夜という空間
そこに、二千年前に果たされなかった約束がある

それは、天使の成り損ないの物語






















――― To the children of an INHERITANCE - 遺産の子達へ ―――
――― stage-9 he tortured past - 責め苛む過去 ―――





























#3 銀翼と灼熱が爆ぜる、シルバーアンドレッドシンフォニー



































 頭上で何度も爆音が響く。その中では、夜という概念は最早仮初でしかない。
 輝く夜空は、まるで昼の様に明るい。これは火が燃え移った森が夜空を照らし出しているというのもあるのだが。
 そんな白昼の夜空の下、祐一は崖の下で樹に背中を預けて座っている。

「祐一。その身体で行くと、間違いなく死ぬよ?」
「ああ…俺も、これはちょっとばかし拙いなぁ〜…とか思ってる次第だ」

 ドカーン、とかドゴーンとか、めっちゃくちゃな破壊音がばら撒かれている中に、肋骨の骨折と亀裂骨折、及び右肩の脱臼に加えて奥義使用による全身に及ぶ筋肉の痺れ。この身体で戦場に飛び込む事が自殺と言わずに何といえば良いのか?

「…だが、冬華がな…」
「心配するのも分かるけど…それだけが愛じゃないと思うよ?」

 偉く真面目な表情でプルートーが祐一に告げる。
 納得は出来ない。だが、それは正論だ。持ちつ持たれつの関係こそがベストの筈。だが、祐一の心配は冬華を信用していないと同義である。
―――信用してない、ね…
 信用していない訳では無い。普段の冬華なら無条件で甘えさせるし、背中だって預ける。無防備な姿を既に見せている事自体が信頼であるとも取れる。決して信用していない訳では無いのだ。
 信用―――というよりは、怖いという感情があるのかもしれなかった。
 ミストヴェール大陸に渡る船の中で見た、冬華が一瞬だけ見せた狂気。それの続きを見るのが怖い。堪らなく怖い。これまでの全てが無に帰して、尚且つこれからの全てを失ってしまいそうで怖いのだ。
 自分で語った理想がある。そして予測してある事柄も存在する。前者は冬華を幸せにする事。後者は―――何時か冬華が狂気に傾いてしまった時に、己の命を懸けてでも冬華を止めるという事。後者の予測が訪れるのを、自分は酷く恐れているのだ。正気に戻せるのなら善し。しかし、もしも殺さなければならなくなったら?
 その事を心底恐れている。
 冬華が居なくなるという事を恐れている。
 相沢祐一は、冬華の力を信じているが故に、彼女が戦う事を酷く恐れているのだ。

「…歯痒いな…クソったれめ…」

 ズキズキと痛む骨折箇所に手を当てながら、祐一は炎に照らされた夜空を見上げた。崖の下から見上げている為か、冬華と竜の姿は確認出来ない。しかし、遥か上空を光の筋が流れるのを何度か視認する。

「…冬華を戦わせない程の…絶対的な力が俺にあればな…」
「祐一は十分強いと思うよ?」
「不十分だよ。大事な局面で使えない力なんぞ、な」

 舌打ちして、祐一は治癒の術式を発動させる。顔をやや伏せて暗い表情で治療する祐一を見ながら、プルートーは重く息を吐き出した。

「…なんだよ?」
「…べっつにぃ〜?」

 プルートーから発せられる言葉ではない抗議。それに祐一は一層目線をきつくする。だが、それにプルートーはうろたえもしないし、ましてや怯える事など無い。ここら辺は慣れた物だった。
 一通りプルートーは無言の抗議を行うと、再び思い息を吐き出して、どこか達観したような表情で(猫だが)祐一の視線に己の視線を合わせる。

「…祐一はどうして僕の隷属者を増やしてるの?」
「………」
「解ってるよ。冬ちゃんを止める戦力が欲しいからなんでしょ?」

 まさしくその通りだ。だからこそ一撃で仕留めてしまう様な魔剣の力を解放せずに戦った。それが裏目に出て、今こうして戦いの音に耳を済ませるしか無い状況に陥っているのだが…

「だったら、必要だって僕に言えば良いんだよ。僕は惜しみなく力を貸すよ? だって―――」




「友達だろう?」




 祐一は、その言葉に驚くでもなく、ぼんやりと聞く。唯、口元には何時しか小さな笑みが浮かんでいた。
 そして、プルートーに対しておもむろに手を伸ばすと、頭を撫でる―――様に見せてヒゲを引っ張った。

