白い女性は、子供の手を握った
離れていくのは原点
迫ってくるのは極地

人生の転機が訪れた時、そして修行時代の話だ
それは、青年が少年だった頃の物語




















――― To the children of an INHERITANCE - 遺産の子達へ ―――
――― stage-7 Distance to of his death - 終焉までの道のり ―――





























#2 黎明―at daybreak



































目の前で自分の両親と“交渉”を開始した白い女性を見ながら祐一は考えた
交渉の内容は―――
『相沢春人』の話を無しにし、改めて『相沢祐一』を貰いたい
そんな内容だった
どうやら両親は、最初に春人をくれと言われた際には直ぐに断ったらしい
女性の話を聞いていて解った事は、“何か”の後継者が欲しいらしいという事だった
他にもシャイグレイス内で見込み有る人間を探している、との事だ
それに春人は引っかかった。しかし―――
春人は相沢家の次男にして、ロードにして父である相沢夜人の血を濃く継いだ人間だ
相沢の次期当主と言っても過言ではないだろう
そんな大事な跡取りをくれてやる事なんて出来ない
加えれば、女性は一切の素性を語っていないのだ
そんな怪しい人物に子供を預ける事なんて出来る筈がない
判断出来る材料は、女性の持つ――恐らくは遺産だろう剣と―――

その身に纏う、魔力の波動とは違うオーラだけだ

そして、話は始めに戻る
交渉の開始だ
しかし、それは一分も経たずに終了した
相沢夏姫は少し逡巡し、横に立つ相沢夜人の表情を覗き込んだ
そして、夜人は

「それなら構わない」

と、そう告げたのだ



















「………」
「どうした、祐一」

雪降る山道を歩きながら、己の手を温かく握る女性を見上げる
その時の眼は、酷く冷めた眼をしていたかもしれない
しかし、それでも隣を歩く女性は微笑むと、歩みを止めて自分に対峙した

「悲しいか?」
「よく、解りません…」
「親を恨むか?」
「解らない…国が、栄える為には、正しい判断だと、思うから…」

知らず、祐一の頬を涙が伝う

「…祐一」
「はい…」

言葉は無かった
ただ、優しい顔をして抱擁してくれる温かさだけがあった
ああ、本当に、この温もりを感じたのは何時以来だろうか?
出来損ないの烙印を押された時には、もう抱き締めてもらった事など無かった
春人の能力が自分を軽く凌ぐのを聞かされた時には、既に抱擁なんて無かった
ああ、本当に、まだよく泣いていた子供の頃に抱き締められて以来の感触だ

自分は出来損ない
だから、父親は躊躇わなかったのだろう
だから、母親は判断を止めようとは思わなかったのだろう
だから、必要無い自分は預けられ―――捨てられたのだ

預けられたのだと、納得しなければならない
これは、国を護る為の正しい判断だと
しかし、考え、心に刻み付けようとしても、本能が否定する
捨てられたんだ、と

「祐一、聞け」
「………」

白い女性は視線を祐一の高さにまで下げると、慈しむ様な瞳を向ける
温かい。それだけで心の凍傷が止まり、その傷口を癒している様に感じる
ああ、そうか。思い出した。これが―――

「お前は決して天才じゃない。はっきりと言おう…無能だ。…だがな、だからこそ私はお前を気に入った。本来貰い受けようとした相沢春人――お前の弟の話を全て無かった事にしてもだ。何故だか解るか?」

解らない。そんな物は解らない
けど―――

「祐一。お前は貴い精神を持ち合わせている。あえて孤独に身を浸そうとも、それを耐え、凌ぎ、自分の力に換える“才能”を持っている。お前の弟の様に、ずっと母の後ろに隠れているだけの物ではない。いや、それが決して悪い事だとは言わない…それが本来の子供の在り方だからな…。だが祐一、お前は違う。その年にして、ちゃんと努力する事を学んでいる。耐える事を識っている。だから私は、私が知る全ての事を教えきるまで耐えられるだろうお前を気に入ったんだ」

