もし、ある瞬間における全ての物質の状態を知ることができ、
かつそれを解析できるだけの知能があれば、
その者はこの先の世界の未来も全て計算によって知ることができるだろう。

そう、全て。

確率論的に存在する原子の動きも、マナの流動すら知れるのならば、
その者は、その眼に、未来を映す事を可能とするのだ。





























The duet with the lunar
の精と二重奏(デュエット)を――


Knights of princess
―おひめさまのきし―
#4 己が死を見つめる眼




















『君に発現しただろう力について、僕の見解を述べるならば――』

 視界の先、白衣を纏った男が口を開く。

『――君は、未来を視る事が出来るのだろうね』

 あぁ、だが預言者の様なイカサマ的に先の事象ではないよ?
 何が面白いのか、クフフフ、と耳障りな笑い声を上げながら男は言う。

『君の濁った赤い紅い瞳は、現行のどんな生命よりも多くの情報量を取り入れる事を可能としているのだろう。うん、そうでなければ、未来を視る、なんて事が出来る筈が無いのだからね。クフフッ!』

 クフフフフ! 本当に楽しいっ!
 楽しい、面白い、最高だ! そう絶叫する様に言う白衣の男は続ける。

『君の眼は、どれだけの情報を読み取っているのだろうね!? 物体のベクトルから位置エネルギー、重力や世界に吹く風の速度、調べてみないと分からないけど、生命の肉体にある熱エネルギーも視えるのかもしれないね! まさかマナの流動すら捉えられるのかな!! クフッ、クフフフフッ! まるで、そう、超越知性(ラプラス)のようだね!?』

 だけど、と一瞬前が様子が嘘の様に静かに、白衣の男は言葉を紡ぐ。
 見える未来には限界があるんだ、と。

『これがヒトの限界、脳の処理速度の限界なのだろう。いや、それだけ、眼で捉えられる範囲だけでも、頭がおかしくなる程の情報量があると言う事なのかもしれない。ヒトに許された単一の脳髄では、何処までも果て無く…物理数学的に未来を予測する事が不可能なのだろう。ヒトは、そこまで完璧には出来ていないのだから。あぁ、その通りなのだろう。人は、ラプラスに至れない…』

 男は研究者の言葉を吐いた後に、哲学者の様な言葉を吐く。
 眼鏡の奥に見える光には、狂気と哀愁、絶望が色濃く見える。
 どうすればそんな光を眼に宿す事が出来るのか、何を見ればそんな眼をする事が出来るのか分からない。分かりたくも無い。
 泥沼に落ちそうな意識の中、白衣の男が指を二本、ゆっくりと立てる。

『…君の異能は二つ。一つは“眼球”と言う観測器官を通して多量の情報量を取り入れ、高次元演算により多岐未来予測を算出し続ける力。そしてもう一つは、』




自分の死ぬ未来を完全に予知する力(・・・・・・・・・・・・・・・・)




 狂ったように笑う男。
 そこでふと気づいたように、男は何も無い方向を指差し、

『ほら、死がやってくるよ?』

 そうして夢幻は、迫り来る未来に上書きされる。

 最後に白衣の男は――“哲学者(フィロソフィア)”と名乗っていた男は、歪に笑っていた。





* * *






『迫り来る閃光と爆裂に、焼き殺されるのを幻視』

 それは反射的な動きだった。
 生きてきた間に培った、自分が死亡する未来を回避すると言うのは。
 眼を開きながら立ち上がり、咄嗟に近くに座るファルケンスの腕を掴む。
 途中で『バースフェリア!?』と声を掛けられるがクラウンは一切無視。その体勢のまま、跳躍。

「ヤヨイィィィイイイッ!!」
「!?」

 咆哮。
 叫びながら、ファルケンスを掴んだ状態のままに二度目の跳躍。
 視線の先では、クラウンの意を起き抜けに読み取り、王女を抱えて向こうの森へ飛び込もうとしているヤヨイの背がある。
 安堵。流石だと考えると同時に、残りの二人を探す。
 侍女はヤヨイの行動に反応して身を翻すところだった。もう一人、医官の方は――今、跳ね起きた所だ。このままでは、絶対に間に合わない。何が、と問うのは愚問だろう。
 判断を瞬時に下す。