「い、いひゃいいひゃいっ!!」
「何だろうな…何だか悩むのが馬鹿らしくなってきた」

 猫に諭される自分は何なのか、とか思わないでもない。だが、正直助かった。この黒い猫に励まされて、自分は多少ではあるが心が晴れるのを感じる事が出来たのだ。そこは感謝しなければならない。

「ありがとうよ、エロ猫」
「はにゃしぇっ!! いたたたたっ!! にゃ、はにゃしてから言えっ!!」
「…おう、忘れてた」
「いたたた…くっ…励ました僕が馬鹿みたいじゃないか…」

 プルートーは器用に右前足を上げると、引っ張られていたヒゲの辺りをさする。結構痛かったのだろう。目元には薄っすらと涙が浮かんでいた。

「なあ…」
「何だよ…」

 不機嫌なのが逆になった。だが、祐一は気にせずに空を見上げながら語りかける。

「友達だってのは、まあ、少しだけ微妙な気分だが嬉しくない訳じゃない」

 友達。友達と言えたのは今まで何人居ただろう。多分、数えられる程度しか居なかったと思う。思い浮かぶのは―――北川と斉藤、耕介、名雪が良いとことだろう。最近になって関わりが出来た折原等が居るが、明確に友達と言えるかと問われるなら、言えないと答える。
 だから、こうした明確な友人が出来るのは嬉しい事だった。

「俺も一応貴様を友人だと認めてる。エロいが」
「…何か嬉しくないんだけど」

 無視。

「いざと言う時は、きっとお前にも頼る。冬華が本気になったら、高高度から魔術を落とせばそれだけで俺は絶命するんだ。それは防ぎたいし―――冬華に俺を殺した事で壊れて欲しくない」

 壊れる、という事への確証はある。冬華は祐一に告げている。『貴方が助かるならば、私は喜んで世界でも滅ぼしましょう』と。そんな冬華が、もしも自分を失ってしまったら?
 多分、いや、確実に自我を崩壊させて狂うか、廃人になるだろう。
 それだけ、冬華が自分に向ける想いは深い。
 理解している。しているからこそ、いざと言う時はなりふり構っていられなくなる。
 そして、もしもそれが上手く行くのなら―――

「全てが終わったら、それが俺達とプルートー…お前との別れの時だ」

 友達ではある。
 しかし、利用している事に変わりは無い。
 だから、お別れだ。
 後はそれぞれの道が用意されている。
 だが、そんな事を言われたプルートーも、理解している筈の祐一でさえ、哀しげな表情を見せる。
 人間と魔物。寿命も違う。きっと、この場に居る一人と一匹は理解しているのだ。深い意味を。
 二つの存在は、互いを友達だと認めている。だが、冬華という存在が何時か暴走し、それを止めれて、尚且つプルートーが歩みを二人に合わせ続けても―――先に死ぬのは祐一と冬華だ。人間である二人が先に死ぬ。自然の理だ。
 その先で、プルートーは魔物として長い時間を過ごす事になるだろう。人間とは比べ物にならない位の、永い時間を。

 プルートーが苦笑し、祐一も続いて苦笑する。

「ま、それまでの付き合いさ、祐一」
「そうだな。んじゃ、それまでは宜しく頼むよ」

 笑って、祐一が握手を求める様に手を差し出す。プルートーも、再び前足を差し出した。祐一がプルートーの前足を握る―――というのはフェイントで、地についている足を払った。

 ひょい、ぺし、びたん。

「………」
「………ぷっ」
「…フシャアアアアアアアアアアッ!!」

 バリッ!!

