「はい、それでは私の事は奥様、夫の事は旦那様です。さんはいっ」
「お、奥様…だ、だ…」
「駄目です。もう一回です」

「何やってんだ…アレ…」
「超上級でも、やっぱり生粋の精霊様には逆らっちゃいけないみたいだから…」
「だから…仕込んでいる、と…?」
「うん…そうみたい…」

それは、天使の成り損ないの物語






















――― To the children of an INHERITANCE - 遺産の子達へ ―――
――― stage-9 he tortured past - 責め苛む過去 ―――





























#2 天に届いた鬼と舞う、ミッドナイトカーニバル



































 場を静寂が支配している。輝く月の下で、全員が対面しているのだ。だが、別にそれで静寂が訪れてしまったという訳ではなかった。
 冬華が真白と対面したから、という理由ではない。冬華はプルートーという存在のお陰か、それほど魔物という存在を見かけても反射的に殺す様な真似はしなくなった。それは良い変化だ。しかし―――

「祐一さん」
「はい…すみません…」

 冬華は無表情に怒っている。めちゃくちゃ怒っている。どれ位怒っているかと言うなら、祐一は怯え、プルートーは目を逸らし、リリスはそんなプルートーを抱きかかえ、真白は魔物の四柱の内の一体だと言うのに訳も分からずにあたふたしている。
 場の主導権は確かに冬華にあった。本人は自覚していない事柄だろうが。

「それで、どうして何も言わずに一人で行ったんですか?」
「そ、それは…その…」

 祐一が逆らえない訳はそこにあった。冬華は純粋に自分に祐一の身を案じて怒っているのだ。だから祐一は反論が出来ない。

―――そして、不意に苦笑する。

 冬華が自分を心配しているというのは何時もの事だ。二度死に掛け――最近三度になったかもしれないが――その度に冬華は自分の身を案じ、治療が完了するまでは無理やり言い聞かせないと離れようとしない。冬華が自分を心配させるようにしたのは、他でもない自分なのだ。
 だが、それは望まない変化ではなく、むしろ望む変化だと言える。死の具現だろう黒い海の話も聞かなくなった。確実に冬華は前に進んでいる。今になって考えれば、きっとそれは子供が成長するのに近いのかもしれない。子供が闇を必要以上に恐れるのと同じ意味で、冬華は段々とだが何時か死ぬという事を受け入れ始めているのかもしれない。
 何で死ななければならないのか、と子供ながらに考えた事がある事を祐一は思い出す。思考し、そして恐怖し、一度だけ、本当に一度だけ師が生きている時に「何で師匠が死ななければならないのか」と泣きついた事がある。だが、それは過ぎてしまうと「そういう物なんだろうな」と漠然と理解し、戦場に立つ様になってからは常に殺されて死ぬ事がとても普通だと考える様になっていた。だけど、これは望むべき変化ではない。多分、壊れたからこうなったのだ。
 冬華とは違う。
 冬華は本当に自分とは違う、純粋に成長しているのだ。だから、怒られている半面で、祐一は嬉しく思っている。そこには冬華が自分を心配してくれるという事実に顔がにやけそうなのを堪えてはいたが…

「何を笑ってるんですか?」
「す、すみません…」

 とりあえず、祐一は怒られている。心配しないようにした配慮だったが、逆に心配させてしまったようだ。しょんぼりと項垂れる。

「良いですか? 私は怪我して欲しくないと思っている事と同じくらい、そういった危険な事に一人で行って欲しくないと思ってるんです」
「すまん…」
「私は、私は本当に心配してるんです。だから―――」
「うん…ごめんな」

 そこまで言った冬華の頭を、祐一は優しく撫でる。彼女を悲しませたから、そして、そんな姿が愛しいと感じたから。

「また、前みたいになるのが怖かったんだ」
「雪山での…?」
「そう…だけどそれは…別に冬華が焦って俺を巻き込んでしまった、という意味ではない。俺はね、冬華。俺は、我を忘れて殺戮に走ってしまいそうなのを見たくないだけなんだ」
「………」
「目を背ける、という事じゃない。冬華は実質プルートー位にしか慣れていないから、出来るだけゆっくりと慣れていって欲しいと思うんだよ」