「ファルケンス!!」
「なぁっ!?」

 ぶんっ、と遠心力を用いた投擲によって掴んでいたファルケンスを森の中へと投げ飛ばし、クラウンは崩れた体勢のままに跳躍。医官の傍らに着地すると、有無を言わさずクラウンは胸ぐらを掴んだ。

「何、がっ!?」
「後で――」

 喋れ。
 そう言おうとした瞬間、背後を閃光がぶち抜いて行った。
 間一髪。思う間も無く着弾。同時に、クラウンは再び跳んでいた。
 瞬間、爆風がクラウンの背を叩く。
 通り過ぎた閃光は地面に接触した瞬間、爆炎を伴って炸裂したのだ。
 最低でも中級から上級の間に位置する程の爆裂術式。反応出来なければ今ので確実に全員が死亡、若しくは重症を負って一歩も歩けなくなり、只どうする事も出来ずに二発目を待つしか無かった。
 チリチリと結界装甲の背が焼けつくのを感じながら、クラウンは着地。医官を抱えたまま、光条が飛び込んできた方向から隠れる様に木の陰へ身を潜ませる。

「す、すまないバースフェリア君…」
「謝る事は無いですよ。正直、今のは運が良かっただけですからね」

 そう、運が良かった。
 今のはクラウンで無ければ躱す事が出来なかったのだから。もし、この場所にクラウンが居なければ、今の一撃で既に決着していただろう。ファルケンスが全く気付かず、クラウンの行動に驚愕していたのがその証拠だ。
 クラウンがもしも、異能を持っていなければ、躱す事が出来なかったのだから。

「………ふぅ」

 今の一撃で誰一人命を落とさなかった事に安堵の息を吐き、そこになってやっと空が既に白んでいた事を知る。

「夜が開け始めた瞬間にいきなり狙ってくるとはな…全く」

 予想していなかった訳ではないが。
 クラウンは溜息と共に言葉を吐き出す。
 相手が“明るくなれば”撃ってくるだろうとは予測していたが、しかし、未だ日が完全に出ていない、隠れている時から撃ってくるとは確率的に考えて一番少ないと思っていた。
 しかし、相手は狙撃手。
 間隙を縫い、命を奪う者である。

「こちらの考えは読めている、って事かね」

 だったら、出来る事は限られている。
 クラウンは同じように木の陰に居るヤヨイへと目配せする。
 それだけで意図が読めたか、それとも同じ気持なのか、ヤヨイは視線を細めて静かに頷いた。

「ファルケンス殿、この場は任せる。後、」
「…昨夜の“お願い”の件だな? 分かっている。訴えられる事があれば国側で取り計らおう」
「頼む。ヤヨイ、」
「準備は出来ておるよ。ファルケンス、流れ弾が飛んできたら身を挺して主らの姫を護るんじゃぞ?」
「心得ています」

 ヤヨイの『出来るか?』と言う問いに対して、その言葉は躊躇いも無く返された。
 クラウンとヤヨイが見つめる先――ファルケンスの瞳の向こうには、揺ぎ無い決意が見て取れる。
 確かに、その決意は真実だった。
 愚問だったな、とヤヨイは苦笑しながら今まで抱えていた王女を側に下ろす。
 王女は心配そうに、これから戦いに赴く守護者を見上げていた。そんな王女に、ヤヨイは薄く笑い返し、優しげに頭を撫でた。心配は要らないと、そう告げるかのように。

「――クラウン」
「あぁ、行くぞ」




 そして、“殺刃(キリング・エッジ)”と“輝ける千の矢(スターダスト)”の戦いの火蓋が切って落とされる。




宵よ来たれ(アクセス)!!」

 木の陰から飛び出したヤヨイが瞬時に光の粒子へと変わり、クラウンが持つダマスクス製術式端末へと吸い込まれる。クラウンは既に感覚で理解しているのか、眼で見る事も無く誓約の為の言葉を吐き出していた。