「ぐあっ!? 痛ぇっ!!」

 キレたプルートーが祐一の手を引っかく。しかも爪を振りぬかずに手に食い込ませている。えげつない猫だ。
 祐一がプルートーに掴みかかる。プルートーが祐一に噛み付く。どったんばったんごちゃごちゃぐちゃーん、と崖下で騒ぐ一人と一匹。だが―――

―――イィ

「!?、プルートー!!」
「!!」

 頭上から迫る脅威に瞬間的に祐一が気付くと、プルートーの首根っこを引っつかんで地面を蹴った。
―――躱せるか? 躱せ―――ないっ
 墜ちて来る光の槍。直撃を免れる事は可能だが、それが巻き起こす衝撃は自分を、プルートーを巻き込む事は確実だ。
 祐一は思考を切り替えると、プルートーを抱え込んで跳躍する。少しでも衝撃を和らげる為に。
 障壁を展開するには時間が足りない。咄嗟に張れる程度の障壁で威力を殺せるだけの衝撃は、あの上空で舞っている天使と竜のどちらかが落とした事からも確かな様に削ぎ落とせるだけの魔術ではないのは明らかである。
 死なない程度の衝撃が来るのを覚悟しながら、飛び込んだ体勢で衝撃に備える。

―――ゴ、バンッ!!

 岩盤が捲れ上がり衝撃が木々をなぎ倒す。熱量を含んでいた槍は木々の発火を促し、一瞬にして森を焼いた。その赤い光景の中で、黒い影がむくりと起き上がる。

「…?」

 衝撃はあった。だが、それを感じる事は無かった。
 どうしてか、と疑問に思う。

「無事?」
「ん? ああ…無事だが…これは―――」

 と、不思議そうに祐一はプルートーに視線を向けて、気付いた。その黒猫の首に巻きつけてある物に。

「…咄嗟に使ってくれたのか、ソレ」
「うん、便利だよね、これ。『踏み外す者』だっけ?」

 猫らしからぬ顔で笑うプルートーに頷き返しながら、首輪サイズになった位相斜行を行う遺産に目を向ける。
 シャイグレイスを出た後、この遺産を結局どうするか? という話に発展した。持ってきてしまったのはしょうがない。だが、だからと言っていきなり換金するのも、戦った相手に対して失礼な感じがして、そこまでする事が出来なかったのだ。
 では、これは誰かが持っていようという事になった。祐一、冬華、プルートー。この二人と一匹の中で、一番防御力が低いのはプルートーだ。祐一は魔剣による防御がある。冬華は魔道銃の弾丸すらも弾く常時稼動の術式装甲がある。しかしプルートーには何も無かった。
 僕が持ってていいの?いいよ別にそれじゃあ持ってる―――それだけのやり取りでプルートーが所有者になったのだった。
 それが今、こうして窮地を救ってくれた。

「全く、ありがたいね…」

 木々が燃え移らない様に水冷系の術式を展開して消化活動を行うと、祐一は再びどっかりと腰を落として空を見上げた。
―――さてさて…どうなる事やら…
 先程までの深刻そうな顔ではなく、やや諦観を秘めた表情で祐一は空を見上げた。夜は未だ続いている。だが、黎明の時は確かに近付いてきていた。そう…確実に。




*  *  *






 ヒュオッ!!
 その巨体に似合わない動きで、緋色の竜―――グランヴァズが直角に急上昇を開始する。
 それを背後から冬華が追う。その両手には詠唱で生み出した魔力の弾丸。
 雲を突き抜けても尚上昇を続ける竜に向けて、先ず一撃目の光の弾丸を撃ち込む。光の尾を引いて発射と同時に陣が展開され、そこを通って弾丸が急加速した。
 冬華の眼前にあった雲を、光の弾丸が穿つち一瞬にして竜の背後に肉薄する。だが、それが当たる事は無い。

「くっ……」

 竜が一鳴きすると同時に光の弾丸は失速し、パンっという音と共に魔力の残滓を残して消滅。未だ傷をつける事が出来ない。
 アレは特殊な生物だ。
 竜という種は、そのどれもが最低でも環境干渉系の魔術である重力干渉を無意識に行っている。それは自重に潰されない為だ。竜の骨格は、人間と同じカルシウムでは出来ていない。それこそ竜骨は武器にそのまま加工出来てしまう程の頑丈さを持つ物質である。しかし、骨格が耐えられた処で、肉の重みは竜から素早さを奪ってしまう。もしも重力干渉を身につけなければ、彼らは歩くことすらやっとで、空を飛ぶ事などは以ての外だっただろう。
―――だからこそ強い。
 無意識に、しかし永い時間永続的に魔術を行使し続ける。それがどれ程の研鑽に繋がるかを考えた時、竜という種は永く生きれば永く生きるほどに化け物であるという事が解る。
 化け物。それは正しく魔物側に“化け物”と称された天使にとっての好敵手だった。

