「ここは…」

そう言葉を漏らすと、瞼を開けた先に馴染みの顔が見えた
美しい黒髪に端正な顔立ちの少女だ

「ノイエ…?」
「春人様、大丈夫ですか?」

その言葉に、自分の状態を確認する
身を起こそうとすると、何故かクラクラする
顰められる顔に、ノイエがそっと手を置いて制した

「血が流れすぎたようです。暫くは安静にして下さい」

ノイエの心配そうな顔の横から、透き通った声が響いた
動く顔だけで確認すれば、そこには銀髪の女性が立っている
素直に美しいと感じた

「貴女は…」
「私は冬華…貴方のお兄さん、相沢祐一の相棒です」

その言葉に、今度こそ春人の意識が覚醒した
クラクラする頭とノイエの制止を振り切って頭を起こすと、現在の場所を確認する
場所は特殊霊廟の外
先ほど兄に貫かれた致命傷の傷は―――

「完治…している…?」

馬鹿な、と思う
磔にされる前の串刺しは、全て致命傷を避ける芸術的と言っていいほどの攻撃だった
だが、最後に放たれた刃は違う
肺を貫き、内蔵も傷ついた筈だ
完全な致命傷を負っては、治癒術式も殆どは意味が無い
だが、手で触れてみても傷があったことさえ信じられない位に、肌の表面は綺麗だった

「何で…?」

不思議に呟くと同時に、眩暈が来て視界が揺らめく
倒れかけた処をノイエが支えになると、心配そうにゆっくりと自分を座らせる

「こちらの冬華さんが、春人様の傷を治してくれたんです」
「だが…あの傷は致命傷だった…一般の治癒では…まして能力でも…」
「私にはそれだけの技術がありますので…」

それだけ言うと、再び冬華は遠くを見つめていた
春人もそれに倣う様に、その方角に首を向けた
その方角に在るのは、

「兄さんは、もしかして城へ?」
「ええ…」
「そうですか…兄さんは強い。呪器を持っているなら更に…だけど…」

そこで冬華が心配そうに顔を向ける
それに、春人は顔を振って続きを話すの拒否した

兄は強い
きっと、母を救出し、元帥を倒してくれるだろう
だが―――

「生きとし生ける者、その全ては―――皆等しく『 真理の福音(エヴァンゲリウム・ウェリターティス) 』の前に平伏す運命にある、か…」

そう春人は、悲哀を込めた声色で呟いた




















――― To the children of an INHERITANCE - 遺産の子達へ ―――
――― stage-8 The knight of shine - 灼陽貴 ―――





























#6 赫灼邪竜



































懐かしいな…

祐一は無人に静まり返った通路を歩みながら思う
十五で入城し、十八を迎えた頃には去ったファティマ王城
ここには辛い思いでも、楽しい思い出もある
皆の笑顔が、この過酷な世界には、確かに存在していた
―――いた
今は無い
既に過去形。歩みながら幻視する風景は過去の幻だ
今の王城には、別の物が渦巻いている
それは一種の緊張感に他ならない

シン、と静まり返った城内
兵は戦場に出陣し、元帥は後方の更に後方―――城内にて待機している
待機―――違うか
これは余裕と呼ばれる物かもしれない
戦場に出る必要も無く、この戦いは終結する筈だった
そう国王軍の勝利で、だ
しかし、ここに来て戦場の状況は変化しつつある
策に陥った国王軍、そして―――予想外の戦力
国王軍を圧倒的足らしめる呪器保有者部隊を抑えるだけの戦闘能力保持者
祐一達の存在である
ならば、元帥がこの場所に留まっているのはもう一つの可能性を示唆している
国王は【 遠見 】の力を借りたのか、春人の動きを視ていた
それならば、あるいは―――祐一達の登場や、空から陣形配置を覗く事も出来た筈なのだ

―――招きたいのか…唯の破滅志願者か…

あえて敵の陣形を知っていても動かさなかった理由は解らない
だが、簡易な理由であれば、それは予想する事は出来る
それはとても狂った理由
唯、その結果がどうなるかという、単純な理由
―――このまま戦えばどうなるか?
―――何人死ぬか?
―――どういった死に方を魅せてくれるか?
―――この世界は存続するか、それとも破滅へと向かうか?
―――それは、物語に記されたヒロイックサーガを期待するかのように―――

―――楽しんでいるのだろう。この悲劇を

もう、終わりだ
この国は終わる
確実に終わる
国王軍が勝利していたとしても、余り長くはなかっただろう
この狂った世界で、更に狂った一つの事象は崩壊を促している
遅かれ早かれ、この国は終わった事だろう

