終わりなんて至極呆気無い物だ
しかし、気付けなければ―――
俺は、進む事さえ出来なかったんだろう

虚構を眺める瞳に、光が戻った時の話だ
それは、青年が少年だった頃の物語




















――― To the children of an INHERITANCE - 遺産の子達へ ―――
――― stage-7 Distance to of his death - 終焉までの道のり ―――





























#11 脱走-Desertion



































両手を拘束され、術式拘束布によって封印された身体で祐一は地下に幽閉されていた
完全な敵前逃亡という奴での処置だ
多くの敵を前にして、相沢祐一は戦闘を放棄した
しかし、それだけでこれ程の刑罰には至らない
ありもしない余罪が追及され、それでこんな薄暗い地下に居るだけだ
城に戻れば、貴族暗殺の首謀者という罪を着せられた
勿論、そんな馬鹿げた事をする訳が無い
しかし、それが“相沢夜人”の“暗殺”となれば別だ
渡された書類は既に誰かが処分していた
自分の行いが命令された物だと知る者は北川以外には存在しないし、弁明するにも北川は深く交友がある為に第三者としての発言力が無い
結果―――自分は嵌められたのだと知る
以前の自分であれば、それは何か王の思惑あっての物だろうと考えたに違いない
しかし、今はもう駄目だ
もう、自分は使い勝手の良かった駒だとしか思う事が出来ない
だが、それに異議を唱えたところで無駄だ
自分はもう、生きる意味を失っている
死んでいるのと変わらなかった
だから、もう、何もいらない
この薄暗い地下で…死んでしまいたかった…














―――相沢祐一、術式多重拘束による永久封殺刑まで残り三日














術式多重拘束による永久封殺刑というのは一種の封印処置だ
祐一の様な高い技能を誇る人間を、死刑という形で処分するのは勿体無いという事から見出された刑罰に他ならない
半永久的にその存在を博物館の展示品の様にしてしまうという物だ
これで、その身に詰まる高度な技巧は失われずに保存される
だが、これはある意味死刑よりも過酷な刑罰だ
死ぬ事も許されない、生きる事も許されない罰
それが永久封殺刑だ




コツン、コツンと誰も彼もが入って来ない筈の地下に、足音が木霊する
その音に、祐一は目を開けた
意識の篭らない瞳で、鉄格子の先に見える世界を何となく見る
これは軍靴で床を歩く時の音だったと思う
そんな自動で行ってしまった思考を確認して、自分には関係ない事だと切り捨てて考える
来るのは最低限水を運んでくれる人間だろう
空腹を満たす食事が運ばれる事などない
どうせ後数日で生き死に何て関係ない身体になるのだ
それまで死なずに生きていればいい
そして、これもどうでもいい思考だ、と祐一は思う
そして、再び瞼を下ろそうとして、その姿が目に映った

「よう…相沢…」
「北、川…?」

たった一日二日程会ってないだけだったが、随分と久しぶりだったと思う
だが、ここは北川が入れる様な場所では無かった筈だ
勿論、交友関係を持つ人間なんかが…

「何しに、来た?」
「見舞いにでも来た、と言えば本望か?」
「………」
「解ってる。魔術的処置として咽喉も封印に近い処理をされてて辛いんだろう? 別に喋らなくていい。 お前は聞くだけでいい」

そして、祐一の死んだ様な瞳の前で、北川は口を開いた

「お前の刑罰を取り下げようとしているが、駄目だ。ここに入れたのは、まぁ…俺のつてって処か…警備には黙ってもらっている。それで、先にも伝えた様に、俺は現状の外での情報を伝えに来たんだ」
「………」
「んで、お前の顔を見てビックリだ。まさか其処まで瞳が腐っているとは思わなかった。お前―――もう、死にたいって思ってるだろう?」

その質問は核心を突く物だ
だけど、それでも祐一の心には揺らぎすら生まれない
唯、その質問に頷いた

「ふん…俺の宿敵として存在していた奴は、完全に死んでるらしい」

死んでる“らしい”?
何で進行形なのだろうか?
普通は、死んでしまったでいい筈なのに

「もう、生きる意志は無いか?」

こくり、と頷く

「だったら、その耳を澄まして良く聴け相沢」

何だ?

「お前の弟が届けてくれた物を、俺が預かっている」

春人が?

「お前の親父さんが“お前宛て”に遺した物だ」

―――!!