肩にかかる力が弱まる
そしてまた、淡く、しかし温かい抱擁をされる

「だから、全てにお前が捨てられたとしても、崩れ去ってしまったとしても、私だけはお前を必要としよう。愛し続けよう。私の少ない命、その“無”限たる“能”を埋める為に力を、そして温もりを与えよう」

―――そう、これが…

「私の名は緋菜菊――元・世界五指(ロード・オブ・ロード)の一人、【 死天剣(ヘヴン・スラッシャー) 】が、お前を愛そう」

これが―――母の温もりなのだ―――



















そして、正式に祐一は【 死天の御業 】を継ぐ事になった
永き時を死体の山で固めてきた殺害特化の暗殺・戦闘術
それが祐一に刻まれる新たな力だ
しかし、それは生半可な物ではなかった




「はぁ、はぁ、はぁ、――――」

切れた呼吸を無理矢理正し、祐一は大木を背に真剣を構えていた
雪が積もる森の中で、戦闘服を見に纏い、剣を構える少年
場違いにも程が有る光景だろう
しかし、ここ―――シャイグレイスの山奥では日常茶飯事な光景であった

「知れ、識れ、解らない事は無いんだ。魔術の瞑想の原理で心を世界に溶け込ませる。それの応用だ。見切れ、視ろ、―――――後ろ!!」

少年―――祐一が叫ぶと同時に、大木に線が走った
走った線の数は二十八
祐一は間一髪の処でそれを身を投げて避けると、直ぐに精神を落ち着かせる様に呼吸を整えた
これは【 空握 】という技術の修行だ
【 空握 】――空間掌握は文字通り空間を自己の支配下に置く事で、全ての事象発生を読む為の技術だ
しかし、それも未だ拙い

コツンッ!

「!?」

石が跳ねる音
その方向に視線を向け
そこで祐一は自分の愚かさを呪う
変化なんて何処にも無い
ただのフェイント、フェイクだ
音に騙されて、広がりかけていた精神が急速に“内”へと戻ってしまう
その失敗を付くかのように、罰が降り注ぐ

斬!

「あぁっ!!」

白い髪が視界を掠めたと同時に紅色の煌きが宙を舞う
そして、舐めるように刃が背中を滑った
奔ったのは焼けるような激痛
修行で何度も受けた刃による裂傷だ
その痛みで祐一の意識が一度飛び、その頭が地面へと吸い込まれる

「く、ぐぅぅ…」

倒れこみ、血を流しながら祐一は言葉を紡ぐ
このまま倒れていては、再び“罰”が振り下ろされる!!

「い、癒し、護り、調和を築く、自己治癒強化(ヒーリング・ライト)

呪詞と共に展開されていた構成式が発動し、淡い光が祐一の身体を包んだ
自身の治癒能力を高め、そして多少ながらの増血作用により状態を回復
身体に余るエネルギーを前借して回復を促進させる
痛みが和らぎ、出血の量が減ると同時に祐一は前方に身体を投げ出す
刹那―――

斬!

祐一の居た場所に紅い刃が走り、地面に一直線の傷を刻み付けた

「反射的な行動に精神の制御を崩したな、祐一」
「く、はい…」

音も無く降り立ったのは師・緋菜菊
その右腕には150センチはあるだろう大剣を携えている
女性が持つには余りにも桁外れな、いや、男だとしても片腕で持つには余りある剣を片腕だけで支えた剣士
それが祐一の眼前に降り立った

「いいか祐一。戦いにおいて、心の乱れは敗北へと繋がる。今のがそれだ。【 空握 】の展開をそのまま続けていれば、聴覚から入って来た情報にも冷静な判断が下せただろう。心をより一層研ぎ澄ませ。身体に自然のエーテルを染み込ませろ。自身は結局、自然界においては唯のオブジェだ。主観と共に客観的な視界を手に入れ、全ての事象を把握するんだ」

魔道理論、ガイア理論、第三視点、それを複合した様な説明の間にも、紅い刃は一切動かずそこにあった
幻想期遺産――魔剣【 犯し尽くす業火の竜(レーヴァテイン) 】
師は、今まで一度も能力解放を行った事が無い
今の状態で能力解放が行われれば、一瞬で祐一は消し炭にされる事だろう
だが、それ程の力を使わないにしても、緋菜菊には勝てる見込みなんて無い
それ程までに緋菜菊は強い
動けば視覚では捉えきれないし、宙を舞う紅い刃は煌きだけを残して標的を惨殺する事が可能だ
歩く際でも足音一つ立てる事は無い
それほどまでに完成された強さがそこには在る