「しっ!!」

 雲の上に出て、その切れ間から元々居た森林地帯を見下ろしながら、冬華は滑空する竜に二発目の光弾を打ち込む。再び急加速した弾丸は、されど届く事無く途中で空間の歪みに捉えられて失速―――消滅へと至った。
 二発目の弾丸が消滅すると同時、突如として竜は一回だけ強く羽ばたくと、180度のターンを決めて冬華へと向き直る。

「!!」

 その口腔には赤い煌き。開かれた口より、火炎が空に放射される。
 威力は色からして余り高くは無い。しかし、その範囲は竜を中心として300メートルにも及び、夜気に冷やされた空気を灼熱へと引き上げる。
 急制動を掛けた冬華が雲の中へと逃げる。その背を焼くようにして、雲を突き抜けて炎が迫った。

「《圧縮言語》、『 渦巻く水の尖塔(メイルシュトロム) 』!!」

 背後に向かって展開する水冷系魔術。その展開された陣より放たれるのは、空間中から集められ束ねられた水の塔だった。更に今現在冬華は雲の中を突っ切っている。その中であれば、かなりの水気を集める事が可能だ。
 爆発的に集められ放たれた水の竜。それは迫る赤い猛威に衝突して崩し、尚且つそれを押し返した。
 だが、それ以上の効果は望んではいない。
 冬華は雲を抜ける為に下降を再開する。
 メイルシュトロムは、元々屋内においての敵部隊圧殺及び鎮圧を目的として使用される術式だ。“濁流を前にして、その河から逃げ出せない場所”でこそ相手を倒す事が可能であり、この様な広い空間で―――更に相手が一体とあってはダメージを与える事の方が難しい魔術である。
 だからこそ、冬華は逃げる為だけの手段として、メイルシュトロムを放ったのだ。

「《圧縮言語》―――エラー、《詠唱短縮》―――」

 雲の中を墜ちる冬華は、胸元に手を当て、小さく呟く。

「収束するは光の因子、夜を、闇を、影を裂く一撃を今ここに―――」

 回転、続いて冬華は胸元に添えていた手を振りかぶった。

「空を裂け!! 閃刑・『 覇を唱えた者の刃(デュランダル) 』!!」

 アンダーから振りかぶられた光は、瞬時に数百メートルを誇る光の剣に変貌を遂げた。質量無き聖剣は、空を裂き、雲を割り、夜を引き裂いて竜が居た場所を通過する。
 役目を果たした光の剣は、次の間には淡い燐光となって空へと溶けていった。
―――引き裂いた感触は―――
ひゅっ
―――無かった!!

「鈍いぞ! 何を呆けている天使!!」
「っ!?」

 まるで気配の欠片無く背後を取られた!
 その技能は計り知れない。技術だけで言えば、既に冬華を凌ぐ力を保有しているだろう。
―――無音空間(サイレンス)拒絶世界(ワールドウォール)!!
 暗殺特化の結界術式を、この竜は領域化せずに個人に掛けたのだ。人間が人間を殺す為だけに用いられた魔術を、この魔物は使用した。長い時を、人の暮らしを見つめる事に費やし、そこから技術を学び研鑽を積む。それが恐ろしいまでの力をこの竜に与えた。
 この眼前の竜は最早、過去の魔王に近い力を手に入れているのかもしれない。

「《圧縮言語》―――炎星blo追煉WEEEAAAAAAAAAAAAAA!!」
「なっ…!?」

―――圧縮言語のスキル!?
 天使だけに与えられる筈の超高位術式補助技能。
 目で確認し、ありえないと頭で否定しながら、目の前の光景を理解する。相手は強い。そう、魔物が罵る天使という化け物と同じ程に!!

