世界は巡っている
命は巡り、思いも巡る
だが、巡らなければ?

それは、天使の成り損ないの物語






















――― To the children of an INHERITANCE - 遺産の子達へ ―――
――― stage-9 he tortured past - 責め苛む過去 ―――





























#1 雪の姫君と踊る、クレイジーダンスパーティー



































 突然と言えば、突然だろう。
 森の中で野宿をするなんて言うのは結構珍しい事ではないが、魔物に襲われるというのは珍しい。魔物の生息場所は限られており、人里から離れてれば離れている程に出現率が増大する。人側と共存しようとするエルフ等の種は除いて、だ。
 だから、こう言った都市と都市の間に存在する―――いくら広大だとは言え―――森の中で遭遇すると言うのは珍しい。

「――――」

 不快そうに首を振って、祐一が上半身を起こした。浅い眠りだったとは言え、目は瞑っていたのだから闇夜には慣れている。天井は星空、眠る時まで枯れ木をくべていた焚き火は既に消え、今は燻っているだけだ。
 キイ――――ン…
 不快で深い耳鳴り。
 足を枕にしている冬華をそっとどけ、傍で丸まっているプルートーを引っつかむと冬華の頭の下に差し込む。
 ぐえっ、というプルートーのうめき声が聴こえたが、それならそれでプルートーが起きて、冬華の世話をしてくれるだろう。
 祐一は音もなく静かに立ち上がると、森の闇の中に溶け込んだ。
 音を消す様に心がけ、枯れ木を踏まない様に木の根だけを選んで森へと立ち入ってゆく。月の光が丁度差し込まない、木々が天上を隠した暗闇の世界。祐一の冴えた第六感覚が世界を正確に把握し、決して間違いの無い様に最善の道を選ぶ。
 そして、その暗闇の中、どれくらいの距離を歩いたのか―――月光に照らされる世界が見えた。

「いらっしゃい」
「………」

 その、月の光が照らし出す庭園。その中央に女が立っていた。氷、青、白。そういった物を連想させる女性だった。

「まさか、こんな森の中を人間が歩いているとは思わなかったわね…」
「………」
「それに、チャームに引っかかってくれる」

 フフ、と口元に浮かべる笑みは酷く妖艶に。黒く長い髪を揺らし、紅い瞳を細めて嬉しそうに笑う。
 女の腕が、祐一の首に絡まる。祐一は瞳を閉じていた。それは、女が何かをするのを待っている様に。

「少し、お腹が減っただけなの。だから―――」
「………」
「―――貴方を頂戴?」

 それがキーワードか。
 瞬間、祐一の腕が近づく女の顔面を引っつかむと、体勢を捻り、女を放り投げた。

「なっ!?」

 女の驚きの声が響いく。
 空中で体勢を整えると、女はそのまま着地。眉を不愉快そうに顰めて祐一を睨む。

「術に、掛かってなかったの?」
「その通り、ってね。見るからに上級…の様だけど…こんな場所にどうして居る? 多少人里から離れいるとは言え、完全に安全とは言えない地域だとは思うんだが?」

 そこになって、祐一の瞳が開き、女の姿を捉えた。口元を歪めて、祐一は楽しそうに笑う。相手にとっては、祐一が浮かべている笑みは嘲笑に見えているかもしれないが。
 祐一は魔力の流れを感知する事が出来る。そしてチャーム程度の魔術であれば、祐一の抵抗力で十分に抗う事が可能なのだ。だからあえて術に掛かった振りをして、魔力の流れを辿って来たのだ。

「別に、貴方に言う事でも無いでしょう?」
「ま、それは確かに、な」
「それと、一つ訂正があるわよ」
「何だ?」

 チリチリと、心地良い殺気が辺りを満たした。
 加速度的に世界が異質な物を含み始め、辺りの空気が急速に奪われ始める。
―――環境干渉系の魔術か…
 祐一が思考すると同時に、月光が照らす庭園が発光―――いや、冷やされて出来た氷の礫に月光が反射し、この世界を一種の幻想的な領域へと仕上げているのだ。
 高い魔力。原型を晒さない、完全な人型での状態でこの魔力の高さ。本来ではありえない濃密な魔力の気配。
 祐一の目が細められると、それに満足した様に女の口が笑む。

「私を上級程度で括って貰っては困るわね」
「へぇ?」
「嘗て、魔を総括する四将の一人を甘く見て貰っては…」

 はっ…
 祐一が一瞬だけ目を見開く、そして顔を伏せた。
 女は祐一が慄いたのだと推測した。だが、それは次の瞬間に崩れ去る。杞憂であった、と。いや、この場合は不幸だったのだろうか?

