――世界は巡る。 ――歴史を刻み、進み続ける。 「じ、爺ちゃん…!」 「あぁ、何だ、シド」 「修行、ってかこれ…俺に対するイジメじゃない!?」 「バカを言うな。只、ワシがお主の背に乗っておるだけじゃないか」 「状況を説明する言葉が足りてねぇ!? 俺走ってるんだけどね…!」 「弱音を吐くなよみっともない…」 「え、今の弱音に分類されるの!?」 ――女神が地に降り立ったと言う日から、1633年。 ――勇者が魔王を倒したと言われる日から70年の時が過ぎた世界。 「剣はもっと的確に振れ。そう、もっと内臓を抉り飛ばす様にエグく振れ」 「!?、爺ちゃん勇者の息子なんだよな!?」 「何を今更。バカかお前は」 「忘れた訳じゃないよ!? 俺に教えてる内容がまんま殺人剣じゃないかって事だよ!」 「?、何を馬鹿な。当たり前じゃないか」 「俺は殺人剣を習ってましたー!!」 ――世界はゆっくりと、新たな歯車を動かし始める。 ――シド・ザーフィスと言う、勇者のひ孫を歯車として。 「ほら、賊がそっちに行ったぞ」 「おらぁあああっ! 人の飯を取ったクズは死んで謝れえぇぇぇえええっ!!」 「………」 「よし、これで依頼は終了だな、爺ちゃん…爺ちゃん?」 「…ん? あぁ、何だ?」 「いや、何か呆っとしてたみたいだから…どうかしたか?」 「あぁ…お前の両親に何て言えばいいか、ちと言い訳を考えてた」 「…? 変な爺ちゃんだな。それよりも、奪われた物を取り返して村の人達に返しに行こうぜ?」 「……容赦は無いが、根元は優しく育ってくれた事が幸いか…」 ――ゆっくりと、ゆっくりと、盤上に役者が揃い始める。 ――ゆっくりと、ゆっくりと、舞台は整い始める。 「……シド」 「――…爺ちゃん?」 「お前はゆっくり、“こっち”で生きてから、来るんだぞ…?」 「…、当たり前だ」 「そうか…」 「……爺ちゃん?」 ――ゆっくりと、ゆっくりと、幕を上げ始める。 ――世界は、巡る。 ―――→ 勇者の話(或いは、勇者のひ孫と愉快な仲間達)  女神が創造した世界・ステイシア。  これは、そんな世界であった話。  勇者のひ孫、シド・ザーフィスが旅に出て、  めんどいからと言って悪人を惨殺剣技で滅多打ちにしたり、  仲間と出会い絆を深めたり、  勇者の装備をいらないからと質に入れたり、  世界を救うお話。  そんな、話。  その日、爺ちゃんが死んだ。  それはもう、呆気無い程に。  流石に勇者の息子でも、病には負けると言う事だろう。  穏やかな終わりだった。  あそこまで苛烈な人も、その終わりは穏やかな物だった。  だが、最期には孫の事を心配するような事を――  そこまで考え、頭を掻く。 ――…感傷か…。 「…この家も広く感じる様になっちまったなぁ…」  グルリ、と首だけを動かして祖父が居なくなった家の中を流し見る。  何時もの風景。木製のテーブルや、庭仕事用の道具がある何時もの風景がそこにあるだけ。  だが、そんな何時も通りの世界が、人が一人居なくなっただけで随分と広く感じる様だった。  勇者のひ孫――シド・ザーフィスはそう思う。 「…遺されたのは、代々伝わる剣と、ボロっちぃ勇者の証位か」  はぁ、と小さく溜息を吐き出しながら、シドは遺された剣を掴んで腰のソードホルダーに差した。  勇者の息子が死んだとあれば、それなりに何かありそうな物だが特に何も無い。  嘗ての初代勇者が仕えていた王国が何処からか噂を聞きつけて接触してくるかとも思ったが、そんな事も無かった。  そう、勇者の息子が死んだと言うのに、世界は余りにも凪いでいたのだ。 「ま、別に葬儀は村で行っただけだから王国には報せて無いんだけどなっ」  そりゃ国も知らんわな。  やれやれ、と肩を竦める。  まぁ、有名だったのは曽祖父で、祖父にはそこまでの知名度は無い。  それはそうだ。  曽祖父が魔王を倒して世界を平和にしたと言うのに、祖父の何処に名を確りと残すだけのスペースがあるのか?  そんな物は無い。  精々が王国軍で戦災復興に当たって活躍した、程度でしか名は残らないだろう。  実際、祖父は軍に一時期居たらしいが、直ぐに辞めているとの事だった。  そこにどんな確執があったのかは知らない。  知らないし、知ろうとはしなかったのだから分からない。 「さて、遺品整理の続き――と言いたいところだけど…片付ける様な物も服位だしなぁ…」  ぼやいた処でシドの腹が鳴る。 ――俺の腹は、爺ちゃんが死んでも正常稼動だな。 「と言っても、そろそろ蓄えも無くなるか…稼がんとなぁ…」  シドは胸中でもう一度溜息を吐き出すと、扉に向かって歩き始めた。  シド・ザーフィスは、ラクト・ザーフィスのひ孫だ。  ラクト・ザーフィス。  その名前はこの世界では余りにも有名である。  今から約70年程昔、この世界を救った者の名前だからだ。  今の世に語られる勇者伝説の立役者。  この大地に降り立ったとされる女神アリアスより神剣を受け取り、魔王を倒したとされる存在。  