「………」

息を吐き出す
重くなる気持ちも吐き出すように
だが、その心象は軽くなる事は無かった
やがって迫ってくる門を見据えながら、祐一は歩みを止めない
どんなにプレッシャーが掛かろうとも、己には確固たる意志がある
引き返す訳には行かないのだ

―――行くか…

そして、通路の最奥にあった扉を押し開けた














広大なホール
傾きかけた太陽が発する西日が、ホールのステンドグラスを通して世界を照らす
幾筋もの光条がホールを照らす先に、男が立っていた
四十も半ばを過ぎようとするだろう外見
しかし、その頭髪は燃え上がる様に紅い
師団の制服に身を包んだ男は、瞑想とも取れる静けさで、唯そこに佇んでいた

「イグニス・レヴィ…」

かつて、軍事を全て統括し、更に現在も統括する軍事最高責任者
その役職と同時に元ロードの世界最高戦闘能力保持者
その男が、夕日に晒されながら、唯静かに立っていた

「久しいな、相沢の倅」
「本当に…」

何時剣を抜いても可笑しくは無い状況で、祐一もイグニスに倣う様に目を瞑る
そこで視るのは過去の幻影か、一瞬後にはゆっくりと瞼を開いた

「訊こう。母さんは無事か?」
「王に任せておくと、戯れに殺しそうなのでな…私が責任を持って保護してある」
「そうか…」

ほっ、と安堵の溜息を吐き出すと共に、今度こそ祐一の視線は細められた
その視線の先には、二振りの刃
右に、魔剣【 犯し尽くす業火の竜(レーヴァテイン) 】
左に、魔剣【 煉獄を照らす天使(エル・アルカナス) 】
それは、先人達の象徴

「師と父の刃、どうしてアンタが持っている?」

殺意を混ぜた視線で、祐一は問う
物理的意味を持ちそうな程に濃い殺気は、それでもイグニスの瞼を開かせるに留まる
イグニスは、まるでその言葉を無視するかのように、ステンドグラスの先を儚げに見上げていた

「相沢の倅…お前は天栄一派・死天を受け継いだ…」
「………?」
「天栄緋菜菊斎は、美しい女だった…」

そして、イグニスは愛しげにレーヴァテインを撫でる

「私が出逢ったのは、それこそ二十に成る前…まだ、ロードとして現役を担っていた頃だった…」

それは昔語りだった
切なく語るイグニスには、今、敵意は無い
祐一自身も、その話には興味があった
唯、静かに耳を傾ける

「かつて、【 世界最強の焔(ワールド・<ファイア>) 】と呼ばれ、【死天剣(ヘヴン・スラッシャー)】と呼ばれる程の剣士であった、白き戦場の女神。初めて逢ったその瞬間から、私は彼女を愛していたのだろうな…」

それは独白に近い
確認を行うかのような作業

「私は、彼女の傍に在ろうと申し込んだ。弟子入りを兼ねていたと言ってもいい。だが、あっさりと断られた」
「師匠には、ちゃんと愛する人が居る。技術を授けた師を愛していたから…。そしてアンタは―――」
「そう、身体と思考が熟成されているのに、死天の業は身に収まらない…だから私は断られたのだ」

夏の大気に、引き抜いたレーヴァテインが冴える
蒸し暑い筈の空気は冷え、紅く反射する光は、色合いとは逆に冷たかった

「やがて年月が流れ、お前が私の前に現れた」

左手でエル・アルカナスを引き抜く
凍える様な空気は濃度を増し、世界に罅を刻み込む
獅雅冬慈と対峙する様な、深い緊張感
ありえないまでに深い、その瞳を覗く

「同期、相沢夜人の長男・相沢祐一。私が渇望して止まなかった女の、その最たる技術を受け継ぎ現れた稀有な存在」

その瞳に映るのは、愛情と悲哀と羨望
敵対を見せる意識は読み取れない
祐一は、その状況に一歩下がる
そこら中に溢れかえっている緊張感は殺気ではない
質の違う気迫に、冷たい汗が背筋を流れる
祐一は、急かされる様に刃へと手を掛けた
そんな祐一の喉から、疑問を形にした言葉が溢れる

「何故…アンタはそちらに居る。戦う理由は無い筈だ。アンタからは国を護ろうという意志が見えない。むしろそれは―――」
「所詮は私利私欲。私はこの二振りが欲しかった。だからこちらに立っているに過ぎない」
「マスター選定期間に入ってない遺産兵装と呪器、唯思い出として欲しかったのか?」

その言葉に、イグニスは初めて無表情と取れた顔を歪ます
それは微笑みに近い嘲笑だった

「私はお前が羨ましい。緋菜菊の寵愛を一身に享けたお前が羨ましい。だから欲した、この刃を。夜人の呪器は使い勝手が良かったから選んだに過ぎない。そう…私は思い出が欲しい。死んでしまった、あの美しい女の幻影が欲しい。だから―――」