「は、あははははははははっ!!」
「―――――――っ!?」

 腹を抱えて大笑いする祐一に、遥か上位種である筈の女が慄く。狂笑とも取れるそれは、なんて禍々しいのか。異種族であっても、女性体としての、男という物に対しての恐怖が一瞬芽生えてしまった。
 落ち着け、と女が思考し、精神を平静な状態に移行させ終わる頃に、祐一の笑い声が止む。

「いや、はは、何と言うかね…?」
「………」
「だったら、お前はアレか?」
「…何…?」

「天使と戦ったのか?」

 今度は女が驚く番だった。何故知っているのか? 現在の歴史の中に、詳しい事を知っているのは居ない筈だ。それに、魔を統べる将が居るというのは、人間側にとっては歴史に組み込まなくてもいい様な些細な事実。何故、眼前の男は―――

「不思議そうだな?」
「………」
「だったら訊き出せばいい。元より、俺はアンタに訊きたい事もある」
「確かに…では、手荒く行くとしましょうか?」
「ああ、望む処だ。永遠の姉上殿?」
「ふん、我が氷獄の虜にしてあげる。幼子っ」

 空気が刺す物に変質する。
 首を曲げる程度で避けたのは、氷で出来た針。祐一はステップを踏むと横に飛ぶ。第一に飛来した針の群れの次に襲い掛かるのは、足元から生える氷柱だったからだ。

「貴方、まさか魔力の流れが視えているの?」
「ご名答。さて、俺からも行くとしようか?」

 ニッ、と無邪気そうに祐一が笑う。
 伸ばされる祐一の手は、己の影。愛剣、フォーリング・アザゼルには本来、鞘は無い。新しく新調しても良かったが、祐一としてはこちらの方が色々と都合が良いのでこの状態で固定している。
 翳される手に伸びてくるのは柄。だが、それはフォーリング・アザゼルでは無かった。

「―――槌? それが貴方の武器?」

 フォーリング・アザゼルの代わりに出てきたのはハンマー。全長にして140センチ程度のケイテシィだ。一級品の呪器やルナティクスは影に埋没させる事は出来ないが、この程度なら可能だった。
 【 衝撃 】の力を付加させたハンマーは、祐一がシャイグレイスから出て、最初の街で購入した物だ。全財産が200万から140万にまで落ち込んでいたにも係わらず、ケイテシィ関連の商品は高いのに、ついでに言えば59万8千MN、ゴーキュッパもするのを買った。
 その買い物を行うまでに、激しい葛藤があり、冬華ではなくプルートーから発せられるプレッシャーにとことんまで迷っていたという場面は省くが…
 そして、そんな武器を使う、その理由は―――

「本来の武器じゃ、無いな」
「それで勝てると?」
「一つ目に、こう言った武器も面白そうだと思ったから俺は今使っている。そして二つ目に―――」

 とんとん、と祐一がハンマーを担ぎながら、愉しそうに雪女を見る。

「フォーリング・アザゼルも、ミリオン・グレイヴも…使ったら瞬殺してしまう」

「面白い。ならば―――私が貴方の想像以上だと知りなさい」
「そうしてくれ。そうでないと張り合いが無い」

 くっ、と互い狂った様な笑みを見せつけて―――地面が爆ぜる
 最初に祐一が地面を蹴って消え、続いて世界を氷が覆い尽くす。津波を連想させる如くに地面と言う地面から氷が噴出した。地下水脈その物が枯れるのを厭わない様な環境干渉系の魔術。いや、これは最早―――呪器やルナティクスの一振りと考えた方が良いのかもしれない。
 予想以上の手札に、祐一の顔から笑みが飛ぶ。だが、武器を持ち替える様な真似はしなかった。氷の牢獄を縫う様に走り抜け、突如前方に噴出す氷の刃を、ハンマーを振る事で破壊。【 衝撃 】という付加された術式が接触と同時に連鎖して発動し、重い衝撃波が乱立していた氷柱の幾本かを道連れに破壊して吹き飛ばす。

