黄昏の空に、終わりを知らせる教会の鐘の音が響いた
命を知り、闇に堕ちていた心に一条の光が差し込む
だけど、それの代償は酷く重かった

瞳を開き、そして後悔を背負った時の話だ
それは、青年が少年だった頃の物語




















――― To the children of an INHERITANCE - 遺産の子達へ ―――
――― stage-7 Distance to of his death - 終焉までの道のり ―――





























#9 黄昏-twilight



































最初に、誅殺指令が届いた
何だろうかと思い、その封書の端を切り、中の指令状を見た

視界がぐにゃりと歪んだ気がした

相沢夜人の抹殺
そんな文字が、文面の最初に記されている
何だこれは、と思う反面、この指令が自分に回って来たのが、至極当然だと思う自分も居た
数日前から、そんな予感はしていた
今日、それが現実に起こった。そう、ただそれだけ
酷く静かな感情で、そこに記されている文字を、一言一句確かに読み進めて行く
ここ数ヶ月の間で起こった失踪、その実体をしるした言葉
犯人は相沢夜人だという
それを掴んだのは、相沢の領地に潜入していた二人(・・)の内の一人らしかった
片割れが連れ去られるのを、遠くから確認したらしい
運が良い…
それが祐一の正直な感想だった
相沢夜人が犯人だとして、二人同時に始末されず、一人が生きて帰ってこれたのだ
だが、と疑問が沸き起こる
相沢夜人が、本当に二人目の存在も見逃していたのだろうか? と
相沢夜人は、軍事関係者だ
それこそシャイグレイス国特務【 殲滅殺戮軍(ジェノサイドフォース) 】の第四師団団長を務めている
抱える兵は、相沢の領が抱える私兵が殆どではあるが
それでも、彼は軍の、国の上層部に存在する人間だ
勿論、今回の諜報による監視も、それに割り当てられる人数も把握する事だって容易い
それは同じ特務の祐一でも知っている事だ
それなのに、一人を連れ去り、もう一人を始末せずに逃がす等と言う事がありえるのか?

「だが、それでは得られる物が無い…」

そう、そんな事を行って得られる物が存在しない
相沢夜人が犯人と断定し、粛清する事態が起こってしまったのは判る
だが、人を連れ去り、彼は何をしているのか…

そして、もう一つ考える事があった
それは、何故自分の処にこれが来たかという事だ
多分、王も、元帥も、相沢祐一が相沢夜人の息子だという事を知っているのだろう
全て知っていて、いや、もしかしたら、相沢夜人が語っていたのかもしれない
捨てた、自分の子供の事を

「今更…血縁か…下らない…」

酷く冷たい口調で、家族や血の絆を否定する言葉を吐き出した
だが、その心中を凍える様な風が吹き抜ける
寒いな…
捨てたのではない、強制的に失わされた思い
家族の団欒は、自分にとって緋菜菊との思い出だけだ
ぐしゃっ、と手に持っていた書類を握り潰す
不愉快な感情だ
捨てた筈の子に、今更になって責任を押し付ける

「いいだろう…数年ぶりの対面だ…」

ぐしゃぐしゃにされた書類の代わりに、祐一は立て掛けていた剣を握り締めた
その口元には、笑顔の成り損ないみたいな笑みが浮かんでいた









執務室から出ると、直ぐ其処に北川が立っていた
腕を組み、祐一に視線を合わせないで虚空を見上げている
それに、足を止めて祐一は北川を見遣った

「子が、親を殺すか…」
「北川…」

酷く静かな口調で、北川が天に告げる様に口を開いた

「これは、国からの命令だ…」
「『攫われた民が生きていた場合にのみ、相沢夜人の捕縛を許可。しかし、理由によっては抹殺』…絶対粛清と変わらない様な命令だがな…」
「…何が言いたい…」

北川の煮え切らない口調に、祐一が声を低くする
眼光は鋭く、射殺さんばかりに北川を睨んでいた
そこになって、初めて北川は仰ぎ見ていた顔を下げ、祐一の視線に己の瞳を晒す