その言葉に、凪の状態が続いていた心が波立つ
身体を起こそうとするが、拘束布が邪魔をして上手く立ち上がる事すら出来ない
その事に苛立つ
気に入らない
言葉が思い浮かぶと同時に、祐一は上手く発音出来ない口で小さく舌打ちした
諦めて、その状態で幾分か鋭さを取り戻した視線を北川へと向ける

「へぇ、幾分元気になったんじゃないか?」
「うる、さ、い。黙、れ」

祐一がまともに返したしわがれた言葉に、北川は嬉しそうに口の端を吊り上げて笑う

「くくっ…まぁいいさ…。用件はそれだ。生憎と血液で封印してあってな、俺では無理矢理以外では解呪する事も出来ない。多分、血縁以外には見せない為の処置だろう。さて―――どうする相沢?」

正直、躊躇う
今更何をすればいいというのか?
そんな託された物に自分が触れた処で意味は無い筈なのに
それなのに俺は、一体、何を期待している
―――ギリッ…
暗い世界に歯軋りの音だけが響き渡る
その祐一の反応に、北川は目線を嬉しそうに細めたが関係ない
祐一は自分の心の中に埋没する意識を垣間見る
割れた鏡を、一欠けらづつ、その額縁に嵌め込んでいく様に
遺された物は、父が自分に宛てた代物だ
あの父が、自分に宛てた代物なのだ
そんな現実に眩暈を覚えそうになる
そして、罪悪を感じ、更に懺悔という意識が己の根幹を灼くのを感じた

―――反吐が、出そうになる

最後の最後では自分の父親であった人物に対して、恨む筈が後悔を覚えている
馬鹿な、本当に度し難い
何だってこんな―――今更になって、俺の事を救おうとするのか…

「持ち、帰れ…」

施しは受けない
それは明らかな拒絶だった
口に出して、更に後悔する
暗い気持ちだけが心を冒す

「―――…、ふぅん…まぁ、いいけどな…」

そう云って、北川は無感動に何の動作も無く踵を返して戻って行った
その光景に――― 一抹の不安を覚える
そして、そんな思考を行ってしまった事に対して嘲笑を浮かべた
下らないと思う
不必要なんだと“思いたい”考えだ
絆は―――もう―――…

今度こそ、祐一はその瞳を静かに閉じた














―――相沢祐一、術式多重拘束による永久封殺刑まで残りニ日














その日、相沢祐一の眼前に運ばれて来た物は水ではなかった
手も足も使えない状態だというのに、眼前に出された物は馬鹿らしかった
未だ湯気立つ料理が出されたのだから、拘束される囚人としては馬鹿にしているのだろうかと思う次第である
手が使えない状態で喰う、つまり犬の様に貪れと言われたような物だ
神経を逆撫でする行為だと思う
思う、だけで怒りは湧いて来なかった

「………」

その眼前に出された料理を、祐一は半眼で、無気力に眺めていた
この薄暗い世界に吊り合わない程に良く出来た品の数々だ
見ているだけで飽きが来ない
ああ、そうだと考える
この城で、城の給仕よりもまともで良い料理を作れる人間なんて、自分はあの人以外知らない

「耕介さんの、料理…」

ああ、と漏らした筈の声は、縛鎖によって削ぎ落とされた
何だって、こんな温かな料理を眼前に差し出して来るのだろうか
眼前に、白昼夢の如く浮かび上がるのは親しい友人達の姿だった
―――北川は昨日帰ってからどうしただろうか?
―――斎藤は今回の事で名雪の傍に居るのだろうか?
―――名雪は、こんな従兄妹を悲しむだろうか?
―――耕介はこんな料理を作って、何を自分に伝えたいのか?
―――叔母は上の立場で、甥を助けられない事を悔やんでいるのではないか?
考えれば考えるだけ、泥沼の思考がズブズブと薄暗い沼地に沈んでいく
何だって、こんなにも…
祐一は身体を封印された状態で、その料理に向かって這い進んだ
何だって、こんな…
自分は愛想の無い人間だったと思う
それでも、きっと自分は―――
そんな彼らに…何かを魅せる事が出来たんじゃ無いだろうか?
だから、彼らは揃いも揃って莫迦みたいに…自分を助けてくれようしている
こんな、友達甲斐も無い奴を
何て、お節介な奴らだ…

くく…これが人生最後の料理になるとは…中々気が利いてるのかもな…

這いずって、這いずって、這いずって…
やがて料理の前に辿り着く
そして、未だ湯気立つ料理に口を近付けた
スープを口だけで啜り、パンに齧り付き、口元を汚くして食い漁る
自然に食事を行うスピードが増す
流石にずっとまともな料理を食べていなかったのが堪えたらしい
みっともなくても、それでも食事のスピードを落とさずに祐一は食い続けた

…ん?

パンを齧った時に違和感を覚える
その違和感を口から吐き出すと、それに視線を落とす
多少、唾液で汚れてしまったが…これは―――

手紙、か?