一息
一拍の間を置いて、イグニスの表情が歓喜に歪む

「お前と敵対出来るなら、何でも良かった。そう、生真面目なお前だ、何時か北川潤の様に間違いに気付き、牙を剥くと思っていた。それも王の戯れで一度は機会を逃したが…今はこうして、ここに立ち会っている。私は喜んだよ、王がお前の姿を捉えた時は。生きていると知った時は。墓に“ソレ”は共に収められたが、そうなってしまってはお前以外の誰の物でもない。だから今まで“そちら”には手を出さなかった」
「待て、何を言っている…?」
「私は思い出が欲しいと言った。気付け相沢祐一、私は―――」

背筋が凍る
反射的に身を宙に投げる

「緋菜菊を思い起こさせる貴様の存在とセットで、お前の投擲剣が欲しい」

瞬間、ホールに業火が奔った
遣えない筈の魔剣が発動し、世界を灼く

「馬鹿なっ…何故遺産兵装が遣えるっ!!?」

城内に作られた広大なホールに祐一の絶叫が木霊する
声はイグニスにも届いただろう
だが、イグニスはそれに言葉ではなく、魔剣エル・アルカナスを横薙ぎに振るう事で応えた
距離は約十メートル
ありえない間合い
到底、エル・アルカナスの刀身が長いと言っても届く距離ではないが―――

「くっ!!」

祐一がその気配を察知して、腰をさらに落とす
それと同時に勢い良く下げた頭の上を、刃が滑った

今、イグニス・レヴィが持つ物は―――
灼熱を宿した魔剣と、その刀身を輝かす全長十メートル程の魔剣
そのどちらもが、起動状態で存在していた

「どうして、どうして遣う事が出来る…」

呆然と呟く
それ程にありえない光景だった
遺産兵装と呪器を同時使用している事もさることながら、それを遣っている事こそが不可解
ありえない事象だった
魔剣と呼ばれる類の物は、次のマスターを選定するまでに時間が掛かる
数時間、数日という類ではない
遺産兵装で約五十年
呪器に至っては五百年経っても使用不可能と来ている
その長い年月を越えたなら理解出来る
だが、

「どちらも、まだ三年程度しか経っていないんだぞ!?」
「些細な事だ。それこそが、私の呪器【 支配の為の写本(ルールブック) 】、その力だ」

言葉を残響に、彼の耳に下がっていた濁紅色のピアスが輝く
それに共鳴する様に、レーヴァテインの刀身が灼熱を深めた
その輝きが、『次は外さない』と語っている様に―――見えた

「―――ッ! 起きろっ!! フォーリング・アザ―――――」

言葉の後半が、爆炎に飲み込まれる
ホールの四分の一を煉獄へと引きずり込む
発生した大火災は、眼前にあった全てを飲み込んだ
しかし、漆黒は途切れない

「くっ―――」
「―――っは」

闇色の“盾”を纏って飛び出してきた祐一に、イグニスが声を出して笑う
嘲笑、嘲笑、嘲笑っ!
剣に戻った刃が落ちる
振り下ろされた漆黒に、振り上げられた純白が激突した

ぎ、イイイイイィィィィィィィィ――――――――

耳を劈く不協和音
闇と光が互いを克し合う事で発生する属性の相克現象
逆属性が互いを侵食しあい、相手を飲み込まんと、その凶手を首元に伸ばす
だが、一歩及ばない

ィィィィィッギンッ!!

均衡状態が崩壊。剣は互いの威力を純粋な反発力に変換する
発生した斥力に乗って、祐一が軽業師の如く空中を優雅に舞う
華美な紅色の魔剣が、その優雅な舞踏者に向かって斬り込まれる
だが、祐一は回転しながらに捉えた刃に向かって、己の刃を降りぬいた
二度目の接触
繰り出した刃は、漆黒ではなく純白
―――投擲剣ミリオン・グレイヴ
弾きあった力に乗って、今度こそ祐一が間を空けた

着地―――同時に、爆発

―――穿殺・天栄魄想戟

敷き詰められたタイルが陥没すると同時に、祐一の姿が消失する
それは錯覚
消失はしていない
唯、瞳には映っていても、脳がそれを捉えられないだけ
緩から急へ
爆発的な加速で以ってして加速した祐一は、漆黒の刀身を突き出す
ズドンッ!!
眼前で震脚
イグニスを前にして、死天の刃が放たれる
それは正に神速!

「――――ッ!!」

ご、ギンッ!!!