「本当に父親を殺すのか、相沢」
「もう既に父ではない。元父だ。関係ない」

その言葉に、北川は悲しそうに顔を伏せた

「それでも、たった一人の父親だろう…」
「…俺はな、北川…」
「………」
「俺は、貴様が羨ましいんだ」

はっとなって北川が顔を上げる
だが、祐一はそれを見もせずに通路の先を見ていた
その瞳には、虚無の濁った輝きだけがある

「お前の両親は、死んだ事でお前を手放し…斎藤家で育った…。だが、俺は―――」
「相沢…」
「俺は、直接あの人に要らないと言われたんだ…俺は、頑張ってたのに、一度も褒められた事も無かった。友達と遊ぶなんて時間すらも削って、魔術の訓練に励み、そして倒れるまで頑張っても、俺は一度もあの人が顔を見せてくれた場面を見たことが無い。俺は貴様が羨ましいよ…。友達が居て、明るく笑ってられるお前が…。俺は、あの頃を、笑って過ごしたかった…」

そこまで言って、祐一は歩き出した
振り返りはしない。確固とした足取りで通路を歩んでいく

「憎むのか」
「判らない…」
「悲しいのか」
「判らない…でも、今はもう子供じゃない。だから、ケリを付けに行くんだ」
「苦しむぞ」
「――――…」

そこで、一瞬だけ、祐一の歩が緩んだ気がした
しかし、それすらも錯覚
能面の様な表情は哀しみに塗れ、その歩みが戸惑っているのは錯覚なのだ
理解しきれない感情の本流が、祐一の心を激しく揺さぶる
だが、それを整理するだけの時間を、国は与えてくれてはいなかった
やがて祐一の姿が消え、取り残された様に北川は一人佇んでいた
そして、

「悲しいな…相沢…」

祐一とは逆の方向へ歩き出した北川の呟きが、無人の通路に虚ろに響いた



















数年ぶりに見た故郷は白く塗り潰され、昼だというに人気は無い
相沢夜人の抹殺命令は一般に出回っていない筈だが、住人達は独自に危険を回避しに回っているらしい

「………」

何処か荒涼とした景色を眺め、溜息
変わっていない、と思い、やはり変わった、と思う
それは、子供の視点の高さから大人の視点の高さになった事と…
この酷く静かな景色がそうさせているのだろう。そう、思う

ぎゅっ、と足元の雪を踏みしめながら歩を進めた
雪が深々と降り積もる中、唯黙々と一直線に歩く
前方、白いヴェールに薄っすらと見える屋敷が相沢の屋敷だ
その中を、まるで紙の上を蟻が一匹だけ歩く様に進んでいた
軍務独自の白い制服を祐一は着ていない
今日は普段着ている漆黒色のコートだ
血が染み込んで、洗っても、もう匂いが抜けない装束
それを着込んで、祐一は白い景色を独り歩んでいた

「独り…」

最初に一人で行こうとして、耕介に止められた
団長が行くなら、その補佐も行かなきゃ
そう、何時ものプライベートの時間で話す様な感じで、彼は申し出てくれた
とても、とても嬉しい事だった
自分を心配し、着いて来てくれるという彼の心遣いが
だが―――断った
どんな顔をしたのか、多分、自分は苦笑しながら
彼の申し出を断った
すまない事だと思う
だけど、これは当人達の問題だ
だから、これから起こるだろう事に、巻き込みたくはなかった

だから、この世界は自分が望んだ孤独な世界

歩き、歩き、歩き
やがて、眼前に屋敷が迫る
門は―――開け放たれていた

「………ふん…」

どうやら、入って来いという事らしい
随分舐められた―――
いや、たった一人の対国家兵器みたいな人間に私兵をぶつける事の方が愚か、か
祐一は微笑んだ
そして、心の支配を解き放ち、周囲の世界をその客観的視点の支配下へと置く
前方、屋敷の扉の中に一人…
油断無く、何時でも抜刀し瞬殺出来る様に無駄なく歩く
そして、屋敷の扉が開け放たれた