 反射的に殺戮に走ってしまう冬華。スイッチが入ったとしても、それは一度目を覚ませば治まる事ではある。だが、その一回が致命傷に繋がる。雪山ではそうだった。祐一が怪我をするなら、まだそれは冬華の治癒術式で回復する可能性はある。だが、もしも冬華が一撃で魔術を使えない状態になってしまったら?―――そこには終わりだけが待ち構えている。
 だから、祐一は確りとした確信が得られるまでは、冬華を魔物と戦わせたくは無かった。

「何時の間にか主導権が逆転してるね…」
「流石相沢様ですね…」

 見守っていたプルートーとリリスの声が場に響く。そこではっとした様に、冬華はざざっと祐一から一歩遠ざかった。ちっ…余計な事を…
 冬華は「危ないとこでした…」と呟くと、再び祐一を見る。

「だからって、私に言わずに行くとでは話しが違いますよっ」
「あー…うー…それはですね? …くっ…後で覚えてろプルートーめ…」

 ちらっと祐一がプルートーを見ると、再び猫と夢姫の顔はあらぬ方向に向いていた。
 一瞬だけプルートーの目線が祐一と交錯する。
―――にやり…
 猫に似合わない笑みで嘲笑った。
―――ぬぅ…あの顔からヒゲを引っこ抜きたい…

「…祐一さん?」
「ふおっ!? ごめんなさいっ!」

 そんなこんなで、その後一時間ほど冬華からお叱りを受けたのだった。




*  *  *






「やっとだけど、本題に入ろう」

 冬華のお叱りが始まってから一時間。やっと解放された祐一は、居住まいを正して皆を見る。時刻は未だ深夜。長い夜になりそうな雰囲気である。
 ふと見上げる空には、未だ月の輝き。夜がその存在を知らしめている時間が終わるにはまだまだ掛かりそうな月の高さだ。
 その月明かりに照らされながら、祐一は座っている真白の方を見る。

「理由は解るだろうが…俺が天使を知っているのは冬華が居るからだ」

 そう告げると、真白は紅い瞳を細めて冬華を見る。その表情は今でも信じられない、といった風だ。
 当たり前といえばその通りか。二千年という時を隔てての再会だ。相手は天使と称される存在であるが、その寿命は人間よりも多少多い程度。人間を基盤に創造された冬華は決して魔物と同じほどの時を刻める程生きられる訳ではない。
 だから魔物は二度と遭う事は無いだろうと思っていた筈だ。その天使の血統以外とは。
 だが、その思いを置き去りにして再会は果たされた。
 尤も、冬華にとっては実感無き事だが。

「本当に天使が居るとは思ってもなかったわ…」
「まあ、二千年遭遇しなけりゃそうだろうな」
「そうね…そしてそんな天使を前に、私は平然と腰を下ろしている…」

 時の流れというのは奇妙な物ね、と真白は笑ってみせる。
 存在の根本からして敵対している真白と冬華。その二人がこうして腰を下ろして向き合っている。いや―――もっと簡単に言えば、本来は祐一だって魔物と敵対している。人間と魔物は敵対しているのだ。だが、それでも、祐一はプルートーを殺すでもなく、仲間として扱っている。
 確かに、魔物から帰化した存在であるエルフという人間体や、幻想種という魔物の派生動物が存在している。しかし、魔物と戦い続けた時間が長すぎたのだ。故に、人間の根本には魔物は敵である、という感覚が染み付いている。
 魔物であれ、無駄な殺しをしないのはある程度の力を手に入れ、魔物にとっても十分に脅威な力を手に入れた物だけだろう。祐一や北川、多分冬慈も魔物をいきなり殺すという真似はしない筈だ。まあ、冬慈は相手が強そうなら喜んで刃を引き抜くかもしれないが…
 プルートーの様に外見がアレだと、割と馴染み易い。しかし魔物には醜悪とも取れる姿形をした者だって居る。外見だけで相手を恐怖に追い込む者だって居るだろう。だから、表面的な魔物との戦闘が無くなっても、手と手を取り合うには果てしない時間が必要になる筈だ。

