流れた時は無駄ではなく
我らの身体に蓄積する
歴史が
軌跡が
全てが“この中”に詰まっている

努々忘れるな
我らは決して完全ではない
驕る事無き様に過去を思い出せ
後悔し続けろ
我々は愚かで――

されど、決して相手に劣らない事を
























The duet with the lunar
の精と二重奏(デュエット)を――


-prologue-




















 嘗て世界は一つだったと言う。
 楽園(エデン)と呼ばれた世界が、たった一つだけ浮かんでいたのだ。
 宇宙と言う概念無く、星々が存在するという概念無く。唯一その世界だけが存在していた。
 あらゆる存在達の楽園。ヒトが、精霊が、天使が、魔の使徒が、気ままに自由に日々を謳歌する世界。神と呼ばれるだろう存在が最初に作った世界。
 だがしかし、ある日を境に宇宙という概念が生まれ、惑星という場所を与えられ、ついには楽園から世界が産み落とされた。
 その世界は楽園の者達からは堕界と呼ばれ、そこに住む者達からはブルースフィアと呼ばれ、影に潜む者達からは―――罰界(パニシア)と、そう呼ばれた。

 突然出来た世界にも、生物は存在していた。
 そこに落ちてきた楽園の人間は、世界に存在したヒトという種に混じって生活を始める。
 やがて交流を結び、議論を展開させ、時には互いに涙を流して話し合い、そして時には戦争を行った。
 知能を持つ種が単一でも、単一では無かったとしても、それは何処の世界でも同じだっただろう。だから、この世界でも戦いと話し合いによる歴史が築かれていった。
 しかしある時、生まれた世界は大きな転機を迎える。

 第二次カエルミア大陸中央大戦と、後の世に語られる戦いである。

 この頃、カエルミア大陸を中心とした世界で一番の勢力を誇っていたのは人間の集団であった。
 様々な争いを勝ち抜き、地上の多くの地域を治めていたのだから、それは語弊ではないだろう。
 だが、その人間の中でも、主義主張は二分化されていた。

 元々存在した種族達と協力し、よりよい世界を作ろうという考えの者達。
 自分達が頂点の種とし、亜種と定めた者達を徹底的に世界から排除しようとする者達。

 二分化された主義は大陸を真っ二つに分けた。
 彼らはどちらが正しいかを討論し、すぐさま武力による議論の決着を…という憂うべき事態を迎えてしまった。当たり前、というべき事態だろう。“異種”や“原種”という言葉を使う友好派の者達にとっては同じ価値ある命であるのに対し、“亜種”という言葉を使う非友好派の人間にとっては、同じ価値ある命だと認めると言うのは虫唾が走る様な事だ。
 聖暦628年、大陸中央・スヴェルシュラントで起きた大規模な戦争は熾烈を極め、数多くの命が戦場に散っていった。しかし、何もこれで世界的な転機が訪れるという訳では無い。ここまでは、きっと、良くある戦争の理由だろう。今まで排斥されていた者達が一致団結し、現政権を打倒する、というのは。
 だが、世界的な転機はここから始まった。
 戦場に蔓延する濃密な瘴気は大地を腐敗させ、生物の精神を侵し、やがて世界に大穴を開けるに至る。