だが、刃は穿つに至らない
咄嗟に差し出された紅色の刃が、その彗星を受け止めた
しかし、徹り抜けた衝撃に、イグニスの足元が白煙を撒きながら後退

祐一の眼光が驚愕に開く

イグニスが哂いながら、その手に持つエル・アルカナスを振り抜こうとしていた

「剣は集まりて盾を成す」

刃を差し出したままの状態から、意識を伝達する
それによって、一度だけ刃が脈打つと、自分の影から幾重にも影が突出して収束
斬戟を遮る為の、黒い鉄柵が聳え立つ

衝突の音は再び異音
神経を逆撫でするような高く狂った音は、相克に弾かれ再び離れる
接触と乖離
爆音と金属音
断続と連続に凶音がホールを満たす

「っははっ! やはりお前は緋菜菊の遺した遺産だよ相沢の倅っ!! だが、先ほどの刺突は寸前で勢いが弱まったぞ? もう疲れたのかっ」
「黙ってろっ!! 舌ぁ噛むぜっ!!?」

一際強く漆黒の刃が横薙ぎに払われる
それを打ち落とす紅い衝撃
続いて繰り出された純白に、輝く刃が狂音を奏でる
拮抗した戦闘を繰り広げてはいる、が
祐一は顔を顰める
殺す決意無く、この音をを倒せる程の余裕は無い
今の剣を握ってしまった状態で、殺害拒否の反応が決め手を奪っていた
それなら、と衝撃に合わせて祐一が距離を開ける

「突き立てっ!! ミリオン・グレイヴッ!!!」

瞬間、大魔術一撃分の魔力が込められたケイテシィが宙を舞った
銀の糸を空に残しながら、ソレは瞬間的に音速の壁を突き破る
接触までの距離は十五メートル
約340m/sの銀閃は、僅か0.044秒でイグニスの喉元にまで到達する
だが、モーションから読まれていたのか、イグニスは身を捩るとその銀色の暴風を回避
発生したソニックブームに肌を数箇所刻まれるだけに留まる

「音速から発生する刃、結界服でなければ危なかった処だよ」

そう呟いて、銀の糸が張った瞬間に彼は飛び出す
生憎と音速を支えきれる程の体重も力も持っちゃいない。祐一は体勢を崩す前に純白の刃を手から離す
ミリオン・グレイヴが盛大な大穴をホールの果てに穿つのを視界の端で捉えながら、両手持ちに切り替えたフォーリング・アザゼルで、強襲した刃を迎え撃つ
紅い光景が漆黒の先に何度もちらつきながら、世界を陽炎に包み込む
数瞬の筈の鍔迫り合いは、猛る炎の勢いで想像以上に体力を消費させてくれる
気がつけば、ホール全体が熱気に満ち満ちていた

―――長時間の戦闘は拙いが…決め手に欠けるっ…

紅と白の猛攻を手数だけで捌き切りながら、祐一は左手で刻印を宙に切る
片手で刹那のフェイントを見切り、逆にフェイントを加え、半分の思考だけで戦闘を繰り広げながら、逆の手と思考では全く違う事を行う
こと戦闘にて祐一のセンスは、秀才ではなく天才ではなく化物と呼ばれるに等しい行いだろう
刃が眼前で踊り狂うのに、熱くも無く唯冷静に思考を研ぎ澄まして対処しながら反撃の刃を同時に放つ
そんな行いは、まさに全てを凌駕するに至る才能だった
刃とは全く違う動きを見せる左手に、笑みを浮かべていたイグニスも流石に時を凍らせた

《戦場に咲く華》
  「巻上げし天空の覇者」
《嘆き苦しみ》
  「砂礫と涙滴の旋風」
《涙と血の雫を糧に生まれ出で》
  「翼舞う舞踏の調」
《瞬く間の成長にて》
  「全ては集いて風を成す」
《乱立を命ずる》

「馬鹿な! 刃を降りながら刻印魔術、それにこれは―――詠唱かっ!?」

―――三重並列戦闘(トリプル・ブレイク)

余りにも桁外れな戦闘思考が作り出した結果
右手で刃を振りながら、左手で刻印を切り、口で詠唱を放つ
三重行動―――それが、能力を持たない末に生み出された騎士の牙
死天と魔術を極めるだけ極めた男の、純然たる力!!

「発!!――並列展開!!」
―――戦場に咲く氷精刀(アイシクル・ウォー・エッジ)
―――風穿ち絶つ狂詩曲(エア・ライズ・ラプソディー)

祐一とイグニスとの間の隙間に、連続的に術式が展開される
飛び退こうとするが―――遅い
イグニスを基点として、幾重にも氷の刃が大地から襲い狂い、それを破壊しながら風の断崖が上空へと昇る
風と氷の結界に囲まれ中は零下の暴風と化す
生えた氷刃が、纏っている結界服を切り刻み、更には巻き起こる竜巻で削られた氷礫が視界を封鎖し、身体から体温と自由を奪いつくす
物理対応に関しては、個人での最高ランクを纏っている
確かに空想防護(カウンターリアル)を掛けている訳ではない
だが、多少なりとも耐(対)魔術効果はある
それの上から、この破壊の暴風