心中で呟くと、小さく折り畳まれていた紙を舌でなんとか開く
最後には頬を押し当て、折り畳まれていた状態に戻ろうとする紙片を押さえつける
これで読める様になった
そこになって、初めて祐一は“ソレ”の中身に視線を落とした














我が子、相沢祐一へ

お前がこれを読んでいる時には、既に私は処刑されている事だろう
正直、これから死を迎えるにあたって一つだけ確信している事が有る
それは、祐一が私を処刑しにくるという事だ
お前は恨んでいるだろう、だからこその確信でもあるし―――
言うなれば、それはせめてもの願望なのかもしれない…
これは迷惑な願望だ。当人にとっては本当に迷惑以外の何物でもないだろう
私は、自分の息子である祐一に、殺されるのだ
だからと言って、私は簡単に殺されてやる訳ではない
もし、祐一が手を抜く様な事があれば、私はその隙を突いて殺すだろう
しかし、それでも私の力は届かないかもしれない
既に、これを書いている状態で私は“灼陽”の能力を失っている
煉獄を照らす天使(エル・アルカナス)』での魔力補助と、陽属性補正演算補助を受けていなければ高速発動する事も出来ない
これが、能力を有さないという辛さなのだろう
【 器 】に宿して、自分の身体から能力を失なわれた状態になって、初めて能力を持たない恐怖を知る
故に、私は更に惜しんだ
お前が能力を宿して生まれてくれば、一体どれ程の使い手に育った事か
お前は、持たない力を補う為とはいえ、子供が行うには、いや、大人でも正直堪える程の修練を積んでいた
これを、もし能力を持った状態で行っていれば
今になって、そう思う
私は、自分の子供を誇ると同時に尊敬しよう
間違いなく、祐一は強い
だからこそ、お前に【 器 】を託そう
最強を担ってもらう為、ではない
これは、贖罪にはならないだろう
今更になって、こんな事をするのは侮辱以外の何物でもないかもしれない
しかしそれでも、それでも、だ
お前に、私の全てを手渡したい
何一つ、親らしい事をしてやれなかった自分から、息子へと贈るプレゼントだ
受け取って貰えるなら、小箱を開いてくれ

我が息子、相沢祐一へ
全ての誕生日と、お前の十五の成人祝い
そして―――
これからの幸福へ
その全てを祝して―――

おめでとう














「どい、つも、…」

手紙を読み終わった瞬間、封じられた喉から声が漏れた
押し殺した様な、低い声だ
削られたからという意味でもなく、本当に低い声だった
怒りや悲しみや、喜悦やら、様々な感情が溢れて止まなくった声だった

「勝手に…」

これから迎える己の終焉は、迎えるべくして辿り着いた物だ
そこで、自分の命は終わる筈なのだ
それなのに、自分の周りにはお節介が多すぎる
食事を持ってきたと思えば、そのパンには手紙が仕込まれている
多分、北川が言っていた物の一部が、この手紙だったのだろう
そして最後に―――

「勝手、に、遺志を、託し、て、死ぬな、…」

そして最後に、最期まで―――彼は、彼に出来る父親らしい事をして去っていった
自分が闘った相沢夜人は、初めっから全力で息子を殺そうとはしていなかったのだ
手紙には殺すという言葉は存在しているが、それは所詮文面だけの存在
現実ではああして最期は手も出さずに自分に首を刎ねさせた

―――畜生め…

結局自分は、誰かの死の上に立っている
誰かが屍と化す事で、生を繋いでいる
そしてその一部は、自分から命を擲っているのだ
そう、勝手に、頼んでもいないのに―――遺志を託して

「くそっ、たれ…この、まま死、ぬ事、も、出来ない、のか、よ…」

ああ、全く以って嫌になる
腹立たしい事この上ない
きっと、今の自分を見たら北川は笑うだろう
良い笑顔で笑うだろう
くそ、ぶん殴ってやる…

「くそ…」

ああ、駄目だ
暗い気持ちが晴れていってしまう
生への渇望が生まれてしまう
正直、誰かの頼みを断れないという人間に自分が当て嵌まる事が解った
だってそうだろう?
俺は、大切な遺志を手紙で渡された時に、生きる事を決めてしまったのだから

きっと、北川はこれを見越しているに違いない

これを見せれば、自分が動くと確信してやった筈だ
だから、俺はあいつが嫌いだ
俺に無い物を持って、そして勝手にやってしまう

―――俺も、アイツの様になれるだろうか?