「………」

出て来たのは一人の少年だった
最初に出てくるのが相沢夜人だと思った為、正直拍子抜けだ
しかし、その顔には見覚えがあった

「兄さん…」
「春人、か?」

たった一人の自分の弟
相沢夜人の力を、血を、濃く受け継いだ相沢の後継
その少年が、祐一の眼前に立った

「久し振り、とは言わん。用件は解ってるな?」
「うん…でも、本当に兄さんが…」
「王、及び元帥が決めた事項だ。俺がとやかく言う事じゃ無い」
「………」

その言葉に、春人は顔を伏せた

「でも―――父さんは…」

春人の言葉を聞こうとせず、祐一はその横をすり抜けようとする

「父さんは、国の為に…」

その言葉に、祐一の歩みが止まった
国の、為、だと?

「どういう事だ…」
「父さんが人を攫っていたのは、国の為にした事なんだ。だからって許される事じゃないのは解ってるけど…! それじゃ、あんまりじゃないか…」
「貴様の言い分を聞いてる訳じゃない。簡潔に理由を言え」

その、肉親に向けられるのとは全く違う冷たい言い方に春人の肩が震えた
祐一は唯冷徹な視線を向けている

「国に、新しい怨血呪器の開発を命じられたんだ…」
「怨血呪器の…」
「材料には、何が必要か分かるよね?」
「―――あぁ…」

事態が飲み込めてきた
ブラッド・ケイテシィの製作には、生物が必要になる
穢れをその身に染み込ませ、呪いの塊として作り上げるのだ
血と憎悪、そういった絶望の光景をかき集め、そして作られるのがブラッド・ケイテシィ
理由は解った
だが、

「殺さない理由には…ならないな」
「――――…」

そう、理由にはならない
国は、あくまで「新しいブラッド・ケイテシィの製作」をと、相沢夜人に依頼したのだ
国の民を殺しても構わないという言葉までを伝えている訳では無いだろう
そう考えると、段々事件の全貌が明らかになってきた
少し前に新規の量産型儀礼祝器の配給という報告書があったのを思い出す
あれには相沢夜人の名が多く記されていた
その新しい量産型は、全て“この茶番”で作られた物だという事になる
そして、量産型の完成を果たした相沢夜人の価値は、最高戦闘能力の一点のみになる
今のこの国の状態で言えば、戦力には祐一も北川も居る状態だ。一人位減ったところで構わない

その思考に辿り着き、心底胸が悪くなった

つまり、用済みのゴミは捨てる―――そういう事だ
しかも、そのゴミを、実の息子に処分させるという最悪の思想
もし他の誰か―――いや、この国で現在相沢夜人に対抗出来るのは祐一と北川の二人だけだ。それなら他の誰か、というより北川唯一人と言えばいいだろうか?
その北川に任務が下ったとして、祐一は結局、その任務を横から掻っ攫った事だろう
恨みも羨望も、その全ての感情にケリをつける為に
だったらこれは、無駄を省いた理論に他ならない
最悪にして最高の多数主義だ
駒の感情すらも利用した、最高の見世物…
この悲劇にして喜劇を考えた人物を心底から恐れる

「相沢夜人は、民を多く殺した…研究という題目で…。裁かれるのは当然だ…」

一歩踏み出し、二歩踏み出す
次は、止められなかった
彼は、祐一の弟は、唯俯いていた
春人も理解しているのだ
祐一がこれから行う処置が正しい事を
だが、納得出来なかった
そう、それだけだった

祐一は、すれ違い様に天を仰ぎ見た
国への忠誠と、壊れてしまった絆の欠片が軋みを上げる
胸が酷く痛んだ
空は、心は、未だ雪雲が天を覆い、暗く、昏いままだった









かつん、という音を立てて大理石の床を踏みしめた
ここに居ても分かる
相沢夜人は真正面の扉、その向こう側に居る
下らない、本当に下らない事だ

殺す事で恨みを打ち消せるのか?
知らない
殺す事で、凌駕する事で春人への羨望を無い物へと変える事が出来るのか?
知らない
それが国の意思だからと、全てそこになすり付けようとしていないか?
知らない
考える事を放棄して、成すがままに実行しようとしていないか
知らない

定められた役に収まって、自分を殺してないか…祐一?