緋菜菊は修行の際、一切甘い行動を許さない
だからこちらが油断していれば問答無用で今の様に斬られるし、ノルマが終了するまでは決して冷徹な表情以外は見せない
だが、

「それじゃ、取りあえず今日の修行は終わりだ」

そして、ふっと優しい顔になる
まるで性格が逆転する様な物だ
それは、修行と日常を分けるかの様にはっきりと違う
これが緋菜菊のスタイルなのだろう、と祐一は既に納得している

「それで、怪我の方は大丈夫かい?」
「あ、はい…一応魔法で治癒は掛けましたから…少し痛いですけど」

その祐一の言葉に緋菜菊は苦笑する
そして祐一の頭を撫でると、己の手を見て悲しそうに笑う

「すまないね…私がこういった身体じゃなければ、高位の魔法で治療もしてやれるんだが…」

緋菜菊は延命と肉体維持に全ての魔力を持っていっている為、魔法が使用出来ない
つまり、ここにある姿では、彼女は一切の魔術関係の行動を取る事が出来ないのだ
勿論能力だって使用出来ないし、魔力を吸う魔剣の解放なんて行ったら一瞬で枯渇して倒れてしまうだろう
緋菜菊の場合は、“魔剣の能力を使用する必要が無い”のではなく“使用出来ない”のだ

そんな背景を知る祐一は、そんな事は気にしなくていいです、と首を振る
実際に祐一はそんな事を気にしてはいない。むしろ感謝すらしている位だ
そんな祐一の振る舞いに緋菜菊は苦笑すると、撫でるのを止めて歩き始めた
それに自然と祐一も続く
修行は終わった
それなら、家に帰らなければならない



















そこには少し古ぼけた屋敷があった
緋菜菊が言うには、昔あった“倭”という国の造りに似た邸宅らしい
代々【 死天の御業 】を継いだ者が住んで来た物だそうだ
中央大陸北の山岳地帯と、森林地帯に囲まれたこの屋敷に二つの影が入って行く

屋敷に入り、そこでやっと祐一は深く息を吐き出した

「―――ただいま」
「うん、おかえり」

呟く様に小さな言葉に、苦笑と共に緋菜菊は迎えの言葉を紡いだ
それを聞く度に祐一は嬉しくなる
ここでは、ちゃんと緋菜菊が自分を迎えてくれるのだ
祐一は少し照れた様にそっぽを向くと、持っていた剣を置いた
鞘に納まった白磁の剣
緋菜菊がくれた儀礼祝器(ケイテシィ)――投擲剣・墓標立つ戦場(ミリオン・グレイヴ)
その少し変わったケイテシィを置くと同時に、今度は上に着ていた戦闘服を脱ぐ

「さて、それじゃ私は湯を沸かしてくる。それまでに治療を行っておくんだぞ?」
「分かってますよ」

奥に消えていく緋菜菊を見送り、祐一は背に刻まれた刀傷に触れる
傷は大分塞がった
治癒魔法は、己の代謝能力を比較的増大させる魔法だ
故に、この魔法系列を使用すれば非常に腹が減る
身体に巡るエネルギーを使用するのだ、当たり前だろう
だからか、この治癒魔法というのは使い勝手が悪い
戦闘中に下手に乱発すると、魔力の枯渇で動けなくなるよりも速く、代謝により身体の生命エネルギーが減って動けなくなってしまう
治療施設が整った場所でもそうだ
この魔法を使用する際には、必ず栄養点滴が必要になる
怪我をして来た人間に治療を施し、さらに傷を塞ぐのに再び倒れてしまったらそれこそ笑える