疑問符が生まれた
今の質問を本人に行えば、きっと笑いながら勝手にやってみればいいと言うだろう
それも、本当に楽しそうに

持っていない物は、与えられるんじゃない。自分で作り出すんだ
例えそれが紛い物であったとしても
悩み、葛藤し、絶望し、希望を見出した物なら、それは自分の物である筈だ

それならば、作って行けばいい

生憎と、自分はこの国に居られなくなる
時間は余るほどあるんだ
なら、じっくりとゆっくりと、己の不確かな心を作って行けばいい

だから、

「早く、来い、北川…俺は、答、えを、決めた、ぞ…」

そして、祐一は北川が普段見せる様な笑みを見せた
牢獄に削ぎ落とされた低い笑い声が響く














―――相沢祐一、術式多重拘束による永久封殺刑まで残り一日














こつん、と牢獄の闇に靴音が響く
それにそっと祐一は眼を覚ました
朝陽すら差し込まないこの世界では、時間の感覚すら無い
今が昼なのか夜なのか
既に今が封殺前か、未だその時ではないかも判らない
だが、それでも今が封殺前でない事だけは判った

「よう、相沢」

極限まで北川という人間は足音を出さない
それが石畳の上であったとしてもだ
こんな音が反響する様な空間で、音が響いたのは最初の一回
ある意味、その一回は自分の来訪を報せる為の物だったのかもしれない

「先日、みたく…足音を、盛大に、鳴ら、して、きやがれ…」
「その口調…くくっ…やっと見れる顔になったじゃないか相沢」

ムカつく程に笑顔で北川は笑った

「その顔なら―――答えは訊くまでもないな」
「ああ…、俺は、まだ、死ねない…」

その祐一の声を聞き届け、北川はその牢獄に向かって刃を―――
強固な結界をも“喰らう”魔剣―――ホロコーストを振り抜いた














―――相沢祐一、永久封殺受刑者―――脱走














拘束布を解かれた祐一と北川が牢獄が並ぶ地下を走り抜ける
前方に見える明かりからは、人が集まってくる気配があった
それもその筈だろう
結界系魔術は大小比例はするが、破壊されれば必ずフィードバックが発生する
それなら祐一の牢獄に掛けられていた結界の崩壊は、術者本人に知られている事になる
それから来るだろう慌しさを感じたまま、祐一は通路を駆けていた

「相沢、飛び出した瞬間に瞬殺しろ」
「解っている。少なくとも城の呪器保有者が集まってくる前には脱出したいからな」

そして、祐一は北川から手渡された何の飾りも無い剣の柄を強く握った
それと同時に二段構え―――逆の手により簡易的な下級魔術を練り出す

「《詠唱短縮》、輝ける紫電、『抱き殺す雷焔(ショック・ブレイク)』」

左手に生まれた雷撃を確認した後、北川と頷き合い闇を一際強く駆け抜ける
ドンッ、と強く蹴り出し、北川が先行
飛び出した瞬間に驚く兵に向かって無慈悲な黒い刀身を薙ぎ叩きつける
甲冑を纏っていた筈なのに、まるでそれを感じさせない様に黒い刀身は聖製儀礼を受けた鎧を破壊
斬り飛ばすという表現より、爆殺や抉り殺すといった表現で兵士の上半身がバラバラに砕け散る
北川の背後で、それを見ていた兵士がやっと動く、が
その時には既に祐一が眼前に剣を振り抜こうとしている状態で存在している
即殺―――だが

「ちっ…」

剣が振り抜かれる動作を収め、左手に待機させていた雷撃を兵士の顔面に叩き付けた
バシンッ!!
紫色の雷撃が兵士の身体と脳髄を焼き焦がす
沸騰した血液が鼻腔から口腔から噴出し、冷たい通路に湯気を立ち上らせた

「………」

瞬殺し、結果誰にも見られていないというのに祐一の顔色は優れない
それに訝しく思ったのか、北川が祐一の肩を掴む

「…どうした、相沢?」
「………振れなかった…」
「何?」
「剣が、振れなかったんだ…」

その言葉を吐くと同時に、祐一が剣を落とした
ガランと音を立てて転がる剣を眺めながら、今の光景に思いを馳せる

即殺しようと、剣を振り抜こうとした瞬間、父親の首を刎ねる感触が手に甦り、続いて刎ねた時の衝撃が腕を伝い首を伝い視覚を冒し脳髄を拒絶に追い込んだ
それに嘔吐感を覚え、剣を振るう事に身体が拒否反応を起こしたのだ
しかし、殺す事に対しての拒否反応ではない
あくまで剣による斬殺が出来なくなった
師から授かった剣術が、己の心によって封印されたのだ

「―――…悠長に喋ってる暇は無いから、行くぞ?」
「…分かってる」

北川の言葉に悲しく頷く
祐一は視線を一度だけ落とした剣に向けると、走り出した北川を追った




「団長!」

幾つかの通路を走りぬけ、角を曲がった処でその声は響いて来た
王宮から脱出した後、北川が誘導を外れて城に戻ったのだ
しかし、祐一を裏切ったという訳ではない
言わば報告を兼ねた城の呪器保有者の足止めに向かったにすぎない
北川本人は、祐一が脱出した後もこの国で生きるのだ
その為に城で出会った人間は瞬殺し、ホロコーストで殺した跡を、爆裂系の魔術で上書きしながら進んでいた
その周到さに溜息すら出るが、仕方ない事
北川の立場を悪くしてしまっては意味が無い

