するのは苦労するじゃろうな。おお怖い」
「…ふ、ふふっ…目立たれるのはお嫌ですか?」
「メンド臭くて敵わん。妾やクラウンが英雄に見えるか? そう言うのはレイン・レムニエンスみたいなのに任せておけば良いんじゃよ」

 あんな存在こそが英雄じゃろ?
 そうヤヨイは嘯く。
 王女はそんなヤヨイに笑みを零した。

「ふふっ…もう、ヤヨイ様ったら」
「ほれ、妾とクラウンを助けると思って言い訳を考えながら寝るがいい。それまでは妾が抱きしめていてやろう」
「光栄ですわ、ヤヨイ様」
「うむ」
「……ありがとう、ヤヨイ様…」
「………うむ」

 まるでその姿は雛を守る親鳥の様で。

「お休みなさい…」
「…あぁ、お休み」

 只穏やかに、戦場の空気は止まったかの様に、夜は更ける。

「やれやれ…妾も饒舌に喋り過ぎたのぅ…」



#3-end






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