「くっ…」
「―――吼ッ!!」

 展開を実行する為の句が放たれ、竜の眼前の空間に合計28もの魔方陣が展開。そこから青白色の焔が飛び出した。超高速で迫る弾丸を、冬華は急加速で上昇してやり過ごすが、その全てが背後で方向転換し、冬華を追尾する。

「《圧縮言語》―――『 光翼の御使い(エンジェル・ダスト) 』!!」

 錐揉み動作を加えて雲の切れ間を逃げる冬華の腕に、蛍の様に弱々しい光が舞う。冬華の背中から吹き出るエーテル翼にも似た光のそれは、腕を中心に高速で回転し始めると、まるで弾丸の様に背後へと連続的に射出される。
 滅茶苦茶に放り出された光の弾丸は、背後に迫る青白色の焔の群れに接触して爆発を引き起こす。だが、その空間を縫うようにして、未だ12発の焔が冬華を追っていた。

「くぅっ…!」

 急制動を掛け、ホーミングしてくる焔を躱す様に宙返りを行い、引っさげている機工魔剣を引き抜く。
 バチバチと帯電するそれから放たれる雷撃は、見事に冬華を追尾していた焔を撃ち落した。が―――視界の端に煌く物を捉えた。

「あっ―――」

 と、声を出す間に一撃が冬華に着弾して派手な花火を散らす。纏っていた服の端が燃焼するのを見ながら、続いて二発、三発と弾丸が着弾した。
 上空で咲く花火は、連続して五回程の爆発を行う。煙の向こうからは、服を燃やし、下着を露にした冬華が地上へと落下しようとしていた。
 手から一瞬力が抜けそうになる。握っている魔剣を落としそうになる。だけど離さない。未だ、死んだ訳では無いのだから。

 どくんっ、と―――不自然に心臓が跳ねた。

 脈動する意識―――

 だめ…

 扉が開き、瘴気が漏れ出す―――

 ダメ…

 植え付けられた殺害意識が覚醒する―――

 ダメ

 世界が反転する―――

 ダメだ

 昼は夜に変わる―――

 駄目だっ!!

「―――はっ!?」

 瞬間的に意識が冴え渡り、視界がクリアになる。空を裂いて落下を続ける冬華は、再びエーテル翼を展開して空の滑空を始めた。それと同時に己に刻まれた傷を見る。腹部と右腕、焼け焦げてミニスカートになってしまったスカートから覗く脚は、重度の火傷で血が滴っている。爆発による衝撃は、己の物理障壁で減衰した筈だが、やはりというべきか、一部肉を抉っていた。
 治癒魔術では無く、再生魔術を行使して回復を行うと、冬華は空へ視線を向けた。
 竜は月を背後に、未だ健在。傷を負わせる事すらまだ出来ていない。

「あの質量で、こちらと同じ機動力…やっかいだな…」

 何時もと違う口調で、冬華が顔を顰める。冬山での同じ現象が冬華の身体に起き始めていたが、それを指摘する者は誰も居ない。だが、確実に冬華の中で影の側の意識が表に滲み出ていたのは確か。自身では気付けないでいたが、冬華の身を高揚感が支配を始めている。
 それは戦闘に対する欲求と言うべきか、上位の存在を殺せるという悦びかは不明。だが、彼女を蝕む毒である事に変わりは無い。
 見上げる竜が、月に向かって吼えた―――と同時に、冬華は宙を蹴って上昇を開始する。

「《圧縮言語》―――輝星deliiiii墜燕gaguuuUUUUOOOOOOOOAAAAAAAAAAAAAA!!」
「《圧縮言語》―――『 刻む聖爪(ネイル・ペイン) 』!!」

 追尾の機能を捨てただろうソレは、更に数を増やし三倍程にまで跳ね上がる。墜ちて来る光の群れは、更に竜が掛けただろう重力干渉により、加速度的に速度を上げて冬華へと迫った。
 その群れに向けて、冬華は剣を持たない左腕で以って夜空を薙いだ。
 奔る光の刃は合計五本。迫る光の群れに対して真っ向から衝突して、出来るだけ墜落する光の群れを道連れにする。しかし、それでも冬華に向かう光が全て消えた訳では無い。
 一つだけ小さく舌打ちすると、冬華は剣を強く握り締めた。

「サクリファイス!!」

 掛け声と共に、手に持つ魔剣が青白く発光する。
 術者の魔力を無尽蔵に吸い出す魔剣が、一層強く冬華の魔力を吸って輝きを増す。墜落する光の群れを前にして、先程デュランダルを振りぬいた様に、再び冬華が振りかぶった。