『爆撃が森を焼き、己を包み込むのを幻視』

 “異能”は一足先に、敵の攻撃が放たれたのを識る。
 クラウンは舌打ちもせず、そんな物は分かり切った事だと意識の下で切り捨てた。
 舌打ちよりも、何よりも、今成すべき事が何なのか既に分かっているからだ。

「【月下は眩しき世界を穿つ】!!」

 振り向きざま起動詞が叫ばれ、変化したばかりの誓約魔剣が光を纏う。
 クラウンが真横に引き絞った刃は遠心力を伴って空を断つ。視線の先には今まさにこちらへ到達しようかと言う光条があった。
 場の状況だけを捉えるなら、死亡は必至。
 だが、クラウンの顔には一欠片も諦観は無い。
 次瞬――ヤヨイが宿る魔剣が炸裂した(・・・・)

――纏威・月下夢幻斬

 正確には魔剣が纏っていた光が瞬間的に数十倍へと増大し、極大の光刃となったのだ。
 その色は蒼白。しかし、そこにあるのは儚さでも、清浄さでもなく――殺意と禍々しさである。

「ぜああああぁぁぁぁあああああっ!!」

 吐き出した言葉は咆哮。
 瞬間、クラウンが繰り出した十数メートルの光刃は、迫る光条と接触爆裂して周囲を飲み込む。
 轟、と大地を揺るがす衝撃。
 木々は爆炎で燃え上がり、爆風で薙ぎ払われる。先程の奇襲で使用された爆裂術式と同レベルの暴虐が森の緑を舐め上げる。
 だが、斬撃と言う“結界”で対抗したクラウンの背後に猛威は一欠片も及ばない。
 嘗て朔耶が、空舞うサーペントに止めを刺す為に使用した斬撃術式。クラウンが使用したのはソレの物真似である。だが、物真似、と一言で片付けるには不適切な、堅実な効果がそこにはあった。

『ふん、剣術に明るい妾が居て良かったのう』
『先生がスパルタで助かったのは複雑だがな。さて、』
『往くぞクラウン!』
『あぁっ!!』

 ざり、と前に出した足で大地を踏みしめ、クラウンは走り出す。
 目指すは敵の首。
 フェイ・デイレイトに最短距離で接近し、抹殺する。
 やる事は酷くシンプル。
 だが、その難易度は高い。
 先ずは距離。相手の正確な位置は不明だが、クラウンが考えている距離は凡そ3Km程。過去、色彩円卓の“青”を狙い撃つに際し市街地戦にて敵が確保していた距離がソレだったからだ。空を狙い撃つ場合と違い、地上を狙い撃つのは遮蔽物が多くある為に勝手が違う。風や飛距離は術式でカバー出来るとしても、遮蔽物に掠れば威力は一気に減衰する。故に、3Kmと言う結論に至った。
 次に、接近している間は常に真正面から迫る魔弾を斬り払わなければならないと言う事。
 一発でも見逃せば、それは背後に居る者達を危険に晒す事になる。
 クラウンとヤヨイは、凡そ3Kmと言う長い距離を走って詰めながら、敵の攻撃を全て捌かなければならないのだ。

「【 夜を照らす月の瞬き、】」

 本来であれば不可能だろう。

「【 世界を侵す闇の深き、】」

 3Kmと言う距離を相手が逃げる前に詰め、斃すと言うのは。

「【 合わさるは夜の彩り、】」

 しかし、不可能ではない。

「【 月姫の唇は囁く、】」

 そう、可能なのだ。

「【 宵色の鳳翼を広げよと 】!!」

 クラウン・バースフェリアとヤヨイ・カーディナル・【ルナ】は、既にその位階に至っているのだから。




――極級術式展開
――自己制限倍加突破・夜天・黒姫夜宵宴旋律(ダークロード・ルーリックメロディア)