「―――ハッ」

 口元を吊り上げると、祐一はもう一度ハンマーを振り被って氷柱に叩き付ける。
 バキンッ!
 小気味良い音が、蒼白色の牢獄に鳴り響き―――粉砕。その砕けた柱の向こうに雪女の笑顔。

「凍えよ」

 たった一言の祝詞。連鎖して、祐一に向けられた掌からは致死の冷気が溢れ出す。
 だが、それを避けれない程度の祐一ではない。横に立っている氷柱を蹴って空に舞い上がると、違う氷柱を再び蹴って氷の森に紛れ込む。

 走りながら祐一は考えていた。正直、天使―――バトル・マリアと戦ったかどうかというのは鎌を掛けたに過ぎない。だが、その成果は驚くべき物だった。
―――相手は冬華の姉妹を知っている。
 そして、祐一には一つ疑念を抱く事があった。魔物がここら辺の森に存在しているというのは、まぁ他の居住地に移動するだの、そんな理由で納得がいく。祐一が訊きたい事というのは―――

―――本当に魔王は死んだのか?

 その事だった。
 レヴァルスに言われた言葉。近々に訪れるだろう七度目の崩壊。六度目とは詰まり、天使と魔王が滅ぼした約二千年前の『ラグナロク』を指しているのだろう事は判る。
 そこで祐一は推理した。“魔王”という現象が、ラグナロクという事象を引き起こしているのではないか? と。
 殺しても殺されず。ラグナロクという事象を引き起こす為に、魔王は生きているのではないかと。そうならば、起きる前に殺してしまえばいい。それで世界は安泰だ。だから、祐一は相手に興味を深めた。“嘗て”と云った魔物に。

「《詠唱短縮》、白熱する刃、照らすは未来の骸、『炸裂する爆吼(クラッカー・レイヴ)』」

 甲高い音と共に出現する術式は、ハンマーの面に展開。次の一撃に爆裂の衝撃を組み込む。
 シャリシャリと、冷気で凍った草花を踏み抜くき祐一は一際強く大地を蹴った。
―――消失―――――
 踏み抜いた地面に深い足跡を残し、展開された術式を残像にハンマーを振るう。神速で氷の檻を回り込んだ祐一は、敵の背後の氷柱越しに、ハンマーを振り被った。

が、ゴバンッ―――――!!

 耳を劈く爆音。聴覚が一瞬間麻痺する。
 燈色に輝いた爆裂は、接触と同時に発生した衝撃波に乗って更に深い衝撃と成る。最早“爆撃”と表される一撃は、あっさりと雪女の背後に立っていた氷柱を打ち抜き、爆裂の衝撃を雪女の背後に着弾させた。
 雪女が衝撃に吹き飛ぶと、自分で乱立された氷柱の群れを何本も穿ってすっ飛んで行く。
 祐一は気を抜かない。
 人間であるならば、今ので確実に重症瀕死―――背骨を粉砕骨折し、頚椎を損傷して内蔵破壊のおまけ付き。殆ど即死物の一撃だろう。だが、相手は魔物だ。人間よりも遥かに高い治癒能力を持ち、魔物の種族によっては頭を吹き飛ばされても、魔核が残っていれば再生出来る者すら存在している。
 魔物を倒すならば、それこそ人間で言う心臓であり脳である魔の結晶―――魔核を破壊しなければならない。

「ふっ!」

 もう一発振り被り、祐一が追撃に走る。
 真夏に創造された銀世界を踏みしめて、祐一は魔力を深くハンマーに循環させた。
 倒れ込む雪女がピクリと反応を見せた。
 次の瞬間、祐一はギラギラと輝く紅い瞳を覗いた。

「ちっ…」

 振り被ったハンマーを、その場で横に薙ぐ。
 展開されていたこの氷の牢獄。これ自体も彼女の魔術だという事を忘れていた。
 横から下から、新たな氷柱が連続して咲き誇り、祐一が使用する氷の魔術『戦場に咲く氷精刀(アイシクル・ウォー・エッジ)』の連続版の様に、世界を狂ったが如く咲き誇る氷の花が祐一を取り囲んだ。