「惹かれ、魅かれ、光れ。恒星の如く瞬き夜を侵せ!!」

「―――閃刑・魔剣媒介構成術式・『 殲滅せし偉大なる雷帝(スラウト・グランシャリア) 』!!」

 放たれた猛獣は迫る光の前に展開されて暴れ狂う。雷で構成される球状の物体から放たれた雷は、方向を無視して主以外のモノに対して無作為に破壊を撒き散らす。その嵐の中を、冬華は何でもない事の様に見向きもせずに通り抜けた。いや、見向きもせずどころか、向こうから路を作ってくれたというべきか。
 その路を潜り抜け、天使は竜に肉薄する。
 ズン、という身体に響く衝撃。
 勢力圏に入った途端に、重力場が冬華の進行を邪魔する。

「っつ、あああぁぁぁああああああっ!!」
「グルグアアアアアアアアアアアアアッッ!!」

 重力場を飛翔魔術に用いる重力緩衝により相殺し、その上で冬華は雷の刃を振りぬく。振るわれる竜の爪をギリギリで弾き、尚且つその緋色の兇器に刃を通した!
 斬、という手応え。
 通った刃は竜の腕、その半ばまで食い込んで止まる。
 冬華が不自然に嗤った――――

「焦げろッ!!」

 差し込まれた魔剣サクリファイス・ドライブが、声に呼応するように雷撃を爆ぜる。落雷の如き天上の怒りが竜の全身を貫く。
 体液は沸騰し、皮膚は水ぶくれを起こしては爆ぜ、血液と共に泡立つ体液が竜から零れ落ちた。
 人間なら確かに死ぬ。雷撃系の魔術は高い殺傷力を秘めているので、最低ランクであれ、中るなら致死に至る。だが、相手は竜だ。魔物という存在の最高峰。魔王を除けば人類に仇なす最強の魔法生物。
 緋色の竜は、雷撃を流され、血液が沸騰し、口の端から泡を吐き、目元から涙の代わりに血を流そうとも、その瞳を冬華へと向けて口元を歪めた。

「ぬ、るいぞッ!! 天使ィィイイイイッ!!」

 刃を握っていた冬華に迫るのは竜の顎。
 長い首を、その手元に向けて差し向ける。

「クッ!!」

 竜の鬼気迫る咆哮を受け、反射的に刃を放す。と、瞬時に冬華が居た空間が赤い口腔に呑み込まれる。
 冬華はもう一段身を離そうとする、が―――そこを刃が差し込まれた竜の腕が薙ぎ払った。
シッ―――と、空を切る音。
 その巨体に似合わない俊敏な動きで振るわれた腕は、冬華の胸元を薄く裂いただけに止まる。胸部に残った下着が引き裂かれ胸元を露にするが、冬華は羞恥を見せずに右手を竜に向かって翳した。

「《圧縮言語》―――『 貫き穿つ魔弾(パンツァー・ブラスト) 』!!」

 ゴウンッ!!
 竜の胸元に着弾した光の刃はそのまま炸裂。爆裂の煙と共に、赤黒い血煙が爆ぜ舞う。深い傷痕をその身に刻むが、しかし―――竜は一瞬だけ動きを止めただけで、その口腔を再び冬華に向けた。

―――灯る光は白色。

 摂氏6000度に達する炎の色。それが眼前の竜の口に灯った。
 竜という種族で、この色白き炎を吐ける竜は数少ないだろう―――と言うか、現代においてはグランヴァズ、眼前の緋色の竜にしか成し得ない技術かもしれないが。
 確かに温度だけであれば、それは祐一が使える、元は相沢夜人の力である灼陽の力によって光の焦点を集束し、再現する事は可能だ。だが、竜が吐き出すブレスの範囲は計り知れない。
 威力が加減された赤い炎でさえ、竜を中心として300メートルの距離を焼いた。ならば、全力だろう、手負いの竜が放つ炎はどれ程の距離を焼き払うのか? それを想像するだけで恐怖に囚われる。普通ならば。