他にも語れば伝説はそこら中から出てくるが、ソレこそがラクト・ザーフィスの名を世界に知らしめた要因である。  そしてシド・ザーフィスは、そんな伝説になった男のひ孫である。  ひ孫であるのだが―――そんな世界の事情とは、何ら関わりの無いところで彼は育ったのだった。  彼の人生に、話すのが躊躇われる様な物語は無い。  彼が祖父の世話になっていたのも、父母共に亡くなっているからに他ならない。  或いは、それこそが彼の不幸の“原因”となる不幸だったのかもしれないが。  幼くして父母を失った彼は、ゴタゴタに巻き込まれ、祖父に引き取られる事になった。  そう、隣国よりは近いが領土の中では最も遠いと言われる山間の村、しかもその外れに住まう祖父に。  生きる為、死なない為、勇者の息子――祖父より地獄のシゴキを受けながら、彼はそこで育ったのだ。  絶妙に、奇妙に、人格を可笑しくしながら。  家の扉を潜り、村へと出る。  天気は快晴。  自分の心とは対照的な天気に眉を顰め、辺りを見回すと丁度一人こちらへ歩いてくる処だった。  村に住まう、祖父の葬儀を手伝ってくれた老人だ。  シドの事を心配して近くまで来てくれたのだろう。  何ともありがたい事だ。  シドは『こんにちは』と告げると、彼女は心配そうな表情で口を開いた。 「…シド君。もう良いの?」 「爺さんの形見なんて服位しかないんで、直ぐ終わっちゃいますよ」 「それもそうなんだけど…シド君の方は、」 「…何時までもしんみりしてたら、それこそ爺ちゃんに怒られます。これ位がいいんですよ」 「…そう?」  そうなんですよ。  シドが困ったように笑うと、祖父と付き合いのあった彼女の顔にも困った様な笑みが浮かぶ。  何とも世話になりっぱなしだな、とシドは思う。  実際の話、シドが村にやって来てからは彼女の世話になる事も多々あった。  実の祖父の性格がぶっ飛んでいたせいだ。  祖父は強かった。それはもう呆れる程。  こんな逸話がある。  まだ祖父がこの村に来たばかりの頃の話だ。  智恵を持つほど強力になった魔獣が現れ、村を襲った。  祖父はそれをぶった斬った。  一撃で。  相手が態々構えるのを待ってから、逆袈裟に斬り飛ばし、瞬殺したのだ。  全長10メートルもあった魔獣を。  そんな祖父は戦闘行為だけは神懸って居たが、他は全く駄目だった。  野草の判別がついたり獣を狩る事は出来たが、料理全般は限りなく駄目で、それは料理に対する冒涜だと言う事を多々していたらしい。  他にも例を挙げれば枚挙に暇無いが、ともかく祖父はズレた人間だったのだ。  シドが村外れで暮らすようになってからも、それは治っていなかった。  祖母が亡くなってからまた酷くなったらしいので、或いは再発とも言えるかもしれない。  だからこそ、シドは祖母の友人だったと言う眼前の老人を頼る事が多く、料理を習ったのもまたこの時の事だった。  シドは世話になりっ放しの人生を振り返るのを止めると、一度息を吐き出す。 「それじゃ、ちょっと家の方を空けます。爺ちゃんの事があって、最近仕事してませんでしたし」 「……大丈夫なのね? シド君」 「えぇ。あの爺ちゃんに鍛えられたのは伊達じゃないですよ」  酔狂でも無い事を祈りたいですが。 「心だって、そう簡単に折れてやるつもりはありませんしね?」 「そう…だったら、お家の管理はしてあげるから、怪我しないで帰ってきなさいね?」 「了解です。んじゃま、行って来ますよ」 「えぇ、行ってらっしゃい」  別れを軽く告げ、しかし向かう先は村の出口ではなく家の小屋。  そこに仕舞ってある仕事道具を引っ張り出す為だ。  シド・ザーフィスが行う仕事は二つある。  一つ目はギルドから依頼を受け、それをこなして報酬を得る事。  そしてもう一つは、 「あー…これも、まぁ、遺品になっちまうかねぇ…?」  ごとり、と重い音を立てた金属の塊は、接続部から甲高い金属音を響かせる。  鋏である。  それもシドの身長と同じ位はあろうかと言う程の、恐ろしいまでに大きな鋏。  そして隣にあるのは、又も同じ鋏。しかしこちらの方は刃の部分が細く出来ている。  シドは刀身が厚い方の鋏に手を掛けると、軽々と持ち上げて見せた。 「…爺ちゃんが倒れてからは使ってなかったが…まぁ、枝切り落とす位だったら大丈夫か。  あーとーはー…これとこれとこれに肥料類持って、と…」  よいしょ、と声を出しながら全ての“仕事道具”を背負う。  ありとあらゆる“庭仕事”用の道具達を。  プレートアーマーを着込むよりも重い仕事道具を背負い、シドは小屋の外に出る。  日は既に中天を回ろうとしていた。 「……走れば日暮れ前には町に着くか」  ふぃー、と息を吐き出して腰を落とす。  目指すは最寄の町、いつもの仕事場所。 「よっし、行くか!」  とりあえず。  爺も爺なら、孫も孫。  その馬鹿みたいな身体構造は、確かに受け継がれていた。