 瞬間、クラウンの姿が消えた。
 自己の抹消化による消失でも、歩法による消失でもない。
 先程までの速度と、今の速度。緩急の差と言う単純な速度差によってクラウンはまるで消失したかの様に見えたのだ。
 一瞬遅れ、クラウンが蹴った地面が炸裂する。
 圧倒的な踏み込みの力によって、地面が圧力に耐えきれずに破裂したのだ。
 その爆発的な踏み込みによって生まれる一歩は、飛翔と言って差支えの無い物だった。
 爆風を伴ない、黒い閃光が朝の澄み切った空気を裂いて空を舞う。

『次弾来るぞ! 斬って捨てよ!!』
「任せろ!!」

 滑空するクラウンがヤヨイの言葉に呼応した次の瞬間、遙か彼方、森林地帯の奥――大樹聳える更に深き森で閃光が瞬く。
 瞬きは二回。魔導銃がその弾丸を射出する際に発生する閃光、マズルフラッシュの明かりだ。本来これほど離れていれば見る事は出来ない筈のソレは、打ち出された弾丸が規格外の物である事を物語っている。

『飛来する弾丸が己が胸に風穴を開けるのを幻視』

 滑空する高度が下がった瞬間、己が死ぬ未来を幻視する。
 それはつまり、自分が相手の弾丸が飛び込んでくる射線上に入った事を意味していた。

 クラウン・バースフェリアには未来が視える。

 過去、ホワイト・チャペルと呼ばれた場所で、白衣を纏った男が言っていた。
 君の瞳は未来を映すのだ、と。
 だが、それには高い演算性能を必要とし、また、高い観測能力を求められる。
 つまりそれは、クラウンの持つ異能が“予知”ではなく“予測”である事を示していた。
 “予め知っている”なら、演算性能なんて必要は無い。そう、知っているなら、わざわざ計算なんてする必要性は存在しないのである。
 故に予測。クラウンの力は“予め計算しておく力”なのだった。だから、白衣の男が言った言葉はある意味正しく、そして間違ってもいた。クラウンが見る未来は、周囲空間上の情報から発生しうるあらゆる事象を計算して算出、起きうる確率が一番高い未来を視ているに過ぎない。
 予知でなくても、そこまで聞けば凄い力だと思うだろう。
 しかし、そこには限界があった。
 例えばクラウンがヒトではなく、エデンの住人や瘴魔であったなら、その限界は比較的高い位置にあった事だろう。
 限界。そう、限界だ。
 その限界とは、ヒトの持つ演算機関――脳の演算能力限界値である。
 クラウン個人が視る事を可能としている未来は、最大で5秒先。
 それ以上となると多岐未来を予測するには演算能力が単純に足りていない。
 また、脳の演算能力をフルに使用する為、魔力機関が焼き付く様な――意識を奪う程の激しい頭痛を伴うと言う嬉しくないリスクがある。
 つまり、僅か5秒程先の未来を視るのに、立っていられなくなる程の激痛が頭に走るのでは、全く以て使えない。リスクとリターンが見合っていないのだ。
 予測する未来を短く限定し、消耗を抑え、上手く使う方法もあるにはある。しかし、それでも消耗率は高い為、おいそれと使う訳にはいかない。元々異能とはヒトが持つべき物ではないのだ。こう言うハズレもあるのだろう。

 だが、それとは別に、クラウンにはもう一つ異能を持っていた。

 それは、己が死ぬ未来を“予知”する異能である。

「―――」

 クラウンは背中のホルダーから“ソレ”を抜き放ち、滑空する姿勢をそのままに、遙か彼方から飛来する光に狙いをつける。
 魔砲銃(ハンド・カノン)――上級術式の威力を撃ち出せる、人相手には過ぎた個人武装を。

「ッ!」

 狙いをつけ、引鉄を引き、撃鉄を落とす。
 次瞬、爆音と共に身体を回転させる程の衝撃。

――試射で何発か撃ったが、相変わらずの反動…!!