巻き上がる暴風の中で、歪にイグニスが口元を吊り上げる

イグニスが携えるレーヴァテインが鮮やかに輝く
それだけだ
祐一が隙間無く練り上げた術式も、過去の叡智の前には悉く散る
氷風の嵐は、中央から炸裂した爆熱でもってして、その効果を消し飛ばされる
瞬間的に冷えていた空気が暖められ、色濃いスチームとなって氷が消えてゆく
視界が閉ざされている事には変わりが無い
それでも、イグニスはレーヴァテインを一度横に振るうと再び祐一と切り結ぼうと眼前に―――

―――閃伎・天栄夜葬花月

―――出ようとして出れなかった

「ッ!?」

コンデンスミルクの様に纏わりつくスチーム
その中から、“何か”が奔る
回避は不可能
刹那、イグニスの胸元に真一文字の裂傷が走る
盛大に流れる鮮血の中に、次の刃が煌いたのだけが判別出来た
踊り狂う一刃、ニ刃、三刃、四刃、
刃の結界をぶつけられ、スチームすらも寸断されて消えて行く中に全十五の裂傷が刻まれる
スチームの切れ端、夕緋染める世界から出現したのは大上段に刃を構えた祐一だった

―――油断した、それと同時に死んだと、そう思った

溢れる血が白い制服を染め上げる
遅れて走る激痛と衝撃に、数歩後ろに下がるが、それでも剣の結界からは逃れられないだろう
終わりを悟る
だが、

「………っ……」

何時になっても幕は下りなかった
見れば祐一の剣を握る手は微妙に震えている
心なしか顔色も悪い
何かを必死に耐えている様にイグニスには見えた

「何をしている、相沢の倅…」
「………」
「獲物を追い詰めた。後はどうすればいいか、解るだろう?」
「………っ」
「弱者を淘汰せよ。今、この場では私が敗北者だ。貴様は私を殺す義務がある。それとも―――そこまで外の空気に浸り、腑抜けたのか?」
「ち、がう…」

ギリ、と奥歯を噛み締めて刃を振り落とそうとする
だが、どうしても数センチ下に向かえば、そのまま刃が止まってしまう
拒否反応が責め苛む
先ほどの斬戟も、完全では無かった
致命傷には至らない程度の威力しかない
本来であれば、そのまま上半身と下半身を断殺し、浮き上がった肉塊に追い討ちを掛ける
それが先ほどの業、本来の威力と意味だ
だが、出来なかった
刃を持つ手が拒絶する
脳裏に幻影が浮かぶ
頭痛と吐き気が治まらない
外れそうな呪いは、ここに来て一層の抵抗を見せる

「…がっかりだな、“緋菜菊の遺産”」
「―――あっ…」

掲げていた刃が溜息と共に薙がれた光の刃に弾かれる
憔悴した眼光でゆっくりと、そして悠然と立ち上がるイグニスを見る

「貴様は要らん。このまま―――死ね」

警鐘が鳴り響く
その言葉にどれ程の意味が込められているか、それはきっと考えられない程に重い
遺物を保護、保存しようとしていた今までとは違う
綺麗なままで捕らえようとしていた今までとは違うのだ

「………」

イグニスが何かを呟いた
瞬間、イグニスが消えた
いや、確かに眼前に存在している
だが、居ない
存在感だけが、世界から消えた
目線を外せば、一瞬で見失ってしまいそうな虚無感
まるで空気を見ている様な違和感の無さ
【 空握 】という六感能力ですら、その形は視る事が出来なかった

「位相斜行…存在をずらしている…?」

それしか説明のしようが無い
だが、現代にこれ程の次空間干渉系の魔術は存在しない
冬華ですら、ここまで完全な存在の次元位置を外す魔術は編めないだろう
それならこれは―――遺産

「相沢の倅、この状態では互いに干渉は出来ない」
「………?」
「だが、準備を整えるには最適だと、そう思わないか?」

そして、存在感の無いイグニスが持つ光の刃が長い刀身を収め―――
紅い大剣を掲げて見せた

「緋菜菊から教わったか、この刃の持つ本来の威力を」

先ほどはイグニスが驚愕に眼を見開いた
そして、今回は祐一が驚愕に眼を見開く
次の瞬間には、祐一は全力で床を蹴って逃げた
恥じとか、そんな物は関係ない
逃げなければ、死ぬ
確実に、死ぬ