「舐めないでね? 人間」

 薄く、雪女が妖艶に笑んだ。
 爆発的に咲き誇る氷の花は辺りの空気から温度を奪いながら、更に祐一目掛けて狂い咲く。世界は気温を−30度まで下げ、真夏の中に真冬の夜を展開されつつあった。
 シャイグレイスの冬。しかも夜の気温と同じ程度の冷気を浴びながら、祐一はバカみたいに懐かしい感覚だ、と笑う。振り回す槌は速度を上げて、生えてくる氷の群れを駆逐する。だが、氷の群れの方が幾許か迅い。
 祐一は後ろにステップ。次の瞬間には、祐一の居た場所に氷刃が収束して、新たな氷柱を練り上げる。
 連続して、今度はそこから氷の刃が踊り狂った。
 この時点で、雪女の力は並みの上級と同じかそれ以上だと状況が語っていた。
―――まだ、上がある。
 ハンマーの扱いでは、もう少し回転数を上げられれば打ち止めになる。何より、この武器では未だ死天を使いこなす事は無理だ。思考が切り替わらないし、精神から来る意識的な肉体の変化も出来ない。これだったら、多分、使い慣らした魔道銃の方が強いだろう。
 考えて―――地面が波打ったのを感じる

「喰らい尽くせ」

 凛と響く艶かしい声色。
 ちょっとエッチぃ声だな、とアホみたいに考えた次の瞬間に、世界ごと氷が踊り狂った。
 先程の勢いが見せかけであった様に、大地からは更に爆発的な勢いで氷柱が乱立し、冷気が−80度を下回り、身を裂く氷の礫が吹き荒れるブリザードが舞う。これこそが、環境干渉系魔術。その本当の力。人間が操れない、人間では数人で仕掛けて始めて使用出来る高位魔術。
 氷の瓦礫と風雪の向こうに消えた祐一。その姿は確認出来ないが、並みの人間では今の魔術展開に巻き込まれて確実に死ぬ。生きてたとしても、この状況下では早々に冷気に力を奪われて死に至るだろう。
 雪女は一つ息を吐き出すと、勢い余って殺してしまった事を悔いた。現代では初めて聴いた―――あの頃の、銀の天使を知る人間。その存在を殺してしまった事を。貴重な情報を一体何処で得たのか。今では、天使は死んでしまっているのだから関係無いが、それでも何で知っているのかは気に掛かった。だから、雪女は溜め息を吐き出す。
 だが、それは杞憂だ。
 普通の人間なら、普通の。
 普通ではない人間なら、死なない。

「何の悩みだ? 深い溜め息だぞ?」
「―――なっ!?」

 その声に、戦慄する。
 ありえない状況に一歩、二歩と後ろに下がりながら、雪女は前方を見た。

それは―――深い闇を纏っていた。

 ここに現れた時から着込んでいた黒いコートではない。もっと禍々しく、絶対不可侵を思わせる黒いコート。先程まで握っていた槌は、今はもう存在していない。その代わりに握られているのは、純白の剣と漆黒の刃。
 男―――祐一は生きていた。
 薄っすらとだが、幾筋か頬に切り傷が見られる。だが、それ以外に傷は無い。

「バカな…」
「さっきのは正直ヤバかった。だから武器を持ち替えたんだよ。これで互いに本気モードに入った訳だ」

 本気モードの何割かは未だ隠し玉だが…
 強い。そう祐一は考えていた。呪器を持っていなかったら、雪女が予想していた通りに重症だっただろう。だが、ダーク・アイギスによって外界からの影響を遮断する事により、祐一は難を逃れたのだ。もし、未だ剣を扱う事が出来なければ、雪女の予想通りに死んだ事だろう。

「さて、どうする? もう止めるか?」
「戯言ね…どちらも地面に這い蹲っていないなら―――」
「どちらかが這い蹲るまで殺し合う、ってか?」
「ご名答よ」

 這う闇は一層濃く蠢く。氷銀の世界は煌きを増す。
 闇対氷。世の裏側を概念的に担う二属性。
 互いが再び構え合う。祐一は腰を落とし、爆発的な加速を得る為の構えを。雪女は手を前方――祐一の方へと向け、それに合わせて氷が竜の首、または大蛇の様に蠢いている。
 そして、互いが互いに、不快で深いな笑みを浮かべた。

「賭けをしましょうか、人間」
「賭け、ねぇ…」
「私に勝てるなら、私を好きにして良いわ。だけど、私が勝つなら、貴方の亡骸は好きにさせて貰う」
「はっ、俺が死ぬ事が前提か?」
「気を悪くしたなら謝るわ。でも、そう…私の攻撃は致死でしょうからね…それが事実になるでしょうね?」
「上等だ。その話―――」