ごきっ…
最後の一節が脳裏を過ぎった瞬間、出来るだけの力を込めて頬を殴った
どれ位の力を込めたのか、その口の端からは血が滴っている

「師匠の言葉なんて…考えてるなよ…相沢祐一…」

ぽつりと呟き、零れる雫を拭った
取り留めない思考が過ぎっては虚しく霧散してゆく
やがて、唯何時もの冷静な思考が戻る程に落ち着いた
あぁ、と喉から漏れる様に吐息が吐き出される
これでいい、今だけはこれでいい
余計な考えを持っていては、戦闘に支障を来たす
口の端を歪め、嘲う
己自身を嘲る様に、祐一は冷たい笑みを浮かべた
そして、眼前の扉に手を当て―――

ゴッ―――

―――押し開ける

「………」

久し振りに見る姿だ、と思う
その姿を捉えたところで変な感慨は浮かばなかった
憎悪も、何もかもが消え失せた
いや―――それこそが異常か

「祐一…」

男の横に立っていた女性が呟く
懐かしい姿だ、この人が自分の最初(・・)の母だった人だ
それが、行く手を遮る様に佇んでいる

「―――…第一師団団長・相沢祐一が、元第四師団団長・相沢夜人の処理に当たる」
「祐、一…?」
「どけ、相沢夏姫。貴様に用は無い」

家族としての会話でもあると思ったのだろうか?
ならば、それはとんだ的外れな考えだ
自分の思考は、動揺すら無い程にクリア
ありえない程に、この場面を冷静に受け入れているのだから
今から、完全に壊して亡くす絆に縋ろうなんて、欠片も思わない

「相沢夜人。罪状、国家反逆により、貴様を粛清する」
「………祐一」

祐一が罪状を述べると同時に、夜人は言葉を発した
静かな口調で、余りにも穏やかに
―――その何でも無い様な仕種が…酷く恐ろしかった

「…何だ」
「理由は、春人に聞いたか?」
「……あぁ。だが―――」
「許される事ではない」
「その通りだ」

その、これから死ぬかもしれないという空気の中で、それでも相沢夜人は穏やかだった
眼前に佇む人間になら、殺されても構わないという雰囲気すらある
その口調は、嘗て弟に向けられている物程に―――自分の子供に対して話している様でもあった

「祐一」
「何だ」
「私は最大限の抵抗をする」
「そうか」

それは、あくまで確認の様に
最初からそれが決まっていたかのように、両者は鞘から剣を抜刀した
それでも、この部屋に居る夏姫以外は、祐一と夜人だけは冷静だった
祐一は無駄な思考を排除し
夜人は唯穏やかに
その決戦の場所に立っていた









「堕つる輝きは、天を下り―――」
「万軍瓦解す、真闇の暗がり―――」


呟きが世界に漏れる

「地の底に舞い立ち、魔軍の指揮を担う」
「刺し、穿ち、抉り、切り裂くそれは…」


剣から闇が這い、空間を侵食してゆく

「―――射抜け、散り逝く幾億もの闇光よ」
「腐敗せし大地を這い歩く闇の使者」


そして、闇が凪ぐ









第一封印解除(【ファースト】・ロックオープン)

「輝け―――」
「起きろ―――」

煉獄を照らす天使(エル・アルカナス)
剣と盾を与えし堕天(フォーリング・アザゼル)









次の瞬間、祐一と夜人の間の大理石の床が爆裂した
一際激しく散った岩石はそこら中に跳ね、夏姫には一欠片も岩石が飛来しなかったのは奇跡としか言いようが無い
その爆発に身を守るでもなく、夏姫は一瞬にして吹き抜けが出来上がった屋敷の奥を呆然と見遣る
そこでは、今まさに、父親と子供が―――殺し合いを行っていた
何処で間違ったのか
いや、きっと
そんな物は初めから決まっていた

「祐一…ごめんなさい…」

その頬を一筋の涙が流れる
呟きは、爆音と閃光に掻き消され―――消えた









「―――煌きの都」

爆発の煙が収まるよりも前に、その視界を埋め尽くす白霧から光の球が祐一めがけて飛来した
光学操作能力を持つ相沢夜人の力だ
しかし、祐一はそれを危なげも無く回避すると、眼前に向かって漆黒色の剣を振るう
ビッと切り裂かれた空間は、それに遅れる様にして煙が晴れた
眼光を鋭く細め、その向こうを直視する
居ない―――が、確かに居る

「光学迷彩…」

ぽつりと呟かれた声に、景色の一部が揺らいだ
視覚により殆ど確認する事は不可能だが、それでも祐一には【 空握 】という力が有る
その第六の感覚が告げていた
―――全方位から、魔力の渦!