 クラウンが半回転する間も、撃ち出された特殊口径の術式高速展開弾(エレメンタルシェルビュレット)は狙い通り直進し、飛来する光条を迎え撃つ。
 空を一直線に裂き、光と光は衝突。
 閃光が世界を舐め、轟音を響かせる。
 先程フェイ・デイレイトから放たれた光条が着弾した時の比ではない爆発が空に咲き誇り、衝撃で地面すらも吹き飛ばす。明らかにフェイ・デイレイトの攻撃の所為ではなく、クラウンが放った攻撃の方が過剰に威力があった所為である。
 しかし、衝撃が攻撃の衝突地点から離れている筈のクラウンの結界装甲をはためかせ、眼下の森林を一部薙ぎ払っていたとしても、クラウンは次の行動を既に取っていた。ハンド・カノンを撃った衝撃で身体が反転しながら、否――反転したのを利用し、右手に持った魔剣を遠心力に載せて振り抜こうとしていた。

――先程見たマズルフラッシュの光は二つ。

 予測や予知を使うまでも無く、クラウンが今まで培ってきた戦闘センスは次の行動を取れと身体を動かし続ける。
 そして、剣の振りに合わせたかのように、空に咲いた爆煙の壁を突き破って第二撃が飛来。
 クラウンは危な気無く、最初と同じように光刃を瞬間的に生み出して叩っ斬る。

「っ!? チッ…」

 舌打ち一つ。
 光条を打ち落とした事によって発生した爆煙のカーテンをくぐり抜けながら、失速したクラウンは大地に着地する。

「一発目より重い…二発目が本命、ってのはセオリー通りか…!」
『恐らくお主が間に入るのを読んでおったのじゃ…! 流石に色彩円卓に席を置いていただけの事はあるか! 一筋縄ではいかぬぞ…!?』

 だからと言って、逃げる理由が今は無い…!!
 再び地を蹴り、前進を開始する。
 成すべき事は一つ。既に分かっているなら、後は成すだけだ。

「次の手は…」
『!、撃ち出された!!』
『だろうと思ったぜ…!!』

 口に出す前に前方で再び光が瞬く。
 相手の思考を読めば分かる。
 射線に勝手に入ってくるなら、狙撃手はターゲットを狙っていればいい。だったら狙いは未だ変わらず。フェイ・デイレイトのスコープが見つめる先は、恐らく王女達が居る地点。
 再び極級術式で爆発的に高められた身体能力を用いて跳躍。
 走りながらでは精密射撃を行えない以上、跳んでいる瞬間の方が余程安定する。
 それも、ハンド・カノンの反動が想像以上にある為に、たった一発撃つ間しか安定しないのであるが。

「セオリーを通すなら、位置がばれた時点で逃げ出せっての…!」

 撃音。
 再び撃ち出された弾丸は寸分違わずに飛来する光条へと接触。爆音を伴って空へ巨大な閃光を走らせる。先程と同じように煙の壁を突き抜けて飛来する光は無い。
 クラウンは反動で崩れた姿勢を制御して、勢いを極力殺さずにそのまま足を大地につけると、低姿勢のままに疾駆する。

 クラウンがこれ程の精密射撃を可能としているのは、まさに術式の補正のお陰であった。使用している極級術式は概要だけを述べるならば“身体能力の強化”ではるが、細かく分けると全く違う事が分かる。
 通常の身体能力加速術式は、内部から直接筋力や神経系に働きかける事で能力の倍増を図る物である。それはヒトの細胞間を術式によって意味付けを行われた魔力によって“保護”し、“補助”していると言う事でもある。
 元々ある物――細胞レベルの足りない部分を魔力によって補い、その補った事によって上方修正した能力値を引き出す。それが普段の身体能力の強化術式である。詰まり、普段の加速術式は足し算になる訳だが、身体の中にある隙間が受け皿なのだから当然上限が存在する。また、その上限を超えた強化を行おうとすれば、元々の部分――自分の身体を構成する筋繊維や神経系、骨細胞に負担が行くのは自明の理だった。
 それすらも考慮に入れ、それぞれの強化に対する負荷軽減術式と自己治癒能力の強化も比較的高いレベルで組み込む。そこに精霊の演算能力によって最適化して安全弁をつけたのが、ホワイトチャペルからやってきた少年と戦った時に使用した上位の加速術式である。また、これから安全弁と最適化を取り除き、出力のみを追求したのがクラウンが個人で使用した加速術式になる。