 筋肉をたわませ、準備動作を終えて、

「―――乗った」

 祐一が雪女の視界から消えた。

「!!」

 その動きは先程よりも格段に良くなっている。意識で祐一が地面を蹴ったと認識した瞬間には、更に祐一は違う場所で地面を蹴っている。魔物の視力を以ってしても、その動きは化け物じみていた。
 雪女は祐一をピンポイントに攻撃するのを瞬時に諦めると、蠢く氷の大蛇を元の氷へと戻し、大氷河を乱立させる。
 捉えられないのらば、捉えられるようにしてしまえばいい。祐一がこちらをしとめようとする際に、それを狙って氷の群れをぶつければいいのだ。幾ら速く動こうとも、それは道があってこそ。場所を制限してしまえば、幾ら速かろうともどこからやってくるのか判っていれば対処する事は可能だ。

「来なさい、人間」

 氷が乱立を繰り返す中、それは予想もしてなかった場所から訪れた。全くの予想外。作った筈の道からではない。来訪者は氷と氷の群れの中、その隙間から飛び出してきたのだ。そう――― 一振りの純白の剣が。
 針の穴を通す様な絶妙のコントロールで。音速の刃、百万の懺悔と名づけられた刃は、雪女の右脇腹を根こそぎ奪い去った。

「がふっっ!?」

 それは余りにも予想外だ。飛び込んできた刃は肉をこそぎ落とすと、背後の氷柱を突き破って貫通していった。出血が酷い。だが、魔道生命である為に、魔力が切れなければ再生は可能である。
 氷白色のドレスまでは復元出来ないが、そこに包まれていた白い柔肌は一瞬にして復元するに至る。苦痛と憎悪、そして少しばかりの後悔と純粋な驚きの入り混じった表情で、雪女は氷の世界の先を睨む。

「純白の幻想に包まれて―――果ての無い夢を永久に見続けなさい…」

 祝詞による魔術の一斉励起。この世界を統べる氷の女王の言葉で、臣下たる氷達は一瞬にしてその姿をバラバラに砕けさせた。そのキラキラと氷の粒子が舞う中で、露出した祐一が何が起こるのかという表情で雪女を見ている。
 次の瞬間、雪女は口の端を歪めると、腕を地面に叩き付けた。

「!?」

 祐一が変化に気付く。それは、抗う事の出来る状態から、抗う事の出来なくなる状態への変化だった。

「世界が、凍るっ…」

 雪女を中心に発生した絶対停止領域――絶対零度に限りなく近い気温は、風景そのものを侵しながら、祐一に近付いて来る。流石にこれに飲み込まれては死にかねない。祐一は地面を蹴ると、逃げる様に大地を走り抜ける。
 だが、このまま逃げ続けるのは拙い。雪女の魔力がどの程度持続するか判らないが、彼女を中心として刻一刻と変化を続ける世界が冬華達の居る場所に辿り着く前に決着をつけなければ拙い。それは、冬華が危険に晒されるという意味ではなく、冬華が貴重な情報源を殺しかねないという危険。
 冬華の精神は強い魔に引きずられる性質がある様に伺える。故に、リリスの様に形式上『仲間兼友人』のプルートーに隷属しているという訳でもないのだから、理性が追いつかない可能性がある。これは自分が死に掛けた冬の山での件で、かなり冬華の精神に高い理性の壁が出来上がった様だが、相手が相手だけにどうなるか判断がつかない。

「だから、決着を―――つける!」

 背後から襲い来る氷の世界。生けるモノを悉く死に追いやる地獄。だが、その基盤は魔術という物から成り立っているのだ。つまりは闇の盾を全開で突っ込めば、数秒間の間は持ってくれるという事に他ならない。だが、数秒。それ以上は魔術という性質から来る氷ではなく、環境という条件から来る冷凍地獄により殺される事になる。

―――意識を加速させる。ここからはミスは許されない。

 くるり、と方向を変換させると、同時に地面に罅を入れて踏み込む。慣れてはいるが、この不安定な体勢からでも神速の速さを生み出せるのは日々の訓練の賜物だろう。
 相手から自分は捕捉されているだろう。人間と魔物では、その身体的ポテンシャルは異なる。だが、それこそが油断。上級でも、その上であろうとも、関係は無い。いや、そんな油断が無くとも―――この黒い死神の前では魂を狩られる対象に過ぎない!