「ちっ…」
「光に揺れる世界」

小さく舌打ちすると同時に、祐一を覆う様に光球が幾つも中空に出現した
ここは言わば相沢夜人の空間だ
屋敷に入った時から、その本人の気配を隠す様に魔力が空気を冒していた
その為、空気中を流動する魔力の流れを感知するのに時間がかかってしまうのだ
ここは相沢夜人の“敵”にとっては死地に他ならない
ここは彼の為に用意された、相手を殺す為の要塞
祐一にとっては限りなく不利な場所である
それが、空間把握能力を有するとしても

「一斉掃射だ」

相沢夜人が呟くと同時に、幾筋の閃光が吹き抜けから見える暗い空を照らした
絡み合い、その威力を増す光が祐一に殺到し、その身体を消し飛ばさんと猛威を振るう
焦点が合わされた瞬間、爆風が世界を薙ぎ払った
束ねられた閃光は、それだけで莫大なエネルギー量を生み出す
そんな物を人間が喰らっては、重症を負う前に即死するだろう
だが、

「――――ッ!!」

閃光に爆裂する視界に、黒い影が飛び出してくるのが見えた
飛び出してきた人影―――祐一は、その身体に纏う漆黒色のコートよりも深い黒―――
深淵を思い起こさせる様な闇を纏っていた
それが数千度を軽く超える高温空間から身を守り、その爆裂で弾け飛ぶ溶解した岩石から身を遮ったのだ

宵闇が遮る絶対防御(ダーク・アイギス)解除!――纏わり付け! 百鬼夜行(パンデモニウム)!!」

祐一が“盾”を解除し“剣”を握る
だが、剣は何時もの様に影に溶け込むでもなく、その黒い刃が不気味に蠢くだけに留まる
それと同時だった
夜人が「煌きの都」により光の球を幾つか顕現させたのは
空気を切り裂き飛来する光の弾丸
祐一は避けるでもなく、そこに向かって走り出し、空間ごと切断するかのように剣を横に薙ぎ払った
瞬間、剣から蠢く黒い影の刃が幾つも宙を疾り、光の球に接触

「!!」

ゴンッ…! と腹の底から響く爆音が鳴り、空を燈色に染め上げる
それに照らされた夜人の顔が驚きに歪められ、口の端を僅かに上げた
だが、驚いている暇は無い
光の球が墜とされた位置へと、その剣―――エル・アルカナスを神速で斬り放つ!

ガギン ン ン ―――ィィンッ!!

甲高い音が、刃と刃の接触を知らせる
眼前で交差された刃を互いに見つめ、親子は今一度対面した

「…満足か、相沢夜人」
「そうだな…それなりに、良い人生だった」

決着は未だついていない
それでも―――それでも二人は結末を知っている様に話していた

「ロードの称号を得た。夏姫と結ばれた。子を授かった…」

そして、ふと―――悲しそうに、夜人は笑った

「そして、他の誰でもなく…私はお前に殺される事が出来る…」

夜人の、左眼光の紅き輝きが、その人生を語っていた
悔いは無い
あるとすれば、子を平等に扱ってやる事の出来なかった父親としての態度だ
そう言わんばかりの瞳の色だった
その輝きに、祐一の顔色が怒りに染まった
全ての感情の制御を押し切って、堰を切って様々な思いが這い上がってくる