『師匠。師匠の持つレーヴァテインて、どんな能力を持ってるんですか?』
『…む。本来であれば誰にも教えないんだけどね…祐一は身内だから、特別に教えてあげよう』
『あはは、ありがとうございます』
『うん。これはね、祐一。炎を出す事が出来るんだ』
『炎、ですか? ソレ位なら魔術でも事足りると思うんですけど』
『祐一。コレは幻想期の遺産だ。祐一が考えている程度の生易しい程度の物じゃ無い』
『?、それならどんな炎が出るんですか?』
『そうだね…私も過去数回しか全力を放った事は無いけど…』
『数回?』
『ああ…これは魔力を吸えば吸うだけ威力を増すけど、時間が掛かるんだ』
『ふーん…不便ですね』
『まぁ、それで威力だけど―――』




走る
【 瞬歩 】を駆使し、ホールのステンドグラスを目指して全力で逃げる
だが、それだけではない

「《詠唱短縮》、ひょ、氷河を纏う大地!、色を失った景色!、火を克す水の意!、魂すらも凍えよ!」

走りながら詠唱
それでも足りない
フォーリング・アザゼルを同時に起動
そして、大地を蹴ってステンドグラスに飛込む

宵闇が遮る絶対防御(ダーク・アイギス)!、世界を凍えさせる死冷(イミテーション・グランブルー)!」

展開する漆黒の衣
祐一の姿を完全に包み込む闇の盾が展開され外界からの干渉を遮断する
“その中”で、自身の周り、闇の衣と身体の間に氷河を纏う
凄まじいまでの冷気が一瞬で空間を侵す
このままでは自分の魔術に殺されるだろう
だが、それは杞憂だ

全開放(フルドライヴ)―――焦滅を決定付けろ、犯し尽くす業火の竜(レーヴァテイン)

声が、響く
ステンドグラスを突き破る
同時に、発動

―――結界・永夜焦煉獄界

レーヴァテイン…
それは古き時代において、世界を一度焼き払い、浄化を行ったとされる魔人スルトが扱っていたとされる魔剣

位相斜行から戻ったイグニスが、今度は魔剣自体に保護される
完全な耐熱保護だ
瞬間、世界を炎が舐める
いや、それを炎を形容していいのかは不明だ
6000℃という火炎は白く、太陽を思い起こさせる
だが、それは違う
物質は超超高温を与えられるとプラズマ化する
最早それは炎ではなく、ある種の衝撃
イグニスが指向性を持たせた衝撃は、そのまま融解現象を引き起こした
扇状に展開された熱波は、ホールに使用されていた大理石を、細工が施された煌びやかな細工を、窓枠に使われていた鉄を、岩を、空気を、世界を、一瞬にして融かしつくした
そこに焦げるという概念は無かった
爆発に煽られた形で、祐一が黒衣の中、苦痛に顔を歪める
周りは全て溶岩と化している
そんな中、漆黒の衣に亀裂が入りながらも、祐一は火傷を負う程度で済んだのだ
だが、消耗が大きい
凡そ魔術では不可能なレベルの熱に、中で展開していた冷気も茹で上がり、高温のスチームの中を耐えたのだ
祐一は爆発の一番端―――焼け焦げ、未だ火が燻ぶる花壇に受け身を取る事すらなく衝突した
荒い息を吐き、憔悴した顔で前を見る
ドロドロに融けたホールから城内庭園
溶岩が陽炎を立ち上げ、未だ熱を放っている
まさにそれは地獄だった
そんな中を、唯悠然とイグニスは歩いていた

「はっ…はっ…はっ…はっ…」

熱い…喉が、痛い
口の中が干上がっている
汗が流れすぎた
意識が白濁する
眼が霞む
重症と言えるだけの傷を負っている訳でもない
だけど、限界まで疲弊していた
このまま蹲っていれば、自分は殺されるだろう
振り下ろされた刃で無抵抗に

―――殺される? 俺が?
―――はっ…馬鹿馬鹿しい…

確かにトリプル・ブレイクを使用し、更に上位の水冷系術式を短縮で使用した
魔力は回復待ちの状態だ
だが、自分には何がある?
この漆黒の魔剣と、そして―――師が与えてくれた力がある

立てる。不自然なほど簡単に

思い出した。そして再確認する
自分は背負うと覚悟したのだ
それならば、何故、辛い過去を乗り越える必要がある?
そのまま、それすらも背負っていけばいい
他の淘汰してきた、殺戮してきた命達と共に
そして偶にだが、荷物を下ろして再確認すればいい
嗚呼…今でも最初に殺した人間を憶えている
紅い戦場を憶えている
師匠の安らかな寝顔を憶えている
父の、いっそ清々しいまでの穏やかな覚悟の表情を、憶えている…―――

数多くの赤を
滴る紅い色の温かさを
手に残る死の感触を
踏み越える臓腑の感触を
狂った視線を向ける骸達の表情を
憎悪を怨嗟を悔恨を悲哀を
その全てを憶えてる、覚えている