「展開っ!」

 叫びに反応して、闇色のコートが色を濃く闇を深める。祐一はそれを確認すると、肺を凍らせる空気を吸わない様に息を止めた。

 距離は既に20の内。

 身を一層低く屈め、祐一は一歩を踏み出す。凍りついた地面を割る一歩。破壊的なそれに応えてか、祐一の速度は更に増した。

「―――っ!?」

 相手の驚愕に打ち震える表情と、引きつった声。相手の力量を誤認していたという後悔。だが、今更気づいた処で既に遅い。それは、決定的な隙。

―――穿殺・天栄魄想戟

 下げられた漆黒の剣が前方に突き出され、連続してリーチを伸ばす様に影が束ねられて長剣へと進化を遂げる。距離は未だ有る。だが、これで十分。祐一は震脚で地面を踏み割ると同時に、その漆黒の刃を突き出した!
 バキッ、ともズシャッ、とも聞こえず、それは炸裂し、相手の中心をごっそりと吹き飛ばしたと時を同じくして響いた。
 バァンッ!! という、大きな大きな風船が割れる様な音。
 胸部から下、下半身から上。その間が爆裂し、肉片と言わず、赤い霧になって後方へ散る。魔術的保護から逃れた空間へ放り出された血煙は、常温へと急速的に戻ろうとする中で赤い結晶となって月光を反射させながら舞う。
 剣を突き出した状態で止まる祐一の先、胸部から上だけとなった魔物が地面へと衝突する。各器官を失ったというのに、彼女は生きている様だった。流石魔物だと褒めるべきか。そこまで考えると、いざという時の為に漆黒の衣を残したまま無残に転がる雪女へと近づいて行く。

「俺の勝ちだな」
「そう、みたい…だけど、悪いわね…?」
「?」
「賭けは私の負けだと言うのに、これでは勝利者の為に体を自由にする権利を与える事も出来ないわ…」
「おいおい…」

 その言葉にちょっと困って、祐一は頬を掻く。律儀なのは人間以上の様だ。約束を反故にする気配すら見せない。多分、訊けば天使の事も教えてくれるかもしれない。だが―――

「もう、長くは無いはね…魔核が損傷したみたいだし…まぁ…まさか天使でも無く、軍隊でも無く、一介の人間の男に殺されるとは思っても見なかったけど…」

 彼女の時間は限られている。当たり前だ。致命傷を与えなければ殺されていた。だから微調整して魔核を掠める様に一撃を加えたのだ。話を聞くために。だが、主要部分を訊く前に死が訪れるだろう。
 どうするか、と考えて、ふと思い浮かんだ。

「なぁ、お前の事は好きにしていいんだよな?」
「?、えぇ…私は貴方に負けた身。隷従させるも、殺すも、好きにしなさい。尤も、死体だけになるでしょうけど」
「そうか?」

 死を前にして諦観を見せる雪女。だが、逆に祐一はけけけけけ、と奇妙に笑う。

「そうかそうか、よーしよーし」

 祐一が一人で納得すると、胸部から上だけだになった雪女を抱えあげる。なっ…という声を雪女は上げるが、直ぐにでも死ぬ身だと諦めて居るのか、それ以上は何も言わない。唯、されるがままにしている。

「真名を教えてもらえるか?」
「何故…?」
「知らないと不便だから」
「私はもう直ぐ死ぬというのに?」
「ああ」
「本当に、奇特な人間ね…」
「失敬だな。お前を倒した人間に対して」
「良いわ、教えてあげる。マシロ…倭系文化の真名よ」
「俺は相沢祐一だ。倭系だと、真なる白で真白って処か?」
「ええ、そうよ…」

 そこまで訊き終えると、祐一は走り出した。自分がどっちの方からやってきたのか全く持ってさっぱりだったが、気配が近付いて来るのが判る。流石に暴れすぎたのだから当たり前と言えば当たり前なのだが。

「祐一!」
「祐一さんっ!」

 予想通り。冬華とプルートーが確認出来た。そして、祐一は開口一番に言う。

「プルートー、こいつと契約結んでくれ〜!」
「え、ええええええええっ!?」

 予想だにしない祐一のハチャメチャさに、超上位の魔物―――真白は絶叫した。
















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