「フッ」

 口元を笑みに歪めた冬華が再び手を翳した。嬉々として受け止めるつもりなのだろう。その手には魔力が集束を始めていた。
 この全長20メートルに達しようという竜を斃せるのは、きっと冬華だけしかいない。その他の兵力で斃すというなら、それなりの損害―――千単位が必要となる事だろう。祐一が戦ったとして、地上戦に持ち込めても、その死を与える刃が相手を掠めても、相手を完全に黒い燐光に変えるまでに躱しようの無い、逃げる事も出来ない広範囲のブレスを受けて死に至る事だろう。それは冬慈でも同じだ。魔術をかき消す事が出来ようとも、跳ね上がった周囲の温度に焼け死ぬのが関の山だ。
 だからこそ冬華は勝てる。
 このパワー勝負という分野では、完全に冬華の土俵だ。
 だからこそ、冬華は眼前で放たれようとしている恒星の如き煌きを受け止めようとしている。
 放つ為に構成するのは絶対零度の魔術。摂氏にして−273度と6000度。どちらが勝つのかと純粋に問われるなら、それは6000度を誇る恒星の炎だろう。だが、冬華の使用する魔術である絶対零度の魔術は、温度という点よりも絶対停止を念願に置いている。それは時間凍結や空間歪曲に近い効果だった。
 混沌を操れるという因子を持つからこそ、多少ではあるが時間を歪める事が出来るのだろう。決してそれ以上は出来ないが…

「――――――――――――ッ!!」

 聞き取れない音声と共に、白濁した炎が吐き出される。そこに向かって突き出された腕が纏うのは、蒼い燐光を放つ絶対停止の領域だった。

イ―――――――

 領域を削る爆発的な炎の威力。放たれた煉獄を前にして、一層冬華は笑みを深めた。
 彼女の掌に展開される停止領域よりこちら側、冬華の側へは一切熱が伝わってきていない。冬華の眼前で停止させられているからだ。しかし、その膨大な熱量を防ぐ為に冬華もまた、膨大な魔力消費を行っている。
 それでも冬華は笑みを深めた。
 向こうの火が先に止まるか、それともこちらの魔力が底を衝くか―――それを愉しむ様に冬華は嗤う。
 やがて、白い世界を突き抜ける!!

「くたばりなさい! 緋色の竜ッ!!」

 突き抜けた手が竜に触れる。
 瞬間―――その表皮に霜が走った。
 粒子運動の停止による熱量の剥奪。それは一瞬にして全てを奪う行為。パキリ、と罅が走り、続いてパラパラと凍りついた肉が崩れてゆく。
 凍結が身体を覆った処で、竜はくつくつと小さく弱く笑い始めた。

「時を越え、戦いを挑み、そして敗れ去る。それもまた一興か…」

 だが、と崩れ落ちる竜は天使に告げる。

「このまま終わる訳にも行くまい?」

 全てを諦めているのに、けれど最後の最後で諦めきれない子供の様に―――緋色の竜は顎を冬華へと向けた。
 逃げろ。
 そう思考するよりも迅く、竜は崩れる身体で冬華を抱えていた。
 油断した、と言えばそれまでだ。この近距離で脱出為に術式を発動すれば、多分自分もただでは済まないだろう。しかし、それでも、このまま終わってしまうよりは幾分かマシか。
 加速度的に思考を展開させる冬華に、その顎は迫る。冬華が自爆覚悟で魔力を集束させる、が―――

 羽ばたきを停止し、落下を続ける世界。その真下に光の煌きを感じた。
 瞬間、集束された光がレーザーメスとなって竜の身体を貫通する。

「―――ごふっ…?!」

 光。夜の儚い光を集束し、一点に集めて放っただろう一撃。空間中から地面に降り注ぐ光子を屈折率と集束を繰り返す事で掌の先に集中化。それを夜空に還した行い。相沢祐一は何時も必ず最後には冬華という少女を助けるのだ。
 【 灼陽 】という能力により、未だ慣れない為に発生が遅いが、それでも天を穿つ光の刃を放った祐一。その騎士を見下ろしながら、冬華は笑う。それは先程までの歪んだ笑みではない。純粋な笑み。
 仰げば竜の顎は停止していた。生命活動を停止したのだろう。
 冬華は、今はもう動かない竜の腕から逃れると、銀の翼を再び展開して夜空を滑空した。
 独り、孤独に墜ちる竜の亡骸は、所々を焼け焦がした森の中へと―――沈んだ。