ゆらり、と―――まるで幽鬼の如く祐一は立ち上がる




我が主、決意を改めよ
汝が愉悦にて他を殺さん事を、我は知っている
地獄を味わい、苦痛と悲哀の元に死ねとは思わぬ
この世は誰もが悪
正義は一欠けらも存在しない
汝は、必要だったから、殺したのだ
死を与えたのだ




―――そう、俺は、銃を手にしていた時は殺せたのだ
―――殺す事が出来たのだ




覚悟で以って、刃を握れ
心優しき殺戮者よ
汝が与える死は、安楽という概念に基づくと―――知らしめよ




―――身体が、アノ頃を思い出す
―――最も最適な戦闘形態
―――精神のスイッチを任意にて換える事で、身体は殺戮者のソレとなる




汝が父の死を穢すなよ、主
主は、我が選んだ、誇り高き騎士なのだから




眼を開く
黒き眼光と紅き左の眼光を

刃を握る
己が意識に応える漆黒の魔剣を

腰を落とす
師が鍛え上げ、己が決意にて研ぎ澄ました肉体を














柩から溢れる闇の素子
冒し尽くす天の楽園
命呑み込む漆黒は愛おしく
――唯、儚く揺れる――

灼天から久落へ、百と八の工程に秘めし意
終焉から始原、断絶から接続
生を司る因果律に含まれし、やがて朽ちる運命の因子
分解
再生
素粒子
構築
遺伝子
設計図
組成式
塩基配列の記憶
蓄積された経験
魂に刻まれた傷痕
幾多にも及ぶ殺害軌跡
罪禍宿りし心の器
汝、最弱の使者
汝、最強の殺戮者なり

―――告げよ、主―――
―――契約と誓約を以ってして、破壊を赦し許す言霊を―――






蹂躙せしめよ(ブレイク)

魂が引き摺られる
脳髄が手の神経を経由し、刃へと接続される
流れ込む思念
憎悪の記憶、痛みの記憶、死の記憶
呑み込まれはしない
唯、覚悟で、背負って生きて行く

許可は下った
待ち望んだぞ、我が主
さあ、我を遣う者よ、叫べ―――我が名を

「安楽を与えよ、―――魔界を這う死の魔神(エウリノーム)

第ニ封印解除(【セカンド】・ロックオープン)





「――――?」

中庭に現れたイグニスは、最初に違和感を感じた
世界が、何故か、とても暗いと感じた
明るい、まだ外は明るいのだ
確かに陽は天頂から傾き、夕方の頃ではある
だが、真っ暗ではないのだ
だけど、そこは計り知れぬ程の暗闇だった
そしてその中心は―――

「相沢祐一…」

祐一が立っている
だが、それは尋常では無い
握っている物は、最早刃の形状を保ってはいない
金に装飾されていた漆黒の刃はその全てを漆黒に染め上げ、闇を右半身に絡み付けている
そして、右背部から生え抜いている漆黒の鉄柵―――いや、この場合は翼か
それは最早、告死の使者と言っていいほどに、その存在感を表していた
そして何よりも、左の眼光
何処までも紅い、鮮血を思わせる程に鮮やかな赤い瞳の色
相沢夜人の、かつて同期であった人間を思い起こさせる鮮烈な眼光
生き返ったのか、そう一瞬でも考えてしまった
ソレほどまでに、今の彼は―――残酷な位に美しかった

「終わらせよう…元帥」
「………」

ぞくりとした
身体中の毛が総毛立ち、冷たい汗が流れる
この感覚―――何処かで…




『貴女は…?』
『緋菜菊…天栄緋菜菊斎だ、小僧…』




思い出した
恐怖にて愛すべき象徴
地獄の使者
煉獄の使い手
世界最強の焔
死天剣
そう―――愛すべき殺戮の使者

「は、はは…それでこそ“相沢の倅”、それでこそ“緋菜菊の遺産”…やはり、底が知れぬ…」

刃を構える
紅き大剣を右に、輝く刃を左に
支配の呪器は右耳に、結界の遺産は胸元に
全力を、絞り合う

――――――――――たんっ

長い静寂の後
祐一が地面を蹴る
漆黒の尾を引いて、夕闇が下り始める世界を転移する如く走る
踏み込みはイグニスの左前
神速の刃が、先ず輝く刃を効力範囲外へと弾く

「っ!?」

ギン、と不協和音を轟かせ、瞬間的に振り下ろされた紅い刃を、その腹を、左手甲で殴って逸らす
死ぬ
思った瞬間に位相を外す
同時に、イグニスの虚像の腹が三重に斬戟を加えられた

「っがはっ!?」

同次元上における接触はしていない
だが、その衝撃は腹部に走った
空間すらも飛び越えて、ダメージを与える
あなどってはいけない
いや、元より侮ってなどいない
コレが、自分の想像以上だというだけだっ!