「訊いても…良いですか?」
「いいわよ? 天使のお嬢さん」
「冬華です…」
「私は真白よ」

 少し不機嫌そうに冬華が言う。それに対して真白は何処か楽しげだ。その光景を傍から見てて祐一は思う。案外、真白は冬華と仲良く出来るかもしれない、と。
 お姉さん的な雰囲気というのだろうか? 真白はそんな感じがする。案外面倒を渋々ながらも見続けてくれる様な存在になるだろう。
 うん、我ながら中々ナイスな奴を仲間に加えたものだ。
 そう祐一は心の中で頷きながら、事の展開を見守る。

「私の姉妹は…」
「殆どが死んだわよ…魔王様が殺したわ…」
「そうですか…」
「私達を恨む?」

 その言葉に冬華は小さく首を横へ振る。

「そうなの…?」
「では、真白さんはどうなんですか?」
「私?」
「魔物は天使によって殺戮されました。恨んでいるでしょう?」

 そうね、と真白は首を傾げた。しかし、表情は割りと穏やか。悩んでいる、というよりは間を作っているという感じか。そして、少し悲しげな表情で、口を開く。

「正直、もう忘れてしまったわ…」
「………」
「長く生き過ぎると、そういう感情は忘れてしまうの。忘れない者も居るのでしょうけど、私は忘れてしまった」

 その言葉で、思い出す。
 以前出会ったプルートーを生み出した魔物・デルタ翁
 彼も同じ事を言っていた。もう忘れてしまった、と。長すぎたのだ、と。
 魔物にしか解らない感覚なのかもしれない。人間の様に数十年、多くて百年と半世紀程度の感覚で生き死にのサイクルが訪れる生物には。短すぎる故に、その長大な感覚は解らないだろう。殺したい奴を忘れてしまう感覚を。復讐を誓い、それすらも忘れてしまう程の長い時間を。

「デルタも同じことを言ってたね…」
「そうだな…多分、人間には解らない感覚なんだろうな…その感覚は」
「デルタ…」

 そこで真白が眉を顰める。

「どうしましたか、真白さん?」
「いえ、ね…私の直属でデルタという奴が居たから」
「んー、デルタって二千年前から生きてるって言ってたから、そうなのかもよ?」
「そうね―――そうですか…」
「あ、いや…言い直さなくても」

 可笑しなやり取りをしているが、まあ無視するとする。
 祐一が目線を逸らせば、冬華はそこで、少しだけ安堵した様な表情をしていた。どうしてだろう、と思うが、多分ソレは過去の因縁を気にせずに接する事が出来るからなのかもしれない。
 祐一のその予想は外れては居なかった。
 冬華は、はっきりと言ってしまえば過去と無関係である。戦列に立った訳では無いのだ。天使だと言うだけで、過去は冬華という天使を逃がしはしない。そう―――

「そう言う昔話にゃ、俺らも混ぜて欲しいなあっ!!」

―――こんな風に。

「っ!? 上だっ!!」

 祐一がいち早く異常を察知。その言葉に反応して上空を見上げれば、空は黒々と濡れていた。いや、違う。何か大きな存在に、月の光が遮られたのだ。

「なっ―――」
「馬鹿な…ドラゴンだと?」

 それは竜と呼ばれる生物だった。高度数十メートル。その上空で竜は羽ばたきを止めると、その巨体を重力に従うままに落下させてくる。
 その背から一つの影が舞い、巨体と共に落下してくる。人間大の大きさであるが、ソレが纏っている空気もまた異常な雰囲気を醸し出している。

「ムラマサ…グランヴァズ…」

 そしてボソリと、真白が呟く。
 祐一は反射的に冬華の腕を握っていた。その衝動に震えている腕を。
 プルートーは毛を総立たせている。そんなプルートーの横で、リリスは表情を鋭い物に変えた。