祐一は警備が手薄になった所まで来ると、北川から地図を受け取り一つの指示を受けた
この場所に行け、と
そこで互いに疑いを交わす事無く、両者は一瞬で意思を確認し、全くの逆方向へと走り出していた
そして、今は城下の貧民街を走っていた

「その声は―――」

声がした方向を見る
そこに数日間会わなかっただけの、しかし久しい人物の顔を見つけた

「耕介さん!?」
「こっち、早く!」

薄暗いスラムの路地
そこから手招いてくる耕介を確認し、一歩足を踏み出した瞬間後ろから怒号が聞こえた

「っく!」

丸腰の身体を屈め、その上を爆裂の魔術が飛んで行く
耕介が顔を出していた路地を通り過ぎ、さらに先で爆裂
スラムに爆音が響き渡る
祐一は身を屈めた状態から踏み出すと、その特殊な歩法により一瞬にして間合いを詰めた
相手の驚きの表情を見て、更に祐一の表情が驚愕に変わる
それは―――己の部下だった
貫手を出そうとしていた手が緩む
―――自分の部下さえ―――手に掛けるのか?
思案する、だが時間がそれを許さない
相手の手に収束する魔力の気配
完全無詠唱で出せる能力の発動だ
瞬間、祐一の瞳が悲しみに揺らいだ
それに―――相手が微笑む
その口が、何かを呟いた

ぐしゃっ…

能力発動の瞬間、祐一の貫手が喉を潰した
同時に頚椎の砕ける感触

「――――…」

崩れ落ちる元部下を確認すると、祐一は耕介の居た場所に走り出した

その言葉が、耳朶を冒す
『団長、あいつらをお願いします』という穏やかな声が

舌打ちして、耕介が居た場所へ走り込んだ
同時に、今度は家屋の扉が開いている事を確認した
躊躇わず、走り込む

「――――なっ」
「はは…数日ぶりだね、祐一君」

その光景に絶句する
扉の向こう、部屋の中に居たのは耕介だけではなかった
二十人程の人間がその部屋を埋め尽くしている
その顔ぶれのどれもが己の部下の顔だった

「こ、これは―――」
「ここに居るのは祐一君と一緒に国外脱出する奴らだよ…」

耕介が力無く笑いながらそんな事を言う
その言葉は聞き捨てなら無い
何故自分なんかと脱出を図ろうとしているのかが判らない

「どう言う事ですか、耕介さん」
「…祐一君…さっき君を殺そうとしたのが―――」
「…はい、志摩さんでした…」
「彼は、別に君を捕まえる事に協力しているという訳ではないんだ」

それは判る。彼は殺される瞬間、自分にあいつらを頼むと言ったのだ
そんな穏やかに、何処か自分はここまでだと諦めた人間が敵だとは思えない

「ここに居るのは家族が居ない連中。そして君を捕まえようと走っているのは家族が居る連中だ」
「それはつまり…」
「うん、人質として取られている…」

まぁ、僕の場合は事故で家族が外に居るだけなんだけど、と耕介は苦笑した
何だ、それは…
何だ、それは何だ?
彼らは仕方なく、家族を人質に取られているから俺を捕まえようとしているのか?
俺の、為に?

「北川団長が秘密裏に手配してくれたんですよ。戦場での背信行為に対しての処罰として、一緒になって祐一君と撤退した僕達への処罰を回避する為に」

その言葉に、視界が狭まった
闇が、深くなった気がする
眩暈が身体を揺らした

「あ、ああ…す、すま、ない…俺の、俺の所為で…お前達まで…俺は巻き込んで…」

力無く、そんな言葉が口から漏れた
自分が犯した罪の所為で、彼らも巻き込む事になってしまった
後悔の念が胸を包む
投降してしまえば、彼らだけでも助かるんじゃないかと、そんな思考が脳裏を過ぎる
そんな祐一の反応に、何処からか苦笑が漏れた
それを期に、部屋中に笑い声が溢れた

「何言ってるんですか団長。俺らは団長の事、尊敬してるんですよ?」
「そうですよ。全く…団長って無表情みたいに見えて、何だかんだで部下には優しいですからね」
「戦場に出る度に、俺らは団長に命を救われてきたんです」
「だから、団長が戦場で思った事は、きっと正しかったんだって…俺らは思うんですよ」
「国の側に回っちまった奴も、団長の事を心配してたんですよ?」
「皆、団長の事を信頼してるんですよ。だから、ここまで来てるんです」
「まぁ…もう一回、脱出する時に迷惑掛けちゃいそうですけどね…」