「これ位なら…後一回だけ下位の治癒魔法で足りるかな…」

判断を下し、先程使った詠唱を行う
余り大きな傷には使わない下位の治癒魔法――ヒーリング・ライト
エネルギーの枯渇を極力抑えた治癒呪式
淡い光が再び祐一の身体を包み、瘡蓋だけになった傷痕を癒していく
こんなに治りが早いのは、緋菜菊の斬り方が巧いというのもあるだろう
良い切れ味の刃物と腕があれば、戻し切りが可能な様に
つまりそれは、あの一瞬で殺す事すら可能だったという程に熟練した腕前を持っているという事にも繋がる
その技術的な差に驚くと同時に、頼もしさも覚える
そんな桁外れの人間に教えを受けている立場としては…

「―――…よし、これで大丈夫かな…?」

つくづく自分という存在はロードという物に縁が有るらしい
父、そして師・緋菜菊
世界五指を担う一人に片や元世界五指
運が良いのか悪いのか…
いや、少なくとも緋菜菊と出逢えた事は幸せなのだろう
と、そんな事を考えていると、緋菜菊が戻って来た

「湯が沸いた。血の汚れを洗い流して来い」
「あ、はい。それじゃ先に頂きます」

斬られた戦闘服を持ち、風呂場へと移動する
血で汚れた衣服を籠へと放り込み、出されているタオルを腰に巻いて白い湯気の中へ

「うん、毎度見ても壮観だなぁ…」

檜作りの最高級風呂
かなりのセンスをしているだろう
かもし出される自然の匂いがそれだけで傷と疲れを癒す様だ
大分この生活にも慣れたが、この風呂場は何度見ても飽きる事は無い
うん、ともう一度頷くと、祐一は湯をすくい頭から被る

「それじゃ背中は私が流そう」
「う、うおっ!?」

突然掛けられた声に咄嗟に振り向く、が

「し、し、師匠! せめて身体にタオル位巻いてて下さいっ…!」

一糸纏わぬ緋菜菊の姿に視線を直ぐに前へ戻した

「なんだ。こんな老人の身体を見た所で愉しい事なんて無かろう?」

本当に愉しそうに師匠は笑う
こういうからかい方は止めて欲しいが、自分がここに来た日から、こういった奇襲は止む事が無い
文句を言えば言ったで―――

「【 空握 】を使っていれば分かる事だっただろう。修行不足だな祐一」

そう言って緋菜菊は笑うのだ

何だかんだで緋菜菊に背中を洗ってもらい
ついでに、その白い背中を流してあげて、二人で湯につかる
この時に恥ずかしいので背を向けるのだが、後ろから抱きつかれて異常に精神力を減らされるのは疲れる
幾ら本来の年齢が140を過ぎているとは言え、肉体の方は20前後で停止しているのだ
柔らかい双丘が背中に押されて鼓動が響く
だが、

「師匠は…後、どれ位生きられるんですか…?」
「さてね…四年か、五年か…そう永くは無いだろうね」

そう聞かずには居られない理由がある
緋菜菊の左胸から腹部にかけて、黒い、どす黒い刻印が走っている
特別な術師に彫り込ませた、延命用の魔術刻印だ
その脈動が、抱き締められた背中に弱く、そして魔力を搾取しながら蠢く感触が伝わってくるのだ
弱々しく、本当に弱々しく

「………」

師は、数年後に確実に死ぬだろう
その白く、若々しい姿のまま
魔力の完全枯渇により、静かに、美しく
その事を考える度に、普段は薄い感情の起伏が波立つ
悲しみに感情が隆起する

「何を考えてるん、だっ」
「わぶっ!?」

その度に、まるで見透かしたかのように師匠は邪魔をしてくれる
回した手から顔面へと湯をかけまくるのだ
手段は何時も荒っぽいのだが…

「さて、出ようか。流石にのぼせてしまう」
「師匠が入ってこなければ、もっと早く風呂から出れると思うんですけど」
「何か言ったか、祐一」
「別に何でもないです」

普通の人がじゃれあう様にする会話
そんな何でもない、しかし祐一にとっては貴重な会話をして風呂を出る
本当に何でもない日常
毎日が、死ぬ様な訓練に満たされていても―――
この幸せが続く限り、この現実に浸っていたいと
そう思っていた











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