「…ムラマサ、どうやら真白は隷属者となった様だぞ?」
「へぇ…それに、面白い奴が居る…」

 竜と、人間に似た何かがギョロリとその視線を冬華に向けた。その二体はくつくつと楽しそうに笑う。

「天使、天使、天使テンシテンシテンシテンシかっ!! 全く、数十年に一度会う約束に、時間に馬鹿丁寧な雪女が来ないからこうして来て見たが…はっ、中々の展開だ!!」
「真白は天使に敗れたか…オリジナルの天使―――の様だが…こうして因縁は真白を屠るに至った、という訳だ…」

 多分、鬼だろう者と、緋色の竜は視線を細めた。

 酷く、イライラする。

 祐一の中で負の感情が鎌首を擡げた。こいつらは、何が楽しくて笑ってやがるのか?

「冬華、下がってろ…」

 冬華を後ろへと隠し、祐一は前面へと立つ。その視線は射殺さんばかりに鋭い。この夜という空間が何倍も濃くなった様に、殺意は狂わんばかりに溢れていた。
 その殺気は真白と相対した時とは比べ物にならない。祐一の本気の殺意だ。

「っ…へえ…」
「…ほう…」

 鬼と竜が同時に目線を細める。そこには先程の様な嘲笑的な笑みは既に無い。戦う者のそれでしかない。

「悪いが、真白を斃したのは俺だ…“天使”を狙うなら他を当たれ。まあ、他は既に居ないだろうが」

 それはつまり、黙って帰れという事に他ならない。
 しかし、鬼は今の言葉に先程よりも楽しげな笑みを顔に貼り付けた。

「お前、良いな。数百年振りに中々楽しめそうだ」
「マサムネ」
「グランヴァズ。俺は生憎と天使にゃ興味がねぇ。お前に譲るから、精々頑張れ―――よっ!!」

 ガギンッ!!
 瞬間、冬華の視界から祐一と鬼が消え、真横の森の中で破砕音を撒き散らしながら遠ざかっていくのだけが判った。そして、震える腕を抑えながら冬華は正面に構えるドラゴンを見上げる。

「…天使…久しぶりだ…本当に…」
「私は、貴方の言う天使とはまた違う存在です」

 だから、天使とは無関係なの。
 その思いは届かない。

「戦う、戦わないの問題。それは私には無関係だ。私は天使と戦いたい。二千年前、天使と戦わず、退魔の者達だけを相手にした私の夢だ」
「死にたいんですか?」

 冬華の口調が酷く冷淡になる。その腕に伝わる震えも、段々と弱々しくなっていく。

「妄執だ。気高い、な…叶えられなかった夢を叶える。そこに生き死には関係ないのだ。唯、私は二千年前、魔王様に任せるでもなく、天使と戦いたかった。それだけだ。そこに正義は関係ない、復讐という概念も無い。唯、自分は、天使と戦いたい。それだけだっ!!」
「グランヴァズ!!」
「真白、主とした者達と共に離れろ。少しの後、ここは辺り一面灰燼と化す」

 ちっ、と一つだけ舌打ちすると、リリスに任せるでも無く真白はプルートーの首根っこを引っつかんで走り出す。
 真白という存在は既に死んだのだ。そして、そこに居るのは仕える存在を与えられた元四将の真白。真白という存在は“外れて”しまったのだ。
 リリスが慌てて追い、この場所には冬華と緋色の竜しか居なくなる。
 冬華は目線を下げた。

「過去は、私を離してはくれない…」

 小さく呟き、冬華の口元に笑みが浮かんだ。だが、それを慌てて手で触ると、平静を保とうと漏れ出してくる内面を必死に抑える。このまま流れに身を委ねてしまえば、前と同じだ。唯の愚か者に成り下がる。それだけはやってはいけない。祐一を悲しませてはいけないのだ。
 狂えない。
 狂わない。
 狂ってはいけない。
 悲しませてはいけないのだっ!!