そんな事を言って、皆が視線を集めてくる
その視線に温かい物を感じ、不意に涙が流れそうになった
死ぬほど嬉しかった
そんな事を言ってくれる彼らが、心から自分を信頼してくれている彼らの心が嬉しかった
だから、涙を堪え、気丈に笑ってみせる

「俺が、皆を必ず外へ連れ出して見せる」
「………」
「だから、安心して命を預けてくれ」

小さな部屋に、小さな歓声が上がった
そして、夜の闇と共に、彼らは彼らの世界を脱走する














夜の闇の中を、二十人程引き連れて疾走する
相変わらず無手
前に立った障害物は、衰える事無い神速の踏み込みと、洗練された魔術との融合業で切り抜けていた
だが―――それでも限界は訪れる

「呪器、保有者…」

最悪だ、と口内で呟く
剣も握れず、そんな状態で呪器保有者と相対しなければならない
考える限り最悪の事態だろう

「相沢祐一抹殺の許可が下りた。これより、元ジェノサイド・フォース第一師団団長、相沢祐一を粛清する」
「!! 全員下がれ! 死ぬぞ!!」
地に臥せる戦死者の無念(グラウンド・ファントム・ディザイア)

敵の静かな言葉に祐一が怒号を返す
一足で祐一が後ろへ飛ぶと同時に、地面から鋭い隆起が発生する
鍛え抜かれた刀を思い起こす刃が大地を奔り静かに消えた
―――地属性干渉系の怨血呪器かっ!
呼詠干渉魔術である魔剣の発動条件
それが相手の唇で囁かれるのを感じて後ろに跳んだのは正解だった
あのまま発生を見極めようとしていたなら確実に足元からバラバラに分解されていただろう

そして再び大地がうねる
それは水面を思い起こさせる余りにも土という概念には相応しくない光景だった
刃が、槍が、弾丸が飛翔する

「くっ!」

身を屈め、やり過ごすと同時に大地を蹴る
こちらには最高の移動術である【 瞬歩 】という術があるのだ
敵がそれに反応する前に、急所を凶手で討ち抜く!
ゴンッ、と深く、大地に亀裂が残るような踏み込みで加速
相手が発生させていた大地の刃が隆起するよりも迅く、その地面に震脚を落とす
【 死天の御業 】において、突進系で一番の簡易にして威力に優れる伎―――穿殺・天栄魄想戟
その刃を持たぬ刃を模した手刀が、敵の頚動脈も狙って繰り出された
必殺の一瞬
しかしそれは、硬質な何かに弾かれて方向が外れる

「くっ―――対物理干渉結界による障壁かっ!!」

手刀に突き立てていた指の先、爪が割れて鮮血が噴出する
負傷した手を庇いながら、祐一は再び後方へと飛翔した
大地が祐一を包囲しようと檻を作り上げる!

「《詠唱短縮》、白熱する刃、照らすは未来の骸、『炸裂する爆吼(クラッカー・レイヴ)』!!」

振り上げた負傷した手の先に術式が展開
その刻印を発生待機状態のままで、囲い殺そうとする地の壁に向かって殴りつける
―――爆砕!!
接触すると同時に爆発に対する慣性制御を利かせ、耐熱対爆の干渉遮断を張ってフィードバックに備える
着弾した爆弾は世界に光を撒き散らし、その大地の刃に大穴を穿つ
祐一はそこから転がり出すように飛び出すと、一瞬だけ囲い込まれた世界に目線を向けた
そこに在るのは四方八方から刃という刃が突き出している地獄
数瞬反応が遅れていれば、何十という矛の先が己の身体を貫通していただろう
その光景を幻視した後、再び祐一は跳ぶ
そこからは刃が生え、隆起した地面からは弾丸が降り注いでいた