*  *  *






 墜ちてきた竜がその身を大地へと沈める。
 ぐったりとしたまま動かないのは、命を停止させたからに他ならない。
 そんな竜の末路に、祐一とプルートーは近付いた。

「完全に、死んだの?」
「胸部にあるだろう魔核を撃ち抜いた。生命活動は止まった筈だ」

 祐一がそう呟くと、プルートーは緋色の竜を見た。
 冬華との戦いで身をボロボロにした、古き竜。現代に残る竜の、その最古参。竜達の王とも言うべき存在を見る。
 満足そうな顔だった。
 最後の最後で祐一に撃ち抜かれたと言っても、その表情は満足そうだった。
 二千年の時を越えて目的を果たせたからだろうか、その表情は。

「さて、契約してくれプルートー。悪いが勝者は俺達だ」
「…そうだね」

 こくり、と黒き「冥主」の名を持つ猫は頷く。
 竜という存在は魔核を二つ所有している。心臓が二つあるとも言えるが、一つは胸部にある身体を動かし魔力と血液を循環させる為の物。そしてもう一つが、その高い術式能力全てを司り、魂と肉体の結合を司る頭部にある魔核だ。
 祐一が真下から撃ち抜いたのは、その生命活動を行う為の胸部の魔核。魂を保有する頭ではない。
 というか、祐一の位置からでは冬華が居る為に頭を撃ち抜く事が出来なかったのだ。ついでに言えば、竜の魔核を撃ち抜いてから頭部にも魔核がある事を思い出した。
 天は祐一に味方してくれたらしい。

―――(コウ)、と竜の身体が淡く輝いた。

 竜の身体から漏れる光は夜の世界を淡く照らしながら、プルートーの身体に吸い込まれていく。

 その光景を見ながら、祐一はこの猫が何故召喚の技術を持つか推測を思い浮かべていた。
 魔という存在は魔道の存在であるが故に、同族を吸収、または分裂させる術を持つ。だからこそデルタという老いた魔物はプルートーを作りえたのだろう。
 だが、ここで一つ考えなければならないのは吸収の方だ。
 魔物はそれぞれプライドが高く、尚且つ吸収されるのを嫌う。更に言えば、仲間意識が高い。気難しいとも言え、吸収もあまり起こらない事だろうが前例は存在する。
 祐一の知識では文献のみになるが、吸収した場合、魔物は融合すると言った方がいい。つまり、個を別に内世界に抱え込む事は不可能なのだ。そう、普通であれば。

 この黒き猫は壊れている。
 魔物でありながら、その術を持っていない。

 機能不全であるが故に、この猫は内世界に個を抱える事を可能にしているのだ。
 それ故に、抱え込んでも魔力上昇が殆ど見られないのは悲しい事だが。

「―――…完了…」
「…そうか…これで、この夜も終わりだ…」

 見上げれば、月もかなり傾いていた。
 燈色に空が彩られながらも、僅かだが朝の色を孕み始めている。夜明けが近い証拠だ。
 それに、気付けば冬華がゆっくりと下降してきていた。

「―――――ん?」

 服を燃やし、上は胸を露にして、下はちらりちらりと白い物が見え隠れする天使が。

「うえっ!?」

 久々の裸観賞に、今までのシリアス思考が全部吹っ飛んだ。
 急いで視線を逸らせば、エロ猫が顔をにやけさせている。
 とりあえず、首根っこを引っつかんで森の中に投擲した。

「祐一さんっ…」

 かなり尋常ならざる力を保有する冬華だが、今日は流石に疲れたのか声が弱々しい。揺れる双丘を目の端で確認しながら、祐一は冬華の足取りが危ないのを感じていた。
―――そこ、空間把握すりゃいいだろう、という意見は却下だ。
 自分の思考に突っ込みを入れながら、冬華が躓いて倒れこむのを捉えた。勿論祐一は冬華を支える訳だが。

「あっ」

 祐一もコケ、冬華に押し倒された。

「ふ、冬華サンッ…その、可及的速やかに服を着て欲しいのですが?」
「………くー…」
「寝るの早っ!! うわァッ何ですか! 柔いモノが当たって…って、何だよこの展開。ありえねぇっ!!」

 それは何時かの焼き増し。祐一が冬華を施設から連れ出した時の様に。

「は、離れて…いやっ、ぬう、これは男として是非ともこの気持ちいい展開を堪能したい処だがね!? しかし状況が状況なのよ。だから起きてっ、起きてくれっ! 冬華あああああぁぁぁぁぁっ…」
「…う、うーん…くー…」

 祐一の声が黎明を迎える空に響く。
 永い夜は、今明けたのだった。
















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