「っ!!」

 意識を保ち、目線を細めて竜を直視。心を平静にしたままで、唯冬華は竜を見据える。

「―――ほう…やっと覚悟が整ったか」
「それは貴方でしょう。私には負けられない理由があり、それならば貴方は確実に敗北する」

 言って、両者が翼を羽ばたかせた。
 冬華は銀の翼を、竜は緋色の竜鱗で覆われた長大な翼を。
 両者が月夜に羽ばたく。それは二千年前を再現するかのように。

「我が業火、温くはないぞ? ―――銀の天使よ!!」
「滅びなさい。気高き緋の邪竜」

 瞬間、式が連続して展開された。




*  *  *






 断続し、また連続する破砕音が森の中から響く。
 祐一の高速移動か、それ以上の素早さで繰り出された一撃。その衝撃を純白の剣で受け、吹き飛ばされた祐一は近場でケリをつけようとした。しかし―――

―――こいつ、強いっ

 互いの胸に秘める思いが交錯する。
 祐一よりも素早い動きでその豪腕を振るう鬼・ムラマサ。その爪による一撃一撃が爆弾を炸裂させる如き威力の群れ。しかし、初弾を剣でうけてからは、祐一がその攻撃を剣で受ける様な真似はしていない。受ければ決定的な隙が生まれるからだ。
 攻撃が重すぎて、人間というカテゴリーの中で生きる祐一には攻撃をいなすだけでも力を消費している。

―――ちっ…馬鹿力めっ

 舌打ちし、相手の迅さを上回れない状態に歯痒い思いを抱く。真白はウィザードタイプである為、接近戦では祐一に軍配が上がった。だが、この鬼は同じ戦闘分野で、尚且つ高い身体能力から俊敏さ、一撃の攻撃力が全て祐一を上回っている。この身体能力だけを見るなら、紛れもない、世界五指クラスの猛者だ。
 尚且つ、祐一はこうの猛攻をいなし、逃げるだけで魔剣『フォーリング・アザゼル』を影から引き抜くだけの時間が無い。状況的な余裕は無いが、それでも運が良かったのは相手が肉弾戦だけのタイプだと言う事だろう。

―――二秒だ、二秒だけあれば剣を引き抜けるっ

「っはあ!! 躱すだけじゃつまらねえぞっ!!」
「――――べらべら煩い奴だ…舌噛むなよっ!!」

 意識を引き戻し、現在の状況を改善するべく祐一が動く。斜め上より袈裟で落とされる爪の一撃を、頭を屈める事でやり過ごし―――同時に、震脚。大地に罅を入れて、純白の刃を前に突き出す。

 イ――――ギイィン―――ッ!!

 突き出された超高速の刃。だが、それは突き刺さるでもなく剣の腹を寸前という処で殴られ、鬼の首を薄く裂くだけに留まる。穿殺・天栄魄想戟の劣化型刺突攻撃。踏み込みを一度しか使用はしないが、それでもその一撃は十分に相手を吹き飛ばすだけの威力がある。しかし、やはり劣化型の技では仕留めるのは無理。
―――くっ、勝負を焦ったかっ…!

 くんっ、と頭を横にずらし、その瞳でこちらを見る鬼の口元には笑み。刃の一撃を躱すと同時に身を捻り、一撃を生み出すカウンターの姿勢。普通であればこれで勝負は決する。だが、相沢祐一とは最強の死天を受け継いだ存在だ!!

「っ!!」

 意識だけで純白の刃・百万の懺悔のギミック搭載部分を外し、特殊金属繊維が伸びる状態へと変換。その糸を迫る腕に引っ掛け、祐一は爪を鉄板が仕込んである靴裏で受け止める。

ガッ!!

 物凄い衝撃。脳まで響き、一瞬だけ意識が遠ざかる感覚を受ける。だが、その柄だけは離さない。
 特殊金属繊維は、一瞬で撒きつくと森の中へ吹き飛ぶ祐一に引きずられてムラマサの腕の肉を深く切り裂く。ムラマサが驚きと激痛に顔を顰めるが、その攻撃は未だ終わっていない。糸に引き摺られて純白の刀身が巻き戻る。気付いた時にはもう遅い。糸が通り深く切り裂いた場所を、更に純白の刀身が蹂躙。深く深く断ち―――切断!!