「かなり良質な対物理障壁が張られている…王宮め、対個人では最高の権天使級刻印防御装甲(プリンシパリティ・クラス)を着させてやがるな…」

それは【 神剣(ゴッド・ブレード) 】たる自分の、必殺の刃を危惧しての装備だろう
それでも、魔剣フォーリング・アザゼルがあればあの頑強な魔術装甲すらも貫通する事が出来るだろうが
しかし、手元には頼りになる魔剣もないし、更に言えば殺す為に剣すらも振れない身体になっている
―――それなら、魔術で相手を倒すしかないな
思考を切り替え、戦略を練る
その間も、隆起する刃の勢いは衰えない
攻性魔術で、簡易の物から高い殺傷性が有るのは雷撃系の魔術だ
牢獄を脱出する際に放ったショック・ブレイクは下位に属する雷撃の魔術である
それでも接触すれば高電圧が体内を蹂躙し、体内を焼き、血液を沸騰させる程の威力がある
高位の物になれば威力も増し、距離も置く事が可能だ
事実上、雷撃の宙を走る速度は人間には回避不可能である
だが、これには欠点が存在している
空気というのは絶縁体であり、電気の流れを阻害するのだ
手元から放たれた雷撃は直ぐに方向性を失い、地面へと流れてしまう事になる
だから、距離を開けて雷撃を相手に食らわせる場合は、魔力によって擬似導電体を空中に編み上げ、そこを走らせるしかない
つまり、発射されてからの雷撃を回避する事は不可能だが、魔力によって道が形成される必要がある雷撃は回避も可能である
ならば直接雷撃を叩きつければいいのだが、もう間合いに踏み込める確率は低いだろう
―――それなら、どうする? 敗北を認め、殺されるのか?
思考の隅に負の感情が過ぎる。だが、それを否定。戦略思考で塗り潰す

―――大地からの攻撃を縫って相手に近付く事は可能か? それなら可能だ。しかし危惧すべきは奴に張られているプリンシパリティ・クラスと魔剣独自の所有者保護の一際強い能力。これが存在する限り無手である自分が魔力を乗せた手刀を出した処で僅かなリーチ差が致命的なミスへと繋がる。そう、リーチだ。リーチを覆せる得物があれば―――

「祐一君! 剣が必要か!? 必要なら―――」
「駄目だ!! 使えない! 剣では、俺は相手を殺せなくなってしまった!!」

逃げ回る祐一に、物陰から見守る耕介の声が届く
大地の隆起が段々と祐一の速度に慣れつつある
地を奔る刃の速度が、段々と祐一の動作予測を完全な物にし始めた
―――時間が、無い!

相手の予測を上回る要素が無い
何か無いか、何か―――――――そう

遠距離からでも、相手の真芯を討ち抜ける事が可能な武器が

「祐一君! これをっ!!」
「!?」

その思考に呼応する様に、夜の闇に声が走った
闇間から覗く月の明かりに照らされる漆黒色のソレ
それは、走っていた祐一の前方に投げ出される様に飛来した

「―――古式、いや―――魔道銃か!!」

引っ掴むと同時に、それを確認した
漆黒色に一瞬だけ向けた視線は、確かにその銘を読み取る

―――聖暦1275年モデル・Rebellion―――

「総弾数二十だ。魔力伝達の回路は僕が弄って、威力向上が施してある!」
「『リベリオン』―――反逆者とは洒落た名前だっ!! 有り難く使わせて貰う!!」

希望を見出した声を上げ、祐一が走りながら敵へと狙いをつける
と、同時に発砲

ダンッ! ダンッ!

二発の銃声が夜の闇を切り裂く、が
その発せられた弾丸は相手に当たる事無く、その近辺に立ち上がっていた土塊へと破壊の衝撃をぶちまける

「慣れない武器か。そんな物では中る物も中るまい」
「―――成る程。こいつはじゃじゃ馬だ」

侮蔑の声に対して、勝利を確信した声

「だが、忘れるなよ?―――俺も“反逆者”だと言う事を!」

深めた笑みと共に銃口から魔力の弾丸が放たれる
一発、二発、三発
未だ弾丸は中らない、が―――
その精度は一撃一撃を放つ毎に確実に増していた

「そろそろ終幕にしよう」
「貴殿の死を以ってして」
「その言葉、そっくりそのまま―――返そうかっ!!」

祐一が一歩を踏み込む
大地の隆起が始まる
遠距離から中距離への移動
刃が出現し、その鋭利な大地を獲物に突き立てようと迫る
祐一の腕が上がる―――手には魔道銃『リベリオン』―――見つめる先は敵の胸部
刃が眼前まで迫り、一気にその速度を増す
敵が驚きに眼を見開いた
祐一は避け様ともしない。唯、その顔にあるのは、『中てる』という信念と確信のみ

弾丸が吐き出され、銃口が跳ね上がった。
肩の力を抜いた余りにも自然な一撃

「―――――」

大地の刃が眼前で静止した
それの意味する処は―――死、だ

「終わった…」

息を吐き出し、その魔道銃からマガジンを排出した
最後の一撃で仕留められたのは運が良い
実際のところ、相手が動き回りながら魔剣を発動していたら勝負は逆の展開を見せていただろう
魔剣の特性―――剣を中心とした半径約一メートルを無効空間として、それ以外を広範囲に標的を攻撃といった処か
発動状態では下手に魔剣を動かせない状態に助けられた
相手も下手に動けば、背後から横から相手に向かって飛び交う大地の刃、矛、弾丸に身体を貫かれるのを忌避していたのだろう