 そしてこの極級術式は、外部から(・・・・)効果を与えていると言えた。

 五行土系術式の中にある外骨格形成術式に似た、しかしそれを圧倒的に上回る効果を持った式。
 身体能力、知覚能力、神経系、そして術式能力。全てを同時に、何倍にも引き上げる。
 派手さは無い。
 大地を穿ち、空を断ち、海を割る様な力ではない。
 しかし、視覚化された黒き魔素を撒き散らしながら進む様は、まさに暴君。
 “極位”を冠する術式である。

『今のは一発だけか』
『セオリー通りの相手ではない事だけは確かじゃ。さて、これでこちらが近づくまで千日手になるだけじゃ。何かしら仕掛けてくるやもしれん』
『チッ…もう一人バックアップが居れば楽なんだが…』

 無いものねだりだと分かっていても、毒づかずには居られない。正直に言ってしまえば、今の状況はクラウン側にとってキツイ。
 幾ら極級術式を使用し、ありえない程の速度で接近していたとしてもだ。背後に一発も撃ち漏らし無く全てを迎撃しながら進むと言うのは難しい。いや、普通なら出来る事ではない。狙撃する側の狙っている場所が把握出来、尚且つ迎え撃つ側にそれだけの能力――高い戦闘センスと、不可能を可能とする様な力があって、初めて状況が拮抗しているに過ぎない。
 出来る事なら、撃ち漏らしを処理するバックアップが欲しいのが実情だった。

「本気で恨むぞ、シュレイ…」

 クラウンの口から漏れ出した割と本気の怨嗟に、術式端末の中でヤヨイが苦笑する。

『じゃが、シュレイでは戦闘相性が悪いからの…案外一発目で死んでいたやもしれぬ。それを考えれば良かったかもしれんのぅ。友達を失うのは辛かろう?』
『…、それとこれとは別だ。とりあえず帰ったら殴る。絶対に殴る。謝ったとしても必ず殴る!』
『はいはい。喧嘩する程、仲が良いと言うしのぅ』

 やれやれ、と聞こえてきそうなヤヨイの思念を流しながら、クラウンは再び足に力を込め跳躍。宙へと舞い出る。森林地帯の木々を避けながらではやはり速度が出ない。一瞬で加速し、木々の上を飛び越えた方がまだ速い。
 見据える先には大樹。
 爆発的な速度で接近している為、もう既に半分程は詰めている。
 その視線の先で、

『来た!!』

 瞬いた閃光は二つ。
 放たれた光の数は、

『!、多重追跡弾!!』
『いい加減殺しに来たか!』

 一条の光が宙空で炸裂し、分散。二十六の光弾が空を裂いて殺到する。
 残りの一条は――

『曲線を描いておる! こちらを避けて背後を狙って来おったぞ!!』

 ヤヨイの思念を聞きながら、クラウンは視線を巡らせる。
 前に二十六の己の命を狙う弾丸。斜め左に背後を狙う光条。
 冷静に見定め、最優先事項を先ずは片付ける。
 ハンド・カノンの残弾数は残り四発。予備の弾丸を入れても十しかない。その特化した攻撃性能は扱い辛いが、攻撃を一直線に飛ばすのであればこれほど向いている武装も無い。

――流石は本社の技術部が趣味で作っただけはある性能だっ。

『ヤヨイ、お前は前方迎撃の為に術式待機』
『どうする?』
『未来予測でホーミング弾を撃墜したら、前を撃ち落とす』
『確実なのはそれだけか…使い過ぎるなよ?』
『分かってる』