「くあっ――――!?」

 ボトリと落ちる腕を見送って、祐一は身体を反転。背後に迫っていた樹に着地すると、銀の刃を引き戻す。
 隙が出来た!!
 腕を足元に伸ばし、その漆黒の刀身を引き抜く―――が、それは叶わない。

「甘いぜっ?」
「!?」

 腕を斬り落としたにも関わらず、その鬼は既に眼前にまで迫っていた。その表情は笑顔。狂喜。戦える事が嬉しくて嬉しくて堪らない顔。

―――迂闊っ

 そう思考して、刹那の間に迫る爪と自分の胸の間に純白の刃を差し込む。
 腕に衝撃が徹り、続いて胸に衝撃が走り、捕まれたままに背後の樹を背中でへし折って吹き飛ぶ。それでもまだ、鬼の加速は止まらない。
 樹を自分でへし折った衝撃で、口から血が溢れ出る。内臓を何処かやったらしい。当たり前か。背骨を折るよりはマシだろう、と判断。激痛で思考が一瞬定まらなくなるが、それすらも頭の外へ追い出す。
 と、突然目に入っていた森が遠のいた。

―――崖っ!?

 ひゅっ――――
 急に足元を失う感覚。鬼は未だ自分を離してはくれない。崖から飛び出し、一人と一体が宙に浮いているにも関わらず、その片腕だけになった鬼は自分を離してはくれなかった。

「深く、暗く、奈落に落ちなっ!!」
「ふざけろっ…」

 剣ごと鷲掴みにされた胴体で、きりきりと肋骨が悲鳴を上げる。びきり、と響く異音を肉越しに聞きながら、それでも苦痛に悲鳴を上げる様な真似はしない。
 祐一は腕を、背景に夜空を持つ鬼に向かって掲げた。口に張り付くのは嘲笑。

「《詠唱短縮》、夜に咲く火、砕き散る命、炸裂するは魂の輝き―――」
「ちっ…上級詠唱!!」

 ぐっ、と押さえ込まれている身体に更なる力が走る。肋骨が砕ける。一番下のは何番だったか? 馬鹿な事を考えた瞬間、詠唱と共に陣が完成した。

「砕けて死ねっ!」
「黒く聡く我らは選ぶ、死に爆ぜろ―――『夜桜の如き鮮吼(ナイ・ロッサ・ブレイク)』!!」

 キンッ
 甲高い音が耳朶に響いた瞬間、眼前で夜空を覆う閃光が輝いた。指向性を持っている爆裂術式だとは言っても、完全にこちらに爆風が返って来ない訳では無い。式に組み込む衝撃減衰用の式にも魔力を割かなければならない為、超近距離での爆裂術式はお勧め出来ない。が、相手を数瞬で屠れるのもまた、爆裂の術式なのだ。確かに雷撃系は生物であれば高い殺傷性を秘めるが、生憎と自分に腕が繋がっている。自爆したくはないので使用は控えた。
 があん、と言う音が響き、少しだけ腕が緩む。だが、それは直ぐに握りなおされた。

―――まだかっ!

 普通であれば一メートルの術式合金製の金属壁すら貫通させる術式を受け止められた。流石に最高の対術式防壁である熾天使級刻印防御装甲(セラフィム・クラス)を一撃で破壊する事は出来ないが、それでも高い威力を秘めている事には変わりない。
 それを眼前の鬼は生身で受け、それで尚生きているのだ。
 やはり、この鬼を殺すにはフォーリング・アザゼルを引き抜くしか手は無い。だが、それにしても先ずはこの拘束から逃れるのが先決である。
 祐一は薄く唇を噛み切ると、そこに手を持って行き、親指に血を塗りつける。

―――消費が激しいからやりたくは無かったが…

 戦争等の長い時間戦う物では、こういった手法は禁止される。何故なら魔力を著しく消費する行いは、後々も続く戦いに支障を来たすからだ。だが、そんな事を言っている暇は無い。潰されそうな胴体に背後に迫る地面。無駄を省き、やるしか無いのだ。
 そして再び煙を上げる鬼の顔面に手を向ける。瞬間、煙が晴れた向こうから見える鬼と一瞬だけ目があった。