「今更! 俺を誇りの様に言うんじゃ無い!!」
「………」

ぎり、と接触している刃が悲鳴を上げた

「家族!? 母親!? 父親!? 能力の優劣だとっ!? 今更になって親の面をしてるんじゃねえっ!!」

激情を咆哮する
今まで溜まりに溜まっていた悲しみを、怒りを、その全ての感情を吐き出す様に、祐一は眼前で穏やかに剣を構えている夜人に向かって叫んだ

「狂いそうになる程、餓鬼の身体で長時間の修行も行った! 魔術を、他の誰よりも、春人に負けない様に、兄貴だから、俺は兄貴だから、アイツよりも強くあろうと頑張ってた!! それでも俺は欠陥品だったさ! 貴様に捨てられる程にな!!」
「―――すまない…」
「謝るなよ!! 今更、俺の目の前で謝るな!!」

遠くで、母親と呼んでいた人がすすり泣く声が聞こえる
呆然と、自分と父親の会話を聞く弟の気配がする
その世界が、自分を嘲笑っている様で、更に怒りが自分を支配した

「師匠が俺の母親だ! 俺の中の父親は既に死んでいる! 貴様が俺に謝る道理は無いっ!!」
「それでも私は―――」
「ふざけるな! とんだ茶番だ、喜劇だ。 何が家族だよ! 唯そこに突っ立って、見知らぬ他人に預けるのが父親か、母親なのか!! ああ、それでも十分に感謝してるさ。 あんたらみたいなのに育てられなくて感謝してる。 俺は師匠に預けてくれたあんたらに感謝してる。 だから、」
「謝って、お前に償えるとは思ってない、それでも、」
「だから、謝ってるんじゃねえっ!!!!!」

合わせていた剣を無理矢理退かせ、その漆黒の刃で斬り付けた
夜人は、一切の抵抗をしなかった
鮮血が宙に舞う
それでも祐一は止めない
斬り付け、斬り付け、斬り付け、斬り付け、斬り付け、斬り付け―――ッ!!
成すがままに、唯黙って斬られる夜人の身体を斬り付けた
声に成らない出来損ないの咆哮を上げて斬り付ける祐一
そこに温かい衝撃が襲い掛かった

「やめ、やめて、お願い、もうやめて、祐一っ…」
「兄さん、止めてよ! それじゃ本当に父さんが!!」

絡みつく温かさが、振り上げていた腕を止める
その眼前では、瓦礫の壁を背に血塗れになって座る父の姿が存在していた
眼光は鋭く、死の気配を乗せて睨む
だが、その瞳だけは未だ祐一の眼を覗いていた

「…それ、それでも…謝らせてくれないか…っ…」

絶え絶えに言う父親に、怒りと恐怖が混じる
睨んでいたとしても関係ない
こんなになっても、この人はまだ俺に話しかけようとしている
それは攻撃という手段ではない強さだった
心だけの強さで、純粋な暴力に屈しそうになる
掲げている剣を握る手から、一瞬間だけ力が抜けそうになり、それでも奥歯を噛み締め、柄を再度強く――強く握り締めた

眼前で血塗れになる父親だった人は、手を掲げる

魔力の収束すら感じない、唯手を上げただけの行為
それに、他の誰でもなく祐一の身が竦んだ
必死に伸ばされる、紅く濡れた手
それが祐一の頬を紅く濡らしながら撫でていく

「手では届くのに、心はそんなにも遠いのか…」
「や、めろ…俺に、触るなよ“父さん”…」

避けていた言葉が、その唇から漏れた
再び、掲げている剣を握る手から力が消失しそうになった

手が震える。怖い、怖い、怖い!!

何に怯えているのかも判らずに、全身を恐怖が走り抜けてゆく

「命は、差し出そう…」
「………」
「それが、王から下された命令なのだろう。果たさなければ、罪を被るのはお前になる」

何故だろうか―――
何故、そんな状態で自分の身を心配せずに、息子の身を心配しているのか
その言葉は、王の為に命を捧げるという物ではなかった
この閉鎖された世界での絶対の法則を超えた言葉だ
この人は―――

王の命令よりも、この事実を優先すると言うのか?

「あ、あ…」

信じていた物が崩壊する
この世の“絶対”が、絶対じゃ無くなった

俺は―――何を信じて生きてきたんだったか?