―――助かった、と溜息を吐き出した

そして振り返り、耕介達に手を振ろうと振り返った処で気付いた

背後の気配が立ち上がり、その刃を振り上げている事に

「なっ―――」

短く、浅く、祐一の喉から声が漏れた
魔道銃で迎え撃つか? 駄目だ、カートリッジは排出しているし、相手が振り下ろしている状態からでは、コンマ相手の方が刃の到達速度が速い
【 瞬歩 】で移動か? 駄目だ、踏み込み動作を行うには時間が無い
だったら、倒れ込んで―――しかし、それでは次が無い
思考が行動を求めて結果を求める
―――【 空握 】の展開を怠っていたな祐一? 修行が足りないな
一つの懐かしい声が聞こえた
全くその通りだと胸中で苦笑する
どうやら自分は死ぬらしい
だが、心残りは有る
部下を逃がしてやる事が出来ず、このまま皆殺しになるという事だ

出来れば、誰か―――助けてくれないか

有り得ないだろう奇跡を願う
無音の夜に皆の咆哮が耳に痛い

無音―――そう、あいつならこんな無音に現れる
だから笑ってみた
相手へと、最大限の哀悼の意を込めて
そして、その背後に立つ金髪の男には皮肉気な笑みを

ドシャンッ!!

祐一が身構えようとした瞬間、剣が落ちる途中で―――
敵の頭部が血と脳漿を赤黒い霧に変えて吹き飛んだ
そこには眼球があった痕跡無く、頭骨があった痕跡無く、接触した瞬間に“破壊”された
通り過ぎた―――黒い刀に

「遅かったじゃないか。貴様の宿敵が死ぬところだったぞ?」
「悪いな。徘徊する奴らの目に留まらない様に動くのはしんどかったんだ」

崩れる首から上が無い死体
その先に北川潤が立っていた
神すらも未だ自分に死んで欲しくは無いらしい
この場面で“ヒーロー”を繰り出してくれるとは

一つ笑みを浮かべ、真正面に立つ男へと微笑む
自分の中ではかなり最高の部類に入る笑顔だと思う
それに北川は眉を寄せて苦笑を返した

「止めは、しないだろう?」
「ああ…」

祐一の長い髪が宙に泳ぐ
二人の間を分かつ様に一筋の強い風が吹いた

「相沢、お前のその長い髪を貰ってもいいか?」
「?、何故だ?」
「証拠、だな。“お前”を“殺した”という。死体は転がってる奴だ」

そして、ふと北川は悲しげに笑う

「…何か、伝える事はあるか?」

それは友へ、従兄妹へ、叔母へ伝える言葉
そして―――遺された家族への言葉
祐一はゆっくりと眼を瞑った
この国であった様々な思い出が甦る
―――俺は、変われる事が出来ただろうか?
分からない。分からない、が
きっと、変わって行けると―――信じている
だから、彼らも、自分が居ない世界に対応し、変わって行かねばならないだろう

―――相沢祐一という存在はここで死ぬのだ

「―――…」
「何か、あるか?」
「…そう、だな。斎藤と名雪、秋子さんには元気で、と。―――母さんと春人には、すまない、と…」
「分かっ―――」
「そしてお前には、ありがとう、と…」

驚き、そして苦笑へ
北川の顔が泣き笑いの様に変化する
二人は互いに深く笑みを交わす
そして、祐一は北川から手渡されたナイフで長い髪を斬りおとした
師の長く綺麗な髪を真似た思い出を、友の手へと託す
それと同時に、一つの小箱を受け取った

「お前の親父さんが、お前に託した代物だ」

これが、と胸中で呟く
その小箱を、哀悼を含んだ笑みで眺めた
感慨を抱くのは未だ早い
その小箱を大事に懐へ仕舞うと、再び表情を元に戻した

これが、永遠の別れにならない事を―――切に願う
この御人好しの友人に出逢えた事に、素直な感謝を

言葉に出さず、告げず、思いだけを虚空に投げ掛けた
別れの時だ
最後に、視線を交えた

「皆を…頼む…」
「…任せろ…」

吐いて出た言葉は、別れには飾り気無く
しかしそれでも、互いの心を縛るには重い言葉が交わった

そして―――祐一は北川と逆の方向へと歩き出す
祐一の歩む先には、耕介達が待っている
その途中で、祐一は振り返る事も無く言葉を発した

「俺は、死んだ。そして今から―――俺は新しい俺だ」

やがて、アイザワユウイチだった人間も去る
影が混じったその団体も、やがて夜の闇に消えた
北川は一人苦笑する
月の光が酷く優しかった




「旅する騎士に、幸福があらんことを…」




その声だけが、夜の闇に響く―――











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