「っ!!」
「『魔術復唱(エコー)』!!」

 数瞬前に使用した術式を脳分野からコピーし、眼前にペーストして発動する術式。だがそれは、自身の脳に働きかけて、練り上げた式を再現させるというある種強化系の術式にも似た魔術である。そして更に復元させた術式を発動する。これで魔力的負荷が掛からない筈が無いのだ。
 連続して使用する為に、何十年も昔に作り出され、祝詞を削りに削った魔術。復唱術は発動語句を述べるだけで発動させる事が可能ではあるが、その魔術を使用すれば普段に使う魔術の二倍が持っていかれるのだ。リスクが高すぎる。だから普段は使われない。

「『魔術復唱(エコー)』!!」

 更にもう一度。
 計三発。上空に引き摺られ一行に地面に落下しない時間が過ぎながら、尚―――鬼は未だに祐一を捕らえて離さない。だが、その拘束は確かに緩んでいた。
 再び始まる落下。祐一は腕に手を掛けて無理やり拘束を外すと、ムラマサの身体を蹴って跳躍。
 ムラマサが体勢を整える事無く地面に衝突する中で、祐一は綺麗に着地する。
 勝負は決したか?
 その思考に、祐一は己の影に手を翳した。それに反応して、一瞬だけ怨霊が溢れ出す、が―――直ぐに収まると柄が伸び出して来る。
 その漆黒の刀身を手に収め、再びムラマサが転がる地点を眺める。

「痛ぇ…痛ぇなあ…」

 くつくつと、笑いを含んだ声で、寝転がるムラマサが言う。
 その言葉に目を細めながら祐一は思考した。
 肋骨を砕かれた。これでは長い時間を活動するのは不可能。短時間で決着をつけるのが最善だ。しかし、自分の攻撃にはムラがある。普通の攻撃と、魔剣が第三段階に突入した時の威力が余りにも差が有り過ぎる。殺すだけならそれで構わないだろう。祐一も最初はそうしようと考えていた。だが、今は少し違う。

―――この鬼にも仲間になって貰うか…

 天使に対して怨恨を持っている訳では無い。唯、強い奴と戦いたいと思っているだけ。
 理解出来る。理解出来てしまう。
 自分は獅雅冬慈ほど強い戦闘嗜好は持っていないが、それでもその感情は確かに持ち合わせている。

―――ああ、ヤバイな…

 本当にヤバイ。祐一は愉しみ始めていた。だからヤバイ。この時間に浸っていると殺し合いを愉しみ始めてしまう。数年前、そう―――初めて獅雅冬慈に出会ったあの時に、一晩中殺しあった時の様に、自分はこいつとの戦いを愉しんでしまう。
 それは拙い。今は冬華の方が心配だ。耳を澄まさずとも爆音が崖の上から聞こえてくる。どんな状況が展開されているのか気になって仕方が無い。
 だから、俺は、堕ちれない。

―――それならどうする?

 漆黒の刃を引き抜いたが、それは余り意味の無い事だったようだ。殺さない、いや、殺すのに時間が掛かるやり方? そう、魂だけを固定出来ればいい。少しの間。もてばいいのだ。そう、魔核だけを残せば。
 瞬間、閃く。

―――奥義…

 奥義、いや、死天の伎では原点と言った処か。
 瞼を閉じ、過去の情景を思い出す。師が始めに教えてくれた事を、思い出す。




『始めに言っておくが。死天の伎は元々一つしか無い』
『たった一つなんですか? 魔術みたいに色々な種類―――技があるんじゃないんですか?』
『初代はソレを使ってから、四つの技法に分けたんだよ』
『四つ。【 鋭殺 】【 鏡面 】【 瞬歩 】【 空握 】だ。』
『あ、はい。始めに聞いた物ですよね?』
『そう。しかし、これは全て原点を使用する為の物でしか無い。私が用いる穿殺・天栄魄想戟宵雅(てんえいはくそうげき・よいまさ)と閃伎・天栄夜想花月詠旋(てんえいやそうかげつ・えいせん)は、その代その代が開発した原点の劣化型でしかないのだ』
『原点…』
『いいかい祐一。原点を使うという事は、死天である四天の技術を完全に使用するという事。身体に通常の数倍の負荷を掛ける伎だ。だが、その威力は―――』