 思念通信で一瞬にして作戦をやり取りすると、クラウンは改めて左前の“世界”を視る。
 そこで、クラウンに変化が現れた。
 濁っていた。その瞳が、まるで酸化しはじめた血の様に、赤く、昏く、汚濁を宿していた。
 そこに映るのは、“世界”。
 “世界”と言う名の、情報の集合体。
 ありとあらゆる事象が数字へと変換されて存在する無機質な世界だ。

『っ――』

 ぎちり、と脳髄の奥が悲鳴を上げる。
 求める未来は一秒先程でいい。それで十分どうにかなる。
 五秒先なんて見たら失神までは行かなくとも、先ずまともに戦うなんて出来はしない。それ程の負荷。情報が視覚を通して脳内に侵入し、勝手に計算を繰り返して完成された最適解を導き出す。
 未来は多岐に渡る。
 まるでそれは木の枝の様に幾つも分かれ、進めば進むだけ分かれ道は増える。
 白衣を着た男は言っていた。

『時の流れとは、写真を三角形に重ねた様な物だ』と。

 それはある一瞬――写真の一枚目、の下には起きうる可能性がある“写真”があり、それが何処までも続いていると言う事に他ならない。一瞬一瞬の積み重ね。一瞬一瞬で増える可能性。クラウンの眼は、頭は、その全てを求め、起きうる可能性が高い未来を指し示す。
 膨大な量だ。
 一瞬先には一つ二つと数えられる様な量で無くなるソレを、愚かにも全て導きだそうとしているのだから当たり前とも言える。
 未来を、視る。多岐に渡る未来の中、一筋の光で記された、起こりうる可能性が一番高く、確実な未来を。

「―――フンッ!!」

 頭に激痛。
 それをねじ伏せる様にハンド・カノンをスライドさせ、未来を撃つ(・・・・・)
 あらゆる計測計算よりも早く正確に算出された未来の映像を元に、一秒先の光条の位置を狙って発射。
 撃音。
 激しいマズルフラッシュと共に吐き出された弾丸は、クラウンの見た未来の通り、光条が通るべき未来に迫り、
 接触――爆散。
 安堵の息を吐き出す様な真似はしない。
 ハンド・カノンを撃ち出した衝撃を姿勢を制御する事で安定させながら、クラウンは大樹の方向を見据える。先程よりも距離を詰めている弾群。着地するまでの時間も無ければ、体勢を整えるまでの時間も無い。
 対策は一つ。
 事前に術式を放つ為に待機させていたヤヨイである。

「【蛍舞い、落ちる燐は大地を焼く】!!」
――月燐・七星塵(セヴンデッド・レイ)


 放たれる月の光を湛えた弾丸は十八(・・)
 極級術式下でそれと同じ属性を使用しているからこその恩恵が術式に現れていた。
 指先から迸る光弾は光の帯を描き、迫る“敵”と交差。
 瞬間、連続した閃光が幾つも瞬く。

――音は十二位。半分は撃ち漏らしたか。

 上出来だ。
 声に出さず、クラウンはヤヨイの宿った魔剣を握り締める。
 姿勢は半回転を終えた処。詰まりは相手側に背を向けている状態。隙だらけと言っても過言ではない。

『さて、』
『勝ちに行くとするかのぅ』

 撃ち漏らした光弾が迫る。
 その最中、クラウンは約1Kmに迫った大樹を見据え、

「先ずは前菜を受け取っとけ!!」

 ハンド・カノンの残弾三発、全てを撃ち出した。
 吐き出された弾丸は、向かってくる光の弾を――すり抜ける。
 交差。
 クラウン・バースフェリアが放った弾丸はフェイ・デイレイトを、
 フェイ・デイレイトが放った弾丸はクラウン・バースフェリアを、
 狙い、迫り、そして―――

 爆発。



#4-end






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