不明瞭になる意識が存在する
靄がかかって、その事実に触れられなくなる
師匠は言っていた「それは与えられた役だ」と
確かにそうかもしれない
今まで欠片も疑ってなかった、己のたった一つの真実
不明瞭になる事に、酷く心配になると同時に―――何故か、清々しさすら覚えてしまう
ピシリと、鏡に映った自分が罅割れる様な幻視をした気がした

視線を下げる
這い蹲っているのはかつて父親と呼んだ人だ
振り上げた右手を必死にか細く掴んでいるのは母親と呼んだ人だ
右腕と、そのまま身体に抱き着いているのは弟だ
この場の誰もが必死だった
父は必死に謝罪し、母は必死に息子が父親を殺さない様に止め、弟は必死に兄の行為をいけない事だと止めようとしている
自分は必死になって、この任務を果たそう思っていただろうか?
多分、思っていなかったと思う
指令を受けた時、何処か諦めた様な気持ちで書類を読んでいた
最近になって理解した、自分の中に眠る劣等感や羨望、憎悪の事だけが口から吐き出されていたと思う

自分は――相沢祐一は、最初から対等じゃなかったんだ

刃を、腕を掴んでいる“母親”を傷付けない様に静かに下ろす

「祐一…?」

そうだったんだ
俺は、きっと
何時も何処かで諦めていた

強く握っていた右手を緩める

「兄さん…?」

師匠に出逢って、自分は強くなったつもりでいた
それが強い者の当然の権利だと、邪魔な者を平気で排除し、散り逝く足元の人達に、一瞥だってくれなかった―――

「祐一…」

俺は平気で命を奪って来た
命の重みを知らずに、その儚い重みを搾取し続けていた
北川は言った「背負います。その命の重みを」と
“彼”は言った「脆き心の支柱を支えにする愚か者よ」と
今なら理解できる意味だ
北川は理解して、命を奪うという行為を理解した上で、その兵器を手に取ったのだと言う事を
“彼”は知っていたのだ。相沢祐一の原点が、他人の標した物だという事を
理解してないからこそ、王の命令が絶対だと、信じて疑わなかった
だからきっと諦めていた
俺には意志が存在しないと、そう思って邪魔な思考を排除し、成すがままに抗う事も無く行動してきた
何時しかそれが当たり前だと思い、自分を殺す事こそが普遍だと思っていたんだ
だから全てを諦めて、この閉鎖された世界で生きてきた
師匠も北川も、きっとその事について知っていた
だから、何時も何処かで俺を慰め、そして笑いを提供してくれていたんだと、そう思う
この人形の自分に、真実の命を吹き込む為に―――

「………」

頭を下げなければいけないだろう
戦争だったと、軽く済ませる事は出来ない
俺は今の今になって命の意味を知ったんだから
だけど―――

「…その謝罪は、聞き入れた…他に…他に何か―――伝える事はあるか――」

これからも自分は命を奪っていく

「―――そう、だな…」

今の自分には、その生き方しか出来ないから
拙いけど、これしか今の自分は出来ないから―――

「そうだな、元気で、と伝えたい。私の妻に、春人に、そして―――祐一に」

酷く穏やかだった
そして、自分の父も穏やかだった
これから、“相沢祐一”という個として、“父”の首を刎ねるのに、

酷く穏やかな気持ちで存在していた

「その言葉、聞き届けたよ―――父さん」
「……、それなら嬉しい…我が息子にして、最強の剣士――【 神剣(ゴッド・ブレード) 】よ」

カチャリ、刃を構えた
母が、後ろで口元を押さえて、静かにその光景を見ている
次は、止めたりしなかった
解っているのだろう、これが、向かい合った訳でもない命を奪った罪へ下される裁きだと
先ほど止めていたのは、対等に向き合わず、ただ切り刻もうとしていたからだ

「お前は、この先も私を赦さないだろう。それで良い…。だが、憶えていて欲しい事がある」

深く腰を落とし、その言葉を告げ終わるのを待つ

「私は、お前の父親だという事を―――」

そして彼は微笑んだ
彼の最期は、酷く穏やかだった











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