「その威力は…殺すも殺さぬも自在に出来る、生殺与奪の完全権限…」

 呟き、祐一は深く腰を落とした。
 身体中に力を循環させ、呼吸を整え、その度に起きる激痛を忘却する。今は必要ない感覚。
 滑らかに完全に、相手の急所を認識し殺しきる術。つまりそれは急所を避け、それ以外を削ぎ落とす事も可能とする。奥義は、空握による世界の客観的視野を相手の認識に100%向ける事。相手しか見えない。だが、殺すにはそれで十分。相手が見えればいいのだ。発動した瞬間、相手は既に敗北を決定付けられるのだから。
 腰を落とし、浅く遠い感覚で呼吸し、視界を完全に閉ざし、感覚だけで相手を捉える。五年という月日で覚えた最終的な技術。完全な殺害術。
 それを、奴の魔核だけを残す事に使用する。

「ああ? 目なんか瞑って何してやがんだ?」
「―――訊いておく」
「ああっ? 何だよ?」

 祐一はムラマサの問いに答えず、質問で返した。それにムラマサは面倒臭そうに目線を細める。

「あんたを倒したら、真白と同じようになって貰うけど、いいな?」
「―――へぇっ…俺を隷属させるってのか? 面白い…出来るなら良いぜ? やってみな」
「そうか、では―――」

 鬼が祐一の声に身構える。
 祐一が一センチほど踵を上げ―――そして、地面に盛大な罅を刻み、

「一度、死ね」

消えた

「なっ」

―――死天・千離朱桜煌夜全衡(せんりしゅざくら・こうやぜんしょう)

 音は無い、いや、音が後からついてくる感覚。体感的にだが音速すらも凌駕した。
 突き、裂き、衝き、割き、穿ち、斬る。
 単純だが単純だけに、その威力は計り知れなかった。
 刹那の瞬間。
 先ず始めに刃が首を斬り飛ばし、首が浮き、血が噴出するよりも速く残った腕を落とした。連続して右大腿部を切断し、過ぎ去った刃は左膝上を切断。斬り返した刃で左大腿部を切り裂いて離し、まだ血が溢れ出る前の右足をもう一度薙ぎ払った。停止した時間の中。突き出した衝撃が全十二発顔面に着弾して吹き飛ばす。斬り落ちた腕には七発の衝撃。滑る胴体の下で切断された両足には計三十一発の突きが放たれた。血霧が舞い散るよりも更に速く、迅く、胴体を切り離し、本体と繋がりを失った下腹部には衝撃が八発入った。
 斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って穿って。

 右肩が外れた。

「っ!!?」

 ゴキリと、肩が外れて脱臼した感覚が伝わり、それと同時に祐一は左手にそれを掴んだ。
 ざざっ、と音を立てて鬼が居た場所を通り過ぎ、地面を滑りながら剣を地面に突き刺して止まる。
 そこに鬼の姿は既に無い。
 在るのは、祐一の左腕に掴まれた心臓・魔核だけ。

 鬼の身体は心臓を残し、夜の闇へと消え去った。

「っく、はぁ!! はぁ!! はぁ!!」

 一夜殺し合いを続けられる騎士が、盛大に呼吸を繰り返す。身体に掛けた負荷が余りにも大きかったのだ。そして苦笑。斬戟と刺突を繰り返すだけの伎。しかし、完全なる殺害術だ。身体が痺れる。右肩が外れた。一対一だからこそ出来る伎だ。

「あれからっ…結構、成長、した、んだけど、なぁっ…はぁっ」

 それでも限界数一撃。
 威力はある。
 ある意味第三段階の如き死を与える威力だ。

―――生身で死を与えるというのは、これだけの事なんだよ…

 左手に持った魔核を見て―――右肩を樹に打ち付けて嵌めると、祐一は呼吸を整えて歩き出す。
 向かうのは、冬華の居る場所だ。
















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