「…先に言っておこう」
「…?」

祐一が、未だ次元位置を外したイグニスへと語りかける

「母さんを保護してくれた事へは感謝する。だが、それとこれは別だ」
「何だ…そんな事か…」
「ああ、だから…終焉を―――」
「まぁ、緋菜菊の忘れ形見にして、相沢の子供に殺されるなら、本望さ」
「―――下す」

走馬灯が流れた
死ぬまでの上映だ
致命傷をまだ負った訳でもないのに、不思議だなと思う
ああ、そうか。多分、攻撃と同時に死ぬのだろう
痛みすらなく、一瞬で
優しいな。そう思う
痛みも無く、殺してくれるとは
相沢の倅が、こんな人間に育つとは…

夜人と出会ったのは、そう、確か夏姫の紹介だったと思う
嬉しそうに話す夏姫が印象的だった
ぶっきらぼうで無愛想。だけどそれは、唯照れているだけなんだと説明を受けた
確か、それが初対面
初対面から魔術について熱い議論を交わした

戦場に出た
殺し合いは初めてでは無かったが、死にそうなのは初めてだった
そこで、白い女神と出逢った
精神に楔を打ち込まれた瞬間だった

夏姫に子供が生まれたらしい
夏姫の妹の秋子と一緒に祝った
子供の名前は祐一と言うそうだ
どちらかというと夜人に似ていると思った
きっと、無愛想だがいい奴に育つだろう

祐一を養子に出したらしい
あいつが魔術に掛けていたのは知っていたが、それなりにショックだった
この頃の相沢という領域は荒んでいた

相沢祐一という奴が入城してきた
携えていたのは純白の刀身
愛そうと思った女の剣だった

その日、夜人が死んだ
王子が戯れに行った事の結果だ

倅も死んだらしい
事実上相沢家は没落した
春人は頑張っていた様だが、無理だろう

王子が王になった
これがどういう事になるか、その時から知っていたのかもしれない
この人は狂っている
異常だ
そう遠からずに、この国は滅びるだろう

そして―――今―――

「《 死滅( 我 が “ ツ ミ ” の 中 に 、 カ エ レ ) 》―――」

黒い燐光が舞う
闇色の蛍が、二人の世界を飛んでいた
イグニスが結界を解除する
ギンッ!
一合、
ギュ、ッギン、ガン、
二合、三合、
告死の使いが漆黒を振るい、仮初の煉獄が紅を流す
それは十合を越えて更に加速っ!

「―――シッ!!」
「ハッ!!」

ギン、ガシ、ガン、ギイィッ、斬、グシッ、バシャッ!ガキッギギギギギギギッギギギッガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガ!!!!!!!!、斬!、ズシャ、ズンッ! シュガッ!ギシュ、ガン、ギギィィィィィィッガン! ザッ、ザシィッ!! グシャ! ビチャリッ!! 斬、斬っ! 斬!!

壊れるような死重奏
他の者は誰一人として踏み込めない剣の聖域
振るわれる刃は、最早軌跡すら視認領域を外れようとしている
完全に祐一の剣速がイグニスの二刀を上回っていた
だが、それでも尚、イグニスは笑みを崩さない
幾重にも傷を刻まれても、失血が激しくなろうとも、それでも笑っていた
結界は使わない
唯、純粋に、思い出の遺産を味わっていた

死が、近い

そして、祐一の刃が剣を弾き上げる

「さらば――――」
「――――…ああ…」

黒い刃は一太刀だけ、世界に傷を負わせた

組成系統連鎖破壊

それが止めの一戟
位相を合わせ既に接触していた刃は、その効果を表していたのだ
崩れる傷口は文字通り死滅
切り裂いた傷口から、死滅を決定付ける因子を放ち、連鎖的に形成存在を破壊し尽くす
恐ろしいまでの完全殺害
アポトーシスやネクローシスという生物学的細胞壊死関連の事象とは違う
完全な死滅だった

燐光が舞い上がる
傷口から仄かな燐光が立ち上り、細胞一つ一つが壊れ去って行く幻影
痛みは不思議と無かった

―――ああ、そうか

きっと、もう、死んでいるんだ
自分は死にながら剣を合わせていたのだ
憎悪は無かった
清々しいまでの諦観のみがあった
肉体が消滅する
二振りの刃と、耳に飾っていた二つの超兵装が、乾いた音を立てながら地面に転がった
後には、唯―――黒い燐光が儚く揺れるのみ

―――死ぬな、相沢の倅…

その思いも、死の波に―――呑まれた

「安らかに眠れ、イグニス・レヴィ」

最後に、レクイエムにも似た囁きだけが、聴こえた―――











to next…

inserted by FC2 system