 その数十年後に発表された研究論文では、その穴の事を―――深淵の扉(アビス)と呼ぶ。

 呆然とする両陣営が見つめる中、その穴から出てきたのは人類の、否、全ての生物の敵だった。
 瘴気に当てられ変化した魔獣という存在よりも、もっと濃密な死の顕現。
 現行世界の影であり、沈殿した澱。それが集まり固まって魂を吹き込まれた存在。
 楽園、ブルースフィアに次ぐ第三の世界――罪界(シィン)
 魔獣とは比較出来ない格上の害悪存在。瘴魔と呼ばれたそれは、狩りを行う為に世界の底から這い出てきた。
 戦争は一時的に終結。
 人類は突如現れたこの存在を駆逐する為に、人類同士に向け合っていた刃の矛先を向けた。
 魔獣とは比較するのも馬鹿らしい力を持った存在との戦いは昼夜問わず数十日にも及び、互いに互いの存在を削りながら天秤はやがて人類側に傾く。人類の数が圧倒的に多かったのが幸いした。
 圧倒的力を持つ存在に対してまともに戦えるのは数百人に一人の戦士だけであったが、隙を突き背後から襲いかかり、仲間の犠牲は無駄にはしないと攻め続ける人類達。優秀な戦士もさる事ながら、彼らのそういった活躍もあってか、最終的にアビスに辿り着いた一人がその門を、アビスを切り裂いたのだった。
 数多くの物を破壊し、尊い命を幾つも奪った大災害は事実上ここに終結する。
 アビスを呼び込む原因となった戦争も、双方に甚大な被害が生じて停戦。
 各国はこの危機を乗り越える為に様々な政策を打ちたて何とか日々を送るのに必死で、人々は皆――荒廃した世界は拠り所を求めていた。

 そんな折に、二つの組織が出現した。

 聖女と謳われた女性を中心として結成された組織――巡礼教団ヴァナディア。
 荒廃した世界で堕ちた力ある者達を狩る組織――ギルド協会。

 疲れ切った人々は聖女を崇拝する事で己を保ち、犯罪者を狩る者達の出現に日常の安楽を見つける。また、“巡礼”の名が示す通りに聖女が各地を回って人々に癒しという安楽を与え、ギルドの面々も各国で夜の警備を行ったりと、世界に多大な光を齎していた。
 そんな歴史的事実があった日より、約300年が過ぎた頃―――




* * *






「暇だ…」

 大陸西にある国、ルルカラルスにある小さな店の中でカウンター内に座る男が不満そうに声を上げた。
 その店は薬屋だった。
 表に掲げられている看板には、

―――《バースフェリア薬学系錬金術師工房》

 と、そう銘打たれてある。
 薬屋が繁盛しないというのは、まぁ、平和であるという事だ。
 しかし、この店の持ち主に言わせて見れば…

「くっ…今月も赤字かっ」

 というのが現実である。

 聖暦968年。
 世界は表向きには平和を保っている。
 突如終結した戦争は、勝利者を確定せぬままに数百年の間冷戦という溝となって続いていた。仕方ないと言えば仕方ない事である。余りの損害の大きさに、当時の各国財務担当官が卒倒しかけたのは有名な話だ。
 何とか国を立て直しても、「さぁ、また戦争をしましょう」 という訳には行かない。現在ではそこまで根は深く無いが、それでも当時を生きる者達にとっては戦争という事柄から出現した脅威――瘴魔という害悪存在は、友好派、非友好派と限らず大きな恐怖を残している。
 そんな恐怖の記憶を、数年や数十年では時代の中に埋没させるには余りにも時間が短い。
 だからか、恐怖は争いを紛争のレベルで押さえ込み、大規模な戦争は一切起こる事は無かった。
 いや、気付いているのだろう。もう一度大規模な戦争が起こった時、それが再びどれ程の滅びを齎すのか。だから各国は表立った破壊活動を行わない。戦争は勝てる見込みがあり、利益を生み出すからこそやるのであって、国力を地の底辺にまで追い込んでまでする意味は全く無いのだ。
 だから、表向きに戦争は起こらない。
 水面下ではどんな権謀術数が張り巡らされているか分かった物では無いが、それでも再び大規模に瘴魔を呼び込んでしまう様な愚は冒さないつもりでは居る。
 だから人々は日常を送り、その背後では確実に闇の部分が街を闊歩していた。

「何か、こう…お客が来ないか念じてみる…ぬうぅっ!!」

 カウンターから手を入り口に向けて唸る青年。
 世界は、まあ、それでも基本的には平穏である。

 

prologue-end






inserted by FC2 system